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過去の日記帳 2018年7月 〜 9月

写真ははずしました。

 2018年9月30日(日) 脳内出血-2・出血したのは脳幹だった。

(9月22日の続き) 私は脳内出血を起こす前の月の9月12日(名古屋)、9月15日(東京)、9月20日(京都)の三日間名古屋フィルフルート奏者の富久田治彦さんと意欲的なデュオコンサートを行っていた(ピアノ浜野範子さん)。これは2016年10月14日に私が岡崎宇野病院さくらホールで演奏をした時に聴きにきてくれた富久田治彦さんと終演後の打ち上げ会の席で意気投合して「こんど一緒にやろよ」と約束していたコンサートである。それぞれのソロと2人とピアノのトリオで文字通り吹きまくって・・・・楽しかったけれど、色々とあったコンサートでもあった。
 クルマで家から高浜までの距離は約500キロだから普通だったら一気に行く距離だけれど、疲れていたから途中愛知県の小牧で一泊してから行った。ああ、でもやられてしまった。こんなことになろうとは予想もしてなかった。もっとトシを考えて行動するべきであったか。
 高浜文化会館で演奏中に脳内出血にやられた私は両腕を抱えられて足を引きずりながらバックステージまでたどり着き、一番近いところにあった椅子におろされるともうそこからは一歩も動けなかった。なにしろ足が全く云うことを聞かない。若い男性が私の側に来てくれて「僕は多少医学の心得がありますから」と云うと私の腕を取って脈を診てくれたが、その男性は「脈がないです、はっきりと分かりません」と言う。自分でも左手首の静脈を押さえてみたが、脈を感じられなかった。何故だ?私は1999年の暮れに心筋梗塞にやられてステントも入っているので、これはてっきりまた心臓がやられてしまったのかと思った。それで「どなたかニトロを持っていませんか」と聞くと「持ってます!」という人が居てくれたのですがるような気持ちで戴いて即服用したが、残念ながら私の状態には全く変化がない。一方私はごたごたしながらも裸のままで持っていた金のフルートが心配で堪らなかった。普段から配偶フルートとまで言って気に入っていたフルートである。力が無いので落としてしまいそうでこわかった。それで名古屋から同行していた妹に頼んで楽屋からケースを持ってきてもらい、しっかりとケースに収めてから初めてほっすることができたのである。しかし楽器の扱いに慣れていない妹にこのままフルートを預けてしまうことは到底できないから、抱きしめるようにしてしっかり持っていた。もうひとつ気になっていた事があった。お気に入りのミラーレス一眼カメラα7IIであるが、これは妹に持って貰うことにした(心配だったが)。やがて救急車が到着して救急隊員がやってきた。私を見るなり「これは一歩も動ける状態ではない、急ぎましょう」というなり私を担架に乗せ、会場の表で待っていた救急車まで運んでくれた。生まれて初めて救急車に乗った。妹も同行した。小浜市にある杉田玄白記念公立小浜病院までは遠かった。約40キロの車中ではずっと救急救命士と会話をしていたが30分も走ったころだったろうか、隊員の人が「最初の頃よりも言葉がはっきりしてきたようですね」と言ってくれた。その言葉を聞いて私は幾分安心した。もしかしたらこのまま良くなっていくのかもしれないと思ったから。病院に着くと急患を迎える準備ができており、看護師さんもてきぱきと処置をしてくれる。この看護師さんがとても明るい人で優しい笑顔で色々と対応をしてくれるのがとっても嬉しかったから、何と私はこの看護師さんに名刺を渡してしまったのである!(命が危ないかもしれない患者のすることか!) すぐにCT検査を実施した。その結果担当の磯崎医師が「小出さん、脳に出血がありました。場所は脳幹です。ここは非常に危険な場所なので手術はできません」「。。。。」これは凄いことになった。脳幹とは中枢神経系を構成する重要な部位が集まる器官というところで、自律機能を制御し、多数の生命維持機能を含んでいるという肝心要のようなところだそうであるが、そこに出血したのだという。聞いていて怖くなってしまった。(闘病日記 INDEXへ


