白鳥沙羅のたわごと/文明とは自然とは/文明の象徴ピラミッド





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  文明の象徴 ピラミッド


 『文明の象徴 ピラミッド』  ↓表題をクリック   
栄光と不朽不滅の象徴 7 @ピラミッドの頂点
いつまでも続く身分制度 8 Aピラミッドと宗教(三角形の面)
神と商売がピラミッドで一致 9 Bピラミッドと化学(三角形の面)
神の世界は、お金の世界 10 Cピラミッドと歴史(三角形の面)
ピラミッドと火葬 11 Dピラミッドと文化(三角形の面)
数字で考えるピラミッド 12 Eピラミッドと「単位・基準」(正方形の面)

                                                     

1.



┃栄光と不朽不滅の象徴



光り輝くトップの座。しかし、人は、大地から離れては生きていけない。地味でも命豊かな大地こそ私そのもの


 文明は自然を破壊している

化学物質が原因で体調を崩し … 自然に沿って生きることの大切さを痛感しました。 そして自然を観察しながら … 「自然に沿って生きるとは、何か?」 と考ました。 すると … 文明が自然に沿っていないと言うことが … だんだんと分かってきました。それで … 「文明とは、何か?」 と考えるようになりました。 そして、あれこれと長い間考えていると … ピラミッド … が頭に浮かんできたんです。 たぶん … 古代のピラミッドが、知恵や道具なしに存在したとは考えられなかったからだと思います。 また、周りの環境を見てみると、文明のあるところは … なぜか自然がなくなっていきます。


 ピラミッドパワーは命を損ねる

都会などは … それが顕著にあらわれています。 確かに … ピラミッドの周辺を見てみると … そこに木や草が少なく生き物も見当たりません … 。 とても殺風景な景色が … 広がっています。またピラミッドには、ピラミッドパワーと呼ばれるような力があるそうです。 たとえば … 切れない剃刀の刃が切れるようになったり、果物だと腐らず … 、人間の死体だとミイラになるそうです。他の人が見れば … それをパワーと呼ぶのかもしれませんが … わたしが自然に沿って考えると … そこは、命のない … 場所と言うほかありません。

なぜ果物が腐るのか … ? それは、果物に菌やウィルスのような小さな生き物がいるからだと思うんです … 。 なのに生き物が住めないピラミッドという場所を 「パワー」 と呼ぶなんて!! 私は、命のある大地こそパワーと呼ぶにふさわしい … と思うんです …。 自分の周りに良く切れる剃刀の刃やミイラがたくさんあっても … 命が全くないところで人は生きていけないのですから ( それを商売にする以外には何のメリットもないと思います )。



 腐るところにこそ命がある

自然の世界には、刃物なんてなかった。 だからわたしは思います。果物がいつまでも腐らないより … 果物が鳥や虫が食べられて … その残りが菌やウィルスが食べられて … その結果腐って土になる ほうがいいと。そしてどんどん命が満ち溢れる大地の方がずっといいと …。 わたしは、命のないピラミッドこそ … 文明の中の文明! 文明の象徴! だと思いました。

そして、ピラミッドについていろいろと思いめぐらしていた 、 ある朝のこと 。一気にその謎が … 分かってきました。 私は、それを忘れないようにメモをしました。その内容については … 最後の方で書くことにします。


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2.



┃いつまでも続く身分制度



↑お墓にも身分の違いが…(中央にピラミッドのようなお墓)


 栄光・不朽・不滅について

一般的に 「ピラミッドは、栄光と不朽不滅の象徴」 であると言われていますが…。実は、このピラミッドには、 「文明社会の発達」 と 「自然破壊」 の謎が隠されています 。これらのことをもっと分かりやすくするために辞書を引いて考えてみたいと思います。

では、栄光、不朽、不滅について 、辞書を調べてみます。
「栄光」 ⇒「大きな名誉、輝かしいほまれ」
「不朽」 ⇒「すぐれていて、いつまでも朽ちないこと。 後世まで長く残ること。」
「不滅」 ⇒「滅びないこと。 永久になくならないこと。」

以上からピラミッドとは 「輝かしい栄光や誉れが、いつまでも変わることがない」 ということを… 象徴するものだと分かります。 しかし、腐らない果物について言ったように … いつまでもその姿をとどめることは … 自然の世界では本当の 「死」 を意味することになります。

菌やウイルスのいない世界は … 草も虫も鳥も育ちません。 常在細菌がいて生きている人間も同じです。 自然の世界の生き物を永遠に生きるようにすることは … 自然を殺すことだと思います。 自然には生と死があって土に還り姿をとどめない。 だから … 自然の命はいつまでも続 く…。



 象徴とは

では、 「象徴」 という意味を辞書で調べてみます。すると‥

象徴とは‥「直接自覚できない概念、意味、価値 などを連想させる具体的な物や形によって間接的に表現すること」とあります。

つまり 「大きな名誉」「輝かしい誉れ」 「いつまでも滅びないで永久に続くといった抽象的なことを具現化したのが … ピラミッド」 なのだと思います「象徴」 という文字の意味まで … 「ピラミッド」 の意味とリンクしているようです …。では、象徴の「象」という漢字を解字して考えてみます。


