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過去の日記帳 2012年4月 〜 6月

写真ははずしました。



 2012年6月29日(金) N響団友会創立30周年記念会
 6月25日に創立30周年を迎えたN響団友会の記念会が帝国ホテルの富士の間で催された。N響団友とはNHK交響楽団に永年在籍して定年退職した人、10年以上コンサートマスターとして在籍した人、及び在籍中特に功績を認められた人がN響から与えられる名称のことで、団友オーケストラや後進の指導など、様々な活動をしている団体である。私は妻とせんちゃんと3人で参加した。せんちゃんは本人の意思で髪を長くしているから初めて会う人は女の子にしか見えないらしかった。この日は団友会のメンバーたち、現役たち、招待者など、参加者は総勢で300人を超える盛大な会となった。司会を務めたのはFM放送「ベストオブクラシック・N響定期公演」の生中継のナビゲーターで知られている山田 美也子さんと、相手役には長年N響アワーで解説をしていた池辺 晋一郎さんであった。彼は開口一番「この会は時間通りに始まりましたね、ここは定刻ホテルですから」と云って皆を笑わせた。お得意のダジャレは健在のようである。招待者の中には父親がN響のコンサートマスターであったタレントの黒柳徹子さんも来ていて、興味深い昔話を披露してくださった。祝賀演奏では久し振りに外山 雄三さんの指揮でラプソディーを吹いた(写真)。学校の体育館の如く天上は吹き抜けで会場との間には膜が下がっていたりで「音響最低、雰囲気最高」のコンサートであった。フルート現役の神田 寛明さんや菅原 潤さんとも久し振りだった。我々は3人共パウエルの14金キー木管を持っているのである(菅原さんはピッコロも14金キー木管である)。沢山の仲間や友人達に会うことが出来て楽しかったけれど、夫に先立たれた未亡人の方々が招かれていなかったのは淋しく思ったのではないだろうか。
 クルマで行ったがお目出度い会で飲まないわけにはいかないからホテルをとっておいたのは当然のこと。会が終わってから銀ぶらよろしく、帝国ホテルから銀座にあるフランス系のホテルまで歩いた。夜風が心地よかった。翌日はせんちゃんを上野動物園に連れて行った。私は何十年ぶりだったのか覚えてもいないが初めてパンダを見た。せんちゃんは動物も見るには見たけれど、それよりも最近は昆虫が大好きで目を皿のようにして虫探しに夢中になっていた。(この日の模様は近々「Photograph」に出す予定)



 2012年6月25日(月) チャドクガ
 今年はチャドクガが家の近くにある山茶花の木に沢山発生している。今年はこいつが多いようである。これが横一列に並んでオレンジ色の頭部を激しく左右に振りながらうごめいている様は気持が悪いことおびただしい。写真の右の方で団子状態になっているのがわかるだろうか。気持ちが悪くて正視できないくらいだ。1本の山茶花など、片側がほとんど食い荒らされて無惨な状態になってしまった。木に近寄ると糸を引いてブラブラしているもの居るから危なくてしかたがない。幼虫の背面には50万本もの毒針毛が群生しているという。これにやられると半日から一日後になって赤く腫れ上がって猛烈な痒みがあらわれる。痒すぎて眠れなくなることもあるそうだ。掻きすぎると刺されていないところまで症状が広がるというから注意したい。蜂と同じく一度刺されたらそれが抗原となって2回目以降アレルギー反応を起こすことがあるのだ。だから1回目より2回目、3回目の方が症状が重くなる。せんちゃんにはしっかり覚えてもらった。こいつは年に2回6〜7月頃と10月頃に発生すると云うからやっかいものである。幼虫ばかりでなく脱皮殻やサナギや成虫、卵まで人を刺すというから怖ろしい。刺すと云っても虫の方から刺すわけではない。触れなければ良いのだ。(写真は6月24日に撮ったもの)



