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過去の日記帳 2007年7月 〜 9月

写真ははずしました。



 2007年9月29日(土) 大好物のクリカボチャ!
 昨日、北海道から大好物のクリカボチャが届いた!この日記にもタンチョウの写真などで度々登場していただいている標茶のDさんが自分で作ったものと、友人が作ったものを男爵、メークインと一緒に送って下さったのである。うれしいなぁ! 17、8年前に同じ北海道の上川や層雲峡の友人が送ってくれたのが最初で、以来すっかりクセになってしまった。クリカボチャができるのは北海道だけではないが、でも私には北海道ものが一番美味しい。これの料理法は至って簡単で、ただ蒸かすだけでよいのである。調味料は一切不要だ。クリカボチャは蒸かす以外にスープにしても、ケーキにしても美味しい。クリカボチャを調べるてみると、1863年にアメリカから入ったものでセイヨウカボチャと云い、ニホンカボチャと違って成熟しても柔らかく、冷涼地の栽培に適していて北海道、東北地方、長野県などに多い、とあった。冬至にカボチャを食べるとカゼをひかないそうだけれど、冬はニュージーランドからの輸入ものが出回っているころである。比べたら悪いけれど、味は雲泥の差だ。カボチャと云えば珍しいものにソウメンカボチャというのがあるが、これは茹でると果肉がまるで素麺そっくりになるので初めて見たときには本当にびっくりした。そう言えばアメリカでは間もなくカボチャの菓子を食べる感謝祭Thanksgiving Dayやオレンジ色のカボチャの中身をくり抜いたお化けのハロウィンHalloweenを迎える。ハロウィンカボチャはこの時期に日本でもよく店頭で見受けられるようである。 さてこのクリカボチャ、計ってみたら一個2キロ半もあった。当分の間は楽しめそうである。標茶のDさん、ありがとう!



 2007年9月27日(木) 便器考
 東名高速の焼津インターを下りるとすぐ近くに“焼津さかなセンター”というのがある。お気に入りのスポットだ。マグロ、カツオなどの遠洋漁業基地として知られる焼津だけあって広大なセンターの中にはマグロを初め様々な魚が所狭しと並んでいて圧倒される。先日のコンサートの帰りにもここに寄って魚を買い、お気に入りの寿司屋で新鮮極上のネタに舌鼓を打ってきた。ところで今回はセンターで実に面白いモノに出くわしたが、それがこの的である。真ん中は100点だ。これ、弓やダーツの的ではない、なんと男性用の便器に書いてあったものである。ここを狙って行え!ということだ。嬉しくなってしまった。こんなに楽しい便器は初めてだったので事が終わってからしゃがみ込んで写真を撮っていたら、後に並んでいた人から変な顔をされてしまった。私はいつもデパートや高速道路のSA屋PAや駅などのトイレへ入るたびに我々男性の行儀の悪さを恥じている。古い言葉に「急ぐとも、心静かに手を添えて、外に漏らすな松茸のつゆ」というのがあるが、大概の場所では周りじゅうにポタポタと汚し放題で実にだらしがないことおびただしい。「もう一歩前へ!」などは昔からよく見かけるが、一番印象に残っているのは長野県上田市のホールで見かけた張り紙で「例え一滴たりとも外へこぼさないで下さい」である。館長の気持ちが痛いほど分かる。しかし放射角度も無関係ではないが、問題は事が終わる直前にあると思う。勢いが無くなるから届かなくてこぼすのである。私は随分昔からポタポタ汚しを無くすことができないものかと考え続けている。これは長い歴史が語っているように、最早使用者側に期待はできないことは明白だろう。そんなことを考え続けてきたある日から私の頭には実に素晴らしいアイデアが浮かんでいるのである。これには絶対に自信がある。これをやればポタポタ汚し放題は無くなるだろう。未発表につきここに書くわけにはいかないが(どこかの大会社がアイデアを買ってくれないかな)。最近では下あご?が前に出た便器も出回ってきてメーカーもポタポタ対策に取り組んでいるようだが、しかしこれでも幾分は改善されたがまだ完全には解決されていないようだ。さて、それはさておき、ウォッシュ式のトイレについても語りたいことがある。あれは中々面白い。お世話になる度に様々な情景が浮かんできて思わず笑ってしまったりで、実に飽きないトイレだ。シャワーは便利だけれど、チャームとは一体何のことだ?辞書をひくと魅力 、 魔力 、《女の》 器量、なまめかしさ、などと出ているが、一般的には時計やブレスレット、ネックレスなどの装飾品の鎖部分につける小さな飾りのことらしいのだが。それにムーヴなどもあって、これはなんとシャワーによるマッサージ機能だ。シャワーの水温や勢いが調節できるのは便利だが、ノズルが前後に移動式になっているのは位置に個人差があるからだろうが、実に泣かせる機能ではないか。温風で乾燥するシステムが付いているものもある。この機能を使ったことはまだないが、時間もかかるだろうし、気がついた時には異常乾燥なんてこともありそうだから注意したい。設計者がどういう経緯で機能を決定し、開発するのか、考えただけでも楽しい。満月の今日、万葉の歌人大江千里の「月みれば 千々にものこそ悲しけれ 我が身ひとつの秋にはならねど」を思い浮かべながら便学についてだらだらと書いてしまった。(写真は焼津さかなセンターの男性トイレの便器に書いてあった的)



