Diary

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Diary with Photograph
人壽百歳蘭香四時
躅飛山光徳寺所蔵の掛軸「人壽百歳蘭香四時」この大らかな泰山文字は中国山東省泰安市の岩山の中腹に刻された金剛般若経の経文から一文字ずつ拓本にとったものである。それをこの軸のように組み合わせて好きな言葉につくって遊ぶ。人壽百歳蘭香四時とは「長生をして常に存在感があるように」であろうか。あやかりたいと思いながら、私の生き様をここに記していきたい。私も昔北京に行った際に骨董屋に赴き20枚ほど買い求めて所有しているがそのままになっている。 躅飛山光徳寺所蔵の掛軸と故高坂制立師

 闘 病 日 記 - 脳内出血との闘い 
(関連記事だけに直行)


 2019年2月12日(火) 病後最初のコンサートを行いました!

明日也
上郷地区センターに来て下さった人達
 ああ、2月9日の地区センターバレンタインコンサートが終わった、体力も集中力も使い果たした。
動きにくくなった指をこの野郎とばかりに叱咤しながら闘ってきた。
吸っても吸っても十分ではない息も、なんとかなったようだった。
立ったままで約一時間の演奏に耐えられるような練習もやってきた。
一旦バランスを失ったら後ろへ倒れてしまう体も大丈夫だった。
歌口に吹き込んだ息が心地よい響きとなって口腔が膨らむような気がして幸せだった。
この日のために頑張ってきたことは報われたと思う。自分を褒めてやろう。
天気予報では大雪だったこの日、奇蹟が起こった。雪がやんだのだ。
定員の倍の応募から聴いて下さった人達に対しては感謝の気持ちで一杯だ。
ピアノの長島伸子さんとこの日の演奏を記録してくださった山下博央さん、ありがとう。
上郷地区センターのスタッフの方々にには大変お世話になりました。
京都からはOp.2-2も夫婦揃ってきてくれたしね。
アンコールでエンターティナーを共演してくれたせんちゃん、楽しんじゃったね。
演奏3日後になって、やっとDiaryを書くことが出来た。
6月には名古屋の五反城教会で吉田文さんのオルガンとバッハのトリオソナタ第七番「幻」の初演(Thomas Meyer-Fiebig版)、秋には金谷の西照寺で、岡崎ではチェロのユルンヤコブ・ティムと或いはドレスデンフィル・弦楽三重奏団との共演が待っている。更に鍛えていかなければならない。
→演奏記録よりClaude Bolling フルートとジャズピアノのための組曲より



 2019年2月3日(日) 田中の健ちゃんと会いました!

明日也
小学校時代の同級生田中健ちゃん
 昨日は並木まで買い物にでかけた。ちょっと離れているけれど、ここに行くとビアレ横浜というショッピングモールがあって衣類でも食品でも何でも豊富に揃っているから便利なのである。我が家が日頃の買い物をするところは、まず近いところで「生協」、そして港南台駅の「ローゼン」と「高島屋」、ちょっと離れて上大岡の「京急百貨店」、小一時間かけて新横浜の「ららぽーと横浜」や「トレッサ横浜」内にあるスーパーマーケットの「SANWA」なども良く行く、と行動半径は広い。つまりは買い物を楽しんでいるというわけだ。
 私と息子の2人は妻が買い物をしている間、近くの長浜公園に行って写真を撮ったりして遊んでいた。お花は殆ど咲いてはいなかったけれど、梅が蕾を膨らませていた。
 並木と言えば私が100日あまりの入院生活を送ったなみきリハビリテーション病院があるところだし、田浦小学校で4年生から6年生までを一緒に過ごした田中健ちゃんが住んでいるところである。その健ちゃんにメールで「いま長浜公園に来てるんだよ!」「おっ、すぐに行く!どこにいるの?」「長浜公園の観察小屋にいるよ!」となって、入院中にはしょっちゅう会いに来てくれた健ちゃんと久し振りに会うことが出来た。いつものダンディーな姿だった。傘寿を迎えるトシになっていろいろと問題をかかえている2人だけれど、会う度にお互いに励まし合って(禿増しあって、でなはい!)いるのである。元気な姿であえることの悦び。健ちゃんとは、思い出多き病院のエントランスに行き、丸テーブルに陣取って一時間くらいを過ごした。入院中にお世話になった療法士のSさんにも連絡したが、会えなくて残念だった。



