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過去の日記帳 2011年7月 〜 9月

写真ははずしました。



 2011年9月22日(木) 台風15号
 日本の南で発生した熱帯低気圧が13日午後9時に台風15号となった。そのころの中心気圧は998ヘクトパスカル、最大風速は18メートル、最大瞬間風速は25メートル、中心の北東側370キロメートル以内と南西側190キロメートル以内では風速15メートル以上の強い風が吹いている、というものだった。沖縄付近では長いこと迷走していた。今年は太平洋高気圧が強く張りだして進路を阻むのでのろのろ台風が多くなっているのだ。それが21日には中心気圧 940ヘクトパスカル、中心付近の最大風速が50メートル、最大瞬間風速 70メートルとなり豪雨を伴って襲いかかってきたのだ。この写真は16時20分に撮ったものであるが凄まじい暴風雨のため霞んでよく見えなくなってしまった。欅が風に煽られて左右に大きく揺れるので倒れてしまうのではないかと心配だったし、竹林も根こそぎ持って行かれるのではないかと思うほど大暴れしていた。横浜地方気象台の発表によると横浜での最大風速は16時36分に34.9メートルであったという。
 台風の中心近くではオゾン濃度が高くなると聞いている。こうした状況の中では人が興奮する、という記事を昔読んだことがあったが、それが正しとすると私がたいがいこういう場面では興奮気味になるのも頷ける。じっと窓に寄り添って動こうとしない私に、妻は怪訝そうな顔をむき出しにするのは毎度のことだ。しかし間もなく四歳になるせんちゃんが私と一緒に興味深く外を見たがるから、状況は二対一になって私が有利になったのはとても嬉しい事である。眼下のイタチ川が激流になって大きな音を響かせるので興奮度は更に増幅する。あと少しで溢れる、というところまではいくのだが、この辺りには大船台住宅遊水池や西ヶ谷団地の側にも大きな遊水池があるからまずは溢れることがないことになっている(当マンションの地下も調整池になっている)。最初はのろのろだった台風15号も関東を通り過ぎて東北へいくころには偏西風にのってアクセル全開の時速70キロというスピードで去って行った。とにかく猛烈な台風だった。今回の被害はまだ全てがはっきりしていないが、大いに気になるところである。救急車のサイレンが何度か聞こえたが気になってしかたがなかった。こんな時に事故だろうか、急病だろうか、どうか無事でいてくださいと祈るような気持だった。
 さて明日は台風一過の晴天だろうか。朝焼けを見ることができるだろうか。



 2011年9月18日(日) コンクール審査の合間にライカごっこ
 カメラ好きが寄ると話しが弾む。N響時代によくエキストラで来てもらっていた大友太郎さんといえばカメラ好きで名が通っている。N響でカメラ好きと云えば細川さんも神田さんも同じ病だった。大友さんは旅行にはいつもなにがしかのカメラを持ってくるのだった。持ってくるだけじゃない、旅行中だと云うのに時間を見ては街を歩き回り、「こんなの、買ってきました」と云ってMinox 35なんかを見せびらかすのである。この人、普通じゃないな、と思った。私も大昔から同じ病に罹っているので二日間にわたって行われた「全日本学生音楽コンクール」の審査の合間にも色々と話しが盛り上がった。「大友さんはデジカメはやらないの?」と訊くと「やってますよ、LEICAのM9を持ってます」ときた。「えっ あれ僕も欲しいけど高いよね!」「でも70万円台で買えましたよ」と軽く云われてクソッ!と思ったが平静を装った。私はつい最近発売になったリコーのGXR MOUNT A12のことが気になっていたのであるが、こちらは本体とレンズマウントユニットで10万円を少し切るくらいなのだが簡単に買うわけにはいかないで悩んでいたところだったのだ。不本意にも「じゃ明日持ってきて見せてよ」と云ってしまってから少し後悔した。見たらきっと悔しいだろうな。でも前々から見たいとは思っていたカメラであったから「ま、いいか」と明日を楽しみにすることにした。
 審査の2日目、私は考えてM3にNOCTILUX(f1.0)を付けて持参した。ところが彼は私の自慢のカメラをチラッと見ただけで詳しく見ようともしないのである。ま、カメラ好きなんてこんなものさ、人のカメラなんてどうでも良いんだよね。それはさておき私は初めてM9を手にとって見ることができた。SUMMILUX 75mmが付けてある。うん、これはなかなか良さそうだ。こいつでじゃんじゃん撮ってみたいな、しかしいくら何でも高すぎるよ。何枚か撮ってもらった。加工しないで撮ったままのを送ってちょうだい、と頼んで楽しみにしていた。M9といえば24x36mmのフルサイズである。ところがe-mailで届いたのはJPEGで、しかもサイズは1024X682で解像度は何と72ピクセルだった。これには少なからず驚いてしまった。ちなみに私はいつもRawファイルで撮っている。何かの間違いだろうか。あるいは設定を間違えていたのだろうか。ま、人様々な楽しみ方があるということなのだろう。
 関係は無いけれど私が常々やってみたいと思っていることがある。それはもしも今度生まれ変わることができたら取り立ての免許証を持ってロールス・ロイスに初心者マークを付けて走りたい、と云うものだ。これは無茶苦茶楽しいに違いない。(写真は津田ホールで大友太郎さんと:シャッターを押してくれたのは吉岡 アカリさん)



