Diary

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Diary with Photograph

人壽百歳蘭香四時

この題字は富山県南砺市法林寺にある名刹躅飛山光徳寺所蔵の掛軸「人壽百歳蘭香四時」を私が写真に撮って加工したものです。昔から色紙などに書いてきた自作の言葉「我愛風流人」(I love flute)とともに好きな言葉です。中国山東省泰安市の岩山の中腹に刻された金剛般若経の経文を一文字づつ拓本にしたものを好きな言葉に組み合わせて、掛軸などに表具をして遊ぶ。私も昔北京で買ったものを20枚ほど持っていますが全て魅力に満ちております。一文字だけ額に入れても様になりますが「人壽百歳蘭香四時」は大作でしょう。意味は「長生きをして、常に存在感がある人生であれ」でしょうか。あやかりたいと願いながら、私の生き様をここに記していきたいと思います。今は昔、この軸を前にしてami du sake こと光徳寺第19世住職高坂制立師と向かい合って「両人對酌山花開 一盃一盃復一盃」よろしく地元五箇山の銘酒三笑楽の一升瓶を3本ほど空にしたことがあります。躅飛山光徳寺所蔵の掛軸と故高坂制立師



 闘 病 日 記 - 脳内出血との闘い 
(関連記事だけに直行)


 2019年7月23日(火)明日からリハビリ入院します

MichaelJackson

 明日から新戸塚病院で約2ヶ月間の予定で促通反復療法というリハビリを受けます。二月に予約をして約半年待っての入院です。期待が大きいと失望も大きいので、楽な気持ちで行ってこようかな。

しばらくアップできませんが、どうぞよろしく。






 2019年7月21日(日)私の寿命

MichaelJackson
あと10年も!

 寿命測定をしてくれるというところがあったので、遊びでやってみた。
なんとあと10年も生きる、と出たよ。
そんなはずは無い。
標準体重が50キロと出たけれど、今の私は52キロだ。

やってみますか?
 → 寿命測定
 → もう一箇所の寿命測定(ここではあと7 年 229 日 4 時間 36 分 34 秒とでました)






 2019年7月15日(月)Michael Jackson!

MichaelJackson
King of pop!
 久し振りでマイケルジャクソンの歌を聴いた。感動が甦ってきた。何て云う人なのだろう、80のジジイの心まで虜にしてしまうなんて。肩書きは音楽家, シンガーソングライター, 音楽プロデューサー, ダンサー, 振付師, 実業家, 俳優, ビートボクサー, パントマイマーと実に多才な人であった。改めて希有の人だと思う。2009年にまだ50才という若さで謎の死を遂げてしまったマイケルジャクソン。いまこの人が残してくれた数多くの歌をYouTubeのおかげでじっくりと味わうことが出来るのはとても嬉しい。
私が特に好きな2曲(本当はまだまだあるけど)。
思えば最初にこのアースソングを聴いたのがきっかけで、次第にマイケルジャクソンに傾倒していったのだった。何ヶ月もメロディーが頭から離れなかった。
EARTH SONG
マイケルが自分の曲の中で1番好きだったという曲でリンクしたのは1996年にブルネイにおいて国王の誕生日を祝ったコンサートで最後に歌った時の動画。地球に対して人間が犯してきた様々な愚かさに対する気持ちを熱唱、というよりも絶叫している。1995年に発表したというから37才のときの曲だ。作詞・作曲ともジャクソン自身によるものである。
One Day In Your Life
作曲はRenéeArmandでマイケルジャクソンではないらしいが、とにかく曲の美しさとマイケルの歌唱力に心を打たれる。そして彼の歌もさることながら間奏のところでホルンが奏でるメロディーにも感動をおぼえる。





