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過去の日記帳 2015年4月 〜 6月

写真ははずしました。



 2015年6月22日(月) 兄の傘寿と私の喜寿を祝う会
 三つ違いの兄と私が今年傘寿(5月兄)と喜寿(7月私)を迎えた。いやはや、トシをとっちゃったよ。それで名古屋の妹が5月と7月の中間6月にお祝いの会を計画してくれて、国道135号線の熱海の手前で急坂を登ったところにある見晴らしの良い宿で兄妹夫婦、息子達、甥が集って祝ってもらった。残念なことにマイアミに居る妹と一人目の長男?は都合が悪くて来られなかったけれど。宿は眺め良かったし、料理も旨かったし、お酒も飲み放題だったし、オマケに皆からプレゼントをいっぱい貰っちゃって、こんな会だったら毎年喜寿でも良いな、と思うくらいに楽しくて幸せな会だった。プレゼントの後で寄せ書きをもらったときには「橋のない川」の作者住居すゑさんの表現を借りると、涙腺がゆるんで凸レンズができて、字が次第にぼやけてくるのだった。
 兄との思い出は山ほどある。私が西大寺に住んでいた小学校の一年生だったころ、兄が毎晩寝る前に寝床の中でメーテルリンクの「青い鳥」を読んでくれていた。次はどうなるんだろう、と毎晩楽しみにしていた。風呂のときには身体を洗ってもらった。色々とある中で特に忘れられないのは1949年(昭和24年)の夏休みに兄と二人で山形県の羽前千歳の父の実家に遊びに行ったときの事で兄が中一私は小四のときだった。この旅行の帰途の8月17日に大変な事件に巻き込まれてしまったのだ。青森発上野行きの列車が福島県の松川町で脱線転覆するという、あの松川事件に遭遇してしまったのだ。私達は脱線転覆した列車の次の列車に乗っていた。危ない危ない。列車は延々12時間も福島駅に止まったまま一向に動かない。両親は帰って来ない小さな息子達のことをどれだけ心配したことだろうと思う。今みたいに携帯電話なんて無かった時代だから。1日遅れて田浦駅に着いたとき、迎えに来てくれた母が、家までの道すがら私の手を痛いほど握ってくれていた感触を今でもはっきりと思い出せる。思えば終戦の年の6月29日、岡山市が大空襲で全焼した日、直撃弾をくらって亡くなった人達を跨ぐようにしながら岡山神社裏の旭川の岸に逃げ、一家は助かったのだった。岡山城に焼夷弾が落ちて見る見るうちに燃え広がっていく様を目の当たりにした。そんな思い出が文字通り走馬燈のように駆け巡った会だった。兄とは喧嘩もよくしたよね。一緒に冒険もしたし、山を駆け巡って遊んだ。科学的なことも沢山教えてくれた。その他、あまり良くないこと?も教えてくれたような気がする(笑)。
 兄妹達よ、このトシになったらそれぞれ何らかの問題を抱えているかもしれないけれど、いつまでも元気でいるべし。 死んだら殺すぞ!
小出道也 編 オカリナ楽譜 模範演奏CD付き



 2015年6月19日(金) 団友オケの帰りにヴァイオリンのお二人と池袋で
 久々に東京の北区にある学校の主催で団友オケの仕事があった。生徒が対象なので演奏会も午後の一時過ぎからで、午後の3時ころにはもう終わっていた。そこでまだ時間は早かったけれど、ヴァイオリンの青木知子さん(向かって右)と矢津朋香さんと私の3人で「池袋あたりで一杯やろうか」と言う事になって取り敢えず山手線で駒込から池袋まで行った。しかしまだ時間が早いからかお店は開いない。こまったな、でもきっとどこか開いてるよ、と云いながら希望を捨てることなくスマホで情報をみながら歩くこと約2〜30分、そのうちに、おっ、ビアホールが開いてる!このときは嬉しかった。ところが喜んで中に入るとまだ誰もいない、ウェイトレスの人に思わず「まだですか?」と聞いたら「どうぞお入り下さい」と云われた! 良かった! 我々は一番奥の個室っぽいところに陣取り、広いお店のかなに3人だけで、さぁ、始めよう!
 まずは生ビール! かんぱ〜い!
その後は振幅の大きな内容の様々な話題が沢山飛び出して最高に楽しい時間が経過していった。ビアホールなので、ビールしかない。しかし沢山の種類があたので、順に飲んでいく。旨いね。実は青木さんとは以前から飲む約束をしていたのだけれど、私の体調がいまいちだったこともあり、約束が延び延びになっていたのだ。我々が店を出るときには、もう全ての席が一杯になっていた。
 この続き、またやろうね、と言ってお別れした。池袋からは湘南新宿ラインで大船まで乗り、そこからははバスで帰ってきた。次回が楽しみ!



