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過去の日記帳 2016年10月 〜 12月

写真ははずしました。


 2016年11月13日(日) 68年ぶりのスーパームーン
 Sonyα7にNikonの300ミリレンズをつけて撮ってみた。正確には明日14日がスーパームーンだそうだが、1日まえの13日に撮らずにいられなかった訳は、明日の天候が晴れのち曇りのち雨の予報だから。今回のスーパームーンは68年ぶりだとか。私が10才のとき以来ということだ。明日の月の地球との最短距離は356,511kmだそうだが’、この数字がどれくらいのものなのか実感が湧かないが、東京と大坂を500往復するくらいの距離ということだ。
 私は今までにアポロ計画に関する書物を読んできたが、人類が月に行ったということを信じられないでいる。人間が安全にヴァン・アレン帯を通過することは不可能らしい。
 この写真は月が現れて間もない午後5時頃に撮ったものだが、いま(8時過ぎ)見たら雲の中に入って見ることができなかった。やはり撮っておいて良かった。いつも地球に同じ面を見せている月(僅かに揺れているらしいが)、自転周期と公転周期が同じだなんて、変だよね。裏側を見せてはくれない。宇宙は謎に満ちている。地上約600kmに打ち上げたハッブル望遠鏡からの画像を見ていると、あまりのすごさに胸が苦しくなってくるのは私だけだろうか。物理学はいつ宇宙のことを解明してくれるのだろう。生きているうちには到底無理だろうけれど、私は昔から宇宙の謎は最後の審判の時に解明されると思っている。そのとき天から神の声が全地球の人類にふりそそぐ。「人間たちよ、漸く理解できただろう」。


 2016年11月7日(月) MRI検査
 普段は全く頭痛と無関係な私が激しい頭痛に見舞われた数年まえ、初めてMRI検査(MRI=MagneticResonanceImaging 磁気共鳴画像診断装置)を受けたことがあった。その時の検査では脳に全く異常は無い、ということであった(未だに原因不明)。今回は足の調子がいまいちだったので、その原因を突き止めるべく腰回りの骨を調べるということになり、再び栄共済病院でMRI検査となったのである。しかし思い出せば前回のあの苦痛ったらなかった。看護師さんから「脳の検査だから検査の間はツバを飲み込まないように」と言われた。検査は約20分間である。そう言われると私の口腔には次から次へと唾液が溢れてくる。我慢するのが辛かった。でも限界がきて、二回ほどゴクンとやってしまったけれど。しかし今回は重要なことを忘れていた。両手をがっちりと固定されてしまうから、途中でどこかが痒くなっても20分間は絶対に掻けない、ということである。検査の前に体中を思いっきり掻きむしっておくべきであった。案の定途中で左の頬がむずむずしてきた。頬の次は右目の下辺りが、上唇の辺りが、と次々に痒くなってくる。私は大声で「痒いよ〜っ 助けてくれ〜 止めてくれ〜!」と叫びたくなった。痛いのはある程度我慢できるかもしれないが、痒いのは絶対我慢できない。この先我慢することができるだろうか。と思ったその時に助っ人が現れのたのである。ガンガン、ドシンドシン、ブーッ、ドンドンと大音量で騒がしいMRIが出す音から耳を守ってくれるためにヘッドフォーンのようなものをあてがわれているのだが、大音量が途絶えるときにそのヘッドフォーンから音楽が聞こえているのがわかった。な、なんとそれがこの19日に演奏するバッハのブランデンブルグの四番ではないか!私は聞き耳を立てた。おい、もっと大きな音で聴かせろよ。とその時にまたあの大音量のガンガン、ドシンドシン、ブーッ、ドンドンが鳴り響いてくる。でも私はその音楽のお陰で一瞬痒みを忘れることができたのである。検査が終わったとき大声で有難や節を歌いたくなっちゃった。あはは。ついでに告白すると、私は検査のあいだに二回オナラをしちゃった。もちろん音無しの。(仮に大きな音でやったとしてもあのバカでかい音の中じゃ絶対に聞こえないだろう、ニオイ? それは、、、) なにをやってても私は退屈とは無縁のようだ。検査の結果、腰は全く異常なし、であった。(画像をクリックするとMRIが出す音を聴くことができます・音量に注意)


