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過去の日記帳 2015年7月 〜 9月

写真ははずしました。



 2015年9月28日(月) スーパームーン!
 ベランダには夕方5時前から早々とカメラをセットしました。



 2015年9月27日(日) 明日はスーパームーン
 明日の横浜地方の月の出は17時40分だ。
 予報では晴れたり曇ったり。晴れてくれ!
 月の撮り方は熟読している。うまく撮りたいなあ。
 スーパームーンとは言って普段の見え方とは極端な違いがあるわけでもないのだけれど。
 レンズはNIKKOR-H Auto 1:4.5 f=300mm 、40年以上も前に買ったレンズ。



 2015年9月15日(火) N響団友オケ本番の後で
 13日に松戸の森のホールで催されたN響団友オケの本番は午後四時過ぎに終わった。じゃ、上野辺りで一杯やろうか、と意気投合した「呑み仲間」は上野のライオン西郷会館店へと向かった。メンバーはフルートの浅見克江さん、オーボエの石井由紀さん、ヴァイオリンの青木知子さんと濱田彰子さん、それに私だ。メニューは2時間飲み放題に決定、美味しいナマをじゃんじゃん飲み始めた。料理も美味しそうであったが、私は痛無風患者中だから、極力植物系のものしか食べないよう気をつける。コンサートで吹いたマドンナの宝石。あの最初の音、恐怖におののきながらピアニッシモで吹くフルート鬼門ともいえる高いミの音を出すために前々からどれだけ神経を使ってきたことか。それにビゼーのメヌエットもあったから緊張感から解放されたゆるみで「呑み」は進んだ。気心知れた仲間だから気兼ねなく様々な話題に盛り上がる。そのうちに誰かが龍角散ののど飴を出して口に含んだ。それを見た私は「お、そうだ、龍角散の藤井隆太社長を呼んじゃえ」と携帯で呼び出しをかけた。龍角散本社は上野からほど近い千代田区東神田だ。桐朋時代の私の教え子である藤井社長は心良く「直ぐに行きます!」と私の呼びかけに応じてくれた。もう一人呼び出しに応じて駆けつけてきたピアニストの浜野範子さんも交えて七人の大所帯になった。藤井社長は美味しい葡萄酒をじゃんじゃん追加注文をしてくれて皆大喜び。いやいや楽しかったこと。呑み喰いは盛り上がりまくって終わりたくはなかった。けど、閉店の10時(ウイークデーは11時閉店)も過ぎたので店じまいを宣告されてしまった。もう5時間以上も呑んでいたのだ。名残を惜しみながら解散とあいなった。ああ、問題はその後に起きたのだ。上野東京ラインができたので、上野から港南台ま各駅停車の根岸線経由よりも大船経由で大幅に時間短縮ができるから便利になったもんだよね、なんて云いながら下り小田原行きに乗り込んだ。、、までは良かったのだけれど「オオイソ〜」という車内アナウンスに目が覚めた。前日は緊張感からか3時間しか寝ていなかったから睡魔に襲われて上野駅で乗った直後から眠ってしまったらしい。乗換駅の大船はとっくに過ぎていた。これはうかつであった。大磯から次の二宮までの長かったこと。着くが否や上りの時刻表を見る。しかし、しかし、終電はもうとっくに出てしまったあとであった。ここには何も無いから、小田原まで行ってなんとかしてください、と言う駅員に進言に従って、次の下りで小田原まで行った。小田原駅では終電が出てしまうと改札口もシャッターが下りてきた。なんともやり切れない気持になってしまった。 小田原駅には西口と東口を繋ぐ東西自由通路(アークロード)というのがあって、ここの途中に改札口がある。私は改札口の真ん前にあったベンチに腰をかけて、下りてくる改札口のシャッターを見ながらなんとも言えない気分になった。さてこれからどうやって始発が出る4時半迄の三時間半くらいを過ごそうかと思案をしていた。すると駅員が私のところやってに来て「ここに居るのはダメ、どこか他に行ってくれ」という。一晩中通れるこの通路が何故ダメなのか、いくら言っても市の条例だからだ、と後に引かない。私「どんな条例なんですか?」駅員「どんなと云われても決まりだから仕方がない」の一点張り。諦めたのか駅員は私から離れていってしまった。ところが良かったと思ったのは間違っていた。駅員は警察官を呼んでいたのだ。数分したら警察官が二人もやってきて「ここに居たらダメだ。他へ行きなさい」「一晩中通れるところにある明るくて風がなくて温かいベンチに居て何故いけないのですか」「市の条例だ」と駅員と同じ事を云う。「困っているのに親切じゃないですね」「条例だから云うとおりにしなさい」「一体どんな条例ですか、条例の何条に書いてあるのですか?」すると警察官は「むにゃむにゃとなにか分かりにくい事を云ってる」。 これが権力なのか。私は逆らうのが嫌になって「困っているのに親切じゃないですね。仕方がないから行きますよ、ちなみに名前を教えてくれませんか」と云うと、一人がしぶしぶ小田原警察署の杉山だ と教えてくれた。「写真を撮っても良いでしょ?」というと「やめてくれ」。でも記念?だからと云いつつレンズを向けてシャッターを切ったが、邪魔をされて残念なことにブレたお腹の辺りしか写っていなかった。それから仕方なく外に出た(ここの階段は60段もある)。結局小田原の始発4時30分まで一睡もすることなく、駅の近辺をぶらぶらと歩き回って時間を稼いでいだ。ところが更にが腹が立ったのはそれからだった。始発が出る30分前に改札口のシャッターを開ける、と聞いていたので4時に行ってみると、駅員も警察官も居ない静かな通路のあちこちにあるベンチにはごろごろと人が横になって寝てるじゃないか。なんだい、あいつらがうるさいのは勤務時間中だけなんだ。10分もしてからここに来たら良かったのかな。腹が立つよね。この駅じゃきっと毎晩こんな意地悪なことをやっているんだろうな。 上野駅から自宅まで、8時間近くもかかってしまった。あははは。 
おまけ
7年前の警官少女買春事件もみ消しが発覚 ●小田原警察署副署長が女性記者の体触る ●性欲の抑えが利かなくなる職業?
神奈川県警は不祥事ばかり ●小田原署の副所長がセクハラ ●警察官等不祥事