 2012年6月17日(日) フルート奏者の歓びと憂鬱
 こうして2本を並べて眺めていると「なんて贅沢なんだろう」と思わずにはいられない。2006年の暮れに入手したパウエルの木管(金キー)は最近になって可成り「本鳴り」に近づいてきたように感じている。それで少し気持に余裕ができたためか、約6年間もほったらかしていたヘインズを最近吹き始めた。なんとこっちも凄い音がでるではないか。
 実は最近私にとって非常に大きな出来事があったのである。2か月くらい前にアンブシュアに閃きがあり、このトシになってやっと「分かりかけてきたぞ!」という心境になっているのである。それは1人の少女がもたらしてくれたものだった。最近私の所へ習いに来ているこの少女が吹く時の口を見ると、常々わたしが云っていることを行っているではないか。これは私の所へ来る前からすでに身についていたものだ。私は自分が言っていることを自分自身でも正しく行っているのだろうか、と自問してみた。その結果、まるで新しい世界が開けたようになって何時間吹いてもやめられなくなってしまったのである。フルートを吹くのが楽しくてたまらない毎日である。何て云うことだろう!
 私の一番の願望、それは常に最高のコンディションで吹きたい、と言うことである。ところが現実はなかなか厳しい。いつも最上のコンディションで吹くことができたなら、ああ、これは夢の又夢だ。無数の演奏会をこなしてきた59年間に泣きたくなるほど辛かったり、或いは天にも昇るような幸福感に満たされたり、実に様々な思い出がびっしり重なってきた。いつも書くことであるが睡眠が充分でも鳴らないことがあるし、反対に不摂生でも鳴ることがあるから、その日になってみなければわからない。だから演奏会の前には恐怖のあまり精神状態が不安定になってしまうことさえある。我がクチビルは気まぐれなのだ。クチビルの状態がモロに音に影響するフルートとはなんと怖ろしい楽器だろう。しかし、だ、全くこんな事とは無関係に、いつも良いコンディションで吹いて居るように思える笛吹きが居ることも確かだ。羨ましいのを通り越して憎らしくなる。
 私は毎日起きて直ぐに今日のクチビルはどうかな、と、頭部管だけでほんの数秒間試し吹きをするのが習慣になっている。気になるのだ。譜面台には「心得」を箇条書きにした紙が貼ってある。朝8時を過ぎて吹いても良い時間になると(集合住宅だから)それらを確認しながら練習に入るのである。毎日が初心者から始めるのである。しかし、例えばピアニストや絃楽器奏者達はどうなのだろう。或いは同じ管楽器でもマウスピースやリードをくわえてしまう楽器奏者たちはどうなのだろうか。何か問題をかかえているのだろうか。こういうことは(私みたいに)誰も言わないから謎である。
 ここまで書いて思い出したくもないものを思い出してしまった。今更読み返す気持など毛頭無いが、さる本に「フルートは吹くためのストレスがない」などと書いてあった。こいうことが絶対にあり得ないことは分かるだろう。日々ストレスに埋まり、真面目に試行錯誤を繰り返しながら悩み抜いているのだから。許しがたい発言である。さらにこの本には「フルート奏者は優柔不断である」というおまけまでつく。茶化したとも思える内容の多さに胸が悪くなるのは私だけか。



 2012年6月12日(火) イギリス館
 9日のコンサートには雨模様の中を沢山の方々が聴きに来てくださって満席だった。嬉しいの一言である。
 横浜の港の見える丘公園の近くにあるイギリス館は昭和12(1937)年にコロニアル様式の英国総領事公邸として建てられた。それを昭和44(1969)年に横浜市が買い取って1階ホールをコンサート用に開放しているわけである。平成2(1990)年に横浜市指定文化財となった。ホールは二つの部屋の間仕切りをとって一つの部屋に仕立ててあるからその部分にある壁が邪魔をしてヒョウタン型になっているわけである。遠い方ではどんな聞こえ方になっているのだろうかが気になった。絨毯を敷き詰めだから残響はほとんど無い。更に演奏する者にとっては非常に困る事がある。それはピアノの位置を1センチも変えてはならない、と言うことだ。移動すると狂うから、と書いてあったが、他のホールではそんな事を聞いたことがないし演奏者にとって最良の配置にすることは当たり前なのだが。私がここで演奏するのは初めてではなかったけれど、この問題は覚えていなかった。いつからこうなったのか。ピアノは中央に置いてあるからフルートは端に寄らなければならず、そうするとピアニストと顔を合わせにくくなって阿吽の呼吸ができない。それで今回のコンサートでは曲のスタートをやり直す、というあってはならない事が起こってしまった。こんなことは記憶に無いことである。ストレスは災いを呼ぶのだ。
 官の所有物となると融通がきかなのは良くある話しだ。が、ホールとして貸すのであったらピアノソロ以外のコンサートのことも考えて欲しいものである。ピアノを移動してはならない、なんて云うホールはイギリス館以外には世界中を探しても無さそうだ。イギリス館というネーミングも良いし、場所も雰囲気もいいし、夏のコンサートでは日が長いから窓から庭が見えてなかなか良かった。だけに残念なことであった。
 ピアニストの栗原明子さん、ありがとう。



