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過去の日記帳 2006年4月 〜 6月

写真ははずしました。


 2006年6月30日(金) 下川廣明さん
 仕事で上京中の友人下川廣明さんから電話があり、久しぶりに会おうと言うことになって横浜の中華街で会って美味しい料理を食べながら楽しい一時を過ごしてきた。実に15年ぶりだった。下川さんは当ホームページのリンクで紹介している「太陽水」の社長兼営業マンである。仕事は順調だそうで活き活きとしておられた。私も勧められて飲み始めてから一年以上になるが、美味しいので気に入っている。考えてみると我々の身体の約60〜70%は水分だから、水に対しては神経質にならざるを得ないのである。思えばかつて日本の水道水はとても良質のものだった。1960年代初めの頃だったろうか、ウィーンフィルが東南アジアを回った後に来日した時のこと、それまでは水道水を飲むことを厳禁されていたメンバーに「日本の水道水は飲んでもよろしい」とのお達しが出て一同大喜びしたという話しを思い出す。当時、水を買うなんてことは想像もできなかったことだが、今ではスーパーに行けば水のボトルがところ狭しと並んでいる。時代も変わったものである。(太陽水の新しいデザインのボトルを手にする二人)



 2006年6月26日(月) 前橋は思い出の地
 私が初めてフルートを手にしたのは中学三年の夏休み中のことだった。父が前橋の楽器屋店で買ってくれたもので、だから前橋は実に思い出深いところなのである。その前橋に1886年(明治19年)創立の日本キリスト教団 前橋教会がある。ここの大賀幸一牧師は2001に当教会に赴任する以前は岡山県の西大寺旭東教会にいらしたのであるが、そこは嘗て私の父が終戦前後に赴任していた教会である。日本キリスト教団 前橋教会は今年創立120を迎えた。それを記念する行事のひとつとして当教会自慢のオルガンと演奏させていただいたわけであるが、初めてフルートを手にした地の教会で演奏するこができたのはとても嬉しい事であった。(一昨年5月に続いて二度目) 更に言うと前橋は私が日本フィルに入団した、まだ十代で演奏活動を始めたばかりの頃に、これもまだ二十歳そこそこの小澤征爾の棒でバッハの組曲第二番を吹いたところでもある。また高崎に居る郡響のOBフルートの関原博さんとも昔からの親しいお付き合いである(ami de musique et sake)。何と縁の深いところであろうか。(写真は向かって左から大賀幸一牧師と奥様、右端はオルガンを弾いてくださった関根康子さん)



 2006年6月18日(日) 藤岡周平のぐい呑み
 好きだなぁ、と我ながら思う。伊賀の藤岡周平の作品(ぐい呑み)をついに買ってしまった。藤岡周平の作品を初めてみたのは今年になってからだと思うけれど、以来心に焼き付いてしまった。彼の作風は今までの伊賀には無かったもののように思う。浅い緋色の伊賀は鮮度が落ちた魚を見るようで好まないが、藤岡伊賀は高温で焼き締めるためか火の勢いが陶土に染みこんで綺麗に発色している。灰がかかったところは緑のビードロに、そうでないところは濃い緋色に発色しているが、私はこの焦げたような緋色が好きだ。轆轤形成でないところもかわっている。陶土を叩いて固めてから中を刳り貫き、それを1300度という高温で焼き締めるという。焼き物に対する情熱を感じる。大振りなので、これでグイグイというわけにはいかないが、ちょっと呑んだ後は眺めているだけでも悪くない。当ホームページで紹介している碑文谷の工芸店 長縄 で個展が始まったのが11日からだったが旅行中で行かれなかったので電話で予約しておいた(18日が最終日)。それを昨日受け取りに行ってきたと言うわけである。好きなものを、好きな器でいただく、これが私の精一杯の贅沢である。器は使えば使うほどに育ってくる楽しみもある。