辞書によると 「象」 とは … 「陸にすむ一番大きな獣。 象(ぞう)。」 「かたどる。 形を似せる。 なぞらえる。 」 と言う意味だそうです。


「徴」 を解字すると ⇒『 「微+王」で … 「身分や地位が低い格好をしている人材を王が見つけて、取り上げることを示す。』 だそうです。 と、いうことは … 王が民衆を徴集するときは 「身分が低いもの集まれ〜」 と言っているようなものなんですね。

象徴

以上から、
象徴とは‥「王が身分の低いものを集め、その人々を王自身の形に似せる (なぞらえる) こと」
という意味だと分かります。

神は王の王と言われています。 ですから … ピラミッドの頂点は、神が存在するにふさわしい場所と言って過言ではないと思います。つまり 「象徴」 とは … 神が、取るに足りない身分の低い人間たちを集め、自分自身になぞらえる」 と言う意味になります 。それが、ピラミッドの頂点にいる神 から、下層にいる、最も身分の低い者に至るまで神の意思決定を伝えるというシステム(身分制度 )ができているのではないかと思います。

その神自身を表す身分制度をなぞらえたのが … ピラミッド。 大きなピラミッドの頂点にいる神。そのピラミッドの中に … 一人ひとりが頂点に立つ多くのピラミッド (神と言う身分制度に似せられた)が 存在する …といった感じです。このような 「身分制度を持つ文明社会を象徴するのがピラミッド」 であると …、 調べる中でわかってきました。自然は、全てが一つですから、自然に沿って生きている野生の生き物に身分制度など存在しません。 (かつて文明の知恵を知らなかった野生そのものだった人間もそうだったでしょう。)



 ピラミッドと家畜制度

では、自然 (野生) の世界にいた人々が、どのようにして神の形をした身分制度 (ピラミッド) になぞらえた社会を作れたのでしょうか?。
それは、家畜制度がヒントになっています。どう言うことかと言うと‥。

自然から隔離された動物や植物は、温度、湿度、食糧の種類・質・量などを管理されなければ生きていけません。そのように家畜化された生き物は、支配者が環境を管理し、食糧を与えない限り自分で自由に空腹を満たすことも、住みやすい環境に移動することも許されません。 家畜化された生き物は完全に支配されたことが分かります。

管理することを、英語で「コントロール」という。
そして、この「コントロール」という言葉には、「支配する」という意味がある。

自然の世界は、このように食糧や住居を支配されることによって、神の形をした身分制度 (ピラミッド) に沿って、自然の世界が支配される世界へなぞられていったということが分かります。

大ピラミッド=神>人>家畜>野生の生き物
中ピラミッド=国>政治家>国民
中ピラミッド=会社>社長>社員
小ピラミッド=町長>区長>家長>妻>子ども…など

このような中小のピラミッドが、神を頂点とする大きなピラミッドの中にたくさん築きあげられて行っているのが分かります。
完全に文明に支配された今、人々は自由に好きな環境に住み、自由に好きなものを好きな時間に食べるという … そんな簡単なことが一番むずかしくなっています。では、どのようにして神はこのようなピラミッド(身分制度)を築いていったかと言うと …。

@ 神は、人に神の所有物であると思いこませた。
(本来人は誰にも所有されていない)
A その神が自然の生き物を支配さることを望んでいると思いこませた。
(本来自然は誰にも支配される必要がない)
B その結果人々は、生き物を売り買いし…自然を破壊している。
(本来自然は売り買いしない)
C 結果文明なしでは生きていけないようになった …。
(本来自然は文明など必要としない)

ですから … 所有することや支配することを知らない自然 (野生) の生き物は、身分制度で言うと一番底辺に位置し、いずれ支配されることになります。以下は聖書のことばです。 読んでみると…今まで書いたことが良く理解できます。

神は、 「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地の全てのもの、地をはう全てのものを支配させよう。」 と仰せられた。 (創世記1章26節)

つまり、神は人々に…ことばによって 「身分制度」 を教え … ことばを理解できない自然の生き物を、身分が最も低い者と位置付け … 結果人間が支配してよいと教えました …これによって、神は、人間を通して間接的に自然を支配したのではないかと思うのです。この身分制度は、頂点に行けばいくほど … 楽に、底辺に行けば行くほど … 辛くなる制度です。

この制度で楽になろうとするなら …、競争に打ち勝って頂点を目指さなければなりません。 (たとえ人を蹴落としてでも…。)競争に負けたものや競争に疎いものは、頂点にいる権威者に所有され売り買いされることも…。 そして、頂点へ行けたものは、最高権威者によって 「さらに大きな権力」 を授けられます。

多くの人は、 「神の支配と人の支配は違う」 とか、 「良い支配と悪い支配がある」 とか言います。しかし、支配の本来の意味は 「(食べ物=生きるために必要なものを) 配って支える」 と言う意味なのです。 つまり 「支配される者とは」 … 家畜のように誰かに食べ物を配ってもらわなければ、生きていけない者たちのことをいいます。このように家畜化された生き物は、厳しくされるか優しくされるかの違いがあっても … 少なくとも食事を配る権限のある人の言うこに従わなければならなくなるのです。



 本来生き物は、野生において自由だった

本来野生の生き物は … 自然の中で誰かに食べ物を配ってもらわなくても … 空腹になれば … 森へ行って食べ物を捜して食べて生きていけます。 ですから、野生の生き物は、誰からも支配されていないと言えます。

