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過去の日記帳 2004年1月 〜 3月

写真ははずしました。



 2004年3月29日(月) 光徳寺へ
27日の朝に港南台の駅でチェロの富永さんと待ち合わせて一路車で光徳寺へ向かう。コースは関越道→上信越道→長野道→北陸道を経て砺波インターで下り、そこから約20分で光徳寺へ到着。ここで京都で仕事中の鷲宮さんが仕事の合間をぬって駆けつけてくれて合流した。480キロくらいだったが、これが以前の東名から米原経由だと700キロくらいだったから近くなったものである。28日の演奏会には沢山の人が聞きにきてくださって本堂は一杯になった。前にも書いたことがあるが、演奏する場所の床を畳からオーク材に変えてから、音響が見違えるように良くなったのでやりやすかった。さて、次は比叡平で春山夫人とのコンサート、いよいよトラヴェルソだぞ!!



 2004年3月23日(火) 春山操さんと練習
春山操さんが我が家へ泊まりがけで来てくださり、二日間練習しまくった。4月3、4日のプログラムはなかなか大変だ。私がおこなったアナリーゼやフレージングにしたがって、一楽章、一曲ずつ仕上げていった。春山さん夫妻と知り合ったのは72年ころで、もう随分長いお付き合いになるから気心が知れ合っており練習もすいすいとはかどっていく。チケットは追加公演も含めてほぼ完売となったそうである。練習が終わった頃に東京で仕事を終えた我がチェンバロの生みの親である春山直英氏が寄ってくださり、しばしの団欒の後、夫婦そろって愛車のBMW-Z3で比叡平までお帰りになった。次回の練習は本番の二日前から今度は比叡平の春山さんのお宅でおこなう。このチェンバロは今年成人式を迎えた。 (本番で使うのは別の楽器です)



 2004年3月21日(日) バッハの誕生日
319年前の今日、Johann.Sebastian.Bachが生まれた。89年の秋に私は旧東ドイツを「城めぐりコンサート」の仕事でチューリンゲン地方を廻っていたが、その時にバッハが生まれた町アイゼナハへ寄るチャンスがあった。アイゼナハはルターが1522年に新約聖書をドイツ語に訳した事で知られている町でもある。この町のフラウエンプラーン(Frauenplan)21番地に1906年に新バッハ協会が入手したと言う美しい建物があり、ここが「バッハ記念館」(Bachhaus)になっている。ここを訪れた時は夕闇がせまっていた時間でゆっくり出来なかったことが悔やまれる。次回ここではたっぷり時間をもって訪れたい。ここが生家と言われることがあるようだが、それは間違いで生家は現存しない。この旅行中にライプツィッヒの聖トーマス教会に隣接するバッハ博物館があるボーゼハウスでバッハを演奏できたことは生涯忘れられない思い出となっている。そのバッハの誕生日の今日、プログラムの中でバッハのソナタロ短調とト短調の2曲を吹く。これも幸せな事である。また来月の3、4日には比叡平で春山操夫人との共演でトラヴェルソを吹く。フルートとは全く異なる指使いでまごついてはならない。(トラブルソにならぬように!)吹けば吹くほど答えてくれるトラヴェルソは実に可愛いらしい楽器である。「音楽の捧げもの」を吹けるようになったら、嬉しいな。



