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過去の日記帳 2011年1月 〜 3月

写真ははずしました。



 2011年3月24日(木) CATASTROPHE
 こうして書いていてもしょっちゅう余震のために建物がゆれる。気持ちが悪い。地震で壊れた原発が気になってじっとしていられない。今回事故を起こした福島第1原発の核燃料は、広島に投下された原爆1000個分とも云われている。使用済みの核燃料も数千本あるという。ああ怖ろしいことだ。不眠不休で必死の作業が行われているが、これから先どういうことになるのかわからない。分からないから怖ろしい。放射性物質は目に見えないから一層不安と恐怖を煽るのである。もしも、もしも放射性物質が目に見えるものだったらどうだろう。銀色や金色や紫色をしたダイアモンドダストのようなものが辺り一面に飛び交っていたとしたら、、、。これも不気味だ。とにかく不安で何をしていても落ち着かない。何とか収まってほしいものである。しかし現実にはメルトダウンが既に始まっているのかもしれないのだ。やっかいな使用済み核燃料の問題もある。日本には長崎原爆5000発分のプルトニウムが溜まっていると聞く。これをしてcatastrophe(大災害)と云わないで何と云おう。悪魔が居るのだ。
 今日は久し振りにガソリンを入れた。ハイオクで1リッター162円だった。つい一ヶ月前には139円だったが。
 19日の日記を読んだ人がお米や野菜を送ってくださった。とても有り難かったけれど、心配をかけてしまってめったな事は書かない方が良かったと、ちょっと後悔している。でもありがとう、助かりました。パリからも、イタリアからも暖かい気持が届いている。
ここに信じられないことが書いてあります→調査報告/原子力発電所における秘密 日本の原発奴隷



 2011年3月19日(土) 計画停電我が家は第1グループ
 今、東北関東大震災のことで頭がいっぱいになっている。大地震に続く大津波、そして原子力発電所の事故、今多くの人たちが苦しんでいる。亡くなった方々は本当に気の毒で言葉もない。心からの冥福を祈るばかりである。
 今回の大震災は地震、大津波だけでは済まなかった。原発が壊れるという最も怖ろしいことが起きた。いま、懸命な作業が行われている。放水に携わる人たちの被爆が心配である。決死の作業と云っていいだろう。なんとか食い止めて欲しい、と国民が、否世界中が願っている。私は昔から原発には反対している。知れば知るほどこんなに危ないものは無いと言う思いがつのって新たな建設計画を知ると「やめてくれ〜!」と叫んでしまいたくなる。私は狭山事件や四国伊方原子力 発電所に反対する住民訴訟の弁護士を務めた藤田一良氏とは、彼がクラシック音楽愛好家であったこともあって1970年代に知り合い、以来原発に関する情報も多かった。今回の事故、明日は、明後日は、一体どうなっているのだろうか。
 計画停電が夕方から夜にかけて行われると、この写真のように家の前の環状4号線も真っ暗になる。古い私は戦時中の灯火管制を思い出してしまう。クルマのライトだけがギラギラと眩しい。信号も消えるので危なくて仕方がない。まさかこんな事になろうとは思ってもみなかった。昼間は画面中央にあるガソリンスタンドにクルマが延々と何十台も延々と並んでしまうから一車線のこの道はふさがって追い越しもできない。きっと後ろの方では何が原因の渋滞かわからないだろう。近くのスーパーにも見たこともないような大勢の人が押しかけて買い物どころではなかった。諦めて帰って来てしまった。我が家は有り難いことに乾麺やパスタなどは買ってあったので当座は間に合うけれど、残念ながらお米はせんちゃんがよく食べるので切れてしまっている。
 原発は安全です、とTVコマーシャルなどで言い続けてきたタレントや学者と云われている人たちは今どんな心境なのか知りたいものである。私は苦り切った気持でこのコマーシャルを見ていた。軽薄な感じがする。マグニチュード9の地震がが起こりうることは、今までの世界を見ても分かるはずである。想定外とは云えまい。なのに信じられないことに今後も沢山の原発を建設するべく計画されているのである。世界を見れば今回の事故を受けて多くの国が様々な動きを見せはじめている。一旦は原発をやめてしまおう、と言ったドイツが再び建設することにした、という記事をよんでがっかりしていたが、どうなるのか注目している。



