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過去の日記帳 2007年1月 〜 3月

写真ははずしました。



 2007年3月27日(火) 三浦大根!
 初夏のようなぽかぽか陽気に誘われて「気持がいいから三崎に行こうよ」ということになり久しぶりに妻と三浦半島の先端にある三崎港へ出かけた。三崎港と言えばうらりという市場へ新鮮な魚を時々買いに行くところである。ところが今日は魚以外にも大きな収穫があった。三崎の近くになると左右に広々と畑が開けてくるが、この付近には道路沿いに農家が 直売所を設けているところが数カ所ある。いつも私達が注目しているところである。そこを通り過ぎる時に見えた大根が大きくて中太りの特徴のある三浦大根だったので、私達は同時に「あっ、三浦大根!」と嬉しそうに声をあげた。三浦大根は過去において何度も買ったことがあるけれど、今までこの時期に見たことはなかったはずである。売店に寄ってみると正しく三浦大根!予期しない時に出会えたので嬉しもひとしおだった(あと二三日で終わりらしい)。青首大根には申し訳ないが三浦大根の旨さと言ったらないのである。どう料理しても美味しいけれど、極上の豆腐は冷奴で食べるのが一番美味しいのと同様に、まずは生のままで味わうことにしている。一度食べたら忘れられない味である。この大根、秤に乗せてみたら何と6キロちかくもあった。これは今までの最高記録である。両手に大根を持って踊る名物東京農大の大根踊りもこの重量では儘なるまい。



 2007年3月26日(月) 東京ガス吹奏楽団
 東京ガスは1885年の創立だという。石炭から得ていたガスに替わって日本で初めてアラスカから液化天然ガスを導入した会社である。その東京ガスの社員で構成される東京ガス吹奏楽団との練習に東京ガス本社ビルへ行って来た。これは来る5月30日に東京オペラシティで催される第29回定期演奏会のための練習である。東京ガス吹奏楽団は全日本職場吹奏楽協議会に所属しており、東京都吹奏楽コンクール大会の職場の部で金賞をとったこともある名門。メンバーの中にはハープを弾く人も居るがエキストラではなく社員だと聞いて驚いた(更に驚くことにこの人はホルンも吹くそうである!)。当団のメンバーである指揮の神足勝英さんとは初めての仕事であるが、神足さんの奥さんは昨年の10月に韮崎のコンサートでベルトミューのロマンティック組曲などを共演した素晴らしいピアニストである。今回は吹奏楽との共演ということもあって滝口亮介さんという方が特別に編曲してくれた曲を演奏する。練習が行われた東京ガス本社ビルの27階の大きなガラス窓からは眼下にレインボーブリッジが見える大パノラマが展開しており、自宅からの眺望とは対照的に都会的な絶景だった。



 2007年3月25日(日) 無惨な台湾リスの被害
 リフォームのための足場や幕が取り払われたので久しぶりに寝室から外を見ることができた。すると裏山には皮が剥がれて裸になった痛々しい木々があちこちに見えているではないか。最初は枯れたのかと思ったが、でもなんだか様子がおかしい。すると妻が「これは台湾リスの仕業じゃないの」と言う。そういえば我が家のまわりだけではなく、この辺りでよく見かけるのである。ここに住んで二十数年、こんなのを見るのは初めてだ。台湾リスは鎌倉へのハイキングコースやこの辺りでもよく見かけるが、こいつの仕業だろうか。そんなことを思いながらネットでニュースを見ていたらYOMIURO ONLINEに台湾リスの被害が大きく出ていた。それによると被害が大きいのは横浜市の能見堂緑地、釜利谷市民の森、本郷ふじやま公園などと書いてある。しかし我が家付近もやられているから、被害は可成り広範囲に及んでいると思われる。野生化した台湾リスの生息の北限は神奈川県だそうだが、それが今年の暖冬によって活動が活発化し、木々を食い荒らしていると言うのだ。台湾リスに限らず生態系は大きくかわってきている。毒蜘蛛、コンクリートを食い荒らすシロアリ、かみつき亀、アライグマ、植物でもタンポポ、セイタカアワダチソウ、オオキンケイギクと枚挙にいとまがない。ここ数年アメリカではミツバチの大量死が問題になっているが、それが最近我が国でも確認されたと聞く。実に恐ろしいことになっているのである。今後はどうなっていくのか危惧を抱いている。
 ところでレオナルド・ダ・ヴィンチの傑作「受胎告知」が日本で初公開されている。そして今日3月25日は大天使ガブリエルが天から下ってマリアの前に跪き「アヴェ マリア」(こんにちはマリア)と言ったといわれる聖母マリアお告げの祝日(受胎告知の日)である。