 2015年5月30日(土)  オルガニストの吉田 文さんとのコンサート
 去る5月の30日にオルガニストの吉田 文さんの企画によってEt in terra pax(地球に平和を)と銘打って行われている一連のコンサートで吉田文さんと演奏した。名古屋の五反城教会は四年前に初めて吉田文さんと演奏したところである。私にとってオルガンと演奏するということは非常に大きな喜びだ。オルガニスト吉田 文さんと巡り会って一緒に演奏をするよになってから4回目のコンサートは実に嬉しく、幸せなコンサートであった。
 フルートという楽器は人間的で実に世俗的なものであり、天から響く聖なる楽器であるオルガンとの演奏は、実は若い頃の私には精神的にどうしても赦せないことであったけれど、いまこのトシになってやっと開き直ることができるようになったのである。最大級の喜びをもっての吉田さんとの演奏だった。プログラム2曲目のフランク・シュタルツは初めて聴いた。なんと神秘的な音楽だろう!色々なパイプが奏でる摩訶不思議な響きを聴いているうちにどんどん惹きこまれていった。吉田文さんのオルガンに対する情熱は並みではない。これほどオルガンを愛して沢山のコンサートをこなしている人を見たことが無い。オルガンとオルガン音楽を広めている功績はたかく評価されている。これからも共演が重ねられていくよう強く願っている。

当日のプログラム
ヘンデル:フルートソナタ第十番ホ短調
フランク・シュタルツ(1970-):連祷 ー 瞑想 ー トッカータ・ミニマル(オルガンソロ)
バッハ:トリオソナタ第一番ト長調 (キルヒナー版)
アルヴォ・ペルト(1935-):年から年へ(オルガンソロ)
グルック:フルート協奏曲ト長調



 2015年5月16日(土) 田浦小学校のクラス会
 みんな今年喜寿を迎える仲間達だ。もちろんもう迎えちゃった人も居る。毎年クラス会をやるのは田浦小学校だけだが今年は13名が金沢文庫のお店に集まった。現在連絡がつく仲間が23人だから、半分以上が集まったことになる。喜寿だなんて信じられないけれど、嫌でも事実なんだから素直に受け止めるしかない。この年になると、ほとんどの仲間が何かしらの健康問題を抱えているようだが、昼間から元気に宴が始まった。料理も美味しかったし、尽きることが無い思い出話で盛り上がった。毎回書くことだけれど田浦と云えば大好きな作家佐藤さとるが十歳まで育ったところで(実際は横須賀だが同じようなものだ)、彼の代表作「コロボックル物語」の舞台になったところだ(と想像している)。ついでに云うと、ごく親しくしているアイヌの友人が教えてくれたことだが、彼らはコロボックルとは云わずにコロポンクルというそうである。(そして私のあだ名をコロポンクルとつけてくれた)我々はコロボックル物語の第一巻「誰も知らない小さな国」に出てくる可愛らしい地図そっくりの山の中を走り回って遊んでいたのだ。飯盒を持って山菜などを採って飯を炊いたりしたのは良かったけれど、旧日本軍が信管がついたままでほったらかしにしていたおびただしい数の高射砲の実弾で遊んていたのは、今思えば危ないことこの上なくてゾッとする。よく無事でいられたものである。
 さて、来年も5月が楽しみだ。皆元気で集まろうよね! 昭和30年頃の田浦商店街



