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過去の日記帳 2012年1月 〜 3月

写真ははずしました。



 2012年3月27日(火) 午後の一時
 代官山にあるヒルサイド テラス プラザホール で催されたアルス ノヴァ弦楽カルテットとの共演、「午後のひととき」のコンサートで」が終わった。カルテットのメンバーはヴァイオリンが石井 志都子さんと荻野 照子さん 、ヴィオラが田中 あやさん、チェロが勝田 聰一 さんで、私はゲスト出演である。ヒルサイド テラス プラザホールのホームページを見ると収容人数約100名程度と書いてあるが、前日までの心配をよそになんと200名も来て下さったのである。お陰で楽屋の椅子も急遽全て会場へ持ち去られて立ったままでの休憩と相成ってしまった。嬉しい悲鳴である。私はここの音響が大好きだ。非常に吹きやすいから満席の聴衆の前で気持ちよく吹くことができた。前回の時には無かったひな壇が設置されていたから更に吹きやすくなっていた。
 私とアルス・ノヴァのメンバーとは長い長いお付き合いである。ヴァイオリンの石井さんとはパリ留学中に知り合って以来40数年になるし、ヴィオラの田中さんとチェロの勝田さんとは私が16才のころに桐朋オケで吹き始めた頃からの知り合いだから50数年のお付き合いになるのである。今、年を重ねてからも一緒に音楽を楽しむことが出来るなんて、何て幸せだろう。私はそんな事を思いながら幸せいっぱいの気持で演奏していた。
 打ち明ければ私がまだ高校生の頃のこと、毎週土曜日の桐朋オケの練習が終わると学校から新宿と渋谷まで特別仕立てのバスが出るのだが、当時石神井に住んでいた私は当然新宿行きに乗るべきだった。しかし私は渋谷行きに乗り、当時大森に住んでいた女学館の制服が良く似合う中学生の田中 あや(当時は竹前則子)さんを送って行くのが習慣だったのである。話しがはずんで遅くなった時などはお言葉に甘えて泊めていただいたが、こんな時はお父さんからお酒を注いでいただいた時もあった(高校生なのに!)。やさしいご両親が中心の温かい家庭にすっかり甘えてしまっていた私であった。ああ、青春時代の淡いほのかな思い出。。。。
 アルス・ノヴァ・カルテットとの共演は一回目が2009年03月7日、二回目が2010年11月7日で今回が三回目であった。また次回も誘ってくれたら、嬉しいな!



 2012年3月21日(水) いよいよ来月から年中組に
 せんちゃんが年少組を追えて、いよいよ来月から年中組に上がる。年少組のひよこのクラスが終わって、画集を持って帰ってきた。縦40センチ、横54センチもある大きな画集だ。
 年少組に入ったころの絵からずっと眺めてみると、とっても面白く、楽しい(親バカ丸出し)。
 表紙の絵、これは誰?ときくと「お父さん!」と云うではないか。なんとはなく似ている。髪の毛が少ないところなど、そっくりだ。
 今のところ、とても順調に育っている。我が儘なところは私にそっくりだ。
 私は心配性なので、せんちゃんの将来が気になってしかたがない。
 このままいったら、地球環境はいったいどういうことになるのだろうか。
 新聞では偉い学者さんたちが「原発は必要だ」、などと嘯いている。本気で人間の幸せを考えているのかね。え? あんたたち正気なのかね。
 人間が住めるような環境がいつまで続くものなのか、良い材料が見えないだけに心配でならない。
 フォトンベルトも気になる。諸説あるが、もしも、、、、と思うと生きた心地がしない。
 私はまだいい、けれどこれから育っていくせんちゃんのような子たちに将来はあるのだろうか。
 ヨハン・セバスティアン・バッハ327才の誕生日に。



 2012年3月12日(月) 遂に!
 横浜市が再測定の基準とする放射線量は毎時0.59マイクロシーベルトだそうだが、ついにせんちゃんと殆ど毎日歩いている場所から毎時0.59マイクロシーベルトが計測された(写真の場所)。非常にショックである。市の職員が来て除染後は0.13マイクロシーベルトに下がったらしい(栄区の市民団体では現行の地上1センチ地点で毎時0.59マイクロシーベルトから0.11マイクロシーベルトに引き下げるよう市に要望している)。 目に見えず、色も臭いも無く、不気味に身体に侵入して健康を害する放射性物質。人間がつくり出した原子力発電は悪魔そのものだ。(写真は同じマンションにお住まいの萩原氏の提供による)



