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過去の日記帳 2004年4月 〜 6月

写真ははずしました。



 2004年6月30日(水) 今日の空
 今日で朝の空第三弾になってしまった。今朝は台風八号の影響か、黒い雲が二百メートルくらいの低いところをかなりのスピードで南から北へ流れている。この後、見えている山はすっぽり雲の中に隠れてしまった。不謹慎だと思うけれど、私は小さい頃から台風、豪雨、雷雨などが好きで、予報がはずれるとガッカリするのだ。とにかくしとしと降る雨は好きじゃない。



 2004年6月29日(火) 朝焼け
 昨日期待した通り、今朝はきれいな朝焼け!昨日の夕焼けと比べてみると、随分色が違うことに気づく。朝焼けの方が輝いている。勢いがある。ドラマの始まりと終わりの違いなのだろうか。目の前で雄大に展開する自然のドラマに、いつものラヴェルのダフニスとクロエ第二組曲の冒頭が頭に浮かんできて超ステレオ音響でガンガン鳴り響いた。



 2004年6月28日(月) 夕焼け
 久々に息を呑むような夕焼けがあらわれた。ほんの少し前まで小雨がぱらついていたのに、一瞬の間にあらわれた、このすごい夕焼け!秒単位で変化していくので勝負は数分間だ。寝室と キッチンを行ったり来たり、走り回って写した。朝焼け夕焼け、どっちも好きだ。もしかしたら明日の朝は、、、



 2004年6月27日(日) 紫陽花
Hydrangea macrophylla (thumb) Ser. var. macrophylla
 この長ったらしい文字列、何だかわかる人いるだろうか?覚えようと思っても私には無理のようだが、実は紫陽花の学名である。私が忘れられないのは阿蘇山南西山腹に位置する標高約750メートルの地獄温泉に至る山道の両脇に延々と咲いていた紫陽花だ。鮮やかなブルーが生き生きとしていてほんとうに綺麗だった。この辺り、今頃の時期紫陽花と言えば鎌倉の明月院が思い浮かぶ。昭和26年ごろに当時の住職がアジサイを垣根がわりに植えたのがはじまりだそうで今では3000株もあってすっかり有名だ。花の色はよく言われるように酸性の土壌では青くアルカリ性の土壌では赤っぽくなるそうだが、これにはアルミニウムが関係しているらしい。この明月院、通称あじさい寺の紫陽花を見に行こう、と妻のもと職場で同僚だった友人がやってきて、私を置いて二人で出かけた。沢山の人が観にきていたそうだ。紫陽花は好きだが、時期が過ぎて朽ちたまま放置してあるのはいつ見ても哀れである。



 2004年6月26日(土) 昇天者追悼記念礼拝
 父小出広が英語を教えていた桜美林学園では毎年昇天者追悼記念礼拝という行事を行っており、今年も昨25日に学園内の太平館レクチャーホールで行われた。祭壇には創設者の清水安三先生の遺影がかざられ、更に90名の先生方の遺影がかざられていた。今年は父が亡くなってから20年目で、生きていたら10月に100才になる。



 2004年6月25日(金) 川越
 昨日は用事で川越に行って来た。今迄にクルマで通過した事は何回かあったけど、ちゃんと行ったのは今回が初めてだった。川越は城下町であったため、史跡や文化財が多く残っているが、今日はその中で市から有形文化財に指定されているお宅を訪問してきた。築180年になる重厚な素晴らしい建物(蔵)だった。この件に関してはいずれ詳しく報告する時がくると思う。さて、その帰り道に見かけた看板は面白かった。これじゃ誰も停めないな。



 2004年6月23日(水) 新しくなった表紙
 横方向フレームタグには前々から興味があった。今日思い切って切り替えてみた。さて、どういう評価がでるだろうか?横と縦でどっちの方が良い、ということはないと思う、一長一短だろう。でも、確かに気分転換にはなった。二年前のスタートから今までに至るホームページに自分で勝手に付けたバージョンナンバーは今回が8.0となった。まだまだまだ、これからだ。



