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過去の日記帳 2008年4月 〜 6月

写真ははずしました。



 2008年6月25日(水) e-mailについて思うこと
 愛用しているMacintoshは普段から大いに働いてくれて有り難い存在になっている。電子メールは普通の郵便とはちょっと違って送った相手が見てくれるまでは伝わらないけれど、急がない時には非常に便利である。ところで便利な電子メールであるが意外と問題も多い。その中で私が困っていることがあるので書いてみたい。それは返信についてである。私から出したメールの返信に文章、果ては写真までをそっくりそのまま返して下さる人が実に多いのである。中にはえっ、こんな人までもが?と思うような場合もある。殆どがウィンドウズからのものだ。私はメールに署名をつけているが、堪りかねて数年前から失礼ながら「このメールへの返信をくださる場合には私からの文章、画像は削除してください。」という文章を加えたのである。しかしこれでも効果が無くてそっくり返ってくる場合が多い。一体どうすれば良いのだろう。ウィンドウズ同士でのやりとりでは何回もやっているうちに十メートルを超えることになってしまうのだろうか。勿論契約など、重要な用件についてはお互いの用件を確認する意味で引用符をつけて返すことはある。しかしごく普通のメールのやりとりで全てを返すことが必要だとは思わないのだけれど。ウィンドウズの人が殆ど使っていると思われるOutlook Expressに問題があるのだろうか。或いはマニュアルを良く理解しないまま使っているのだろうか。受信メールからマウスの右をクリックして「送信者へ返信」を選ぶと返信メールが開くらしいが、そのままだと自分が送ったメッセージの行頭に>が付いたものを再び見なくてはならないはめになる。長文では煩わしいことおびただしい。相手から来た文章を読みながら返事を書いた後は削除してくれれば良いのだけれど。
 この他にもウィンドウズの人から時々来るMicrosoft社のOfficeなどによる書類添付の問題もある。わずか数行の文字をわざわざ添付で送って下さることもないだろうと思うのであるが。MacintoshにはMicrosoft社のOfficeのワープロソフトを持っていない人が居ることも知っていただきたいのである。世の中はOSが一種類だけではないことを知って、より良い環境をつくっていくことを心掛けたい。



 2008年6月14日(土) 三崎港
 約1年半ぶりに三崎港へ行った。三崎港産直センター「うらり」へ行くと新鮮な魚が私を待っているのである。魚好きの私にとって僅か1時間の距離にこんなに素晴らしい所があるのが実に有り難い。新鮮であるうえに値段も近所よりはずっと安いから云うこと無しだ。マグロを筆頭に地魚の金目鯛や鰺、鯖、秋刀魚などもどれもが美味しそうだったけれど、昨日は新潟の友人が送ってくれた銘酒越乃寒梅が待っていたので鯛の刺身が良かろう、と言うことになってこれを三枚に下ろしてもらった。天然物のけっこう大きな鯛が千円とは安いではないか。ここには魚以外に野菜を売っている店もあり、冬になると三浦大根を買ったりするのであるが、昨日は見たこともないような大きな青首大根があったので買ってみた。これは大きすぎたからか、味の方はいまいちであった。往き帰りとも国道134号を走るわけであるが、葉山付近では親友尾高惇忠さんの家が関所みたいに待ちかまえている。玄関先の至近距離を通るから黙って通過するのは気が引けるので電話をかけたら、明日のコンサートでチェロの倉田澄子さんの伴奏なんだけど難しくて苦労しているんだよ、とのことで今回は会うのは遠慮することにした。しかし近々どこかで食べようよ、という約束をした。我々はお互いに食いしん坊という共通点でも通じ合っているのである。私も7月のコンサートでは彼の作品を演奏するから練習しなくちゃ。港には爽やかな風が吹いていてとても心地よかった。せんちゃんにとっては先月の伊豆以来二度目の海だった。
 三崎港産直センターうらり