 2011年9月13日(火) 池田記念美術館 八色の森コンサート
 私が六日町(現南魚沼市)で演奏するようになってから28年になった。ススキなどで飾った大崎小学校の体育館に溢れそうな人たちが集まって行われた第1回目が懐かしく思い出される。終演後に主催した一人、農業を営む傍ら油絵を描く関正一さん(大調和会2006年第45回展において文部科学大臣賞を受賞)は目に一杯涙を浮かべながら「今日はうまくいって良かった、、、」としみじみと語っておられた。どのくらいの人が来てくれるものなのか想像もできなかったのだ。その関さんが今体調を悪くしていてコンサートに来られなかったのが淋しかった。一日も早い回復を祈っている。
 1回目以後は、八海山の頂上に近い千本檜小屋で3回ほど、浦佐駅に近いコミュニティホールさわらびで一回、麓のトミオカホワイト美術館で十数年、それから空白があって後、2007年から池田記念美術館の館長(当時)井口 優さんの働きで池田記念美術館で行われるようになった。私が池田記念美術館 八色の森コンサートに出演するのは今回が5回目である。美術館にはピアノが無かったからプログラムを考えるのには苦労してきた。1回目は2007年11月17日にチェロの富永 佐恵子さんと、2回目が08年9月14日にフルートの関原 博さんと、3回目は09年10月3日息子木内 哲也のチェロと、第4回目は2010年9月19日にファゴットの田部井 梓穂さんと、そして今年の5回目は美術館に待望のピアノが入ったので小林 えりさんに来たいただき、フランスものや、上林裕子さんのオルシアの物語より『青い夜明け』などを演奏した。また今回は急遽地元高校の吹奏楽でフルートを吹いているという生徒さんの公開レッスンをやることになり、プログラムの最初に行った。初々しくて優しい音の子だった。
 はるばる遠く横浜から毎年来て下さる小林恒夫さんは今年も来て下さったし、近いところでは八海山尊神社の宮司山田泰利さんや、八海神社の宮司村山みね子さんも来て下さった。お二人とも毎年来て下さっている、いわば常連だ。海山尊神社の宮司山田泰利さんはとても音楽がお好きで、いろいろと詳しくご存じで怖い存在でもある。美術館にはなでしこジャパンで活躍したアルビレックス新潟レディース所属の阪口夢穂選手と上尾野辺選手に授与された金メダルが展示してあり、人気を博していた。今開催中の「新潟の美術家たち」展では新潟交響楽団でヴァイオリンも弾いているという舞台写真家の相田 憲克さんがモンゴルを取材した大作も展示されていて見応えがあった。終演後は池田記念美術館から近いところにある越後ワイナリーのワインレストラン「葡萄の花」で打ち上げ会があり、ゆっくりとくつろぐことができた。(写真:関好和氏撮影)



 2011年8月27日(土) 名古屋のペルシャ ギャラリー
 私は世界の手工芸品が大好きだ。特にアフリカや中近東のものに惹かれる。
 絨毯ではパリのアフリカアンティーク店で買った年代物のキリムは宝物にしているし、スリナガルで買ったシルクの絨毯も宝物だ。イランの遊牧民が織るというギャッベも大小2枚持っているが、これも宝物だ。パリへ行く途中に寄ったテヘラン空港(現在はエマーム・ホメイニー国際空港)で買った小ぶりの絨毯も好きだし、ペルーのアルパカの毛で織った敷物もなかなか面白い。珍しい毛皮で織ったアフガニスタンの敷物も持っている。ちょっと病的かな。
 そんな私を喜ばせてくれるお店が名古屋にある。妹の家から歩いてほんの数分のところにあるペルシャ ギャラリーだ。去年散歩をしていて「発見」したお店である。ペルシャ ギャラリーは今回が二度目であった。実は母99才の誕生祝いと、岡崎での演奏の為に名古屋へ行くことが決また時から密かに楽しみにしていたのである。こういう店に入るともう堪らなくなってしまう。見ているだけでも楽しいし、店主のアジ・アリさんと奥様の小島美和さんがとても感じの良い人なので、つい長居をしてしまうのである。今回はイランのクムという町で作られていると言う天然染料で色づけされ、土の中で焼成するハルモレという青い焼き物のタイル(当ホームページの表紙に使用)と十字架を母、妹たち、妻に買った。きれいな十字架は早速コンサートの時に身につけて演奏した。真っ白なシャツにハルモレの明るいブルーのコントラストが良く似合ったと思う。(写真はペルシャ ギャラリーの店内で奥様の小島美和さんと:10才の息子さんがシャッターを押してくれた)



