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過去の日記帳 2011年4月 〜 6月

写真ははずしました。



 2011年6月30日(木)蛇口に、、、
 せんちゃんは年少組に通い始めてまもなく三ヶ月になる。そのせんちゃんが3日ほど前のこと、「ねえ、この水は使えませんって書いて」と云うので「水は漢字?ひらがな?」と訊くと「漢字で」という。「使うは?」「漢字で書いて」というわけで云うとおりに書いてあげた。そのまま忘れていたのだけれど、寝る前に洗面所に顔を洗いに行ったら、あれ、こんなところに貼ってあるぞ。せんちゃんはイタズラが大好き。これは間違いなく私からの遺伝だが、この張り紙にしてもどこかで見たのを覚えていたらしく、やってみたくなったらしい。私が張り紙を見つけたのを見て満面の笑顔で喜んでいた。
 せんちゃんは時計も大好き。私の母と妹が贈ってくれた腕時計も持っている。なのに私の大事な腕時計進めたり遅らせたりといじり回すので壊しそうでひやひやする。事実妻の腕時計原因ははっきりしないけれどは動かなくなってしまった。高いところの掛け時計は取りにくいのに、はっきりと「あの時計をとって見せて」と云わずに「ねえ、あの時計はどうやって掛けてあるの?」と云う。わかっているくせに何度も何度も同じことを云って困らせてくれる。その度にはずして見せてあげなくちゃならない。掛け時計は居間に漢数字のものとアラビア数字のものが、それに台所、洗面所と四ヶ所あるから、それらをいちいち外して見せてあげるのは可成り面倒くさい。それでせんちゃん専用の大きな掛け時計を百円ショップで買ってあげた。それでもまだ「ねえ、あの時計はどうやって掛けてあるの?」は終わっていない。おかげでせんちゃんはアナログもデジタルも今何時かわかるようになっているし、アラビア数字も漢数字もローマ数字も覚えちゃった。



 2011年6月19日(日)上林 裕子さん作曲の「時の外で」の2回目の合わせ練習
 上林 裕子さんの「時の外で」の2回目の練習を行った。本番まであと一ヶ月である。今回は最近数年ぶりで吹いているヘインズで吹いた。懐かしいヘインズの音!可哀想に何年間も放っておかれて、、、(このまま使い続けるかは未定)。
 毎日さらいまくってきたから最初の時よりも細かいところが見えてきて(聞こえてきて?)それなりの成果があった練習だった。吹けば吹くほどにこの曲に対する思いは募るばかりだ。上林さんの曲ではこの「時の外で」の他にも「オルシアの物語」もさらっているが、もうすっかり大の上林ファンになってしまっている私である。どの曲も上林さんが全身で感じたことが心にしみてくるのである。手前味噌の極みだけれど、私が調律した(ヴェルクマイスター第3番)ピアノがきれいに響くのが嬉しい。勿論これはさっちゃんのタッチが素晴らしいからだけれど。上林さんの曲はどれもピアノパートがものすごくきれいに書いてあるからピアニストとしても弾きがいがあるだろう。
 練習が終わってから山下さんが携帯電話でパリの上林さんに電話をかけた。日本よりも7時間遅れのパリはまだ早朝で、しかも土曜日だったからまだ休んで居たのかも知れないのに向こうからは「小出さん、今度オルシアに行きましょうよ」と優しい声が伝わってきた。そりゃ今すぐにでも行きたいよぉ〜!
 最近つくづく音楽をやってきて良かったなぁ、幸せだなぁ、と深く深く思うようになってきている。様々な音の世界を知ることができたし出会いや感動があった。それらに感謝しながら生きている私は幸せものだ。
(写真は山下 博央さんがハイビジョンカメラで撮った映像からスクリーンショットで切り取ったもの)