 2012年3月8日(木) N響団友会のホームページ
やっと出来たぞ、いあぁ大変だった。
 ホームページそのものは10年間勉強してきた甲斐があって比較的短時間で出来ちゃったけれど、それより一番大変だったのはドメインの移転設定だった。「団友オケのページはNHK交響楽団から直にリンクされていますので、ファイル名(URL)を変えるべきではないでしょう」という、今まで団友のホームページ作りをやってきてくれたトランペット奏者山内 真澄さんのアドヴァイスに従って死にものぐるいの戦いが始まったのである。どこのドメインも同じようだが設定が腹が立つほどややこしい。ボタンを一つ押すだけでできるようにならないものかね。
小出 N響団友オーケストラ略年表のソースが理解出来なくて困ってます。山内さんのテキストはとても分かりやすく、すっきりしていて感じが良いので真似たいのですが、さんざん調べてもわからないので教えてもらえますか? 私からの質問は多い。
答えも半端じゃない。
山内 見出し要素[id="tab_数字"]と内容要素[id="id_数字"]は同じ数字でペアです。見出し要素の[class="current"]の指定があると選択中の表示になります。内容要素の[class="hide"]の指定があると画面に表示されず隠れます。移転設定に関しては、画面左側メニューの【登録情報の編集】をクリックして、「新規登録」から登録者情報を作成します。これにより「登録者番号」が生成・取得されます。既に登録者番号をお持ちの場合は、この手順2.は不要です。続いて、左側メニューの【汎用JPドメイン移転】をクリックして下さい。すると「変更後登録者番号」に手順2.で取得した番号が入力された状態になっているはずですので、「移転対象ドメイン」の欄に『dan-yu』と入力してページ下部の【移転申請確認】をクリックします。丁寧な答えではあるけれど、なんと難解なことよ。何十回もやってうまく行かない時、気力も限界に達するかのようであった。 移転の設定ができ、そこへデータをアップロードし終えた時には嬉しさの余り団友オケの蓬田さんに「こんな夜更けにやっとセットアップできました。」というメールを出してしまった。3月6日の午前2時29分のことである。こんなこと、今までにやったことが無いから何から何までややこしかった。できた、とは言っても改良、迅速なアップデート、等に精を出さなくちゃなるまい。(宜しければ画像をクリックしてみてください)
 ところで自分のホームページだけれど、団友のホームページを作っている時にフレーム版を試した時、気に入って自分のところまでフレームにしてしまったが、やはり見やすさの点で団友同様元通りに戻すことにした。これも試行錯誤か。こんなことに気を取られているうちに、3月4日に当ホームページが生まれて丁度10年めを迎えたのを忘れていた。いや、あっという間の10年だった。期せずして10年目に又ホームページを作ったのだった。



 2012年3月6日(火) 鎌倉アルプス歩き
 よく中華街で飲み食いしたりする仲間たちと鎌倉アルプスを歩こう、という話しが盛り上がって4日に行くことになった。この日は早朝から霧雨が降って寒く、すっきりしない日だったが、約束の朝9時半に北鎌倉駅に集合した。ウキウキしながら待っていた日である。私は遅刻恐怖症なので約束の時間より可成り早く着いてしまった。そこには日曜日とあって既にいくつかのグループが集まっていたが、みな天候をきにしている様子である。
 我々の年齢、職業はまちまちだ。とにかく「フルートが好きでたまらない」という共通点で繋がったハンドルネームで呼び合う親しい仲間なのである。定刻には全員そろった。この頃にもまだ霧雨が降っていて寒く、先が心配だったから「今日は歩かないで朝から一盃やっちゃおうか」の声も。とにかく今年の冬は寒い。
 しかし心配は無用で、どうにか一日中降らなかった。北鎌倉駅を後にして東慶寺→浄智寺→源氏山公園→海の眺望などを経て鎌倉大仏(高徳院)へ下りるコースである。
 途中の源氏山公園での休憩時にはリュックからおもむろに自作の法竹(ほっちく)を取り出したSさんが、公園の片隅に建っていた「桜」と彫った石碑の前で吹き始めた。日曜日とは云ってもほとんど人影がない広場になんとも云えぬ雰囲気が漂う。吹く後ろ姿からも言葉に出来ない何かが漂ってきた。このあと紅一点参加のKさんが小学校4年生の息子さんとフルート二重奏を演奏した。聴きながらいいなぁ、と思いながらも、この気温でよくもまあ吹けるものだと感心した(多分5度くらいだっただろう)。私の場合は気温が20度を切ったあたりから響かなくなってくる。
 大仏前のお決まりの場所にて記念撮影(写真)した後、鶴岡八幡宮まで歩くことにした。今度の目的地は八幡宮の斜向かいにある一茶庵である。いや、歩いた後の熱燗と鴨南蛮の旨さったらなかった。2万歩以上歩いた健康な1日だった。



