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過去の日記帳 2012年10月 〜 12月

写真ははずしました。



 2012年12月11日(火) 桃太郎
 せんちゃんは私とじゃなくちゃダメなことが三つある。それは散歩と入浴と寝る時だ。寝るのは母親と一緒の時もあるけれど、お母さんは雑用が沢山あるからどうしても男達?の方が先に寝ることが多くなる。
 お母さんは本を読んであげるが、私はお話しを聞かせる事の方が多い。せんちゃんも毎晩楽しみにしている。最近は桃太郎の話しをしている。私は小さい頃に岡山に住んでいたからキビダンゴが出てくるので親しみもある。物語の内容は細かく覚えていないので適当に脚色しながら話すのである。夜な夜な町に出て来ては悪いことばかりをする鬼を退治に行く。途中で色々あって、最後には鬼が「もう悪いことはしません」と謝って、桃太郎は鬼にもキビダンゴをあげ、まさに左の絵のように鬼とも仲良しになって「めでたしめでたし」で終わることにしているのである。
 ところが最近になって、はて、鬼はどんな悪いことをしたんだっけ?何故鬼退治に行くことになったんだっけ?と定かではないことが気になり始めた。どんな物語であったのか、調べてみたみたくなった。
 桃太郎の物語は全国にあって、それぞれ内容も異なっている。全部読んだわけではないけれど、中には鬼を征伐して宝物を奪い、奪った宝物を家に持ち帰ってお爺さんお婆さんを喜ばせて幸せに暮らした、と云うとんでもないものもあったし、面白かったのは桃を食べた老夫婦が若返って子供を産んだというのもあった。
 ここで思い出すことがある。もう20年以上も前の事になるが、クルマに乗ってラジオを聞いていたら「桃太郎なんてとんでもない話しだ。」と喋っている人が居た。一体誰だろうと思ったら番組の最後で作家の住居すゑさんとわかった。興味が湧いてきたので早速この人の作品を調べてみると“橋のない川”と云う作品があることがわかった。早速文庫本で一巻から六巻までを買ってきて読んだ(第七巻は後に住居さん本人から戴いた)。続けて3回くらい繰り返して読んだ。そうしたら会いたくなってしまって誰からの紹介もなしに牛久沼お住まいのに作家の住居すゑさんを訪ねたのである。その時に住居さんはもう90歳を過ぎておられた。住居さんは桃太郎のことを「あの物語は侵略を奨励している、とんでもない話しだ」と仰った。様々なお話しをして下さった。信念に満ちた素晴らしい人であった。私はまた会いたくなって一年後に再び会いに行ったのである。色紙へのサインや沢山の著書を戴いてしまった。
 さて、今晩も寝ながらせんちゃんにお話しをするのだけれど、何のお話しにしようかな。(画像はフリー素材「わんパグ」塚本 http://www.wanpug.com/ からいただきました)



 2012年11月18日(日) クリスティアン・ラルデ先生がお亡くなりになられました。
 Une grande tristesse
 クリスティアン・ラルデ先生が11月15日に南フランスの Flayoscにある自宅の近くの病院で亡くなられた。享年82歳だった。とても安らかにお亡くなりになられたそうである。
 先生を初めて知ったのはパリに留学した1968年の秋であった。下宿からほど近いサン・テティエンヌ・デュ・モン教会 Eglise Saint Etienne du Mont で催されたバッハのロ短調ミサのコンサートを聴きに行った時である。実はその時私はまだクリスティアン・ラルデについては良く知らなかった。しかし例のト長調のオブリガートが始まると、私は“耳を皿のようにして”聴き入った。ものすごく綺麗だった。ビロードの様な音だった(私はこの時に聴いた音が一番好き)。個性的なフリューティストが多いフランスにあって、クリスティアン・ラルデのフルートは正統的と云うか、きらびやかなダイヤモンドではなくて、温かい光を放つ真珠のようであった。
  当時 ChristianLardé 先生は偶然にも私と同じメトロ Jussieu の直ぐ近くに住んでおられた。私は翌日誰からの紹介も無く興奮状態のまま先生のところへ訪ねていき、ちゃっかり弟子入りしてしまったのである。よく受け入れてくださったと思う。以後、ほぼ毎週レッスンに通うことになったが、歩いて5分ほどの先生のお宅へ行くのはまるで散歩に出かけるような感じであった。楽しかったレッスンの数々。(私の帰国後、森岡広志、野勢善樹、野崎和宏、藤井隆太(他)達が続々と先生のところへ行った)
 先生とは日本で、フランスで、数多く共演した。音楽に対しては常に厳しい考えを持っておられて、実に多くのことを教えていただいた。それらは私の貴重な財産となっている。フランスのボキャー音楽祭では先生とユゲット・ドレフュス Huguette Dreyfus のクラヴサンと私によるアンサンブルでバロックコンサートを共演した時の楽しい思い出は忘れることはできない。
 お年を召されてからは全くお会いしていなかったので、先生を南フランスの Flayoscに訪ねたい、と常々思っていたのだけれど、果たされないまま先生は遠くへ逝ってしまった。奥様のマリー=クレール・ジャメ Marie-Claire Jamet さんは悲しんでおられるだろう。S'il vous plaît repose en paix



