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過去の日記帳 2007年10月 〜 12月

写真ははずしました。



 2007年12月28日(金) 新しいバージョンのKOIDESSIMO
 ついに当ホームページを新しいバージョンに切り替えた。私が勝手に付けているバージョンナンバーではWWW 2008 noflame1.0である。旅行先で確かめる度に「こんな見えかたをしてるのか」と気にくわないことが多かったから随分悩んできた私である。しかしWindowsでもMacintoshでも、全てのOSで、しかも各々がカスタマイズして好きなように設定しているブラウザで満足してもらえるようにすることは不可能だと思う。私がフレームを採用したのはごく早い時期からだった。しかしアクセシビリティを考えると「これでは駄目だ」ということになってしまった。今までに勉強してきた限りでの私の知識ではどうしようもない。一番困ったのが表紙の最上の「項目」のところだが、ここが一部分しか見えなくなっている、との指摘は度々されていた。だから私は項目を文字ではなく画像に切り替えたのはごく最近のことである。しかしそれでも良い結果がでなかった。決定的となったのは今年最後の演奏をしたロッジ長蔵のパソコンで見たときだ。とにかく二段ある項目が一段しか見えていないではないか。設定を見ると文字サイズが最大になっていたが、しかしここは画像にしてあるからはみ出さないはずである。それで今回の改訂版ではフレームをやめてしまった。しかしどこのページに入っていても行きたいところに飛べるように各ページの最上段に項目を設定したのはフレームと同である。これで完成とは思ってはいないが、これからも程よく遊びながら、しかし見やすいものにしてゆきたいと願っている。これは私にとってはとても楽しい作業なのである。



 2007年12月27日(木) 今年の演奏は全部終わった!
 今年の全ての演奏を終えてほっとしている。演奏という仕事は体調などが如実に現れるから実に厳しいものであるが、今年は口のコンディションも良かったし、愛用のフルートも間もなく買ってから一年目になるのでどんどん馴染んできたのも嬉しかった。それに何と言っても九月の千里の誕生がある。これは一番大きなことであった。毎日が新鮮で楽しいったらない。自分のトシを考えたら、これは人一倍長生きをしなくちゃなるまい。
 今年の最後の仕事は群馬の山の中にあるロッジ長蔵でのクリスマスコンサートだった。ストーブに薪が赤く燃えるぬくもりの中で行われるコンサートは雰囲気が素晴らしい。都会から離れてここに大勢の人がやってきてくれるのである。毎年ここで会うのを楽しみにしている人たちもいる。今年は四年ぶりに尾高惇忠さんに来てもらい、彼自身の作品からも演奏してもらったが、参加者からとても喜んでいただいて私も嬉しかった。とりわけ三好達治作詞 による「甃のうへ」は合唱曲を歌とフルートとピアノ用に作曲者自身が編曲したものであるが、これは素晴らしい曲だった。(歌は尾高夫人の綾子さん・写真)
 さてさて、当ホームページも開設してからまもなく六年になろうとしているが、なかなかうなくいかないものである。旅行に出る度に他のOSなどではどう見えているのかをチェックしているのであるが問題は多い。なんとも私の技量では心許無いことおびただしいのである。そこで思い切ってフレームをやめることにした。改良版は既に出来上がっているのであるが、更にチェックを厳しくやってから切り替えるつもりである。



 2007年12月12日(水) Merry Christmas !
 キリストの誕生を祝うクリスマスを英語ではChristmas、またはXmasと書くこともある。XmasはXがギリシャ語でキリストを表すXristosの頭文字を取ったもので、数学でいう未知数ではないのはご存じの通りであるが(X'masは間違い)、いずれにしてもキリストのミサという意味であろうと思う。フランス語のNoël(ラテン語のnatalis《誕生》が語源)は言葉の響きがきれいなので私は好きだ。ドイツ語ではWeihnachtenと云う。さて、聖書は人類最古の歴史的書物と云われている。キリスト教など組織化された宗教団体が聖書を信仰の書として使っているわけである。ところで私の宗教心とは実に個人的なものであって自分対神、一対一の関係、これに尽きる。その間にはなにものも存在し得ない。これこそが他人が立ち入ることが出来ない自分だけの世界である壺中天地と云えるのかも知れない。
 写真はフィレンツェのサンマルコ教会の隣のサンマルコ美術館の二階にあるFra Angelico(1400-55)が画いた壁画である。数多い受胎告知のなかで私が一番好きな受胎告知である。マリアがキリストを身籠もったことを知らせるために大天使ガブリエルが天から下ってきてマリアの前に叩頭き、Ave Maria(今日はマリア)と挨拶をしている場面である。私は30年前くらいに待望の対面を果たした時、感激のあまり我を忘れて写真を撮ってしまった。即座に「写真は駄目ですよ」と云われたが、すでに撮った後だった。
 新年を迎えるに当たって、当ホームページのリンクなどを少し改良してみた。同じように見えても殆ど毎日テキストを見直して間違いを直したり、タグの改良などを行っている。これはやってもやってもきりがないのであるが、でもけっこう楽しいので少しも苦にならない。今回は主にリンクのページをいじってみたが、前よりは分かりやすくなったのではないかと多少自負しているのだけれど。



