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過去の日記帳 2008年1月 〜 3月

写真ははずしました。



 2008年3月30日(日) シュトゥットガルトゾリステンのメンバーと共に
 富山から帰ってきた。今回の旅行はシュトゥットガルトゾリステンとカウフボイレン混声合唱団を主体とした「南砺に春を呼ぶ歓喜の夕べ」と題して三夜に及んで行われたコンサートの為であった。私は初日の室内楽でモーツァルトのニ長調の四重奏と三日目の第九に出演した。このメンバーとは前から共演しているのでもうお馴染みである。ヴァイオリンはアルベルト・ブーゼンとカール・ハインツ・シュレンガー、ヴィオラはイングリット・フィリッピ・ザイファーとミヒャエル・マイヤー・ラインハルト、チェロはルドルフ・グライスナーとゴットフリート・ハーンで、皆シュトゥットガルト放送交響楽団のメンバーである。演奏以外にも一緒に食事をしたり合掌集落へ行ったりと、楽しいお付き合いだった。室内楽の会場となった南砺市城端町にある「じょうはな座」はコンサートホールではないからステージ上は吹き抜けになっていて反響版も無いという音響に恵まれないところだったけれど、それでもメンバー達はそういった事を気にすることなく素晴らしい演奏をしていた。第二夜はカウフボイレン混声合唱団のコンサート、そして第三夜は井波総合文化センターに満員の聴衆を集めて「南砺の合唱と春の第九」と題して行われたコンサートであった。第九と云ってもオケの代わりに弦楽六重奏にピアノとフルートという変わった編成の第九であったが、それなりに面白かった。カウフボイレン混声合唱団に地元の井波小学校や南砺市合同合唱団も加わって大いに盛り上がっていた。このコンサートの陰の力となった福光美術館館長の奥野達夫さんご夫婦もさぞ嬉しかったことだろう。私の出番がなかった26日には一年半ぶりに光徳寺へ行き、故高坂制立師の遺影を前にしてご一家と一緒に御馳走になった。帰り道の安房峠ではかなり雪が降っていた。(写真はスケジュールの合間に行った世界遺産五箇山菅沼の合掌造り集落にて)



 2008年3月18日(火) 表紙に使ったボリヴィアの人形
 表紙に使ってきたモーツァルトの記念メダルの写真に換えて昨日からこの写真の人形にしてみた。去年の暮れに青森から妻の妹さん一家がやって来た時に久し振りに中華街に出かけたが、その時に見つけたボリヴィアの人形である。中華街は色々な報道で足が遠のいていたが、久し振りにお馴染みの謝甜記に行って美味しいお粥などを食べて満足した。中華街には色々なお店が沢山あって食後の散歩にはもってこいのところである。この人形はお父さんとお母さん、それに子供がひと束になっていて、まるでせんちゃんが生まれてからの我が家のようである。見つけた瞬間から気に入って買ってしまった。帰ってから竹の棒に刺して台座に据え付けてみた。これを写真に撮ってgif画像に加工して回転させているわけであるが、なんとも可愛らしい人形である。
 最近は生後170日目を迎えたせんちゃん(千里・ちさと)を抱っこして近所を散歩するのが日課になっている。午前午後と日に2回出ることもある。まず家を出てすぐの竹藪に沿った階段を98段登ってマンションの裏手へ出る。そこからぐるっと3号棟まであるマンションを回り、途中で地区センターに寄って足を休めたりしながら約一時間くらいの行程で程よい運動にもなっているのである。約7kgのせんちゃんを抱っこしての98段はなかなかきついけれど、日を重ねるごとに足も慣れてきたようである。途中でよく話しかけられるが、先日は例によって「お孫さんですか、わかいいですね」と云われて、いつものように「孫に見えますか」と答えたら「あら、ひ孫さんだったのね」と云われた時にはさすがにガクンときた。また港南台の駅にあるスーパーで買い物をした時であったが、せんちゃんを抱っこしてレジを出てくる妻を待っていたら優しそうなお婆さんがニコニコしながら側に寄ってきて「可愛いでしょ」と云ってくれたので「はい、可愛いです」と云ったら「とろけそうな顔をしてますよ」と云われてしまった。 善しにつけ悪しにつけ顔に出るんだな、私は。



