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過去の日記帳 2010年7月 〜 9月

写真ははずしました。



 2010年9月22日(水) 第4回八色の森コンサート
 ブロンズ像「風の又三郎」(中村晋也作)が右手をかざして越後三山を見上げている池田記念美術館のエントランスホールからの眺めは素晴らしいの一言である。ここで演奏できることは私にとっては得難い幸せと云って良いだろう。 今年で第4回になった「八色の森コンサート」は「フルート&ファゴットの夕べ」と称してファゴットの田部井梓穂さんとの二重奏であった。中秋の名月のころに行われるこのコンサートは今まで一度も雨が降ったことが無く、秋の夜の一時を名月を背景にして演奏してきたわけであるが、今年は夕方から雨の予報となっていた。事実開演2時間前ころぱらぱらと小雨が降ってきた。今年は月無しのコンサートになる、と思った。控え室で田部井さんに「今日は残念ながら月無しコンサートになる」と言うと彼女は「私は晴れ女」だ、と言う。その通りになったら良いな、と思った。やがて演奏が始まってしばらく経ったころに厚い雲に切れ目ができて何と月が出てきたではないか。これはちょっと信じられなかった。矢張り天気は私たちの見方をしてくれたのだ。これは嬉しかった。ジュボアのフルートとファゴットのための二重奏曲より第一番ト長調Op.17、オズボーンのファゴットのためのラプソディ、ベルトミューの無伴奏フルートのためのヴォカリーズ、田部井梓穂編曲のマダム・バタフライ (越後獅子が出てくるから)などを演奏した。
 終演後は美術館と同じ八色の森公園のなかにある「ワインレストラン葡萄の花」で懇親会が行われた。池田記念美術館の館長佐藤吉昭さん始め美術館学芸員の広田さん、そして毎年ここで出会うお馴染みの地元の仲間達と会えた。仲間達の中には演奏前の腹具合の調整に欠かせないおにぎり弁当を作ってくださる村山さんや、私の健康について細やかなアドヴァイスを下さる医師の猪股さん、毎年必ず手作りの山菜料理をくださる中島さん、皆元気で素敵な笑顔を見せて下さった。中にはわざわざ四日市から聴きに来て下さる六鹿さんや、10年ぶりに八海山尊神社の宮司さんも来て下さった。葡萄酒や御馳走を堪能しながら楽しい一時を過ごした。2時間の制限は短すぎてあっという間に時間が来てしまった。来年も会いましょうね!(写真は池田記念美術館エントランスホールでのコンサート)



 2010年9月15日(水) Old New Faces Flutes Concertの練習
 林りり子先生の弟子たちがバトンタッチでつなげていくOld New Faces Flutes Concertは今回が7回目になる。甲藤さちさんから私に回ってきたこのコンサート、今回は私から野勢善樹さんにバトンタッチして、私の役割は果たしたことになるわけである。野勢さんは林りり子先生の弟子でもあり、私の弟子でもある。本番は今月の26日であるが今回初めて3人揃っての練習をした。
 プログラムは
 M.ブラヴェ: Sonata 3 op.2 Nr.3「ラ・デルヴィユ」
 J.S.バッハ:トリオソナ第一番ト長調 nach BWV525
 J.N.フンメル:ソナタニ長調
 P.ゴーベール:ソナタ第二番
 H.ビュセール:小組曲
 D.チマローザ:二本のフルートのための協奏曲ト長調
 野勢さんとの初めての出会いは1970年代の初めの頃だ。彼が高校3の時である。初めて聴いた時の彼の音は今でも鮮明に記憶に残っている。豊かで温かく、これは将来が楽しみだな、と思った。それから40年が経った。私の教え子でクリスティアン・ラルデ先生のところへ紹介した人は何人かいるが、彼もそうだ。留学後の彼はマウスピースに非常にこだわるようになり、足繁くボストンのヘインズに通っては色々作ってもらうようになった。河井寛次郎に「この世は自分を探しに来たところ」という言葉があるが、自分が求める音を探しているのだろう。また彼は酒席における芸のレパートリーが豊富で人を楽しませてくれる才能に長けている。打ち上げ会や呑み会ではまるで独演会となる事が多い。これは無形文化財の指定ものだ。なにしろ彼が母校の国立音大を卒業して居なくなったら校風が変わってしまった、と言われているから想像がつこうと言うものである。反面非常に神経が細かい面も持っており、振幅が大きいのである。これは演奏家という職業にとって良いことだろう。 先回に続いて今回もピアノは小林 えりさんが弾いてくださる。3人が絡み合い、打ち解け合って魅力的なコンサートになるようにしたい。(写真:小林 えりさんと野勢 善樹さん)



