白鳥沙羅のたわごと(自然に沿って生きていきたい)
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カルトとオカルト
大地も心も耕せば自然が壊れる・・・・・・・・・・

                                                     

1.


┃カルトとオカルト






 文化と自然破壊

カルトとは、「儀式、宗教などの意味があり、既成社会から正統集団とみなされない宗教集団である。」 という意味ですが。わかりにくいので、もう少し、調べてみることに‥。それで分かったことは、カルトには、ラテン語のcolere 「文化」 という言葉からきているそうです。 英語でも文化のことを 「culture」 と言います。 「cult」 は、 「宗教、儀式」。 「ure」 は、 「集合体、機関」 を意味します。 ですから、 「culture(文化)」 とは、 「宗教の集合体」 または、 「儀式をする機関」 と言っていいと思います。また、「カルト」 には、下のような意味も関係しています。

「cull」 は、「より抜いて殺す。 弱いものを殺す。 淘汰する。」 という意味です。
「culpri」は、「罪びと」 という意味です。
「culpable」は、「咎めるべき」 という意味です。

以上から、
「文化 culture」 という言葉は、 「人を咎め、弱い者を殺す」 という意味が隠されていると言えます。

良く考えてみると、音楽や絵画などの芸術は、素晴らしい物ですが…。 文明を全く知らなかった頃の人間にとって、道具を使って奏でる音楽や絵画が必要だったでしょうか? わたしたちは、自分の文化的才能を人々に披露する建物を建てるため…多くの木を切り倒し、そこに住んでいた地中の生き物を殺し、追い出し、地上に住んでいた虫や鳥、小動物を追い出したのではないでしょうか。

もし、わたしたちが、限られた音階や絵の具を駆使してすばらしい芸術を披露できたとしても、無限の音を奏でる小鳥や無限の色で彩られた自然に勝るものはなかったはずです。調和された自然ほど素晴らしいものはありません。 しかも、自然は、お金を徴収することがありません。 四角い建物などなくても、自然のなかでくつろげば、本当の憩いがそこにあったに違いありません。

かつて、罪のためのいけにえとして、動物を殺して捧げる儀式 (cult カルト) がありましたが、これは、弱い生き物に人間の罪をなすりつけて殺す儀式と言えるのではないでしょうか。現在、文明を発達させるために森を破壊し生き物の住処を奪った人間が…、畑を荒らすイノシシやシカに対し「泥棒」と言って咎め殺処分しています。文明という存在は、文明を発達させるために都合のいい人間を咎めず、代わりに文明の発達に妨げとなる弱い動物を咎め罪に定め殺しているのだと思います。文明という存在が人間の罪意識を和らげ、さらに文明の発展に邁進させるために…



 オカルトの語源

オカルトとは、ラテン語の 「occulta (隠されたもの)」 を語源にしているそうです。ですから、英語でオカルト (occult) は、 「神秘的、超自然的、隠れた」 という意味になります。また、オカルトには、 「不思議なことをする最高権威者」 という意味もあるそうです。

「いったいどんなことが、隠されているのでしょうか?」オカルトには、カルトという文字が含まれていますが…。 カルト(cult) には 、「耕す」(cultibat) という意味が含まれています。 前のページの「カルトの隠された意味」でも書きましたが…。 「耕すこと」 が、自然を破壊し、自然を破壊することが、わたしたちの苦しみとなっています。」


神は、耕すことをわたしたちに教えました。 しかも、それが、わたしたちの苦しみの真の原因になっています。

神は、わたしたちに、苦しむ原因へと導いたうえで、「わたしたちが苦しむ原因は、わたしたちの罪のせいだ」 とウソを教えています。 つまり神は、耕すことが私たちの苦しみの原因であることを隠し、私たちが苦しむ原因を罪としたのです。神は地球を、道具で耕させ、わたしたちの脳をことばという剣で耕しているのです。

オカルト (occult) は、occupy (占領する) という意味も関係しているのですが…地球も、わたしたちの脳も、ことばという神に占領されてしまうのではないでしょうか。

以上から、過去も未来もない 「只ある」 という時空のなかに存在する自然(無限の世界) を、神のことばは、小さく小さく切り刻み、不自然な世界へと作り変えられていくことを隠していると言えます。



なぜ耕すとなえ自然破壊される?

