白鳥沙羅のたわごと(自然に沿って生きていきたい) | ||||||
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1. ┃自然こそ無限の世界 〜 自然は、限り(仕切りや区切り)ある世界ではなく 、限りのない‥つまり無限の世界だった 〜
多くの人は、点の世界を0次元、線の世界を1次元、面の世界を2次元、そして立体的な世界を3次元だと考えています。 文明の考え方で、それは間違っていないかもしれません。 しかし、自然は3次元なんかではないと思います。 ( 数字で表せる立方体なんかでできていません。 )最近3Dのテレビなんかを見ても分かります。 自然とは全く違うイミテーションにしか過ぎないと。 もしかしたら、みんな気づいていたことかもしれません。 しかし、わたしは今まで、自然が無限(文字や数字で区切ることができない世界)であることに気づくことができず、最近やっと気づけたのです。どう言うことかと言うと‥、私たちが…自然に対し「鳥、動物、虫‥」と名前を付けたとき‥無限の世界を無理矢理区切って不自然(嘘の世界)にしている‥つまり、文字や数字によって名前をつけた世界はニセモノであると‥。 ※文明は、田畑、果樹園、学校(会社なども含む)、水族館、動物園、堤防、側溝、墓と言った具合に自然に境界線をつけていく。
木枯らしの吹く頃、落ち葉が、一瞬のうちに遠くへ飛ばされて行きました。 散歩をしていた私は、ふと考えました。 「 あの落ち葉は、一秒間に何コマで飛んでいったのだろう? 」 と … 。 普段考えたこともないようなことでした … 。 でも、ふとそんな考えが頭をよぎったのです。あの落ち葉は24コマで移動したのだろうか … それとも30コマだろうか? 映画なら24コマかもしれない。 テレビなら30コマかもしれない。 でも … 自然の世界の出来事は、どうなのだろう? 1000コマ? 10000コマ? それとも一億コマ? いや。 … もっと、もっと … もっと … !!!。 そう思うとすぐに過ぎ去っていく一秒間がとても長いものに感じられました。 その時はじめて、私には一秒間は無限コマでできているとわかりました。 つまり、無限にはコマという区切りなんてないと分かったんです。「一秒間って本当は無限だったんだ。 という事は? … 1000年も … 無限 !? 」 今まで長いとか短いとか感じていた時間が本当は、私の勘違いで…同じ無限という時空の中を生きていたのだという事がはっきりとわかったのです。 ということは、一秒も一分も千年も皆同じ無限だったんです。 だったら無限の時を刻むなんて無意味なことではないでしょうか。 私は4000年生きる木を長生きだと思ったり、たった数日で死んでしまうカゲロウをはかなく思ったりしたものでした。 それは、無限を刻んだ時間という概念で考えてた結果の思い込みだったのです … 。 じつは、1000年前も1000年後も … 無限の世界では同じことだったんです。 人間がもし、自然の世界に不自然な道具を使って手を加えることをしなかったら … いつも同じ自然の世界が目の前に広がっていたのでしょうから。もし、人間が文明の利器を持たず、ただ10本の指でできることだけで生活していたなら、この無限である自然の世界を有限だなんて思ったりしなかったのではないでしょうか? 今わたしは、過去や現在や未来という時間の概念では考えられない、無限という時間の広がりの中に存在し動いているのだと…そう思いました。
秋になり、庭の柿の実をみていてふと思いました。 「あの柿の実は…どうだろう?」 と。 あの柿の実の中にある種が土に落ちると成長して多くの実を結ぶ … 。 そして、多くの実った柿の実の中の … たくさんの種が … さらに多くの実を結んでいく。 そして、もっと、さらにもっと … たくさんの実が …。あの1個の柿の実を、一個とつい思ってしまいますが。 本当は、一個なんかじゃなくて、無限だった …。 なぜなら、無限の命が詰まっているからです。 ということは … 。 キリンもライオンもクジラやサメも … そして、トカゲやゴキブリも みんな みんな 無限の命を持った無限の生き物なのですね。 だったら … このわたしも無限なんだ!!もし、みんな 同じ無限の存在なら … ウイルスや菌と私は?みんな同じ無限なんだから … やっぱり菌やウイルスとわたしも … 同じ存在ってことになる … 。 菌やウイルスもわたしも無限の中では … 何のわけ隔てもないと言うことになります。 そういえば、微生物も植物も動物も遺伝子はみな同じだときいたことがあります。 究極的に言えば、みな素材が土と同じ成分なのだから同じで当たり前かもしれません。 自然はわけ隔てする境界線のない … 混沌とした世界と言うことが分かってきました。