 2010年9月2日(木) 98才になった母
 名古屋の妹のところへ行ってからは成瀬に居た頃のように簡単には会えなくなってしまった母。その母の98才のお祝いに行ってきた。1912年生まれの母は喘息の発作に悩まされていた時代もあったくらいに、どちらかと言えばそう強くはない体だったけれど、よくもまあ元気に長生きをしてくれるものである。見た目も実に若い。ここ数年まったく病気らしい病気もしない母はこれから先も健康で長生きしてくれそうである。妹はヨーロッパへ旅行中で会えなかったがちょうど下の妹がマイアミから来ていたので会うことが出来た。兄弟4人が揃うことはめったにない。せんちゃんは前に来たときのような人見知りはしなかった。前よりも母に近寄っていくのを見てほっとした。
 日曜日に行ったから高速道路は1000円の日、混雑が予想されたけれど、ネットで調べて最良の時間帯を選んで出かけた甲斐があってとても楽だった。愛車の公称10・15モード燃費は9.4km/リットルだが、今回は13.5km/リットルまで伸びた。これはもっと走りこんでからは更に伸びるだろうと期待している。(写真は母、せんちゃんの後ろ姿、それにマイアミから来た妹・名古屋で)





 2010年9月1日(水) 新潟の須貝和気三さん
 去る7月25日に新潟の音楽文化会館ホールで行われた須貝和気三さんの教え子達による「フルート名曲を楽しむ集い」を終えてから一ヶ月以上になった。当日のプログラムに、昭和36年6月17日第一回発表会から数えて50回になります、とあったがこれは実に凄いことだと思う。須貝さんは私と同じ林りり子先生の門下生であるが私の方がずっと後輩である。思えば本当に長いお付き合いで50年以上以上になるのである。その長い友情を思いながら私はフンメルのソナタニ長調 、ショパンの夜想曲 、シューマンのトロイメライ 、シャミナードの小協奏曲 、ノブロのメロディ 、グルックのフルート協奏曲 ト長調 を小林えりさんのピアノとともに演奏した。会場の新潟市音楽文化会館ホール はとても気持がよい音響だった。終演後の懇親会も盛り上がっていた。
 私はこのコンサートを終えてから山形、青森などを旅行してしていたが、その間いつも須貝和気三さんのことを思い出していた。この人のフルート好きは並みじゃない、と。須貝さんは卒寿を過ぎて益々お元気で我々の鏡となっている。これからもお元気で活躍されることを願ってやまない。(写真左が須貝さんで右は小林えりさん。終演後に新潟市音楽文化会館ホールのステージで)



 2010年8月27日(金) 池田記念美術館コンサートの練習
 池田記念美術館コンサートまで、あと2週間とちょっとになった。演奏する美術館のエントランスホールは眺望絶景である。越後三山に昇ってくる大きな秋の月を背景に演奏する幸せは、そうどこにでもあるものじゃないだろう。しかしここにはピアノがないから選曲には苦労する。今回は以前私が「したやウィンドアンサンブル」の定期演奏会を指揮したときにエキストラでファゴットを吹いていた田部井梓穂さんにお願いしてファゴットとのデュオにした。田部井さんは特に今回の演奏会のために「越後獅子」などをフルートとファゴットの二重奏のために編曲をしてくださったので、きっと喜んでいただけるものと思っている。
 せんちゃんにとってファゴットは初めてであった。すごく興味深げに近くに寄って来て聴いていた。



 2010年8月13日(金) 横浜ベイスターズ対中日ドラゴンズ戦
 ひょんなことから横浜球場へ行く事になった。と言うのもたまたま妻がデパートの抽選で横浜球場の横浜ベイスターズ対中日ドラゴンズ戦の入場券をペアで当ててしまったからである。我が家は私の父の遺志を継いでジャイアンツファンであるが、たまには違ったチームの試合を見てもいいな、と思っていたから一家揃って出かけてみることにした。横浜球場には屋根が無いからきっと東京ドームとはまた違った雰囲気の野球を見ることができるかもしれない、と言うこともあってけっこうルンルン気分で出かけてきたわけである。
 いざ行くと決めたら何だかソワソワしてきた。野球観戦だけじゃ勿体ない、せっかくだから毒入り餃子事件以来足が遠退いている中華街にも行きたい。行ったら料理だけじゃなく老酒も呑みたい。飲んだらクルマは運転できないから、じゃホテルをとろうか、という連鎖反応がおきて、けっきょく球場のすぐ側にホテルをとってまるで旅行気分で出かけたわけである。
 試合は午後6時から始まる。我々は時間的余裕を持ってホテルに入り、中華街に行って北京料理店に入った。初めての店であったがたいへんに美味しくて満足できた。10年物の老酒も美味しかった。もちろん私は氷砂糖なんて絶対に入れない。初めての店に入る時には勇気が要るが、美味しかったので良い気分であった。
 球場に入ると、そこは野球狂が集う球場独特の雰囲気が満ち満ちた別世界だった。我々夫婦はどっちのファンでもなかったからちょっぴり冷めた気分であったが、これはイニングが進むに従って次第に雰囲気に呑まれていくことになった。そしていつの間にか横浜ベイスターズに応援している自分に気づくのであった。この日は9対6で横浜ベイスターズが勝った。良い試合だった。まったく退屈しない数時間だった。しかしファウルボールが飛んで来て私の前の席(空席だった)の背もたれに当たった時は恐かった。今思えば受け止めていたらボールを貰えたのかもしれないと思うと自分の不甲斐なさが悔しい。周りの人たちが大声で叫ぶヤジも楽しかった。ファンというものは選手が良いプレーをした時には喜ぶけれど、エラーなんかしようものならぼろくそだ。同情心なんて全く無いのが不思議である。これは昔から私が持っている疑問だけれど、熱烈ファンでないから理解出来ないのかも入れない。浜風に吹かれて良い気分のナイター観戦はクセになりそうである。