 2012年11月10日(土) 銀杏割り
 先日演奏した糸魚川の清雲寺の境内には立派な銀杏の木があった。たくさんのギンナンが生っていた。銀杏は不思議な木である。雄雌があって実は雌の木にしか生らないのだが、福光の光徳寺では「知る限り銀杏の木は無いのに、実を結ぶんだよ」と故高坂制立師も云っていたが、清雲寺でも同じようなことを言っておられた。この時期は空気中に猛烈な量の銀杏の花粉が飛び交っているのだ。帰りには清雲寺から沢山のギンナンをお土産にいただいた。私は昔からギンナンが大好きだ。行った時期がよかった!
 写真は銀杏割りで昔から我が家で愛用している手作りのものである。竹の子バネの強さが自然で使い勝手が良い。先っぽが握りきってもギンナンを潰してしまうことはないような形になっている。握るところが少しくの字に曲げてあるのも使いやすい。やや重量感があるのもいい。それもこれも、鍛冶屋さんが真っ赤に焼けた鉄を打って作ったのだ。とても気に入っている道具の一つになっている。食べる前にこれを使って割るのも楽しい一時なのである。
 ギンナンは美味しい。フライパンで焼いて食べても、茶碗蒸しに入れて食べてもオイシイ。ギンナンが入ってない茶碗蒸しなんて、そんなの、茶碗蒸しじゃない。色も綺麗だ。熱を加えるとエメラルドのような色になる。見惚れる程美しい。子供に寝る前に三粒ほど食べさせると、おねしょをしないとも聞いたことがある。ここまで書いたついでにちょっと調べてみた。熱を加えて食すると鎮咳作用、去痰作用、滋養作用、強壮作用があるそうだ。しかし何でもそうだが食べ過ぎはよくない。美味しい銀杏も落葉は実に厄介なものだそうである。とにかく燃えない、腐らないで処理には本当に困っている、と嘆いている人がいた。
 昨日ギンナンのことで清雲寺の渡辺さんとメールのやりとりをした。そのときにペンチで割っておられると聞いたので、我が家と同じものをお送りしようかと思ってネットで探しまくったのだけれど、見つけることができなかった。残念なことにこれ、どこで買ったのか覚えていない。でも、これを見つけたときにはきっと飛びつくようにして買ったに違いない。それで、これならばなんとか、というものをお送りしたのだけれど、使っていただければとても嬉しいのだけれど。



 2012年10月27日(土) 清雲寺(せいうんじ)コンサート
 真宗大谷派清雲寺は初めてだった。糸魚川市の西に寄った静かなところに清雲寺はあった。カーナビが苦手で使ったことが無かった私もiPhone 4sにしてからMapFanと言うアプリを使い始め、こいつの便利さに驚いているが、お陰で一度も迷うこと無くお寺の前に到着することができた(私は音声案内しか使わない)。縁は異なものと云うけれど、今回のコンサートのきっかけになったのは光徳寺であった。清雲寺の渡辺住職ご夫妻が今年の春に富山県福光の光徳寺を訪れた際、寺の中に流れる私のCDを聴き、誰が吹いて居るのかを訊いて私のことを知り奥様が私に清雲寺でもコンサートをしてもらえないだろうか、というMailを下さったのである。清雲寺は年に一回のコンサートを続けてこられて、今回の私で九回目だそうである。
 浄土真宗のお寺とは縁が深い私であるが、清雲寺の本堂は今まで見慣れてきたものとは大違いで、柱は一本も無く、天井は漆喰のようなもので塗ってあった。当然音響はとても良く、心地よく吹くことができたのである。渡辺住職はご多分にもれず京都の大谷大学の出身と思いきや、理工系の大学を出られたそうで、クルマのエンジンもばらして直すことができる程のエンジニアなのである。愛車は昔のフェアレディーZときいて納得である。
 コンサートは沢山の人々が来て下さって本堂一杯であった。例によって私の下手糞なトークにも温かい反応を下さり、とても良い気分のコンサートだった。休憩後に対話の時間をもったとき、「年齢不詳ですね」と言われて「5歳の息子が居る74歳ですよ」と答えると会場がざわざわした。奥様がピアノの譜めくりをしてくださった。
 終演後にはお寺で夕食を御馳走になった。この時、大問題がおきた。どう見てもお酒の用意がないようなのである。ピアニストの鷲宮さんと顔を見合わせてしまった。渡辺住職はお酒を一滴も飲まないそうである。沢山のお寺を知っている私だが、これは初めてのことであった。世俗的代表者みたいな私は終演後の一杯が楽しみなのである。そんな私たちの顔色を見てか、「飲まれますか?」と云ってくださったときには、「は、はい!飲みたいです!」と答えてしまった。お陰でウィスキー一杯と葡萄酒を頂くことができて本当に嬉しかった。料理もお酒も美味しかったこと!ついでながら住職のお嬢さんはソムリエなのである。金沢のレストランで店長をしているので機会があったら是非行ってください。[東山ロベール デュマ(Robelt Dumas)]
 温泉好きな私のことを思って宿は焼山温泉と云う所をとってくださっていた。一杯やってしまって運転が出来ない私に代わって住職が僕の車を運転して宿まで送ってくださったのであるが、走っても走っても着かない(他人に運転させない僕の車を運転したのは住職が初めてである)。そんなに遠いとは思っていなかったのであるが、小一時間くらいかかったような気がした。宿に着いたのは午後11時を15分ほどまわっていた。やっとのことで宿に入ると、なんと風呂はもうお終いだと云うではないか。掛け流しの温泉に来て風呂に入れないなんて、ガッカリもいいところである。しかし交渉の結果、有り難いことに一部分は掃除をしているが、それでも良ければ入っても良い、ということになり、湯に浸かることができたのである。露天風呂の湯はとても良かった。お陰様で演奏の疲れも湯に溶け込んで流れていった。
 翌日は能生にあるいずみ保育園に行き、園児の前で演奏してすっかり仲良しになって楽しい時間であった。今回はとても印象に残る旅行だった。



