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過去の日記帳 2009年7月 〜 9月

写真ははずしました。



 2009年9月24日(木) 小林えりさんとのコンサート
 南砺市の福光町にある光徳寺で「りんどう忌コンサート」を、豊田市の芳友寺で「山寺コンサート」を、島田市の金谷にある西照寺で「なむなむ音楽会」を終えて帰って来た。
 高坂制立師が亡くなってから四年が経った。その光徳寺でのコンサート「りんどう忌」は棟方志功の命日である9月13日に行われた。朝晩冷え込んで寒いくらいだった。一年のうちでこの日にしか公開されないという棟方志功の襖絵「百家譜」12枚をバックに演奏するという幸せを全身で感じながら小林えりさんのピアノでシューベルトの「しぼめる花の主題による序奏と変奏曲」などを演奏した。小林えりさんは4年半のイタリア留学を終えて7月に帰国したばかりのピアニストである。彼女の自然なタッチから生まれる音は比類がないくらいに美しく、フォルテもピアノも楽器を無理なく最大限に「響かす」ことができる人なのである。フルートにせよピアノにせよ、ともすれば力で演奏する人が多いように思われるなかで、えりさんは得難い演奏家だと思う。
 光徳寺を後にして次の演奏地である芳友寺まで日数があったので、えりさんとは一旦お別れして母がいる名古屋の妹の家で5日間を過ごした。名古屋は気温が30度ちかくになったりで体調が狂いそうだったが、しかし7月から始めている毎朝1時間のウォーキングのおかげか万全の体調を維持することができた。歩くと言うことは本当に気持ちが良いものである。名古屋は坂道が多いからもってこいのウォーキングができるのである。早朝から早足で1時間も歩いたからといってその日が怠くなると言うことは全く無いから不思議なものだ。名古屋ではお気に入りのレストラン「マンダレー」にも行ったし、デパートに買い物に行ったりで、しばしの休息をすることができた。
 芳友寺は妹のところからそう遠くはないので移動は楽だった。名古屋鉄道の梅坪駅で小林えりさんと待ち合わせをして芳友寺には夕方頃に到着した。ここの住職安藤源亮さんはお酒が好きだから楽しい雰囲気にのって薦められるままに呑んでいるとつい度を過ごしそうになるから用心用心である。毎年今頃に行われる山寺コンサートは周りを山に囲まれているので気温が低くなる事が多く、フルートが響かなくなるから気を遣うが今年は暖かくてベストコンディションで吹くことができたので大いに助かった。
 最後の演奏は先頃大地震があった島田市の金谷にある西照寺である。東名高速も壊れて大変だったところだ。幸いなことに西照寺にはほとんど被害がなく、本当に良かった。ここでも沢山の人が聴きにきてくださった。温かい雰囲気が演奏者まで伝わってきた。夜は駿河湾を間近に見下ろす焼津のホテルで演奏旅行の疲れを癒した。翌朝、せんちゃんがすっかり懐いてしまったえりさんとお別れしをして焼津インターに近いさかなセンターで買い物をしてから帰途についた。心配していた東名高速の大渋滞も時間が早かったために然程でもなく、思ったよりも早く帰ってくることができたので大いに助かった。(写真は光徳寺で終演後に棟方志功の襖絵の前で小林えりさんと)