 2007年12月4日(火) 母と千里の初対面
 千里が誕生して63日目になってやっと母に会って貰うことが出来た。生まれてすぐには連れ出せないので一ヶ月してからと思っていたのであるが、私の仕事の都合でなかなか実現できないでいた。しかしやっとその日がきたのである。千里にとっても一ヶ月目の検診で病院へ行っただけであるから、いわば初めての外出となった。待っていた母はやっと会うことが出来てすごく喜んでくれた。1912年生まれの母と2007年生まれの千里の年齢差はなんと95才である。古稀の息子にできた子供を抱く母の思いとは一体どんなものだろう?千里は母にとって7人目の孫であるが可愛さは同じらしい。この日母のところには遠く宮崎から私の従姪(従兄弟の子)が来ていたし、海老名からも従姉妹がきていたから千里に会って貰えてよかった。千里は今のところまったく人見知りをしないが、多分大きくなっても変わらないような気がする。千里の育児に関しては色々と考えている。妻が病院で受けた育児の講習の話を聞くと考え方も昔とは随分違ってきているようである。千里は私にとっては四人目の子供であるが、私自身の育児もその都度考え方が違ってきたと思う。昔は親が子供に接する時間が一日に何時間以上だと駄目だとか、何時間以下でも駄目だとか、その他諸々細かいことが沢山あったけれど、千里に関しては抱き癖がつくからなどという心配は一切無視して与えられる限りの愛情を与えていくつもりである。このことでは妻とも意見が一致している。



 2007年11月21日(水) 愛車が10万キロに到達
 N響時代には年間走行距離が4万キロを超えることはそう珍しい事ではなかったから車検の時期が来ると新車に乗り換えてきた私である。しかし今のクルマは違う。既に2回の車検を受けてすっかり愛着が湧いてしまった。エンジンは9万キロを過ぎたあたりから一層快適になり、静かな快音を発しながらびゅんびゅん回る。実はこのクルマを購入した時にレーシングカーのメカをやっていた人から教えてもらった慣らし運転の方法を忠実に行ったのである。だから距離を走ってもますます好調なのだと思う。エンジンオイルは今も1万キロ走ったくらいでは全く減らない。シルキーシックスと謳われるストレート6シリンダーエンジンは私にとって離れることができないお気に入りエンジンである。運転フィーリングも快適そのもので「走る、曲がる、止まる」が全てストレスがなく信頼感抜群だ。このクルマのハンドリングは理想と云えるものだろう。この写真は先日の池田美術館のコンサートの帰りに関越道を走っていた時のもので、私は運転中だったから助手席のチェロ奏者富永佐恵子さんにお願いして携帯電話のカメラで撮ってもらったものである。10万キロ到達の瞬間だ。しかし10万キロと云ってもさほど驚く距離ではまったくない。これからも長く大事に使っていきたいと思っている。このクルマ(BMW3シリーズ現在4台目)の最近のデザインは洗練された都会的なものから一転して厳つくなってしまって少々がっかりしている私である。