またある時私は、ピアノの鍵盤をみてふと思いました。 「 鍵盤のドとレの間には、半音が 一 個しかないけど … 」 自然の世界にはドとレの音の間にはどのくらいの音があるのでしょう。 10音? 100音 … 1000音 … 一億音? と言うことは、やっぱり、音も時間と同じで無限と言うことになります。 私は、ピアノの音色が好きでその奏でる音楽にとてもこころ癒されたものでした。しかし、このことが分かって考えが変わってきました。 自然こそ本物だと … 。 文化会館で奏でられる最高のピアニストの音楽に耳を傾けるより、川のせせらぎや風のざわめき小鳥のさえずりこそが本当の音、真実の音だと。音楽は、自然を模倣したイミテーションにすぎなかったのです。
またある時私は、自然を見ていてふと 「 死 」 について考えました。 今まで色々と考えたことから、自然の世界は、無限の世界だとわかってきました。 「 しかし、どうして自然の世界は無限であるにもかかわらず 『 生 』 だけでなく 『 死 』 もあるのだろう? 」 と疑問がわいてきました。 「 神は、 『 死 』 を私たちの最大の敵と言っているが … 。 『 死 』 は、本当に私たちの敵なのだろうか … 。 」 そのことを考えている時、私は人間の細胞のことを思い出しました。確か人間の細胞は60兆個あり … 3ヶ月で全てが入れ替わるとかいっていました。 3ヶ月で60兆個の細胞が生まれ … そして、60兆個の細胞が死んだことに … 。 そして、1秒間では、7800万個の細胞が生まれ、そして死ぬことになります。 体には … 常に 『 生 』 と 『 死 』 が存在します。 ですから、生き物の体は 『 生 』 と 『 死 』 の両方があって 『 命がある 』 ってことではないでしょうか。 それだけでなく、自然の循環にも同じことが言えると思います。 生き物が死に、それを動物が鳥が魚が菌がウイルスが食べて生きている … 。 自然そのものの命は生き物の 『 生 』 と 『 死 』 の両方があって それが自然の『命』なのでは … 。 ということは … 無限の世界では、 『 死 』 とか 『 生 』 とか区別がなく、 『 死 』 と 『 生 』 の両方がひとつで 「 命 」 で、自然は、既に不老不死の命だったということになります。 そしてこの命は無限の広がりの中に存在するのではないでしょうか。
参考:「新陳代謝が生命を作る」http://www.livekkk.com/shinchin.html
夏真っ盛りのある日、実家が所有する山に行ってみました。かつて、お風呂の焚き木として植えられていた沢山の松がそこにありました。しかし‥長年だれも入ることのなかった山は、松の木ではなく‥私の知らない木々や草で覆われ境界線がなくなり‥1つになっていました。結局わたしは、実家が所有する山がどこなのか分からずたどり着くことができませんでした。 このことから、わたしは「自然は本来境界線などなく、混沌とした世界だったんだ」と確信しました。 ところで‥聖書(創世記1章)にも‥
自然は、菌やウイルスや微生物、虫や鳥や動物、そして木々や草花、そして光や風や音が…境界線なく入り乱れていますが…、全てが一つとなって見事に調和している世界です。つまり、本来の自然は‥数字や文字で表せるような秩序は不要なのです。しかも、誰にも管理される必要なんてありません。しかし、文字や数字でキチッと表現したい神(文明そのもの)にとって‥境界線がはっきりしない本来の自然は、「混沌とした世界で」‥「形がなくむなしい」…つまり何もない世界と解釈したのでしょう。命が詰まった充実した世界なのに‥ 現在、文字や数字をつかさどる文明の神の知恵(神の霊)が全世界を覆ってしまいました。その結果、混沌とした自然のあらゆるものに名前がつけられ仕分けされました。数字で測られ、文字で設計されてできた世界は、一見きれいになったように見えます。しかし、かつていた多くの生きものが住んでいた森は、文明の知恵で造られた重機で破壊され‥沢山の家屋やビルが建てられました。空には、鳥ではなく、ジェット機やヘリコプターや旅客機が飛んでいます。 先日も、よく行っていた森が、わずか一日で更地になっていました。桑の実や柿の実などが自然に生えていて、多くの鳥たちや虫たちの住処になっていたのに‥。たった一日で‥全てが失われてしまったのです。長さがきちんと測られて造った家や道路で大地を覆うために失われてしまった命。 わたしは、いつも行っていた森に重機の音が響いている傍らに、しばらく呆然と立ちつくし見守るほかありませんでした。‥涙‥ 神(文明そのもの)は、「充実した命の詰まった自然」を、「混沌とした世界で、形がなく空しい」と言い。自然本来の世界を文字や数字によって、ぐちゃぐちゃに破壊し、命のない空しい世界にしています。これを神は「創造」というのですから‥。 私たちは、神のイメージした世界(数字や文字による)を創造する手伝をするとき、大切な命(自然そのもの)を破壊していることに気づかなければならないのではないでしょうか?