 2009年9月24日(木) 小林えりさんとのコンサート
 南砺市の福光町にある光徳寺で「りんどう忌コンサート」を、豊田市の芳友寺で「山寺コンサート」を、島田市の金谷にある西照寺で「なむなむ音楽会」を終えて帰って来た。
 高坂制立師が亡くなってから四年が経った。その光徳寺でのコンサート「りんどう忌」は棟方志功の命日である9月13日に行われた。朝晩冷え込んで寒いくらいだった。一年のうちでこの日にしか公開されないという棟方志功の襖絵「百家譜」12枚をバックに演奏するという幸せを全身で感じながら小林えりさんのピアノでシューベルトの「しぼめる花の主題による序奏と変奏曲」などを演奏した。小林えりさんは4年半のイタリア留学を終えて7月に帰国したばかりのピアニストである。彼女の自然なタッチから生まれる音は比類がないくらいに美しく、フォルテもピアノも楽器を無理なく最大限に「響かす」ことができる人なのである。フルートにせよピアノにせよ、ともすれば力で演奏する人が多いように思われるなかで、えりさんは得難い演奏家だと思う。
 光徳寺を後にして次の演奏地である芳友寺まで日数があったので、えりさんとは一旦お別れして母がいる名古屋の妹の家で5日間を過ごした。名古屋は気温が30度ちかくになったりで体調が狂いそうだったが、しかし7月から始めている毎朝1時間のウォーキングのおかげか万全の体調を維持することができた。歩くと言うことは本当に気持ちが良いものである。名古屋は坂道が多いからもってこいのウォーキングができるのである。早朝から早足で1時間も歩いたからといってその日が怠くなると言うことは全く無いから不思議なものだ。名古屋ではお気に入りのレストラン「マンダレー」にも行ったし、デパートに買い物に行ったりで、しばしの休息をすることができた。
 芳友寺は妹のところからそう遠くはないので移動は楽だった。名古屋鉄道の梅坪駅で小林えりさんと待ち合わせをして芳友寺には夕方頃に到着した。ここの住職安藤源亮さんはお酒が好きだから楽しい雰囲気にのって薦められるままに呑んでいるとつい度を過ごしそうになるから用心用心である。毎年今頃に行われる山寺コンサートは周りを山に囲まれているので気温が低くなる事が多く、フルートが響かなくなるから気を遣うが今年は暖かくてベストコンディションで吹くことができたので大いに助かった。
 最後の演奏は先頃大地震があった島田市の金谷にある西照寺である。東名高速も壊れて大変だったところだ。幸いなことに西照寺にはほとんど被害がなく、本当に良かった。ここでも沢山の人が聴きにきてくださった。温かい雰囲気が演奏者まで伝わってきた。夜は駿河湾を間近に見下ろす焼津のホテルで演奏旅行の疲れを癒した。翌朝、せんちゃんがすっかり懐いてしまったえりさんとお別れしをして焼津インターに近いさかなセンターで買い物をしてから帰途についた。心配していた東名高速の大渋滞も時間が早かったために然程でもなく、思ったよりも早く帰ってくることができたので大いに助かった。(写真は光徳寺で終演後に棟方志功の襖絵の前で小林えりさんと)



 2009年9月8日(火) 親子Duo
 六日町の近辺での第一回目のコンサートは印象に残っている。沢山のススキで飾られた小学校の体育館には溢れそうなくらい沢山の人たちが来て下さり、魚沼の人たちとの出会いの第一歩となったのである。あの時以来三十数年になった。ある年は鎖場をよじ登って辿り着いた八海山の頂上付近の千本檜小屋で、またあるときには南魚沼市公民館コミュニティホールさわらびで、その後は長い間トミオカホワイト美術館で行われていたのであるが、コンサートの仕掛け人の1人井口優さんが役所勤めを卒業して池田記念美術館の館長に就任してからは池田記念美術館で行われるようになったのである。そしてはや3回目になった(館長の井口さんは画家で埼玉県展・新潟県展、新潟県芸展・大調和展などに入選しており小田急デパートで個展も行っている)。毎年魚沼の素晴らしいロケーションのもとで行われるコンサートに集うメンバーは殆どが常連である。もうすっかり仲良くなって家族みたいになってしまった。
 今年の10月3日に浦佐の池田記念美術館で催される「八色の森コンサート中秋の名月フルート&チェロ二重奏の夕べ」の練習をした。今年は息子の哲也とのDuoである。池田記念美術館にはピアノがないからそれなりのプログラムを考えるのに苦労するのであるが、色々と考えてプログラムを決めた。親子の演奏は微笑ましくて良いと思われるかも知れないけれど、微妙な面もある。音楽は厳しいのである。しかしそうは言ってもやはり親子だ。水入らず?の楽しい音楽ができたら良いな、と思っている。
 哲也は練習の時にせんちゃんよりも二ヶ月早く生まれた孫を連れてきた。せんちゃんのほうが後から生まれたのに、哲也の息子から見たらせんちゃんは叔父なのである。昔はこのようなことも珍しくはなかったと聞くが、最近では珍しいことかもしれない。