 2015年9月6日(日) 玉虫 みっけ!
 おお!タマムシ! 三十数年間今のところに住んでいて、玉虫をみたのは初めてだ! 昔、石神井に住んでいた頃には良く見かけたものだけれど、最近は全く珍しい昆虫になってしまった。
昨日はせんちゃんと散歩に出かけて、数キロ歩いた雑木林の所で見つけた。私も興奮してしまった。憧れの玉虫だったから!改めて見ると、なんと不思議な色をした昆虫であろうか。天敵であるはずの鳥は玉虫が放つ色を嫌って近寄ってこないとか。そうだったらもっと沢山居ても良さそうだと思うのだけれど。
 玉虫厨子の話しを教えて貰ったのは小学校の時だったかな、中学の時だったかな。法隆寺に行くと、必ず大宝蔵院で玉虫厨子を見る。3万6000枚もの羽根を使ったという復刻版の厨子があるので、昔を偲ぶことができる。
 玉虫とはちょっと違うが、又の名を道教えというハンミョウも綺麗な虫だ。これも滅多に見ることはできなくなってしまったけれど、一度だけ近所の山道で出会ったことがある。(写真はせんちゃんが捕まえた玉虫)



 2015年9月2日(水) オニヤンマ
 オニヤンマは我が国最大のトンボだ。子供にとっては憧れの昆虫の一つだろう。一番大きいのは10センチを超えるものもいる。小学校の頃は竹棒の先に鳥黐(とりもち)を塗りつけて追いかけ回していたものだ。今、うちの近所ではシオカラトンボ、オオシオカラトンボ、ハグロトンボ、アキアカネ、イトトンボ、などはよく見ることがあるけれど、オニヤンマはめったに見ることがない。ところが今回の長い旅行中にはあちこちで沢山みることができた。せんちゃんは興奮気味に蓼科でも新潟県の浦佐に行った時にも沢山捕まえた。特に蓼科では一度に15匹以上も捕まえて大喜びだった(その日のうちに逃がしてあげている)。トンボは肉食だが、何とオニヤンマはあの恐ろしい鬼のようなオオスズメバチを捕食するというから驚く。セミなども補食する。なんと獰猛なトンボだろう。
 クマゼミが鳴き始めて10年以上になったろうか。それまではミンミンゼミの天下だったのだが、これも気温が上昇したからだろう。石神井に住んでいた中学生のころは昆虫採集に夢中だった。私がつくった標本は金賞をとったこともある。ある日昆虫採集で広い畑を横切っているときに沢山の縄文土器の破片を見つけたことがあった。これも標本にした。三宝寺池の近くにはセミの研究家加藤正世が住んでいたので、良く標本を見に行ったものである。十円の入館料を払って部屋中に展示してあるおびただしいセミの標本に見入っていた。そう言えば隣の大泉学園には植物博士の牧野富太郎も居たけれど、こっちには行ったことが無かった。
 子供なら虫好きは当たり前かもしれないけれど、大いに遺伝もありそうだ。



 2015年8月26日(水)  走行距離2000キロを超えた旅行 痛無風つうむふうも体験!
 先月の7月31日に出発して8月19日に帰ってくるまでの三週間、愛車BMW6気筒は実に心地よく走ってくれて気持がよかった。家を出発してから→蓼科→野辺山→原村→小諸→浦佐→湯野浜温泉→五所川原→仙台→帰宅、と今回の旅行は走行距離が2000キロを超えるという長距離。
 蓼科では山岸美喜さんのお宅で8月1,2日の二日間に渡って行われたホームコンサートで演奏したのであるが、両日とも沢山の人達が来てくれて温かい雰囲気の中で気持良く吹くことができた。ピアノの浜野範子さんも大いにのっていたようだ。アンコールは和服に着替えた山岸さんが奏でる鈴にのって外山雄三さんのラプソディーから馬子唄を演奏したが、蓼科という場所にとてもよく似合っていたと思った。通信仲間の押尾正久さんも来てくれたし、山岸さんの友人小田切知恵さんと乾真理子さんも雑用をお手伝して山岸さんを助けていたようだ。しかし、ここでの雷雨は凄かった。至近距離にじゃんじゃん落雷。庭に置いてあるものが突風で遠くまで吹っ飛んだりでとても恐ろしかった。