 2007年3月19日(月) 足場の撤去
 昨年の11月に始まったリフォーム工事も昨日から足場の撤去が始まってようやく終わろうとしている。前にも書いたとおり彼らの動作は駆け足のように速くてきびきびしており、一人一人が与えられた役目を1秒の無駄もなくこなしながらあっという間に足場を解体していく。実にチームワークが素晴らしい。今回の工事を見ていて怖かったのは足場を組むときと解体の時であった。動き回る時に足場はゆらゆらと揺れているので気が気じゃない。これは高所恐怖症気味の私から見れば信じられないことである。冗談に「落ちたこと、ないですか?」と聞いてみたら「無いですよ、落ちたらここにいませんよ」と笑顔で答えてくれた。今日は立っているところから一段下に移動するところを見たが、何と足場の板につかまりながら外側にぶら下がるようにして降りるではないか。何という神経の持ち主だろう。恐がるどころかまるで楽しんでいるようなのである。写真を撮っていたら二本指をかざしてVサインをしてみせる人も居て天真爛漫そのもの。非常に明るい職場なのである。記録用に撮った写真は三百枚を超えた。



 2007年3月17日(土) Ma Mère Yoshiko
 母の家系での長寿記録を更新中の母は1912年、元号が明治から大正にかわってから僅か半月後に生まれて今年で95歳になる。その母が私を産んでくれたのは26歳の時だった。母と腕を組んで歩くのは照れ屋の私にはなかなか出来なかったのであるが、この年になってようやく平気になってきた。腕を組むとぐっと母を身近に感じるものである。15日にその母を誘って妻と三人でレストランで昼食をとり、恒例になっているカルフール南町田で買い物を楽しんだ。以前から我々が面白がっているのが国道16号線からカルフール方面へ曲がる交差点の信号に「南町田北」と書いてあること。これ、珍しい地名ではないだろうか。母はカルフールにある買い物用の手押し車が好きで、これにつかまって歩くと身体が安定するから嬉しいらしい。店内は広いからとても良い運動になる。カルフールはもともとフランスの会社だった(現在はイオンが経営)。帰りにレジに行くと西洋人の女性だったので久しぶりにフランス語を使ってみようと「僕の母です、94歳ですよ」と云ったら「スミマセン、フランスゴ、ワカリマセン」という答えが返ってきた。アメリカ人だったのである。そこで今度は英語で同じ事を言ったら「94歳、すごいですね!」と笑顔で答えてくれた。激動の時代に子供四人を育ててきた逞しい母、いつまでも元気でいてくださいね、頼みますよ!



 2007年3月13日(火) 上牧温泉辰巳館
 毎年暮れに催されるロッジ長蔵コンサートに集う仲間達が誘い合って水上インターからすぐの上牧温泉へ行ってきた。上牧温泉も辰巳館も初めてだったが辰巳館の山下清の大壁画 「大峰沼と谷川岳」を観るのが楽しみだった。辰巳館にはかわせみの湯、はにわ風呂、ひすいの湯、たまゆらの湯、鄙の湯、風月の湯と、沢山の風呂があって楽しめるのであるが「鄙の湯」などの一部は別料金が必要でちょっと残念だった。私は山下清の大壁画 「大峰沼と谷川岳」がある「はにわ風呂」が好きだった。源泉掛け流しの湯はクセが無く、適温でいつまでも入っていられるのでとても気持ちが良かった。入りながら大壁画を見ていると絵を描くことが大好きだった山下清の純粋な気持ちがひしひしと伝わってくる。この人は根っから絵を描くことが好きだったんだ。上手かろうが下手だろうがそんなことは無関係に本人はただ好きで好きで描いていたのだろう。山下清の温かい温もりが伝わってくる絵が好きだ。私は午前4時ころにも「はにわ風呂」に行って心地よい湯に身を委ねながらスポット照明が消されて薄暗くなった壁画を一人きりで長い時間ずっと眺め続けていた。ゲーテが「野ばら」で「飽かず眺めたつくづくと」と云ったように。思えば山下清をドラマ化したテレビの「裸の大将放浪記」というのがあったが、あれは山下清の描き方が気に入らなかった。腹が立つ場面も多かった。私は山下清の温もりに触れるためになるべく早く「大峰沼と谷川岳」の壁画を見に行きたいと思っている。廊下にも山下清の作品が数点展示してあった。(写真は楽しい夕食時に)「山下 清の公式サイト」



