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過去の日記帳 2009年10月 〜 12月

写真ははずしました。



 2009年11月24日(火) 私とクルマ
 私が子供の頃自家用車は誰でも簡単に買えるものではなかった。なにしろクルマ一台家一軒と言われていたくらい高価だったのだから。1960年頃から少しずつサラリーマンでもクルマが買えるようになってきたのではないだろうか。この頃マイカーという本が出版されて大きな話題になった。
 私はフォルクスワーゲンに強い関心を持っていた。空冷エンジンに興味があったし、それに何と言っても可愛らしいスタイルが気に入っていた。そのころタイミング良く「フォルクスワーゲン世界を制す」という本が出版されてベストセラーになったのである。私はこの本を読んでフォルクスワーゲンは自動車設計の天才と謳われたポルシェ博士がアウトバーンを親子5人乗りで時速100キロで連続走行が出来るクルマを造れ、というヒットーラーの命令によって設計し、開発したクルマであることを知った。開発のプロセスはすごいものだった。将来は絶対に乗りたいと思うようになった(十数年後に夢は果たされてビートルに三台乗った)。
 私が最初に買ったクルマは新三菱重工業(当時)が初めて作った乗用車で三菱500というクルマだった。このクルマも空冷エンジンでフォルクスワーゲンとちょっとだけ似ていたし、このクルマを百倍良くしたらフォルクスワーゲンになるんだ、といういじらしい思いで買ったのである。私はこのクルマで色々勉強した。プラグ交換はもちろん、ディストリビューター(エンジンに点火するスパークプラグに電流を分配して送る装置)のタイミング調整と接点のすり合わせや交換、エンジンのタペット調整、などと今のクルマでは想像もできないような事を自分でやっていたのものである。そして以後、三菱600、同スーパーデラックス、同コルト1000、 フォルクスワーゲンビートル三台、プジョー504、ホンダのエアロデッキ、アコードなどを乗り継いできた。
 そしていよいよ1987年にBMWの直列6気筒と衝撃的な出会いをすることとなる。BMWお馴染みのエンブレムは青空を背景に回転するプロペラをデザインしたものだが、なんと清々しいデザインだろう。クルマのキャラクターを一目瞭然に表現しているBMWエンブレムは他には類を見ないスマートさだ。BMWはもともと航空機のエンジンを作っていた会社である(BMWはBayerischeMotorenWerkeの頭文字・バイエルンエンジン製造工場)。日本ではビー・エム・ダブリュウ、又は単にビー・エムと言うけれど、ここはやはりべー・エム・ヴェーと言って欲しいところだ。いまや多くのエンジンが長さを短縮できるV型になってしまった現在でもBMWだけは頑固に直列6気筒を貫いており、そのえも言われぬ滑らかなフィーリングを賞賛して「シルキーシックス」と云われているのである。例えどんなに優れたV6でも直6のもつ回転バランスには及ばない。2008年度の「インターナショナル・エンジン・オブ・ザ・イヤー」でBMW Groupは5種類のエンジンで6つの賞を受賞しているが、それ程BMWのエンジンは優れているのである(BMWのエンジンは直列4気筒、直列6気筒 、V型8気筒、V型12気筒などがある)。BMWを気に入っているのはエンジンだけではない。後輪駆動(FR)によるハンドリングの素晴らしさも特筆ものである。この味を知ってから前輪駆動(FF)には乗る気がしなくなった私である。
 私は慣らし運転にも凝る。オートレースのメカをやっていたとう人から教えて貰った方法で徹底的にやる。今乗っている4台目のBMWは八年半で13万キロちかく走っているが、エンジンは益々快適でビュンビュン軽く回りオイルも交換まで補充する必要はない。ストレスが無く思い通りになる、という点では私の配偶フルートパウエルと同じだ。そして間もなく我が家に来る五台目のBMWも慣らし運転をやる楽しみから始めようと思っている。