 2007年9月26日(水) お寺コンサート
 毎年この時期の恒例になっているお寺でのコンサートを終えて帰ってきた。往きは東名高速の事故で音羽蒲郡インターチェンジの手前から通行止による大渋滞に遭って散々だった。トラックが渋滞の最後尾に追突した事故だったが、何故悲惨な事故が繰り返されるのか理解できない。東海環状自動車道の勘八インターチェンジを下りた時には家を出てから7時間以上も経っていた。 ここから国道153号線を足助に向かって行く途中から北へ曲がって山道を約5分行くと、そこには静寂な別天地のなかに佇む芳友寺が待っていた。ここで催される「山寺音楽会」は今年で36回目を数えるのであるが、聴きに来る人も毎年見かける顔が多くて親しみがこみ上げてくるのである。決して音響が良いとは云えないけれど、しかし本堂内は一体感が生まれて雰囲気は最高である。終わってからの懇親会(実は飲み会)の参加者は個性的な人が多く、まるで爆発したように盛り上がったから静かな山寺のまわりに棲む動物たちも驚いたのではないだろうか。ここを終わってからは金谷の西照寺へと向かった。清潔感に溢れた清々しい古刹西照寺の本堂は音響効果がとても良いのである。初めに「このコンサートで様々な出会いがあって皆が幸せになれるように」との木村敏住職のお話しがあってから、あたたかい視線を感じながらの「なむなむコンサート」が始まった。芳友寺も西照寺も「また来年も来てください」という嬉しい言葉くださり、とても嬉しかった。去るときに後ろ髪を引かれる思いがした。(写真は今年84才になられた西照寺の先代住職木村 寛師をかこんで素晴らしい演奏をしてくださったピアニストの田中麻紀さんと私・西照寺で)



 2007年9月21日(金) 唇とフルート
 残暑が厳しい今日この頃であるが、前に書いたプーランクのソナタの演奏が近づいてきたのでピアニストの田中麻紀さんと練習を始めている。思えば去年の今ころからだったが下唇が腫れて小さなシコリができて苦労しんでいた。こんな事は人には言えないので(言ってしまった!)ずっと苦しんでいた。演奏家は孤独なのである。腫れの原因はなかなか分からなかったが、それが尿酸値を下げる薬の副作用だと分かったのは今年になってからのことである(尿酸値を下げる薬はユリノームもザイロリックも私に重大な副作用をもたらすことが分かった。特にザイロリックの副作用は皮膚粘膜眼症候群、中毒性表皮壊死症、剥脱性皮膚炎、過敏性血管炎と恐ろしいものがある)。私は昔から薬物、特に鎮痛剤や解熱剤などには過敏に反応するので普段から注意している。なにしろ唇が水膨れになって笛吹にとっては致命的ともいえる副作用に悩まされるのである。しかし今回は考えてみると結局それがもとで様々なプロセスを経て新しいフルートに替わったのだから不思議なものだ。とにかく音は出ない、音程はとりにくいでその苦しみは言語に絶するが、人一倍神経質な私は長い演奏活動で唇に関しては実に悩ましい問題に多々遭遇してきているのである。一方薬物とは無関係に睡眠が十分で体調が万全でも鳴らないことはあるし、反対に睡眠不足などで体調が良くなくても鳴る時がある。不可解だ。どこも悪くなのに演奏会で鳴らない時の精神的な苦痛は大変なものだ。やはり普段から摂生しておくことが一番である事には間違いないのであるが。ともあれ、現在はなんの問題もなく、晴れ晴れした気分で演奏できる喜びに浸っている。(写真は昨日我が家で田中麻紀さんとの練習)