 2008年3月7日(金) 母のところへ
 一月末以来久し振りに母の所へ行った。名古屋から妹が来ていて生後六ヶ月目に入ったせんちゃんを交えて楽しい一日を過ごした。母は文字通り快食快眠快便だそうで見るからに健康そうに見えた。朝食のあと十時ころにはおやつを食べ、昼食を空腹で迎え、三時にはおやつを食べ、夕食も空腹で迎えて夜には軽食を摂るという。若い頃は喘息持ちでどっちかと云えば病弱だった母であるが、何がどうなってこんなに健康で居られるのか、本当に凄いことだと思う。まだまだ長生きしてくださいよ!
 せんちゃんは良く笑う。声を出して笑う。ご機嫌が良い時には大きな声を出してはしゃぐし、ご機嫌がよくないときは長々とぶつぶつやっている。もちろん言葉にはなっていないけれど充分に雰囲気が出ているのがおかしい。最近は抱っこ紐で抱っこして家から直ぐ近くの地区センターへ散歩に行く。ここには図書コーナー、プレイルーム、娯楽コーナー、体育室などがある。プレイルームは若いお母さん達が就学前の子供を連れてきて思う存分遊ばせる場所なのだ。まだせんちゃんには早いけれど雰囲気に慣れてもらおうと思っているのである。途中で行き交う人から「かわいいお孫さんですね」と云われるのにも慣れたが、そう言うときには「やはり孫にしか見えませんか」と答えると、たいがいの人が一瞬戸惑ってるのがおかしい。ところが先日「あ、せんちゃんですね!」と云った人が居た。私はびっくりした。するとその人は「ホームページを見ていますよ」と云ってくださったのである。これはものすごく嬉しかった。離乳食も始まっている。これからの育児もむつかしくなりそうだが楽しみだ。



 2008年3月1日(土) ヤモリ
 ヤモリは子供の頃からよく身近に見かけてきたから私にとっては親しみがある動物である。仕草に愛嬌があって実に可愛らしい。昔サイパンのホテルで夕食を楽しんでいた時、日が暮れるころになると大きなガラス窓にどこからともなく沢山ヤモリが這い上がってきて虫を捕まえはじめた。その様子を内側から眺めながらの食事はとても楽しい思い出になっている。またN響の旅行でフィリピンのマニラへ行った時にもホテルの部屋に現れて忍者よろしく天井を歩き回って楽しませてくれた可愛いヤモリちゃんである。東京の郊外に住んでいた頃のある夏の夜のことも忘れられない。網戸にヤモリがやってきた。明かりに寄ってくる虫を狙ってきたのだ。虫がくるとそっと近寄ってパクッと食べる姿に見とれて時間が経つのも忘れていたことがあった。これらはもちろん夏の出来事である。ところがきのう、なんと我が家の西側に面した寝室のベランダにヤモリがやってきたではないか。これは多分ニホンヤモリだと思うが温暖化といってもまだ寒く、朝の気温は零度くらいまで下がるし、日中でもせいぜい10度くらいだ。啓蟄もまだ間があると云うのになにか勘違いをしたのだろうか。ここへ引っ越して来てから20年以上になるが、こんな時期にヤモリがやって来たのは初めてのことである。ヤモリは家を守ってくれるので「家守」「守宮」とも書くそうであるが、こいつは縁起が良いぞ。