 2011年3月11日(金) 東北関東大震災(2011年東北地方太平洋沖地震)
 11日午後2時46分に東北地方太平洋沖地震が発生した。不覚にも昼寝を決め込んでいた私は妻の大声で起こされた。揺れている!それも可成りの大地震だ。こんなに強い地震は経験したことがないから私は遂に東京湾で巨大地震が起こったのだ、と思った。我が家はマンションの七階だが、強烈な横揺れがずいぶん長い間続いた。テレビが前後に激しく揺れて落ちそうになったので足を踏ん張って抑えていたら、妻は私のフルートや必要最小限のものを持って3才5ヶ月のせんちゃんをかかえ、「テレビなんてどうでもいいから早く出よう!」と叫んでいる。ピアノの上のものが落ちてきた。これはただ事ではない。揺れ始めてすぐに停電、断水した。せんちゃんの手を取り3人揃って下まで薄暗い99段の階段を下りた。隣家の人が車のテレビを見ながら「東北らしいですよ」と教えてくれた。不安そうな顔をしたマンションの人たちが情報を交換しあっている。我々はとりあえず近くの地区センターへ行ってみた。地区センターは太陽光発電の設備があるからなんとかなるだろう、と思ったのであるが、しかし停電しており、間もなく閉館だという。トイレを借りてから家に引き返した。登りの99段のきついこと。この頃には階段も暗くなっていて足下が危なかった。停電と断水はいつ回復するかもわからない。もう夕食の時間だ。断水でも我が家は契約して定期的に配達される富士山の地下から汲み上げたという12リッター入りのミネラルウォーターがあった。それに有り難いことにガスは出るではないか!これで妻は手際よくパスタを茹で、ローソクの光のもとで食べた。非常用の懐中電灯やラジオや水などを持ち、大きな余震が来るのではないかと怖かったのでクルマの中で寝る覚悟で厚着をしてからまた階下へ下りた。すぐ前の信号機はずっと消えたままだ。すごい渋滞だ。クルマを建物から離れた安全と思われる所に移動してラジオのニュースを貪り聞く。時間を追う毎に被害は大きくなっていく。今回の地震は、最初マグニチュード7、9と発表されたが、その後2度修正されて8、8となった。聞いたこともない数字だ。マグニチュードと云っても実感的によくわからないが、数字が1増えると地震のエネルギーは32倍になり、2増えるとエネルギーは1000倍になると言う。マグニチュード8の地震は、マグニチュード6の地震の約1000倍にもなるのである。9時まえだっただろうか、ぱっと電気が点いた。周りが明るくなり、信号機も点灯した。それで我々は家に帰ることにしてまた階段を登った。せんちゃんは寝てしまっていたから妻が抱いて99段を登った。なんと頼りになることよ。これで3度も歩いたことになる。切っておいたブレーカーを入にし、暖房を入れてテレビをつけた。今回の地震がいかに凄かったか、目を被うような惨状が映し出されている。心配なのは原発である。冷却水が漏れて、まわり3キロ以内の住民に避難しろと云っているではないか。冷却が出来なくなると怖ろしい最悪のメルトダウンが起こりかねない。ニュースを見ていて気がついたら夜中の12時をまわっていた。ベッドに入ってもなかなか寝付かれなかった。(写真はランタンに照らされた食卓で夕食11日18時22分)
 追記:いよいよ危ない状態になってきたか。福島第一原発事故による退避範囲が20キロ圏に拡大された。報道写真によると建物の外壁は爆発によって跡形もなく吹っ飛んだようである。スリーマイル島原子力発電所事故(1979年3月28日)→チェルノブイリ原子力発電所事故(1986年4月26日)に続く重大事故にならぬよう祈るばかりである。(3月12日午後7時50分記) 原発がどんなものか興味がある人は[ここを]読んでください。