 2012年10月20日(土) マンソン裂頭条虫
 世の中にこれほど気持ちが悪いものが居るだろうか。こいつはどうやら犬猫などに寄生するマンソン裂頭条虫らしい。せんちゃんが母に連れられて幼稚園に行く途中に裏の竹林の階段のところで見つけた。せんちゃんは見つけるが否や「うわぁ〜!マンソン裂頭条虫だぁ!」と叫んだそうである。せんちゃんが最初に見たのは一ヶ月くらい前のことだった。小雨の中を私と一緒に近くの郵便局へ行く途中、歩道をうごめく異様なものを見つけて「うわぁ〜気持ちが悪い!!」と叫んだのだった。この時の奴は40センチ以上はあったろう。頭の部分を小刻みに震わせながら這う様は例えようもないくらい気持が悪かった。こんなもの、見たことが無かったから、家に帰ってから調べてみたら、どうやらマンソン裂頭条虫(マンソンれっとうじょうちゅう、学名:Spirometra erinaceieuropaei)ということが分かったのである。条虫というからにはサナダムシの仲間と云う事である。こいつが成長すると2メートル以上にもなるというから想像しただけで気絶しそうになる。何故こんなものが歩道などを這い回っているのかと云えば、犬の散歩をさせている人の中に糞の後始末しない人が居るからなのだ。放置したままの糞から這い出してくるのだ。こいつは気持ちが悪いことに人体にも寄生し病害をもたらすこともあるという。金輪際ご免こうむりたい。見たくないものの筆頭である。ゲジよりもずっとずっと気持ちが悪い。
 余談だが面白い話しを思い出した。読んだのは昔のことなので詳しい事は覚えていないが、内田百間の「贋作吾輩は猫である」という小説の最初の方に、自分が食べるはずであったスパゲッティを突然の来客に食べられてしまう場面があった。その時、美味しそうに食べる来客に向って悔しさの余り「昔の人間は寄生虫を食べる習慣があったそうですね」という場面である。あはは、、。しかし英語のヌードルの語源が実はサナダムシ、ミミズであることをご存じか。



 2012年10月13日(土) 鬼柚子(オニユズ)
 こんなの、あり? このトシになって初めてみたからビックリしちゃったよ。
ウォーキングの途中でこれ見つけてどってんこいちゃった。子供の頭くらいもある大きさで見れば見るほど面白い形相をしている。初めはこれ一個だけが病気にでも罹って変形しちゃったのかと思ったけれど、良く見ると他のやつも同じ顔をしている。写真に撮って帰ってからネットで調べてみた。なかなか分からなかったけど、やっと見つけることが出来た。こいつは鬼柚子(オニユズ)又は獅子柚子(シシユズ)というものだと言う事が分かった。柚子と云ってもザボン(ポルトガル語)や文旦の仲間らしい。私が発見したこいつはネットで見るのよりもインパクトが強く、鬼柚子の親分みたいで気に入ってしまった。掛け合って一個譲ってほしいものである。分かってしまうとだんだん楽しくなってくる。今朝のテレビを見ていたら、こんな顔の人がでていたので嬉しくなってしまった。
これでマーマレードなどを作って振る舞い、これ、何で作ったかわかるかい? なんて云ってみたい。と思って調べていたら、こんな所があった。「鬼柚子」 何とここには「ペクチンは水溶性の食物繊維です。これには整腸作用があり、下痢や便秘を予防する効果や、血液中のコレステロールを減らし動脈硬化や心筋梗塞、糖尿病の予防にも効果があるといわれています。」と書いてあるではないか。更にジャムを作ろうという「こんなところ」もあった。益々気に入ってきたぞ。ウォーキングは実に楽しい。今日は7キロ歩いた。毎日何らかの出会いがある。



