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Diary with Photograph
人寿百歳蘭香四時
「人壽百歳蘭香四時」は躅飛山光徳寺所蔵の掛軸を写真に撮り加工したものです。→ 躅飛山光徳寺蔵の掛軸と故高坂制立師

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小 出 信 也Essay みたいなもの
l'agenda du Koidessimo avec photographie


 2013年4月22日(月)第5回日本アンサンブルフェスティヴァル

WolfgangSchulz みなとみらいホール小ホールで催された日本アンサンブル協会主催の「第5回日本アンサンブルフェスティヴァル」は終わった。これは川崎 恵子氏の主宰による日本アンサンブルコンクールに入賞・入選した者によるコンサートで、私はその“前座”として審査員演奏に出演したわけである。前座には私たちの他に白石 光隆氏と多 美智子氏のピアノでショスタコーヴィッチの2台のピアノの為の組曲Op.6より 第1、第4楽章 と、シャブリエの狂詩曲「スペイン」 が演奏された。入賞者たちの演奏は(敬称略)ヴァイオリン&ピアノ:濱田彰子・森田ひかり、フルート&ピアノ野口マリ子・西山英里、ヴィオラ&ピアノ山田圭子&加藤協子、ピアノ連弾 小平美弥子・山本深雪、重唱 熊谷美奈子・実川裕紀・香月 健・高田恵子(ピアノ)賛助出演=宮西一弘・浅井優子・坂田留美子(ピアノ)チェロ&ピアノ山口真由美・山口博明 と多く、3時に開演して、終わったのは実に8時という長丁場であった。
 幅田 詠里子さんとの演奏は実に心地よかった。彼女は深く音楽を理解していた。音楽が自然だった。音が綺麗だった。弱音になっても常によく響く低音域が心地よかった。演奏していて嬉しかった。私はフンメルもドビュッシーも今迄に何回も演奏してきた曲であるが、今回の演奏に際しては練習方法を変えて、徹底的に練習をした。今までには無いほど時間もかけた。もちろん満点ではなかったけれど、それなりの結果は出たかも知れないと思っている。辛口評論家の妻が「今までと違っていた」と云ってくれたのも嬉しかった。フルートは、吹いても吹いても楽しくて、面白くて、飽きなくて、練習をやめるきっかけが無くて困る。フルートを置いて休もうと思っても、次の瞬間又吹き始めている。それは好きなだけではなく、自分に満足ができないからでもあるのだが。私の教え子で、現在NHKのインターナショナル制作部に務める傍らフルートの演奏にも活躍している山下 博央氏がビデオ録画をしてくれたので、編集が出来上がったらYouTubeに出したいと思っている。(写真:山下 博央氏が収録したビデオより)
2013/04/22 YouTubeフンメルのソナタニ長調 & ドビュッシーのビリティスをアップしました!