例) 犬の場合、食糧を飼い主に支配されているので、飼い主の言うことを聞かなくてはなりません。 飼い主が優しくても厳しくても、野生の生き物のように自分で自由に捜して食べれる生き物ではないことが分かります。

多分良い支配と悪い支配を話題にして、論議してしまうのは…、 「人が家畜のように食糧を支配されることを前提」 にしているからです。 本来、生き物は全て余すことなく自由に野や山へいって自由に食べ物を捜して自由に食べて良かったはずです…。 しかし、人は、競争して … 人を蹴飛ばし … 少数の人だけが自由になる道を選んでしまいました。 ですから … 少数の人は、なんとか自由になれても … 大勢の人が奴隷のようにされてしまいました。

結局 … 神が人に自然の生き物を支配させたことでどうなったかと言うと … 人々が、お金と言う経済社会に支配 (お金によって食糧をまかなわれる) されることになってしまった…!!。

このようにして、神は、
人を含めて自然全体を所有し支配することに成功しました…(?)。 だれからも所有されたり支配されることのなかった自然が … 神と言う存在に文字通り所有され支配されてしまうことになってしまった…。 (「 嘘を通し続ければ真実になる」 ということば通りに… )


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3.



┃神と商売/ ピラミッドで一致



神は「安全」を所有し、それを売って商売している                               


神は相対的にみて一番上、つまり頂点にいる者だから、ピラミッドで一致することは、なんとなく理解できます。しかし、、商売がピラミッド一致すると言われても、ピンときません。それで、考えを深めるため下記を読みすすめてください。


 「与える」から「売る」へ意味が変化したselling

マルチ商法という言葉をご存知ですか?マルチ商法とは、連鎖販売取引と言われるものですが、詳しくは省きます。このマルチ商法。は別名ピラミッドセリングとも呼ばれます。それで Pyramid selling (ピラミッドセリング)= multi (マルチ商法) の意味を辞書で調べ、ピラミッドと商売について考えてみようと思います。では、sailingについて辞書で調べてみます。

selling (セリング)

sell の原義は 「与える」 。しかし、のちに 「売る」 に転化したとあります。
sell の意味は 「売る」 「商売する」 「売れる」 「売り込む」 「宣伝する」 などです。
selling は 「販売」 と言う意味。

わたしは sell の意味が最初 「与える」だったのに … のちに 「売る、商売」 に転化されたことに重要な意味があると思っています。
聖書を参考に見てみますと …。 少し理解できるかもしれません。それでちょっと聖書の言葉を参考にしてみたいと思います。

1. 神の所有物 (?) と言われる自然の生き物を人に支配 (与える?) させる。

神は、 「彼ら (人) に、海の魚、空の鳥、家畜、地の全てのもの、地をはう全てのものを支配させよう。」 と仰せられた。(創世記1章26節)

自然の生き物すべてが神のものという考えは一見正しく納得行くわけですが‥。もし、自然が全てで一つの命であるとするなら、本能に沿って生きて調和している自然をわざわざ人間に支配させるという納得いかない考えであるのです。

自分の体で置き換えると、自分の体を支配している私が、ある日、目に体の全てを支配させようというわけです。全てが意識せずに調和しているのに、ひとつのものにコントロールさせるという、不自然な発想がここにあります。

2.神の所有物である自然の生き物を、人間に与え、その 10の1 神に捧げることを、命じる。

「 こうして地の 10分の1 は、地の産物であっても、木の実であっても、みな主のものである」
(レビ記27-30)

「10分の1を主への奉納物としてそなえなさい」 (民数紀18章26節)

自分の体に、捧げ物をしなさいと命じるものはいません。少なくとも自然にはありません。そんなこと言わなくても、本能に沿って生きるだけで、自然は完璧に動いているからです。外から、いちいち言葉で、命令する必要がないわけです。自然は、そういうものだと思うのですが‥。

3、 献金とは (商売で儲けた) お金を神に捧げるさせる …。

商売するためには、自然を所有して売り買いしなければなりません。つまり、商売をすることは、自然破壊につながっていることが分かります。しかし、神は … そのようなお金のシステムを拒否することなく逆に喜んでお金を捧げることを人に勧めているのです。以下を読んでみますと、貧乏人は、全てを捧げることで「信仰」という名のもとに賞賛は受けます。しかし、その賞賛は、命を失わせることばでもあるのです。

この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん、投げ入れました。 みなは、有り余る中から投げ入れたのに、この女は、貧しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。 (マルコ12章43節)

以上から …

Selling の意味が ⇒与える〜 ⇒〜商売に転化したように、 神は勝手に自然を所有しそれを人に与え (所有させ) …→商売で売り買いさせ …→商売で儲けたお金を神に捧げさせる (国に納める税金、銀行に支払う利息も含める) に変化しています。

与えられる →所有する (家畜など) →商売する →捧げるつまり… →お金を捧げるためには … 「与えられ … 所有し … 売り買いして … 儲けて … 捧げる」 といった流れに変化していったみたいな …。 神の思いと selling の意味が一致しています。