 2016年11月1日(火) 「サロン・かめい」の集い
 先月の27日、家からクルマで10分もかからないところにある亀井町自治会館で亀井町にお住まいの方々の定期的な集い「サロン・かめい」の定期集会が催され、今回は私がゲストとして招かれてお話しを交えながらフルートを吹いてきた。亀井町自治会館は私が昔住んでいたフローラ桂台にある。とても和やかな雰囲気の集いで私もその雰囲気に溶け込んで気持ち良く演奏することができた。ドビュッシーのシランクスを吹くときには例によってギリシャ神話に出てくるパンの話、パンが水の精ニンフに惚れてしつこく追いかけ回すが、ニンフは嫌がって小川に逃げ、葦に姿を変える。このニンフの名がシランクス。パンはニンフが姿を変えた葦を使って笛を作り、淋しげに吹く。この場面を想像しながら聴いてください、と。このパンが異性を追いかけ回して大騒ぎを起こすので、英語のpanicの語源になりました、云々。親しくお付き合いをしているご夫婦もきてくださっていた。
 最近私のへインズ(14K)はますます響いてきている。それは色々な理由があるのだけれど、何と云っても一番目は私が “ある秘密めいたことをやった” からだが、更に先月、昔修理をしたところが具合よろしくないので別の方法でやりなおしてもらったところ、管全体が見違えるように響くようになった。不思議なことだ。つくづくフルートって繊細な楽器だなと再認識した次第である。毎日吹いていて楽しくてたまらない。間もなくN響団友オケでブランデンブルグの四番があるし、来年早々には久々にベートーベンの運命がある。