 2007年3月4日(日) 当ホームページ KOIDESSIMO 記念日
     = 160767(今朝までのカウント合計)
  最初のプロバイダ    現在のプロバイダ 

 今年もまた記念日がやってきました。2002年3月4日にスタートした当ホームページ KOIDESSIMO が今日でまる5年目を迎えることができました。この間沢山のアクセスをいただきましたことを心から感謝します。



 2007年2月28日(水) 尾高惇忠さんと
 昨日、作曲家の尾高惇忠さんと鎌倉で会った。彼とはパリ留学中に出逢って以来非常に親しい関係が続いている。我々の合い言葉は「なにか美味しいものを食べに行こうよ」である。しかし時間が無くてしょっちゅうと言うわけにはいかないが、昨日は久々に綾子夫人と息子さんと我々の五人連れだって鎌倉の大町にある「登茂ゑ寿司本店」(小町通りに分店がある)へ行って美味しい寿司をいただきながら大いに語り合ってきた。ここは以前尾高さんから教えてもらった気に入っている寿司屋である。昨日は運転は妻に任せることにしていたから心置きなくお酒(八海山だった)をいただきながら新鮮なネタを握ってもらった。話の中で2003年の秋に尾高さんが私のために作曲してくれたフルートとピアノのための二つの小品「ある夏の幻影」が出版されることになる、との話を聞いてとても嬉しかった。更にこの楽譜に一言添えて、との話が出たのは光栄なことであった。この日記を書いている途中、譜面棚から「ある夏の幻影」を出して吹いてみた。時間をおいて吹くと前とは違ったことに気がつくことが多いし、印象もまた新鮮に感じるものである。機会があったらぜひ再演したい。この曲を吹きながら願わくば将来ぜひフルート協奏曲をつくって欲しいと思った。彼の歌曲集やピアノ曲集に見るような情緒溢れる素晴らしい曲ができるのにちがいない。登茂ゑ寿司を後にした我々は9時の閉店がせまっていた葉山の日影茶屋パティスリー ラ・マーレ・ド・チャヤに移動して岸辺に浮かぶヨットを眺めながら美味しいケーキとコーヒーをいただいてお別れした。贅沢な日が続いている。ご馳走様でした。



 2007年2月25日(日) 遠州灘のフグ
 ピアニストの田中麻紀さんご一家と私達は贅沢なことに今年も静岡県金谷の西照寺住職木村敏師のお招きでフグ料理を堪能させていただいた。(2006年2月15日の日記を参照してください)おいしい、おいしいと云う言葉が限りなく湧いてくるのだった。そのフグであるが昔は食べる時に気象台の方向に向かって両手を合わせて願をかけたそうである。もちろん今ではそんなことは無いのだけれど、当時の予報がよく当たらなかったことに由来するらしい。「フグは食いたし命は惜しし」である。このフグを漢字で「河豚」と書くのは体型からではなく、フグは身の危険を感じると豚のような鳴き声を発するからだそうである。フグの毒テトロドトキシンは青酸カリの850倍の毒性を持つというから恐ろしい。当然これににやられると死亡率はかなり高い。全身が麻痺して自由がきかなくなる。しかし死の直前まで意識はあるのだそうである(と、死んだ人が云ったらしい)。「こりゃもう駄目だ、瞳孔が開いちゃってるよ」なんて云う声が聞こえいても「俺はまだ生きてるんだぞ」と云うことが出来ずに逝ってしまうのだ。歌舞伎役者の八代目阪東三津五郎がフグの毒にやられて亡くなった話も語り継がれている。しかしだ、誰が何と言おうとフグ料理は間違いなく猛烈に旨いのだ。昔、下関でフグを祭ってあるという神社(亀山八幡宮)にお参りしたことがある私だから当たるまい。翌日は焼津に寄って新鮮な魚を沢山買い、日本一の回転寿司と書いてあるところで食べて帰ってきた。美味しかった。(写真は23日に金谷のあさひ寿司で)