 2011年6月15日(水)裏山に咲いたガクアジサイ
 当マンション在住のH氏たちが数年前から裏山の階段沿いに挿し木をして植えてきた紫陽花が順調に育って今年はきれいに咲き始めている。写真の日本原産と言われているガクアジサイは階段の一番下の辺りに咲いているものだが、なんと綺麗な色だろう。立ち止まって見惚れてしまう。紫陽花にはやはり雨がよく似合う。紫陽花ではなく、紫雨花としたいくらいだ。熊本県の地獄温泉に登っていく道すがらに咲いていた紫陽花もきれいだった。鮮やかなブルーがぽっと光るように見えていた。紫陽花は実に種類が多く、なかには最初から枯れかけたような色になっているのも見かける。不公平なのだ。もっと惨めなのは花が枯れたときだろう。枯れたまま放っておかれた姿は哀れである。摘み取ってあげたら良いのに、と毎年思うことである。紫陽花には毒があると聞くが、虫が食ったあとを見受けるのは何故だろうか。
 この時期は苔もきれいだ。冬場には枯れ果て、色あせてこれでも生きているのかなと思わせるような哀れな姿の苔も、雨期になって鮮やかな緑に輝いている(これこそmoss greenだ!)。京都の寺社の庭で見る苔もきれいだけれど、人知れず存在する苔の美しさよ。おとなしく地味に生えている苔、私は大好きである。昔、毎年登っていた北八ツの天狗岳、その登り口にある標高1800メートルの唐沢鉱泉の建物の裏にヒカリゴケがあった。岩が裂けたような暗い穴の奧で光る様は不思議であった。自分で光るわけではないそうだけれど、まるで光っているように見えた。あの色もきれいだった。(2枚ともiPhoneで撮影)



 2011年6月8日(水)イタチ川にホタルが戻ってきた! 
 夕方に撮った写真で我が家の真ん前を流れるイタチ川(イタチは獣偏に由:鎌倉時代の書物にこの字で書かれていた)に架かる千載橋から上流方向を見たところだ。この川には色々な動物たちがやてくる。夜明け頃にベランダからここを見ていると抜き足差し足で小魚を狙う白鷺をよく姿を見かけるし、昼間には鴨が仲良くペアで泳いでいたりする。アオサギが来るとその大きさにビックリする。カワセミも時々見かけるし、ハクセキレイも沢山居る。大きな鯉もその数が増えてきた。キジバトが声帯が壊れたような声で鳴き、グライダーのように滑空して飛び交っている。いつか地区センターのところで見かけた大きな亀は最近見かけなくなったがどこへ行ってしまったのかな。(イタチ川で見られる鳥たち pdf)Adobe Readerをお持ちでない方→ダウンロードサイト(無料)
 今年はここにホタルが沢山現れて当マンションの住民達の目を楽しませてくれているのだ。夜の七時半くらいから結構沢山のホタルがかわゆい光を放って飛び交う様は清々しい夏の風物詩だ。「昔はこの川にもホタルが居たそうだよ」という話しは良く聞いていたが、私はまだ見たことが無かった。昨年頃までは様々なゴミがあちこちに散乱し、果てはタイヤや自転車などの大物ゴミが捨てられていて目を背けたくなるような状態であったが、それらが取り払われてきれいになったのでホタルを呼び戻したのだ。きれいになった川にはホタルが好んで食するカワニナなどが増えたのだろうと思われる。日本には40種類以上のホタルがいるといわれる。主なものはゲンジボタル 、ヘイケボタル、ヒメボタル、マドボタル、オバボタル、と言うが、イタチ川に戻ってきたのはどれだろうか。
 良く見るとホタルたちは一斉に同調して発光している。それはまるでクリスマスツリーのイルミネーションのようで実に不思議な光景だ。指揮ホタルが居るのだろうか。ホタルがそろって光るのはどうやらオスの同調現象と言うらしい。卵から幼虫、サナギ、成虫と、一生を通して光るホタルはほんとうに不思議な虫である。この川を汚さないで益々きれいにしていきたい。我がマンションは新年の餅つき会に始まってタケノコ、菜園、竹藪で行う流し素麺の会etc.などに加えて今回のホタルと、集う場所が増えてきてとても嬉しい。