@→土を耕す →地中の生き物が死ぬ →自然の循環が絶たれる →土の命が弱くなる →肥料、農薬が必要になる →地上の虫たちが死ぬ →人間の健康も侵される

A→土を耕すためには →鉄が必要 →鉄を作るための火や釜戸が必要 →鉄を運搬する車が必要 →車を動かす石炭や石油が必要 →余計なものが次から次へと必要になる →海が汚れる。 川が汚れる。 空気が汚れる。 土が死ぬ。 生き物が死ぬ。 人間も死ぬ。


 超自然について

オカルトは、「超自然」 という意味がありました。超自然とは、「自然の法則では、説明つかないこと」 とあります。 文字からすると、「自然を超えた神」 とでも言うのでしょうか?しかし、自然は、… ‐1000=−1=0=100=1000…=無限=自然 でした。 自然は、全てが同じです。 大きいや小さいがなく相対的に物事を考えたりしません。 ですから、無限を超えるとか超えないとかがありません。

以上から、神という存在は、「超自然な存在」 ではなく 「超不自然な存在」 と言うべきだと思います。 ですから、神は、自然を超えたのではなく、ことば で「自然を超えた」 と言っているだけに過ぎません。神は、「単に不自然な存在である」 ことを 「超自然で、神秘的」 という言葉に秘めていると言えます。







2.



┃耕すほど自然が壊れる



↑(自然農の畑)雑草などの植物の為に耕す人がいるだろうか?自然のままが一番。     


 耕すことは、不自然だった


工場の煙や車の排気ガス、農薬散布や洗剤などの生活排水が自然を破壊しているのは分かります。 しかし、田畑を耕すことが自然破壊に繋がるなんてだれが想像するでしょうか?わたしは、福岡正信さんの本に出会って‥実際に 「自然農」 をしてみるまで、田畑を耕すことは 「いいこと‥」 だって思っていたのですから‥。

多くの人は、大地を耕して、種を植えて、水を撒いて、雑草を抜いて、支柱を立てて、肥料をまき、農薬を散布することを当たり前だって思っています。なぜなら 学校で、土を耕すと、土が柔らかくなって植物が育ちやすくなると教えられるからです。 しかし、本当は‥土を耕すとって‥そこにいた生き物や雑草が根こそぎ取り除かれ‥それによって土の粒が小さくなって‥その分土が締まって、結果硬くなります。 だから、次も‥土を耕さないといけなくなり‥またその次も‥と悪循環にはまっていきます。

それだけでなく、大地に息づいていた‥ミミズやモグラ、冬眠中のカエルや色んな昆虫のさなぎや幼虫、草や木の根っこが作りだした命の循環が…全て破壊されてしまいます。命の循環が途絶えた大地に植えられた植物は、人の手と管理が必要となり‥もうそれは‥自然とはかけ離れた生き物になって‥失われた命という生き物ではないかって思います。 ですから、人が耕して、植えて‥育てた植物がどんなに大きく元気に育っても‥それは、不自然な命、不自然な生き物、幻の野菜と言うほかないと思います。

耕すことが不自然‥?

わたしは、学校や職場や結婚生活で忙しく生活する中で‥こんな簡単なことさえ理解できなくなっていたことに気づきました。それでは、漢字の隠された意味を調べながら‥耕すことが自然を破壊する‥と言う事について、考えてみたいと思います。 文字には、本音と建前のように‥表立った意味と、隠された意味があります。 難しいかもしれませんが‥関心を持って読んでみてください。



 「耕すこと」に隠された意味

cultureは、「耕す」 を意味するラテン語 「colere」 に由来し、初めは土地を耕す意味で用いられていましたが、英語になって 「心を耕す」 意味で用いられ、そこから、 「教養」、 「文化」 を意味するようになりました。 ラテン語の 「colere」 から派生したことばには、「cultvate (耕す)」 「agriculture (農業)」 などがあります。