 2013年4月18日(木)ドビュッシーのビリティスの歌 クロタルを持つ舞姫のために

WolfgangSchulz ドイツの古典学者ゲー・ハイム教授なる人物によってキプロス島のパレオ・ミリッソで、紀元前6世紀に生きたビリティスという名の女流詩人の墳が発見されて、その遺骸と共に地下の墳墓に刻まれていた彼女の146に及ぶ歌も発見されたという。それを翻訳したとして1894年にフランスの象徴派詩人ピエール・ルイス(1870年-1925)によって発表たされのが「ビリティスの歌」である。ところがこれは実は全てルイスの作り話で、ルイス自身の作品だったというからただごとではない。この“事件”はいかにもフランス人らしいと言うべきか。これを信じた古典学の権威者たちが真面目な論文を書いて大恥をかいたというのもただごとではない。ビリティスの歌はドビュッシーによってそのうちの3篇からパントマイムと詩の朗読の付随音楽として2本のフルート、2台のハープとチェレスタという編成で作曲された。(チェレスタの譜は紛失し、P.ブーレーズが復元した)。ドビュッシーは1914年にこれをピアノ連弾のために書き直し、「6つの古代碑銘」と言う題名を付けた。そして私が演奏する楽譜はカール・レンスキーがフルートとピアノに編曲したものである。もちろんドビュッシーはピエール・ルイスの作り話を知っていただろう。ドビュッシーとピエール・ルイスは親しい間柄であったというから。
 私は20日にみなとみらいでドビュッシーのビリティスを吹く。この曲は35年くらい前に吹いたのが最初で、その後10年位い経って吹き、今回が3回目である。3度目の正直だ!この間、曲中の La danseuse aux crotales (クロタルを持つ舞姫のために)のクロタルとは一体何であるのか、ずっと調べていた。カスタネットを持つ舞姫のために、と訳されているのを見かけるが、しかしフランス語のcrotalesはガラガラヘビのことなのである。先日、上林 裕子さんと会ったときにこの話しをすると、その場でパリに居るフランス人の友人に電話をかけて聞いてくださった。最初の答えは「非常に危険なヘビ」であったが、一時間以上経った頃にその友人から電話が返って来て、それはヘビではなくて打楽器である、と教えてくれたのである。ずっと調べていたらしく感激した。その後の調べで「直径数cmの小さな一対のフィンガーシンバルを、曲げた針金かパンばさみのようなものの先に取り付け、片手で演奏できるようにしたもので古代ギリシャ・ローマ時代にさかのぼる楽器である、という事も判った。ルーブル美術館の1階のセクション38のギリシャのテラコッタ置物群のなかにDanseuse aux crotalesがある(写真。その両手には、たしかにフィンガーシンバルのようなものが見える。もしかしたらガラガラヘビの尾がだす音と関係があるのかもしれない。そして更に「ビリティスの歌」の日本語訳が出版されていることも判った!(これは山下 博央さんが見つけてくれた)。私は即、沓掛 良彦の訳本「ビリティスの歌」を取り寄せた。まずは最後の「訳者解説」のところを貪り読む。これは非常に面白い本だ!時間を掛けてじっくり読もう。レプリカが欲しい人はここをご覧下さい。


沓掛 良彦訳 水声社版「ビリティスの歌」より La danseuse aux crotales クロタロスを手にした踊り子  良く鳴り響くクロタロスをその軽やかな指先挟み込み、 かわいいミュリニディオンよ、着物を脱ぎ捨て裸になるのももどかしく、 おまえは力にあふれた手足を伸ばす。なんてきれいなんだろう、 両腕を高く掲げ、腰を弓なりにそらし、両の乳房は赤く染まったその姿!    おまえの踊りの始まりだ。足を交互に踏みしめて、そろそろとためらい、 しなやかに滑り出す。からだは肩掛けのようにうねり、細かく震える肌を愛撫すれば、 官能の色は陶酔に満ちた切れ長のその眼にあふれる。  と、突然おまえはクロタロスを打ち鳴らす! 爪先立ってからだをのけぞらせ、 くねくねと腰を振り、脚を勢いよく上げれば、両手一杯に鳴り渡る響きは、 くるくると舞い踊るおまえのからだの周りに、あらゆる欲情を一つに束ねて 呼び寄せる。  わたしたちはと言えば、おまえがその肩越しにほほ笑みかけ、ひきつるように 動く逞しい臀をふるわせるときも、ほとんど身を横たえて、 思い出の律動のままにからだを波打たせているときも、大声を上げて 大喝采。