 2009年11月18日(水) 軽薄の極み民放テレビ
 私が見るテレビ番組はまずニュースに天気予報、ノンフィクションもの、自然がテーマのドキュメンタリー、たまに音楽番組などである。間違っても芸能人たちが大騒ぎをしながらさも楽しそうに振る舞う番組は決して見ない。こんな下らない番組を作る人や、それを許可する放送局の責任者の顔が見たい。果たして世の中に受け入れられているのだろうか。芸能人たちの喋り声も普通じゃない。あれは喋っているのじゃなくて、ほとんど怒鳴っている。声をからして怒鳴っているのである。とてもじゃないけれど正視できない。非常に不愉快である。幼児番組の中にもうるさい番組がある。わざと汚い声で歌ったりしている。こんなことだから子供達が大きくなった時に音量オンチになって所かまわず大声で喋るようになるのである。日頃からこの手のくだらないテレビ番組の多いことに腹を立てている私である。
 そんなことを思っているところに今朝のYOMIURI ONLINEの記事を見て思わず膝を打った。「放送倫理・番組向上機構(BPO)は17日、日本民間放送連盟(民放連)に番組制作の指針作りなどを求める意見書を送った、」という記事だ。意見書ではBPOに寄せられた26件の苦情を「イジメや差別」「内輪話や仲間内でのバカ騒ぎ」など5項目に分類し、「多くの視聴者が不快に感じている」と指摘しているのである。今更のように不快極まる番組を無神経に放送しまくる民放に対して、思い知れ!という気持がこみ上げてくる。これに対し、民放連の広瀬道貞会長は同日、記者会見を開き、「趣旨と正面から向き合い、制作者レベルまで広げて議論を深めたい」と語った、とある。果たして本音だろうか。


 2009年11月15日(日) 夕方のウォーキング
 昨日の夕焼けはきれいだった。いつものウォーキングコースの折り返し点で階段を159段登り切ったところから更に尾根伝いに少し歩いたところから撮った。直前までは小雨が降っていたけれど、出かける時に勘が働いて今日は夕焼けが出そうだ、と思ってカメラ持参で出かけたのが良かった。もしもカメラを持っていかなかったらさぞ悔しい思いをしたことだろう。撮り終えてからの帰途、薄暗い山道は足を踏み外しそうですこし怖かった。
 朝焼け、夕焼けは何度見ても感動的である。自然の大パノラマは私を惹きつけてやまない。 できればフルサイズセンサーのFXフォーマットカメラを使って超広角レンズで撮りたいのだけれど、14日の日記にも書いたように欲しいモノを得られないイライラは募るばかりである。
 この辺りは高圧線が邪魔をするので場所選びには苦労する。湿度のせいだろうか、日によってはこの高圧線がジリジリと不気味な音を発していることがあるが電磁波に襲われているようで気持ちが良いものじゃない。ところでこの木は何て云う木だろうか、まるでマダガスカルみたいだ。



 2009年11月14日(土) フェザント山中湖
 最近ログハウスに興味が湧いてきている。見るだけならタダじゃないかとモデルハウスなども見て回っているが、今回はお気に入りのBESSから体験宿泊の案内を送ってきたので山中湖にある「フェザント山中湖」へ行ってみた。ここはBESSがタイムシェア別荘として売りに出しているところである。運が良いことに紅葉が真っ盛りで真っ赤に染まった楓が我々一家を出迎えてくれた。
 それにしてもログハウスの快適さは素晴らしかった。一番印象に残ったのは暖房である。薪ストーブではなくガスのクリーンヒーターだったが、包み込まれるような心地よい温かさはコンクリートの家では味わえないものだと思った。家中が温かく、床暖房ではないのに素足で歩き回っても足が冷えることはなかった。これが薪ストーブだったら更に良かったのかもしれない。 ログハウスでのフルートの響きを試してみたかったので持参した愛器パウエルの木管を吹いてみたけれど、木の反射はすこぶる気持が良かった。しばらくは夢中で吹いていた。チェンバロにも良さそうだ。
 6,800坪という広大な敷地に点在するログハウスは様々なタイプがあって、それらを散歩がてらに落ち葉を踏みながら見て回るのも楽しかった。どの家を見ても「あぁ良いなぁ」とため息がでて困った。センターハウスのレストランでの夕食メニューは前菜盛り合わせ、ワタリガニのパスタ、牛スネ肉のブラザードサフランリゾット添え、デザートは洋梨のムースでとても美味しかった。
 生まれてこのかた殆どをコンクリートの家で生活をしてきた私には木の家に住みたいと言う欲求が年毎に強くなってくるのだが、なんとも羨ましい家々であったことよ。しかし資金やせんちゃんの教育のことなどを考えるとそう簡単に物事を運ぶわけにもかない。何かにつけて欲しいモノを得られないイライラは一生私につきまとって離れようとしない。 フェザント山中湖