土地を耕すことについてほとんどの人は、疑問に持ちません。なぜなら、人は耕さないと作物が育たないと信じているからです。 しかし、耕すことで自然を破壊していることには気が付きません。自然をよく見てみると‥ 自然に生えた雑草はとても強いことに気が付きます。 誰かが雑草のために耕したのでしょうか? そんなこと誰もしません。 しかし、ちゃんと育っています。 耕さなくても、植物がちゃんと育つのなら、私たちは余計な労働をしていることになるのです。

創世記2章15節 で 「神である主は、人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、また、そこを守らせた。」 とあります。
もし、神が全知全能であるなら、こんなことを命じることはしないでしょう。 もし、真剣にそう言っているのであれば故意に自然破壊を目論んでいると言えます。では、文字の意味を調べながらその謎を考えてみましょう。耕すとは、辞書によると 「犂(すき)や鍬(くわ)を入れて田畑を掘り返し土を柔らかくする。」 とあります。では、「耕」 を解字して詳しく見てみましょう。

耕 ⇒ 「犂(すき)」 + 「井(ケイ) 」 となり‥辞書でそれぞれ調べてみます。



「耒は農地を耕すため土をかき起こし草を刈る農具である 鋤(すき)、あるいはその柄を意味する。」 で、「 『説文解字』 では 「木」 で雑草をすく様子をかたどっている。」 となっています。


「井は、四角い枠を描いたもの。」 という意味で、井は甲骨文・金文では井戸に限らず#の形をしたものの象形として、様々な意味を持っています。

@ 枷(かし、かせ)) ⇒「 昔の刑具の一。 鉄や木で作り、罪人の首・手・足などにはめて、からだを自由に動かせないようにするもの。」 転じて刑の意味。
A 鋳型の枠の形 ⇒形、型の意味。
B 落とし穴の形 ⇒転じて穽(おとしあな)の意味

以上から 「井」 は 「 四角い枠を描いたもので、 体を身動きできないようにした罠」 と解釈できます。



以上から、耕とは、「自然の世界を鋤(すき)で草と土と掘り起こしてひっくり返し、四角い枠という文明の中ににきっちり入れていくこと。 で…これが神が人々に仕掛けた罠」 と解釈できます。


 耕すことが、苦労の始まり

旧約聖書4章12節を読むと神は、弟を殺したアダムとエバの子カインに対しこう言います。「あなたが土地を耕しても、土地はもはやあなたのために実を結びません。」と‥。まるで、耕すことはとてもいいことだが、あなたの場合は上手くいかない。そんなニュアンスなのです。しかし、自然を観察すると‥耕すことが大地の命を失わせる行為であり、もっとも実りを少なくしている原因と言えるのではないでしょうか?

まず、森と畑では、どんな違いがあるか考えてみたいと思います。

森の土は、だれも耕さないのに柔らかい。しかも、ふかふかして温かい土です。 それは、草や木の根、カエルやモグラ、そして昆虫などが地中を柔らかくし、植物を育てる命ある大地にしているからです。 そこには、菌やウイルス、草や木、虫や鳥や動物などいろんな種類の生き物であふれています。 わたしたちが立っている片方の足の裏の面積だけでも、2百万という数の生き物がいるそうです。

そして、そこでは多くの生き物たちが、生まれたり死んだりして1つの命というバランスのとれた自然が育まれています。 ですから、人が道具で耕す必要などありません。

一方、人が耕す土地(畑など)は、耕したにも関わらず雨が降るとカチカチに固まってしまいます。 なぜなら、地中に根を張っていた雑草が根こそぎ取られ、カエルやモグラやその他の生き物の住処が一気に破壊されるからです。 そこは、生き物が生まれたり死んだりする命の循環が閉ざされた冷たく命のない土地となります。


収穫を効率よくするため人の作る畑にはどんな工夫がされているか??

@ まず、命の循環がある豊かな土地を破壊し更地にする。
A そして、そこに収穫しやすいように同じ種類の植物の種を一列にきれいに並べて植える。
B 自然の土地と違って、耕した土地は乾燥し干からびているため水まきをする。
C 耕した土地は、命の循環が途絶えた土地なので、農夫は肥料となる堆肥をつくりその土地に加えないといけない。
D また、同じ種類ばかり植えているため、同じ種類の昆虫が異常増殖するため、農夫は昆虫を殺さなければならい。
E そして、収穫する時は、鎌などの道具で一気に刈り取る。
Fそして、収穫したあと、たくさんの雑草や多くの生き物が畑が覆い命の循環がよみがえってくる。 しかし、人々は、そこに鋤をいれ命の循環のある土地を破壊し再び更地にする。


耕すことで、人はほんとうに楽になったか???