 2011年2月26日(土) 今年白寿を迎える母に会いに
 金谷でフグを御馳走になった翌日、島田のホテルを後にして母に会うために愛車の直列6気筒のフィーリングを楽しみながら名古屋へと向かった。途中、浜松西インターで下りて「浜松フルーツパーク」へ寄った。ここはせんちゃんはまだ行ったことはないけれど、YouTubeの動画を毎日みて特にお気に入りの長いエスカレーターがあるところなのである。かねがね機会があったら寄ってみようと思っていたところだった。浜松フルーツパークは浜松西インターから14キロほど北へ行ったところにあって、辺りは山地でとても環境が良いところである。ちょうど梅が満開で見応えがあった。広大な敷地の中には沢山の果物の木が植えられていた。ビワ、梅、スモモ、ミカン、リンゴなど15種類もあるそうである。ほとんどの果物はまだだったけれど、それらがたわわに実る時期にも行ってみたいものである。今の時期は静岡生まれの 「あきひめ 」という見事なイチゴが実っており、これを母へのお土産に買った。せんちゃんの握り拳よりも大きなイチゴの旨さったらなかった。
 妹の家では約半年ぶりに母と会うことができ、夕食の手巻き寿司を食べながら半年分の話しをした。次に会えるのはまた半年後になりそうである。
 記念写真というものはどうしても堅苦しくなってしまうが、ま、しかたがないな。



 2011年2月25日(金) 西照寺住職のお招きでフグ料理 
 毎年「なむなむコンサート」で演奏に行っている西照寺の木村住職から2月25日にフグを食べましょう、との嬉しいお誘いがあり、フグ! フグ! すぐ! という気持でウキウキしながら駆けつけた。遠州灘で捕れるフグを金谷駅から歩いて数分のところにある「あさひ寿司」の主人が腕をふるってくれたのである。木村住職側からはご夫妻と娘さんとお孫さん、次期住職の息子さんがいらっしゃった。我々は夫婦とせんちゃん、それにいつも共演してくれるピアニストの小林えりさんも参加して「フグの会」は楽しい話題に湧きながら時の経つのも忘れるほどであった。
 最初に出てきた刺身も凄かった。幾分厚めに切ってあるので歯ごたえもあり、旨いうまい。大好きなひれ酒が良く似合う。白子をかるく炙ったのは初めてだったが、これも美味しかった。変わっていたのはフランス料理のような料理の仕方ででた料理だった。これも旨かったが、最後のシメであるフグちりは何と言ってもフグ料理の極めつけだろう。
 しかし一番の御馳走は明るく健康で優しさに溢れた住職一家の接待であったと思う。
 今年も秋には「なむなむコンサート」に行くことになっている。さて、どんなプログラムにしようかな。



 2011年2月8日(火) 久し振りに兄のところへ
 妻が池袋で昔の仲間と池袋で会う、というので送って行った。家から横横道路をへて第三京浜へ入り、目黒通りへ入って大鳥神社交差点を左折、山手通りへ入って青梅街道を横切って池袋へ到着。山手通りは青梅街道を過ぎるあたりからきれいに整備されており、とても走りやすくなっていた。私は会場のホテルまで送っていってから近くの兄の家で待っていることにして、せんちゃんと、ちょうど来ていた明日也と3人で行った。実に久し振りだった。昼食を食べながら今年白寿を迎える母のことなど、いろいろ話が弾んだ。この写真、頭髪だけを見て判断するとどっちが兄か弟か判らない。よく友人から「昨日弟さんにあったよ」と云われることがあるのも頷けると云うものだ。“すり減った、我が頭髪よ今いずこ”(小出カルタより)。妻も会が終わってからここへ合流。しばしの団らんの後明日也ともここで解散、彼は名古屋へ向かった。帰りは昔住んでいたことがある中野新橋を通って帰った。懐かしかった。