 演奏を終えた翌日はかねてから一度行ってみたかった国立天文台野辺山宇宙電波観測所に行く。その後、蓼科まで帰るはずが、近くにお住まいの外山雄三さんのところへ自然にハンドルが向いてしまった。分かりにくい場所だけど迷うこともなく辿り着いた。ご在宅らしく車が駐まっている! 電話をかけた、、「えっ!?家の前だって!すぐに出ていくから!」と驚いたような外山さんの声。約束もしていなかったのに、そんな訳で外山さんご夫妻と数年ぶりでお会いすることができたわけである。とてもお元気のようだった。急なことだったので外での立ち話だったけれど、とても嬉しい時間だった。こんどはゆっくり来てね、と言ってくださった。
 その翌日は原村に住んでいる春山直英さんのお宅へ行く。我が家のチェンバロを作ってくれた人である。11月15日に比叡平の「比叡平アートスペース柚」で春山夫人操さんとデュオコンサートがあるので練習も兼ねての訪問であった。ここで御馳走になった信州牛の鉄板焼きは最高に美味しかったな〜。翌日の朝は片道4.2キロ、標高差にして237メートル登った標高1660メートル位のところにある「阿弥陀聖水」へ案内して貰った。美味しい水を飲んだ。この付近は蝶が非常に多く、アサギマダラ(写真)やミヤマシロチョウ、ツマグロヒョウモンなどが乱舞していた。もちろん捕獲は禁止だ。
 次の宿泊地小諸では懐古園に隣接したホテルに泊まったのだが、このころから足の親指付け根あたりがギンギン痛くなってきた。実はいつ発作が来てもおかしくないような予感はしていたんだ。ホテル近くの内科で診て貰ったけれど、言わずと知れた痛風。(風が吹かなくても充分に痛いので、私は《痛無風》と云っている)こいつの痛さったらない。まだ経験していない人は是非この激痛を味わってもらいたいな、素晴らしい痛さだから。
 翌日は浦佐に入った。親友マクレラン牧子さんのところで恒例になっている夏のホームコンサートのためである。ここでも東京や大阪からなどの遠方から大勢の人が集まって改めて牧子さんの交友関係の広さに驚く。5月に八海醸造での大呑み会の時に初対面だったY子さんご一家も来て下さって再会を果たした。嬉しかった。ところで済ませてあったはずのピアノの調律がどうも思わしくない。蓼科では私が調律をしたのでちょうど道具を持っていたから牧子さんのピアノも私が調律をすることにした。いつものヴェルクマイスターだ。牧子さんに気に入ってもらえて嬉しかった。会が終わってからの牧子さんの手料理がいつもの通りもの凄い。足が痛いのに我慢が足りなくて自家製の絶品豚の燻製やビールやお酒も頂いたが、さすがに気になって量は少なめ。
 浦佐を後にしてからは山形県の湯野浜温泉で一泊、海で遊んだり、クラゲの水族館として有名な新装相成った鶴岡市立加茂水族館を観たりしたのだが、とにかく足が痛くて引きずるようにしてしか歩くことができなくて辛かった。
 湯野浜の翌日は約一年半ぶりでいよいよ妻の実家五所川原に到着。ジジとババ、結花の妹さん一家と共に最高に美味しい手巻き寿司をいただいた。しかしあまりの痛さのために滞在した一週間はほとんど横になったまま、痛い方の足を高くして動くことができないまま過ぎてしまったのは情けなかった。
 出発の日、一気に帰るのはキツイのでベストウェスタンホテル仙台に泊まった。ここは二度目だったが、きれいな夜景に心が和んだ。
 そのうちに今回の旅行の写真を整理してPhotographにアップしようと思っております。