 2004年3月14日(日) 大出學さん
出さんと私はパリで同じ下宿の廊下をはさんで向かい合った部屋に住んでいた仲だ。我々はいまだにお互いを「オワド」「コワド」と呼び合っている。その訳は私がフランス政府から給費をもらっていたわけだが、最初に給費の事務所へいった時、書類に自分の名前を普通にKoideと書いて提出したために「ムッシュコワド」と呼ばれてしまって以来の事なのだ。ムッシュコワドという呼び出しの声を聞いてぽかんとしていたが、すぐ私だと分かって慌てた。コイデと発音してもらうためにはKoïdéと書くべきだったのだ。(ïéに注意)この事が後で大笑いになり、以後小出がコワドならば大出はオワドとなったわけである。大出さんは美術(評論)が専門だからパリやヨーロッパをあちこち旅行して美術館へ行った時などはいろいろ教えてくれて勉強になった。また彼は音楽も好きで(猛烈に詳しい)、よくコンサートへも一緒に通った。我々はアルコールが大好きだから下宿での食事の時にはワインは欠かせない。しかしそれがすぐにカラになってしまうのである日、では明日は二本買っておこうよ、と云うことになった。ところがそれでも結果は同じだった。ではコニャックにしようか、と言うことになった日もあったが、またまた同じ結果になったので、以後は少し慎むようになった。
その大出さんと乾漆輪華盛器で伝統工芸展入選の畠中博子さんと私たちの四人で横浜の中華街の四川料理店へ行き、久しぶりに大いに語り合った。この日に飲んだのはビールのジョッキーを一杯づつと老酒をボトル一本だけだった。旨かった。■大出學(おおいで・がく)1941年、東京生まれ。65年、早稲田大学文学部卒業。主要著訳書に『ダダ・シュールレアリスム演劇年表』、Ph・ロベール・ジョーンズの『イカロスの墜落』、ポール・ラフォンの『ヒエロニムス・ボッス』や『ルイ・ルルー作品集』などがある。



 2004年3月8日(月) 堀口大學と団伊玖磨を記念するコンサート
葉山町と縁の深い堀口大學と団伊玖磨を記念するコンサートが葉山町福祉文化会館で催された。私は「マレー乙女の歌へる」という不思議な雰囲気の作品の演奏を尾高惇忠さんのピアノ、綾子夫人の歌で終えてから後は会場で聴いた。満員で立ち見もでる盛況のなかで、明照幼稚園、葉山小学校、葉山少年少女合唱団、葉山町合唱連盟、と地元のコーラス総出演、それにこのコンサートのために編成されたオーケストラの演奏などか総て好演だった。とりわけ子供達の歌声に感動した。「夕鶴」でつうを歌った上条恵衣子さん、与ひょうを歌った湯川晃さんも素晴らしいでき



 2004年3月5日(金) 
夢をよく見る。 でも大概の場合は「夢でよかった!」というようなものばかりなのは何故だろう。せっかくだからもっと良い夢を見たいのに。外国か国内をオーケストラで旅行している。開演時間がせまっているのに到底間に合わない遠い所に居る。焦る、あぁどうしよう、もう開演だぞ、なのにまだまだ会場は遠くて場所さえはっきりとしない。苦しさのあまり目が覚める。又こんな夢も見る。コンチェルトを吹くことになっているのに当日になっても全く練習ができてない、ああ困った吹けない、焦る、それに何故か自分のフルートが無くて、見たことも吹いたことも無い壊れたような楽器しかない。あぁ開演だぁ、、この後、ステージに出て吹くところまで見ることがある。その辛さよ。こういった夢は本当にしょっちゅう見る。いやだな。目覚めてからもしばらくの間は夢の余韻が残っていて辛い。これは一種の職業病なのだろうか。また、たまにだが空を飛ぶ夢もみる。これは実に素晴らしい。高圧線の鉄塔がはるか眼下に見えている。その上空を私は競泳でクロールが得意だったのに何故か平泳ぎの姿勢で両手を左右に大きく広げ、グライダーのように滑空する。気分は最高!この他でよく見るのは、自分のクルマが停めておいた所に戻っても無くなっている夢や、目もくらむような崖っぷちにしがみついて、あぁ落ちる、、という絶対に見たくない夢。普段お目にかかれないような凄い料理を前に酒を飲みながら、「あぁ、幸せだなぁ」 というような夢は、何故か一度も見たことがない。