 2007年11月20日(火) 塩びき鮭
 鮭は大好きな魚で食べ方も色々あるけれど、新潟の村上名産塩びき鮭ほど美味しい食べ方はあるまい。表面のぬめりを落として粗塩を尾から頭にかけて丹念に刷り込んで寝かせること1週間、それを水で塩抜きしてから北向きの日陰の軒先に吊して村上地方特有の浜から吹く寒風にさらし、約1ヶ月をかけて低温発酵による旨味の熟成を待って出来上がるという手の込んだものである。更にこれを干し続けて夏の暑さを乗り越えさせたものが酒びたしと呼ばれる珍味となる。薄くスライスして酒に浸して食べると得も言われぬ美味しさが口の中に広がる。写真の塩びき鮭は息子千里の誕生祝いにと、新潟のフルートの大御所、林門下の先輩である須貝和気三さんが送ってくださったものである。須貝さんは米寿を超えられて益々お元気、思えば私が米寿に至る時に息子の千里は成人するのである。これは何としてでも須貝さんに肖らねばならない。当写真日記の標語としている「人寿百歳蘭香四時」を成就させなくちゃばならない。ところで塩引き鮭であるが、頭から尾びれまで捨てるところは全くない。昨晩は頭や鰭で出汁をとり、鍋料理にして食べたがめちゃめちゃ美味しかった。この鮭の切り方であるが、初めの頃には悪戦苦闘していたが、今ではコツを覚えたから包丁捌きも鮮やか?に実に手慣れたものである。腹を上にして背に向かって包丁を入れるのである。こうするとあまり力を使わなくともきれいに切れる。これを適量ずつまとめ、ラップでくるんで冷凍するのである。村上にはこの塩びき鮭の他にも〆張り鶴という美味しいお酒があるし、温泉好きな私を喜ばせてくれる瀬波温泉もある。新潟は良いところだなあ!



 2007年11月19日(月) 池田美術館コンサート
 諸事情の都合で空白になっていた魚沼でのコンサートが再開され、2003年以来4年ぶりに行ってきた。今回のコンサートは今まで通り地元の農民画家として知られる関正一さんと池田美術館館長の井口優さんの情熱によって計画された。関さんは大調和会2006年第45回展において文部科学大臣賞を受賞しているし、井口さんは先般新宿の小田急デパートで盛大に個展が催されたばかりという二人とも絵描きさんである。魚沼でのコンサートは過去において小学校の体育館、八海山頂上付近の千本檜小屋、コミュニティホールさわらび、トミオカホワイト美術館などで行われてきたのであるが、今回は浦佐駅からほど近い池田美術館のロビーで行われた。一面ガラス張りのロビーからは白く雪をいただいた越後駒ヶ岳や八海山の雄姿を目の前に見渡すことができ、ため息がでそうな素晴らしいロケーションでの演奏であった。チェロ奏者の富永佐恵子さんとのデュオコンサートはヘンデルのソナタから始まってヴィラローボスのジェットホイッスルに至るまで中間には二人の無伴奏ソナタも交えての選曲で、ロビー一杯に集まったお客さんはコンサートを楽しんでくださったようである。終演後は八海醸造からの豊富なお酒のご祝儀をいただいて賑やかに懇親会が催された。そこには懐かしい面々が揃っていて、友情の深さ、温かさに胸がいっぱいになって泣きそうになった。



 2007年11月13日(火) 梨響シニアオーケストラ
 梨響(山梨交響楽団)シニアオーケストラの第2回目の定期公演でモーツァルトのフルート協奏曲第2番ニ長調を演奏してきた。美しさと演奏の難しさが同居する名曲である。梨響の指揮者七澤 秀人さんは近年まで白根高校で教鞭をとっておられた方で、ご自身もチェロをなさる人である。風貌がエリアフ・インバルととても似ていた。彼の和気藹々とした指導の下に団員もなごやかに演奏していたのが印象に残った。とにかくアマチュアの良いところは音楽が好きでたまらない、と言った雰囲気に溢れていることだろと思う。昨年来モーツァルトのフルート協奏曲の演奏が多い私であるが、このニ長調の協奏曲は私にとって実に思い出深い曲なのである。私がフルートを始めて3年目の1956年に受けた第25回毎日音楽コンクール(日本音楽コンクール)の本選の課題曲だったのだから。この年に初めて日本音楽コンクールに管楽器部門が加えられたが、木管も金管も一緒くたのコンクールだった。今思えば林りり子先生の命令で受けたようなものであるが、まだ世間知らずで恐いもの知らずのトシだったから受けたのだと思う。その年の記録を見ると、管楽器部門1位藤家 光嗣(虹二)(クラリネット)、2位小出 信也(フルート)、3位峰岸 壮一(フルート)、入選柿島 敦、山口 治となっているが、当時の懐かしい思い出が甦ってくる。(山梨学院大学メモリアルホールでリハーサル中の梨響)



