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過去の日記帳 2009年4月 〜 6月

写真ははずしました。



 2009年6月27日(土) アンテナは撤去
 9日間留守をしていた間に行われた私のマンションの理事会で、屋上のモバイルアンテナは以後使用しないことが決まった。先月24日に行われた総会での私の発言が聞き入れられたわけである。この総会に出席できなかったら何事もなくワイマックス用への引き継ぎが決まっていたことが想像される。ゾッとする。場所使用料が組合費へプラスになるからだと言って電磁波に対して危惧を抱く私の意見を無視するように「先ずはとにかく業者に会って話を聞いてくれ」と言っていた理事長は残念だったことだろう。話の分かる理事が居て良かった。
 頭の上に重くのしかかっていた嫌な気分は一応は去ったが、こうなったら一刻も早く頭上のアンテナを撤去して欲しいものである。見ているだけでも気分が悪くなる。



 2009年6月24日(水) しばし憂き世のストレスから離れて
 嶽温泉の湯は以前からすこぶる気に入っている。とは言っても我が家からは遥かに遠く、ゆうに800キロはある。しかし好きなところは室生犀星の言葉を借りれば「遠きにありて思うもの」なのである。遠いから有り難みもまた格別なのだ。クルマの運転は800キロだろうが1000キロだろうが好きだから少しも苦にはならないけれど、もしも乗り物を乗り継いで辿り着いたとしたら有り難みは更に大きなものかもしれない。
 広大な津軽平野に巨人がマントを羽織ったような姿をして一際目立つ海抜1625メートルの津軽富士(岩木山)の偉容は独特だ。見る方角によって様々な異なる形に見えるのも不思議な山である。その岩木山の麓に湧く嶽温泉は妻の実家からさほど遠くはない。青森ヒバの浴槽に満満と溢れる天下一品の湯に身をゆだねてしばし憂き世の雑事から離れてくつろぐのは、今の私には何よりのものだった。せっかく定年を迎えて悪性のストレスから解放されたと言うのに、最近住まいのことで頭がいっぱいになっている私にとっては命の洗濯をしたような一時であった。
 しかし、素晴らしい旅行も帰途のハンドルを握ったとたん、せっかくほぐれた身も心も再び元の状態に戻りそうになった。N響現役時代はストレスをうまく処理してきた私である。しかしなんで今頃になってまでこんな目に遭わなくちゃならないのか、と腹立たしい。世の中は儘ならぬものだ、とつくづく思う今日この頃でる。長生きをして妻とせんちゃんの健康で幸せな生活を守らなければならないと思ってやまない私である。やがて私なりの良い結論を得ることができるだろう。
 往き道は一気に走ったが、帰りは途中の鳴子温泉に寄って幸雲閣に一泊した。宿のうたい文句に「源泉100パーセント、掛け流しの贅沢」が気に入って宿泊したのは良いけれど、内湯も露天風呂も太いパイプを使って堂々と循環していたのはちょっと赦せなかった。