 2007年9月16日(日) テキスト
 私は昔からMacintoshを愛用しているので旅行に出ると当ホームページがWindowsではどう見えているのかを必ずチェッすることにしている。今回の仕事で行った盛岡のホテルでも見たが、気になっている表紙最上段の項目が大きく崩れていた。ブラウザの文字サイズを変えてみても直らない。この項目はフレームを使って作っている。どこのページからでもワンクリックで他の行きたいところに飛べるようにしているわけだけれど、前々から何度も書き直しているところである。勉強が足りないのだ。そこで今度は以前からテストしていたことを実行してみることにした。文字を画像にしてみたのである。ブラウザはレイアウトから先に読み込むからもちろん画像サイズは全て指定してある。テキストの時のように乱れることは無いと思うのだけれど、うまくいくように祈るような気持である。実際OSやブラウザはやっかいなものである。ブラウザは種類も多いし個人的な好みにカスタマイズして使っているだろうから尚更やっかいだ。全ての人に満足がいくようにすることは無理なことなのかもしれない。
 余談だが多くのホームページや今流行のブログなどで文字色が薄いなど極めて読みづらいところが氾濫していている。例えばこんな具合だ→ 何故わざわざ読みにくくするのか理解に苦しむ。これだけは絶対にやりたくないと思っている。(写真は今回書き直した表紙の項目を表すテキストの一部分)



 2007年9月11日(火) 手仕事フォーラム
 盛岡市の郊外滝沢村にある岩井澤家で行われた手仕事フォーラムの会に行ってきた。今年で発足五年目になるという手仕事フォーラムは私の友人、日本民芸協会常任理事の久野恵一氏が主宰するグループである。私としては一昨年鳥取の願正寺で行われたとき以来の参加であった。曲屋を移築改造した岩井澤家のちょうど曲がる土間のところで演奏したわけであるが、とても気持ちの良い響きで吹きやすかった。(ピアノは盛岡在住の滝沢善子さん)道具好きの私が注目している手仕事フォーラムは今や多くの共感者を得て軌道に乗っている感じがする。この運動に賛同して久野さんの下で甲斐甲斐しく働く若いスタッフたちを見ても益々この運動が浸透していく予感がするのである。今回は倉敷ガラスの小谷真三さんにもお会いしてお人柄に接することができたし、盛岡市内にある清潔感に溢れた民芸品店の光原社にも行くことができ、心が豊かになって帰ってきた。なお会場ではそば打ち名人の名を欲しいままにしている翁達磨の高橋邦弘さんがそば打ちの実演を見せてくれた。そして勿論戴くことができたのは嬉しかった。期待通りの味ですごく美味しかった。(この会で撮った一連の写真はまもなく写真館にアップします)



 2007年9月1日(土) プーランクのソナタ
 これはプーランクのソナタの譜面だけれど何と古ぼけていることだろう。まるでお爺さんの古時計みたいになってしまった。1967年の5月に東京文化会館小ホールで行った第一回目のリサイタルの時に使った譜面でプーランクのソナタでは最初に買ったものである。以後何回か買っているが同じ出版社でありながら出る度に校正者の名もなくスラーや強弱や発想記号などの表記が変わったり増えたりするのでこれには困ってしまう。出版社は不可解なことをする。秋には久しぶりにこの曲を吹くことにした。貴重な書き込みがいっぱいあるから敢えてこのよごれた譜面を使うことにしたのであるが、譜面からは実に様々なものが伝わってくる。シミからも伝わってくるのである。良く見るとAllegro malincolicoとなっているが、勿論malinconicoの間違いだ。英語がmelancholyだから間違えたのかもしれない。これは後から出た版では直してある。《音楽家達のパトロンであった》クーリッジ夫人(Elizabeth Sprague Coolidge 1864 -1953)の思い出のためにと題されたこの曲は常に明るいプーランクの音楽も第一楽章では先の Allegro malinconico の通りAllegro(愉快な、陽気なの意)でありながら malinconico(メランコリー・悲哀感をもって)の心で演奏しなければならないのである。第二楽章はフランスのミュージカル映画「シェルブールの雨傘」の主題歌を思わせる鎮魂歌だ。第三楽章の終わり近くでは突然の休止の後、メランコリックでと表記された悲しげな旋律をひと声奏でてから終わるのである。 ▲1923年の今日午前11時58分に関東大震災が起こった。大火災のために東京の気温が46℃に達したという。▲1957の今日イギリスの天才ホルン奏者デニス・ブレイン(N響の大先輩千葉馨さん曰くデニス・ブレインは天才ではなくて神様だそうである)が自動車事故でわずか36才の若さで亡くなった。