 2004年6月21日(月) ヴァイオリン奏者のカルトオーフェン
 この写真は2002年の3月にライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のメンバー四人我が家へ遊びに来たとき、その中の一人ヴァイオリンのカルトオーフェンと撮ったものだ。かつて東ドイツ時代にチューリンゲン地方を一緒にアンサンブルで回った仲間である。最近体調が悪いと聞いて心配していた矢先、病気が発見されてから僅か三ヶ月後という、信じられない早さで亡くなってしまった。腹部の腫瘍だったそうであるが、本当にお気の毒である。まだまだ活躍して欲しい人だったのに、、。カルトオーフェンとの初対面は1970年のころだったから、30年以上という長いお付き合いだった。 心から冥福を祈る。合掌。



 2004年6月19日(土) 五十沢温泉
 三日間の旅から帰ってきた。短い旅ではあったけれど、一週間くらいに感じるのは何故だろう。友人のお見舞い、友人関正一さんの個展鑑賞、それに演奏の仕事。もちろん宿はどこも好きな温泉で過ごしてきた。今回当ホームページの「好きなお宿」に予定していた、新潟県六日町の五十沢温泉の取材ができたのは嬉しいことだった。ここの湯はいつ行っても良いなぁ。八海山の地ビールも旨かったし。六日町の関正一さんとは長いお付き合いである。その関さんの個展の力作四十四点はどの絵にも温かい人柄が出ていて好感がもてた。これは近いうちに関美術館としてスライドショーにつくろう。関正一さんは大調和会の会員である。



 2004年6月12日(土) 梅雨のはれま
 昨日までの雨天と異なって今朝は早くから急激に晴れ上がった。台風四号がらみの大雨が空気をきれいにしてくれたので、実に清々しい日になった。昨日から風呂場に干してあった洗濯物を早速ベランダへ移動した。はれまと言えば思い出がある。京都にはちりめんじゃこと山椒の実を炊いた佃煮がたくさんあが、多々ある中で一番旨いのが「はれま」と言う銘柄だ。湿り気具合や味付けが気に入っている。昔の話しだが、これを買いに行った時のこと、普通の民家のような玄関を入って「はれまをください」と言ったら、「それはここの家の名前である」と言われて恐縮したことがあった。だいたい看板も出ていなかったのだ。包装紙に「はれま」と書いてあるだけだったので、こう言うのだと思っていた。(正式にはチリメン山椒)さて、これがすごく旨いので何でもやりたくなる性分がさわいで自分でも作ってみることにした。今では始めて二十年に なる。今年も山椒の実が店頭に出てきたので、待ってましたとばかりに作った。私の場合、使うちりめんじゃこは宮崎の日向のもの、と決めている。灰汁をとってからはガスコンロの火を最小の蛍火にして煮るのだが、非常に手間が掛かる。今年の出来映えも、もちろん、こりゃ旨い! だった。今年はまもなく梅酒と梅干し作りが待っている。 [はれま]のホームページです。



 2004年6月10日(木) 宮崎から従兄弟たち
 はるばる母方の親戚五人が宮崎から母に会うために来てくれた。私の従兄弟たちである。このほかマイアミ(妹)、名古屋(妹)、海老名(従姉妹)、などからも参加して集ったのは総勢十三人。(この後十四人になった)下は三十代の結花から上は九十二才になる母まで、幅広いジェネレーションで賑わった。さかんに宮崎弁が飛び交い、実に楽しい一時であった。母は終始嬉しそうだっ