 2011年6月7日(火)斑尾高原でコンサート(写真はハープミュージアムオーナーの坂田氏提供) 
 斑尾高原でのコンサートには会場に入りきれないくらいの人たちが集まって盛会だった。斑尾高原はスキーをやっていた頃は名前だけは知っていたけれど、行くのは今回が初めてである。こんなに不便な(失礼)な遠いところまで、よくもまあ大勢の方々がくるものだと思った。遠いところでの演奏は当日行くのでは唇のコンディションを保つ自信がないので大概の場合前日に行くのが習慣だが、今回は前日に甲府の温泉付きのホテルに泊まった。掛け流しの湯でとても気持ちが良かった。韮崎が近かったので梨響シニアオケでフルートを吹いている仲良しの小池さんとご夫婦と会うことができ、双葉に近い日本料理店で美味しい夕食を食べて英気を養うことができた。すっかり御馳走になってしまった。11月27日には梨響シニアオケと協演することになっている。
 私は嘗て八ヶ岳の標高2400メートルの山小屋で毎年20年ちかくも山小屋コンサートで吹いたことがある。標高の高いところでの演奏は可成り条件が異なって気圧が低いと身体、特に唇が膨張するので吹きにくく、息も苦しいのでまともに考えたら良いことは無いのであるが、とにかく雰囲気だけはとても良いから20年間もやった。今回の斑尾高原は斑尾山の標高が1,382mだから、会場はもっと低いはずである。なのに少々気圧の低さを感じた、と言うことは矢張りトシのせいであったのだろうか。
 コンサートには私の友人で音楽好きの佐藤さんと柏木さんもはるばるやって来て私をビックリさせたが、終わってからの食事会には満席で参加することが出来ず、宿も皆とは別のところへ行かされて気の毒だった。久し振りで会ったのにゆっくり話しも出来ず非常に残念だった。
 帰り道、豊田飯山インターチェンジの近くにある道の駅「ふるさと豊田」に入ってみると、まだ早朝だったが立派なワラビが山と積んであるではないか。私は思わず「ワ〜ッ ラビだ!」(注:蕨だ!)と飛びつくようにして買い求めた。45センチもある大物である。横浜ではスーパーにも出回るが小さいし、なにしろ値段が高い。ここでは半分以下の値段で売っていたから興奮してしまった。本当は自分で山へ入って採りたいところだけれど、何しろ時間が無いのでどうしようもない。
 例によって私のアクの抜きかたは塩漬けにすることである。決して茹でたりはしない。茹でるとコリコリ感が無くなってふにゃふにゃになるから好きじゃない。塩漬けだけでアクは完全にとれる。私はタケノコも糠で茹でたりはしないから、きっとアクが好きなのだ。 ■私の調理方法。 まずキレイに洗う。 甕に多めの塩で漬け込む。 重石をして蓋を閉めておく。10日ほど経ったときに一旦出して真っ黒に出たアク汁を捨て、再び塩漬けにする。(これで無毒化できて1年はもつ) 食べる時には一晩水に浸けて塩抜きをする。生の時のように固くて歯ごたえがあるワラビを適当な長さに切って醤油をかけ、唐辛子を振りかけて、「戴きま〜す!」 マヨネーズなんか間違ってもかけない。ぜひお試しあれ。私は料理は単純な方が好きなのかもしれない。