 2008年6月6日(金) 「隠された証言日航123便墜落事故」 の著者 藤田日出男さんが亡くなられた。
 昔、藤田日出男さんが日航のパイロットになってからまだ間がないころ、一緒に歩いているときに上空をジェット機が飛んでくるとその音を聞きながら「ああ、いい音だな!」とため息混じりに云う姿はいかにも飛行機好きな彼をよく表していた。日航を退職後も航空機の安全運行の為に力を注いできた日出男さんである。その彼が体調が悪いと聞いて伊豆長岡の病院へお見舞いに行ったのはつい先月のことだったが、まさかこんなに早く逝ってしまうとは思いもしなかった。享年74才であった。心からご冥福をお祈りする。2006年9月7日に伊豆の戸田で会って魚料理に舌鼓を打ったのも、今は大切な思い出となってしまった(写真)。
■ 藤田日出男 1934(昭和9)年生れ。1956年3月大阪府立大学農学部獣医学科卒業。1958年、運輸省航空大学校卒業。同年、日本航空入社。パイロットとして、コンベア880、ダグラスDC−8などに乗務。1994(平成6)年、同社を退社。航空安全活動歴は長く、1966年、「航空安全推進連絡会議」設立に参加。1987年、英国クランフィールド工科大学で航空事故調査のマスタークラスに学ぶ。現在、「日本乗員組合連絡会議」事故対策委員。(新潮文庫の紹介記事より)
著書など
■ 「あの航空機事故はこうして起きた」を紹介する 藤田日出男さんの文章
■  e-hon あの航空機事故はこうして起きた
■  Kinokuniya BookWeb 隠された証言日航123便墜落事故
 2006年8月12日の日記も見て下さい。



 2008年6月3日(火) お墓参り
 母を連れて鎌倉霊園に仮眠中(最後の審判の時に甦ると思っているから)の父のお墓参りに行った。今回はフロリダに居る妹とその娘が来日中だったので一緒に行った。私たち夫婦は近いので時々行くことができるけれど、母にとっては1月の3日以来だから久し振りだったのである。母が仮眠中の父に話しかけている後ろ姿は微笑ましくもあり、淋しそうでもあった。ふと頭の中に「千の風になって」のメロディが流れた。暖かくなってくるとお墓には雑草が生い茂って手入れが大変になるのだけれど、昨日行ったら雑草の代わりに背の高いタンポポが一面に咲いていた。見るからに外来種だが、これがなかなか綺麗で花が好きだった父のことを思ってそのままにして帰ってきた。行くたびに鎌倉霊園はほんとうにきれいな霊園だと思う。植物の背の高さも制限しているから実に明るくて広々としているのである。都心にある墓地でも夕方に一人で行くのは気が進まないようなところもあるが、それに比べると鎌倉霊園は墓地と云うよりも公園のようなところでなのである。
 霊園を後にしてからは我が家で昼食と相成った。この日妻が用意したのは素麺と栃尾の油揚げ料理、新キャベツの一夜漬けなど、さっぱりとした味が好評だった。千里にも初めて素麺を食べさせたところ、大いに気に入ってお代わり催促の連発だった。今フランスのストラスブールでリュートを勉強中の明日也の蕎麦好きも大変なものであるが、麺類好きの私からの遺伝に違いない。



 2008年6月1日(日) 新しく買ったiMac
 かねてから物色していた次期Macの機種をiMacに決めたのは去年の暮れの頃であったが、そのころ世間には噂が広まっていた。それは新しいiMacが5月の連休のころに出るのでは、というものであった。だから私は決めてから随分長い間待っていたのである。そしてその噂は当たっていて4月30日には待望のiMacが発売になった。初めの予定では20インチを考えていたのだけれど、新しい機種が出てみると内容がぐっと良くなっているのに何と値段が数万円も安くなっているではないか。それで一つ上のランクである24インチの購入が可能になったのである。情報は毎日のようにネットで検索していたから何処で買うかは決めていた。そしてやっと時間が出来た先月の29日に雨の中をウキウキしながら買いに出かけたのである。そして昨日は我がMac教授の山下博央さんがわざわざ来てくれてセットアップと今まで使っていたiBook G4からのデータをテキパキ移植してくれた。ファイヤワイヤで繋いで驚くほどの早さで見る見るうちに移動していくのだ。新しいOSでの(Mac OS 10.5.3)移植は驚異的であった。こういう人が居てくれると云うことは本当に有り難い。
 今度のiMacの性能ときたらもう圧倒的である。これは感動に値する。動きが速い、画像が美しい、デザインが勝れている、等々数えたらキリがない。写真で見ると今度のiMacの大きさがわかるが、広々としてとても気持がよい。これから時間をかけて自分のモノにしていくのが大いに楽しみである。iLifeも使いこなすのを楽しみにしている。(写真は山下博央さんと新iMac)