 2011年8月25日(木) 宇野病院コンサート
 岡崎市にある宇野病院の新リハビリ病棟5階「さくらホール」で催された「小出 信也フルートの夕べ」を終えて帰ってきた。沢山の出会いがあった。嬉しい事である。今回は名古屋の妹のところにいる母の99才の誕生祝いも兼ねていた。母は足も弱っているし少々耳も遠く、物事も忘れっぽくはなっているもののとても元気でどう見ても99才には見えない。来年はなんと百寿である。人寿百歳蘭香四時!
 宇野病院では定期的にコンサートを行っている。これは宇野病院(正式名は医療法人鉄友会 宇野病院)の 理事長である宇野 甲矢人(はやと)氏の企画で催されるものである。宇野病院はおおきな宇野家族のように見えた。宇野パパの下に沢山の子供達が居て仲良く働いている様子が伝わってきた。当病院には企画総括室という部署があって、コンサートの日まで係の人と綿密な連携がとれるので便利であった。ここの室長の山田氏は昔からN響のファンだったそうで、終演後の打ち上げ会ではここぞとばかりに質問攻めにあってしまった。コンサートは入場料をとらないで一般に開放している。非常に素晴らしいことだと思う。演奏するホールも良かった。最初ホールに入ったときに絨毯が敷き詰められているのを見て「これは響かないな」と思ったのは大きな間違いで、吹き始めるとフルートの音が部屋全体に響き渡るのである。絨毯が敷き詰められていると絨毯が音を吸収するのでまずは響かないのに不思議な気がした。ここで満員のお客さんの前で吹いたわけであるが、聴きに来て下さった人たちが非常に暖く、それが演奏中にも伝わってくるのだった。演奏する者にとってはとても有り難いことなのである。演奏者にとって暗い客席から凝視されているように感じるコンサートは苦手だ。だから私はいつもホールの照明は客席も含めて全体を明るくしてもらい、吹き手と聴き手の一体感を大事にするよう心掛けているのである。これはパリに留学中に聴いたE・シュヴァルツコップのリサイタルで経験して以来気に入って私も真似ているものだ。観客との一体感が生まれ、雰囲気も伝わってくるので安心できると言うわけである。宇野を横文字で書くとUnoだが、これはイタリア語では「一」(いち)である。一番の病院! ピアニストの小林 えりさんは磐田にお住まいなので今回は一時間の距離だったけれど、次回は新潟県の浦佐である。



 2011年8月9日(火) 鎌倉霊園
 552,800m²という広大な墓地のほぼ中央にある父が眠るお墓の掃除とお参りを済ませてから霊園の一番高いところにある合葬墓「やすらぎ」前の広場へ来てボール遊びをして遊んだ。こんなに広い場所を独り占めならぬ3人占めだなんて、何と贅沢なことだろう。せんちゃんもご機嫌だった。でも暑かったなあ。この日には見えなかったけれど、ここは富士山がきれいに見える場所である。持参したおにぎりが美味しかった。ここで注意すべきは鳶だ。立て看板にも「鳶に注意してください」と大きく書いてある。弁当などを拡げていると鳶が急降下してきてあっという間におかずを掻っ攫っていってしまうのだから一瞬も油断がならない。もちろん我々が建物の中で食べたことは言うまでも無い。我々が遊んでいる間は結局誰一人来なかった。鎌倉霊園は植物の高さを制限しているし、一年中花が絶えないし、暗いイメージは全く無くて公園みたいなので好きだ。桜の時期には墓地中に咲き誇って非常に美しい。
 向こうに見える山並の事を鎌倉アルプスと大袈裟に云うのが面白い。尾根には三浦半島ハイキングコースがあってたまに歩くところである。家から1.7キロほど歩いて栄プールまで行き、そこから階段を159段登って山道に入って天園茶屋、太平山、鷲峰山、十王岩、を経由して建長寺まで歩く天園ハイキングコースを良く歩く(この他に名月院、鎌倉宮、瑞泉寺へ下りるコースもある)。せんちゃんがもう少し大きくなったら一緒に歩こうと思っている。