 2007年11月7日(水) 富永佐恵子さんとの練習
 今月の十七日に新潟県南魚沼市の池田美術館で行われる「八色の森秋の夜長のコンサート」の練習をした。富永佐恵子さんとのコンサートは約三年前に富山の福光にある光徳寺の時以来である。相変わらず富永さんの音はきれいだ。今日練習したのはヘンデルのソナタやヴィラローボスのジェットホイッスルなどで初めての練習だった。あまり詳しいことはやらなかったけれど、とにかく一回練習をやっておくと数日後で再び行う時には能率があがるものである。言うなれば練習の練習みたいなものかもしれない。演奏会の前は頭の中では常に演奏する曲が鳴っており、考えているが、そんな時にふと良い考えが浮かぶことが多いものである。難しい曲になると、私の法則「重ねたトシと練習量は正比例する」をとことん実践しなければならない。? せんちゃんは日毎に成長している。五感も次第に発達してきて笑顔も見せてくれるようになって、世界中の親がそうであるように親馬鹿丸出しでとにかく可愛いくて仕方がない。お父さんは名器を二本も持っているのだぞ、笛吹きになってくれるかい?と心の中で呟きながらそばでフルートを吹くと目をまんまるに開いて瞬きもしないで聴いている。



 2007年10月31日(水) 元気印
 せんちゃん(千里)の誕生は予想も出来なかったことらしく、私の周りの人たちは驚いているらしい。なにしろ古稀のジジイが子供をつくったというのだから。しかし世間を見渡せば然程驚くことでもなさそうである。真偽の程は定かではないが浄土真宗の開祖親鸞聖人は八十六歳の時に子供が出来たらしいし、俳優の上原謙は71歳の時に子供ができたと聞く。二年負けたか、いや勝った負けたの不謹慎な話しではない。
 ところで私には入れ歯が一本も無い。梅干しを食べたら歯で種を割って中身を食べてしまうのは子供の頃からの習慣になっているし、海老だって殻まで食べてしまうから残るのはヒゲ二本だけだ(ヒゲは美味しくない)。鰺やサンマを焼いて食べる場合は骨も食べてしまうから何も残らない。若い頃には水泳(自由形)やバスケットボールに凝ったし、毎晩十キロほどのランニングも欠かさず行っていた時代もあった。だから今でも体力が有るのかも知れない。なんだか脱線してしまった。
 昨日は桐朋で教えていた頃の教え子東海林くみ子さんと龍角散社長の藤井隆太氏がなんと同門十四人分のお祝いを持ってきてくれたのである。嬉しいことだ。思えば今年の五月一日に昨日と同じ東海林、藤井両人が我が家に来たときが子供が生まれることを初めて口外した日であった。そのときの二人の驚いた顔!そして「きっと男の赤ちゃんですよ」と云ったのが当たったのである。(せんちゃんを抱っこする東海林くみ子さんと藤井隆太氏)



 2007年10月25日(木) 岩崎巴人さんが贈って下さった水墨画
 昨日、東京で仕事を終えて帰ってきたら、当ホームページの蒐集癖などで紹介している水墨画の巨匠、異色の画家として知られる私の大好きな岩崎巴人さんから封書が届いていた。宛名のところには「御ベビーちゃん御前に」と書いてあり、「ご子息様の愛らしい写真をありがとう御座いました 山僧は九十歳と相成り 本当に嬉しさでいっぱいです」とのメッセージが添えられていた。そしてやさしい色で画かれた水墨画「仙桃」(写真:縱33センチ、横63センチ)が入っていた。私は嬉しくて飛び上がらんばかりだった。学がない私は早速仙桃の意味を調べた。なかなか分からなかったが「仙人が植えた桃のことを仙桃といい、不老長寿の意味である」というのが一番気に入ったので、これに決めた。巴人さんは卒寿になられたが、私が巴人さんと同じ年になった時に千ちゃん(千里 ちさと)は成人するのである。これは、もしかしたら千ちゃんにではなく、私に向けた言葉ではないだろうか。巴人さんは本当に優しい人だと思う。嬉しくてウキウキしている。