 2008年5月23日(金) フィラデルフィア管弦楽団フルート奏者のローレン・リンド( LOREN N. LIND)
 昨日はフィラデルフィア管弦楽団へ入団して34年になったローレン・リンドを訪ねて宿泊先のホテルオークラに行ってきた。二十年くらい前にユージン・オーマンディーの指揮で来たとき以来の再会である。彼は1970年代のベトナム戦争の頃に兵役で軍楽隊に志願して日本に来ていたが(戦場に行きたくなかったから?)、そのころ私の所へレッスンに来ていた人だ。レッスンとは云っても確かにレッスンはしたけれど、終わってからの団欒というか、楽しい飲み食いのほうも十分だった。そのローレンも63才になったと言うから早いものである。ホテルのレストランで彼はカツ丼、私は冷やしうどんを食べながら懐かしい思い出話は尽きなかった。食後に彼のフルートを見せて貰った。私は初めて見るアベル(ABELL No.125)という木管だった。我々はストロビンガーのタンポを使いたくないという点で意見が一致したが、彼は私が知らないヴァレンティーノというものを使っていた。頭部管はアベルのオリジナルにかえてナガハラフルートの銀の頭部管を付け、マウスピースはローズウッドのよう見える木製のものだった。更に変わっていたのは足部間の最先端の内側にリングをはめ込むようにしてあることだった。リングの一部分が切れており、リングを拡げたり狭めたりしてサイズを合わせてリングが落ちないようにしているのである。リングは三つあり、銀が二つ、金が一つだった。それらを付けかえながら、どの音が良いと思うか、と気にしているのである。確かにリングをかえると音が変わるように聞える。彼のお気に入りは銀のリングで、私が聴いた感じでは柔らかい木管らしい音がでた。同じ内容ではないけれど、こんなことをするのは故吉田雅夫先生くらいだと思っていたからちょっと驚いてしまった。ホテルの中を移動中に仲間たちと会う度に「僕の40年前の先生です」と紹介してくれたが、メンバーたちの明るい笑顔が気持ちよかった。今日23日が初日である(サントリーホール)。日本公演の後に韓国、中国などを回るそうである。
 別れてから帰途の首都高速をローレンとの再会の余韻を思い浮かべながら走っていたら、ふと頭をよぎった。カツ丼と冷やしうどんで6,930円か、さすがに天下の一流ホテルだけあるな、と感心するのだった。(写真はホテルオークラのロビーでローレン・リンドと)



 2008年5月10日(土) 田浦小学校のクラス会
 父の仕事の関係で転校ばかりしていた私がその途中で二年少々の間住んだことがある懐かしい横須賀市田浦であるが、その時代に通っていた田浦小学校の仲間が京急横須賀中央駅に近い居酒屋に集って楽しい一時を過ごした。田浦小学校のクラス会は毎年開かれているが、私は昨年仕事の関係で参加できなかったので二年ぶりだった。私にとって沢山あるクラス会の中でも毎年というのは田浦小学校だけである。この日集まったのは14人であったが、出席できなかった人からの近況報告には体の不調を理由にする人が多くさすがに年齢を感じないわけにはいかなかった。とは言っても皆気分は若々しく、大いに盛り上がるのだった。一年の間があいたといっても久し振りには変わりない。「ねえ小出さん、私変わらないでしょ?」と云われて返答につまったりするが、すかさず「茶目っ気があるところなんか昔の儘じゃんか(三浦弁)」なんて答弁をしたりするのも楽しいことである。来年の再会を楽しみにしよう。仲間達よ、人寿百歳蘭香四時を貫こうではないか。