 2011年7月31日(日) カガネ! 感謝の気持ちを忘れずに
 1994年10月にデュトア指揮のN響でイタリア、スペイン、ポルトガルへ旅行した。この旅行で私はバルセローナでのコンサートは下り番だったので1968年に知ってから強く惹かれ続けていたガウディ設計によるサグラダ・ファミーリア(聖家族贖罪教会:カタルーニャ語でTemple Expiatori de la Sagrada Famíia)に行ってみたいと楽しみにしていたのである。その日私はワクワクしながらホテルからタクシーに乗った。行ってみると凄い教会だった。着工から完成までに200年はかかると聞いて驚くばかりである。2026年に完成とも云われているが果たして予定通りにいくのだろうか。“生誕のファサード”の前に立ったときには圧倒された。見上げて驚いた。「なんだこりゃ、巨大な女性性器みたいだ」。いかにもガウディらしい。塔のてっぺんにも登った。Leica M6に交換レンズ4本を駆使して撮りまくった。そして帰りに教会前の土産物店で買ったのが写真の人形である。殆どの人はキリストやマリアや天使や十字架などを買うが何故か私はこういったものにも目が行く。これはカタルーニャのクリスマス人形として有名なカガネである。赤い三角帽子はカタルーニャの象徴だ。カガネとは動詞Cagar「うんこをする」からきていて「うんこをする人」という意味だ。大地の恵みと来年の豊作を保証してくれるカタルーニャの「聖なるうんこ」だそうである。非常に種類が多く最近のものではアメリカの大統領がうんこをしているものもあるし、果てはローマ法王や極めつけのケーキまでもあると言うから面白い。楽しい国ではないか。クリスマスの頃になると町中のショウウィンドウにカガネが溢れるだろうから是非この時期に行ってみたい。
 さて、誰しも同じだろうけれど食事をいただくときには両手を合わせて「いただきます」と云う。自分の命を養うために野菜や魚の命をいただくと言う意味からだ。私は更に食材を作った人や、それを使って食事を作ってくれた人への感謝も込めて云うことにしている。そうしないではいられない。ここで忘れてはならないのがトイレでのことである。食べる時には「いただきます」と云いながらトイレでは何も云わないなんてちょっと変じゃないかな。黙って行うのは問題がありそうである。「出る」ことが「食べる」ことと同じくらいに重要なことだと認識している人がどのくらい居るのだろうか。ただ「はい、さようなら」では済まされそうもない。食べられないことよりも出ないことの方がもっと深刻だと云う人も居る。重症便秘や腸閉塞になると命に関わってくる。それで我が家のトイレには「感謝の気持ちを忘れずに」と書いて、この写真が掛けてあるのである。
 面白い話しを思い出した。龍角散先代社長の藤井康雄氏の著書にあった言葉であるが、彼が云うには自分の健康状態を把握するために出したモノに対してもっと注意深くなりなさい、と云うことであった。そこには毎日チェックする項目として色、臭い、量、それに味と書いてあった。「味」ですぞ。いかにも藤井氏らしい言葉だが、未だに私はこれを実践する勇気がない。私は更に付け足して小の時の「泡立ち度」にも注意することにしている。ここで重要なことは便器の色は絶対に白でなくちゃならない、と言うことである。そうじゃないと血便も血尿も発見できないから。
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 2011年7月29日(金)58年ぶりに柴 久美子さんと再会!(旧姓橋詰さん)
 一口に58年と言うけれど、実に長い長い年月である。何しろ私がフルートを吹き始めた15才の時以来の再会なのだから!思春期から一気に古稀を超えてからなのだから!
 私たちは昭和26年(西暦1951年)から3年間、つまり私がフルートを始める2年前の中学1年の時から練馬区石神井の一軒家の1階2階に別れてに住んでいたのである。1844番地だった。その頃の私は毎朝4時に起きて新聞配達をしていた。今のようにバイクもない時代である。そのころの新聞販売店では一軒で全ての新聞を扱っていたから、配達をする前に朝日、毎日、読売などと大きな声を出しながら配る順序に並べ(百数十軒以上も覚えているのだ)、たすき掛けにして走って配ったのである。ボート池から三方寺池の周りを一周する配達区域が懐かしい。
 その石神井で私たちは一軒家に住んでいたわけである。久美子さん一家が住んでいた1階には洋間があった。中学3年生からフルートを始めた私は狭い部屋での練習には本当に困り、それでいつも久美子さんの親に「洋間を使わせてください」と断ってから洋間で練習をする毎日であった。冬など、暖房も無い洋間は気温がマイナスになることもあった。鍛えたお陰で私の指は寒さでかじかんでしまうことがなかった。
 そのころの信也少年は御多分に洩れず武者小路実篤の「友情」や堀辰雄の「風立ちぬ」などを読んでいた。思春期の真っ直中である。異性に対して今までにはなかったようなものが身体の中で膨らんでいた。だから2歳年下の久美子さんはいわば憧れの存在であったのかもしれない。よく一緒に遊んだし、喧嘩もした。楽しかった。しかし3年間一緒に暮らした久美子さん一家はある日、引っ越してしまったのである。そして音信も途絶えて長い長い月日が流れた。
 ところが2003年の7月からふとしたことがきっかけになってe-mailを交わすようになったのである。年賀状の交換も始まった。懐かしい久美子さんと会いたかった。会おう会おうと云いながら中々都合がつかず8年が経ってしまったのである。これでは一生会えないぞ、生きているうちに会はなくちゃ、と云うことになってようやく再会が実現の運びとなった。27日、久美子さんはクルマでやってきた。約20分だったというから本当に近いのだ。「到着しました」と携帯に電話が入った時にはドキドキしながら下へ下りていった。2,3時間喋りまくった。話しているうちに石神井時代にタイムスリップしていくのだった。やがて再会を果たした日も、時間がきてしまった。今度は何十年なんて空けてはいられないから近いうちに会おうね、と約束してお別れした。
 翌日、久美子さんからメールがきた。「本当に久しぶりにお会いしたのに、ちっともそんな気がしなかったのに驚いています。」と書いてあった。私も同じ思いだ。出会いほど素晴らしいものはない。