 2012年6月7日(木) 愚痴
 (ひとりごと)
 フランス語のcaféはキャフェと発音するが、日本では殆どの場合これをカフェと云う。ドイツ語ならKaffeeだからカフェでいいんだけど。
 那須の喫茶店に入った時、メニューにミルクティーのことをカタカナで「ティー・オ・レ」と書いてあった。これはフランス語のThe Au Lait(テ・オ・レ)の事だと思うが笑うしか無い。英語とフランス語がミックスになってしまった。
 イタリア料理のpizzaをピザと云うのもいやだな。ピッツァじゃないか。
 禁煙車というのも気に入らん。タバコを吸うのが当たり前のような表現だ。喫煙車をつくればよいのだ。
 狩猟に関しても我が国はおかしい。猟をしても良いところだけ「猟を許可する」と書けば良いのだ。書いてないところでは猟をしてはいけないのだ。フランスではとっくの昔からそうしているが、我が国では「禁猟区」だ。
 いまだに「、、とか」が流行ってる。「写真とか有りますか?」実に気に入らない言い方だ。いいかげんで終わってくれ。
 「、、になります」も終わらないね。買い物をした時やレストランでもレジで「〇〇円になります」と云われる。なるんじゃなくて、なったのだから「〇〇円です」と云ってくれよ。
 ホテルのチェックインのときなど、「お名前をよろしいですか」などと云われる。一体なんだい。どうして「お名前を書いてください」と云えないんだよ。
俺もトシを取ったな。



 2012年5月21日(月) 田浦小学校のクラス会
 今月の18日、私たちは12時にJRの逗子駅に集合して、歩いて10分くらいのところにある松汀園へ向かった。田浦小学校のクラス会である。今年は10人が集まった。去年は大震災のためにできなかったので2年ぶりのクラス会だったが、悲しいかなこの間に2人も仲間が減ってしまっていた。
 このトシになるとたいがいの仲間がなにがしらの病気を持っているようである。一病息災で長生きしようじゃんか。
 酒を呑みながら相手の顔をしみじと見ていると、そこに小学校時代の顔が浮かんでくるのである。自分のことを忘れて、こいつ随分変わったな〜、と思いながら話している自分がおかしかった。
 しかし「それにしても俺たち、変わったよな。でもこれ、自然なことなんだよな。逆らってもどうにもならないんだよ」と云ってしまった。トシをとったとは云ってもまだたったの74才だよ。まだまだやらなきゃならないことがいっぱいあるんだ。健康に留意しながら頑張らなきゃ。
 「この間よ〜、写真を撮りに行ったらよ〜」と、田浦弁がとびかって楽しかった。
 帰りには駅に向かう途中の喫茶店に入って又々話しがはずむ。
 来年も皆元気で会おうよな。「死んだら殺すぞ!」



 2012年5月21日(月) 金環日食
 朝起きたら雨が降っていたのでこりゃ駄目だと思っていたが、チャンスをうかがっていたら7時47分にほんの一瞬だけ見えた。横浜は7時半ころが金環日食だったから、10分過ぎたころの太陽が見えたわけだ。
 次に金環日食を見ることができるのは18年後で、それも北海道というから今日はすごいチャンスだったのだ。ちょっと見えただけでも良かったとしよう。
 しかしこの太陽も表面で大爆発「スーパーフレア」が起きるかもしれないことが京都大グループの解析でわかったと言うから怖ろしい。