 2007年10月22日(月) 辻本智美さんのピアノリサイタル
 ピアニストを探していた私に辻本智美さんを紹介してくれたのはN響フルーティストの神田寛明さんであった。もう随分前のことである。その智美さんのピアノリサイタルを聴きに行ってきた。智美さんは東京芸大、同院を卒業したピアニストである。このコンサートには絶対に行かなくてはならない理由があったから前々から楽しみにしていた。その理由とは、かねてから私が智美さんに弾いて欲しいとお願いしていた「水の戯れ」が取り上げられていたからである。智美さんには今までに多くの共演をしていただいてきた。智美さんがまだ学生時代の1997年ころからで、出雲、広島県の瀬戸田、名古屋学院大学チャペルコンサート、横浜市栄区民文化センターリリスのオープニング行事の一環として行われたコンサート、新潟で、上越で、等々数多く共演していただいたのである。しかし智美さんがフランス、ドイツへ留学することとなった為に残念ながらペアは中断してしまった。
 大学院の修士論文のテーマにモーリス・ラヴェルを選んだ智美さんによって「ラヴェル没後70年記念ピアノ作品全曲演奏会」と銘打って行われた今回のリサイタルは10月7日、20日の二日間に分けて白寿ホールで行われた。私は20日を聴きに行った。この日のプログラム「水の戯れ Jeux d'eau」は私が最も好きなピアノ曲の一つである。そのきっかけとなったのは2004年5月に43歳という若さで惜しまれつつ世を去った小島芳子さんが20数年前に弾いたときの演奏を聴いて以来である。小島さんの演奏は今でも頭から離れないほど生々しく記憶に残っているほどきれいだった。曲の初めのところに「水の流れにくすぐられて笑う川の神様」と書いてあるのも私を惹きつける不可思議な魅力となっている。当時シューベルトやモーツァルトやウェーバー、ハイドンなどで素晴らしい演奏をしてくださった智美さんが水の戯れを弾いたらどんな音、音楽が生まれるのだろう、と思うのは当然だったろう。そう思うと是非とも弾いてほしかった。そのためにはまず譜面を、と言うことになって私は当時まだ版権が切れていなかった(ラヴェルの著作権が切れたのは1998年)Max Eschig 社版をプレゼントしたのである。それから待つこと十数年、ついにその日がやってきた。当夜のプログラムには思わず目を凝すようなことが書いてあった。水の戯れの解説のところに「本日のこの作品の演奏は、学生時代、購入を躊躇していた高額な Max Eschig 版をプレゼントしてくださったフルーティスト小出信也氏に捧げたいと思います(小出さん!大変長らくお待たせいたしました)」と書いてあるではないか。目頭が熱くなった。智美さんの演奏はとてもきれいだった。あたたかい音だった。主要な音が浮かび上がっていた。なにか硬いものがほぐれでもしたかのように無駄な力は一切無く、必要なところに必要なだけの力がバランス良く使われていた。音楽もぐっと大人になっていた。ピアノはスタインウェイであったが、もしも、もしもだけれど、昔のプレイエルのピアノで弾いたらどんなラヴェルになっただろうか、と贅沢なことを思った。音楽の素晴らしさを感じて幸せな一夜だった。智美さん、心からmerci beaucoup!(写真は終演後に白寿ホールのロビーで:N響の神田寛明さんにお願いしてシャッターを切ってもらった) カメラータ・トウキョウのHPより [辻本智美さんのプロフィール]



 2007年10月18日(木) せんちゃんの子守歌
 せんちゃん(千里)は生まれて18日目になった。よく母乳を飲み、よく眠り、夜泣きをしない親孝行で目下のところ順調に育っている。顔が毎日微妙に変化するように見えるのは不思議なようで面白い。親はもちろん親戚中の色々な人に代わる代わる似て見えるのである。僅かに残っていた黄疸も日毎に良くなってきた。母乳が良く出るので心配はしていない。せんちゃんのベビーベッドは我々のベッドと並べて、いわば川の字になって寝ている。静かに眠ってくれる親孝行なせんちゃんである。夜中の授乳時には小さな声を出して催促しているようだけれど、私は目が覚めないから、いつやっているのか判らないのがほとんどである。せんちゃんが生まれてから我々の生活は変化した。当然のことだがこれからは子供主体の生活になるだろう。
 私はせんちゃんによくフルートを聴かせている。滝廉太郎の月や江戸子守唄、五木の子守歌、島原の子守歌などを聴かせている。とりわけ滝廉太郎の月はせんちゃんのテーマ音楽になっているのである。どういう訳か「洋物」の子守歌はあまり出てこない。日本の子守歌はほんとうにやさしい。日本の子守歌ほど子守歌らしい子守歌は無いのではないかと思うほどである。もちろん練習もするからモーツァルトやヴィヴァルディやバッハなども聴いているわけであるが。昔読んだ本によると、赤ちゃんや小鳥の聴覚は大人の耳よりも高いサイクルの音がよく聞こえるらしいから、あまり高い音では吹かないようにしている。そしてもちろん小さい音で吹くようにしている。