 2019年6月30日(日)トラちゃんが、行っちゃった、

トラちゃん引き渡し
トラちゃんは貰われていきました(シャッターは妻)
 約一ヶ月半くらい一緒に暮らしたトラちゃんが、昨日小雨が降る港南台駅前で里親になって下さるSさんに引き取られて行っちゃいました。我が家は3人でトラちゃんを連れて約束の港南台駅まで出かけて、そこで里親のSさんとお会いした。Sさんはお嬢さんと2人で来られた。とても優しそうな人だったので安心してお渡しすることができた。息子が学校帰りに段ボールに入れられて捨てられる寸前の3匹の仔猫を見つけて、その中から一番弱々しくてもらい手が無さそうな仔猫が可哀想で可愛くて持ち帰ったのがトラちゃんだった。来た時には歩くのもまだ足がふらついて弱々しくて頼りが無かったトラちゃんだったが、最近ではもう部屋中を走り回ってじゃれついてくるほど元気になっていた。自分の名前も覚えてくれていた。息子にとってはお別れのこの日は一番辛い日であったようだ。トラちゃんが行ってしまったあと、30分くらいは辛そうにうつむいて言葉もでなかった。Sさんが可愛がってくださるから安心していようね、と慰めることしかできなかった。私は病後で弱っているうえにギックリ腰のオマケまでついての外出であったが、無理をして行って良かった。Sさんにお会いすることができたから。
 こうして夜中に寝室から居間にきても、もう今までのようにトラちゃんが側に寄ってこないのがさみしい。でも、今回は息子がくれた、とても良い思い出になった。《トラちゃん事件》は忘れることが無いだろう。





 2019年6月21日(金)我が家に滞在中のトラちゃん

トラちゃん
トラちゃんは生後2か月です
 1か月くらい前のこと、息子が学校帰りに通りかかったある家の前に置かれた段ボールの中に三匹のかわいい子猫が入れられているの見つけた。そこにいたおじさんに「このネコちゃん、かわいいですね」と言ったら「もう捨てないといけないいんだよ」と言ったそうである。捨てると聞いて息子は可哀想に思って、その中の一匹をおじさんから貰って連れて帰って来たのがこの写真のトラちゃんだ。私も動物は嫌いじゃない。けれど今住んでいる集合住宅では飼いにくいし、条件も色々と有るからもうずっと長い間飼っていない。
 私が今までに飼ったことがある動物は子供の頃から数えると、スズメ、ウサギ、ネコ(沢山)、イヌ(沢山)、ミミズク、九官鳥、手乗り文鳥、野ウサギ、ジュウシマツ、 カラス、と非常に多いが、それらの全てが私に慣れて、野ウサギなどは私が名前を呼ぶと肩の上に飛び乗ってくるほどだった。動物は可愛いけれど、別れは辛い。それもあって飼ってこなかったということもある。
 このトラちゃんは《いつでも里親募集中》というところに登録して、いま里親になってくれる人を待っているところである。今風に言えば、めっちゃカワイイトラちゃん。ということになるのかな。どうぞよろしく!
 ※里親になってくださる人がきまりました! トラちゃんは29日に行ってしまいます。 サ  ビ  シ イ(6月25日)





 2019年6月6日(木)吉田文さんとのコンサートが終わりました!

吉田文・トーマスご夫妻と
五反城教会で(ご主人のトーマスさん・離れちゃってる?)
 ああ、復活節として行われた吉田文さんとのバッハが終わった!今まで準備してきた緊張の数ヶ月間は体調と体力と精神力との闘いでもあった。2月に演奏した家の近くの上郷地区センターの時には自分として初めての曲もあったので病後初めてのコンサートは終わってから2ヶ月間くらいはぐったりしちゃったから、今回の名古屋の五反城教会は移動もあったので気をつかった。でも終わってみると2回目となると体も慣れてくるのか、1回目ほどでもなかったような気がする。よく練習してきたと思う。文字通りさらいまくったという言葉がピッタリだったろう。バッハのトリオソナタだけれど、文さんとの演奏は今回が7回目だったからトリオソナタは全6曲を演奏し終えていたわけである(BWV 525-530 キルヒナー版)。そのことが前回の6回目が終わった時に話題になって、それを聞いていた文さんのご主人作曲家でオルガン奏者のトーマスさんが「私が7曲目を編曲しましょう」と云ってくださったのである。これが今回の「幻の第七番」の誕生となった経緯である。フルートがよくやるBWV1039からの編曲ではなく、BWV1027(ヴィオラダガンバ)からの編曲で、調も変ロ長調という吹きやすい調にして下さったのが嬉しかった。しかしこれにはオマケがついてしまった。バッハのトリオソナタBWV1027の演奏後、トーマスさんに感謝の意を伝えるべく、立って戴いて聴衆の皆さんに紹介しなくちゃいけないと思ったから、忘れないように私の譜面の最後のところに【トーマスさんを呼んで立ってもらうこと!】と書いておいたのだ。なのに、ああ終わった、という安堵感からすっかりお呼びするのを忘れてしまったのである。演奏の直前まで覚えて居たのに、これは悔しかった。なんという不覚。トーマスさん有り難う!そして御免なさい!とにかく私にとっては死に物狂いの演奏が終わったばかりであったのだ。
 アンコールでは今回ハープの近藤薫さんも参加していたからフランクの荘厳ミサ曲から天使の糧を演奏した。この曲の美しさ、優しさ、深さは吹いていても強烈に全身に沁み渡ってくる。シャルロット・チャーチの声を思い描きながら吹いた。私は普段から音楽について細かく意見を言ったり議論することを好まないが、文さんも同じく自分の考えなどを話すことはしない人である。言葉よりも、彼女の普段の行動から充分に理解できるのである。この日も一緒に演奏していてビリビリと伝わってくるのだった。私はそんな文さんが大好き。普段から沢山のコンサートを企画して精力的に活動をされている文さんは、最近引越をされ、その為に体力を消耗されたことと思うが、そんなことを微塵も感じさせない演奏であった。五反城教会には沢山の人達が聴きにきてくださった。名フィルの富久田さんも来てくれたし、筑波からは昔の教え子が、京都からは息子たち(Op.2-1&2-2)も来てくれたし、名古屋在住の妹と、ちょうど帰国前日だったフロリダ在住の妹も聴いてくれた。文さんとはまた次回も!と約束したが、実は2人でCDを作ろうか、という話が芽生えてきている。実現できたら嬉しいな! 病後であるにも関わらず(詳しくは病中と云うべきだが)、我が配偶フルート、パウエルの木管の最近の響きは今までにないものを感じている。嗚呼、生きていて良かった。もっと生きなくちゃ!フルートが吹けるのだから!
吉田文さんがコンサートの事をブログ風琴亭に書いてくださいました。