 2019年1月28日(月) 明日也が来てくれた

明日也
OP.2-1の明日也
 OP.2-1の明日也が約2ヶ月間イタリア、イングランド、スイス、ドイツ、アメリカ、中国を旅行した帰り道の1月26日に最後の訪問地北京から直行してやってきた。カリフォルニアワインのお土産をを携えて!明日也は四十路に突入している。かく言う私は今年傘寿を迎えてしまった。到底受け入れがたい。親子共々確実に年を重ねていく。80才と云えば、今風に言うなら「ぶっちゃけマジでめっちゃきもいジジイ」となるのかな?あはは。一切使わない言葉だからよくわからないが。ついでながら私はあの語尾上げが苦手で体質的に話せない。使ったらなんか病気になりそう。明日也も嬉しい事にこの類の言葉は使わない。細かいことをくどくどと喋るのではなく、少ない言葉で奥まで伝える、と言ったような感じで話する事が多い。場合によっては目の表情だけで意思を通じさせることがある。これで充分に通じ合えるのだ。
 明日也と命名をした時のことは良く覚えている。私は1977年の秋、予定日を間近に控えたある日、夜中にクルマで長野県の国道158号の安房峠を富山県に向かって走っていた。今では難工事の末トンネルが完成して随分楽になっているが、当時はまだ道幅も狭くて舗装も完成していない危険な場所も多くあった安房峠越えだった。何て名前にしようかな、と考えながら運転をしていたが、突然「明日也」という名前が閃いたのだった。絶対にこれだ!と思った。明日也には色んな意味が込められている。そのころに親しくお付き合いをさせて頂いていた優しくて大好きだった備前焼きの人間国宝藤原啓さんが「ええ名前をつけたのう、これを親戚に配ってあげて」と言って毛筆で色紙に味のある太い字で明日也と十枚くらい書いて下さったのが嬉しかった。サインには「啓 喜寿」と書いてあった。
 今度明日也と会えるのはいつかなあ。その前にOP.2-2の青也が遊びにきてくれるのかな。いまから待ち遠しい。



 2019年1月18日(金) 長島伸子さんと練習

Leica Q-P
ピアニストの長島伸子さんと
 病後初めての演奏会で緊張している。2月9日迄あと1か月を切った。
今日おなじみの長島伸子さんと二回目の練習をした。
体が硬いな。本番までにもっとほぐさなくちゃ。日によってムラがあるのが怖い。
あと2回の練習で良くならなくちゃ。
それにしても我が2本の配偶フルートの良く響くこと。甲乙付けがたい。
響かないとしたら原因は100パーセント自分にある。
毎日2,3時間は吹いているが、これで限界だろう。
病気の前は毎日5,6時間吹いても平気だったけど。
ああ、2月9日はいい演奏をしたい。