 2009年6月2日(火) 頭上の恐怖
 このところ鬱陶しい気分の毎日を送っている。頭上のモバイルアンテナが使用期限を過ぎたため三月いっぱいで使わなくなってほっとしたのも束の間、これを使って最近話題になっているワイマックス用に再び使おう、と当マンションの総会で議題になったのだ。理由は場所使用料が入るから当マンションの組合費へプラスになるからだという。大体この大きなアンテナは長い旅行から帰ってきたら設置されていたものだ。もちろん組合からの知らせもあったと思うが、はっきりとした記憶がない。当マンションは三棟あるけれど、それが我が家の頭上に設置されるとなれば何か一言あって当然だと思うのだが、何もなかった。
 私は電磁波が幼児にあたえる影響が心配で深刻にならざるを得ないのである。私は昔から電磁波に対しては神経質で、クルマ、テレビ、寝室、パソコンなどにも電磁波除けグッズを使っている。携帯電話はイヤフォンで聞くようにしている。因果関係がはっきりしていないと云う人も居るけれど、しかし世界的に問題になっているのである。絶対にに無害であると証明されたならば設置も良いけれど、しかし疑わしきはNoと云うのが当然ではないのだろうか。北欧のように進んだ取り組みをしている国が羨ましい。我が国のこの分野は残念ながら世界中で最も遅れているのが現状である。日本の電磁波行政に関して云えば後進国の筆頭なのだから自慢できたことじゃない。電磁波に対してWHOが新基準を公表しているが、そこには小児白血病の確率が2倍に達すると書いてあるのである。小児白血病と超低周波磁界の関係すなわち「平均0.4マイクロテスラ(4ミリガウス)以上の低周波磁界の環境では、小児自血病の発症が2倍ほど増える」という疫学研究の結論が出ているのである。英国のスチュワートレポートの「携帯電話電磁波リスク問題について」というところには「市民が携帯電話や基地局の健康影響に関連した最新の情報に容易にアクセスできるよう改善がなされるべきである。」と明記してあるし「携帯基地局を設置する場合は、その計画策定が独立した機関によって点検される必要がある。」としている。 一才と八ヶ月の子を含む家族3人にとってただ事ではない。おちおちしていられない毎日を送っている。



 2009年5月26日(火) ウェスト・サイズ・ストーリー
 
 昨日ららぽーと横浜へ行った。
 ジーンズのズボンを試着した。係の女性はLとMサイズを渡してくれたが、はいてみると両方ともぶかぶかだった。店の人に頼んでSサイズを持ってきてもらったらぴったりだった。これには自分もびっくりした。かつて私の体重は63キロ、ウェス・トサイズは90センチくらいあった。これが数年サイクルで風船のように5,6キロ膨らんだり萎んだりの繰り返しが続いていたが、現在努力の甲斐あって体重55キロ、ウェストサイズは70センチ台にまでになった。ここ2年ほどこれで安定している。これを維持しなければならない。
(写真は2000年頃の私の腹)

 妻の一言:あのズボンはアメリカサイズだから大きいんだよ。



 2009年5月24日(日) エゾシカ
 時々当ページに登場して頂いている北海道の標茶にお住まいのアマチュアフルート奏者Dさんが「先日、隣町厚岸に行く途中、道路沿いにエゾシカがいましたので、パチリ。今の時期、新緑の中にエゾシカの茶色とお尻の白色がとっても映えています。」というメッセージと共にこの写真を送ってくださった。広い草原で一斉にこちらの方を見つめるエゾシカの群れ、なんとものどかな写真である。
 エゾシカと言えば最近話題の多い旭川の旭山動物園に新しくオープンした「エゾシカの森」のことが話題になっている。4月29日から夏季営業を始めた初日から1万人の家族連れでにぎわったと言うからすごい。
 そのエゾシカも近年爆発的な増加で牧草地の被害や車との事故、鉄道との事故などが問題になっているそうである。これは100年前に狼が絶滅した後、天敵がいなくなったことが原因になっているのだ。このままだと数十年後には森林の生態系に深刻な被害が生じるのではないかと危惧されており、絶滅したエゾオオカミの再導入が検討されるに至ったと聞く。最近では囲いわなという仕掛けで一度に多くのエゾシカを捕獲しているが、エゾシカにとっても災難なことだ。捕獲したエゾシカはエゾシカバーガー、鹿刺し、もみじ鍋、フレンチ食材、革製品などになるそうである。
 そんなことを思いながらこの写真を眺めていると、なんとなく哀れな気分になってくるのである。