 2011年6月3日(金)カマキリ  
斑尾高原にあるハープミュゼウムで演奏する曲を練習し終わり、少し休んでから上林裕子さんの曲を練習し始めた時、一匹の小さなカマキリが譜面の裏から這い出てきて周りをきょろきょろ見回しながら譜面上を歩き回り始めた。いや〜、こりゃカワイイ! 私はカメラを持ってきて撮りまくった。
 実は今、我が家はちょっと大変なことになっているのである。1センチにも満たないカマキリの子どもが沢山家中を徘徊しているのである。先月のある日のこと、近所を散歩をしているときにふと見た足下にカマキリの卵がくっついた枯れ枝が落ちているのが目にとまった。きっと近所の子どもが捨てたものだろう。私が小さい頃、泡が固まったような卵から小さなカマキリがうじゃうじゃ生まれてくる場面を思い出した。私はそれを拾い、家に持って帰ってきたのである。妻に見せると「これはもう出た後じゃないの」と言う。私にはまだのように見えたが、そのままどこかに置いたまま忘れていた。ところが数日前、朝食の時にせんちゃんが天井を指さして「あそこに虫がいるよ!」と言うではないか。良く見たら小さな虫が天井で動いている。余りにも小さいから何の虫なのかよく判らなかったが、気がつくとあちこちの壁にも同じような虫が動いている。近寄ってよく見るとカマキリだった。拾ってきた卵が孵ったのだ。日ごとに数を増してくる。捕まえて外に出してやろうにも余りにも小さいのと、数の多さにどうにもならない。
 カマキリと言えば中学時代に忘れることが出来ない強烈な思い出がある。私は昆虫採集に凝っていた。その頃住んでいた石神井には灌木の林がまだ沢山あったのである。今では考えられないくらい沢山の種類の昆虫がいて私を夢中にさせたが、ある日カマキリの交尾を見たことがあった。その時、雌が雄の頭から食べ始めた時には本当に驚いた。胸が苦しくなってきた。何故逃げないんだ! 逃げろ逃げろ!と心の中で叫んでいたがどうすることも出来なかった。
 しかし小さなカマキリはカワイイな。カマキリは居る場所によって身体の色が変わる擬態をすることが知られている。家の入り口のコンクリートの壁に居る時には壁の色になっているし、緑の草の中で見かける時には緑色になっている。私にも擬態や天井を這い回ったりすることができたらさぞかし面白かろうに。そういえばカフカの小説に変身と言うのがあった。とにかくカマキリは興味をそそる昆虫である。



 2011年6月1日(水)今年もトケイソウが咲いた
 日課になっているウォーキングコースの道すがら、今年もトケイソウの花が咲き始めた。咲いている場所に来るとたいがいの場合立ち止まって見惚れてしまう。まるでゲーテの詩「野バラ」の「その傍らにはせよって 飽かず眺めた つくづくと」のように。見れば見るほど変わっている。咲いているのは二箇所あるうちのまだ一箇所だけだ。名の由来は時計みたいに見えるからだろうが、しかし以前にも書いた事があるけれど英語では passion(受難)の花という意味から passionflower と言うのである。真ん中の部分が十字架に磔刑されたキリストに見えるかららしい。つくづく国によって感じ方も違うものだなあ、と思ってしまう。トケイソウの花言葉は「信心」「宗教」「信仰」「宗教的熱情」「聖なる愛」などと云う。
はりつけ :「罪人を柱に縛り付けて槍で刺し殺す刑罰。磔は西洋でもユダヤ、古代ギリシア、ローマなどで古くから行われた。おもにキリスト教の迫害に用いられ、イエス・キリストの磔が有名である」(日本大百科全書)
 passionと言えばバッハのマタイ受難曲が頭の中で響き渡る。そして同時にアンナ・マグダレーナ・バッハが書いたとされる「バッハの思いで」(ダヴィッド社版)の中での文章の一節が思い起こされる。
「あるとき、わたくしは不意に彼の部屋に入っていったのですが、そのときちょうど彼はマタイ受難曲の中のアルト独唱「ああ、ゴルゴタ」を書いているところでした。平生は安らかで血色の良い彼の顔がすっかり灰色になって涙さえ溢れ出ているのを見たとき、わたくしはどんなに感動したことでしょう!彼はわたくしに気がつきませんでした。わたくしはこっそりとまた外へ出て、彼の部屋の戸口の階段に腰をおろすと、わたくしも泣いてしまいました。(中略)わたくしは彼のところへとんで行って、彼の頚すじにしがみつきたい衝動を感じました。」
 バッハの信仰心と感情豊かな人間性を見たようで感動する文章である。夫婦の愛の深さを感じる。
 トケイソウには沢山の蕾がつくが、それらが全て咲くとは限らないようだ。蕾が鈴なりになっていても咲かずにそのまま枯れてしまうことが多いのである。不思議な花だ。トケイソウの種類は500以上だと云うから驚く。花期は5〜11月と長い。(iPhoneで撮影)



 2011年5月30日(月)上林 裕子さんの「街の灯」 
 2010年9月26日に行われた“7回 Old New Faces Flutes Concert”の中から
アンコールで演奏した上林 裕子作曲
「街の灯」
をYouTubeにアップした。YouTubeへのアップは今回が初めて。
ピアノの向こう側にはこの日の共演者、弟子で同僚の野勢 善樹さんにあげた八海山のビンが見えている。
この動画は山下 博央さんが記録してくださったものです。