 2004年6月9日(水) ユルンヤコブ・ティムのリサイタル
 三十年来の友人、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の首席チェロ奏者ユルンヤコブ・ティムのリサイタルを千駄ヶ谷の津田ホールへ聴きに行ってきた。ピアノは中野真帆子さん。プログラムはバッハの無伴奏チェロ組曲第一番ト長、ベートーベンの「魔笛」の主題による12の変奏曲作品66、同じくベートーベンのソナタ第五番ニ長調、それにブラームスのソナタ第一番ホ短調だった。ティムの演奏は決して派手ではないけれど、一心に音楽に打ち込んだ誠実な演奏、温かな音色、安定したテクニックはいつ聴いても心地よい。ティムの奥さんアンゲリカはフルート奏者、長男トーマス君はベルリンフィルのバイオリン奏者、次男のアンドレアス君はチェロ奏者という音楽一家である。
信じられない事だが、帽子をぶったまま聴いてるラフな格好をした若い男が居た。せっかく良い演奏を聞いているのに気分をそがれることおびただしかった。  憂国



 2004年6月8日(火) 北海道の標茶から便りが届いた。
 小出さん、こんばんは。土肥です。本州はいよいよ入梅ですね。いま、こちらはスズランの季節です。香りは添えられませんが、絵だけでもお楽しみ下さい。2004.6.7

土肥さんはよく写真を添えた便りを送ってくださる。いつもきれいな写真ばかりだ。巨大な氷柱、タンチョウ、福寿草、桜、等々。それらからは一ヶ月以上遅れの季節が伝わってくる。おかげで今年の春も二度楽しめるというわけである。また送ってくださいね!土肥さんはアマチュアフルート奏者だ。



 2004年6月6日(日) 隣の美穂ちゃん
 美穂ちゃんは小学校五年生で、隣に住んでいる我が家の可愛らしい友達である。学校の往き帰りの途中などにも良く出会うし、隣だからベランダ越しにもよく話しをする。(ここのマンションは雁行して建ててあるから、隣とは直角になる)その美穂ちゃんが今日は土曜日で塾がお休みだから、と言ってリコーダーを持って遊びにきれくれた。五十五才と言う途轍もない年齢差は彼女にとってはどういう感じがするものなのかな?などと思いながらしばし楽しく話したが、話題の流れが速いのでついていくのがなかなか大変だった。ついこの間生まれたばかりだと思っていたのに、もう十歳になったと聞いて今更ながら時の流れの速さに驚く。隣だから私がフルートの練習をしている音がいつも聞こえるらしくて(うるさくてごめんね)、それでリコーダーを持って遊びに来たらしい。美穂ちゃんは最近ソプラノと一緒にアルトリコーダーにも挑戦している。楽しい一時だった。



 2004年5月31日(月) アニサキス
 きれいなタンポポの話題の次が寄生虫の話題になろうとは、、前にも出した写真だ。昨日のニュースで知ったが、中国から輸入したアンコウの肝臓の検査をしたところ、全ての検体からアニサキスが検出されたそうである。しかし驚く勿れ、そのへんで売っているイカには、ほとんどの場合いらっしゃるのをご存じだろうか。何も中国からの輸入したものに限らない。特にスルメイカが一番多い。が心配は無用だ。包丁で開いた時に注意深く見ると発見できる。こいつが居るところのまわりが薄緑色に変色しているからだ。ここに包丁の先で切り込みを入れると、くるっとまるまった状態で出てくる。この写真がそうやって見つけたものだ。このアニサキスの終宿主(しゅうしゅくしゅ)はイルカや鯨などだから、人間の体内で成虫になることはない。しかし刺身などといっしょに食べると人の胃や腸壁に侵入して激痛や嘔吐をおこして大変なことになるのだ。これをアニサキス症という。かつて俳優の森繁久弥がこいつにやられて大変なことになったのは有名な話だ。開腹手術をしたと言うから簡単じゃない。やはり用心するにこしたことはないだろう。



 2004年5月30日(日) 富良野
 北海道は予想に反してとても暑くて驚いてしまった。ホテルの部屋が暑いのでエアコンを入れても暖房が入ってしまうのだ。北海道の人たちは冬の暖房を半袖で過ごせるくらいに室温を上げる習慣だからきっとホテルでも同じなのだろうか。富良野の人たちは暖かく迎えてくれて、本番もすごく演奏しやすかった。良い雰囲気のコンサートができて嬉しい。ホールへ行った時に反響板が無いのを見て心配だったが、でもそんなに心配する程のこともなく響いてくれた。演奏が終わってから北海道の自然に触れてきたが、大陸的で広くておおらかな北海道はいつ行っても素晴らしい。行く先々でタンポポが歓迎しれくれた。まぁ何てすごい量のタンポポ!沢山良い写真が撮れたので写真館に出す写真を選ぶのに苦労しそうだ。