 2009年5月20日(水) iPhone
 N響在職中の随分前の話になるけれど、携帯電話が普及しだしたころ、自分も使いたいと思い始めた。それで一体どんなものか知りたくて既に使っていた木管仲間のM氏に聞いてみた。「一ヶ月で大体いくらくらいかかるの?」すると「うん、安いよ、6万円くらいかな」という。6万円が安いだと?でも正直にこりゃ無理かなとも思った。しかしdocomoと契約して使い始めてみると全くそんなことはなかった。そのころのdocomoは大きくて重かったものである。以来Vodafone、再びdocomo、と買い換えてきた。
 最近になって今使っている機種が古くなったなあ、と思い始めていた。妻などは人前で出すのが恥ずかしい、という。そうしたらタイミング良くSoftBankではキャンペーンを行っているという話しを聞いた。その内容はiPhone自体の代金は毎月のサービス金額と相殺されて0円になるというもので、更に有り難いサービスも付くと云うのである。それで今回はSoftBankのiPhoneにしようと思った訳である(キャンペーンは今月末まで)。1994年にパソコンをやり始めて以来のマック党である私にとってiPhoneは身近に感じられる機種だ。こいつはパソコンに電話が付いたようなものだから使い慣れたら良さそうである。これが0円で手に入るとなれば御の字だ。
 それにしても相変わらず料金体系のややこしさ、難しさは普通じゃない。カタログやチラシを見ても私には良く分からない。もっと分かりやすくしてくれッ!と大声を出したくなる。でも受付をしてくれた係の女性が色白の美人だった。しかも親切丁寧に優しい対応をしてくれたから気持ちよく契約してしまったわけである。しかし2時間もかかるとは。妻が一緒じゃなかったら更に2時間かかったのかもしれない。対応をしてくれた美人さんに「新しい機種が出る度にこんなにややこしいものを覚えるのは大変でしょ」と同情する私に「そうなんですよ」と笑顔で答えてくれた表情も良かった。電話番号はdocomoの時と同じにできたけれど、メールアドレスはそうはいかなかった。が、これは仕方があるまい。使いこなせばなかなか面白そうだ。早く慣れたい。



 2009年5月16日(土) 田浦小学校のクラス会
 私は父の仕事の関係で転校ばかりしていたからこんなに落ち着きのない性格になっちゃったのではないかと思っている。でもこのトシになって思えばクラス会が沢山あって実に楽しいのである。しかし中には僅か2,3年で転校することもあったから学校が頭の中でごっちゃになって仲間の顔を間違うことも多くて困ることもある(時間が経つとちゃんと思い出すことができるのだけれど)。たいがいのクラス会が数年に一回くらいだが、田浦小学校のクラス会は毎年行われているから、これはとても良いことだと思う。
 今年は京急追浜駅から近い「うれしたのし屋」で行われた。ここは魚も旨かったし、座席も足を下ろせるようになっていたので腰痛持ちで正座が苦手な私には有り難かった。今年も物故者が居なくてホッとしたが、呑みながらの話題となるとしばらくの間は成人病の話しばかりになるのも当然かもしれない。なにしろ1938年生まれなのだから、嗚呼。今年の参加者は例年よりも少なく、11名だった。来年のクラス会が待ち遠しい。



 2009年5月13日(水) 健康
 フローレンス・ナイチンゲールの誕生日である5月12日は「看護の日」だ。毎年この日に行われる「神奈川看護フェスティバル2009」は県内関連施設で幅広く行われたようであるが、私もささやかながら参加することができてとても嬉しく思っている。10年前に入院したことがある横浜栄共済病院は言わば私にとって命の恩人。入院中にお世話になった医師やナースの人たちに対しては言葉では言えないほど感謝している私である。入院中に見た秒刻みで動き回っているナースの方々の働きぶりには感動したものである。そのお返しと云えば大袈裟だけれど、やらせていただくことでいくらか楽な気持になることができるのである。
 今年は2004年にも演奏してくださったことがある安 弘子さんのピアノと一緒に日本情緒たっぷりの曲を演奏した。写真でもわかるように点滴をしながら聴いて下さる方も居るのである。私は一日も早い全快を祈りながら吹いた。(写真は栄共済病院提供)