 角界が騒々しいい。リンチ殺人事件、薬物事件、賭博問題、そして今回は八百長問題が騒がれている。やっぱりそうだったのか、と思った人は多いだろう。ニュースの画面を見ていると顔について思う。顔と云っても職業で色々みたいで、音楽家の顔、政治家の顔、セールスマンの顔、音楽事務所の人の顔etc.とそれぞれの特徴があるように感じている。日本相撲協会の理事には強面が多い。報道を見ていても威圧を感じるのは私だけだろうか。今まで八百長に関する出来事が多々あったにも関わらず、いずれも強引にもみ消して来た経緯がある。今度こそ膿を出し切ることができるのか。それとも今まで通りの結果になってしまうのか。石原都知事が云ってたのが面白かった。「今さら大騒ぎするのは片腹痛い、相撲なんてずっと昔から八百長をやってるんだから、そう思って見りゃいいんだよ」
 大体相撲はもともと国技なんかじゃない。外国人も多い。石原都知事が云うようにプロレスと変わりがないと云われても仕方がないじゃないか。



 2011年2月2日(水) お墓の大掃除
 息子の明日也が1年ちょっとぶりにやってきた。明日也は去年、8年間に及ぶイタリア、フランスでの勉強を終えて帰国したばかりで帰国後に会うのは初めてだ。京都から夜行バスで早朝5時に横浜駅へ到着、根岸線でマイナス2度に冷え込んだ港南台駅までやって来た。家に来てから朝飯を食べ、しばしくつろいだ後、鎌倉霊園へ行ってお墓の掃除をしよう、と言うことになった。明日也は夜行バスできつかったに違いないが、そこは若さがものをいう。
 霊園に関しては最近出来事があった。我が家のお墓は雑草対策としてコンクリートを張り、真っ白な玉砂利を敷き詰めてあったのだが、両隣はまだ墓石も建っていなくて夏などは背丈程にも伸びた雑草がこっちへ領土侵犯して大変なことになっていたし、おまけに上の斜面から落ちてくる土が積もり、そこへ雑草やら周りの芝などが蔓延って無惨な状態になってしまうのである。このためにどれだけ大変な目にあってきたことか。この際何とかしなくちゃなるまい、と常日頃思っていた。それで1月6日にお参りした際に管理事務所に立ち寄って元通りにするのにどれくらいの費用がかかるものなのか訊いてみたのである。10日ほど経って見積もりが出たがけっこうなお値段だった。兄はお金がかかってもきれいにしようよ、と言ってくれた。私もそのつもりになりかかっている。
 明日也は来る前から「今度行ったらお墓を掃除したい」と言っていた。だから来るなり「お墓へ行こう」と言うことに相成ったわけである。こうなれば思い立ったが吉日。思い切って掃除に行くことにした。明日也と妻は雑草を掘り起こして玉砂利を分けたりして、荒れていたお墓を掃除した。私は土木作業で手を酷使して痛めたりしたら大変だからお墓とゴミ捨て場を往復しながら雑草運搬係として奮闘した。そして1時間半がたち、粉雪が一際激しくなってきたころにようやくこの写真のような状態にすることができたのである。これで大雨でも降ってくれたら玉砂利も少しは綺麗になるだろう。父もきっと笑顔で見てくれていたに違いない。今後どうするかは置いておき、いい気分で家路についた。夕食には明日也が持参したイタリアのアマローネを飲みながら心地よい疲れをほぐした。