 2004年5月25日(火) C'ést la vie
 生・老・病・死・愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦
 C'ést la vie



 2004年5月23日-2(日) 「ゼロビートの再発見」復刻版出る。
 世界的名著、故平島達司著のゼロビートの再発見(副題 平均率への疑問と「古典調律」をめぐって)の復刻版がショパン出版社から出た。待ちに待った復刻版だ。また同時に「ゼロビートの再発見-技法篇」も復刻された。何と二十年前の初版本と同じ2500円、音律や調律に興味がある人は必見!



 2004年5月23日(日) ブラウザ
HyperText Markup Language
 最近更新した「写真館」であるが、総てのブラウザで完璧に動くように出来ないものだろうか、とつくづく悩んでしまう。同じページ内での指定箇所へのリンクは問題ないのだけれど、別のページの指定箇所へのリンクが思うようにいかない。つまり「写真館」で見たいと思った大きな写真を見た後、もとの場面へ戻ろうと「写真館へ戻る」をクリックすると、本来ならば「画像をクリックしてください」のところへ戻るようなタグを打ってあるのだけれど、実際には殆どの場合、ページの一番上まで行ってしまうのだ。手元でテストできる範囲ではOS9でのNetscape7とOSXのSafariだけは全く問題なく動いてくれるが、OS9でのInternet Explorer 5.1やOSXでの Internet Explorer 5.2は駄目だ。Windowsではどうなのだろうか、知りたい。



 2004年5月22日( 土) 小島芳子さんが亡くなられました。
 フォルテピアノ奏者の小島芳子さんが昨21日の早朝に亡くなられた。貴重なフォルテピアノ奏者の名手として活躍されてきた人である。小島さんが桐朋のピアノ科の大学生として在学していた頃、彼女が学内演奏会に出演した時の演奏を聞いたわたしはその才能に惚れ込み、以後、ピアノやチェンバロで数十回、いや、もっと多く共演していただいた人である。小島さんは、私よりもずっと若い世代の人であるが、彼女からは実に多くの音楽を多く学んだ。まだまだこれから、と言う時に、、、心からご冥福をお祈りします。
小島芳子さんの父親の順さんと弟の浩さんが「せめて芳子についての記録を人々の目に触れる形で残して置きたい」と言う気持ちから小島芳子のサイトへようこそをウェブサイトに公開しました。



 2004年5月19日(水) 妻の両親と
 妻結花の両親と一緒に松本、妻籠、馬籠に行ってきた。私にとっては、しばらくぶりの休養でもあった。松本では国宝の松本城も良かったし、民芸品や家具など、好きなものも沢山見ることができて良かった。昔から良く行く女鳥羽蕎麦も旨かった。平沢では好きな漆器店をハシゴして見て回った。良いものは高いな。ちょっぴり買って我が家の道具が増えて、これらを使う日が楽しみだ。妻籠や馬籠も新緑が萌えていて、目の保養になった。結花の両親は、今日の便で青森へ帰る。



 2004年5月16日(日) 東京ドーム
 東京ドームへ観戦に行ったのは二年ぶりだ。思えばちょうどこのホームページが出来て最初の日記が東京ドームで観戦のことだった。いや、今回も楽しかった、ジャイアンツも勝ったし、結花の両親もご満悦だった。五万人の人々が一球一球に目を凝らし、反応するそのどよめきはすごい。その中にいると、なにかすごく感動した。それにしても、よくもまぁこんなに大勢の人が来るものだの感心する。赤の他人が集まって同じチームを応援しているのは、すごい数の家族みたいに思えた。実に和やかなものである。前回はネット裏からの観戦だったが、今回は一塁側だったので球の動きが良く見えた。外野から一塁に投げられる球の早さはすごい!見ていて感動する。応援団のエネルギーもすごかった。あれを毎日やってるとは何とけなげなことであろうか。お嬢さん達が生ビールの樽を背負って片手を上にかざしながら元気に階段を登ったり下ったりしていたが、あれは大変な重労働じゃないだろうか。そう思いながら、何杯飲んだかな?