 2018年9月22日(土) 脳内出血-1・高浜町文化会館で演奏中に

 今年も9月になった。昨年の10月4日に高浜文化会館で演奏中の私に突然に起こった悪夢のようなゾッとする出来事から間もなく一年になろうとしている。運命なのか運なのか、今こうして生きていられるのは奇跡的なのだ。本当に幸だと思わなきゃいけない。治療、リハビリの長い生活は初めてのことでもあり、自由にならなくなった身体で悶々とした毎日であったから、今回のことをDiaryで書くなんてことは出来るわけが無い。しかし一年も経つうちに少しづつ落ち着いてきて、そろそろ文章にしてみようかな、と云う気になってきた。それは今の自分の状態をやっと受け入ることが出来るようになってきたからではないだろうか。私は右半身のしびれと、ひどい目眩という後遺症に悩まされて滅入り、経験したことが無い無情で且つ悪性のストレスとの闘いの毎日であったから書こうなんて気は全くおきなかったのである。辛い毎日。生きていく自信が無くなってしまったことも一回や二回ではなかった。しかしやっと最近になってから、自分は脳内出血にやられたんだ、それも脳幹という手術もできない危ないところなんだ。だから痺れや目まいや、その他様々の不快な後遺症は有って当然のことなんだ、命が助かった事に感謝しなければ、と思えるようになってきた。これは悟ったからか、諦めたからか、或いは慣れたからということなのだろうか、自分でもよくわからない。
 昨年の10月4日に福井県の高浜にある高浜文化会館においてソプラノの野原広子、チェロのユルンヤーコブ・ティム、ピアノの川村文雄さんたちと4人でのコンサート“〜夢の共演〜”で演奏していた時のことだった。コンサートが午後7時に始まってから20分経過した頃、梁田貞作曲「昼の夢」を演奏していた私に突然の異変が襲ったのである。胸の辺りから頭にかけて熱いものが一瞬のうちに猛烈な勢いで押し上げてきて目がかすんで見えなくなり、耳も塞がったようにきこえなくなり、まるで異次元の世界に連れて行かれたような状態になってしまったのだ。ああ! どうしたんだ! 何だこれは! ああ、ああ。 曲はまだ終わっていない、困った、と思ったが、不思議な力が湧いてきて何と絞り出すように曲の最後まで吹いてしまったのである。これは奇蹟と云ってもいいだろう。今になって思いだしても信じられない。吹き終えてからはひたすらに倒れないように譜面台にしがみついていた。左手に持った愛器ヘインズのゴールドが心配だった。野原広子さんに「歩けない」と伝えると、野原さんと川村さんが両腕を抱えてくれて足をひきずりながらステージから下がった。(闘病日記 INDEXへ


 2018年9月14日(金) 酒器達

長年かかって集めた酒器たちには一つ一つにぎっしり思い出が詰まっている。
これ、一部分だよ、贅沢だなあ。

親しくお付き合いしてた陶芸家達は皆良い人だった。
人間国宝の人達はみな亡くなってもう会うことができない。
ぐい呑みを持つと作者の笑顔が浮かんでくる。

私は疾うに一生分呑んじゃったから頻繁に使うことはなくなっているので、みな淋しそうにしてるよ。
私が死んだら、この焼き物達はどうなるのかな。
そう言えばあるギャラリーの主人が「値段を書いた紙を入れておくと良いですよ」と言ってくれたことがあった。あははは、、。
夕食の時に、その日に使いたいぐい呑みを決めて、八海山の大吟醸を一杯だけ呑んでいるんだ。
ああ、うめえこと。



 2018年8月25日(土) 月夜

夜中に部屋が明るくて目が覚めた。
一瞬電気を消し忘れて寝ていたのかと思ったら、西の空にかかった月の光が差し込んでいた。
心地よい風が吹いていたので網戸にして寝ていたのだ。
2時20分。
夕べは池江選手の六冠達成を見て8時過ぎにベッドインしたから6時間は寝ている。
これを書いたらあと2時間くらい寝よう。
今日は月齢13.7だ。随分と明るいものだな。
はやコオロギが一匹だけ啼いていた。








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