2. ┃自然の世界は気楽な世界
自然を見てると … キチキチしてなくていいですよね〜。 アリの行列を見ていると、獲物をみんなで運んでいるんですが、その獲物の上に乗っているアリもいたりするんですね。 自然ではそれもOK。 だれも咎めません。 それでいて、獲物はちゃんと巣の中に運ばれて行きました。私たちの目から見て不効率でも、一番自然に沿った生き方なんだな〜。 それが一番気楽なんだな〜って思いました。
文明を寄せ付けないカラハリでのブッシュマンの生活は、文明に全く染まっていない自然の世界に住んでいた人々の生活を垣間見ることができます。 無限の世界である自然がどんなに素晴らしいか考えてみてください。
ブッシュマンは神という概念があります。 しかも、道具も火も使っています。 ですから文明を発達させなかった文明人といえます。 同じ文明人でも時間やお金がないだけで、彼らの生活はとてもゆとりが感じられます。 文明の築く世界は、知恵が豊かでとても便利に見えます。 逆に自然と言う無限の世界は、愚かでとても不便に見えるかもしれません。 しかし、お金や時間で支配されるよりずっと気楽な世界ではないでしょうか。 空を自由に飛ぶトンビやカラスは愚かに見えるでしょうが彼らは、お金や時間、宗教にさえ支配されず、しかも道具や機械がなくても … ちゃんと自分の食べ物を見つけて自然のなかで生きていけるのです。 数字で不思議な技をする者 (文明・神ともいえる存在) にではなく、自然に沿って生きている生き物に学び野生に戻れたら、人はどんなに自由で気楽に生きていけるでしょう。
ブッシュマンという映画の中で使われたことばが使われています。お勧めなので是非見てください。 ↓画像をクリックするとyoutubeにジャンプします
◇ブッシュマンは正確には 「サンの人」 というカラハリ砂漠にすむ狩猟採集民族。 ( 砂漠と言ってもこのカラハリ砂漠には、茂みはたくさんある ) ◇一部の白人の迫害や略奪がなければ、彼らは今も平和に過ごしていただろう。 ◇彼らは、現代に至るまで文明の利器に頼ることなく生きてこれた。
◇現在のブッシュマンは、文明の中でお金に頼りながら生きている。 ( 残念 ) ◇「Bee happy in 南アフリカ」より一部抜粋↓
3. ┃文字や数字がない自然界 自然を文字や数字で表してはいけない 自然を文字や数字で表すとは、簡単に言うと…「自然のものに名前をつけて、言い表すこと」と言えます…。これだったら普段、当たり前のようにしていることなので、だれもこのことを不思議がったり、不信に思ったりすることはありません。私自身も、自然(自分の体も含め)に対し名前をつけることになんら疑問を持っていませんでした。 しかし、最近…自然は、本来文字や数字で表す世界ではなかったということに気がついたのです。このことについて、下記を読んでみてください。(うまく説明できていないかもしれませんが) |