 2007年8月31日(金) 宮崎から従姉妹が
 宮崎から従姉妹が三泊の予定で母に会いにきてくれている。母はとても嬉しそうに普段使わない流暢?な宮崎弁で話をしている。懐かしくてたまらんとよ、といった感じなのだろう。お昼には寿司を食べに、その後は買い物をして一緒に過ごした。宮崎と云えば最近話題の多い東国原知事のことを思い出すが、彼も母国語?で話すから人気も更に高いのだろう。従姉妹によると知事は都城の人だから宮崎弁と云っても鹿児島県寄りの言葉だという。彼がよく言う「宮崎をどげんかせんといかん」は「宮崎をどんげかせんといかん」が本来の宮崎弁らしい。
 最近我が家は家の中の大整理に取り組んでおり、毎日大変な日々が続いている。家具の入れ替えや不用になった衣類を処分したり、北欧の組み立て式の家具を買ってきてそれを図面どおりに組み立てたりしている。これらの作業では普段使うことのない筋肉を酷使するから体のあちこちが痛くてしかたがない。涼しい日は楽だけれど意地悪なことになんと暑い日の多いことか。もう死にそうになりながら頑張っている。組み立てた家具は現在六個にも及んでいる。それにしても何とモノの多いことだろう、我ながら呆れてしまうくらいだ。長年の間にたまった垢みたいなものだろう。垢はまだまだあるから整理はこれから当分の間は続けねばならない。(手前から従姉妹、母、妻の結花・お寿司屋さんで)



 2007年8月20日(月) 母の誕生日
 1912年生まれの母は19日に満95才になった。フロリダにいる妹は参加できなかったが母の家に集まってお祝いをした。四姉妹の末っ子に生まれて一番病弱だった母が小出家の長寿記録を更新しているわけだが、息子から見ても信じられないことである。このままずっと元気でいて欲しいと思うけれども、こればかりは無限大にと言うわけにはいくまい。写真を見ると母の小さいこと。吹けば飛ぶようなこの身体で戦中戦後の苦難の時代によくも子供四人を育ててくれたものである。これからもずっとずっと元気でいてちょうだいね。
 若い頃に四苦八苦という言葉を調べたときに私は仏教とはつくづく人間味のあることを云うものだと思ったものである。その思いは今も続いているわけであるが生・老・病・死はともかく、あとの四つの愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦と言うのが特に人間味のあるものだと感じている。この世に生を受けた者全てはこれらと無関係に生きてゆくわけにはいかないが、しかしこれらに負けるようでは長生きはでない。私は特に怨憎会苦というのが身に沁みるのであるが、よくも今まで生きながらえてきたものだと思う。しかし人生は苦しいことばかりじゃない。四苦八苦とは反対の四楽八楽や四幸八幸なんていうも有るような気がする。さて私はいくつまで生きられるのだろうか。母のように95才なんて、とうてい無理だろうと思うのだが。(母を囲んで兄夫婦、妹と甥、我々夫婦・母の家で)



 2007年8月12日(日) 日航123便墜落から今日で22年
犠牲となった520名の尊い命に謹んで哀悼の意を表します。
 航空事故調査委員会が出した結論がまともじゃことは多くの人が認めているところである。
 何故こんなことがまかり通るのか理由を知りたい。再調査の話しが無いわけではないと聞く。
 多くの国民が真実をしりたいと思っている。
 犠牲となった520名の御霊とともに一日も早く真実が解明されることを願ってやまない。
決して風化させてはならない。

 藤田日出男著 隠された証言 (新潮文庫)
 藤田日出男著 あの航空機事故はこうして起きた (新潮選書)



 2007年7月31日(火) 激しい雷雨
 昨日の雷雨は凄まじかった。ひんしゅくを買いそうだが私は子供の頃から台風や豪雨や雷雨が好きという困った性格の持ち主である。昨日はずっと警報が出ていたから今か今かと待っていたのであるが朝の11時前、ついにやってきた。あたりは暗くなり、風を伴って降る雨は豪快そのものであった。至近距離での落雷は地響きを伴って超ステレオで響き渡る。豪快の一言だ。これは窓から撮った写真であるが、激しい豪雨で煙っているので撮るのが難しかったがマニュアルフォーカスにして雨にピントを合わせて撮ったみた。人一倍雷雨が苦手な妻は例によってCDプレーヤー持参で風呂場へ逃げ込んで戸を閉めたまま出てこない。
 それにしても今年はおかしいようである。ヨーロッパ南部では熱波が猛威をふるっている。ミラノ在住のバリトン歌手堀内康雄さんからのメールによると毎日40度前後の高温が続いているらしいし、夏の最高気温の平均が27度というハンガリーでも連日摂氏40度を超える猛暑が続いて死者は5百人を超えていると聞く。またお隣の中国では洪水で何百万人という避難民が出ているようであるし、また同時に砂漠化も進んでいるのである。この宇宙船地球号のこれからが益々気になって仕方がない。