 2004年5月14日(金) 青森から
 昨日は予定通り青森から結花の両親がやってきた。まずは羽田から成瀬にいる母のところへ直行した。母は今年92歳になるが、元気なのでとても嬉しいことだ。ちょうどマイアミに居る妹が一時帰国中でタイミングよく結花の両親と初対面をとなった。妹は当ホームページの英語バージョンや、CD KOIDESSIMO IIの翻訳やってくれている人である。さて今日は熱烈巨人ファンである結花のお父さんと後楽園球場へ巨人×ヤクルト戦を観に行くのであるが、昨日は負けたから今日はきっと勝つだろうね、頼むよ。



 2004年5月13日(木) 看護婦ナイチンゲールの生誕日
 昨12日は横浜栄共済病院看護師会主催のコンサートだった。「クリミアの天使」と呼ばれた看護婦ナイチンゲールの生誕の日を記念して行われたものだ。イギリス生まれのナイチンゲール(Florence Nightingale1820―1910)は功績に対してもらった表彰金および国民からの寄金を基にロンドンの聖トーマス病院内に看護学校を設立した人である。>今日は実に清々しい気分の演奏会だった。鷲宮さんと兄にも出演してもらって大勢の患者さんたちに聞いていただくことができた。点滴を行いながらの人、看護師さんに車椅子で連れて来てもらった人、その他大勢の方々が聞いてくださった。皆さんが一日も早く元気になって退院されますように。
さて、今日は青森から結花(妻)の両親が来る日だ。お父さんは熱烈巨人ファンだ。それで明日は後楽園に巨人- ヤクルト戦を観に行くことになっている。巨人よ、絶対に勝たなきゃ駄目だぞ。我々は野球観戦のあとは松本城へ行くことになっている。
契約しているプロバイダの具合が悪くて昨日からホームページにアクセスできない状態だったが、やっと復旧したようだ。



 2004年5月11日(日) 兄とのコンサート
 兄と一緒のコンサートは1998年11月の新潟県の新津以来だから実に久しぶりだ。我々は間もなく近所の栄共済病院と、北海道の富良野で共演するので練習を始めたわけだ。不公平なことに三歳年上の兄は私よりも何故か頭髪が豊かで、よく弟だと思われることが多いのは複雑な気持がする。私はこれからもしばらくはヘインズを吹くことにしている。兄はフルート(ヘルムート・ハンミッヒ)の他にオカリナやケーナも吹くので大変だろう。ピアノは鷲宮美幸さん。



 2004年5月8日(土) ホームページのMuseum
 当ホームページのMuseumに出してあるこの絵(人声とリュートと無鍵式円筒型フルートによる三重奏の絵)に関する詳しい内容を、パリ留学時代に知り合って以来親しくしている美術史専門の大出學氏から資料を提供してもらい、書き加えることができた。こうして謎が解けてくることは非常に嬉しいことだ。この絵に対する新たなる愛情が昂まってくる。