 2009年5月9日(土) フローレンス・ナイチンゲールの誕生日に
 5月12日は看護師フローレンス・ナイチンゲールの誕生日である。横浜栄共済病院ではこの日を記念して毎年記念行事を催しているが一連の催しの中の一部としてのコンサートに参加させていただくようになって10年近くになる。私が健康維持の為にお世話になっている横浜栄共済病院へのお返し、と云えば大袈裟だけれど、毎年演奏をさせていただくのは嬉しいことである。
 今年のピアノは遥遥茨城県から安 弘子さんが参加してくださることになり、昨日は練習をした。安さんは茨城大学教育学部音楽科の卒業で在学中に友人(フルート)のレッスンに伴奏者として来たとき以来だから長い長いお付き合いだ。栄共済病院での演奏も今回は二度目の出演である。ところでせんちゃんはいまだに人見知りをするが、安さんは例外だった。最初からニコニコ顔で近寄っていくのである。更に大きな声で嬉しそうに笑いながらずっと側にいるのだった。これは非常に珍しいことである。きっと彼女の優しい表情と声に惹かれたのだろうと思う。
 プログラムは心が和むような曲を、というコンセプトから中国地方の子守歌、浜辺の歌、夏の思い出、城ヶ島の雨、月の砂漠、やしの実、七つの子、赤とんぼ、埴生の宿、庭の千草変奏曲と云った内容である。城ヶ島の雨は矢代 秋雄(1929年 - 1976年)さんが編曲したものを演奏する。矢代さんは横浜栄共済病院がまだ大船共済病院と云っていた頃に入院されたことがある人なのである。コンサートは一般の方でも参加できるので、どうぞお出かけ下さい。(「コンサート」を参照)



 2009年5月8日(金) 南魚沼の友人マクレラン牧子さん
 南魚沼市にお住まいの友人マクレラン牧子さんからのお誘いで二泊三日の旅行に出かけてきた。関越道の六日町インターへ待ち合わせ時刻の15分ほど前に到着したが、殆ど同時に牧子さんも友人のSさんと一緒に来てくれた。そこから10分ほど走って牧子さんのお宅に到着。標高161メートルの山麓に在る牧子さんのお宅は新緑に囲まれて八海山を遠望するロケーションが素晴らしいところである。家に着くとすぐに牧子さんは家の裏手で山菜を採り始めた。おお、私が一番好きな山ウドもあるではないか!最近どこででも手に入る白っぽい栽培ものとは違って全体が濃い緑色の天然の山ウドの香りと美味しさは例えようがない。風味を損なうからアク抜きなんかしないで食べるのが好きだ。酢味噌和えも美味しいけれど私は天麩羅が一番だ。牧子さんの料理上手は去年夕食を御馳走になった時から知っていたが、手早く作ってしまうのも特技のようである。初日から贅沢な夕食であった。私たちが泊めていただいたのは木の香りがプンプンしている別棟だった。コンクリートの建物で生活している私にとって木造の建物は身も心も和んでホッとした気持になるのである。せんちゃんは部屋に沢山いたテントウムシを夢中になって追いかけ回していた。テントウムシは普段見ている絵本にも出てくるから親しみを感じるのだろう。風呂も良かった。水質が抜群に良いから肌が滑らかになった。
 翌日は楽しみにしていたバーベキューである。横浜地方は曇りでぱっとしなかったらしいけれど、魚沼は晴れて気温も22度ほどまで上がりバーベキューにはもってこいの日和になった。この日は三十数名が集い、食べ、飲み、そしてスイカ割りなどのアトラクションもあって楽しい数時間を過ごした。初めての人も居たけれど三十数年まえからお付き合いをしている人も沢山居て話が弾んだ。健康上の理由から普段は肉をひかえている私であるが、この日は特別と云うことにしてMさんが前の日から仕込んだスモーク豚をいただいたがとっても美味しかった。生ビールもうまかった。なんと贅沢なことにビールサーバーである。新緑のなかで美味しいオイシイ。もちろん地元の銘酒八海山が無いわけがない。八海醸造社長の南雲二郎さんも来ていた。久し振りであった。参加者は他府県からの人も多く、中にはフルートをやっているという人も何人か居た。牧子さんの人脈の多さには驚いてしまう。六日町インターに到着した時にインターまで迎えに来てくれたSさんが弾くキーボードに合わせて歌声が始まるとバーベキューも佳境に入って益々盛り上がった。笑顔が溢れた。
 翌朝、美味しい朝餉のあと、10月のコンサートの時に会いましょうと約束して後ろ髪を引かれる思いで帰途についた。楽しい三日間であった。(写真は牧子さんのお宅のすぐ裏手で)