 2007年7月25日(水) 鳥の羽根で作るプレクトラム
 春山さんから弦が届いたので早速切れたところを修復した。直ったところで良いチャンスだったから気になっていた低弦の響きを直す作業に入った。右手に対して左手の響きが足りないことが常々気になっていたからである。これは楽器のせいではなく、7年前に私が爪(プレクトラム)をもともと付いていたデルリン(アセタール樹脂製の爪)から鳥の羽根に作り替えた際、初めてのことだったのでムラができていたからである。羽根はストックがあったから少々時間がたっているがそれを使うことにした。実に細かい神経を必要とする作業である。この技術はトラベルソ奏者の有田正広さんから事細かに教えてもらったものである。羽根の芯(背の部分を削りだして使う)を使うのでふさふさの部分は落としてしまう。先の部分は高音域に、根本になるに従って太く強くなるので低音域に使うわけだが、数本をローテーションして先端から使っていけば都合良くできるわけである。この作業は心を落ち着けて行わなければならない。手術用のメスを使っての作業だから間違えば怪我をする。ただ作るだけではなく音質、音量などを1音1音揃えていかなくてかならない。羽根の内側には一見して発泡スチロール状のものが詰まっているが、これの残し方が難しい。全て無くしてしまうと爪はふにゃふにゃになるので発音しないし残しすぎると強すぎて乱暴な音になる。こうして細かい作業をすること数時間、最低音のFから上に21本目のC♯までがうまく出来上がった。羽根の爪は楽器を美しい音で響かせてくれる。発音した瞬間の歯切れの良い心地よさもデルリンでは味わえないものだ。少々面倒だけれど簡単だからと云って石油製品の爪は使いたくはない。爪作りの技術も慣れてきたので時間があるときに8フィート二段、4フィート一段計192本全ての爪を新しいもの付け替えたいと思っている。このチェンバロは完成から23年になるが演奏会で使ったことが4回と云うのは残念なことである。それは2メートル33センチの巨体を玄関を通す時にはまるで知恵の輪を解くように厄介なことが大きな理由になっているからだが、しかし勿体ない話しである。このチェンバロを使ってのコンサートも企画したいと思っている。



 2007年7月16日(月) 切れたチェンバロの弦
 昨日のこと、夕食が終わってくつろいでいるときに突然バシッという大きな音がした。チェンバロの弦が切れた音であることは瞬間に分かった。さすがに昨日の台風の影響による湿度96パーセントに耐えかねてか、とうとう一本切れてしまった。といってもこのチェンバロが出来てから23年目にしてたったの二度目であるが。そう言えば昨日蓋を開けようとしたら膨張していてきつくなっていたから気にはなっていたのだ。以前は一部屋をチェンバロ専用にして24時間湿度をコントロールしていたのであるがこれでは過保護だと思い、自然環境のままに慣れてもらおうと云うことにして他のものと区別しないでいた。それでも切れなかったから安心していたのだが。しかしチェンバロは言わばギターを大きくしたような木の器だから鉄骨を使っている頑丈なピアノと違って実に繊細な楽器なのである。今さらのように思い知ることとなった。湿度が上がって全体が膨張すればそれだけ絃が引っ張られてテンションが上がる、反対に乾燥すれば絃はゆるむ。膨張収縮を繰り返すうちに金属疲労をおこしたのだろうか。可愛そうなことをしてしまった。しかし今回の場合は絃が切れだだけで簡単に直すことができるが、絃は一本も切れなかったけれど響板全体が割れてしまったと言う恐ろしい話しを聞いたことがある。数年前に1本目が切れたときも自分で直した経験があるから直すことはそう難しくはない。早速生みの親である春山直英さんに電話して弦を送ってもらう手筈をとった。(2本ずつ並んでいる絃が真ん中あたりで一本になっている赤い矢印のところ)