 2004年3月4日(木) ホームページ2
今日は記念日!2002年の今日がこのホームページが完成してアップした日だ!毎日書き直していたので、めまぐるしくレイアウトも変わっていた。そのころのを見るとこんな表紙でこんな部屋もあった。なんとも懐かしさで胸が一杯になる。今まで訪問してくれた人たちに感謝しなければならない。Merci beaucoup!先日2月17日の日記に登場してもらった山下博央さんは最初にアップした時以来ずっと見守ってくれている。感謝の気持ちもひとしおだ。彼の助言によって、ここまで来られたのだ。最近も色々なブラウザに対応するようなタグを考えては書き直している。 Internet Explorerは寛大だが、NetscapeやSafariは間違いを許してはくれないようだ。とにかく、まだまだ素人なのだ。



 2004年3月1日(月) ホームページ
ホームページなるものを初めて作ったのがちょうど二年前の3月だった。そして4日には丸二年になるが、今日カウントがついに3万の大台に乗った。勿論自分がアップするときにもカウントされている場合もあるから、この数字が全部ではないのだが、それにしても大変に嬉しい。今までレイアウトを変えたりする都度バージョンナンバーなんか付けちゃって全部保管してあるが、初めの頃の何と幼稚だったこと!見るのも恥ずかしい。こうして一歩一歩進んできたわけだが、途中、好奇心から変わったことをやってみたことも何回かあった。でもやはり今後はできる限りマトモでいきたいと 思う。


 2004年2月28日(土) 江ノ島
うららかな陽気に誘われて近所の親しい友人ご夫妻と鎌倉と江ノ島へ行って来た。実はこの話し、二年前からの約束だったのだ。九時半に家を出て山道への登り口で集合した我々はそこから歩き始めた。約一時間半で最初の目的地の瑞泉寺へ着く。境内には梅が咲き乱れていた。参拝者がさかんにシャッターを切っていたが、最近ほとんどデジカメだ。我々はさらにここから約三十分歩いて鎌倉駅まで行き、江ノ電に乗る。これは楽しかったな。なにしろ民家の軒先すれすれを走っていくのだ。江ノ島に着くと目的の店で昼間から一杯、ということになった。地魚料理は旨かった。帰りはモノレール、根岸線と乗り継いで港南台駅で解散、そこから歩いて帰宅した。万歩計の数字は19932だった。



 2004年2月27日(木) 花祭り音楽会の練習
昨日は3月28日に富山県福光町の光徳寺で行われる「花祭り音楽会」の第一回目の練習だった。メンバーはピアノの鷲宮さんとチェロの富永さんと私である。練習した曲は、ウェーバーとハイドンのピアノトリオなどであった。この2曲ともピアノが大活躍だ。鷲宮さんの綺麗な音が冴えていた。アンサンブルは楽しい! これからもじゃんじゃんやっていきたいな。



 2004年2月26日(木) HPのURLとメールのアドレスの変更
こんどホームページのURLとメールのアドレスを変更した。
http://www.koidessimo.com の koidessimo.com が、ちょっぴり格好いいかな?
ホームページの中でのリンク先の設定を総て書き直すのはなかなか面倒だったが
設定を終えてからアップするときにはドキドキした。
今までのURLは自分でも覚えるのが面倒だったけれど、今度のはもう覚えちゃった。
覚えられやすいのはきっと良いことだな。



 2004年2月25日(水) 横浜栄共済病院
今日は横浜栄共済病院で吹いてきた。入院患者さんや付き添いの方が沢山聞いてくださった。ピアノの安さんとのアンサンブルはとても心地よかった。終わってから感じたことは、あぁ、これも大きな生き甲斐だなぁ!ということだった。少しでも私からエネルギーを上げることができたならば嬉しいな。安さん、今日はわざわざ遠方からありがとう!