 2019年5月31日(金)マクレラン牧子さんと会いました

マクレラン牧子さんと
浦佐からマクレラン・牧子さんが!
 すっかり紹興酒が効いて、いい顔色になってる。マクレラン・牧子さんと会ったのは福井の高浜で倒れた時に入院した小浜の病院にお見舞いにきてくれた時以来だから一年半ぶりだった。嬉しかったな〜。この日(5月21日)は会う約束をしていた午前中に大雨警報が出て、それで夕方に変更して港南台駅で会った。夕方にはすっかりやんでいた。我々は駅前の南国酒家へ行って席を取ると、もうたまった話が堰を切ったように溢れてくるのだった。料理もうまかったし、紹興酒もうまかったし、いくら話してもきりが無くて時間が足りなかった。楽しいと自分の体調のことも忘れちゃうよ。
 牧子さんはすごい人なんだ!なんとスカイダイビングもやってしまうという大胆な人。料理も上手。浦佐の牧子さん宅の広い庭にいっぱいの人が集まってBBQを楽しむ時にも、悠然とかまえているようで、まるで魔法の様にあっという間に沢山の料理が出てくるのにはいつも驚いている。牧子さんが慌てたりイライラしたりするところを見たことがないのでいつも不思議に思っている。地元浦佐の池田美術館ではアドバイザーを務めながら池田音楽クラブに所属してロビーでのコンサートでも度々フルートの演奏もやっている。会社の運営も整然としていて凄腕。実に多才は人だ。今回の牧子さんは横浜で三日間の予定で仕事があるとのこと、忙しいのに予定を一日早めて会ってくれたのである。今度はこちらから牧子さんのところに行きたいな。牧子さんといえば当ホームページのMuseumのなかで紹介している磁器の笛吹き人形を下さった人です。もしまだだったらステキだから見てください。



 2019年5月15日(水)フロリダから妹が来てくれた

SisterEmiko
フロリダから妹が来た(私の隣)
 フロリダから外国での生活がもう何十年にもなる妹が来てくれた。私は4人兄弟のうちの次男坊で兄が一人、妹が2人いて今回来たのは末っ子の妹、というわけである。みなトシを取ったよ。妹としては年に一回の帰国だから貴重な時間だろう。
 フロリダは日本からみるとアメリカの一番むこうがわだから随分遠い。なにしろ12000km以上もあるのだから。まだ直行便はない。けど、是非一度は行ってみたいと思っている。それで航空券の情報を調べてもいるのだけど、やはりフロリダ行きともなれば大事(おおごと)だから簡単に今日明日と云うわけにはいかないだろうけれど。フロリダにはその辺の川やゴルフ場などにも普通にワニがお出ましになるというから恐ろしいところだ。事故もあると聞く。でもキーウェストやマイアミの海岸にも行ってみたいな。まだ若い頃、マイアミビーチルンバという曲を良く吹いてたのを思い出して懐かしい。
 この日のテーブルには寿司や刺身などの料理が並ぶ。お陰でこちらもご相伴にあずかってしまったよ。(^_^)