 2012年5月16日(水) オルガニスト吉田 文さんとのコンサート
 名古屋の中村区にあるカトリック五反城教会で母の日に行われた「全ての母に捧げるコンサート」では沢山の方々が聴きにきてくださった。オルガニスト吉田文さんと初めての共演であった。まもなく100才になる私の母も妹に連れられて聴きにきてくれた。母が私のコンサートを聴くのは何十年ぶりだっただろうか。オールバッハのプログラムはキツかったけれど、全身全霊をかけて演奏した。
 私は昔からオルガンが大好きだ。留学中はパリにある教会のオルガンを聴いて回った。サン・トリニテ教会では毎週メシアンが弾くオルガンを聴いていた。そしていつの間にかオルガンと演奏したい、と思うようになっていたのである。その願いが叶う時が来た。東京カテドラルでオルガンと演奏する、というとてつもないことをやろうと云うのだ。今から何十年も前の事である。しかし夢が叶ったコンサートが終わってみると「オルガンにはかなわない」という悲痛な思いだった。聖なるオルガンの響きの中で自分の音が余りにも邪悪なものに思えたのだった。それから何十年が経ち、私は再びオルガンとやりたいと思うようになってきたのである。それはトシのせいだろうか、それとも開き直りだろうか。本郷弓町教会や軽井沢の追分教会や前橋教会で演奏した。こんどは悲痛な思いは無かった。逆にどんどんやりたくなってきたのである。
 吉田文さんと知り合うことができたのは今流行のFacebookのなかで我々を引き合わせてくださった方が居たお陰である。吉田文さんのことをネットで調べると相当に凄い人だとわかった。中学を出てすぐに単身でドイツに留学したという驚くべき人だった。そしてまだ17歳の時に由緒あるパーダーボーン大聖堂でメシアンの「主の降誕」全曲を演奏して絶賛されたという人なのである。私が共演しませんか、と誘ったのは言うまでも無いことであった。そして快い返事をもらってからウキウキの毎日であった。(吉田文さんは2012年4月より名古屋女子大学文学部児童教育学科に特任専任講師として就任されました)
 今回のコンサートでは多くの人から賛辞をいただいた。コンディションにムラがある私も絶好調で吹くことができたのが嬉しかった。終わってから吉田文さんから「名古屋で、そして東京カテドラルでもやりませんか」、と誘われて私は演奏家としての幸せの絶頂に登り詰めたような気持になっている。
 打ち上げ会がまた楽しかった。日本料理店で最高のネタをいただきながら飲んだビールもお酒も美味しかった。作曲家でオルガニストの文さんのご主人トーマス・マイヤー=フィービッヒ(Thomas Meyer-Fiebig 国立音楽大学作曲科教授)さんは底抜けに楽しい方だった。本当に可愛いご夫婦!なるべく早くまたお会いしたい!
 翌日、新東名をルンルン気分で走って帰ってきた。(写真にマウスONで違う画像になります) →吉田文さんのブログ 風琴亭



 2012年4月6日(金) 益子の陶芸家 成良 仁(なるよし ひとし)さんが亡くなられた
 親しくしていた益子の陶芸家、成良 仁さんが2月4日に亡くなった。1995年ころから妖艶な女体像を造り始め、別名何田 是也(なんだこりゃ)と名乗り、製作に励んでいた成良 仁さんが体調不良と聞いて会いに行こうと思っていた矢先の訃報だった。成良夫妻とは夫人のお母さんが私の母と同郷であったことから親戚のようなお付き合いをさせていただいている。彼が芸大を出てから益子の窯業センターで指導を始めて間もない1970年代の初めの頃、私に最初の作陶の手ほどきをしてくれたのである。日本の伝統工芸に興味をお持ちだったN響の名誉指揮者ホルスト・シュタインさんご夫妻をお連れしたこともあった。
 昨年の東関東大震災では益子も大きな被害を受けた。そして展示会から帰って来て荷ほどきをしたばかりの70数点の作品郡も無惨な状態になってしまった。震災から半年後、成良さんは「原発問題など、これまで目を向けてこなかったことに向き合うようになった。子どもたちが50年後、どんな社会を迎えるのか。作品を通して何かを感じてもらえれば」との思いを込めて壊れた作品をそのままに自宅を開放して「天災・人災・3・11 南田 是也テラコッタ展」を開いたのである。私は残念ながら見に行くことが出来なかったが、無理をしてでも行くべきであったと悔やまれる。(※テラコッタとは800度程度で焼成された茶色がかった焼物のこと)
 彼は二面性をもった特異な焼き物屋であった。希有な人と云ってもいい。数年前に益子で会ったとき、彼は妖艶、豊満な女体像群を前にして「これをやり始めてから芸大時代に習ったことをやっと払拭できた!」と嬉しそうに話してくれたことを思い出す。
成良さんのホームページより
20世紀の中頃、成良 仁として生まれる。その作者は、東京芸大で美術を学び、日本工芸会の会員として、伝統工芸、日本工芸展などに出品し、伝統工芸としての陶器を制作していた。個展も北海道から九州まで、各地で重ねている。札幌(三越)仙台(画廊)宇都宮(東武、西武)東京(高島屋、寛土里、他)京都(高島屋)博多(岩田屋)宮崎(山形屋)また、パブリックコレクションとして、大英博物館(イギリス) ブルックリン美術館(アメリカ)セントルイス美術館(アメリカ)他に収蔵されている。そんな仕事をしながら 南田氏は学生時代からもう一つの仕事 人体造形制作をしていた それが約10年前から 妖艶 豊満 女体テラコッタ制作に傾く。作品発表は考えていなかったが、ひょっとした事で・・・・・そんなことで・・・・現在に至る。

心からご冥福をお祈りします。合掌
成良 仁と何田是也の独de二人展
合唱大好き♪くまさんブログ




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