 2004年5月5日(水) 追分教会と前橋教会
 オルガン旅行から帰ってきた。軽井沢の追分教会と前橋市の前橋教会である。どちらにも素晴らしいオルガンがある。三年前から前橋教会へ赴任された大賀幸一牧師は私が小学校一年生から四年生までを過ごした思い出の岡山の西大寺旭東教会でお会いしたのが最初である。その大賀牧師に呼ばれて前橋教会で演奏してきた。前橋教会のマティス社製のオルガンは、大賀牧師を初 め教会員の人たちが方々で色々なのオルガンを実際に聴いてまわった中から決めたのだそうである。これは実に素晴らしいことだと思った。マティス社のオルガンは温かな音である。ストップ数は11であるが、これが小さいとは思わない。実にきれいな響きのオルガンで大好きである。生まれて初めてフルートを買って貰った思い出の地、前橋での演奏は幸せ一杯であった。オルガンは当教会オルガニストの関根康子さん。
追分教会は今までにも度々演奏してきた勝手知ったところだが前橋は初めてだった。追分教会のオルガンはオランダのライル兄弟社製のものである。非常にバランスが良く、健康な響きのオルガンである。このオルガンを選んだ稲垣守臣牧師が自慢するのも当然である。このオルガンとの演奏は実に幸せに満ちたものである。オルガン大好き人間である私が最も好きなオルガンのひつと言えるだろう。オルガンは、それが備え付けられる場所の音響とのマッチが大切だが、ここ追分教会は木造建築で、それが良い結果をもたらしているようである。今回は前の日記に書いたとおり、ヘインズで吹いてきた。良く鳴ってくれた。オルガンは当教会オルガニストの木村協子さん。
関原さんとの付き合いは長い。彼の住まいは高崎なのでチャンスとばかりに久しぶりに会って宿の近くのお店で盃を交わし、盛り上がった。関原さんが主宰するフルートアンサンブルリリコ・スピラーレは、彼の定年退職で時間の余裕もでき、意気揚々で更なる活動が期待される。



 2004年4月29日(木) 最近の事
 ずっと吹いてきた木管のパウエルだったが、一週間前から金のヘインズを吹いている。ずっとパウエルばかり吹いてきいたのでヘインズは少し偏屈になっているかも知れないと思って、ちょっとご機嫌伺いのつもりであったが、吹き始めると可愛くて、しばらくヘインズを吹こう、と言う気になった。それにしても2、3日というものは全く鳴ってくれなかった。こうやって変えてみると、息の入れ方や強さ(弱さ)や太さ(細さ)や角度や口腔の形の作り方などの違いに今更のように驚かされる。金属管独特の響きはしばらくぶりで、指先に伝わってくる振動が心地よい。これから先、大きな曲のソロがあるけれど、久しぶりにヘインズに登場してもらうことになりそうだ。



 2004年4月25日(日) クラス会
 田浦小学校のクラス会をシーサイドライン八景島で行った。思えば50年以上も昔の友人なのだからすごいものだ。初めは戸惑うが、じっと見ているとそこに昔の顔が浮かんでくる。このクラス会は大体一年半に一回のペースで行っている。この日の八景島は前日の初夏のようなぽかぽか陽気から打って変わって海から冷たい風が吹いて凍えるような日になってしまった。しかし我々は元気な姿で再会、イルカのショーや水族館で子供にかえって楽しんだあとは、賑やかに夕食会となった。いつまでも、こうやって元気な姿で逢いたいものだ。



 2004年4月20日(火) 小鳥たちの鳴き声
 家の近くでは実に様々な動物たちが鳴く。その中で小鳥たちの声は可愛らしい。今年のウグイスはめっぽう早く、2月中旬ころに鳴いて驚かされた。このウグイスが一番早起きで薄明るくなったころに鳴き始める。その鳴き方が年によって色々と変わるのが楽しい。今年は「ホー ホ ケ キ ヨ」と鳴いている。ョが大きいのだ。去年まで「ホーホケケキョ」と鳴いていた子はどこへ行ってしまったのだろう。近所の山歩きをしていても、最もレギュラーな「ホ〜ホケキョ」と鳴いているのが少なくなってしまったように思う。希にではあるが小さな声で「バーベキュー」と聞こえて笑ってしまうこともある。どうしても我慢がならないのは鳩の鳴き声だ。普段の「クルルル、クルルル、」というのはまだ良い。ところがこの時期になると胸の底から「ウ〜ウ〜」と気味悪く唸るように鳴くやつ、これは我慢ならない。それも部屋のすぐ近くの屋根のところでやるのだから堪ったもんじゃない。大声で脅かしてもチラッとこっちを見るだけで知らん顔をしてまたやるのは許し難い。