 2009年9月1日(火) Mac OS X Snow Leopardをインストール
 25日に発注しておいたMac OS X Snow LeopardのInstall DVD が届いたので、早速インストールした。Mac OS X LeopardからSnow Leopardへアップグレードしたわけである。すべてが磨き抜かれた世界で最も先進的なオペレーティングシステムということだけれど、きっと良いのだろう。各ソフトとの相性などは、これから順にテストをして確認していかなければならない。
 ちょうどインストールしたその日、偶然に見た新聞記事に多摩動物公園では来園者から公募していたユキヒョウ(Snow Leopard)の赤ちゃんの名前が「ユキチ」に決まった、と出ていたのが面白かった。
 ところで一寸困ったことになっている。ファイル転送ソフトのFetch5.2.1J1が起動しなくなってしまったのである。早速Fetchにメールを送ったところ、ただいま調査中でなのでしばらくお待ちください、という返事が来た。 以来時々フェッチのホームページ覗いているけれど、今のところ“現在『Mac OSを「Snow Leopard」(Mac OS 10.6)にアップグレードした際、Fetch5.2.1J1が起動しなくなる』というご報告がございました。ただいま調査中です。いましばらくお待ちくださいますよう、お願い申し上げます。(2009/08/28) ”と出ている。まだ時間がかかりそうなので、代替ソフトNetFinderを使ってこの記事をアップした。



 
2009年8月11日(火) あさがお通り小出信也夕涼みコンサート(福光)
 日本基督教団軽井沢追分教会で行われた「礼拝コンサート」と南砺市の福光町で行われた「あさがお通り小出信也夕涼みコンサート」を終えて帰って来た。軽井沢では夜に気温が下がって何と今の時期に暖房のお世話になったが、北陸も例年よりは幾分涼しい年のようであった。帰りに泊まった新平湯温泉は良い湯だった。
 私にとって福光は故郷のようなところである。人寿百歳蘭香四時の掛け軸(上の[ 躅飛山光徳寺蔵の掛軸と故高坂制立師 ] からリンクしている)を所蔵する光徳寺。その第十九世住職高坂制立師とのお付き合いは1972年頃から始まり、2005年に他界するまでの三十数年間という長きに及んだ。現在は中断しているが光徳寺の年中行事にも加えられた「せみしぐれコンサート」では毎年多くの共演者の協力を得て約20年間も続いた(今年の9月13日にはりんどうコンサートが催される)。制立師と知り合ったばかりの若い頃には酒好きの2人が盃を交わした量が一晩に4升という記録もある。私の恩師クリスティアン・ラルデが私たちの付き合い方をみてami de sake(お酒友達)だね、と笑いながら仰っていたことを思い出す。私は単に光徳寺とのお付き合いだけではなく町の人たちとの交流も多い。昨年の春には私の妹がプロデュースをした「南砺に春を呼ぶ歓喜の夕べ」に参加したが、その時に知り合って以来親しいお付き合いをしているAさんの計らいで今回のコンサートに行くこととなったのである。高坂制立師なきあとも、こうして福光との関係が益々深くなっていくことがとても嬉しい。
 私は本番当日の朝6時ころに小矢部川に沿って建つ宿から散歩に出た。あまり町中を歩いたことがなかった私は新しい福光を見つけたような気がした。町の中は細い路地が入り組んでいて、それは瀬戸内海の島に似ており、会を主催する新町へ出ると各商店の軒先にはアサガオが沢山咲いていて可愛らしかった。寛政3年(1791)の大火の時にここを境として鎮火したというところに置かれた「火伏石」は1979年4月11日の大火の時にもここを境として焼けたところと焼けなかったところが別れたということから現在は「火伏神社」となっているが、ここで写真を撮ったりしながら更に町外れの光徳寺まで行って制立師の墓前にお参りをしてから帰って来た。時々霧雨が降る中の70分ほどの散歩だった。
 福光の中心にある願全寺の本堂を会場にして催された「あさがお通り小出信也夕涼みコンサート」は立ち見の人もいるくらい沢山の方々が来てくださった。演奏会では私のフルートコレクションも展示した。四方山話という副題をつけて話しを交えながらの2時間ほどであったが、話し下手が原稿も無しで喋ったから「よ〜わからんがや」と言う人も居たのではなかろうか。(写真は願全寺本堂)