 2004年2月22日(日) Boeing747-400
ジャンボジェットのBoeing747-400、この写真は斜め前からのものだが、真正面から見ると実にムツゴロウと似ているのだ。威張っているようでどこかユーモラスに見えて可愛らしい。さてこのCHINA AIRLINESの747-400に乗って三泊四日の短い期間だったが久しぶりに香港へ行って来た。鳥インフルエンザの影響で北京ダックにはありつけなかったのは残念であったけれど、旨いものは他にも沢山あるので心配はなかった。食在広州が今や更に食在香港とまでに言われるようになったそうだがさすがに頷ける。飲茶の點心となると千種類近くもあるそうだ。これを総て食べてみたいものだ。香港の写真はまもなく写真館に出そうと思っている。



 2004年2月18日(水) ホームページがまる二年目
来月の四日でこのホームページを世に出してから(大げさな!)まる二年になる。どうらや形ができてきたかな、と思うけれど、まったくブラウザというモノはそれぞれで表し方が異なるからどれを基準にするかはかなり面倒な作業だ。MacintoshのOSXで純正のSafariがあるが、これも個性的だ。私の場合、Internet Explorer 5.1.7 & Netscape 7.02 & Safari 1.2で動作確認と云うことにはなっているが、それでもそれぞれで妥協しているところがある。私の性格で几帳面に形を整えてやったつもりでも、場合によってはまるで崩れてしまったりすることになるから悔しい。私は世の中で最も多く使われているであろうInternet Explorerを基準にすることにしているわけだが、例えばフォントの種類やサイズや、その他諸々の設定などをユーザーによって好きなように設定している訳だからもうどうしようもない。でも規格は統一されても良いようなものだが。



 2004年2月17日(火) 山下博央さん
山下さんは某有名大学に推薦入学した程の秀才である。専門はドイツ語だが、フルートが大好きで私のところへは学生のころにレッスンに来ていた。その腕前は今でも進歩を続けており、音大生並かそれ以上と言う素晴らしいものだ。現在はWhat's on /Japanという名の海外向け英語ニュース情報番組を担当しているチーフ・プロデューサーであるが、実はこの山下さんが私がパソコンを始めた十年前から色々と助けてくれているパソコンの先生なのである。Macintosh であれWindowsであれ何でもござれの超達人。その山下さんが昨日久しぶりに夫人とともに我家へ遊びに来てくれた。我々男組は料理を食べたりお酒を飲んだりと同じくらいの時間、いやもっと長い時間をパソコンが置いてある部屋で過ごした。対処できないで困っている問題なども簡単に解決してくれるありがたい人なのである。頭の回転が早い彼についていくのはなかなか大変な事だが楽しい時間だった。★What's on /Japanは国内では衛星第一で日曜日の午前3時30分からと午前9時から放送されています。



 2004年2月12日(木) 外山雄三さんご夫妻と
指揮者の外山さんご夫妻には昨年の12月17日に我家に来て頂いたので、昨日、今度はお返しに私たちが招かれてアツアツの奥様と幸せ一杯の外山さんのお宅でご馳走になってきた。今までは音楽以外でこんなに親しいお付き合いがなかったので、とても新鮮な感じがして嬉しい。奥様の手料理とオーストリア産の白と赤葡萄酒が美味しかった。これでやめるわけにはいかないので、いつかまたお招きごっこをしようということになったので、次回が楽しみだ。それにしても外山さんは若い!その秘訣が少しわかったような気がする。