 2019年1月6日(日) 佐々野 道さんと会いました

Leica Q-P
スキューバダイビングインストラクター佐々野 道さん
 八丈島でダイビングライセンスの講習を受け、ハワイで資格を取得した佐々野 道さんとのお付き合いは長い。かれこれ30年くらいになるだろうか。私がN響定期公演の為に渋谷のNHKホールへ通っていた頃、午前10時からお昼過ぎまで会場リハーサルを終えてから渋谷の街に出て昼食、というのが習慣だったが、食事の後はデパートへ行くのが好きだった。渋谷のデパートと言えば東急デパートだが、ここは比較的空いていて落ち着いた雰囲気が好きだった。その中で良く行ったのがCALVIN KLEINの売り場で、そこで働いていたのが佐々野さんだったと言うわけである。とても物静かで口数の少ない落ち着いた雰囲気に好感をもっていたが、何回か行くうちに話をするようになって、やがて定期公演にお誘いしたと言うわけである。その時のプログラムは何だったかなあ。その後佐々野さんとは沢山お会いした訳ではなかったが、いつの間にか居なくなって、どうしたのかなと思っていたら沖縄でスキューバダイビングのインストラクターをやっている、との連絡にビックリしたことを覚えている。失礼ながら私としては売り場での印象とスキューバダイビングとのイメージが繋がらない佐々野さんだったが、しかし佐々野さんは東急に勤めているころからスキューバダイビングのインストラクターになる為に情熱的に着々と準備をしていたらしい。それから沖縄には2度行ったが、その時はまったく別人のように活発な人だった。本性を現した佐々野さんを見たのだ。現在は”Mint Cruise” ミント・クルーズ のオーナーである。今回は昨年からの約束で東京へ行くついでに港南台の駅まで来てくれるという事になっていたが、会うのは14年目だったかな、しかしそんな期間は全く感じなかった。話が弾んでやめたくなかった。海中で撮った写真を沢山見せてもらったが、それはそれは綺麗だった。若くて健康だったら沖縄に潜りに行くだろう。健康で元気いっぱいの佐々野さんと会っているだけでエネルギーを分けてもらったように感じた。嬉しかったなぁ。次はいつ会えるのかなぁ。14年も空けたら私は生きていないよ〜!



 2019年1月5日(土) Leica Q-Pが来たぞ!

Leica Q-P
惚れ込んで入手したLeica Q-P
 昔から腹が立つほど値段が高いライカ(語源はライツ社のカメラ)。バルナックライカのころは「カメラ一台家一軒」と言われたらしい。それでも自分のものにしたいと思う多くのカメラファンを悩ませてきたカメラ、こんなカメラも珍しいだろう。その後波瀾万丈の時期があったがそれを書くのは面倒だから書かないが、日本のミノルタとの提携などを経て現在はすこぶる健在といったところだろう。私のライカ史を書くとDIII、3F、M3、M6、minilux、R8、そして今回のLeica Q-Pとなる(Q-PはQの派生型)。このなかで1966年に外国で買ったM3は特に忘れることが出来ない。当時給料が3万円なにがしのころに日本ではボディーだけで36万円もしていたM3である。それをSUMMICRON-M 1:2 / 50mmとペアで買った。この事で一冊の本が書けそうである。20数年前に買ったR8以後はライカ病も収まって平和な時期を過ごしていたが、災いは忘れた頃に突然やってきた。ライカウィルスは私の体内のどこかで潜伏していたのである(カメラウィルスのワクチンはまだ無い)。Q-Pは私としてはライカ初めてのデジタルカメラだ。ちなみに私のデジタルカメラ史は富士フイルムFinePix、NikonD70、NikonD300、Sonyα7、Sonyα7II、Sonyα7III、そして今回のLeica Q-P。Q-Pはライカのコンパクトカメラに属するが、過去に買ってきた高価なライカのレンズ群を使わなくても充分に気に入る写真が撮れるのである(特に私のようなジジイには楽だ)。Q-Pはズミルックス f1.7/28mm ASPH.の固定焦点である。これを28mm、35mm、50mm、MACROと使い分けることができる機構が大いに気に入った。固定焦点だから買った後からレンズ買いの泥沼にはまり込むこともない。Q-Pを讃美する記事はネットに溢れている。まだ試しに少し撮ってみただけだけれど、色と云い空気感と云いその写りの素晴らしさはゾッとするくらいだ。ライカのレンズはこれなんだよね。これじゃ益々ウィルスが増殖するだろう。早速Leica Q-Pを粋なストラップで肩からぶら下げて、どこかに撮影に出かけるとするかな。否、取説を熟読し、経験を積んで理解を深めてからにしよう。






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