←頂点(王の王=神

ピラミッドは、身分制度を持つ文明社会を表すものです。 所有することや支配することを知らない自然の生き物は … その身分制度の底辺に位置しています。


神を喜ばせるためには、底辺の自然の生き物を所有し、売り買いして、儲けて … 献金を捧げなければなりません。


つまり … 人は神を喜ばせるため、積極的に自然を破壊し続けなければなりません …。








 下へ行くほど数が多くなっていくマルチ

ピラミッドセリングのことをマルチ商法と言うそうですが。 このマルチとは、単に 「多い、多数」という意味だけなのだそうです。 イメージとしては、ピラミッドのような三角形の頂点から下へ行くほど数が多くなるといった感じです。だったら、どんな商売もマルチと言えそうですが‥。

どうして、マルチ商法って一般の商売と分けて、考えるのでしょう。どちらも、自然にとっては有害なのに 。どうしても…マルチ商法だけが悪いと言ってイメージに聞こえます。


Multi(マルチ商法

では、マルチ商法とは何か、しれべてみると‥
マルチ商法とは:「加入者が他の人を次々と組織に参加させ、ピラミッド式に販売組織を拡大させていくような商法のこと」とありました。

世間では、マルチ商法とそれ以外の商売には差があり、他の商売はマルチ商法と違って良い商売のように言います。 … しかし、私にとっては、自然を破壊しながら行われる商売に良い商売などないと思っています。 結局、合法か違法の違いで … 商売はみな、おおざっぱに言うと、マルチ商法であり、ピラミッドセリングだと思います。販売者がトップにいて、それを販売業者に売って … それを消費者に売るわけですから …。下へ行くほど数が多くなっています。


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4.


┃神の世界は、お金の世界




↑金のしゃちほこ(大阪城内で展示)


 神の言葉(God Word)=お金の世界(Gold World)

なぜ、この世界に貧富の差があるのか … 疑問に思いませんか? わたしは、自然 (野生) と文明を見つめながら考え …、またいろいろと調べて見ました。 そして分かったこと。 それは、お金のシステムは、貧富の差を作り、しかも不自然であり自然を破壊していくものだと言うことが分かったのです。それなのに、どの宗教もお金自体を否定することはありません。 むしろ 「お金はどう使うかが問題」 と言う風に問題をすり替えて、お金のシステムを勧めています。 お金という捧げもので成り立っている宗教なのですから 「当然と言えば当然」 なのですが …。

ですから、宗教もお金も文明を進めることに貢献しても、自然を破壊し人々を苦しめていることに変わりないと思います。

なぜ、 「神の言葉=God Word」 に注目したか? と言うと、神は、ことばでこの世界を造ったと言うからです。 なんかもっともらしな〜とも思いますが …。 確信を持つことはなかなかできないと思います。なぜなら … だれも、その日その時を知らないのですから …。 自分が生まれたばかりのことすら分からないのに、何千年も前の事言われても … って感じです。 ですから、逆に騙すほうからすれば、騙しやすいとも言えます。

ところで …
GOD ⇒ GOLD 
GOD (神 )に L を加えるだけで GOLD (金) になります。 そして、金はお金のことを意味します。
WORD ⇒ WORLD
WORD (ことば に L を加えるだけで WORLD (世界) になります。

不思議ですが、 GODとWORD に L を挿入すると、 GOLD と WORLD になって 「神のことば⇒お金の世界」っ て言うことができます。 では、挿入した L ってなんでしょう?わたしは、この L は LORD の L だと解釈しています。 このLORDは、 「パンを守る人」 が原義です。

つまり 「貴族、長、神」 が、食べ物を守る (支配=食を配って支える) ことだと思います。 ちなみにキリストのことを LORD とも言います。 王の王、主の主ですから全てのピラミッドの頂点がキリストと言えるのだと思います。


 まとめ

神のことばは、命が循環する自然の世界をお金の循環で破壊し作り変えた。。 自然 (野生のまま) の世界には、金に価値があると誰も考えませんし、本能という自然の声に従うだけだったら、お金など必要ないからです。 つまり、この野生のままの世界を 「お金 (gold) の世界」 に作り変えるには、 「LORD (パンを守る人) =キリスト: 食糧を支配する者」が必要だったと言うことなのだと思います。 (ちなみに、キリストは聖書の中で自分自身のことを 「代価」=「お金」 と言っています。)

お金のシステをが理解するには、以下が理解できないといけません。 はたして、野生の生き物にそれが理解できるでしょうか? @交換する意味が理解できる A価値が分かる B数字が理解できる

goldには、「金」 という意味の他に、 「お金」 と言う意味があります








5.