 2004年4月18日(日) 住井すゑ氏
 宇宙から地球を見たらどういう気がするだろうか。この地球上で絶えず人殺しが行われている事をどう感じるのだろうか。バカバカしく思えるのではないだろうか。同じ地球に住みながら何故人間はこうも殺し合いをするのだろうか。7年前茨城県の牛久に小説家住井すゑ氏をお尋ねした時にも世界平和について熱っぽく語り合った思い出がある。悲しいかな、この地球上に平和は永遠にあり得ないのか。こう書いている時にもパレスチナ自治区ガザ市でハマス最高指導者ランティシ氏が乗った車がイスラエル軍の武装ヘリのミサイルによって爆発され、ランティシ氏と側近2人の計3人が死亡したというニュースが流された。



 2004年4月13日(火) イラク
 イラクの事が気になって仕方がない。拘束された三人の日本人は一体どこに居るのだろうか。無事に帰ってくることを祈ってやまない。混沌としてきたイラクは今後どうなっていくのだろう。思えば9・11の同時多発テロも無惨であった。いつの場合にもテロに関する報道はされる、だが何故こう云う事態を招くのかも知りたい。今日の新聞でサマワから帰還した米兵から劣化ウランが検出された、と報道された。イラク南部のサマワから帰国した9人の米兵が体調不良を訴え、4人の尿から劣化ウランが検出されたらしい。これは来日した元米陸軍軍医のアサフ・ドラコビッチ博士が東京の市民集会で報告したものだそうである。そして現在派遣されている自衛隊員も被曝の可能性は極めて高いと警告した。2003年3月31日の日記に書いた劣化ウラン弾がどういうものなのかをもう一度思い出しながら、戦争反対と平和を祈る。



 2004年4月8日(木) 旅行
 今回最初の演奏をした光徳寺のあと、東尋坊を経て若狭の常神半島の突端の民宿に泊まった。常神半島の山桜の美しさはすごかった!(間もなく写真館にアップします)このあと比叡平での演奏を終えてから、昔から行きつけの銀閣寺近くの「おめん」や翌日には先斗町のおでん屋さん「万両」で旨いものを食べながら緊張をほぐした。(好きなお店にアップしました)それからは斑鳩の法隆寺、中宮寺、明日香の石舞台、橘寺、それと長谷寺と室生寺と巡ってきた。どこも桜が満開で春爛漫、とりわけ長谷寺の桜には目を奪われた。法隆寺に在す百済観音は亡き父の恋人のような存在だったので、父の代わりの思いを抱いて逢ってきた。いつ逢っても気高い美しさに心を奪われる。中宮寺の如意輪観音の美しさにもしばし見とれ、ここでも心を奪われた。残念なこともあった。仏像を拝顔している時にも観光客の大声に邪魔され、また建物の中でも帽子をとらない輩が多く、非常に腹がたった。それも若者ではなくて、いい年をしたオッサン達なのだから余計だった。 shame!



 2004年4月4日(日) 春山操さんと
 比叡平のコンサートの初日が終わった。やってみるとなかなか大変なプログラムだ。大体トラヴェルソとフルートを吹き分けるわけだから、それだけでも大変なのだ。アートスペース釉は残響はないが、とても自然な音響のホールだ。京都芸大でチェンバロを教えている春山夫人との共演は過去に何回もあるので気心はしれている。自分のダンナが作ったチェンバロをコンサートで弾くことができるなんて、なんと素敵なことだろう! さて今日は追加公演の二日目、頑張らなくちゃ!



 2004年4月1日(木) つくし
 毎年つくしを見つけると「つくし誰の子すぎなの子」という言葉と共に遙か昔の子供の頃を思い出す。食糧難や空襲の恐怖などを伴った中でほんのりと温かい思い出なのである。そのつくしを沢山取ってきて灰汁で指先を真っ黒にしながら袴をむしり取ると母が佃煮をつくってくれたものである。光徳寺の近くを散歩していて見つけ、傍にしゃがみ込んでしばらく見つめていた。




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