 2007年10月13日(土) ピアノ合わせ
 今年も上郷東音楽祭の時期がきた。私が住んでいる横浜市栄区の上郷町が行っている音楽祭で今年は第18回目である。毎年地元の個人や団体が出演する音楽祭で、私は第1回目から演奏させていただいているから、もう長いお付き合いである。今年は近所にお住まいの荒木さやかさんのピアノでモーツァルトのフルート協奏曲を演奏する事になっているが、その練習を初めて私の家で行った。荒木さんは桐朋学園を卒業しているから私の後輩にあたる人である。とは言っても私は3期生だけれど荒木さんは7年前の卒業だから世代は大きく離れている。荒木さんのお母さんは東京混声合唱団に属しておられたそうであるから、N響時代に何度かご一緒したことがあると思う。本番は今月の28日だ。(写真は荒木さやかさん)
 誕生13日目の千里は順調に育っている。瞳孔も明るさによって調節できるようになってきているし、日に日に表情の種類が多くなってくるので可愛くてしかたがない。笑顔も見せてくれるし、なにか話しかけてくるような声を出している。一番よい子だと思うのは夜泣きをほとんどしないことである。まもなく写真館に「親馬鹿写真」を出す予定。



 2007年10月8日(月) La Vie en Rose!
 結花と千ちゃんが帰ってきた。と言っても千ちゃんは行くときには結花のお腹の中だったのだけれど。千ちゃんは予定日よりも12日も早く生まれた。予定日は10月12日だったが、9月29日の夜中に破水して30日の午前3時前に横浜医療センター に駆けつけ、その17時間後に生まれたのである。私は出産に立ち会うことを希望し、そのために必要な講習を受けていたから陣痛室から分娩室での出産までずっと一緒にいることを許可されていた。生命誕生の瞬間は感動的だった。これがキリスト教で云う原罪と云うものなのかと思った時、一瞬妙な気持がよぎった。僅か2個の細胞が出会い60兆個にまで分裂していく課程で何もかもが正常に行われることが不可能にも思えるが、実際生命の誕生ほど神秘的なことはないだろうと思う。独立行政法人国立病院機構横浜医療センター (通称横浜医療センター )では担当の先生や助産師の方々がてきぱきしていていかにも安心感があった。また皆とても優しい人たちだった。感謝の気持ちで一杯である。横浜医療センターでは積極的に母乳保育をすすめていると言うことも気に入っている。
 千ちゃんがお腹の中にいる時から「千ちゃん、お早う」「千ちゃんお休み」などと話しかけてきたから、もしかしたらもう自分の名前を覚えているかもしれない。いや、冗談で言っているのではない。信じられないようだけれど一説によると赤ちゃんはお腹の中にいるときから外の音をよく聴いて覚えているらしいのである。更に生まれた時から30分間くらいは目を開いて生まれ出た世界を観察しているのだそうである。10月1日の日記の写真は出産直後のものだが、そう言えば目を開いている。それにしても帰ってきた千ちゃんは実によく眠る。授乳の時以外は殆ど眠ってる。寝る子は育つというからこれで良いのだろうと思うのだけれど。放屁もよくするが、これは明らかに父親である私からの遺伝だろう。青森から結花の母が来てくれたので安心だ。(帰ってきた千里)


 2007年10月1日(月) 千里の誕生
 昨日9月30日の午後7時47分に横浜市戸塚区原宿の横浜医療センターで男子が誕生し「千里(ちさと)」と命名しました。 千里=長い道程のこと。

 陶芸家河井寛次郎の随筆集「火の誓ひ」の中に
 この世は自分をさがしに来たところ
 この世は自分を見に来たところ
 どんな自分が見つかるか自分

 という言葉があります。
 長い道のりを歩いて自分を見つけて欲しいという願いを込めて命名しました。

 愛称は「せんちゃん」です。

 体重は2,572グラム、身長は47センチでした。
 母子共にとても元気です。
 照れちゃうなぁ。。。。。長生きしなくっちゃ。
 (横浜医療センターで生まれた直後の安静室にて)




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