 2008年2月29日(金) フグと富士山
 毎年秋の「なむなむコンサート」で演奏させていただいている静岡県金谷の西照寺。その住職である木村敏師のお誘いで今年も遠州灘のフグを御馳走になってきた。ピアニストの田中麻紀さんと一緒で木村住職、奥さん、息子さんと楽しくフグ料理を堪能してきた。贅沢なことだと思う。フグ料理の楽しみは多いが、私は刺身を食べながら飲むひれ酒が大好きだ。だから運転は出来ないので島田にホテルをとって出かけた。島田から金谷まではJR東海道本線で一駅である。せんちゃんは初めての一泊旅行だったけれど問題なく帰ってくることができてほっとしている。冬型の気圧配置が強かったから往きも帰りも富士山がよく見えてご機嫌だった。こんなに綺麗に見えるのは10回通って1、2回くらいだから本当に幸運だったと云えるだろう。富士市には製紙工場やパルプ工場などが約550ヵ所もあると云うから大変な事だと思うが、この日は工場からの煙もさほどでもなく運が良かった。富士川SAから綺麗に見えると言っても下り線でのことである。上り線からは電線が大きく邪魔になって私は写真を撮る気にはなれない。世界に綺麗な山はたくさんあるけれど富士山の美しさは格別だと思う。
 それにしても高速道路での運転マナーの悪さはどうだろう。ウィンカーも出さないで追い越しざまに直前に割り込また事も度々だったが危険極まりない。トンネルの中ではライトをつけないから(特に大型トラック)、こっちから確認しにくくて危なくて仕方がない。好きな運転だけどあまり走りたくないと思ってしまう高速道路である。(写真は東名高速下り線富士川SAにて妻とせんちゃん)



 2008年2月15日(金) 思い出のバレエ音楽「白鳥の湖」
 チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」は思い出がいっぱいだ。私がまだ17、8才の頃に谷桃子バレー団のオケ要員として数年間全国を公演して回ったことがあるからだ。チャイコフスキーのバレエ音楽は他に「クルミ割り人形」と「眠れる森の美女」があるけれど、とにかく私は「白鳥の湖」が一番好きだ。どの曲も可愛らしくて旋律が美しく、フルートにもたくさんソロがあって吹く喜びがある。演奏会用の組曲はよく演奏するけれど、バレエとの全曲はなかなかチャンスがない。私の今年最初の仕事となった1月19、20日に新国立劇場で行われた東京シティーバレエ団の公演(オケは東京シティーフィル)では何十年ぶりかで「白鳥の湖」全曲を演奏することができてとても懐かしかった。指揮者も何十年ぶりかの福田一雄さんで、もう懐かしずくめの公演であった。ヴァイオリン(戸沢哲夫さん)とチェロ(長明 康郎さん)のソロの美しさがすごく印象に残った。しかし使った譜面ときたら手書き譜で高音域の加線上の音符などはひとつ上に上がる音が前の音よりも低い位置に書いてあったりで見にくく、これには参った。これは相当なストレスになるのである。難曲のショスタコビッチの作品なども手書きが多いが、同様に非常に見にくいものである。ところでオケというものはフルートやオーボエなどの首席奏者が変わったら、大袈裟に言うとオケのカラーが変わってしまうくらい影響があるものだけれど、ソロのパートがエキストラの場合が多いシティーフィルは大変だなと思う。私の場合もオケ全体と溶け合うように気を遣うことは勿論であるが、同じセクションの中での音楽的コミュニケーション、例えば音程のクセ、リズム感、テンポの感じ方などは長年かかって培われていくものだと思うが、その場限りのエキストラにとってはこれらが非常に悩ましい問題となり得るのである。オケのストレスも久し振りであったが、ともあれ大好きな白鳥の湖を演奏できたことは嬉しいことであった。(写真:フルートパートの譜面で16番からは大好きなソロ)