 2011年7月25日(月) せんちゃんと蝉の羽化
 せんちゃんと散歩をしているとよく蝶やトンボに出会う。この辺りにはきれいなアゲハチョウも飛んでいるし、モンシロチョウやモンキチョウも飛んでいる。せんちゃんはそれらを見る度に「捕まえて!」を連発するのである。あまりせがむので虫かごと捕虫網が有ったらいいな、と思っていたがやっと買いに行った。家に帰るとせんちゃんはもうじっとしてはいられない。それで私が「虫を捕りに行こうか?」と言うと「いこ〜よ!」と興奮している。早速でかけた。せんちゃんの背丈よりも大きな捕虫網を扱うのは彼にはまだ無理のようだったので私が捕まえてあげることにした。やがてモンシロチョウを捕まえた。虫かごに入れるときに蝶に触ると柔らかな懐かしい感触がした。モンシロチョウ2匹とハグロトンボ1匹を捕って家に帰ってくるとせんちゃんは虫かごを抱くようにして中の蝶を嬉しそうに見て飽きることが無い。そんなせんちゃんを見ていて自分の幼かったころを思い出した。
 昨日の夕方の7時過ぎ、ふと思い立って「ねえせんちゃん、セミの幼虫をとりに行こうか」というと「いこういこう」と目を輝かせて嬉しそう。セミの幼虫は何年も土の中に居て、それが出てきて羽化してセミになるんだよ、という話しは何度も聞かせていたのである。さっそく出かけた。しかし私も中学のころ以来セミの幼虫なんて抜け殻しか見たことがなかったから半分は自信が無かった。非常用に買ってあったヘッドランプと懐中電灯を持って公園のほうへ歩いていく。暗くなってからせんちゃんと外に出るのはホタルの時以来である。しかしホタルの時は家の真ん前だったけれど、今回のような遠出は初めてのことだ。なにか冒険に出かけるような気分だった。欅並木の下にはツツジが植えてあるが、ここにはよくセミの抜け殻があったのでヘッドランプで照らしながら注意深く見ていく。私は普段歩いている時でも、なにか不自然なものがあるとすぐに感じる、という特質を持っているようで妻も不思議がっているが、この時にも植え込みの見えにくいところで羽化しているセミを目敏く発見した。「いたよ!」と云うと「どこ?どこ?」とせんちゃんも興味津々。ヘッドランプに照らし出されたのは反り返って半身が現れた、まさに羽化の真っ最中のシーンだった。じっと見つめるせんちゃん。「羽化の途中でつかまえたら死んじゃうんだよ」と云うと彼も納得する。私はセミに「まぶしくてごめんね」と云いながら写真を数枚撮らせてもらった。なんて美しい色だろう!なんてキレイなんだろう!。蝉の羽化を目の当たりにするのは中学生のころ以来だ。昔を思い出してとても懐かしかった。「おとうさん、これミンミンゼミ?」とせんちゃんが訊く。しかしまだ色は現れていないから私にはセミの名前がわからない。「多分アブラゼミだと思うよ」としか云えなかった。一旦ここを後にして他も探してみることにして歩き始めると、すぐ近くの葉の裏でなにやらうごめいている雰囲気、いたいた、いたぞ!今度はまだ羽化が始まっていない幼虫である。私は慎重に両手の平で捕まえて家に持ち帰った。部屋を暗くしてカーテンにつかまらせてやった。しかし最上まで行ってうろうろするばかりで羽化が始まらない。2、3度やり直しても駄目だったので今度は信州の高原に住む外山雄三さんのお宅から持ち帰った落葉松の枝にとめてやった。するとすぐにお気に入りの場所を見つけて動かなくなった。そして待望の羽化が始まったのである。自然のものじゃないと駄目だったのだ。それから息を殺して一部始終を見守った。動物の変態の不思議、神秘。なんと不思議でなんとキレイな色だろう。セミの場合はサナギにはならず、幼虫から成虫へ変態することから不完全変態と云うそうである。羽化の途中で予期せず放屁したら、せんちゃんに「しーっ!」と云って叱られてしまった。10時にちかいこんな時間まで起きていたことが無いせんちゃんは残念なことに途中で寝てしまった。全身が出てきたところでの色ではヒグラシゼミかと思ったけれど、朝になって完全に色がでてみると、それはアブラゼミであった。(写真は公園の近くで見つけたアブラゼミの羽化)