 2019年5月11日(土)小出信也式エクササイズ

パウエルとヘインズ
バッハの譜面上のパウエルとヘインズ
 今日は私が昔から毎日行っているエクササイズのやり方を書いてみようかな。別に企業秘密でもないし、僕だけにしか通用しない事かも知れないし。まずフルートを組み立てる前に必ず頭部管だけを吹いてみることから始めるんだよね。これは私にとってとても重要なこと。鏡で自分の口を見ながら、注意深く、調子が良い時と同じように響くところを探す。日によっては予想もしていなかった口になっていて驚くこともある。唇の形や角度や穴の大きさや息の強さを変えつつ、音を出しながら最良のところを探すんだよね。絶対に強くは吹かない。これは頭部管の下を右手でを塞いだり開いたりしながら行う。良い所が見つかってこれが終わったら、今度は胴部管も繋いで吹いてみる。これでよし、となって全部を組み立ててからロングトーンでの仕上げになる、とまあこんな具合。響きのモトをこしらえておいてから、楽器を効率よく響かせて(鳴らせてとは云わない)「その場の空間を振動させる」ような響きを得ようとするわけ。これ、強さじゃないんだよね。人間は機械じゃない、生身の生き物だから体調はいつも同じじゃない。毎日微妙に頬の柔らかさや唇の状態などが異なるから、これをやらないと、せっかくこれだ!と思って喜んでいた口も壊れちゃう。その日の自分の状態が分からないまま無理をしないことなんだ。頭部管だけで吹いてみるのはオーボエ奏者が先ずリードだけを吹いているのと似ている。私の口は昔からとても神経質で日によって変わりやすいから慎重ならざるを得ないんだ。こんなことをやってるは私だけかもしれない。
 ところで病後の私は最良の状態とは言いがたい。良くないところを細かく書き出すときりが無いくらいだ。でも、でも、吹きたくてたまらない。吹かないと病気になっちゃう(もうなってる)。私の可愛いフルートよ、なんて素晴らしいフルートだろう! 我ながら見惚れるよ。こうしてみていると最上級の響きを導き出してやりたいと思わずにはいられない。待っててくれよ。