 
2009年8月9日(日) 軽井沢追分教会礼拝コンサート
 追分教会で演奏するのは今回で何年目になったのだろうか。当教会の稲垣守人牧師からお誘いを受けて行くようになってからオルガンが大好きな私は無上の歓びを甘受させていただいている。ライル兄弟社(オランダ)のオルガンは追分教会の礼拝堂によくマッチしていてとても心地よく響く。
 私は昔からオルガン(勿論パイプオルガンのこと)が大好きで、ヨーロッパへ行ったときなど好きなオルガンがある教会へ行き鍵盤に触れてため息をつくこともしばしばだ。ハンブルグに行った時に聖ヤコビ教会のシュニットガーオルガンの音を聴き感激のあまりしゃがみこんでしまった私である。大好きな憧れのオルガンと一緒に演奏ができたら、と夢を抱き続けていた。そんなときに東京カテドラルのオルガンと演奏する機会がやってきたのである。今を去る30年以上も前の話だ。しかし結果は惨めなものだった。これはショックだった。太刀打ちできる相手ではなかったのだ。神がかったオルガンの響きに対して私のフルートの音の、なんと貧弱で邪悪に満ちていたことか。私は打ちひしがれてこの日以来持ち続けてきたオルガンと演奏したいという気持は失せてしまったのである。そうして数十年が経った。年もとった。すると次第に考えが変わってきたのである。これは開き直りとも云えるだろうか。邪悪だったら邪悪に徹しよう、それが人間じゃないか、と思えるようになってきたのである。そんな考えになってきた頃に稲垣牧師からお誘いを受けたものだから、私は飛びつくようにしてお引き受けした訳である。当教会のオルガニストである木村協子さんとも長年のおつきあいである。息の合う演奏ができて嬉しく思っている。現在は日本基督教団軽井沢追分教会や日本キリスト教団前橋教会(スイスのマティスオルガン)でも演奏させていただく機会に恵まれて幸せを甘受させていただいている私である。名誉牧師であられる稲垣守人牧師は私の母より1歳年上でまもなく98歳になられる。現在はご長男の稲垣壬午牧師が主任担任牧師を務めておられる。



 
2009年8月3日(月) 盆踊り
 最近、近所でふたつの盆踊り大会へ出かけてみた。一つ目は近くの上郷東公園で催された盆踊り大会で4月10日にはお花見に行ったところだ。せんちゃんは五所川原のお祖母ちゃんが作ってくれた甚兵衛を着て出かけた。ここへ引っ越してきてから20数年になると言うのに私は盆踊りに出かけるのは何と始めて。妻もここへきて10年になって初めての盆踊りに大喜び。せんちゃんは片道1キロあるかないかの距離だけれど、家を出てすぐの階段98段もものともせず、抱くこともなく1人で歩いた。行ってみると沢山の出店もあって雰囲気は盛り上がっていた。東京音頭や炭坑節などが賑やかに鳴り響く広場は人々で溢れそうになっていた。我々は焼き鳥と焼きそば、それに生ビールを買ってごきげん。いやぁ、血糖値が気になってこの一ヶ月間休酒中の私のノドは大喜びでもっともっと、と言う声が聞こえたけれど、二口口三口でやめておいた。
 もう一つは桂山公園の盆踊りで、こちらは片道2キロくらいはあってちょっと遠いのだけれど、せんちゃんは往きも復りもちゃんと1人であるいのたのには驚いてしまった。往きなど登り坂の連続で、けっこうきついと言うのに。ベビーカーも用意していったので何度も乗る?と聞いてみたけれど「あるくのっ!」という返事しか返ってこなかったので結局使わなかった。 こちらでは生ビールを紙コップ一杯飲んでしまった。うまかったなぁ! せんちゃんは帰って来てから早速聞き覚えた「あら、よいよい」を調子よく何度も歌っている。
 随分昔のことになるけれど、石神井に住んでいた中学生のころには毎年盆踊りを楽しみにしていたことを思い出した。とは言っても踊るわけではなくて雰囲気が好きのだけれど。同時に催されていた余興も面白かった。全国から芸人が来て珍しい出し物がいっぱいで、テレビも無い時代だったから最高に楽しみだったのだ。