 2006年6月16日(金) 石神井中学
 石神井中学校三年生の時に同じクラスだった仲間六人が昨日(15日)の昼間に新宿で会い、中華料理を食べながら楽しい数時間を過ごした。アルコールが入るので電車で行ったわけであるが、新宿は湘南新宿ラインのおかげで以前よりも便利になったのでありがたかった。中学時代からの数年間を過ごした石神井は私にとって思い出の濃いところである。夜中に竹の笛を持ってボート池(現在は石神井池と言うらしい)へ行き、池の中程に架かっている太鼓橋に腰を掛けて、誰の曲だか覚えていないが「月の光にぬれながら、童一人笛を吹く、、」というもの悲しいメロディーを吹いていた(幾度か警察官にとがめられた)。そんなことをしていたある日、それは三年生の夏休みのことだったが、それまで吹いていた竹の笛に替わってフルートをふくようになった。これは大事件だった(この時父親に買って貰ったフルートは今でも大切に持っている)。この時代にブラスバンドというものが流行りだしたように思うが、私は何故か経験したことはなく、ひたすら一人で吹きまくった。当時民放(ラジオしかなかった)で毎週林リリ子という人がフルートの独奏をしていたのを聴くようになり、やがて親に内緒で手紙を出して入門を果たした時の喜び、これが運命の分かれ道であったと思う。そんな時代の仲間達は当時の私のことを良く覚えてくれており、話が弾んだ。今では考えられないことであるが、晴れた夜には天の川や無数の星や星座が輝いていた石神井、様々な思い出と共に私にとってこれ以上無いと言っても良いくらいに懐かしいところなのである。武子さん、君枝さん、美代子さん、桂君、博君、元気でな、また会おうよね!



 2006年6月14日(水) Triste
 指揮者の岩城宏之さんが13日の午前0時20分に心不全で亡くなられました。岩城さんとは今年の1月21日にオペラシティーでお会いしたのが最後になってしまいました。
 私は8日に家を出て前橋と上越で演奏などを予定通りこなし、12日には楽しみにしていた指揮者外山雄三さんの新居をお訪ねした。長野県の標高1800メートルの高原にあって「作曲小屋」と名付けられた新居は何もかもが素晴らしく、羨ましい限りであった。愛情スパイスたっぷりの奥様の手料理と葡萄酒や日本酒をいただきながら我々四人は時間の経つのも忘れて楽しく賑やかに過ごした。話題は多岐に及んだが、とりわけ岩城宏之さんとの長年にわたる思い出話には花が咲いた。夕方5時過ぎから始まった夕餉も気がついたら夜更けになっていた程である。翌13日には清々しい空気の中を朝の散歩に出かけた。光り輝く新緑の中にレンゲツツジの花がほころび始めた道を約40分ほど散歩した。見晴台になっている岩からの長めは素晴らしかった(急坂でも身軽に歩を進める外山さんの脚力は青年のようだった)。奥様お手製のパンの朝食を美味しくいただいてから高原野菜売り場を案内していただき、安くて新鮮なので抱えきれないほど買ってしまった。そこで「また来てくださいね」という優しい言葉に送られて帰途についた。そして帰宅して間もなくのことだったが、お別れしたばかりの外山さんから電話がかってきたのである。声の調子からただ事ならぬ雰囲気を感じたが、案の定岩城さんの訃報だった。非常に驚いた。受話器を持つ手が安定しなかった。去年暮れのベートーベンの交響曲全部を振るという「振るマラソン」など、数十回にも及ぶ手術にも負けずに常に自分自身に挑戦を続けてこられた岩城さんであったが、帰らぬ人となってしまった。岩城さんとの思い出は尽きない。私がN響に入団したのは1959年だったが、それ以前からの長い長いお付き合いだった。最近も手紙を交わしたばかりだったのであるが、、残念である。心からご冥福をお祈りします。