 2008年2月7日(木) 神奈川県立鎌倉養護学校
 ピアニストの泉玲子さん(旧姓金井・東京芸大卒)と相談して始めた神奈川県立鎌倉養護学校でボランティア演奏をするようになって今年で25年になった。小学校から高校までだから一番長くて12回目の人も居たはずである。今年のテーマは「春」にした。春の海、早春賦、日本古謡さくら、滝廉太郎の花、シンディングの春のささやき(ピアノソロ)、メンデルスゾーンの春の歌、ヴィヴァルディの四季から春(ガッツェローニ編曲)を演奏した。プログラムの中程で行う毎年恒例になっている質問コーナーでは御多分に洩れず「そのフルートはいくらですか」というのが今年もあったが、一番びっくりしたのは「せんちゃんは元気ですか?」と聞かれたときだった。「えっ!どうして知っているのですか?」、と聞き返したら「授業でパソコンを勉強しているので」という答えが返ってきた。私のホームページを詳しく見てくれていると云うのだ。これには感激した。更に「今日の事をホームページの日記に書いてくださいね」と頼まれてしまった。コンサートが終わると綺麗なお花と共に生徒達が作ったという焼き物や織物をいただき、胸が熱くなった。帰り際にせんちゃんは元気ですか?と質問した高校生の女の子Rさんが控え室に来てくれて「来年は絶対にシューベルトのセレナーデを演奏してくださいね」とリクエスト。これで来年のプログラムの一曲が決まった。待っててね!(妻がせんちゃんに付きっきりなので写真は数年前のものを使用した)



 2008年1月31日(木) 母とせんちゃん三度目の対面
 生誕4ヶ月目を迎えたせんちゃんを連れて母のところへ行ってきた。母とせんちゃんが会うのはこれが3度目である。いつもクルマで行くが余計な機能がてんこ盛りのカーナビを好まない私はウェブで道路情報を得てから出かけることにしている。が、昨日はいざ出かけるとそれまでは順調だった保土ヶ谷バイパスで事故が発生して大渋滞となり、散々な目に遭ってしまった。脇道を行ってみたけれど信号が多く、交通量も多くてどっちを選んだ方が良かったのかは不明だ。結局普段は3、40分のところを2時間もかかってしまった。こんな時、好きじゃないカーナビも「何処にいて、どっちを向いて止まって居るのか」だけの機能のものがあったら買っても良いかな、と思ったりする。せんちゃんは初めは窓から外を見ていたが、やがて着くまで大人しく寝たままでいてくれてよかった。母はまるで割り箸のような細腕ながらせんちゃんを軽々と抱いて高い高いをやって喜ばせていたが、これは凄いなと思う。今日辺り腕が痛くなっていないだろうかとちょっと心配。せんちゃんはまだ人見知りをしないから誰に抱かれても笑顔を見せるから喜んでもらえるのであるが、この先どうなっていくのだろうか。帰りの保土ヶ谷バイパスは空いていてあっという間に家に着いた。(写真:千里を抱く母)



 2008年1月26日(土) 青也と千里の初対面
 この写真、どう見ても孫と会って嬉しそうにしているお爺さんにしか見えない。私にもそう見える。でも違うのだ! 京都から三番目の息子青也が千里に会いに来てくれて29才年下の弟千里を抱いているのだ。(青也は私と会う度に私のアタマを見ては心配そうな顔をするのが常である)千里と青也は初対面だった。29才年上の兄に抱かれて最初はやや緊張気味だったけれど、すぐにほぐれて嬉しそうに笑った。青也が来た22日は天気が悪く気温が低くて出かけるのも億劫だったけれど、翌23日は上天気になって午前中から青也達と3人で出かけた。まず鎌倉霊園に行って父のお墓にお参りし、それから鎌倉の佐助にあるお馴染みの工芸店「もやい」に行き、去年の9月に盛岡で催された手仕事フォーラムのとき以来久しぶりに店主の久野さんに会った。青也が湯町窯の福間さんが作ったきれいな海鼠釉の皿を気に入ったので買ってあげた。それからは久野さんに教えて貰って逗子の県道24号線の葉桜信号から坂を登ったところにある蕎麦屋「おかむら」へ行った。ここは初めてだった。そば打ち名人高橋邦弘さんの孫弟子にあたる人がやっているお店だけあってとても美味しかったので、今度はぜひ妻を連れて行きたいと思う。それからは海が見えるところへ、と言うことになって葉山の日陰茶屋の中の一軒パティスリー ラ・マーレ・ド・チャヤ let patisseries la marée de chayaへ行った。日陰茶屋からすぐ近くに住んでいる親友尾高惇忠さんに電話をかけて誘ったけれど、彼は気の毒なことに風邪で寝込んでいて会えなかった。コーヒーとケーキを注文し、窓から海を眺めながらしばしくつろぐ。息子達とは逗子駅で別れてから帰ってきた。千里が笑顔で待っていた。(写真:千里を抱く青也と後ろは青也のお友達Mさん)