 2012年2月27日(月) N響団友会のホームページを作っていたら
 2009年まではここKOIDESSIMOもフレームを使っていた。それが何故かやめてしまっていたのだけれど、最近N響団友会のホームページ作りを仰せつかってフレームでほぼ作り上げたら気に入ってしまい、自分のサイトもフレームでやりたくなってしまった。
 左側に項目を置いて、右側に本ページを置くレイアウトは以前と同じにした。ノーフレームバージョンも捨ててしまうのは勿体ないのでそのまま置いてある。
 さて、何度も何度も確認をしたつもりだけれど、これで大丈夫だろうか、という気持があって落ち着かない。

団友会のURL(目下テスト中)
http://w01.tp1.jp/~a223614081/Doc.Danyu/index.html
フレームバージョンのKOIDESSIMO
http://w01.tp1.jp/~a223614081/Doc.FlameKoidessimo/index.html



 2012年2月15日(水) N響団友のホームページ
 私の至らない技術でN響団友、N響団友オーケストラのホームページを作っている。とりかかって4日目だが、全体のレイアウトはほぼ出来上がった。N響団友オーケストラのホームページは今までにもあったのだけれど、それは団友オケの常トラ(殆どの演奏会に出演してくれているエキストラ)でトランペット奏者の山内 真澄さんが作ってくれたいたものなのである。彼はコンピュータ プログラミングの専門家だからソースを見ても実に整然としており、到底私がかなうものではないが、最近になって身内でやろうじゃないか、という事になって私が引き受けることとなった次第である。ジジイが頑張ってやってるわけだ。
 自分のホームページを自力で作り上げてから十年経って少しは分かってきたつもりであるが、どうしてなかなか難解な世界である。本を読んだり、気に入ったホームページを徹底的に研究したりでやってきているのだけれど、タグの世界は底が深くて限りがない。HTMLテキストの文法(タグ)を間違ったら恥をかくだけだ。とにかく難しくて謎解きの世界でもある。どうやったら訪問者に対してストレスなく見てもらえるか、を常に頭に置いてやらなければならない。そして面白くて楽しくもありたい。
 これから完成に漕ぎ着けなくちゃならない。頑張ろう。



 2012年2月5日(日) 哀れなタイワンリス
 ウォーキングコースではタイワンリスに良く出会う。よくもまぁあの細い枝の上を走り回れるものである。ゲッ ゲッ といつまでも鳴いていたり、たまには犬のように吠えることもあって賑やかである。
 そのは嫌われもののタイワンリスがウォーキングで通る道すがら、可哀想にクルマにはねられて路上に横たわっていた。
 可愛い顔をして。
 数年前に餌が不足して家の周りの木の皮を食べて枯れた木もあった。こんな時には腹が立ったが、路上に横たわる姿は実に哀れだった。
 可愛い寝顔が忘れられない。
 翌日通ったときには、もうなかった。
 誰かが葬ってくれたのかもしれない。