 2013年4月13日(土)ピアニストの幅田 詠里子さん

WolfgangSchulz 私は日本アンサンブル協会が主催する「日本アンサンブルコンクール」の審査員をしているが、昨年の8月に二俣川のサンハートホールで行われた第一回サンハート・アンサンブル・オーディションでの予選でヴァイオリンの伴奏(伴奏という言葉は好きではないけれど)で初めて幅田さんの演奏を聴いた。私は幅田さんの音楽的なセンス、無理なく綺麗に響かせる奏法に惚れ込んで、審査が終わってから即主催者の川崎恵子氏にお願いしてコンタクトをとってもらい、来る4月20日(土)に横浜のみなとみらいで行われる第5回日本アンサンブルフェスティヴァルでの共演をお願いしてしまったのである。幅田さんは東京音楽大学で勉強をされたあとウィーンへ留学、ウィーン国立音楽大学室内楽科ポスト・グラデュエイト・コースを修了している。ミュージック・アカデミー in みやざきの公式伴奏者を務めている。
 その幅田さんと演奏する曲は、フルートとピアの右手が交互にメロディーを受け持つ、いわゆる「伴奏」ではなく、お互いに溌剌と音楽を表現するフンメルのソナタを選んだのである。まだまだ本番には時間が有る今年の1月20日に初めて練習をしてもらった。その時、私が思っていたとおりの演奏をしてくれる幅田さんに、改めて惚れ直してしまったのである。 斉藤義孝氏の設計による我が家のピアノを実に気持ちよく響かせてくれた(調律は勿論私の手によるヴェルクマイスターの第3番である)。そして今日は2回目の練習であった。曲目は、今年はドビュッシー生誕150年にあたるので、フンメルとは対照的ともいえるドビュッシーのビリティスも演奏する。幅田さんとは秋にも数カ所で演奏をお願いしている。彼女が大好きだというシューベルトの「しぼめる花の主題による序奏と変奏曲」、ライネッケの「ウンディーネ」、上林 裕子の「オルシアの物語」などが予定されている。
 トシをとると色々やっかいなことがでてくる。もともと肺活量の少ない私が1999年の暮れにやられた心筋梗塞のために更に足りなくなり(現在2200ccくらい)、指は油が切れたようになったりと問題山積だ。しかし負けてはいられない。自分に対する戒めである「重ねたトシと練習量は正比例する」を念頭に吹きまくる。音に関しては笛吹き60年目にして、やっと「これかな?」という感じをつかみかけている。20日は良い演奏にしたい!


 2013年3月30日(土)W.シュルツが亡くなられた

WolfgangSchulz 私が一番好きなフルーティストであるW.シュルツが亡くなった。まだ67才という若さで亡くなるなんてショックである。
思えば1960年代にN響でウィーンに行ったとき、まだ若手だったシュルツという人のリサイタルが物凄く良かったという評判を聞いたのが彼を知った最初であった。CDが出たのはそれまら間もなくだったように覚えているが、ハープのザバレタとのモーツァルトのフルートとハープのための協奏曲で、それはもう美しい演奏であった。普段は全くと云ってもいいほどCDを聴かない私であるが、この頃には限られたものだけ聴いていたようだ。
日本には頻繁に来ていた人であったが、一時期音が変わった、と言うかデビューの頃とは違った響きになって少々がっかりしていた時期もあった。それが今使っている楽器になってからは以前にも増して素晴らしい響きになって私を魅了し続けていた。音色(ねいろ)、音楽、自然で爽やかななビブラート等、今時一部で流行っている音とは異次元の世界の人であった。
1999年、名古屋で行われたコンベンションでは名フィルをバックにドップラーのドッペルコンチェルトを協演した思い出がある。この写真はその時に撮ったものだ。(私のフルートは今使っているものではなくて、1本目のパウエルの木管銀メカ)今思えば何と素晴らしく贅沢な思い出であったろう。心からご冥福を祈る。YouTubeW.シュルツからのメッセージ