 2011年1月24日(月) せんちゃんと栄プールまで散歩
 今朝は冷え込んで朝の最低気温は2度しかなかった。しかし快晴だったのでせんちゃんと2人で散歩しようか、と言うことになって出かけた。9時頃になっても気温はたったの3度しかなかったけれど風がなかったからそう寒くは感じなかった。今日は私のウォーキングコースになっている中間点の栄プールまで行くことにした。私は日によってコースを変えているが、どのコースにしても必ずプールの裏の159段ある階段は登ることにしている。家から約2キロくらいのところだ。そのプールの裏手に駐車場がある。せんちゃんは駐車場のゲートの遮断棒の開閉が大好きだから、どこの駐車場へ行ってもでいつまでも見ているというという事になってしまうのだけれど、ここへ来た時も目ざとく発見して大喜びだった。ところがここのパーキングゲートの機械はずっと前から壊れていて使用できず、今日もお兄さんが機械の代わりに椅子に腰掛けて料金を徴収していた。プールは3月末まで雨漏り及び内装等の改修工事のため休館中であるが、併設されている老人福祉センター翠風荘は平常通り営業しているから駐車場は開いているのだ。せんちゃんには「壊れてるから動かないんだよ」と何度説明しても「きっと動くよ!」と言ってその場を去ろうとしない。そんなやりとりを聞いていた係のお兄さんが「動かしてあげるよ」と親切にスイッチを押してくれだのだ。上がりっぱなしだった遮断機の棒が下がってきた。せんちゃんは大喜び!満面の笑みで見つめていた。せんちゃんはお兄さんに「ありがとー!」と言うことが出来た。遮断機ばかりでなく、壊れている機械にも触らせてもらい、ボタンを押しまくって大満足だった。ここではウォーキング中によく会うご夫人二人と会ったが、「あらお孫さんでしょ、可愛いね」と言われてしまった(もう慣れた)。
 せんちゃんは足が強く、1年以上前から4キロくらいは平気だ。最近は歩くスピードも速くなってきているから、ウォーキングの全コースを一緒に歩ける日もそう遠くはないだろうと思うと胸がわくわくしてくる。23日記(写真:係のお兄さんと、壊れた機械にも触らせてもらってご満悦のせんちゃん)



 2011年1月20日(木) 神奈川県立鎌倉養護学校
 神奈川県立鎌倉養護学校で演奏をするようになって30年になった。鎌倉養護学校が開校になった年からだ。途中演奏が出来なかった年もあったから回数は28回目だが、こんなに長くやってこれたのもピアニストの泉 玲子(旧姓金井)さんとの協力関係あってのことである。この間校長先生は何回も変わったけれど、ずっと変わらずに演奏させていただけると言うことにとても満足している。
 今年は印象に残ることがあった。この写真には写っていないけれど一番前の私に近いところに寝たきりの子が数人いた。今年はその中の1人の男の子が質問コーナーの時に「フルートに触らせて欲しい」というではないか。こんなことは初めてだったのでちょっと戸惑ったけれど、聴いているうちにフルートがどんなものか触ってみたくなったのだろう。大切な楽器で壊れやすいから慣れない人にはめったに触らせないことにしているが、私はその子の前に行ってしゃがみ込み、手首を握って私の愛器に持っていって触らせてあげた。とても満足そうな顔をしてくれた。そのことがずっと心に残っている。毎年決まって出る「そのフルートはいくらですか?」という質問は今年は無かった。
 鎌倉養護学校は小学校から高校まであるから生徒達は在校中に12回聴くことができるわけである。とにかくわかりやすく、親しみのある曲をと思って選曲するのだが、今年はグルックの聖霊の踊り、フォーレの子守歌、宮城道雄の春の海、ピアノソロでショパンの夜想曲、ディズニーから夢はひそかにと小さな世界を、そして最後には編曲ものが多いなかでオリジナルのフルートソナタも聴いて欲しいと思ってフンメルのソナタを演奏した。小さな世界やアンコールで演奏したミッキーマウスマーチでは手拍子が沸き上がった。せんちゃんも妻と一緒に聴いてくれた。
 私がこのコンサートを始めたのは四十代の時だったが、今は古稀を過ぎた。しかしフルートを吹いている限り続けていきたいと願っている。