┃ピラミッドと火葬


                          

↑物を燃やした後。菌は?虫は?鳥は?動物は?木は?草は?‥命が‥


 丸焦げにされた三角形のパン

ピラミッドの語源について調べてみると‥ピラミッドの語源は、ギリシャ語の pyramis (ピラミス) だと言われています。ギリシャ語の Pyramis (ピラミス) とは、… 「三角形」 という意味で、それ以外にも 「三角形の焼いたパン」 と言う意味もあります。 私は、日本で十五夜のとき … 月にお団子を捧げる風景をイメージしてしまいました。 そのお膳に乗ったお団子が何ともピラミッドの形に並べて積み上げているので驚きます。

そして、ここに興味深い物語 (ギリシャ神話) があるので紹介します…。
バビロニア人の pyramusu (ピラムス) が、フェニキア人のフェニックス (不死鳥という意味) に恋をするという物語です。 ピラムスは、恋人フェニックスがライオンに殺されたと思って … ピラムスは自殺をして死んでしまうのです。 しかし、フェニックスは、不死鳥だったため何度でもよみがえる …

という物語です。 エジブトの神話では、 「フェニックス」 とは、5,6百年ごとに一度、自ら香木を積み重ねて火をつけて焼死し、その灰の中から再び幼鳥となって現れるといわれています。 不死鳥という物語。 一見美しい愛の物語のようですが … もし自分のことを不死であると知っているとしたら … フェニックスはピラミスを死へ向かわせるように仕向けたとも言えます。つまり、ピラミスを騙したのではないかと。 ピラミスは、キリストが自ら十字架にかかることで … 人々を十字架に向かわせるように仕向けた (?) のとよく似ています。 キリストも、自分が不死であることを知っていたのですから …。それなのに、不死ではない人間に対し、「わたしについてきなさい」と呼びかけたのですから。

それから、キリストがこの世にきた目的が、興味深いので書いておきます。↓
「わたしは(キリスト)は、火を地上に投じに来たのだ」(ルカ12:49)

文字通り、地球を丸焦げにしに来たんですね。ピラミス‥三角形の頂点にたつものが、人々をだまし、地球を丸焦げにする。原発が全世界に散りばめられていく様子をみると、本当にそうなりそうで‥。単なる物語では済まされないような、そんな気がするのです。


 自然を妬む神

わたしは、この物語で、勘違いをして自殺したピラムスが … バビロニア人であったことは、重要なポイントだと思っています。 これから … バビロンという単語を解字して調べると … 分かってきます。 では、現在使われているバビロン Babylon という文字を見てみます…。

Babylon → Baby(赤ちゃん) + lon(一人ぼっち)

Baby とは、 「赤ん坊」 とか 「世間知らず」 という意味。つ まり、 『ことばを理解できず 「バブバブ」 というだけの者たち』 という意味になります。 ここから baby とは、ことばが理解できない生き物と考えていいと思います。 つまり … 自然。 それも、バブバブと言う本能だけの存在なのに調和して美しい自然に … ことばを話す知恵のある神が … 自然をねたんで皮肉を込めてつけたことばではないかと思っています。あるいは、文明の知恵を覚えることで、本当のお母さん(本能)を失って、孤児になってしまった、人間という意味かもしれません。

↓旧約聖書の出エジプト記(20:5〜6)
わたしは、ねたむ神であるから、わたしの憎むものには、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。(出エジブト20:5〜6節)

自然の世界は、ことばがなくても、調和して美しい。 それは 、 自然が全てで一つの命だから …。 ことばなんてなくても 、 分かりあえる関係だから 。 だから 、 自然の世界には 、神のように、憎んだり、罰したり、恵んだりするものがいないのだと思う …。

Bavylon の lon とは、 「孤立、孤独、寂れる」 などを暗示。

歴史的には、自分の国を 「神の門 (Bab-ilim) 」 と誇っていたバビロンですが …。 その後、バビロンはペルシャ帝国に滅ぼされてしまいます。 そして、度重なる洪水などによって破壊され寂しい土地となってしまいました。ですから … lon は、神がこの調和された自然の世界を … いつかあのバビロンのように破壊し寂しい土地にしようという … 強い意志が込められている文字ではないかと … 考えています。

「倒れた。 大いなるバビロンは倒れた。…」 (黙示録18章2節)
「大きな都バビロンは、このように激しく打ち倒されて、もはやなくなって消えうせてしまう。」 (黙示録18章21節)

ここで言うバビロンは、歴史的バビロンではありません。大いなるバビロンです。わたしは地球そのものだと思っています。この地上に火を投じに来たのですから、自然が壊れるに決まっています。自然が倒れ、消え失せたことを‥喜んでいるんだと思います。地球を救うためにきたウルトラマンが森を踏み倒して宇宙に戻っていくのを見て、救いではなく破壊ではないかと思ったものでした。

文明が発達する と… なぜか自然が破壊されていきます …。そもそも自然の世界は、文字も数字も道具も使う知恵など必要ありませんでした。 それで、自然は調和して美しかったのですから …。 このような知恵はなくて良かったのです。 それなのに、神は自然を自分が造ったと言うことにして所有し … 数字や文字などの知恵で自然を破壊しているのですから …。 (ではなぜ、神が自然を敵としたのか? それはまた別のページで述べたいと思います。)


 神と文字とフェニキア人


フェニックスがフェニキア人であったことも重要だと考えます。 それは、フェニキア人は、言語的にみればカナン人の流れをくんでいて … 彼らの使っていた文字が多くの言語 (アルファベット) の起源になっているからです。 ここから … フェニキア人こそ … 「ことばそのもの」 … 神 (の象徴) と言っていいのではないでしょうか? しかもフェニキア人の語源はフェニックスでフェニックスは不死鳥で不死鳥とは、永遠に死なない鳥と言うことですから …。