 2006年6月6日(火) 戯言
 ● 盗作疑惑で話題になっている芸術選奨文部科学大臣賞受賞の件、明らかに盗作に見えるが、報道によるとカタログとプロフィールを見ただけで選ばれたというから信じられない事である。選んだ張本人の文化庁が権威を失墜させられたと言うのも変じゃないかな。
 ● 学識経験者という言葉をよく耳にする。同じようなのに有識者と言うのもある。これらを聞く度に自分は明らかに学識経験者、識者だと思い知る。なにか他に傷つかないですむ言い方はないものかな。さすがに反対語辞典には載っていなかったけれど、「はてな検索」には学識経験者=政府の諮問機関に召集される場合にこう呼ばれる。 悪く言えば「政府御用学者」と出ていた。なるほど。
 ● 相変わらず「○○になります」という言葉が流行ってる。前にも書いたが、ヤフオクなどでよく見かける「これは古備前の徳利になります」というような言い方、これでは直前までは何だったんだろうと思う。ヤフオク以外でもホテルのフロントでは「これがお部屋の鍵になります」、レストランでは「お待たせしました、カツカレーになります」と誤用法例を挙げたらきりがない。正しい使い方の復活を望む。
 ● 鼻に抜けた気味が悪い声の喋り方がまだまだ流行ってる(活字では表記不可能)。該当者は若い女性、女子アナ、女性ゴルファーの一部など。
 ●語尾が ○○なんでで終わってしまう言い方が流行っている。野球選手などがよく「最後まで気が抜けなかったんで」などと使っているが今や全国的に広がった。言葉がなんでで終わってしまうとずっこける。音楽と同じようにフレーズはちゃんとトニカ(Tonika 主和音)で終わってください。
 ● 大リーグの野球を見ていると選手が画面にドアップの時にいきなり「ベッ」とつばを吐くことが多い。これを見ると非常に嫌な気分になる。
 ● お金は身体で働いて稼ぐものだと思っている。でもそのお金そのものを売り買いして稼いでいる人たちの世界があって、もろに我々一般の国民も影響を受ける訳だが、これが学識経験者の私には全く理解できない。
 まだまだあってここに書いただけじゃ到底足りない。著しく私の健康を害するこれらのことだが、悲しいかな次々に新たなやつが出てくるに違いないのだ。無駄な抵抗はやめよ、か。



 2006年6月1日(木) 那須
 5月28日の川越でのコンサートを終えてからは那須へ行ってきた。東北道はしょっちゅう通るけれど、那須インターで下りることはめったにない。しかし今回は親しい友人のお招きで先の予定の打ち合わせなどの用件もあって初めてゆっくりしてきた。那須の大自然も素晴らしいけれど、そこに生活する人たちに触れることができて大変楽しかった。家庭にお招きを受けたり、美味しいものを食べに行ったり、大好きな温泉に入ったりでもう言うこと無しの二日間だった。那須岳とその前に広がる樹海はとてもきれいだった。



 2006年5月22日(月) 田浦小学校のクラス会
 20日は小学校の4年生から6年生まで通った田浦小学校のクラス会だった。たったの2年しか居なかったのに親しみは非常に深く、懐かしさもひとしおである。この日はJR田浦駅に集合して母校の田浦小学校を見てから会場へ行くことになっていたが、急に空一面に黒い雲が現れて怪しげな雲行きになったので会場へ直行。案の定到着直後に激しい雨が降ってきた。この日は20人も集まったが、中には動くのが不自由になった人の参加もあって感慨深かった。何しろ当時から既に半世紀以上も経っているのだから。老け急いだ人や、トシには見えない若い人など様々である。じっと見ていると、トシを重ねてめっきり皺が増えた顔の奧に当時の顔が浮かんでくるから面白い。同じトシ同士なのに「おいお前、いくつになったんだよ?」なんて変な質問もしたくなる。しかし「小出さん、私って変わらないでしょ!」なんて言われるとまごまごしてしまうのだ。(自分はどうなのか?)美味しい焼き鳥や中華風の料理に舌鼓をうちながら生ビールをジョッキに3盃呑んだ。これから先、少なくとも年に一度は会いたいね、と言い合って惜しみつつ解散した。皆元気でな!(写真:田浦の「焼き鳥、点心の初音」にて)



 2006年5月17日(水) b>青森から、、
 昨日、妻の両親が久しぶりに青森から来てくれた。羽田からまずは母のところへ直行した。約2年ぶりにお互いの健康を喜び合った。今回の予定は東京ドームで野球の観戦や、山道を歩いての鎌倉行き、その他盛りだくさんであるが梅雨の先走りに加えてこれから先は台風1号の影響が出そうで気になる。今日は雨が来る前に山道を歩いておこう、と決めて鎌倉へ行くことになった。両親と妻をクルマで山道の登り口まで送って行ったが、私は本番が近いので家で練習だ。山道が最近の雨でゆるんでいなければよのだが。
(写真:母の家で)