 2019年5月8日(水) 脳内出血-5・ICUから一般病棟へ

マクレラン牧子さん
マクレラン牧子さん
マクレラン牧子さん(上中央)と愛器ヘインズ
(10月5日の続き)
 福井県の小浜市にある杉田玄白記念公立小浜病院に緊急入院したのは2017年10月4日の午後8時過ぎだった。
ICUのベッドに横になると背中がでこぼこして非常に居心地が悪く、最初はベッドが変形しているのではないかと思ったが、シーツを交換するときに見ても普通だったので不思議だった。しかしどうやらその原因は私の背中の神経がやられていたのが原因らしいと分かったのだった。どう見てもベッドは平らだったから。磯崎医師の8日の見回りの際に「お腹が空いた」と訴えたら、「じゃ食事を出しましょう」ということになって、久し振りに食事と摂ることができるようになった。5日ぶりの食事は普通常食というものでメニューは200ml入りの牛乳パック、ワカメと昆布が入った味噌汁、絞り納豆のステーキ、ササゲのごま和え、かつおみりんのふりかけにご飯だった。これで1500キロカロリー。
 入院してから5日目の10月9日になって、私は一般病棟へ移動することを告げられた。これは危機を脱したという事なのだろうと思った。看護師のSさんが8階の801号室へ案内をしてくれた。今度は個室だった。外部とは閉ざされていたICUと違って部屋は大きく窓が開いて明るく、若狭湾も見えていた。しかし淋しげな景色だった。夕方になると赤く染まる空を眺めながら家に飾ってある斉藤真一の絵を思い出し、水上勉の小説を思い出していた。そうだ、10月10日はオーボエの小島葉子さんの誕生日だから電話をかけてあげよう、と思っていた。
 妻は初めの頃にはお見舞いに来た人が休憩するための場所の片隅で仮眠をとっているような状態だったが、個室になってからはソファーベッドがあったから部屋で寝泊まりができるようになった。ICUでのお見舞いは親族に限られていたけれど一般病棟になってからは決められた時間内であれば誰でもOKになった。沢山の方がお見舞いに来て下さった。地元からはステージで倒れたときに一緒に演奏していたソプラノ歌手の野原広子さんが毎日のように来て下さったし、野原さんの友人で私の友人でもある永井凉子さんも頻繁にきてくださった。 地元で捕れた魚の刺身や寿司や手作りのサンドイッチなども持ってきてくださった。新潟県の浦佐からはマクレラン牧子さんが500キロの距離をベンツをとばして駆けつけてくださった(上の写真)。お土産には綺麗なお花と八海山の甘酒(ノンアルコール)をくださった。牧子さんとこんな所で会うなんて! 南砺市の光徳寺からは住職の高坂道人さんと妹の京子さん、お二人のお母さんの高坂千鶴子さんが来て下さった。また龍角散の藤井隆太社長、島田市からは「なむなむ音楽会」の西照寺木村賢住職、京都からはチェンバロ制作者の春山直岳さん夫妻、山崎からは息子のOp.2-1と2-2とがお見舞いに来てくれた。皆から沢山の差入れを戴いた。
 15日になって、初めて私は気になっていたフルートを見よう思った。この日まではそれどころではなかったから。ステージで発作を起こした時には落とすまいと必死で握りしめていた愛器ヘインズは一体どうなっているのだろうか。身の回り品など全て持ち込み禁止のICUに特別に持ち込みを許可してもらって添い寝をしてきたヘインズ。ケースを恐る恐る開けてみると、果たしてそこには無傷のままヘインズは微笑んでいた。キズも全くなかった。私は愛おしくて時間を掛けて丁寧に拭いてあげた。その時の私の状態では吹いてみることはできなかったけれど、愛おしくてたまらなかった。
 入院中には色々と不思議なことが起こったが、このころになっても同じであった。例の棒で雨戸を叩くような音が変わったリズムで一日中聞こえていたり(十六分の五拍子で休止符が入る複雑なリズム)、まるでシューベルトの魔王のように恐ろしく唸るような風の音が聞こえたり、聞いたこともないメロディーがエンドレスで聞こえてきたりした。脳幹がショックを受けて騒いでいるのだ。
 高浜へ行く時には毎回非常に楽しみにしているところがある。それは私が尊敬している水上勉が昭和60年に創立した若州一滴文庫だが、今回も楽しみにしていた。ああ、しかしとんでもない事になって行かれなくなってしまったのは非常に残念だった。学芸員の下森さんと時岡さんはお元気だろうか。
 私は歩くことが出来なくなったので車椅子で移動していたが、このまま車椅子の生活になってしまうのだろうか、という不安でいっぱいだった。車椅子は19年前の心筋梗塞の時にも使ったから慣れてはいた。しかし今回はダメージが大きかったから再び歩けるようになるのか、非常に不安である。痺れに関しては担当の磯崎医師が、一年経っても残っていたら、それは生涯とれないかもしれない、と言ったのが気になった。(闘病日記 INDEXへ



 2019年5月5日(日)甦ったテレビ!

テレビのお掃除
テレビの裏蓋を開けたところ
 電力を少し多めに食うけれど、テレビは液晶よりもプラズマの方が好きだ。色や立体感が自然で気持ち良いから。テレビを見ると云っても私が見るのはニュース、ドキュメント番組、自然もの、ノンフィクションなどがほとんどで騒がしい番組は一切見ない。我が家のテレビは2010年に買った日立のWoooというプラズマテレビだが、数ヶ月前から丁度画面の中央辺りに幅約10センチくらいの縦帯が現れて日を追う毎に緑ぽい色が濃くなり見づらくなってきた。煩わしいことおびただしい。もう寿命なのかと思った。日立から修理に来てもらおうかとも考えたけれど、自分でなんとかできないものかと色々と調べてみたら、ウェブ上に同じ症状で困った人が、自分で直した、という情報を出していたのを見つけて、ダメモトで真似をしてやってみることにした。スクリーンを下にして裏蓋を上に向けた状態にしておき、20数本のネジを外して裏蓋を開いた。外すべきネジには矢印マークがあるので分かりやすい。そこには猛烈に細かい配線などがあったので注意をしてホコリをはらった。どこかが原因になっているはずであるが、しかし明らかにここだ、と思えるようなところは素人の私には全くわからなかった。工事に際しては裏蓋を外す際も、元に戻す際にもドライバーがネジに対して斜めにならないように持ち、締める時には強すぎないように注意した。ネジは全部を緩めに入れておいてから、全体的を対角線の順に締めるようにした。これはクルマのタイヤを取り付ける時と同じだろう。
 さて組み立て終えてからドキドキしながらスイッチを入れた。可能性は半々だと思いながらも、ああ、どうか直ってますように、、 そして結果は、、おお!疫病神のようだった帯が見事になくなっている! 万々歳であった。やったことはホコリを払っただけであったが。しばらくはこのまま綺麗に映ってくださいね。《参考にしたところ









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