以上からから、 「ピラムス=調和した自然」 、 「フェニックス=神」 と置き換えて考えてみると …。 神に恋をした自然は、愛する神が死んだと思って … 自ら死んでしまう。 ということになります。もっと分かりやすくするために 「ピラムス=人間 (唯一ことばを理解した自然の生き物)」 で、「本当に死んでしまったのが=自然全体」 だと考えれば … 更に良く分かってきます。つまり‥

『神に恋をした人間は、 … 神の御子が自分の身代わりに十字架で死んでしまったと勘違いをする。 … そして、人間は、自分そのものである自然をお金に換えて、貢いでいく‥ (自殺行為)。 … その結果自分と一体である自然の全てを失ってしまった。』
という意味ではないかと思います。

自然では死も生も区別がありませんなぜなら … 自然には、草を食べる虫がいて、その虫を食べる鳥がいて、その鳥の死骸を食べる虫もいて、虫の糞を食べる虫もいるからです。 だから … 生と死の両方があって自然は生きている命と言えると思うのです。 しかし、神はいのちを死と生に分け … 。そして、死ぬことは … 罪の刑罰であり、永遠の命は、祝福であると教えたのです。 つまり、自然の生き物である人間に 、 死より生の方がいいと嘘を教えたのです。 そして、それを信じた人たちは … 永遠に生きるために 、 キリストが自ら命を神に捧げたように 、 自分の罪の贖いとして神に自然を捧げ尽したのです。まるで恋するものに貢ぎ尽くす女の人(あるいは男の人)のように。



 火葬場

子供の頃、海の近くに森があって‥。そこはうちと目と鼻の先。よく友達と行って遊んでいたのですが、森の中央に丸く大きな穴があいていました。そんなに深くはなくて、なんだろうって言いながら、深みに入ったりしていました。後で母に聞いてみると、その大きな丸い穴は、昔死んだ子供を燃やすところだったと聞きました。つまり簡易火葬場だったのです。

なぜこんな話をしたかと言うと‥実は、ピラミッドは火葬と関係があるのです。それを説明するために… pyramid (ピラミッド) を解字して 、考えを深めてみたいと思います。

pyramid ⇒ pyr + mid

pyrとは、「加熱処理するもの」と言う意味です。
midとは、「中央」と言う意味。
つまり

ピラミッドとは ⇒(ピラミッドの) 中央で加熱処理する … という意味。

ピラミッドは 「古代ギリシャで焼かれていた三角のパン」 を意味するそうです。 … 日本では 「三角に積まれた丸いお団子」 を連想します …。 聖書では、 「人間の肉をパン」 と表現したりします。 つまり、 「人間がピラミッド状に三角形に積まれ、加熱処理をされ、神に捧げられる」こと … と理解できます。 (実際、ピラミッド内部に入った体験のある人の話では、すごく乾燥して埃っぽくて暑かったそうです。 もし、そこに閉じ込められたら … 焼かれたパンのようになるのかもしれません。)

海底遺跡のある沖縄県で見つかった石版には 鳥を囲んだ ピラミッド のようなものから煙のようなものが立ち上がってりる様子が刻まれており、このことから海底遺跡の ピラミッドは火葬場 とも言われています。つまり、ピラミッドは神殿で、神に生贄を捧げる祭壇ではないでしょうか? 事実 … メキシコのピラミッドでは、頂上に神殿があり、そこで生贄をささげていたそうです。

↓聖書には、こんなことばがあります。

このいのちの書に名がしるされていない者はみな、火の池に投げ込まれた。 (ヨハネの黙示録20:15)

現代の日本において … 亡くなった人のほとんどは火葬されます。 どうして人は … 亡くなった人を簡単に火葬するのでしょうか? 自然に沿って考えると …。 人の体の中には常在細菌やウイルスが生きています。 また、人間の死んだ体は … 自然の食べ物でもあるのです。 生き物が生まれそして死ぬ …。 生き物が食べて食べられる …。 だから自然に命がある…。 なのに、燃やしてしまうと言うことは … 自然の命の循環を止めてしまうことになります。

ですから 、 神が自然と一致しているのなら 、 生き物(生ゴミと言われるものを含め)を燃やすなんてことをしないと思います。 文明の歴史の始まりの時に既に火葬場があったと言うことに…涙…です。


 本当の今

自然から離れ、文明の中で生きている人は、よくこんなことを言います。「未来を考えず、過去を振り返らず、今をいきなさい。」と‥。しかし、人が焼かれ、生き物が焼かれ、地球が焼かれてしまうのなら‥空しくありませんか?二度と戻れない完全な滅びがある未来にどんな希望があるでしょう。

まるで、今生きているのは、将来「全てを失うため」ではありませんか!!

自然本来生き物が、(野生において)本当の今を生きられるのは、死んでも木や草を育む命ある大地になれるからではないでしょうか?

自然の生き物は、本来「生きる命」と「死んで木や草を育む命」を同時に持っています。つまり、生きるも、死ぬも同じ命の中を生きており、常に終わりのない「今」を生きていると言えます。私たち人間が文明と関わらず、自然に沿って生きていたなら、常に終わりのない「本当の今」を生きることができたと思います.。






6.