 2011年1月15日(土) クッキーズの新年会
 グループ指導している笛好き4人組のクッキーズとは1年少々前からのお付き合いである。それまで指導を受けていた先生が引っ越されて困って相談に見えたのが一昨年の秋のことだった。地元の方達なので一も二もなくお引き受けして月に2回のレッスンが始まったわけである。ご多分に洩れず近所の小学校もいくつか廃校になってしまっているが、それらが今はコミュニティーセンターなどになって利用されており、色々なお稽古事や勉強会などに利用されているわけである。クッキーズの練習所もここから6分とかからない嘗ての小学校でやっている。4人ともフルートは相当に好きなようだけれど、実力の方は正直なところまだまだだ。しかし私の教えかたはアマもプロも変わりはない。心の中で「今日はフルートを楽しんで吹いてもらおう」と決めてレッスンに向かうのだけれど、いざ練習が始まると気になることが多すぎて、つい厳しい内容のレッスンになるので困ってしまう。アマチュアだから良いだろう、という妥協が出来ない私だから。しかし心の中では音楽の楽しみや歓びを感じてもらえるようになって貰いたい一心なのだ。懸命について来ようと4人とも真剣そのもの。
 しかしレッスンが終わると私も一変してレッスンのことなどはもう喋らない。昔からそうだけれど普段は音楽の話しはどっちかと言えば苦手で、聞かれれば答えるけれど自分から話し始めることはまず無い。頭の中ではしょっちゅう音楽のことを考えてはいるのだけれど、そんな個人的なことを人と話そうなどとは決して思わない。どっちかと言えばおおよそ音楽とは無関係なことばかりを喋っている私である。音楽上の議論ほど苦手で嫌いなことはないのだから。だって楽しくなくなっちゃうじゃないか。いわんや酒席などで!
 13日のレッスン後は30年以上前から懇意にしている中華料理店「酔禧楼」(すいきろう)で新年会と相成った。ここのシェフは上海で料理を習得した人で、まあこんなところに(失礼!)こんなに美味しい中華料理店があったのか、と思うほどに本格的な料理を出す。壺から汲み出した紹興酒にほろ酔いながら美味しいおいしい。始めた頃には4人とも幾分固くなっているようだったけれど、しかし次第にそれも解れてきた。食べきれないほどの料理だった。残念ながら酔禧楼のホームページはない。ぐるなび神奈川に出ている酔禧楼を紹介しておこう。



 2011年1月10日(月) 横浜の中華街で「風流人」オフ会
 昔、パソコン通信が華やかな頃にニフティのなかにアマもプロも職業も老若男女も一切関係なくただ一点「フルートが好き」という共通点で集まった「風流人」という部屋があった。今はもうなくなってしまったけれど、ここで知り合った仲間が今でもこうして時々会っては楽しんでいるのである。私は昔からよく色紙などに「我愛風流人」と書いて「ILove flute」と読んでもらっているから、ここもfluteなのかなと最初は思ったけれど、どうやらそうはなく文字通りの風流人であるらしかった。
 今回は昨年暮れからの呼びかけで五人が集まった。少ないメンバーだったけれど、会場に選んだ中華街の重慶飯店本館の個室では大いに盛り上がって楽しむことができた。それぞれが異なった職業だから話題も豊富で興味はつきない。「へ〜」「そうなの!」「うわぁ〜!」といった内容の話しばかりだからあっという間に予約していた時間がきてしまった。料理も美味しかったし老酒も美味しかった。ここはいつ来ても外れがない。
 この日は家から駅まで約3キロ半の道程を往復とも歩いた。途中に約1キロ弱の上り坂があるのでキツイきつい。帰りもバスには乗らずに歩いたから、この日だけで1万数千歩、距離にして10キロちょっと歩いたわけである。往き帰りの道や暗くなってからの中華街も白内障の手術をしてから信じられないくらいはっきり見えるようになった。とりわけ夜景が綺麗だ。すごい手術ができるようになったものである。(写真は食事の後に入った喫茶店で:1人帰ってしまったので4人だけになった)



 2011年1月5日(水) 謹賀新年
 新年おめでとうございます!
今年も下手な文章で書き込みをしていきますので、どうぞよろしくお願い致します!!!

まもなく「コンサート」をアップします。




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