 2015年7月4日(土)  銀座の「ゆうき丸」で喜寿を祝っていただきました。
 10日ほど前にフルートの浅見克江さんから電話がかかってきた。アトリエ ヤナギサワの柳沢智郷さんと二人が発起人になって私の喜寿のお祝いをしてくれる、という。うわぁ〜うれしいなぁ!
 7月4日に銀座8丁目にある八丈島の島料理店「ゆうき丸」に集まったのはフルート制作者の柳沢智郷さんご夫妻と団友オケでよく手伝ってもらっているフルートの浅見克江さん、柏からはピアニストの浜野範子さん、甲府からは3月にホームコンサートで一緒に吹いた本多世里香さん、そして富士市からはパソコン通信時代からの友人でフルートを吹いたり吹奏楽の指揮をしているお馴染みの押尾正久さん、アマチュアでプロ並みのフルートを吹く山下博央さん、川越からは学生時代から山下さんとペアを組んでいて素晴らしいピアノを弾く本山佐知子さん、それにレッスンに来ている鎌響でフルートを吹く曽根美樹さん、私の一家で総勢12人だった。しこたま飲んじゃった。寄せ書きも頂いた。もう嬉しくて楽しくて美味しくて、最高の会だった。
 傘寿まで生きていたら、またやってもらえるのかな? 

  (^.^)



 2015年7月3日(金) 喜寿だって

大好きなBIGOTのケーキで喜寿のお祝い。

戸籍では七日なんだけど、本当は今日(三日)だと、親は云ってた。
こんなに長生き、するはずじゃなかったんだけど。

今日、私が吹いていた頃(1984年3月7日、私が46才)のN響の演奏でマタチッチの指揮によるブルックナーの第八番を聴いた。
感動した。



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