 2009年4月29日(水) せんちゃんと近所の散歩
 一仕事終わったので今朝はせんちゃんと二人で近所を散歩した。昨日よりも幾分暖かくなって心地よく気分は最高。まず家を出てからすぐ裏手の竹林の山道の階段を98段登り、そこからは平坦な道をマンションの裏側に沿ってぶらりぶらりと歩く。タンポポやカラスエンドウなどが咲いている。ツツジは幾分時期を過ぎた感じだったけれど、まだまだ満開のようできれいだ。ふと見ると真っ白なツツジが咲いていた。そこには気分良さそうに日向ぼっこをしている蟻がいた。話しかけたかったけれど、そっとしておいて写真だけ撮らせてもらった(写真)。マンションのはずれまで行ってそこから回り込んで、今度はマンションの表側を歩いていく。この道はケヤキの新芽がきれいだ。ここへ引っ越してきた当時は幼木だったが、今では実に立派に大きくなっている。この道には地区センターという便利な所があってよく行く。就学前の子供しか入れないプレイルームという部屋があるので、ここで遊ばせたり子供同士のコミュニケーションを経験させたり、と言うわけである。受付に居るスタッフの方達ともすっかり顔馴染みだ。
 せんちゃんは道すがら道路標識や立て看板を見つけると「何て書いてあるの?」という風に指さして「ん?ん?」を連発する。そこに読める字があると大きな声で読む。「ま!」「ん!」「も!」「いち!」「に!」「さん!」「ろく!」「なな!」「はち!」「とまれ!」「じょこう!」「やじるし!」などと大きな声で読み上げる。中には親にしかわからないような発音もあるが、まあよく覚えたものだと親バカは思うのである。心地よい風に吹かれながら約2時間ほど遊んで帰ってきた。せんちゃんはもうすぐ一才と七ヶ月になる。



 2009年4月28日(火) 日本大学三島高等学校吹奏楽部第42回定期演奏会
 「奏思贈愛」と銘打って行われた日本大学三島高等学校吹奏楽部第42回定期演奏会は大成功で終わった。押尾正久さんの指揮のもとに溌剌とした好感のもてる演奏で、部員達が演奏している「顔」がとても良かった。みんなとても楽しそうだった。一人ひとりの技術はそれ程ではないかもしれないけれど(失礼!)全員で一団となって演奏するとき、まるで生まれ変わったように一つの生命体となって上手になるから不思議なものである。バランスも非常に良かった。これは往々にして吹奏楽に欠けていることだが、立派だった。押尾さんの力と云うべきだろう。私は第一部の「クラシックステージ」に出演してソロの他にもメンバーの中に入って一緒に演奏するという初めての経験したが、私の出番は第一部だけだったので、それから先はステージの脇から楽しみながら写真を撮りまくった。第二部の「ドリルステージ」に続いて第三部の「ポップスステージ」ではオペラ座の怪人、Disney at the Movies、キューティーハニー、On Love、フックト・オン・ビートルズなどで衣装をまとった演技に会場が湧いて大いに盛り上がっていた。しかしよくもまあ曲と演技?を覚えてしまうものだと感心する。
 私と吹奏楽との関わりと云えばたまにコンクールの審査委員をすることや、アルフレッド・リード指揮の東京佼成ウインドオーケストラとヴィヴァルディのピッコロ協奏曲を演奏したことや、近年では「したやウィンドアンサンブル」定期公演でカルメンを指揮をしたり、神足勝英さんが指揮する東京ガス吹奏楽団と協演したことなどがあるが、決して多いとは云えなかった。でもこれからは機会があれば喜んで参加していきたいと思っている。(写真はリハーサル)