 2004年2月11日(水) 騒音大国日本
世の中は騒音に充ち満ちている。実にひどいものだ。暴走族、爆音をまき散らす改造車、選挙の宣伝カー、必要以上に大きい物売りの車からの音楽と声。電車に乗ろうと駅へ行くと、早く下りろだの、早く乗れなどとがなりたてる駅員の声、発車の時のイライラする音楽みたいなもの、あれは一体何だ。日本だけだろうな、こんなにやかましい駅は。携帯電話などは道路ばかりじゃなく、目の前に注意書きがあるのにもかかわらずJRの車内などでお構いなしに大声でやっている。周りに対する配慮などみじんも感じられない。嘆かわしいと言うべきか憂国と言うべきか。 喫茶店に行ってもレストランに行ってもデパートへ行ってもBGMで同じような目に遭う。スーパーにはひどいところがある。回り中から異質の音楽が同時に何種類も聞こえ、しかも大音量だから会話も出来ない場合がある。言語道断だろう。BGMは音量が大きすぎるだけではなくて、大概の場合はいわゆる名曲シリーズなどを使っているわけだが、これが終始全くテンポが変わらない機械的な演奏のものばかりで嫌気がさす。あれじゃ名曲を殺しているだけだ。しかし、たまにホテルのレストランなどで聞こえるか聞こえない程度の心地よい音量のBGMに出会うこともある。こんな時にはほっとしてセンスの良さが心から嬉しくなる。でも実はそれが当たり前の事なのだけれど。大体我々は名曲喫茶ならいざ知らず音楽を聞くために喫茶店やレストランやデパートなどに行くわけじゃない。BGMはその店のセンスを表している。関係の諸君、胸に手を当ててよく考えてくれたまえ。



 2004年2月9日(月) ジャン・ピエール・ランパル
ヨハネ・ペトロ・ランパル、彼の名を言い換えるとこうなる。昨日のN響アワーでランパルが1977年に演奏したハチャトリアンのヴァイオリン協奏曲を観た。改めてランパルの猛烈なるテクニックに圧倒される思いがした。このときは私も出ていたので思い出したことがある。その時の場面がちゃんと写っていたので気が付かれた人も多いと思うが、第2楽章で最低音のHが出てくる時の様子だ。 ランパルばかりでなくフランス人は音色の好みの問題で最低音Cのフルートしか使わない人が多く、ランパルも例外ではない。それであの部分だけランパルは頭部管を外れるギリギリのところまで引き抜いて吹いたのだ。こうしておいて指使いを半音高く吹くと実際に出る音は半音低くなるので最低音Cの指でHが出ると言う訳なのである。そのフレーズを吹き終えるまでの間、しばらくそのままで吹かなければならない。これを練習の時にランパルがやっているのを目ざとく見つけた私は、自分のフルートのH足部管をはずして指揮者の傍にいる彼に向かって投げる動作をしたら笑っていた。ランパルほどの名人になるともう演奏する曲もなくなってしまうのだろうか、ヴァイオリン協奏曲をフルートに編曲してまで吹いてしうまうのだから。でもこんなことは名人だからこそ出来ることだ。ランパルにまかせておこう。でないと下手にやっても決してヴァイオリンの名演奏に優る演奏ができるとは限らない事を知るべし。ちなみにアンコールで吹いたバッハの無伴奏ソナタの第三楽章、あれは繰り返しの後の再現部のところを最初と同じく、つまり実際の譜面には無い四小節間を余計に吹いたのだ。当時彼はよくそうやって演奏していた。アンコールの最後のところをちょっとだけ間違えてステージの脇に引っ込んだ彼がこっちを振り向いて、やっちゃったよ! というゼスチャーでイタズラっぽく笑って見せた顔を思い出す。そのランパルも今はもう居ない。



 2004年2月6日(金) ピアノの安さんが水戸から
2月24日の練習
今日はピアノの安さんが遠く水戸から我が家に来てくれて、月2月6日の共済病院での演奏の練習をした。安 弘子さんは私のホームページからの呼びかけに応じてくださり、今度の演奏に参加してくれることになった方だ。今回のプログラムも日本の歌も含めて優しいものにした。聞いてくださる人には喜んでいただけると思う。笛カナデツ 心カナデツ でいこう。



 2004年2月2日(月) 常滑
日頃古常滑の壺などを見ては魅力を感じていた常滑焼であったが、日本六古窯(備前、瀬戸、丹波、信楽、常滑、越前)であるにもかかわらず、ここだけは一度も行ったことがなかったので、仕事で行った名古屋の帰りに初めて寄ってみた。行ってみるとこれも時代なのか、往時の面影を残す煙突が淋しそうに建っているのみで、殆どの窯がガスや電気になってしまった現在もはやそこから煙は登っていなかった。ここの朱泥の急須はよく知られているが、他には特別見る物もなかった。