 2011年5月29日(日)上林 裕子さんの「時の外で」の初練習
 昨日は来る7月17日に行われる“ノイーズ会フルートコンサート ”で演奏する「時の外で」の初練習日だった。待ちに待った上林 裕子さんの「時の外で」の3人揃っての初練習だと思うと胸が高鳴ってちょっと興奮気味だった。頭の中では曲の響きを想像していても、実際には一体どんな世界が生まれてくるものなのか、興味津々で迎えた今日である。上林さんの音楽は起伏がとても大きい。例えば今回の「時の外で」の第一楽章「夜、遠い光」という静かな音楽の中にもフォルテが出てくるし、第三楽章の「白い光」の中にもフォルテがでてくる。こういう曲で特に注意すべきところは大きい音を出そうとする事は当然であるが、ピアノ(弱音)をどれくらい小さく演奏することが出来るか、という事であろうと思う。振幅を広くしなければならない。我々は、ともすると弱音が弱くなりきっていない場合が多いのだ。私がいつも云っている「世の中にフォルテが溢れているが、ピアノ(弱音)が無い!」を肝に銘じて演奏しなければならない。これが上林さんの音楽を演奏する上での大きな注意点だと思う。彼女が感じたこと、意図したこと、デリカシーを忠実に演奏しなければならない。私はいつもラヴェルの楽譜を見ると「何てきれいなんだろう!」と思うことが多いが、上林さんの譜面をみても同じように思う。まるで模様のように綺麗に音符が流れている。上林さんの曲は私の知る限りどの曲もピアノパートが綺麗だ。響きがとても美しい。きっと本人は相当にピアノが上手に違いないと想像している。
 2010年の9月にOld New Faces Flutes Concertのアンコールで「街の灯」を演奏して以来、すっかり上林ファンになってしまった。作品の一曲一曲の個性が異なっていても、そのどれもが上林さんを感じさせる音楽なのである。当たり前の事のように思うだろうが、これは凄いことなのだ。改めて上林 裕子さんの存在を教えてくれた山下 博央さんに感謝しなければならない。
 それにしても山下 博央さんは本当によく吹く。指は良くまわるしパウエルの木管を効率よく響かせていて、これはもう完全にプロの世界の人だ。相当なものである。そしてピアノのさっちゃん(本山 佐知子さん)の上手だったこと!きれいな音!この2人は大学(上智)時代以来の名コンビなのである。プロでなくてもこんなに上手な人が居ることを脅威に思う。



 2011年5月26日(木)桑の実
 ウォーキングコースの途中三カ所に桑の実がたわわに実っている。私はこの実を見ると遠く岡山県の西大寺に住んでいた終戦直後の頃を思い出すのである。会陽(えよう・子供の頃はエーヨーと云っていた)という裸祭りで有名な観音様のちかくの吉井川にかかる永安橋(えいあんばし・エヤンバシと云っていた)を渡って右の河口の方へ歩いて行くと、左右に桑の木がたくさんあった。当時小学校ではカイコを飼うのが流行っていて私も例外ではなかったから、しょっちゅうエサの桑の葉をとりに行ったところなのである。今頃になると沢山実がなって夢中で食べた懐かしい想い出。赤いうちはまだ酸っぱくて食べられないけれど、紫に色付くととっても美味しく、口の周りが染まるほど食べたものである。食べきれない分はポケットが一杯になるくらい持って帰った。
 せんちゃんはこの桑の実が大好きだ。せんちゃんは幼稚園から帰ってくると顔を弾ませながら大きな声で「クワの実を採りに行こうよ!」と言う。それで私と2人で採りに行くのが習慣になっているのである。全部で三箇所(ヒミツ)あって、そのうちの二箇所は家から近いところにある。せんちゃんの手が届くところにも実っていて、その柔らかい実を潰さないように慎重にちぎっている器用なせんちゃんだ。この桑の実に限らずせんちゃんは私の好みを遺伝で受け継いでいることが多い。例えば海老の天麩羅は勿論どこも残さずに全部食べてしまうのだけれど、特に尾が大好きでここから食べ始める。鮭の切り身は皮から食べはじめ、食べてしまうと人の分まで欲しがる。鶏のモモを焼いたものでも皮から食べる。まだまだ有るが、言い出すとキリがない。
 ところで裏の竹藪の階段を少し登った所の左側にあった、まだ1メートルにも満たない小さな山椒の木が無くなってしまった。歩きながらでも手が届くのでちょっと心配だったが、とても悔しい。山椒が大好きな私はこの木が大きくなるまで大事に育てようと葉を取るのも控えめにしていたと言うのに、一体誰が持って行ってしまったのだろう。今まで有ったものが突然何の予告もなく無くなってしまうのは嫌なものである。生えていた所にその痕跡が残っているのが痛々しい。