 2011年7月19日(火) 上林 裕子作曲「時の外で」の本番
 東急目黒線武蔵小山駅から徒歩5分のところにある小山台会館で催された小野田 裕子門下生のおさらい会「ノイーズ会フルートコンサート」を終えてほっとしている。私の方から林リリ子門下で同門の小野田先生にお願いをして出演をさせていただいたコンサートだった。小山台会館はとても音響の良いホールで特にフルートには向いていて非常に吹きやすく、響きはホール全体に広がって、それを演奏中の自分でも確認することができた。このホールでリサイタルができたら良いなあ、、と思いながら吹いていた。小野田先生は沢山の教え子達1人1人にとてもやさしく接している。学生が多かったように見えたが中には中学生や小学生も居て、皆が仲良しで家族のようにも見えた。皆のびのびと演奏していた。
 上林 裕子さんの「時の外で」は初めて演奏したのだけれど、練習するほどに曲の美しさにのめり込み、夢中になって本番を迎えた。フルートは2人ともパウエルの木管である。山下 博央さん、本山 佐知子さんと練習を重ねてきた甲斐があって嬉しい事に本番が一番うまくいったと思う。3人が一体となって音楽が流れた。もちろん細かく云うと気になるところが無いわけではないけれど、合格ラインには達したのではないだろうか。前にも書いたけれど、山下さんと本山さんの演奏には最大級の賛辞を惜しまない私である。山下さんはよくも忙しい仕事を持つ身でありながら“本職以外の”フルートをこれだけ吹くことが出来るものかと思う。 実はもう随分前の事になるけれど、私は山下さんに「一番弟子の称号」を与えた事があった。これはちゃんと用紙に書いた「本物」の賞状である。彼のフルート好き、音楽好き、実力を見て心からそう思ったからだった。本山さんのピアノも本当にきれいな音だった。彼女の音はまさに「時の外で」に似合っている。否、この音じゃなくちゃならないと云えるものであった。これで“専業主婦”とは呆れてしまうではないか。録画を聴いてみるとピアノの蓋を閉めないほうがより本山さんの音が繊細に響いたのではないか(特に右手)、と云う気がしないでもない。これは会場の残響が長めなので、えてしてこういうホールではピアノの音がまわってフルートが消されそうになりがちなのでとった処置であったのだが、その必要がなかったのかもしれない。ちょっと悔やまれる。2人とも演奏度胸の方もプロ並みだった。
 何と云っても今回の“大事件は”上林 裕子さんがパリから私たちの演奏を聴きに来て下さったことだろう。本番の3日前になって上林さんから「17日の朝(6時頃)羽田着で帰国することにしました。」というメールが飛び込んできたのだ。わあ〜嬉しい!本番を聴いてくれるんだ!と飛び上がりそうになった。そして上林さんご夫妻は猛暑のなかを小山台会館まで来てくださったのである。心待ちにしていた初対面が叶った日になった。上林さんは私たちの演奏をとても賞めて下さり、嬉しさがこみ上げてきた。終演後は会場から近い中華料理店でゆっくりとお話しをすることができた。今日の演奏がこれで終わってしまわないでこのメンバーで何回も演奏して、と言って下さった。とても優しい人だった。会っている間中、「街の灯」も「時の外で」もこの人から生まれたんだ、と思い続けていた。最近は音楽をやっていて良かったなあ、と思うことが多い。 今回の演奏をYouTubeにアップしました。 〜時の外で〜 第1、第2楽章[「夜、遠い光」「踊る光」] 第3、第4楽章[「白い光」「夢の中、回る光」](収録及び編集は山下 博央さん)