 2008年1月24日(木) 大好きな岩崎巴人さんの人と作品
 当ホームページに度々作品を登場させていただいている水墨画の巨匠岩崎巴人さんは最近卒寿を迎えられ、ますますお元気で精力的に製作意欲を燃やしていらっしゃる。嬉しい限りである。60才で出家された巴人さんは深く仏教に帰依され、心身共に非常に健康そうである。煩悩に自縛されっぱなしの私とは大違いだ。お会いしていると実に清々しい雰囲気が伝わってきて世の憂さを忘れさせてくださる。その巴人さんが最近下さった便りに「芭蕉奥の細道を歩き、全巻を描くつもりです、すでに北陸を終了いたしました」とあった。なんという情熱、エネルギーだろう。大作の完成が待ち遠しい。
 その巴人さんと私が初めてお会いしたのは今は亡き光徳寺の第十九世住職、高坂制立師が巴人さんのお宅へ連れて行ってくれた時であった。もう20年以上も前のことである。光徳寺と巴人さんとは関わりが深い。それは巴人さんがまだ学生だったときからだというから数十年前になるだろう。後のことであるが先々代の第十八世住職高坂貫昭師がご夫人の君(きみ)さんと一緒にインドを旅行し、今から約2500年前に釈迦が悟りをひらいたという仏教徒の聖地ブッダガヤにある「印度山日本寺」(いんどさんにっぽんじ)へ行った。そこで岩崎巴人さんの壁画をご覧になったそうであるが、それがきっかけとなって光徳寺の襖絵は巴人さんが描くこととなったそうである。その襖絵は今ではもうすっかり光徳寺に馴染み、とけ込んで寺の雰囲気を支配しているように感じている私である。
 巴人さんのお宅は久里浜から東京湾フェリーで行くと家から遠くない。館山市郊外の竹林をくぐって行った先に青黄竹堂と名付けたお住まいが静かな環境に佇んでいる。作品達が生まれてくるのに相応しいお宅である。ちなみに巴人さんがお使いになる和紙は越前の重要無形文化財(人間国宝)岩野市兵衛氏のものだけだとか。3月には光徳寺がある福光の直ぐ近くの城端で演奏するので久しぶりに光徳寺へ行き巴人さんの絵をじっくり見させていただきたいと思っている。この写真の「白雲無根」はつい最近送ってくださった作品である。



 2008年1月9日(水) パリは父との思い出の街
 私がパリに留学したのはN響に入団してから9年目の1968年のことだった。29才の時である。約13ヶ月の短い期間だったけれど、忙しい仕事の生活から離れて勉強(フルート)、美術館廻り、散歩、遊び、旅行etc.と思う存分自由にできたから人生の中で得難い貴重な時間であったと云えそうである。私の下宿はパリ第5区の、いわゆるカルチエ・ラタン (Quartier latin) と云われている一画にあった。カルチエ・ラタンはギリシャ料理店やアラブ料理店が軒を連ねていて楽しいことこの上ないところなのだ。私が大好きなモロッコ料理のクスクスも近くで食べることが出来たし、お気に入り中華料理店青島(チンタオ・今はもう無い)もすぐ近くだった。サンミッシェル広場も下宿から近かった。サンミッシェル広場からサンジャック通りをソルボンヌ大学に沿ってゆるい坂を登っていくとパンテオンが見える角に出るが、この写真はそこでパンテオンをバックに父と並んで当時愛用していたNikonFで撮ったのものである。父は65才、私が30才の時である。(パンテオンの近くにはクリスティアン・ラルデの演奏を初めて聴いた聖ジュヌヴィエーヴ教会などがある)父は私の留学が終わる少し前にパリの私のところに会いに来てくれたのである。パリを起点にして父と行った先はイタリア、スイスなどであった。父と二人だけの旅行はそうめったに出来るものではないから今思えば貴重な時間だった。父は行く先々で感動しきりであった。とりわけローマのアッピア旧街道のクオバディス教会(主よ私は何處へ行ったらよいのでしょうかという意味)に入った時、父が非常に感動していたことが忘れられない。思い出一杯の楽しい旅行だった。しかし時間は経過していく。その父が79才で逝ってすでに24年になった。