ほんらいなら、人も動物も自然の野や森へ出かけ自分の分だけ食べ物を捜すだけでよかったわけで‥捜すのに少し時間がかかってもその方が楽だったはずです。 しかし、土を耕すという労働。 種を植えると言う労働。 水撒きをする労働。 昆虫を殺す労働。 堆肥を作る労働。 収穫する労働。 そして、また耕すと言う労働。 とやるべきことが多くなりました。



 農耕は、神が仕掛けた罠?

では、なぜ過酷な労働といわれる農耕が始まったのか考えてみたいと思います。本来自然の世界に、「所有」 や 「支配」 という概念はありませんでした。 なぜなら、そんなことばが自然界にはないからです。では、どこから、 「所有」 や 「支配」 という概念が生まれたのでしょうか? それは、ことばからきています。 そのような意味の言葉がなければだれも知らないからです。

では、一体だれが所有と支配という概念を教えたのでしょうか?わたしの独断と偏見かもしれませんが‥それは、「ことばという神」だと考えます。 どうして神かと言うと‥聖書(創世記1章1節)には 「神は天と地を創造された。」 と書いてあります。 ここで神は、自分が自然界を創り、自分の所有物で全てを支配していると宣言しています。 ここで初めて人は、 「所有」 や 「支配」 を知ります。

神が人に支配することを命じたことばを捜してみます。すると‥創世記1章28節にありました。

この個所で神が人々に命じています。 「生めよ。 ふえよ。 地を満たせ。 地を従えよ。 海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 と。支配するとはどういうことでしょう。自分以外の生き物を、自分の所有物にして家畜や奴隷のように扱うことだと思うのです。

神は、「海の魚、空の鳥、地を這う全ても生き物を支配せよ。」と言っていますが‥これこそが滅亡の始まりと言えます。なぜなら‥
@人がたくさんの生き物(家畜)を所有した場合広い土地が必要になり、土地の奪い合いがおこり戦いが始まったりします。
Aまた、家畜を住まわせる小屋をつくったり、糞尿の処理をしたり、病気にならないように気をつけたり、とても大変です。
B家畜の食糧を調達するために農耕して効率よく作物を収穫しなければならなくなります。

つまり、人が何も所有していない時は、人も生き物も自由でした。なのに、生き物を支配する事で、人も生き物も本当の自由を失ってしまいました。


創世記3章17節で神はアダムにこう言いました。 「食べてはならないと命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえに呪われてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。」 と。 しかし、人々が大変な苦労をしているのは、罪のせいではなく、神が言った 「全ての生き物を支配しなさい」 「地を耕しなさい」 ということばを実行したからではないでしょうか。



 カルチャーとは、心を耕すこと

地を耕すこと…それは、自然を破壊するもので、人と生き物から自由を奪うものでした。 では、心を耕す文化はどうなのでしょうか? やはり、「文化」 も自然破壊につながっていくのでしょうか? そのことについて考えてみたいと思います。

まず「文化」とは何かについて考えてみます。

⇒辞書によると
「文化とは、学問、芸出、宗教、道徳など。(主として精神的活動から生み出されたもの。)」 とあります。
次に 「culture」 を辞書で調べてみます。

⇒辞書によると
cultre とは、「文化、精神文明、(その土地・社会の人々の生活・習慣・考え方などの総称)」 「耕作、栽培、飼育」 とあります。

では、culture を解字して詳しく調べてみると…。


cul

「cul」 は、「卓越したもの。 他をしのぐもの(他を押さえつける)。」 という意味です。
ちなみに 「卓」 とは、「普通の水準よりひときわ高く (または早く) ぬきん出て目だつこと」 で、 「越」 とは、 「体をかがめてグッと足をひっかけて乗り越えること」 です。 つまり、 「卓越とは、障害になるものを乗り越え、ひときわ高くひときわ早くぬきん出て目だつこと」 と言えます。


t

「T」 という文字には、 「ぴったり、きっちり、完全、正確」 という意味があります。

ure

「ure」 ⇒動詞の後につけて、名詞をつくります。

culture

つまり 「culture」 とは、 「障害を乗り越えいち早くぬきん出たものが、この混とんとした自然の世界を、数字や文字で正確できっちりしたものに作り変えること」 と解釈できます。