 2015年5月13日(水) 世界一に選ばれたサントリーウィスキー
 サントリーが昔は寿屋と云う名の会社だったことを知っている人も少なくなってきただろう。明治32年に鳥井信治郎によって「鳥井商店」が創業され、大正10年に社名を「寿屋」とした。私がアルコールを飲み始めたころは、まだこの寿屋だった。当時のTVコマーシャルトリスウイスキーを今でもYouTubeで見ることができる。懐かしいなあ。でも初期のトリスウイスキーは原酒が5%しか入ってないアルコールや焼酎甲類をブレンドした模造ウイスキーと云われていた。桐朋の高校生だったころ、学校の裏手で人目を避けながらクラスのワルたち数人で車座になって寿屋の赤玉ポートワインを度々飲んでいた思い出があるが、これも輸入したスペイン産の葡萄酒にアルコール、香料、甘味料を添加した言わば模造ワインだった。この頃、夜の新宿をふらついていると大きな看板を掲げて「サントリーバー〇〇はこちら!」或いは「ニッカバー〇〇はこちら〜!」と声を枯らして客引きをやっていたものである。寿屋は昭和38年(1963年)に社名を「サントリー株式会社」に改称した。ごく自然ななりゆきで何の違和感も無かった。サントリーは創業者の名から「とりいさん」(さん+鳥井)だと云うことも知られている。
 ところで今年の5月にサンフランシスコで行われた世界的な酒類コンペティション「サンフランシスコ・ワールド・スピリッツ・コンペティション」でシングルモルトウイスキーの「山崎18年」がベストアザーウイスキー賞・最優秀金賞を受賞したというニュースが飛び込んできた。世界一だ。「山崎」はたしかに美味しい。ブレンドウィスキーの「響」も美味しい。響12年ものは梅酒を貯蔵した樽で熟成させるという方法で奥深いまろやかな味をつくり出している。本場のスコッチのほうは確かに美味しいけれど独特のクセがある。しかし山崎と響には全くクセが無い。これは体臭みたいなものじゃないかな。響や山崎は草食系の民族が作った味だと思う。そして「響」はブラームスの「交響曲第一番第四楽章」をイメージして作られたというから、これをを聞いただけで嬉しくなってしまう。ところで赤坂のサントリーホールは日本を代表する素晴らしいホールだが、ここでN響公演でベートーベンの第九をやったとき、合唱メンバーのなかに当時のサントリー社長が居たこともあった。嬉しいね。
 今の私はもう昔のような無茶な飲み方はしない。飲む毎に減っていく量を気にしつつ、きれいな琥珀色と香しい芳香を楽しみながらじわ〜っと味わう。全身に幸せな気分が広がってくる。いいねっ!イギリスで生まれたお酒を日本が世界一にしたように、西洋から入ってきた音楽も日本人なりの演奏で世界一にしようよ。もうなってる? サントリーウイスキーの歴史



 2015年5月10日(日) アイリッシュフルート!
 それとはなくネットをあちこちと見回っていたら、ヤフオクに出品されているアイリッシュフルートを見つけた。いや、見つけてしまったと云うべきかな。それはとても丁寧な作りで、きれいな木目の、いかにも良く鳴りそうな感じに見えた。見ているうちにムラムラしてきた。根っからの笛好き男の胸が膨らんできた。これは良い音が出そうだぞ。見れば見るほどに欲しくなってきた。それで我が家の大蔵大臣のてまえ買う理由をいろいろと考えたわけだが、7月に喜寿を迎える自分へのお祝いにしよう、ということにして入札した。幸い入札したのは私だけで目出度く落札!試し吹きもしないで買うのはちょっと心配だったけれど、出品者が何と同じアイリッシュフルートを2本送ってくれて気に入った方を選ぶ、と言う好意に恵まれたのだ。なんと親切な出品者ではないか。こんな買い物をした時は嬉しさも倍増する。
 アイリッシュフルートを吹くのは初めてだ。フィンガリングはトラヴェルソと似ている。このアイリッシュフルート、吹いてみるとこれがとっても良く響いてきれいな音がでるじゃないか。幅の広い豊かな響き、これは将来が楽しみだ。大当たり〜っ!我がコレクションに新しい仲間が加わったのだ。愛情を持って育てていこう。これからアイリッシュフルートの演奏のスタイルなどを勉強をしなくちゃなるまい。しかし伝統を重んじるのも大切だがこの笛で自分なりの表現にも挑戦してみたいような気がする。木管は最初が肝心だ。パウエルにも使っている上質の植物油を内側と外側に丁寧に塗ってあげた。教則本を買おうかな。楽しみが増えたぞ。