 2008年1月5日(土) 年女の母とお墓参り
 1912年生まれの母は子年生まれだから今年は年女である。えっ?何回巡ったのかな、と思って計算したら8回だ、これはすごいな! 父は24年前の1984年1月に亡くなって以来鎌倉霊園で仮眠中(最後の審判の時に一旦蘇るから)だが、小出ファミリーでは毎年お正月に揃って父のお墓参りをする習慣になっている。今年は3日に行った。鎌倉霊園は家からクルマで僅か10分くらいの距離である。母のところには暮れから名古屋の妹が来ており、その妹が母を電車で連れて来ると言うが、いくら妹が一緒でも電車で来るのは一時間もかかるし、東神奈川駅での乗り換えはホームの階段の上り下りがある。母を迎えに行くのは当然私の役目。お正月の道路はがらがらに空いていた。兄たちとは鎌倉霊園で落ち会った。普段は閉じている朝比奈門が家からは近いのであるが、彼岸やお正月には開くのでここから入った。鎌倉霊園内の高台からは霊峰富士がきれいに見えていた。それにしても高台から見渡す鎌倉霊園の広大さ、お墓の多さには驚くばかり。その広大な墓地の中央にある小出家の墓に行き、きれいに掃除をし、お花をお供えしてから母を先頭に順にお参りした。赤い御影石で作った墓石には同志社大学神学部で父の先輩、桜美林大学の創立者故清水安三先生の筆になる「愛」の文字が刻まれている。お参りの後は我家で昼飯。兄夫婦と妹は9月生まれのせんちゃんとは初対面で、せんちゃんは順番に抱っこしてもらったりして嬉しそうだった。家からは兄が母を送って行ったが、板橋までの帰途もこの時間帯になると混んできて大変だったらしい。



 2008年1月2日(水) 三浦半島
 元日の昼ころに我が家のベランダから南(鎌倉方面)を見ると正月早々から渋滞していた。この先の朝比奈トンネルを抜けてすぐの信号を右へ登っていくと鎌倉までは15分くらいで行くことができるところである。この道は日曜祭日になると渋滞が激しくなり、とくに春秋の彼岸にはお墓参りのクルマが押し寄せて最高潮となる。しかし人ごとではない、我が家もせんちゃんが小学校に行く頃になると世の中の慣習に従がって民族移動の仲間入りをしなくてはならなくなるのだから。自分はサンデー毎日(毎日が日曜日)だからとうそぶいてきたことを改めなければならなくなる。でも正月からこのクルマ達は一体どこへ行くのだろう。鎌倉は三が日の昼間は通行止めになっているから入れない、どこか他のところだろう。もしかしたら八景島だろうか(ここの白いイルカはカワイイ!是非せんちゃんを連れて行きたい)。または三浦半島をぐるっとドライブするのかもしれない。観音崎、城ヶ島、三崎、油壺、などスポットは多い。毎年正月は空気がきれいになるから半島の西側からは相模湾の向こうに美しい富士山を仰ぎ見ることができるだろう。小学校四年生の時に岡山から引っ越してきて田浦に二年間住んだことがある、思い出多き三浦半島の根っこに住み着いてしまった私は、田浦に良く行く。そこには小学校時代の同級生も居る。佐藤さとるが童話に描いた「だれも知らない小さな国」の舞台となった三浦半島が私は大好きだ。




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