 2011年7月16日(土) お月様
 思い違いとか錯覚というものは人によって様々で、皆が全く同じような錯覚をすることは少ないと思う。ところが月と太陽に関しては世界中の人が揃って同じ錯覚に陥っているのだから実に面白い現象ではないだろうか。月や太陽が地平線上にあるときは天頂にあるときよりも大きく見える。それが錯覚であると知ってからも見え方が変わることがない。写真に撮っても同じ大きさに写るそうである。私はこれを何回聞いても信じられないのだ。どう見たって地平線上にあるときの方がずっと大く見える。しかし、これは錯覚だというのだ。許しがたい。東大名誉教授の堀源一郎博士が「天頂の太陽よりも、遥かに遠くにあると思われる夕陽が同じ大きさに見えるということは、実際の夕陽はずっと大きくてはならない、と心の中でイメージすることで、夕陽は大きく感じられるのだ」と云ったそうである(武内 均著「頭にやさしい雑学読本・知的生き方文庫)。これでも私は信じられない。何だか私には難解な文章である。天頂の太陽よりも遥かに遠くにあると思われる夕陽が、と言うけれど、私は小さい頃から夕陽の方がずっと近くで、それからどんどん登っていって高くて遠い天頂まで行き、それから次第に下がってきてまた近い地平線に戻ってくる、と思ってきたのだ。なにか他の理由がありそうに思える。
 それにしても今夜は本当にきれいなお月様だ。今日の月齢は正午で13,8だから満月は明日と明後日の中間くらいだろうか。
 せんちゃんの名付けのモトになったのが平安時代の歌人大江千里。
 月みれば 千々に物こそ悲しけれ 我が身ひとつの秋にはあらねど(まだまだ秋には遠いけれど)
 懐かしい童謡
 ♪出た出た月が まるいまるいまんまるい 盆のような月が
 ♪うさぎうさぎ 何見てはねる 十五夜お月さま見てはねる
 ♪雨降りお月さん雲のかげ お嫁にゆくときゃ誰とゆく 一人でからかささして行く からかさないときゃ誰とゆく シャラシャラシャンシャン鈴つけた お馬にゆられてぬれてゆく
 ♪月の沙漠をはるばると 旅の駱駝が行きました 金と銀との鞍置いて 二つならんで行きました
 ♪証 証 証城寺 証城寺の庭は つ つ 月夜だみんな出て来い来い来い おいらの友だちゃぽんぽこぽんのぽん
 いいなあ、昔の童謡は。
 ついでに大声で歌っちゃおう。
 ♪月が出た出た 月が出たヨイヨイ 三池炭坑の上に出た あまり煙突が高いので さぞやお月さん けむたかろサノヨイヨイ
 声が嗄れてきた、もうやめよう。
 因みに私は人類が月に行ったことを信じていない。(写真は昨日の19時7分に東の山から登ってきた大きなお月様)



 2011年7月12日(火) 浦佐でホームコンサート
 新潟県の浦佐には親しい友人マクラレン 牧子さんが居る。もう長いお付き合いで十年ほどになるだろうか。でも彼女がフルートを吹いていることを知ったのは最近のことである。5月の連休に遊びに行った時に窓外に八海山を遠望する素晴らしいロケーションに恵まれた牧子さんの家でホームコンサートをやったら良いでしょうね、と云った時にはこんなに早く実現できようとは思わなかった。これも牧子さんの実行力だろう。ホームコンサート「小出信也お友だちのためのコンサート」は、私の他にマクラレン 牧子さんのフルート、そして地元でフルートを吹いている高橋 真理子さんが加わり、ピアノが風間 愛美さんなど、というメンバーで行われた。プログラムは愛の挨拶(エルガー)、白鳥(サンサーンス)、アヴェマリア(カッチーニ)、月の光(ドビュッシー)、やしの實(大中寅二)、砂山(3 Fl&Piano 中山晋平)、白い恋人達(フランシス・レイ)、愛の賛歌(マルグリット・モノー)、最後は牧子さんとの二重奏(ピアノが加わるが)で星に願いを(ディズニー)を演奏した。それにアンコールにはボアモルティエのトリオからDance(3 Fl)と故郷を演奏した。とても良い雰囲気のコンサートだった。
 コンサートが終わってからが又楽しかった。八海醸造からは沢山の差し入れがあった。大吟醸の旨さは勿論だが、珍しかったのは特別純米原酒の生詰酒仕様という特別純米原酒 八海山だった。このお酒は珍しいことにマイナス12度に冷やして飲む酒なのだ。「この製品は暑い夏の日によく冷してお召し上がりいただくことを想定して冷やしても深い味わいと清涼感のある香りをお楽しみいただけるよう品質設計をした日本酒です」と書いてある。とても美味しいお酒だった。八海醸造社長の南雲二郎さんにも久し振りで会うことができた。日本酒の他にもビール、ウィスキー、葡萄酒など、幾ら飲んでも無くなる心配は無用な量が用意されていた。しかし何と云っても特筆すべきは牧子さんの料理だろう。いつも思うことだけれど美味しいのは勿論だが彼女はどんなに大勢の人が来ても、なんの苦も無く手際よくさっと作ってしまう。そして楽しそうに作っているのだ。畑もやっていて収穫した野菜も料理に加わる。会社を経営する腕も相当と聞く牧子さんのような人のことをcareer womanと云うのだろう。 牧子さんは素晴らしい友人達に囲まれて幸せそうだった。
 翌日はもう何十年のお付き合いの八海神社の八海会館に寄っておいしい蕎麦を食べて帰って来た。せんちゃんは蕎麦が大好きで喜んで食べていた。今までに残したことは無い。この辺りに来ると嬉しい事にあちこちに野菜売り場があるので沢山買ってかえってきた。(写真は左からボアモルティエを演奏をするマクラレン 牧子さん、高橋 真理子さん、私:関 好和氏撮影)