┃数字で考えるピラミッド




かたや計算尽くされたピラミッド。かたや言葉や数字で表せない自然。


 自然の世界は数字や文字で表せない

わたしは、自然を 「数字や文字ではっきりと表すことができない無限の世界」 だと思っています。 たぶん自然の生き物は、 「数字と数字の間」にある無限を体感しているから … 数字なんていらないのだと思います。 自然の生き物は数字や文字がなくても十分生きていけるのですから …。

また限りのない無限と言う世界 (自然) は、無限が故に始まりもなければ終わりもありません。だから、 「創造者」 という存在がいて 「光よあれ〜」 と言って始まることもないのです。 ですから、 「光よあれ〜」 と言って始まったのは実は 「無限である自然の世界」 ではなく、数字と文字で表せる 「文明の世界」 が始まったと言えます。 もともと無限には光も闇もあったわけですから ‥。

かつて人間も、野生の中で過ごしていたわけで … 他の野生の生き物同様
文字も数字もいらなかった存在でした。 ですから不必要な数字や文字を人間が知ったことが、 「そもそもの誤りの出発だった」 のではないでしょうか?


 数字や言葉は相対的

数字があるから、相対的に比較するようになる。そして、相対的なことばで 「大きい」 「小さい」 とか、 「身分が高い」 「身分が低い」 とか、 「美しい」 「醜い」 ってことを考えるようになる …。自然の世界は、全てで一つの世界なので ‥ それぞれが比べる必要はありません。 自然は、比較や差別がない世界なのです。 ですから、選ばれることもありませんが、落とされると言うこともありません。 有頂天になることもありませんが、劣等感で苦しむこともありません。


 不思議なゼロ

特に数字で不可思議なのが 「0(ゼロ)」 と言う数字。 (数字は全て不自然なのですが… )どう言うことかと言うと。今までは、あるものに「名前」があった …。 しかし、ないものに名前を付けた…。 「0(ゼロ)」 と…。 だから世の中更にややこしくなった。

それで、こんなことが言えるようになるのです …。( ないものを 「ある」 と言うふうに… )例えば、何もない掌を見せて ‥ 「手の上にあるのが見えますか?」 って質問したとします。 何もないわけですから ‥ 「何も見えません」 って答えます。 当然です。 しかし、その人は、こう言うのです。 「0(ゼロ) があります。」 って。 ないのに、あると言う言葉を使うことができるのです。 ますます数字が巧妙になりますね ‥。

しかし、 0(ゼロ) があるって言われたら ‥ 「なによ」 って怒りだす人もいるかもしれませんね。でも、 0(ゼロ) を 「愛」 って置き換えたらどうでしょう?たとえばさっきの人が何もない掌を見せて 「僕には君にあげるものは何もない。 しかし、この手には、君のために一生懸命働いた愛が詰まっている」 といったとします。すると … その掌を見た女の人は、なにも受け取らずに、ことば一つで 「感動」 するのです。 怒りだすどころか ‥ なんか暖かい気分になるのです。 これが、ことばのトリックなのです。 しかも、相対的に身分の高い人、価値ある人から言われたら ‥ もうメロメロになってしまうかもしれません。

だから、ないのにあるように表現できる言葉 ⇒「信仰、希望、愛」 って ‥ 宝石のようなキラキラ光るものがあるように見せかけることができる魔法の言葉なのです。

(キラキラ光る宝石は、文明社会では価値がありますが ‥ 野生の世界では、食べられないただの石と全く同じで生き物にその価値の高さは分かりません。 同じように野生の生き物は、食べられない 「信仰、希望、愛‥」 のような言葉の価値の高さは分からないのです。ですから、野生の生き物は、数字や文字のトリックに騙されることはないのだと思います。



 さらに不思議なマイナス

また、 「0 (ゼロ) 」 よりややこしい 「マイナス」 …。こんな数字必要ですか?あなたには、財産がマイナス 1000万円 あるって。 おかしな話です。 でも、今は全然驚いたりしません。 国の財産の方がずっと大きなマイナスの数字なのですから …。 もし、人が マイナスが理解できなかったら、今頃借金で国も我が家も苦しまないで済んだでしょうに…。


 計算し尽くされたピラミッド構造

数字がいかに無駄な知恵であり、その無駄な知恵で自分たちが苦しんでいるか理解できると思います。以上の事を踏まえたうえで、@ピラミッドは、数字と文字がなければ絶対建設できなかったということ。 A「神と文明」は一致するが、「神と自然」は一致しないと言うことを考えながら読んでみてください。

計算され尽くした建物と言われる理由

@ ピラミッドの真上から見るとほぼ正方形。 その誤差わずか20センチ。 1%以下の誤差。
A ピラミッドの斜面の角度52度。 半端な角度で石を積むのは至難の業。
B 2度という角度で石を積むから平面を赤道に置くと頂点が北極点に当たる。
C フク王のピラミッドは、高さが147メートルあり、320万個の石を積み上げてできている。 1個の石の平均の重さは約25kg。 これを人力で運ぶとすれば傾斜5度が限界。
D ピラミッドの高さを10億倍すると地球から太陽までの距離になる。
E ギザの3つのピラミッド。 これは、オリオン座の3つの星の位置と同じ。 と言うことは、ナイル川は、天の川と同じ位置になる。 (ピラミッドを作った人物は、ギザに巨大な宇宙地図を描いたのだ。)