 2007年2月18日(日) JTのコマーシャル
 昨日テレビで ケータイ灰皿は、マナーの新しい カタチです。マナーを、ケータイしよう。 と云っているJTのコマーシャルを見た。まだやってるのか、と非常に腹が立って同時に情けなく思った。私は吸うなと云っているのではない、吸う場所に気遣いして欲しいと云っているのだ。大体からして「禁煙」と書いてあるのが気に入らない。新幹線などの「禁煙車」も気に入らない。吸っても良いところだけに「喫煙所」「喫煙車」と書いておくのが当たり前だろう。書いてないところでは吸わない、これがマナーだと思うのだが。去年の4月11日の日記を再掲載する。
 携帯灰皿(2006年4月11日) たばこのポイ捨て防止に欠かせない携帯灰皿の「ファッション化」が進んでいる、という新聞記事を読んだ。なんでも携帯灰皿の普及による喫煙マナー向上でイメージの改善につなげたい考えだそうである。何ということだろう、灰皿が置いて無いところでもこれを使えばどこでも吸えますよと云っているのだろうか。山に登ってきれいな空気を胸一杯に吸い込んでいる時に臭ってくるタバコの煙ほど最悪のものはない。これは都会の歩道を歩いている時だって全く同じだ。嫌煙権という言葉は挑戦的で好きじゃないけれど、しかし喫煙者のマナーが悪くなかったらできなかった言葉だろう。タバコを吸わない者は道に捨てられた吸い殻だけじゃなく、煙の臭いも、喫煙者が吐く息の臭いも好きじゃない。訪問先の子供に「おじさんの息、臭いよ」と云われてタバコを止めた花森安治の話を思い出す。周りに対する配慮を考えないというところが無神経で傍若無人と云われても仕方がないのだ。非喫煙者が他人のタバコの煙を吸ってしまう(吸わされてしまう)受動喫煙の害は喫煙者が被る害よりも大きいことも問題である。喫煙者は自分の意志で喫煙するわけだが、非喫煙者は自分の意志とは無関係に吸わされて肺癌になんか罹りたくはないのだ。タバコの箱に書いてある注意書も日本のように「あなたの健康を損なうおそれがありますので吸いすぎに注意しましょう」よりもカナダの「たばこの煙は非喫煙者の致命的な肺疾患の原因です」の方が非喫煙者にとっては当たり前に思える。タバコの発癌性が初めて云われたのは1960年代の初めのころであったが、40年以上経った最近でも世界中でこの問題に対する認識不足を痛感する。実はかく言う私も小学校のころにもイタズラにで吸ったことがあるし、大体最初の禁煙が二十歳になった時であったことを思えば、こんなことは言えた柄じゃないかもしれない。しかし止めてからすでに40年になった。もしもやめていなかったら、無神経に周りに迷惑をかけていたのかも知れないと思うとつくづくやめられて良かったと思う。この際世界をタバコを吸う国と吸わない国とに分けてしまったら良いのではないだろうか、と半ば本気で考えたりする。


 2007年2月17日(土) ピアノの青木礼子さん
1968年の夏、パリのオルリー空港に下り立った私はまだ二十歳代だった(シャルル・ド・ゴール空港はまだ無かった)。以後一年少々の楽しい留学生活が始まる。作曲家の丹波明さんや尾高惇忠さんなど留学中にパリで友達になった人は多いが、その尾高さんの紹介で知り合ったのが青木礼子(旧姓難波)さんである。青木さんはコンセルバトアールでピアノを勉強していた。パリ十六区のランパルが住んでいた近くの青木さんの下宿へは、当時留学していた日本人の仲間がよく集まって騒いだものである。先日その青木さんから電話があり、10月にホームコンサートを催したいので吹いてくれないか、と云ってきた。それでなんと33年ぶりの再会となった。青木さんは現在世田谷区の閑静な住宅街に住んで居られる。最近買ったというお気に入りのスタインウェイで初練習をしてきた。曲はバッハのロ短調ソナタである。このトリオソナタ(三声部のソナタ)をピアノでやると言うことは、各声部を浮き立たせることができるからとても面白いのである。しかし練習よりもとにかく久しぶりだったから昔話に花が咲いた。尾高さんなどと気の合う仲間五人で車を借りてロアール地方の城廻りをしたことや、あの頃のパリは良かったけど、最近のパリは治安も悪くなったし町の雰囲気が変わってしまったね、などと話し合った。私の新しい愛器パウエルは益々響くようになってきている。