 2006年5月15日(月) したやウィンドアンサンブル
 昨日は日曜日でがらがらに空いた首都高速を走って「かつしかシンフォニーヒルズ」へ行き、したやウィンドアンサンブル第30回記念演奏会を聴いてきた。指揮は1月に琉球大学フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会で共演した家田厚志氏で、彼はしたやウィンドアンサンブルの音楽監督も努めているのだ。スーザの星条旗よ永遠なれに始まって、ランセンのマンハッタン交響曲、メンケンの美女と野獣メドレー、他を聴いた。吹奏楽はコンクールの審査委員として色々と聴いているが、初めて聴いたしたやウィンドアンサンブルはとても上手だと思った。アンサンブルも良かったし、何よりもメンバーたちが生き生きしており、きれいにドレスアップした女性たちや、男性の中には超特大の赤い蝶ネクタイをした人も居たりでリラックスしており、それが演奏に表れていて楽しかった。トランペットなどは力まない柔らかい音色(ねいろ)を聴かせてくれて心地よかった。ここのトレーナーにはN響OBや現役からホルンの山田桂三、チューバの多戸幾久三、トロンボーンの三輪純生、パーカッションの植松透の各氏が名を連ねているのを見ても水準のたかい演奏が期待できるというものである。実は来年5月20日のしたやウィンドアンサンブルの演奏会では私が指揮をすることになっている。(写真:左から指揮者の家田厚志氏、トレーナーの佐藤秀嗣、山田桂三、植松透、多戸幾久三、三輪純生の各氏)[したやウィンドアンサンブルのホームページ]
今日は沖縄がアメリカから返還されて34年目の日。



 2006年5月13日(土) 栄共済病院
 横浜栄共済病院の看護師会では毎年5月12日にフィレンツェ生まれのイギリスの看護婦で近代看護教育の生みの親と言われているフローレンス・ナイチンゲールの誕生日を記念して催しを行っているが、その中の一環としてのコンサートで今年も吹かせていただいた。点滴をしながら聴いてくださる患者さんも居る前での演奏はある種の緊張感を伴うが、精一杯吹いた。二本持っている愛器から今年は木管で吹いたわけであるが、こういった会では木の音が向いているように思われる。今年の選曲はどうだっただろうか、気に入ってもらえただろうか。いつも思うことであるが甲斐甲斐しく動き回って患者さんのお世話をしている看護師さんたちの姿には心を奪われる。ご苦労様!そして今回快くピアノを弾いてくださった山本聡子さん、ありがとう!



 2006年5月10日(水) 台風第一号
 気象庁の発表によると今日の午前3時45分に台風第一号が発生した。チャンチーという名だそうである。ミンダナオ島の東で規模は中心気圧1000hPa、中心付近の最大風速18m/sだと言うから今のところはまだ小さいけれど、去年の被害を思うと、これからの台風は年々強くなるという説があるからこの台風も今後どうなるか心配である。ヨーロッパでは冬降った大雪が溶け出してドナウ川やエルベ川が氾濫して大きな被害がでている。昨年までのエルニーニョ現象が、今年はラニーニャになったと言われている。最近地球規模の地震災害や異常気象については色々と言われているが、その中で一番気になるのがフォトンベルトの影響ではないか、というものである。これについての真偽は様々で素人にはよく分からないけれど、とにかくはっきりしないのが一番気になる。権威有る学者が発言してほしいものである。(右は今朝のEarthBrowserの写真)

気象庁ホームページより
[衛星画像]



 2006年5月3日(水) 横浜散歩
 一昨日気温が上がってまるで夏のような陽気になった。しかし風があったためか暑くなく寒くない実に気持がよい日だったので歩こうか、と言うことになり連れ立って横浜へ出かけた。まずは家から港南台駅までの4キロを歩き、関内駅で下車してからも数時間歩き回った。連休の合間だったけれど人出はさほどでもなく、快適な散歩をすることができた。普段歩かない場所へ行くことにして「大さん橋国際客船ターミナル」へ行ってみた。新しい桟橋のデザインは横浜港のシンボルとなるために国際デザインコンペ(国際建築設計競技)を実施したそうである。その結果世界41カ国から660の応募があり、その中から最優秀作品にイギリス在住の建築家、アレハンドロ・ザエラ・ポロとファッシド・ムサヴィ両氏の作品が選ばれたという。曲線的で珍しい形だった。さて我々は桟橋をあとにしてからも民芸品店や家具店を覗いたりしながらのぶらぶら歩きは続く。元町はいつ行っても面白いところだ。たまにしか来ないのだけれど、来る度にお店が替わっているようである。ウィンドウショッピングしながらブラブラ歩く。結局は何も買わなかったが楽しい散歩だった。石川町の駅に着いたとき、近くに居酒屋があったのでここで一盃やるかと言うことになって入ったのだけれど、でもがっかり、全然旨くなかった。食事一回分を損したわけであるからこういう時は本当に悔しい思いがするものである。帰宅時に万歩計は1万3千歩だった。(写真は大さん橋国際客船ターミナルにて)