 2010年8月11日(水) 青森市民交響楽団の人たちと
 新潟での演奏を終えてから五所川原の妻の実家へ行ってきた。新潟から直行するのではなく、日本海沿いに国道を北上して山形県の湯野浜温泉に一泊してからゆっくりとしたスケジュールで五所川原へ到着した。今年の東北の夏はとにかく暑かった。全国の気温を見ても関東地方より東北地方の方が高いのだ。妻の実家にはエアコンがあるから良かったものの、もしも無かったら参っただろう。
 今回は友人達に会ったり、ねぶた(これは前日だったので展示を見るだけだった)を見たり五所川原の立佞武多なども見ることが出来て大いに楽しむことができた。青森市民交響楽団のメンバー達とも会うことができたが時間の関係で残念ながら一盃、とはいかなかったがその代わりにうなぎを食べながら楽しい一時を過ごすことができた(写真)。画面左の秋田谷さんはファゴット奏者(と言っても本職は会社の重役さん)で相当な腕前の持ち主である。青森では二度デュオをしていただいたことがあるが、バロックソナタの通奏低音ではほとんど休みが無く酸欠状態に陥らせて大変な思いをしていただいた(スミマセン)。茶色のバッグを持っている女性は先頃私と同じメーカーのパウエルのフルートを買って目下ルンルンのKさん。左から二人目の女性はクラリネットを吹くHさんで天真爛漫を絵に描いたような人柄はせんちゃんが大のお気に入りだ。そして中央は青森市民交響楽団第51回定期演奏会(年9月18日(土) 青森市文化会館大ホール18:30開演)でイベールのフルート協奏曲を吹く竹澤聡子さんである。
 うなぎ屋さんを後にしてからは妻の友人の家に子持ちメンバーが三組集まって賑やかに過ごした。妻の実家に帰ってからは妻の妹さんの家族も来て庭にテントを張ってバーベキューを楽しんだり、庭先でせんちゃんは二度目の花火を楽しんだりした。五所川原では念願の立佞武多を見ることができて良かった。とても印象的だった(写真館にアップしてあります)。
 帰途は実に久し振りに山形のあらきそばへ行き、憧れのソバにありつくことが出来た。お土産に見たこともないような大きい尾花沢の花笠西瓜をいただいた。



 2010年7月4日(日) 7月3日はウォーキング記念日
 やった! ウォーキングを始めてからちょうど1年になった。家に居ようが旅行中であろうが余程のことが無い限りはこの1年間歩いてきたわけである。これはちょっぴり賞めてやって良いだろう。足の筋肉も付いてきている。コース途中にある159段と156段の長い階段も途中で休むことなく一気に上れるようになった。ウォーキングをやるきっかけになったのは血糖値が200を超えたからだが、現在は100以下にまで下がった。いかに運動不足が悪いのかを思い知った私である。クエン酸を多く含むカボスの果汁を取り寄せて飲むようになったことも大きいと思われる。金哲彦著の「からだが変わる体幹ウォーキング」を読んでからは歩きかたも変わり、ますます歩くことが楽しくてしかたがない。何事も自己流では駄目なのだ。58キロだった体重は昨日の計量で何と51キロになっているではないか。これにはびっくりした。一時は64キロもあったからその頃にはアブラの固まりが歩いていたよなものだったのかもしれない。そして現在の体年齢は54才!
 ウォーキングコースの途中に咲く様々な季節の草花も目を楽しませてくれる。最近初めて時計草を見つけた。途中の2箇所に咲いているが、名前しか知らなかった私にとってはとても珍しく、しゃがみ込んでしばらくの間釘付けになってしまった。花の中心が何とも不思議である。自然の造形とは異な物である。なんと不思議な形であることよ。時計草に関しては何も知らなかったのでさっそく調べてみると学名はPassifloraというそうである。受難という意味じゃないか、これは凄い名前だ。雌蘂の形を磔刑にされたキリストに見立ててそう言う名前になったと言う。時計に見立てた言い方は日本にしか無いのだろうか。ブラジル原産の時計草は種類がとても多く400種類以上にもなるというが、中には食用のパッションフルーツもある。花言葉は宗教・信仰・宗教的な情熱・聖なる愛・神聖な恋・恋の激しい苦しみ・信心、等というそうである。
 これからも歩いているときに様々な出会いがあるだろう。それらを楽しみながら次の目標は2年目をむかえることだ。
 ウォーキング一年目の記念日にピアニストの小林 えりさんと合わせ練習をした。練習だからとウォーキングを休んだりはしない。ちゃんと5キロ程を歩いた体は軽く、練習も気分爽快であった。




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