 2009年11月2日(月) ドップラーのハンガリー田園幻想曲
 初めての相手との最初の練習は心配することが多いものである。どんな音の人だろう? 音楽性は? アンサンブルはうまいかな? などと心配の種は多い。11月8日に横浜のイギリス館で催されるチェロ奏者木内哲也(息子)の教え子たちのコンサートに客演演奏することになっていてるドップラーのハンガリー田園幻想曲はなかなか合いにくくて、いつも苦労するものの一つだ。しかしそんな心配は全く無用で今回のピアニスト木内佐知子さん(息子の奥さん)とは非常にうまくいった。自分で言うのもおこがましいことであるが私のドップラーは至って真面目で、不健康なルバートは一切やらないから合わせやすいと思っている。この曲はルバートなんかやらなくても譜面通りにやるだけで十分なのだ。ルバートをやり過ぎると気持ちが悪い。
 合わない原因の一つにCDの存在があるのではないだろうか。CD屋さんに怒られそうだけれど、初めての曲をやる場合には絶対にCDを聴くな、と教え子たちにも言ってきた。これは私の昔からの信条である。自分の音楽を創る前からCDを聴くと先入観ができてしまい、それが全てとなって曲を捉えてしまうから百害あって一利無しだ。特にハンガリー田園幻想曲という合わせにくい曲で他の人のクセを覚えてしまわれてはどうしようもないのである。(余談だがこの際CDなどについて書いておきたい。昔のSPレコード時代はともかく、LPやCDなどはライブ録音のものを別にして、これらは実際の演奏ではなくて一つの「作品」と捉えるべきだろうと思っている。録音から完成までのプロセスの現場に居合わせるとよく分かるのだが、ホールへ行って生の演奏を聴くのとは全くの別物だ、と言うことである。材料を揃えてからをモンタージュして作った「商品」と心の片隅で知って楽しめばよいのだ。実際の演奏と勘違いして聴くと弊害もでてくる場合もある。評論家や自称評論家などが演奏内容について書いたりしているものの中には何をか言わんや、といったものもある。更に言えば自分が演奏できないことからくるコンプレックスを丸出しにした文章などは哀れなだけだ)
 佐知子さんはきっとCDなんか聴かないで譜面をよく読んでフルートのパートをしっかりと頭に刻み込んだのだと思う。bravo!
 ドップラーの他にもピアノと息子の通奏低音でシェドゥヴィユのソナタを演奏することになっている。楽しみ!



 2009年11月1日(日) 食欲
 最近の私
 朝食を食べ終えた時から昼食が待ち遠しく、昼食が終わった時から夕食が待ち遠しく、夕食を終えると翌朝の朝食が待ち遠しいと言う毎日を送っている。すごい食欲だと思われそうだけれど、そうではない。私は腹六分目くらいまでしか食べないことにしているから、食べ過ぎと言うことは決してない。しかし思えばここまで来るのにはなかなか大変だった。むらむらと湧き上がってくる食欲に打ち勝つには相当な心構えが要るのだが、今ではもうすっかり慣れてペースが確立されている。
 普段食べるのは野菜と魚が主だ。肉類はもともと大好きだけれど先ずは我が家の食卓にはのらない。それは10年くらい前の検査の時に高脂血症と言われてから気をつけるようになったからだが、でも絶対に食べないわけではない。たまにはムラムラとステーキを食べたくなる。
 ああ、この写真のステーキ! 金沢の「ひよこ」の280グラムのステーキだ。今年は光徳寺のコンサートの時に御馳走になってしまった。4年ぶりくらいだった。その美味しさに感激した。