 2012年1月20日(金) iPhone 4sのアプリ Walkmeter GPS
 初めに買ったiPhone 3Gでは面倒なので電話以外はあまり使わなかった。しかし今度のPhone 4s、いろいろといじっているが、知れば知るほどその能力の凄さに呆れている私である。カメラの凄さに驚いた後は色々とアプリを試しているが、今度ダウンロードしたGPS(全地球測位システム)とは、とにかく便利なものであった。私はカーナビが苦手で使っていないないから普段恩恵にあずかっているわけではないが、今回iPhone用のWalkmeter GPSを購入、早速使っているが、これは面白い!ウォーキングの楽しさが倍になった。普段歩いているコースの標高差が160メートルもあることも分かった。ざっと書いてみると移動時間、停止時間、位置、距離、高度、平均速度、最高ペース、カロリー、などがわかるのである。更にWahoo Fitness ANT+ システムを使うと心拍数も計れるという。こんなにすごいアプリがたったの450円で買えるのだから有り難い話しだ。
 よく云われているバッテリーの問題も完全ではないが、様々なことを試して何とか普通っぽくなってきた。ネットで検索すると、じつに沢山の情報をみることができるのでありがたい。現在は一日使って20パーセントは残っているようになった。
 スマートフォン用のアプリは、なんと50万種類もあるというから、その数に驚く。なかには無料のものも多い。有料とは云っても80円だとか140円という安いものが殆どだ。いつの間にかすごい世の中になったものである。
 今日は林りり子先生の命日だ。亡くなられてから38年になった。合掌



 2012年1月6日(金) 驚異のウォーキング
 昨日は今年初めてせんちゃんのピアノのレッスンだった。私は大概の場合レッスンが終わるまでのあいだせんちゃんを妻に任せて近くの本屋さんにいったり、散歩をしたりしながら過ごすのだが、昨日は久し振りにすぐ近くにある大丸山へ登る253段の長い階段を登ってみることにした。登り切るとビートルズトレイルと云われている尾根道へ出るところだ。ここを登るのは多分10年ぶりくらいだった。
 クルマを先生のお宅へ駐めておき、階段のある方向へ歩き始めた。するとリュックを背負って足を引きずるようにして黙黙と歩いている老夫婦に出会った。80才はとうに超えているように見えた。こんな事を云っては失礼だけれど、実に頼りない歩き方だ。私と同じ方向へ向っていたが、まさかあのキツイ階段を登るとは思えない。多分階段の下のところまで行って引き返すのだろうと思いながら追い越した。
 登り始めるといつもの栄プールの階段とは違って、かなり荒れている。栄プールの階段は毎日有志の方々が竹箒で掃いてくださるのでとてもきれいだが、ここは酷い。最近の私は歩き始めると身体が限りなくだるくて重かったのがウソのように解消されてきている(これには理由がある)。昨日はいつもの159段よりも多い253段を一度も休まずに登り切ることができた。息もきれなかった。気分は最高!私はルンルン気分で尾根道を歩いたり、写真を撮ったりした後、登り切ったところの案内看板を見ていた。すると、な、なんとさっきの老夫婦が登ってくるではないか!私は目を疑った。いやぁ、凄いな!じれったいくらいにゆっくりとしか歩けないと云うのに!じ〜んと心臓が熱くなってきた。どうやら奥さんの方が先導しているようだ。私は見送ってから頭を下げるようにして後ろ姿を撮らせていただいた。私は考えた。きっとこの夫婦は若い頃から山が好きで沢山の山に登ってきたのだろう。そうじゃなけりゃこんなに歩けるわけがない。そしてトシをとってからも歩くのが好きで、足が不自由になった今もこうして山を歩かないではいられないのだろう。私は勇気を貰った。なにか力が湧いてくるような気がする。どうぞいつまでもお元気でねっ!



 2012年1月1日(日) お正月
 いよいよフォトンベルトの年に突入した。
 何事も起こらないと良いのだけれど、、、、、

 毎年お正月に出番の奥田達朗の重箱。きれいだなぁ。
 同じく奥田達朗の片口、これもきれいだなぁ。
 漆仕上げの無垢の欅の卓によく似合う。
 片口には八海山の大吟醸酒だ。
 注ぐ盃は藤原啓、雄さんの合作。
 今年も家族全員が健康に恵まれますように。
 良い演奏ができますように。




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