 2007年7月15日(日) 石神井高校の同級生たち
 私にとって石神井高校は懐かしい学校である。桐朋へ転校することになったために通った期間はわずか一学期だけだったと云うのに、同級生たちとは今までずっと親しい関係が続いている。その中の一人清瀬在住のK君の発案によるコンサートが昨日清瀬で行われた。もしも今日だったら台風の影響をもろに受けることになったと思われるが、雨こそ降ったものの幸い大したこともなく、コンサートは滞りなく行われた。会場となった清瀬駅前のアミューホールは溢れんばかりの人でうまった。客席と演奏するがわとの一体感を重んじる私は会場全体を明るくすることにしているが、昨日もそうしたなかで演奏した。客席が薄暗くてよく見えないとなにやら凝視されているようで不安になることもあるのである。下手なトークも喜んでもらえたようで嬉しかった。コンサートの後は近くの喫茶店で仲間が集まってゆっくり話すことができた。仲間の中には原信夫とシャープス&フラッツで長年クラリネットなどを吹いていた鈴木くんが居たりで一人一人が個性的で面白い同級生たちである。清瀬迄の距離はたいしたことないが、とにかく道路がやたらと混んでいて参った。(カウボーイ風の男が仕掛け人のK君でその隣が鈴木君。女性はお手伝いをしてくれたスタッフのかた)



 2007年7月11日(水) ちりめんじゃこと山椒の実の佃煮
 今年も山椒の実を見かける時期になったので近々作ろうと思っていたが、やっと昨日つくった。大成功だった。山椒の実は鳥取産で今年のはなかなか粒も大きくて濃い緑色をしており、見るからに美味しそうである。じゃこで一番美味しいと思っているのは日向産であるが、これが無かったので仕方なく方々見てまわり、これならと云うちょうど良い湿り気のものを見つけて使ってみた。あと用意するのはお酒であるが、これは全く問題ない。昔料理好きな九州の陶芸家から教えて貰った作り方を正確に復習するわけであるが、最後まで中々根気がいる作業である。まず山椒の実を一粒づつほぐさなければならないのだが、これには時間がかかる。焦ってはいけない。きっとそのうちに終わるから、と自分に言い聞かせながら気長にやる。私は香辛料が大好きだから量が多いので尚更大変である。さて、じゃこと山椒の実を混ぜ合わせたものにちょうど浸るくらいの酒を加える。贅沢なことに新潟の銘酒を使う。水は使わない。これに醤油を僅かにふたすじほどかけてから煮始める。アクが出てくるからこれを丁寧にすくっては取り去る。火はいわゆる蛍火にして時間をかけてじっくり煮込む。油断していると焦げ付くので離れることはできない。何事も終わりが肝心だが、まさにこの佃煮もその通りで仕上げで気を抜くと必ず失敗する。最後はわずかに炎を強めにして湿り気が無くなるまで丁寧に混ぜながらその時を待つ。輪島の塗師、奥田達朗の椿皿に盛ってみた。吉兆か小出かと云われる(勝手に云ってるだけ)手前佃煮の美味しさよ。



 2007年7月4日(水) 母とウナギを食べに
 なかなか時間がなくて会えなかった母と約一ヶ月ぶりで会うことができた。最近の母はとても元気でトシよりも若くみえるような気がする。しかしさすがに脚は弱くなってきて歩くときには腕を貸してあげないとふらつくので用心しなければならない。なにか美味しいものを食べに行こうよ、と言うことになって相模大野までウナギを食べに出かけた。母も私もウナギが大好物なのだ。ところで私はウナギが見えなくなるほど山椒の粉を振りかけて食べるのが好きである。振りかける、と言うよりも積もるくらいかけるのだから普通じゃない。乾いて色が薄くなって気が抜けたようなのでは駄目で、濃い緑のピリリと効くやつでないといけない。それを途中で何度も何度もかけるものだから入れ物の中はどんどん減っていく。お店には申し訳ないと思いながらも、これをやらないと食べた気がしないのだから困ったものである。ウナギと云えば浜松の「うな久」を忘れることができない。私は未だかつてここよりも美味しいところを知らない。ところが残念なことに十年くらい前に突然店を閉めてしまったのである。私はそのことを知った時にガッカリしてお店の人に「殺すぞッ!」という電話をかけたくらいである。うな久には一緒に行ったことがある当時フランスに留学中のウナギ好きの弟子森岡広志(現村松講師)へ割り箸の袋にタレのシミを付けて送ってあげた思い出の店である。




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