 2008年4月30日(水) 広田温泉・羨ましき五所川原の人たち
 妻の実家がある青森県の五所川原市には数多くの温泉がある。ちょっと数えてみただけで十カ所以上もあった。そのいずれもが掛け流しの湯と聞いて羨ましさのあまりため息が出てしまうのである。青森から秋田までを走る国道101号線が五所川原市の広田地区を通る時、注意していると「広田温泉」の看板が出ている交差点がある。ここから少し南に入ったところに広田温泉はある。地元の人たちが銭湯感覚で利用しているいわゆる共同浴場の広田温泉は、なんと湧出量が一分間に750リッターもあると云うから本当にすごい。私は十年前から看板を気にしていたが、今回の旅行で初めて行ってみた。自動発券機で三百円の入場券を買って中に入ると二十人以上は楽に入れる大きな長方形の湯船があり、湧き出し口からは豪快に湯が流れ出ていた。その量があまりにも大量なので失礼ながら最初は循環じゃないかと思ったくらいである。しかし良く見ると湯船の四方からは大量の湯が溢れ出ているのですぐに掛け流しだと分かった。泉質は塩化物泉で透明ながら薄いグリーンがかった色をしており、加水も加温もしない43度の湯である。私は今日で四日間通っているが、いつも空いていているから広い湯船を独り占めにできる日もあってまるで極楽である。身体が火照ったら低温の湯船があるので冷やせばよい。 特筆すべきはここを利用する人たちのマナーである。洗い場を離れる際には椅子と桶を洗ってから入り口のところへ戻しているのである。これは余り見かけないことで乱れたまま放置された桶や椅子を見る度に腹を立てている私であるが、広田温泉を利用する人たちがここを大事にしている気持が伝わってきて感動した。写真の右側の建物が男女の大浴場があるところで、奥の建物には大広間や家族風呂がある。その前に赤いポールが見えているがこの下が湯元だ。広田温泉はJR五能線の五所川原駅からタクシーで約10分。営業6:00a.m.〜22:00p.m. 住所:五所川原市大字広田字下り松111-1 電話:0173-34-6385



 2008年4月21日(月) 崇高の陶芸家 辻 清明さんが亡くなられた
 陶芸家の辻清明さんが今月の15日に亡くなられた。享年81才であった。随分長い間お会いしていなかったから訃報に接して驚いている。素晴らしい作品を見て憧れていた辻さんと初めてお会いしたのは今を去る20年以上も前のことであった。最初に多摩市のお宅へ伺った時の感動は忘れることは出来ない。近寄りがたい人のように勝手に想像していた私の思いはまったくの当て外れであった。面白い事を云った後で「なーんちゃってよ」と悪戯っぽい顔をして笑う時などはまるで子供のようであった。飾り気のない楽しい話しは貴重なことが多かった。高温焼成の辻信楽焼は見るものに感動を与えずにはおかない。平凡社から1996年に出版された別冊太陽「辻 清明」のなかでは「遊びをせんとや生れけむ」とか「明る寂び」と自らの生き方や作風を語っている辻さんの作品は魅力に溢れている。私のコレクションの中でも辻さんの徳利とぐい呑みは特別に好きなものである(蒐集癖を見て下さい)。信州穂高の家が火災で全焼した時、当時乗っていた愛車プジョー504で再建に必要な資材を探しに富山県井波の野原銘木店の野原寅蔵さん(今は故人)のところへお連れしたことがあった。辻さんを独り占めにした二人旅は底抜けに楽しかった。辻さんのところへはN響名誉指揮者H.シュタインさんご夫妻をお連れしたことがあった。シュタインさんの奥さんは美術の博士号をもつ人である。日本の焼き物に興味を持たれ、益子の島岡達三さんの処へお連れしたこともあった。シュタインさんはお返しに辻さんをN響定期公演に招待された。辻さんは終演後に赤坂の花楽(かぐら)へ招待してくださったが、花楽では辻さんの器で御馳走になった。今思えば贅沢の極みのような出来事であった。今、辻さんが居なくなってしまったことが信じられない。同じく陶芸家である協夫人の心中は察して余り有る。心からご冥福をお祈りする。合掌(写真は左端が辻 清明さん、右端はN響名誉指揮者H.シュタインさん、中央が私。1993年11月に赤坂の花楽で)