 2011年5月24日(火)上林 裕子さんの音楽
 最悪の人災ともいえる原発事故のことで頭がいっぱいで憂鬱な毎日を送っているので記事の更新もはかどらない。しかし毎日の練習の方はうまくいっている。愛器パウエルの木管シリアルナンバー 12771は吹き始めてから四年半以上になって、ますます響くようになってきている。分厚いグレナディラの管体が、まるで薄い管が効率よく目一杯に響くかのような感じで振動が指に伝わってくるのが心地よい。息の量だってもう一本のヘインズの金管と全く変わらず、少しの量で充分響いてくれるから肺活量が少ない私にとってはとても有り難い。昔から木管は色々と吹いてきたけれど、今のパウエルほど良く響いたフルートはなかった。一体どこまで響くようになってくれるのか、期待が膨らむ。吹き方に関しては吹く度に考える。その日の健康状態や天気や気温などによって毎日違うからだ。一番気をつけないといけないのは無理をして鳴らそうとすることだ。これは肝に銘じておかなければならない。私にとっての一番良い口の形は大切にして決して壊してはならない。調子が良くない日に無理をして響かそうとすると口を壊してしまう。良くないと思った日には無理をせず、少しくらい鳴らなくても良いからいつもの口で吹く。そうしているうちに次第に解れてきてもとの良い状態が戻って来ることもあるのである。
 最近沢山の曲を練習しているが、その中でも特に上林 裕子さんの音楽に魅力を感じてひきこまれている私である。今まではよく知らなかった上林さんの音楽の存在を教えてくれたのは山下 博央さんだった(7月17日にノイーズ会フルートコンサートで山下さんと「2本のフルートとピアノのための 〜時の外で〜」を演奏する)。上林さんの感情豊かな感性、情熱が音になった作品は非常に美しく魅力的である。その感性をどこまで表現できるものか、練習には熱が入る。なかなか難しいところが至る所にあって大変だけれど、なにくそ、と練習にも力が入る。秋のコンサートでは同じ上林さんの作品「オルシアの物語」を吹くことを考えている(これが又ものすごく難しい)。
 11月20日に梨響シニアオケと共演するライネッケのコンチェルトもさらっている。これは何年か前に吹いたことがあるが、今回も沢山の新発見があってとても楽しく練習している。
 譜面台で練習しているとせんちゃんが触って目がまわるので、このようにチェンバロの上に臨時の譜面台を作って練習している私である。(写真は“時の外で”の第一楽章の譜面)