 2009年4月21日(火) スーザン・ボイル!
 昨日、何気なくウェブでニュースを見ていたとき、イギリスのスター発掘テレビ番組「ブリテンズ・ゴット・タレント」という番組でセンセーションなことがあったと言う記事が目に入った。はやYouTubeの視聴数が3000万回以上にもなったと言うので早速覗いてみた。
 YouTubeに現れたのは無名の独身女性で教会ボランティアをしているという47才のスーザン・ボイルさんという人だった。最近亡くなったお母さんから「挑戦してみなさい」と励まされていたので番組に出たという。彼女は派手な衣装ではなく普段着姿で登場した。歌う前の審査員からの質問に「エレイン・ペイジのようなプロの歌手になるのが夢です」と答えると、審査員もまさかと云うような表情になり、会場では失笑の渦が起こった。
 ところがいざミュージカル「レ・ミゼラブル」の名曲「夢やぶれて」を歌い出した途端に凄いことになった。予想外の美声に会場は騒然となり、観客も総立ちになった。審査員の顔も一変した。興奮の渦になった。私もスーザン・ボイルさんの全く欲のない人柄や無邪気で純真な笑顔や態度から出てくる美声に感動し、こみ上げてくる涙で画面が見えなくなってしまった。YouTubeの視聴回数は「ブッシュ靴投げ」の3320万回を僅か一週間で超え、17日現在で4770万回以上も視聴されたという。今日現在では5000万回を超えていると思われる。アメリカのジェイソン・ハンターJason Hunterが2001年頃に始めたというフリー・ハグズ (Free Hugs Campaign) を見た時以来の感動だった。全くろくな事がない世の中にパッと咲いた一輪の花のように心を癒してくれたスーザン・ボイルさんに対して最大限の讃美と感謝の気持ちを送りたい。 YouTubeの スーザン・ボイルさん



 2009年4月10日(金) 近所でお花見
 去る7日、このあたりで桜が満開になった日にお誘いがあっておにぎり弁当を持参で近所の上郷東公園にお花見に行った。一旦咲いた日から気温が下がって満開になるまでの日数が長かったからか今年の桜は例年よりもきれいに見える。わざわざお花見に行かなくても我が家からは借景の桜が沢山見えるのであるが、それでも出かけて見る桜はまた格別だ。
 私は一時桜に魅せられて何度か遠くまで写真を撮りに行ったことがある。一番惹かれたのは信州の山里の墓地に咲くしだれ桜だった。桜の大木の前に佇みながら圧倒される思いでシャッターを切りまくった枚数は数百枚にのぼった。そのころはデジカメではなく、お気に入りのライカのM6やR8などで撮ったわけであるが、その中から20枚ほどを選んで、おこがましくも近所で写真展を開かせてもらったことがあった。
 桜は不思議な感情を持って私を惹きつける。そういえば水上勉の著書に桜の事を書いたものがあった。そのなかで墓地に咲くしだれ桜の根っこが新しく埋葬された遺体に向かって伸びてゆくという話があったが、この話しも私を惹きつける原因になっていそうだ。
 ともあれ桜はきれいだ。毎年生きている喜びを感じさせてくれる。あと何回見ることができるのかな、なんて思うのは時期尚早だろうか。