 2008年4月19日(土) 西照寺の先代住職木村寛師がお亡くなりになった
 毎年秋に「なむなむコンサート」を行っている静岡県金谷の西照寺の先代住職木村寛師がお亡くなりになった。享年85才であった。天生の明るい性格で人間愛に満ちておられ、お会いする度に幸せを分け与えて下さる大好きな木村寛師だった。生者必滅会者定離とは云うけれど、辛いものである。心からご冥福をお祈りする。合掌

 仕事も一段落してくつろぎたいと思っていたので西照寺からの帰りに仙石原のロッジ富士見苑へ行った(当ホームページからリンクしている)。山桜やミツバツツジが満開だった。ソメイヨシノも美しいと思うけれど、山桜の可憐ともいえる咲き方も非常に美しい。ミツバツツジの淡いピンクがかった紫は岡山を思いだす。壁全面のガラス窓から山並を眺めながらPH2.9強酸性でレジオネラ菌不検出の43度の湯に入っていると身体に温泉がしみ込んできて心地よいことこの上なかった。疲労も溶け出していくのを感じた。料理が美味しいことも気に入っている理由だけれど、とにかく私のような庶民にとって低料金は有り難い。今回は豆腐会席料理をいただいたがとても美味しかった。プリン体が多いという理由で普段は飲まないビールを特別に一杯だけ飲み、お酒も少しだけ飲んでぐっすりと深い睡眠をとった。気分爽快ですっかり元気になったようである。せんちゃんにとっては初めての温泉だったが、ちょっと心配していた湯あたりもなく一安心した。いつも笑顔を絶やさない従業員の土屋さんと会えるのもロッジ富士見苑に行く楽しみの一つになっている。(土屋さんとロッジ富士見苑の玄関先で)



 2008年4月5日(土) せんちゃんのガールフレンド
 近所に住んでいるせんちゃんのガールフレンドが遊びに来てくれた。せんちゃんよりも一日だけ早く生まれた早姫(さき)ちゃんである。早姫ちゃん親子とは近くの上郷地区センターで週一回行われている育児相談でも会うが、昨日は我が家へ遊びにやって来てくれたのである。小さな二人を見ているとまだ七ヶ月目に入ったばかりだと云うのに既に個性がはっきりしていることにびっくりした。一説によると性格は生まれながらにして備わっているものだとも聞く。もちろん生まれてからの環境が与える影響が無関係とは思えないけれど。せんちゃんも、こうして自分以外の存在との共存を経験して、やがては社会へ出て順応して生きていかなければならないのだから昨日はとてもいい経験になったと思う。
 ここで当ホームページ音楽の部屋で書いた五度圏を思い出した。調律とは人生そのもの? と題して書いた内容は ♪余談だが私は平均率、古典調律を問わず調律というものを人間関係そのもののように感じている。何となれば純粋ばかりを主張すれば成立しないからだ。好むと好まざるに関わらず相手の言うことを聞き、譲りあい、溶け合って全体が成立するというところが調律と人間社会が似ていると思うのである。五度圏を閉じる(オクターブを純正にする)と言うことはまさに人生そのものと言えるのではないだろうか。ともあれのびのびと育って欲しいせんちゃんである。早姫ちゃん、また遊びに来てね!




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