では次に、漢字の 「文化」 という文字を詳しく調べてみたいと思います。


「文」 とは、辞書によると 「表面を飾る、うわべを繕う。」 「象形文字や指事文字のように事物を模様のように描いた文字。」 「文字のこと。」 「文字で書いた手紙。」 「たくみ: 手の込んだ技。 巧み。 匠(大工)。」 などとあります。漢字源では、 「縄文土器につけた模様の1つ」 だそうです。つまり、「文とは、縄でつけた模様のように巧みに描いた文字」と言えます。 そして、この文字が土器の表面を飾るように、文字は人のうわべを繕うもの」 といえます。


漢字源では、『左側の 「イ」 は、立っている人を表し、右側の「ヒ」は妙なポーズに退位を変えた人』 つまり、両者を合わせて 「姿を変えること」 を示した会意文字』 だそうです。

つまり 、『 「化」 とは姿を変えて、もとと違った形になる。』 と言えます。


文化

以上から 「文化とは、もともとあった自然そのものを文明で巧みに飾り、もとと違った形に作り変えていくこと。」 と解釈できます。

例えば、芸術作品とも言える縄文土器。これは、もともと植物を育てる命ある大地でした。それが、水を加えられ、捏ねられ、外側に模様がつけられ、乾燥させられ、最後になんと火で焼かれて作られるのです。つまり、本来の自然を、文明の知恵で‥本来と違ったものに、文明の知恵で造り替えるのです。破壊的カルトと呼ばれる宗教団体はたくさんありますが、文化を破壊的カルトと呼ぶ人は皆無です。しかし、自然と違ったものに造り替えていくものが文化なら、文化は平和的カルトと言えるかもしれません。

しかも、文化によって失った自然は‥もう後戻りできないのですから‥。

( 「土器 = もともとあった自然、土器につけられた縄目 = 人のうわべを繕う文字(文明)」 )


 文化は文明を発達させる

辞書によると文化とは 「精神から生み出されたもので…学問、芸出、宗教、道徳など」 がありました。
では、文明とは、何でしょう。

◆文明の条件は?
@ 文字を持っていること。
A 交通網が進んでいること。
B 都市化が進んでいること。

◆一言で言うと「文明とは」?
「国家的政治体制のもと経済、技術が高度化した文化」 「人知がもたらした技術とそれによって生み出されたもの。」 と言えます。

◆どのようにして文化が文明を発達させたのでしょうか?
創世記1章28節で 「生めよ。 ふえよ。 地を満たせ。 地を従えよ。 海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」 とあるように生き物を所有し家畜化したことと、それによって農耕が始まったことが文明を発達させたのだと思います。 具体的にどのように発達したのか考えてみます。

@
人が家畜を飼ったとき ⇒柵が必要。
家畜小屋が必要。 ⇒柵や家を作る技術が必要。それを作る道具が必要。 ⇒道具を作る技術が必要。 ⇒家や道具などの材料を運ぶ車や車が通る道路が必要。 ⇒車や道路を作る技術が必要

A 農耕が始まって ⇒鍬や鋤などの道具が必要。 ⇒道具を作る技術が必要 ⇒道具の材料を運ぶ車や道路が必要 ⇒車や道路を作る技術が必要。

B 人が生き物を所有したことによって ⇒多くの生き物を所有し、奴隷を持ったものが支配者になる ⇒支配者は王と呼ばれる⇒ それぞれの王が国をつくる ⇒都市や国が建設される ⇒国と国が行き来する交通網が発達する

◆以上から文化は、文明を発達させ自然を破壊させるものであることが分かります。
◆つまりスポーツ、音楽、書道、絵画、語学、華道、茶道、手芸、文学、l料理、演劇などは、文明においては素晴らしい物であるのですが、自然においては、すべて自然破壊に繋がるものであるのです。残念ながら‥。








自然は、区切りがない世界。無限に大きくもあるが、無限に小さくもある世界だった。
        
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