 2011年4月25日(月)裏山の筍
 出た出た!立派な筍が!
 竹林に見事な筍がにょきにょきと出てきている。当マンションの「たけのこ会」人たちが手入れをし始めて数年が経ったが、昨年辺りから立派なのが出始めている。特に雨が降ったあとは沢山でるようである。今年も昨年に続いて見事な筍が収穫され、それを格安にて販売するので誠に有り難い。野菜や果物などが一年中手に入る時代になっても筍はそうはいかない。一年中で今頃だけナマにありつけるのだから季節感もあって有り難さも格別である。前にも書いたことがあるけれど、私はちょっと変わっていてアクがすきなのだ(自分があくが強いからか)。だから茹でるのに糠は使わない。酢味噌和えに木の芽を添えていただいたり、味噌汁でいただいたりする。私は歯が丈夫で入れ歯は一本もないから根っこの固いところも食べる。ここも又美味しいのだ。筍だったら毎日食べても飽きない。「たけのこ会」の人たちに感謝している。
 筍の話題となると毎回書かずにいられないことがある。昔、京都の人から教えて貰った一番贅沢で美味しい食べ方だ。頭を出したばかりの筍の上で焚き火をして、出来上がったころに先っぽを切って出汁を入れる。しばらく時間が経ってから掘り出してほくほくのところを食べる、と言うものだ。ものすごく美味しいそうである。これはまだやったことがないけれど一度はやってみたいと思っている。想像するだけでヨダレが出そうになるが果たして実現できるだろうか。
 何十年も前から懇意にしている京都の先斗町にあるおでん屋さん「万両」で戴く筍も美味しい。今頃行ったら食べられるのだ、あゝ行きたいな。またヨダレが出そうになった。(写真は裏山で収穫した筍)



 2011年4月14日(木)裏山の斜面は春爛漫 私のウォーキングのコースで、せんちゃんが幼稚園に通う時に通る裏の山道には毎年今頃になるとムラサキハナナと菜の花が賑やかに咲く。フラワーショップの花も綺麗だけれど自然に生える花はこれ見よがしのところがなくて好きだ。日影になっているムラサキハナナの向こう側にはスポットライトを浴びたようにひときわ菜の花が眩しい。私が住むマンションの有志達が種を蒔いたものだが、竹林の手入れをした一昨年くらいからこの辺りの日当たりが良くなって益々増えてきている。ムラサキハナナはショカツサイ(諸葛菜)、ハナダイコン(花大根)とも云われているものだ。
 菜の花と云うと山村暮鳥の詩「風景」を思い出す。
いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな かすかなるむぎぶえ いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな ひばりのおしゃべり いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな いちめんのなのはな やめるはひるのつき
 ムラサキハナナの正式名はオオアラセイトウと云う。この名は昔私が石神井に住んでいた頃近くに居た偉大な植物学者牧野富太郎博士が名付けたものだ。
 ムラサキハナナ(紫花菜) は黄色のハナナ(菜の花)に対して紫色の菜の花からとされるが、ここにはその両方が隣り合わせにコントラス良く咲くのである。ムラサキハナナの花言葉は知恵の泉、熱狂、優秀、仁愛。
 この斜面ではまもなく筍も出る。今年は気温が低かったからどうだろうか。



 2011年4月10日(日)サントリーの角瓶 これから書くことはぜんぜんコマーシャルじゃないんだけど、ま、読んでください。
 我が家が普段の生活必需品を買いに行くところは1箇所に決まっていない。近所のスーパー、港南台駅にあるデパートやスーパー、更にはららぽーと横浜や三和トレッサ横浜店などにも遠出をするのだけれど、行く前にネットで調べてその日に買いたいものの1番条件が良いところへ行くことにしている。
 そしてある日、三和トレッサ横浜店で買い物をしていた時だった。ふとサントリーの角瓶が目に入ったのである。懐かしいなあ、昔飲んだよなあ。私がまだうぶで飲酒歴がスタートした頃のことが思い出されて来たのである。その頃に住んでいたのは相模原でまだ二十歳を少し超えたころだったろうか、この角瓶を買ってきて恐る恐る飲んだのである。五十年ぶりの対面である。角瓶が一体どんな味だったのだろうか、ちょっと飲んでみたくなった。値段を見ると1180円と書いてある(定価は1480円らしい)。お、安いな。私は一本を手に取ると買い物籠に入れた(後で分かったことであるが、今は角瓶も角瓶、白角、角瓶黒の三種類ある)。家に帰ってきてから夕食までの時間が長く感じられた。やっと夕食時になった。私はガラスの酒盃に琥珀色の液体を注意深く注いだ。綺麗な色をしている。そっと口に入れてみた、いや〜旨い、旨いじゃないか!この味にはちょっとびっくりした。こんな味だったのかなあ、五十年の間に味付けが変わったのだろうか?それとも自分の味覚がかわったのだろうか、それは分からないけれど、想像していたよりもグッと美味しいのだった。これは困ったぞ、クセになるかもしれない。
 角瓶の誕生は1937年だそうであるから、これはほとんど私と同年だ。親しみも湧くと云うものである。ところでビンにはSuntoryWhiskey 1937 と書いてあるだけで、角瓶とは書いてない。現在は反対側に小さく角瓶と書いてあるが1990年代まで角瓶の名は付いてなかったという。それが誰云うともなしにビンの形から「角瓶」と云う言い方がされだして1950年頃に定着したのだというから面白い。この頃のテレビの可愛いらしいコマーシャルが懐かしい。社名も寿屋であったが、それが今から47年前の1964年にサントリーに変わった。ちなみに日本で最初の原子力発電が行われたのは1年違いの1963年であった(関係ないか)。外国へ行った時など、空港の免税店でたまに買うロイヤルサリュートの舌がとろけそうになる猛烈な旨さは別格だ。しかしカクビンも確かに美味しい。私は角瓶、白角、角瓶黒の三種類とも飲んでみたが、やはりオリジナルの「角瓶」が一番好きだった。先日、金沢の寺喜屋でご一緒した福光の阿部夫妻との時も最後の仕上げは「角瓶」であった。安いウィスキーに対する風評は色々あるが、しかしこの際気にしないでいいだろう。その方が気分が良いんだもん。 [昔のコマーシャル]