 2007年2月6日(火) ピアノの泉玲子さん
 毎年2月は鎌倉養護学校で演奏しているのだけれど、今年は7日で、いよいよ明日になった。今日はそのための練習を行った。ピアニストの泉玲子さん(旧姓金井・東京芸大卒)と鎌倉養護学校で演奏させいただくようになってから23年になる。養護学校へ行くと色々と学ぶことが多いが、しかし何よりも子供達が喜んでくれるのがすごく嬉しいことである。今年のプログラムは宮城道雄の春の海、滝廉太郎の花、アリアビエフのウグイス、ラフマニノフのヴォカリーズ、シャミナードの星のセレナーデ、リムスキー=コルサコフのくまんばちの飛行、ドップラーのハンガリー田園幻想曲等である。中程には質問コーナーがあったりで和やかな雰囲気のなかで行われるコンサートである。そのなかで毎年必ず出るのが「そのフルートはいくらするのですか」という質問であるが、私は例によって1グラムが約6000円です、などと煙に巻くようなことを云うのであるが、今年もこの質問、でるのかな。
さて明日は養護学校で吹いたあと、したやウィンドアンサンブルの練習もある。もっともっとスコアの勉強をしなくっちゃ。



 2007年1月30日(火) バリトン歌手の堀内康雄さん
 私が留学から帰ってきたばかりのころは東京の中野新橋というところに住んでいた。康雄君がまだ小学校の低学年のころである。ある日康雄君が銭湯に行ったとき、どこからともなくフルートの音が聞こえてきたそうである。私は近くのマンションの六階に住んでいたから窓を開けて吹いていたりすると音が遠くまで聞こえたらしい。康雄君はフルートが好きでフルート教室のグループレッスンに通っていたほどだったから聞耳を立てた。すると番台に座っていた人が「あの音はすぐ近所に住んでいるN響の人が吹いているんだよ」と教えてくれたそうである。康雄君は早速翌日お母さんに連れられて私の処へやって来たのであるが、これが康雄君との初対面である。以来毎週私の處へ習いに来ていた。康雄君は「おじいさんの古時計」を悲しくて途中から泣いちゃうから終わりまで歌えません」と云っていた可愛い少年だった。その康雄少年と実に三十数年ぶりに再会したわけである。この間まったく連絡を取り合うことがなかったからどのような経緯で歌の道に進んだのか知らないけれど、今では立派な歌手として活躍している康雄君を見て感無量である。出会いとは実に不思議で感動的なものである。オペラが大好きな私は28日に渋谷のオーチャードホールへ康雄君が出演する藤原歌劇団のラ・ボエームを鑑賞に行った。マルチェッロ役を歌う康雄君の日本人離れした美声に感動した。そして今回の全予定が終わってから昨29日に我が家でゆっくり再会を祝ったのである。葡萄酒とお酒で盃を酌み交わしながら思い出話は尽きなかった。一旦居住地のミラノへ帰るが六月四日には東京オペラシティーで歌うし、九月十日には紀尾井ホールで、十七日には軽井沢の大賀ホールでリサイタルがある。活躍を期待している。(右から康雄さんの奥様、康雄さん、私、友人N氏と夫人、妻の結花)[バリトン堀内康雄の「オペラ珍道中」]



 2007年1月26日(金) したやウィンドアンサンブル
 タクトを振り下ろした瞬間に音がでた時には本当に感動した。これは私にとって記念すべき瞬間であった。何故ならば私は今まで指揮をしたことがなかったのだから!しかし指揮をしてみたい、という願望はフルートを始めた頃から持ち続けてきた私である。指揮法の本も読んだことはないし、習ったこともないから、とにかく一昨日は緊張した。オーケストラプレーヤーとしての長い経験をもつ私は様々なタイプの指揮者を見てきているけれど一番困るのは息を吸わせてくれない指揮者である。私は音楽の根源は歌だと思っている。フルートに限らず声楽はもちろんのこと、管楽器、弦楽器、鍵盤楽器を問わず音楽は「呼吸」から生まれてくるものだと信じている。だからただ機械的に振り下ろす棒、これだけはやっちゃいけない。全てのフレーズには音楽が息をしながら宿っているのだから。1955年に台東区が設けた「台東区青少年吹奏楽団」から出発した「したやウィンドアンサンブル」は1994年から家田厚志氏を音楽監督に迎えて盛んに演奏活動を行っている。またN響OBの山田桂三、多戸幾久三、三輪純生さん達も応援している。名門したやウィンドアンサンブルが持っている魅力を目一杯に引き出せたら、と願っている。家田厚志氏が与えてくれた大きなチャンスに精一杯答えなければならない。メインのプログラムには私が小学校一年生のころに毎日繰り返し何回も何回も聴き入っていたSPレコードのビゼーのカルメン組曲を選んだ。本番は5月だ。(写真:台東区の中学校の教室を借りての練習風景・24日)[したやウィンドアンサンブルのホームページ]