 2004年1月27日(火) 室内楽の打ち上げ会
去年の11月に北海道の標茶、釧路、厚岸に室内楽の演奏に行ったメンバー、ヴァイオリンの板橋健さんヴィオラの小野聡さん、チェロの海野幹雄さんが昨日我が家に来てくれて賑やかに盃を酌み交わした。これは北海道公演の時から約束していたものだ。海野幹雄さんの他はお酒好きであるが、特に板橋健さんは大の愛飲家として知られている。持て成しのお酒は我が家自慢の八海山大吟醸であったが、大いに気に入ってもらえた。話題の内容は真面目に音楽についてや、時として果てしなく下方へと、、、振幅大きく、大いに盛り上がった。



 2004年1月22日(木) ザ・フルート
ザ・フルート第68号( 2月20日発売 )の取材がある日だったからだ。午後2時に来てくださったのはこの写真のお二人。あれこれ考えていたけれど、いざ取材が始まってみれば気楽な感じだった。色々と質問されたのだが、喋りながら「あっ、今のところはカット」なんて言うところも多々あった。こうして取材をされてみると改めて自分がフルートを始めてから50年も経ったんだな、とつくづく思う。今度は仕事抜きで気楽に来て頂く約束をしたので楽しみだ。



 2004年1月21日(水) 
2月4日の立春にはまだ間があるから早いのかもしれないけれど、でも梅も咲いていることだし、春なのだ。辞書を見ると春とは草木の芽が「張る」や気候の「晴る」の意と書いてある。子供のころ「春が来た 春が来た どこに来た」と歌ったのが懐かしい。この歌、今の子供たちも歌ってるのかな。大体童謡って、今もあるのかな。春の色は青。青と言えば「青は藍より出でて藍より青し」の言葉。弟子が先生より優れることを云う言葉だが、残念ながらみながそうではない。私の親しい友人が云った言葉は面白い。親「この子に才能はあるのでしょうか、将来性はあるのでしょうか」友人「親くらいにはなれるでしょう」けだし名言。 親はこの一言で黙ってしまうらしい。(音楽関係者に非ず) 春が来た 春が来た どこに来た 〜 ♪ 、、、



 2004年1月20日(火) 林りり子先生の命日
今日は林りり子先生が亡くなられた日である。1974年の今日、先生はまだ49歳という若さで逝ってしまった。あの日から数えて早30年の月日が流れた。東京の天候もすこぶる普通じゃなかった。槍以外のものは何でも降ったような天候だった。冷たいミゾレ、凍った雨、雪、雷、etc. 先生からは常々「私が死んだら小出がずっと傍でバッハを吹いてくれよ」といわれていた。それで引きも切らない全国からの弔問客が訪れる中、延々と吹き続けた。もしも先生が生きていたら今どんな世の中になっていただろうか、と、ふと思う事が多い。先生が生きていたら今年で79歳になる。これは絶対に似合わないし、大体想像もできない。先生は49歳のまま我々の記憶の中に生き続けている。ところでその日の夜中、家に帰る道路は凍結し、スリップして動けなくなったクルマがあちこちに放置されていた。東京は実に坂道が多いのだ。こんな日が誰よりも存在感が強い先生には似合っていたように思う。私が中学3年生だった1953年、当時28歳という若さの先生の門を叩いてから21年間、書き出せばきりがない程たくさんの思い出ができた。いつか機会があったら書いてみたいと思っている。 合掌。