 2015年4月17日(金) NHK FM放送「N響 ザ・レジェンド」の収録(画像にカーソルを置いてください)
 NHKのFM放送でクラシックファンにとって嬉しい「N響 ザ・レジェンド」は毎週土曜日の午後7時20分から午後9時に放送されているが、昨日は6月13日(土)に放送分の収録の為に渋谷のNHKまで出かけた。内容は1960年に行われたN響世界一周演奏旅行における岩城宏之さんの指揮による演奏を聴きながら解説者の池辺晋一郎さんと対談をする、と言うものであった。スタジオに入ると既に池辺さんが先に到着していたので挨拶を交わしていると、何と朝のテレビ「NHKニュース おはよう日本」のキャスターとして活躍している上條倫子アナウンサーが現われたではないか!知らなかった私はビックリしたり喜んだり。なんと可愛らしくて笑顔が素敵な人だろう!彼女が現われて周りがパッと明るくなった。
  その雰囲気の中で上條さんの司会による収録が始まった。私がN響に入団した翌年の1960年に行われたN響世界一周演奏旅行は8月の末に出発して11月の始めに帰国するという68日に及ぶ大旅行だった。なんと55年前のことである。12カ国24都市で30回に及ぶ公演は当時22才の私にとってもかなりきついもので、帰国した時には体重が6キロ以上減っていた記憶がある。行ったところを書いてみると、インド、ソ連、スイス、オーストリア、チェコスロバキア、ポーランド、西ドイツ、イタリア、ユーゴスラビア、イギリス、フランス、アメリカである。この旅行の指揮者は岩城宏之さんと外山雄三さんであったが(ロンドンではウィルヘルム・シュヒターが振った)、今回は岩城さんの指揮による録音を聴きながら池辺晋一郎さんと対談である。モスクワのチャイコフスキー・コンサートホールに於けるチャイコフスキーの五番を聞いていたら涙がでそうになってきた。詳しい事は放送で話すことだが、とにかく生涯忘れることができない演奏会だった。その他に聴いた曲はウィーン学友協会大ホールにおける美しく青きドナウ、ポーランドのワルシャワにおける外山雄三さんのラプソディー、スイスのアスコナでの黛敏郎さんの曼荼羅交響曲、ミュンヘンのコングレスザールにおけるチャイコフスキーの五番などであった。ラプソディーの吉田雅夫先生の演奏や、チャイコフスキー五番での千葉馨さんの音を聴くことができ、当時を思い出して感慨無量だった。帰途は上條さんの司会で再びこの番組に出演したいな、と思いながら運転していた。(シャッターは山下博央さん)