 2009年10月29日(木) 第63回全日本学生音楽コンクール東京大会本選会
 昨日第63回全日本学生音楽コンクールの本選会が千駄ケ谷の津田ホールで行われた。結果は中学の部では千葉県野田市立第一中学校3年生の永島千晴さんが優勝、高校生の部は山梨県立甲府西高校2年生の伊藤優里さんが優勝した。
 予選で演奏したエチュードの時よりも本選では自由に演奏していて水を得た魚のようだったが、しかし何れの場合も楽譜に指定された強弱、表情、テンポなどの指定を無視する傾向が目立ったことは非常に残念に思う。これは指導する側にも責任がありそうだ。
 中学の部は「まだまだ」と言うのが私の正直な感想だが、高校の部では一長一短はあっても平均して非常に程度が高く、甲乙付けがたくて採点にも苦心した。中学からわずか数年での進歩の大きさに驚く。
 これから社会に羽ばたいていく演奏家の卵達が殺伐とした世の中にあってもそれらに影響されずに美しい音楽の感動を与えてくれる演奏家になってくれるよう、願ってやまない。→毎日jpの詳細記事
 (写真は向かって左手前から審査員の大平 記子さん、萩原 貴子さん、三上 明子さん、中野 真理さん、手前右二人は毎日新聞事業部の人、大友 太郎さん、私、一番奥は毎日新聞事業部の人。神楽坂で打ち上げ会)



 2009年10月28日(水) 朝食後のウォーキング
 失敗した、寝坊をしてしまった。一旦4時ころには起きていたけれど雨が降っていた。天気予報では6時ころから晴れてくるとなっていたから朝焼けが見られるかな、とは思っていた。それなのにうかつにもその後はぐっすり眠ってしまった。ところが6時頃に起きると雲一つ無い快晴になっているではないか。これはもしかしたら物凄い朝焼けが現れたのではないだろうか、と悔しさがこみ上げてくる。でも実際はどうだったのだろうか、それは知らないままにしておこう。
 毎朝歩くようになって間もなく5ヶ月になる。私も案外しつこいのかもしれない。これも定年退職したから出来ることでこんなに有り難い事は無い。私は高血圧ではないけれど、この時期は気温が下がって身体が冷え、筋肉が収縮して早朝血圧が高くなるので注意したほうが良いと言う。それで歩くのを食前から食後に変えた。こうすると体内にたまった余分なエネルギーをうまく消費できそうである。それが証拠に朝食後にしてから体重が更に2キロくらい減った。
 歩く、と言うことがこんなにも気持ちが良いとは思っていなかった。幾分早足で軽く汗をかくくらいの歩調で片道約2キロの行程を歩く。歩き始めた7月頃には片道30分ちかくかかっていたのが最近では18分くらいにまで短縮されている。歩くとそれなりに疲れるけれど、でもその為にその日が一日中怠い、なんてことは一切無いから不思議である。それどころか身体が軽くなって気分爽快、もう最高の一日となるのである。膝小僧の内側の筋肉が盛り上がってきた。これは昔スキーに行く前に足の屈伸運動をして鍛えていたころを思い出させてくれる。
 スキーは先ずは服装から、と言うように、それじゃウォーキングもと言うわけでもないけれど最近かっこいいウェアを買ったから歩く気分もルンルンである。栄プールまで行くと一旦そこで数分間休み、それから駐車場の裏から159段の階段を登る。ここが折り返し点である。ここから先は尾根伝いに鎌倉へ行くハイキングコースになっている。今日は台風一過で富士山がきれいに見えていた。しかしこんなにきれいに見えることは滅多にあることではない。五合目くらいから上は真っ白になっていた。カメラを持っていって良かったと思った。その富士山も地下でマグマの動きを示す低周波地震の回数が急増している、など地殻変動が言われていて不気味でもある。(写真は栄プール裏の階段を159段登ったところから見た富士山:ニコンD300 AF-S DX Zoom Nikkor ED 18-135mmで撮影)