 2006年4月29日(土) くまばち
 散歩の途中でくまばちと出会った。とても大きいのでびっくりした。私はこの蜂を見ると遠い昔の岡山時代を思い出す。通っていた幼稚園の藤棚から垂れ下がった満開の花に寄って来る蜂をじっと見ていたものだが、その立派さに一種の憧れを抱いていたのだと思う。チャンスをうかがって何枚も撮ったけれど、持ち合わせていたのが標準レンズだったのでこの程度の写真しか撮れなかったのが残念。望遠レンズでどアップにして早いシャッターでホバリング中の翅を止めて撮りたかった。毛深くて大きいから恐いようだけれど、どうやら危険は無いらしい。こうして見ると両足を揃えてお行儀が良く、なかなか可愛らしい。「くまばち」のことをいつの頃からか「くまんばち」と言うようになったか知らないが、地方によってはくまんばちはスズメバチのことらしいからややこしいことである(英語でもややこしい)。この蜂を見る度にリムスキーコルサコフの歌劇「皇帝サルタンの物語」の間奏曲「くまんばちは飛ぶ」を思い出して、しばらく頭から離れなくなってしまうのが常だ。この曲、僅か1分15秒の間に700もの音符を演奏するわけであるから忙しいことである。譜面には書いてないが、私は曲の途中でしばらくの間フラッタータング(私の場合はフラッターノドチンコ)で吹いて羽根の音を演出して遊んでいる。



 2006年4月28日(金) 練習
 来る5月28日の茶陶苑・大蔵コンサート(川越市)の練習のためにハープの齊藤葉さんのお宅へ行ってきた。齊藤さんとの共演は去年3月の鎌倉以来である。齊藤さんの住まいがある原宿の表参道付近は新しく表参道ヒルズがオープンして間もないとあってかウイークデーだと言うのに付近の道路は人もクルマも多く、細い裏通りに入ると人を掻き分けての運転だから気を使うことおびただしい。しかしまるで巨大金庫のような豪邸に一歩入ると外の喧噪とは完全に遮断されて静寂そのものだから練習に集中できるのである。それに練習の合間には知る人ぞ知る原宿名物?の美味しい大福餅を出してくださるので気疲れも吹っ飛んでしまうと言うわけである。さて今回演奏するプログラム中J・B・クルムフォルツのソナタ ヘ長調 は私がN響に入団して間もない1960年代に先頃亡くなられた桑島すみれさんと演奏して以来だから実に40年ぶりである。明るくて可愛らしい曲だからもっと演奏されても良いと思うのだけれど。(写真は27日齋藤葉さんのお宅で)



 2006年4月23日(日) 調律
 毎年この時期はちょっと時間にゆとりがあるので、私にとっては充電する期間でもある。いつも書くことであるが私の練習法則は「重ねたトシと練習量は正比例する」なので、これを実行している。練習方法であるが長年教え子に言ってきたことをこのトシになって自分がやっていることに気付いて苦笑しているこのごろである。と言うのも教え子には言い聞かせながらも自分では必ずしも充分にやっていた訳ではないのが実情だったから。オケで時間に追われていたし、短時間で仕上げなければならなかったことも多かったからだが、しかし今は違う。とことん納得できるまでやれる時間があるからから有り難い。曲の分析は頭を使えばよいけれど運指の場合そうはいかない。誰しも楽器をする人にとっては同じだと思うけれど動きにくくて困るのが第4指(薬指)で、こいつの為には時間がかかる。でも練習は楽しい。さて、まもなくピアニストとの練習も始まるので久しぶりにピアノの調律を行った。いつものお気に入りのベルックマイスターである。我が家のピアノは背丈があるから私には少々辛い姿勢をとらなければならないが、でも出来上がりを確認するときには疲れなど吹っ飛んでしまう。