 2009年4月4日(土) 伊豆半島宇佐見の海岸で
 今月26日に行われる日本大学三島高等学校吹奏楽部第42回定期演奏会の練習のために三島へ行って来た。指揮をする押尾さんの棒にも力が入っている。仕上がりも順調と言っていいだろう。 今回は会場となる三島市民文化会館「ゆうゆうホール」での練習であったが、とても音響の良いホールで気持ちよく吹くことができた。サンサーンスのアダージョと変奏曲は細かいニュアンスを合わせるのがちょっと難しいけれど、本番までにはなんとか漕ぎ着けそうである。しかし何と言ってもアルルの女第二組曲では高校生に混じって団員として吹くので、これはとても貴重な体験である。こんな機会を与えてくれた押尾さんに感謝しなければならない。練習後はホールから近いウナギ屋さんで好物の鰻丼を食べたが、タレの味は私の好みでとても美味しくてご機嫌だった。また行きたいと思う。さぁ、練習はあと一回、本番前日である。
 せっかく三島まで行くのだからまっすぐに帰るのは勿体ない、と言うことで伊東温泉の源泉掛け流しの宿を予約しておいたのだが、これが中々良い宿であった。私は夕方2回、朝2回の計4回も入ってしまったが、地球の温もりは快適で充分に休養できた。朝の一回はせんちゃんと一緒だった。伊東は2006年の11月に“隠された証言JAL123便墜落事故”の著者藤田日出男さんと金目鯛のしゃぶしゃぶを食べた思い出の地である。湯に浸かりながら昨年亡くなられた藤田さんとの思い出にも浸っていた。
 私が住んでいる湘南の海岸は砂が黒っぽくてあまり好きじゃないけれど、伊豆半島まで来るととってもきれいな砂浜である。せんちゃんが海を見たのは初めてじゃないけれど、彼は潮風に吹かれながら興奮気味に「うみ!」を連発して大喜びだった。



 2009年3月5日(木) 庭園美術館コンサートの練習
 7日の庭園美術館でのコンサートがせまってきた。昨日は今回のメンバーの一人ヴァイオリン奏者石井志都子さんの計らいで桐朋の部屋を使わせてもらって2回目の練習をして来た。今回のコンサートは昨年の2月に紀尾井ホールで久山恵子さんの指揮でアンサンブル多摩のコンサートに出演した際、カルテットのメンバーである石井志都子さんやヴィオラ奏者の田中あやさん、それにチェロの勝田聡一さんたちと一緒になったが、その時に田中あやさんから私たちのカルテットと一緒に演奏しませんか、とのお誘いがあり、実現となったものである。しかしあやさんの夫田中千香士さんが亡くなられて一時このコンサートの実現が危うくなった。結局ヴィオラは田中あやさんに代わってN響OBの梯孝則さんが弾いてくださることとなって行われることになったのである。私にとってこのコンサートは千香士さんへ鎮魂歌である。
 ヴァイオリン奏者の石井志都子さんとは私がパリに留学した時に知り合って以来もう40年になろうという長いお付き合いだ。当時パリでは仲間が集まってよく飲んだり食べたりして騒いだ。懐かしいパリである。しかし考えてみると石井さんとはオケなどでは会うことがあってもアンサンブルで一緒に演奏するのはなんと今回が初めてである。何故今まで一緒にアンサンブルをやらなかったのか、不思議な気がする。石井さんとのモーツァルトの二重奏が楽しみだ。チェロの勝田聡一さんとのお付き合いも古く、私がフルートを始めて間もない頃、一緒に桐朋のオケで斉藤秀雄先生にしぼられた間柄だ。荻野照子さんは全くの初めてであるが、東京ムジカアンサンブルでコンサートマスターを務めるなど、活躍していることは知られている人である。(写真:左から荻野さん、石井さん、私、勝田さん、梯さん)




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