 2009年10月19日(月) 信州に外山雄三さんご夫妻を訪ねて
 この日は上天気のうえに空気が澄んでいたから八ヶ岳が全部くっきりとよく見えて素晴らしかった。中央高速道路は良く通るけれどこんなにはっきりと見えることは珍しいことだ。私はかつて毎年天狗岳に登っていたからここを通る度に沢山の思い出がよみがえってくるのである。面白いのはよく東京方面からクルマで来た人が韮崎を通過するころ、八ヶ岳の手前にある茅ヶ岳を八ヶ岳と間違ってしまうことが多いことだ。通称偽八ヶ岳とも呼ばれているこの茅ヶ岳は八ヶ岳よりもずっと小さいけれど似ていなくもないので頷ける。信州は紅葉が美しいところだが、しかしもう盛りは過ぎていた。麓はまだ少しはきれいな紅葉を見ることができたけれど標高1500メートルを超えるところではすっかり晩秋といった風情で、落葉松の葉がとてもきれいに色づいていた。
 信州の高原にお住まいの作曲家、指揮者の外山雄三さんご夫妻のお宅に伺っのは2年と4ヶ月ぶりだった。まだ2歳になったばかりのせんちゃんも一緒だったから色々とご迷惑なことが多かったと思う。本来ならば前日は原村のチェンバロ制作者春山さんのところに行き、翌日外山さんのところへ伺う予定であったが妻の体調が思わしくなく、残念ながら春山さんは延期にしてもらった。外山さんのところへも行かれなくなるのではと心配したけれど前日の夜中になって回復に向かってきたので出かけることができた。秋の訪問は初めてだった。本当に素晴らしい環境で羨ましい生活を送っていらっしゃる。ここへ来てからとても健康体になられたというのも頷けるのである。外山さんが作曲小屋と呼んでいるこの家にはもうすっかり住み慣れている様子だった。羨ましかった。素晴らしい晴天にも恵まれて私たちも思いっきり深呼吸をし、景色と空気に身を委ねてリフレッシュさせていただくことができた。秋と言っても朝の気温がマイナスになるのにはちょっと驚いてしまったけれど。
 私はナナカマドが大好きだ。外山さんのお宅を初めあちこちで多く見ることができてともて嬉しくなってしまった。もしも私が高原に家を持ったとしたら、きっと敷地内をナナカマドの木で埋め尽くすだろうと思う。



 2009年10月18日(日) 昆虫たち
 この気持ちの悪いモノはヨコズナサシガメの幼虫だ。以前信楽に行ったときに宿の前のサクラの木の幹に群がっているのを見たのが初めてだった。その時にはこいつは一体何者なのか知らなかったけれど、やたらと気持ちが悪かったものである。何とそれが家の近くの欅並木の中の一本に居るのを発見した。こんなに気持ちが悪い姿のものはそう多くはないだろう。ゲジと同じくらいに気持悪いのにカメラを向けてしまう私である。恐いもの見たさというのだろうか、私の好奇心がそうさせるらしい。こいつが居たもう少し上の方に欅の皮の裂け目があるが、そこに隠れるようにしてウジャウジャと集団が見えている。ミーティングでもやっているかのようである。気持悪いったらない。
 ヨコズナサシガメはともかく、浦佐に行ったらトンボがいなかった、ということは前の日記に書いたけれど、気がついてみればこの辺りでも見かけない。ここ数年でミツバチやイナゴやトンボなどの昆虫が極端に少なくなっている。どうせ居なくなるのだったらゲジやヨコズナサシガメからにして貰いたいのだが。
 そう言えば毎年秋口には夕方からコオロギの大合唱がうるさいくらいであったのに年毎に減ってきている。今年は全くと言って良いほど聞こえてこない。これらはただ事ではないような気がする。なにか地球環境に重大な異変が起きつつあるのでなければ良いのだが。