 2009年7月14日(火) ユルンヤコブ・ティム! 34年来の友情
 ユルンヤコブ・ティム! 初対面から34年、この間親密なお付き合いを重ねて今回もまた一緒に演奏できるチャンスに恵まれて私のフルート人生は幸せに満ちている。いつもの通り奥さんのアンゲリカも一緒だった。彼女はフルーティストである。3年ぶりだったから私が今使っている木管は初めてみたわけである。演奏会の後、以前のフルートよりも音が良いね、と言ってくれたのはとても嬉しかった。
 ユルンヤコブ・ティムはご存じライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のチェロ首席奏者である。彼との思い出が多いけれど印象に残るのは何と言っても旧東ドイツの体制が崩壊する直前の1989年の10月の時であった。危険な状態とも言えるこの時期に聖トーマス教会の隣にあるボーゼハウスや、チューリンゲン地方を演奏しながら回っていたのだ。私が帰国した直後にベルリンの壁は崩壊したのである。
 今回のコンサートは可児市の花フェスタ記念公園の花のミュージアム内にあるホールで行われた。ユルンヤコブ・ティム氏とは数年前にも行ったことがあるところである。会場の響きが心地よく、大きさも二重奏にはぴったりで気持ちよく吹くことが出来た。これだけの名人ともなると一緒に音楽する歓びや楽しさがひとしお感じられてほんとうに幸せであった。ちょうどイタリアから一時帰国しているフルーティストの大熊理恵子さんとも久し振りに会えたのも嬉しかった。実家が岐阜なので1時間ほどで来られたそうである。風邪気味だと言う割には元気そうだった。残念だったのは演奏後の食事会の時、出来れば無音室でリラックスしたい時に余興で楽器を吹いた人が居たけれど、これには参った。
 ここは名古屋に近いので母に会うことが出来たのも嬉しかった。母はとても8月に97才になる人とは見えないくらい若い。一緒にマンダレーへ行ってミャンマー料理を食べた。「しんちゃん、今度はいつ会えるの?」と何度も言う母の言葉は耳にしみる。次に会えるのは8月だ。



 2009年7月5日(日) 散歩道に咲くカンナの花
 しばらくサボっていた朝の散歩を再開した。今日で三日目だが、今日歩かなかったら三日坊主にもなれないからやめるわけにはいかないのである。朝は鳥たちが賑やかだ。ホトトギス、コジュケイ、ウグイス、それに声帯が壊れたんじゃないかと思うようなキジバトの鳴き声を聴きながらの散歩は実に楽しい。
 早朝5時には家を出る。基本的なコースは栄プールまでの往復である。栄プールで少し休んでからUターンして、帰りには違う道を歩いて帰る。小一時間のこのコースは大体6000歩くらいになる。コースはいくらでも選べる。その日の気分によって決めることにしているけれど、どのコースの場合も往きは登りで復りは下りだから野口雨情の「通りゃんせ」のように「いきはよいよい帰りは怖い」の反対になる。この写真は栄プールに至る軽い上り坂で左側にサクラが、右側にはハナミズキが植えられていて毎年春には目を楽しませてくれるが、ハナミズキは1912年に当時の東京市長がサクラの苗木をワシントン市に寄贈したお返しに1915年に贈られたというから、この道は言わば日米友好ロードと云えそうだな、何てことを思いながら歩いている。カンナの花の黄色もきれいだけれど、葉の緑もきれいだ。生命力に溢れている。
 栄プールの広場には合歓の木が1本生えていて今が丁度満開になっている。見れば見るほど不思議な花だ。葉は夜閉じると言うけれどまだ見たことがない。見たいけれど夜中に行くのはちょっと怖いな。
 こんなに早い時間だというのに歩いている人はけっこう多い。この人達は私のようにゆっくり歩いているのではなく、両手を歩調に会わせて胸元あたりで振りながら足早に通り過ぎていく。“散歩のプロ”とも云えそうである。
 散歩をしていると色々な場面に出会う。昨日は柿の木の下に直径3センチくらいになった実が落ちていたので持って帰って玄関に置いてみた。まだ青い実を見ながら小さな秋を見つけた気分になった。それにしてもモバイル基地のなんと多いことだろう。コースの途中には狭い範囲に4本も建っているところがある。造る側も造られる側も無頓着なのだろうか。




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