 2006年4月11日(火) 携帯灰皿
 たばこのポイ捨て防止に欠かせない携帯灰皿の「ファッション化」が進んでいる、という新聞記事を読んだ。なんでも携帯灰皿の普及による喫煙マナー向上でイメージの改善につなげたい考えだそうである。何ということだろう、灰皿が置いて無いところでもこれを使えばどこでも吸えますよと云っているのだろうか。山に登ってきれいな空気を胸一杯に吸い込んでいる時に臭ってくるタバコの煙ほど最悪のものはない。これは都会の歩道を歩いている時だって全く同じだ。嫌煙権という言葉は挑戦的で好きじゃないけれど、しかし喫煙者のマナーが悪くなかったらできなかった言葉だろう。タバコを吸わない者は道に捨てられた吸い殻だけじゃなく、煙の臭いも、喫煙者が吐く息の臭いも好きじゃない。訪問先の子供に「おじさんの息、臭いよ」と云われてタバコを止めた花森安治の話を思い出す。周りに対する配慮を考えないというところが無神経で傍若無人と云われても仕方がないのだ。非喫煙者が他人のタバコの煙を吸ってしまう(吸わされてしまう)受動喫煙の害は喫煙者が被る害よりも大きいことも問題である。喫煙者は自分の意志で喫煙するわけだが、非喫煙者は自分の意志とは無関係に吸わされて肺癌になんか罹りたくはないのだ。タバコの箱に書いてある注意書も日本のように「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」よりもカナダの「たばこの煙は非喫煙者の致命的な肺疾患の原因です」の方が非喫煙者にとっては当たり前に思える。タバコの発癌性が初めて云われたのは1960年代の初めのころであったが、40年以上経った最近でも世界中でこの問題に対する認識不足を痛感する。実はかく言う私も小学校のころにもイタズラにで吸ったことがあるし、大体最初の禁煙が二十歳になった時であったことを思えば、こんなことは言えた柄じゃないかもしれない。しかし止めてからすでに40年になった。もしもやめていなかったら、無神経に周りに迷惑をかけていたのかも知れないと思うとつくづくやめられて良かったと思う。この際世界をタバコを吸う国と吸わない国とに分けてしまったら良いのではないだろうか、と半ば本気で考えたりする。二回続けて愚痴を云ってしまった、、。



 2006年4月5日(水) 変な看板
 昔から不思議に思っている。こういった看板を実に多く見かけるのだけれど、何故赤ペイントで書いた一番肝心なところだけ色が褪せて見えなくなってしまうのだろうか。この看板にしても「捨ては です!」では全くの意味不明ではないか。想像するにこれは「ぽい捨ては 厳禁です!」かもしれないし「ゴミ捨ては 厳禁です!」かもしれない。「投棄を見かけたら110番」も、投棄の前に不法が有って「不法投棄を見かけたら110番」かも知れないが、全く見えない。登山道でよく見かける道案内の矢印は赤で書かれていることが多いし、クルマの塗装にも赤はあるが、色が褪せることはないから赤色のせいではないらしい。ペイントの種類が問題なのならば変色しないものにしたほうが良いのではないだろうか、といつも思う。肝心なことが伝わらなければ全く意味がないし、もしもこれが危険を知らせる案内だったとしたら危なくて仕方がないではないか。



 2006年4月3日(月) 赤煉瓦倉庫
 それにしても昨日の雨は凄かった。文字通りの春の嵐で風も強く傘もおちょこになってしまう人を多く見かけた。そんな中をみなとみらいの赤煉瓦倉庫まで出かけて仲間とビールを飲んできた。建物の中は外の荒天など全く感じない別天地でフリードリンクを良いことに楽しい雰囲気で飲みまくってしまった。例によって話題は上から下までと振幅大きく盛り上がり、時間が経つのも忘れてしまう程。帰って来たら喉が痛くて声が嗄れていた。それにしても荒天にもかかわらずあそこに集まってくる人の多さよ。一体何故だろう? そう言えば赤煉瓦倉庫の館長さんが横浜で最も多く人が集まるポイントが赤煉瓦倉庫だと云っていたが、全くそのとおりだった。



 2006年4月2日(日) お墓参り
 先月の31日に母とアメリカから一時帰国している妹と私たちの四人で鎌倉霊園に眠る父のお墓参りに行ってきた。霊園は我が家からクルマで約10分のところにあるので便利だけれど、春秋のお彼岸には大渋滞になるので毎年時期をずらして行くことにしている。墓に刻まれた愛の字は父の恩師、桜美林大学の創設者故清水安三氏の筆に依るものだ。父が生前初めてここを見たときに「ここはいいところだねぇ、これならいつ死んでもいい」と云っていた。鎌倉霊園は一年中花が絶えることが無く、植木の高さも制限されているので明るく、管理も行き届いており、遠くに富士も見えて環境が抜群に良い墓地で気に入っている。父が逝ってはや22年になった。この日は天気も上々桜がほぼ満開で母は大喜びであった。この後は家に寄って昼食を済ませてから送って行った。




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