 2004年1月13日(火) 日本航空の機長松林利昌さん
親しくしていただいている日本航空の国際線機長松林利昌さんがこの度36年間活躍してこられた任務を終えて目出度く卒業された。松林さんはN響の海外公演の時にも我々が乗ったB747を操縦したパイロットなのである。昨日はその松林さんのお宅にワイフと共に招かれウキウキしながら出かけてきた。奥様の手料理は真心と愛情スパイスがたっぷり。次々に出てくる料理は美味しいだけではなく、器や並べ方にも凝っていて味わい深かった。食事をしながら好きな飛行機の話に花が咲く。なにしろパイロットは私が一番憧れている職業だから最新の話を聞きたいと興味津々なのだ。松林さんが1968年に入社してからの飛行時間は19,916時間だそうである。この内訳を見せていただいた。それによるとDC8 5,809 時間 43分B747 6,929 時間 47分B747-400 5,504 時間 22分その他 (当社機)1418時間 58分 その他 253 時間 10分 となっていた。分まで記録されているのだ。飛行時間とはどこからどこまでのなのか尋ねたところ、車輪が動き始めてから止まる迄のことなのだそうである。つまり駐機スポットから動き初めて、到着空港のスポットに止まるまでの時間と言うわけだ。36年の間多くの旅客を無事目的地に運んだわけである。心から苦労様と言いたい。



 2004年1月10日(土) 岳温泉の松渓苑
16日間に及んだ旅行の最終日は福島県岳温泉の松渓苑で心ゆくまでくつろいだ。
仕事の疲れを癒すのにはもってこいの良い温泉だった。松渓苑は初めてだったが、久々
のヒットとなる良い宿だった。良い宿があるものだ。これがきっかけとなって前から抱
いていた構想「好きなお宿」のページをつくることとなった。まだ一軒だけのスタート
となったが、予定しているところは沢山あるので、順次ゆっくり増やしていく予定。(詳しくは [ 好きなお宿 ] へ)写真は四代目現社長佐藤俊夫さんの娘の佐藤祐子さん。食事の時に我々のお世話をしてくださった明るくて健康的なお嬢さんである。(将来の女将?)卒論には何と地元の鬼婆の黒塚をとりあげたそうだ。



 2004年1月9日(金) 秋田県大曲市のコンクール
正月の7日と8日に催された大曲新人音楽祭コンクールは今年が第16回目である。大曲に着いた時になんと雪がなかった。これは地元の年輩の人も驚いておられた。今年の参加者は86名の予定が風邪のためか棄権者が十名ほどになってしまった。ピアノ、声楽、弦、管、打楽器をひっくるめての審査なので、受ける方としてはなかなか厳しいものだろうと思う。今年のグランプリは東京芸大でピアノを学ぶ山本佳澄さんが勝ち取った。まだまだこれからの人である。世界に向かって大きく羽ばたいてほしいと思う。



 2004年1月6日(火) ベッコアメのトップページに
今日、予告通りにベッコアメのトップページにここのホームページが紹介された。今旅行中なのでアクセスも思うように出来ない日々。4日から2週間の予定で始まったこの企画、順番が早かったので危うく見逃すところだった。予想では全部まとめて何人かが紹介されるのかと思っていたけれど、一回に一人づつだとは思っていなかった。 戸惑うやら嬉しいやら、今年のさいさきは良さそうだな。



 2004年1月1日(木) 今年も五度圏で
今年も五度圏でいこうよね (音楽の部屋の鍵盤楽器調律の項を参照)なんだか新年になっちゃったみたいだな。だからって別にどうってことないんだけど。一人暮らしの母は今年で満92歳になる。いつまでも元気でいて欲しい。去年に続いて今年も色々やることがある。一つ一つじっくり取り組んでいこうっと。前にも書いたことがあるけど私の練習量の法則 [ 重ねたトシと練習量は正比例する ]これを徹底しなくっちゃ。それと笛吹きは優柔不断だなんて不名誉なことを書かれないようにしなくちゃ、ね。今年も新たな気持ち、 Erstrebe noch schöneren Klang で行くべし! ワイフの里、青森にて。




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