 2011年4月1日(金)合唱団La Vitaの15周年記念コンサート
 小松市で行われた合唱団La Vitaの15周年記念(第3回)コンサートを終えて帰って来た。大震災後まもない時に妻子をおいて1人で出かけたので心配だった。原発はどうなっているのか、余震は大丈夫だろうか、停電で困っているんじゃないだろうか、と心配のタネは多かった。福島の原発は1号機から6号機までが何故あんなに接近しているのだろうか。また使用済み核燃料の保管場所が原子炉のすぐ近くにあるのは何故なのか、何千本もあるのに危ないじゃないか。原発への不安は他に例がないくらい大きい。嫌で嫌でたまらない。嫌な気分に支配されてがんじがらめになって一瞬も抜け出せない。出かけている間は頻繁にニュースを見ていた。夜中に起きたときにも見ていた。
 小松は3月も末だと云うのに空気が冷たく、時々雪が舞い、まるで真冬のようだった。La Vitaのコンサートは今回が3回目だが15年前の発足で3回とは非常に少ないと思う。指揮及び指導は工藤俊平さんが行っている。会場のこまつ芸術劇場うらら小ホールはほぼ満席だった。私はバッハの無伴奏フルートソナタイ短調BWV1013(アンコールにドビュッシーのシランクス)、それとバッハのカンタータ第106番“神の時こそ いと良き時”BWV106 を演奏した。これをフルートと甥のウォリーが弾く鍵盤楽器で演奏したわけであるが、初めての経験だった。第1曲目の私のソロは吹きやすいホールのおかげで気持ちよく吹くことができた。コーラスも歌のソロも気持ちがこもっているのが良かった。コーラスが好きでたまらない、という感じに溢れていた。終演後はフランス料理店で2005年もののボジョレーを飲みながら、ぐっと打ち解けた雰囲気のなかで楽しい時間を過ごした。
 家が心配でしかたがないと云いながら私は小松の演奏会を終えた翌日、コンサートにも来てくれていた福光の阿部夫婦と金沢で落ちあい、千日町と片町を結ぶ犀川大橋を渡ってすぐの所にある昔から馴染みの寺喜屋で美味しい魚を食べた。前々からの約束だった。当ホームページにも度々出演?してもらっているお二人と底抜けに楽しい数時間を過ごした。コンサートで緊張していた体もすっかりほぐれた。なにしろバッハの無伴奏フルートソナタを演奏すると言うことは、私にとって計り知れないくらいのエネルギーと緊張感を要するのである。
 帰りのボーイング767-300の機中では早く家族に会いたいと思うと同時に小松で一緒に過ごした人たち1人1人のことを思い出していた。(写真は小松での打ち上げ会の様子:画像にマウスONで寺喜屋での画像に変わります




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