 2012年10月9日(火) 遂にせんちゃんと鎌倉まで歩いちゃった!
 せんちゃんと鎌倉まで歩くのは前々からの念願だった。鎌倉行きは年長になってから、と思っていたのだけれど、昨日は栄プール往復の約2キロの予定で出かけたのに、家から6,7キロもある山道を鎌倉の建長寺まで歩いてしまった。
 上天気のこの日、散歩に行こうよ、という私の誘いにせんちゃんは虫かごと網を持っていくよ!、と大はしゃぎ。最初は時々行く栄プール往復の予定で出かけた。ところが今朝のウォーキングの時に登ったばかりの159段の階段を登り切ると、もうちょっと行ってみたい、という。それで前に2度ほど行ったことがある山道を2,3百メートルくらいの所まで歩くことにした。ところがそこまで行くと、もっと行きたい、という。じゃ天園まで行ってお弁当を食べようか、と歩き続けた。
 天園では豚汁とソフトクリームをとっておにぎり弁当を食べた。美味しかった。休んだ後、さて引き返えすかと言ったのだけれど、せんちゃんは鎌倉まで行きたい、と強く言う。え?大変だよ、急な坂も何カ所かあるし、今日はちょっと滑るかもしれないよ、と云っても行きたいという。それで結局は建長寺まで行ってしまったのだった。登りは良かったのだが、急な下りはやはりちょっと危ない。しかしそんな心配をよそに、せんちゃんは順調に歩き続けた。こうして年長になてから、と思っていた念願は年中の時に果たされたのだった。せんちゃんは私よりもずっとずっと健脚で疲れるどころか終始はしゃいで楽しそうであった。途中数カ所は大人でもちょっと危ないところがあるが、せんちゃんはそんな所もものともせず、一度も転ぶことも無く歩き通してしまった。途中で何度か「可愛いお孫さんですね」と云われて嬉しかった?
 建長寺からは北鎌倉駅まで歩き、そこから一駅の大船まで乗って、あとはバスで帰って来た。せんちゃんと6時間の冒険ハイキングであった。せんちゃん、よくやったね!(写真は建長寺境内で)



 2012年10月8日(月) 上林裕子さんと
 上林 裕子さんと会うのは去年の7月17日に小山台会館で催された小野田 裕子門下生による「ノイーズ会フルートコンサート」でゲスト出演した時にフルートの山下 博央さんとピアノの本山 佐知子 さんとで演奏した上林さんの「時の外で」を演奏した時以来であった。この時上林さんはパリを発って空港から会場まで直行して聴きにきてくださったのだった。
 今回は9月27日に紀尾井ホールで催された上野 星矢リサイタルで初演された上林さんの新作「クリスタルの時」を聴きたくて切符までお世話をしていただいてお会いすることができたのであった。
 「クリスタルの時」は難しそうな曲だった。この曲が出来上がったのは初演の20日ほど前だというから演奏も大変だったと思うけれど、いとも簡単そうに吹いてしまうことに半ば呆れてしうまう私だった。しかしその曲の中には常に「上林 裕子」のエッセンスが充満していて、いかにも彼女の作品であった。作品は皆様々な音の世界で作られているのだけれど、それら全てから「上林」を感じるのである。これから先もどんどん作品が生まれてくると思うけれど、一体どんな作品かとても楽しみにしている。自分の作品が演奏されるのを聴く気持とは一体どんなものだのだろう。こればかりは味わうことができない世界だ。
 上林さんはいつ会っても実に優しさに満ちて爽やかな感じがする人である。今回は沢山お話しができて嬉しかった。会っている間中「この人から、あのきれいな音楽が生まれてくるのだ」と思い通しであった。
 パリへお帰りになる10月6日には再び羽田空港でお会いすることができた。ご主人も一緒でピアノの本山 佐知子さんと私たち一家はお寿司を食べながら話しが尽きることが無かった。フルートの山下 博央さんは都合で来られず、悔しがることひとしおであった。




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