 マエストロ・サヴァリッシュが亡くなってショックがさめない。書きたいことが多すぎて、未だにかけていない。いつか思いっきり書きたいと思っている。


 2013年2月8日(金)ピアノ調律師 斉藤 勉さん

ピアノ調律師斉藤 勉 私は調律はできるけれど、整音などメカをいじることは出来ないのでピアノ調律師の斉藤 勉さんに来て貰った。なにしろ20年以上もなにもしていなかったから、気になることがいくつがでてきていたのである。斉藤 勉さんは嘗て名調律師と云われていた斉藤 義孝さんの次男である。我が家のピアノは、この斉藤 義孝さんの設計によるものなのである。
私はN響の定期公演でピアノコンチェルトがある時には早めにホールに行って、斉藤 義孝さんが調律をするところを側で細かく観察するのが習慣だった(嫌がらずに赦してくれた寛大な義孝さんであった)。なにか質問をするとたいがいの場合難解な答えが返ってくる、それを何日も考えて分かったり、分からずじまいだったりだった。が、それらの積み重ねは大きな財産になっていると云えるだろう。今回斉藤 勉さんと久し振りに会って、いろいろ沢山の話しができたことは良かった。彼はお父さんを尊敬していた。その話しぶりは爽やかで聞いていて気持ちが良かった。一歩でも父に近づきたいという気持が感じられた。大きな音で調律をすると義孝さんから叱られたそうである。 色々と聞かせて戴いたなかで印象にのこているのは、演奏者によって調整をその人の弾き方に合うようにしている、ということであった。こんな事を考えて調律をする人はそう居ないのではないだろうか。実に次元の高いことである。ただ単にいつも同じ調律をしている訳ではないのだ。また調律も、とにかく聞かせなければならない、と云っていたが、これはフルートのレッスンにしても同じだろう。言葉だけで理屈を語ったところで、それが良いレッスンになるとは思われないから。これらのDNAは確実に勉さんに引き継がれている。調整の後は気に入っている音が更に気持ちよく響くようになった。
最後に気になっていた事を質問してみた。それは大好きなベーゼンドルファーがヤマハの傘下になって、一体これからどうなっていくのか、というものであったが、答えは興味深かった。技術的なことはなにも変えなくても、会社そのものの管理体制がかわれば、それが音にも現れるだろう、というものであった。これが私にはなんとなく心配になってくるのである。(写真は調整を終えて斉藤 勉さんと)


 2012年12月11日(火)桃太郎

桃太郎 せんちゃんは私とじゃなくちゃダメなことが三つある。それは散歩と入浴と寝る時だ。寝るのは母親と一緒の時もあるけれど、お母さんは雑用が沢山あるからどうしても男達?の方が先に寝ることが多くなる。
 お母さんは本を読んであげるが、私はお話しを聞かせる事の方が多い。せんちゃんも毎晩楽しみにしている。最近は桃太郎の話しをしている。私は小さい頃に岡山に住んでいたからキビダンゴが出てくるので親しみもある。物語の内容は細かく覚えていないので適当に脚色しながら話すのである。夜な夜な町に出て来ては悪いことばかりをする鬼を退治に行く。途中で色々あって、最後には鬼が「もう悪いことはしません」と謝って、桃太郎は鬼にもキビダンゴをあげ、まさに左の絵のように鬼とも仲良しになって「めでたしめでたし」で終わることにしているのである。
 ところが最近になって、はて、鬼はどんな悪いことをしたんだっけ?何故鬼退治に行くことになったんだっけ?と定かではないことが気になり始めた。どんな物語であったのか、調べてみたみたくなった。
 桃太郎の物語は全国にあって、それぞれ内容も異なっている。全部読んだわけではないけれど、中には鬼を征伐して宝物を奪い、奪った宝物を家に持ち帰ってお爺さんお婆さんを喜ばせて幸せに暮らした、と云うとんでもないものもあったし、面白かったのは桃を食べた老夫婦が若返って子供を産んだというのもあった。
 ここで思い出すことがある。もう20年以上も前の事になるが、クルマに乗ってラジオを聞いていたら「桃太郎なんてとんでもない話しだ。」と喋っている人が居た。一体誰だろうと思ったら番組の最後で作家の住居すゑさんとわかった。興味が湧いてきたので早速この人の作品を調べてみると“橋のない川”と云う作品があることがわかった。早速文庫本で一巻から六巻までを買ってきて読んだ(第七巻は後に住居さん本人から戴いた)。続けて3回くらい繰り返して読んだ。そうしたら会いたくなってしまって誰からの紹介もなしに牛久沼お住まいのに作家の住居すゑさんを訪ねたのである。その時に住居さんはもう90歳を過ぎておられた。住居さんは桃太郎のことを「あの物語は侵略を奨励している、とんでもない話しだ」と仰った。様々なお話しをして下さった。信念に満ちた素晴らしい人であった。私はまた会いたくなって一年後に再び会いに行ったのである。色紙へのサインや沢山の著書を戴いてしまった。
 さて、今晩も寝ながらせんちゃんにお話しをするのだけれど、何のお話しにしようかな。(画像はフリー素材「わんパグ」塚本 http://www.wanpug.com/ からいただきました)






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