 2011年7月8日(金) 真夏に咲くノウゼンカズラ
 今年も昨年に同様に猛暑が予報されていて、早くも37度を超えたところが数カ所あったのでちょっと怖い感じがするが、この先どうなっていくのか気になる。こんなに暑いのは観測史上初めてらしい。熱中症も心配である。室温を28度に、湿度を60パーセント以下に保つように、との注意がでている。高齢者はこまめに水を補給するようにしよう。
 ウォーキングの途中に咲いている凌霄花(ノウゼンカズラ)の花。毎年この花が咲くのは夏も本番になったころである。この花を初めて見たのは1970年代の初めのころに福光の光徳寺でだった。だからこの花を見る度に教えてくれた故高坂制立師を思い出すのである。しかし残念なことに寺の改装の際に取り除かれてしまい、今はもうなくなってしまった。近所では今年も数カ所で咲いている。花の色も濃淡があっていろいろと種類があるようである。最初に見たとき日本の花ではないように見えたが、調べてみるとやはり中国からきたものだった。この花は毎日ぼたぼたとたくさん落ちる。漢方では花を干して利尿薬として用いるそうである。
 花言葉を調べてみた。「栄光」「名声」「名誉」「光栄」「華のある人生」「豊富な愛情」「名誉な女性」「愛らしい」「女性らしい」と沢山あった。
 まもなく夾竹桃も咲き始めるだろう。(iPhoneで撮影)



 2011年7月2日(土) 柳沢 智郷さんを訪ねました。
 長い間ほったらかしにしていたヘインズの調整をしてもらいに佐倉の柳沢 智郷さんのところへ行ってきた。柳沢さんが上越から千葉県の佐倉に引っ越してきたのは割合に最近のことである。四街道インターを下りてファクスでいただいた地図を見ながらいくうちに、辺りには民家もまばらになってきた。最後にはクルマ一台がやっと通れるくらいの細い農道に入ってしばらくいくと広い畑があり、その右側に彼の家はあった。表札を見るまでもなく、愛車のBMWがとまっていたからすぐにわかった。クルマを駐めていると奥様が出てこられて出迎えてくださった。湾岸線の杉田から入るとまもなく案内板には途中の葛西ジャンクションあたりで10キロ渋滞、ここの通過に70分、と出ていたのを見てがっかりしたが、覚悟を決めて走るうちに渋滞も次第に解消されてきて、結局1時間半くらいで到着することができた。彼と最後に会ったのは去年の7月25日に新潟で催された須貝和気三さんのコンサートの時だったから、約1年ぶりである。さきの大震災の時には屋根瓦が落ちて大変だったという。しかしここはまだ仮住まいだそうで、来年中には千葉市内に新しくヤナギサワフルート工房が新築されるそうである。
 今回厄介だったのは頭部管のコルクである。すっかり乾燥して緩み、おまけにヘッドスクリューが錆び付いたのか頭を回すとコルクと一体になって回ってしまうようになっていた。これではにっちもさっちもいかない。これをもしも強引に下から上に押し出すと、頭部管はさきへ行くほど細くしぼってあるから管の内径を拡げてしまいかねない。素人に出来ることではないのである。ところが彼がノギスを使って外径を測ってみると歌口のところから先までは円筒形になっていることがわかった(ヘインズは歌口から先が円筒形になっているらしい)。これで大助かりである。無事に下から上に押し出すことができた。彼の腕を最大限に信頼している私は慎重にはずしていく作業を見ていたが、何の心配もなく作業は進行していく。結局タンポの交換が3箇所あったけれど全ての作業は小一時間ほどで思っていたよりも早く終わった。終わってからの試奏ではズシンと手応えのある音がでた。これからはもっとヘインズも可愛がってあげなくちゃ。ほったらかしじゃ可哀想だよ。
 今制作中のフルートが出来上がったら我が家に持ってきて見せてくれるそうだから楽しみにしていよう。その時には久し振りに彼とゆっくり一杯やりたいと思っている。




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