 2009年10月15日(木) ついにモバイルアンテナを撤去
 我が家の真上にあったモバイルアンテナがやっと撤去された。当マンションの総会で電磁波が幼児に及ぼす悪影響の問題を提起したのが5月24日だった。それが後の理事会で撤去という結論になってはいたものの、撤去までに5ヶ月もかかったのである。長かった。使ってはいないと分かっていてもベランダから至近距離にあるアンテナを見上げると気分が悪くなっていた。これは本当に嫌なものだった。もしもこいつが撤去されないという事になっていたら間違いなく転居していただろう。
 工事に来た人にカメラを向けたら笑顔を見せてくれた。高いところに登っても恐怖感が無いというのは、私には考えられないことである。いくら命綱を付けているからといっても怖いだろうに、まったくそんな感じがしないのが不思議でしかたがない。尊敬しちゃう。私ははらはらしながら一部始終を見ていた。きっとひまで物好きなジジイだわい、と思われたことだろう。
 私はかつて名古屋のテレビ塔(地上180メートル)の最先端の細くなっている送信アンテナ部分によじ登ってなにやら工事をやっている人を見たことがあるが、これほど信じがたいことはないだろう。見ているだけで全身がぞよぞよして身がすくんでしまった覚えがある。
 今日の夕食時に清々しい気分で飲んだぐい呑み三杯のお酒が美味しかったこと!



 2009年10月3日(土) 中秋の名月 フルート&チェロ二重奏の夕べ
 浦佐の池田記念美術館での親子デュオコンサートを終えて帰って来た。この地方でのコンサートの第一回目は1979年であったからなんと30年前のことである。この時は大崎小学校の体育館での演奏だった。以来会場を変えながらも多くの地元の人たちの情熱のおかげで今日まで続いているわけであるが、30年も続いているなんて希有のことのように思われる。
 魚沼はいつ行っても本当に良いところだ。越後三山や黄金色に染まった稲穂などを見渡していると心底からほっとした気分になるのである。大きく深呼吸したくなる。言わずと知れた魚沼産コシヒカリの産地であり、銘酒八海山の生まれるところである。今回もいつも通りコンサートの前日に浦佐へ入った。宿へ着く前に五十沢温泉の名湯に浸ってリフレッシュも完璧。浦佐は雨が降っていて、これじゃ今年は中秋の名月を見ることが出来ないな、と諦めていたのだけれど、当日は次第に晴れてきて夕方五時過ぎには月齢14.3(正午時点)のまんまるのお月様が登ってきた。信じられないような気持だった。一面ガラス張りの池田記念美術館のエントランスで行われたコンサートは他ではあり得ない抜群の環境の中で親子での演奏にも力が入った。

月みれば 千々に物こそ悲しけれ 我が身ひとつの秋にはあらねど(大江千里)

 ところで昔から何度も魚沼に来ているけれど、この時期にトンボを一匹も見かけないないなんて今迄には無かったことだ。あの可愛らしいアキアカネは一匹も見かけなかった。これは不思議と言うよりも謎めいているが、トンボの代わりにブヨが大発生していたのである。なんでもトンボの幼虫ヤゴがブヨの幼虫を食べるそうだが、そのヤゴが居ないからブヨの大発生になったということだ。清々しい外気に触れようと宿の外に出た時、息子の哲也はうかつにも半ズボンであったためにあっという間にブヨの大群にたかられた。彼は悲鳴を上げて思わず買ったばかりのニコンD3を放り出しそうになった。私はせんちゃんを抱いて宿へ逃げ込んだ。哲也は帰宅後に症状が悪化したといって大騒ぎをしている。
 帰りには無人の野菜売り場に寄ってシイタケ、ネギ、ほうれん草、春菊、おもいのほか(食用菊の花)とブドウを買った。とても新鮮で、しかも安かった。この先も私が元気である限りこの地を訪れて多くの友人達との親睦を楽しみながらコンサートを続けていきたいものである。




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