 2007年1月17日(水) 藤井隆太さん
 私が母校の桐朋で教えていた時代の教え子の中にはプロとして活躍している人たちもたくさん居る。そんななかでフルートで大学を出たのに現在は社長になっている人が居る。それが八代目の龍角散代表取締役社長藤井隆太さんである。その藤井さんから「近況報告なども致したい」とのメールが来て、では16日に、と言うことになり昨日久しぶりに我が家へ来てくれた。私の友人達も交えて総勢五人で底抜けに楽しい数時間を過ごすことが出来た。藤井さんはあちこちへ講演に呼ばれて行くそうであるが、そんな時に最後にフルートを吹くこともあるという。どこでも大受けだそうである。好きなのだな、と思う。私としても大変に嬉しいことである。先代の社長故藤井康男氏も自社の社員で組織したオーケストラをバックにフルートやピアノ協奏曲を演奏するというユニークな社長として知られていたが、その血を受け継いでいるわけである。2002年12月11日に文化会館小ホールで行った「KOIDESSIMO 小出信也と弟子たち」のコンサートの時にも藤井さんはボアモルティエの五重奏で第二グループのアタマを吹く、という大役を果たしてくれたのである。ところで「近況報告」は、会社のことから始まって音楽のことに至るまで、実に盛りだくさんの内容であった。彼が喋り出すとまるで独演会である。情熱的な藤井隆太さんのしゃべりっぷりに皆は笑ったり同情したりだった。いつまでも若若しくて子供っぽくて(失礼)愛すべき社長さんである。(白いワイシャツ姿が藤井さん) [ 龍角散のホームページ ]



 2007年1月13日(土) 今日は25000日目
 当ホームページのプロフィールに設定してあるカウンターによると今日は私が生まれてから数えて25000日目だそうである。これは600000時間だ。何とでっかい数字であろうか。これ、一体いくつまで数えてくれるのかな。このカウント、ちょっとややこしいけれど、次のようなHTMLソースをブラウザで読んでいただいているわけである。放っておいてもちゃんと自動的に計算してくれるから大変有り難い。
<script type="text/javascript">var xday = new Date(1938, ○, ○);function countdown() {var now = new Date();var days = ((xday.getTime() - now.getTime())/ (24*60*60*1000));days = Math.ceil(days);var msgif(days > 0) msg = "2008年まであと" + days + "日です"; else if(days == 0) msg = "今日から2007年です。"; else msg = "今日は私が生まれてから" + (-days) + "日目";document.write(msg);}</script>
 この写真は25000のカウントのところが目立つようにマウスポインタを当ててスクリーンショットで撮ったものだが、スクリーンショットにマウスポインタは写らなかった。これは知らなかった。



 2007年1月12日(金) 二度目のリフォーム工事
 1983年に入居してから24年目になった住処の共有部分のリフォーム工事が始まった。一度目は12年前で今回は二度目だ。工事の人が外壁に足場を組みながら囲いもないところを大きな鉄板を持って足早に動き回るのを7階から見ていると怖くて仕方がない私である。チームワーク良く動き回るその動作の速いこと。去年フィレンツェで塔を工事していることを見たことがあったけれど、そのときの動作の緩慢さと対照的だ。まるで小走りでやっている。それも鳶職の人たちがよくはいている裾広がりのズボンでだ。足に引っかかっりでもしたらどうするのだ(裾広がりのズボンをはく理由はファッションからではなく膝を曲げやすい、 夏場汗をかいてもスボンが肌にまとわりつきにくい、等の理由からであると云われている)。なにしろ私は高所恐怖症だから余計に怖いのである。この人達は平気なのだろうか? 気になるので休憩時間に地上に降りた人に「高いところは平気ですか?」と質問してみた。すると意に反して「怖いですよ」という答えが返ってきたではないか。本当かな。恐怖心なんか全く無いようにみえるのだけど。もっとも怖がっていたらこのような仕事はやっていられないだろうけれど。
 ところで工事を見ていると持ち前のイタズラ心がムズムズと騒ぎ出して困る。予期しないときに思いっきり大声で「わっ!」と脅かしたいのだ。しかしこれは不謹慎、と言うよりも人命に関わることであるから絶対にやってはならない、と強く心に誓っている。ところが絶対にやってはいけないこと程余計やりたくなる、という性質を持っているから困るのである。忍の一字で我慢するしかない。
 工事費は高くつくらしいがここのマンションは雁行(がんこう)設計で通風や採光がどの住戸もよくなるというメリットがあり、外観的にもリズム感があるし隣の住戸がずれて配置されるため独立性もあるのでとても気に入っている。専門的なことはよく分からないが雁行設計で建物の強度が弱くなることはないらしい。むしろ地震力の受け方が向上するということも聞くので安心している。ここをGoogle Earthで上空から見ると確かに雁の群が斜めに並んで空を飛ぶ姿に似ている。(写真:足場を組む作業員・絶対に脅かしません、誓います)