 2015年4月15日(水) シュトゥットガルト・ゾリステン弦楽六重奏団との本番を終えて
 シュトゥットガルト・ゾリステン弦楽六重奏団との協演は1990年からだから、この25年間には色々な曲をこなしてきたわけである。彼らとの演奏はとても心地よく、そこには毎回「良循環現象」がうまれて、どんどん良くなっていく自分が居る。今回は暮れから体調をくずし、遂に1月には15年ぶりの高熱を出して熱が引くにの一ヶ月以上もかかってしまったから、もう死ぬまで熱が下がらないのでは、と本気で思ってしまった。この間に断れなかったいくつかの本番では言語に尽くせないくらいの辛さを味わった。今までにこんなことは無かった。多分トシのせいなのだろう。こんな状態でシュトゥットガルト・ゾリステンとの演奏ができるだろうかと随分心配をした。しかし3月に入ってから次第に回復し始め、本番には絶好調で臨むことが出来たので本当に嬉しかった。シュトゥットガルト・ゾリステン以外にも、ライプツィッヒゲヴァントハウス管弦楽団のメンバーや、ドレスデンフィルのメンバーとも演奏してきているが、その度に演奏家冥利につきる幸せを感じている。彼らの音は実に柔らかくて心地よく響き、そこにはいつも「音楽」があって如何なる場合にも神経に障らない。我が愛器V.Q.Powell Grenadillaもとても良く響いてくれるので、まだまだ吹くぞ、という気持が溢れてきた演奏会であった。(写真は東海愛知新聞社記者の大山智也さんが撮影)



 2015年4月11日(土) 可愛らしいエゾリス
 私が3月24日の日記にタイワンリスのことを書いたからでしょうか、北海道の標茶でアマチュアフルートを吹く土肥さんからメールがきました。
このメールには可愛いエゾリスの写真が添付されていました(左の写真)。

「今年の冬、我が家のベランダにエゾリスが顔を見せてくれました。数度通り過ぎたので
ひまわりの種を置いたら食べてくれました。
写真は3月25日のものです。手に持っているのがひまわりの種です。」


テレビでは何回も見たことがあるエゾリスですが、きっと本物が動きまわっている姿を見たら、もっともっと可愛いでしょうね。見てみたいものです。
土肥さん、ありがとうございました。



 2015年4月10日(金) シュツットガルトゾリステンとバッハの組曲第二番を協演
 1970年当時シュツットガルト放送交響楽団のコンサートマスターだったアルベルト・ベーゼン Albert Boesen(写真右端)によって結成された Stuttgarter Solisten は45年間に渡って精力的な演奏活動を続けており、現存する弦楽六重奏団としては世界で最古だと云われています。アルベルトと私は同じ1938年生まれで、来日が10回以上という経験からか日本のことに詳しい彼は「我々は同じ寅年だよね!」と笑顔で挨拶をしてくれます。メンバーの一人ひとりが豊かな音楽性と柔和な人柄に溢れていているから聴く人たちの心を和ませてくれる響きが生まれてくるのでしょう。そのゾリステンと岡崎市にある宇野病院のさくらホールでバッハの組曲第二番を協演しました。ここはとても響きの良い吹きやすいホールです。宇野甲矢人院長は音楽が大好きで理解度も深く地域に還元するコンサートとして入場無料で定期的にここでコンサートを催されており、今回は46回目でした。スタッフの方々の献身的な働きも徹底していて、痒いところに手が届く以上のお世話になりました。一昨年のブランデンルブルグの第五番に続いて今年は同じくバッハの管弦楽組曲第二番を演奏したわけですが、彼らとは長い付き合いなのでお互いに気心が通じ合っており練習は前日の一回だけで充分でした。今回はメンバーのヴィオラ奏者イングリット・フィリピ・ザイファーさんが都合で来られなくてシュツットガルト音大の大学院修士課程を終えたばかりだという笑顔が素敵なマルレーヌ・ステッグさんが代役を務めました(写真中央の女性)。終演後の打ち上げ会では宇野院長が私の大好きなイタリアの葡萄酒アマローネを覚えていて用意してくださったりで底抜けに楽しくて幸せで、生きていて良かったなぁと思う数時間でした。
 年を重ねるごとに音楽の素晴らしさが増してきます。日頃の練習は実に楽しい時間で辛いと思ったことなど昔から一度も無く、一旦吹き始めると止めるタイミングがなくて困るほどです。とにかく大好きなフルートをいつも吹いていたいから吹く時間がないとダメな私。さあ、次のソロは5月30日に名古屋の五反城曲会でオルガン奏者の吉田文さんとの協演です!バッハのトリオソナタ第三番(キルヒナー版)などを吹きます。




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