 2016年10月14日(金) Stuttgarter Solistenとの協演と若州一滴文庫
 福井県大飯郡高浜町にある高浜町文化会館と、愛知県岡崎市にある宇野病院のさくらホールで結成して46年になるというシュトゥットガルトゾリステンと協演した。彼らと演奏をするようになってから20年近くになるのでもう互いに充分気心が知れた仲であるから練習は短時間で納得できる結果が得られるのである。最初の演奏地福井県大飯郡と言えばは私が尊敬する作家の水上勉が生まれたところだ。そしてそこには水上勉の豊富で貴重な資料を展示した若州一滴文庫がある。私は2002年に一度訪ねて行ったことがあったが、その時は何故か臨時に閉館していたので入ることが出来ずに悔しい思いをした。何しろ遠方なのでこんなチャンスは滅多に無いから今回の旅行は非常に楽しみにしていた。高浜でのコンサートは7日だったので、私は体調のことも考えて余裕を持って5日に出発した。この日は台風18号が若狭の真上を通る予報で心配だったが、到着したころにはまだそう荒れていなくて大いに助かった。約500キロを6時間少々かかって午後3時過ぎに無事到着。今度こそゆっくりと見学することが出来た。そこでは学芸員の下森さんと時岡さんのお二人が3時間以上もかけて実に親切に館内を案内してくださった。これはひとえに2014年3月に高浜町文化会館で一緒に演奏したことがあるピアニスト今川裕代さんのお陰であった。9月にここの車椅子劇場でコンサートを開いた今川さんが私が行くことを伝えておいてくれたのだった(福井県は今川さんの出身地)。ひとつひとつの展示品の説明は貴重なものだった。水上勉という人が益々好きになった。(Photographで報告の予定)
 若州一滴文庫へ行った翌6日には初合わせ練習だ。宿泊する高浜町の城山荘に到着後、すぐに海を見渡す絶景の大浴場に入り長旅の疲れを癒す。シュトゥットガルトゾリステンとの再会は2013年の9月以来である。曲はヴィヴァルディのごしきひわ、バッハのアリオーゾ、モーツァルトのアンダンテ。メンバーは第一ヴァイオリンが音楽監督を受け持つシュトゥットガルト放送管弦楽団のコンサートマスターも務めたAlbert Boesen氏。第二ヴァイオリンはシュトゥットガルト放送管弦楽団のKarl-Heinz Schlenker氏、ビオラはフランクフルト放送交響楽団のソロヴィオラ奏者Gerd Grötzschel氏(今回はゲスト出演)と2009年までフランクフルト放送交響楽団のメンバーだったMicheal Meyer氏、チェロはシュトゥットガルト放送管弦楽団のソロチェロ奏者でシュトゥットガルト国立音楽大学の教授も務めるRudolf Gleissner氏とシュトゥットガルト放送管弦楽団のチェロ奏者でカウフボイレン合唱団指揮者でもあるHahn Gottfried氏。彼らが奏でる音楽は実に柔らかく響く。どんなに音量が大きくなっても決して音が割れない。音楽に満ち満ちた演奏は気持ち良く、協演していて無上の幸福感と演奏家として生き甲斐を感じさせてくれるのである。聴衆もとても喜んでくれたのが嬉しかった。いいなあ!音楽は素晴らしいなあ!今回も最近ずっと使っているへインズ14KリングキーH足で吹いた。吹くと管体の振動で指がくすぐったくなる位に響く。これからずっとこの愛器を吹くだろう。
 高浜が終わった翌8日はもう一度若州一滴文庫へ行った。そこへ行くと、ずっと居たくなってしまう。改めて感動した。ここを後にして次の岡崎公演が11日だったから南砺市福光の躅飛山光徳寺に行き、故高坂制立師の遺影の前で「こきりこ節」を吹いた。嘗て勝った負けたで盃を交わしていた頃には、呑むと彼が大きな声で歌ったこきりこ節、私にとっては彼そのもののように思えるのだ。高坂師の命日は7月だったが都合つかづ、三ヶ月遅れてのお参りであった。その日は川合田温泉に泊まり、夜は福光で親しくしている阿部祥世さん夫妻と居酒屋で語り合った。
 岡崎のホテルには本番2日前の9日に入った。私は1日少なくとも4時間は練習しないとダメなのだが、誰もホテルに残っていないと思われる午後に部屋で練習していたらドアをノックされ、ホテルの人から「館内で音を出すことはやめてくれ」と云われてしまった。困った私はバスルームに入ってバスタブの中に入り、カーテンも閉めてかすれるような音で練習するしかなかった。演奏プログラムは高浜と同じだったので幾分気が楽、と言うより安心感があった。コンサートが終わってから会場のドア近くに立っていたら、帰っていく人達から暖かい笑顔で「良かったですよ」と云っていただいた。岡崎市の宇野病院でのコンサートは患者さんと地元の人達に無料で開放されており、幅の広いジャンルのコンサートなどの催し物がすでに70回近い回数を行われている。その行為に対してWAFUNIF (World Association of Former United Nations Internes and Fellows/国連共同教育派遣協会)から「Arts for Peace」活動を行う施設である宇野病院とその代表者である宇野甲矢人理事長に認証が与えられたのである。私もすでに5回以上は演奏をさせていただいており、その度に宇野院長の行いに対して尊敬の念を抱いてきた。打ち上げ会では大いに盛り上がってしまった。名古屋の友人山岸美喜さんが名フィルのフルート奏者富久田治彦さんを連れて来てくれていたが、富久田さんとは長年年賀状のやりとりはしているけれど、ゆっくりと話しをしたのは今回が初めて。その席で来年、山岸さんの計らいで冨久田+小出コンサートを行う約束ができたのは嬉しかった。シュトゥットガルトゾリステンの皆とハグしながら、また一緒に演奏しようね!と言い合って別れを惜しんだ。走行距離は1400キロを超えた。




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