 2007年1月10日(水) 父の命日鎌倉霊園へ
 24年ほど前東京から横浜市に引っ越してきた時に近所がどんなところかを知りたくてクルマで見て回ったことがあった。その時にふと寄ってみた鎌倉霊園から幾日か後に送ってきたパンフレットを見て「じゃ買っておこうか」、と気楽な気持から手に入れた鎌倉霊園である。ところが現在同じ坪数の墓地を買おうとおもえば一千万円以上もすると云う。つくづく良いときに買って置いたものだと思っている。ここへ一番乗りをしたのは23年前に逝った父で1月7日が命日だ。しかし寒いときに死んでくれたものである。鎌倉霊園はじつに風通しが良いから風が強い日にはたまったものじゃない。凍えてしまいそうになる。でも今年は暖かかったので助かった。墓地内に植える植物などは高さの制限があるので明るくて実に見晴らしがよい墓地だ。天気がよい日には遠くに富士を見ることも出来る。文豪川端康成の墓もある。墓石に刻まれた桜美林大学創立者で父の先輩にあたる清水安三先生の筆になる の文字が優しく見守ってくれている。父も安らかな思いだろうと思う。しかし安らかに眠って欲しくない人たちも居ることを忘れてはならない。それは広島の平和記念公園に眠る人たちである。碑文には「安らかに眠ってください 過ちは繰返しませんから」とあるが、考えようによっては違うことも云えるでのはないだろうか。黙っていないで原爆の恐ろしさ、悲惨さ、苦しみを世界中に強く訴え続けて欲しいと思うのである。原爆投下の日、私は隣の岡山に居た。脱線してしまったようだ。



 2007年1月8日(月) Fr.KUHLAU 吹きまくりのお正月
 新しい年に新しいフルートとは縁起が良いではないかと思いつつ、それでは何を練習をしようかと去年の暮れに譜面棚にある数百曲の中から探し出していたのがフリードリヒ・クーラウのグランド・ソロだった。これには想い出がある。パリ留学中ランパルにも習っていたのだけれど、彼は旅行が多い。そんな時の為に紹介してださった人が(名は伏せておこう)あてがってくれたのがこの曲である。しかしレッスンに行った私はこの先生の教え方を非常に気に入らなかったので、たった一回きりしか行かなかった。だからこの曲はお蔵入りとなってしまっていたのである。表紙にはSHINYA KOIDE 1968年10月7日PARISと書いてある。今39年目にして薄茶色に変色した譜面を見ながら初めて音に出しているわけであるが、さてこの曲やってみると人使いの荒い曲である。と云うのもフルートのパート全11ページのうち、たったの1小節も休みがないという重労働?でこれは珍しいと思う。おまけに各フレーズの最後が次のフレーズへとスラーで繋がっている場合が多いのでたっぷり息を吸うこともできない(※ 後から休止符を数えてみたら第一、第二楽章にはわずかにあるものの、第三楽章に至っては16分休止符が2箇所だけしかなかった)。酸欠のグランド・ソロと言うべきか意地悪グランド・ソロと言うべきか。しかしこの際、華やかなこの曲を自分のものにしておこうと思う。話はかわるけれどお正月にテレビで放送していたウィーンフィルの演奏でW・シュルツの音のなんと美しかったことだろう! 現在最も綺麗な音のフルーティストと言って間違いないだろう。




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