以上から、ピラミッドがどれだけ計算つくされて作られた建物であるかが分かると思います。 25kgの石を人力で運べる限度が5度ならば ‥ どうやってそれを運んだのだろうと、その知恵に驚くのです。しかし、それがどんなに素晴らしい知恵で石を運んだにせよ、またそこに築かれたピラミッドが正確な宇宙地図であったにせよ、計算されずに既にあった 「地球」 や 「惑星」 などを含む宇宙そのものがすごいのです。 つまりそのすごい無限の世界に自分自身が含まれ 「無限の命」 「無限の体」 と一体になっているのですから ‥ 敢えて自分の力で偽物を作り出す必要はないわけです。

人は、絵に書いた顔を自分だとか○○さんだとか言います。 また、写真を見て、自分だとか○○さんだとも言います。 また、鏡に映った顔を自分だとか○○さんだとか言います。 しかし、絵に描いた自分も、写真に映った自分も、鏡に映った自分も … 本当の自分とは違うのです。 どんなに精巧描かれていても、どんなに精巧に映し出されていても … それは自分と全く違ったものなのです。

「すごい」 とか 「すごくない」 という、そんな言葉は何度も使いたくないのですが ‥。 計算つくされていないのに調和しているそのままの自然の世界がすごいのです。しかし、人は計算をして調和した自然を真似て作りたい 「自分たちの手で‥」 そう思っているから、計算して宇宙の地図を書けた人をすごいと言うわけです。

なぜ人は、そこに自然をなぞりたいのか?それは、素晴らしいと言われる自然を真似て新しいものを自分が創造し、自分が人々に「褒め讃えられたい」その一言に尽きると思います。自分が絵を書くのも、自分が音楽を作るのも … 自然をなぞり自然を超えることで、自分が自然以上に素晴らしくなれたと錯覚するからです。 つまり、人は相対的な言葉や数字を知ったために 「自然と言う調和して美しい世界」 と張り合っているのではないでしょうか。 (自然は相対的な言葉や数字が無いので … 張り合ったりしませんから一人相撲って感じですが ‥ )

その他、ピラミッドの特徴
@ 底面が正方形の四角錐。
A 3角形の4つの面はそれぞれ、東西南北をむいている。
B 斜面は52度。
C 切り石(石灰岩)を水平に積み上げる。
D ピラミッドのほぼ中央にある玄室には、石棺の中に遺体が納められている。
E 通路は、花こう岩の落とし戸や詰石でふさがれ、入口も積み石で隠されている。

数字と文字という文明の知恵がなければ築けなかったピラミッド
  







7.


┃@ピラミッドの頂点




↑文明を知った人は住みやすい大地よりも、上を好む。空をそして宇宙を‥。見てください。教会の屋根はまるでピラミッドのようです。しかもその頂点は十字架(お墓)。人々が競争して行き着く頂点は、お墓ってことなのでしょうか。かつてヨハネとペテロが競って向かったところはお墓だった。しかも二人が競争して到達したお墓は空っぽのお墓だった。何のために人は、空っぽのお墓を目指して虚しい競争をしているのでしょう。


 頂点:最も生き難い場所

ピラミッドは四角錐のかたちをしています。 その頂点は一つ。 「頂点」 という意味は、 「もっとも高い所で、これ以上はないと言う極限」。 登山家が登頂したのをよくテレビで見ますが‥。 あんなに頑張ったのに … 立つのがやっとの面積しかありません。 本当に 「極限」 です。眺めは良いかもしれませんが ‥ 立つのがやっとの場所。 だから、 「一番、生きていきにくいところ」とも言えます。 こんなところに辛い競争してまで行こうとするのなら? ほんとうに人間って馬鹿ですね。

ちなみに 「馬鹿」 とは ‥「馬」 は向こうみずに突き進む。 「鹿」 は帝位の事で ‥。 つまり、馬鹿とは ‥ 「向こうみずに帝位を求めて突き進む事。 頂点と言う、一番住みにくい所へ、 「帝位」 があると思っただけで向こうみずにつき進めるのですから‥。


 天国もまた生き難い場所

頂点には、全ての総支配者である神がいるのですが‥。 そこは、 「天国」 とか 「パラダイス」 と言われます。では、天国ってどんなところでしょう?黙示録 (21:16) を読んでみますと‥ 「都は四角形で、その長さと幅は同じである 。彼がそのさおで都を測ると、1万2千スタディオン であった。 長さも幅も高さも同じである。」 とあります。 つまり、縦、横、高さが同じ長さの正立方体です。 一辺が2000スタディオン。だ いたい日本がすっぽり入る面積だとか‥。広いと思うでしょう?しかし、よく考えてください。丸い地球の上で‥無限に広がる世界と‥四角く限られた枠の中。どちらが広いですか?答えは明らかです。

↓聖書によれば‥天国はこんなところです。
太陽がない。
月がない。
夜がない。
都の大通りは純金。
12種類の実がなる命の木が二本。 (毎月実がなる)
都の門は一日中閉じられることがない。 夜がないからである。

こんな感じで読んでいくと‥うちの子たちは 「コンビニみたいだ」 っていうのです。24時間営業をしているコンビニは、一日中閉じられることがない天国みたいです。また、建物の中なので太陽も、月もありません。 電灯があれば太陽も月も要りません。しかも、それを支えるのは、中央を流れる純金(お金)。現在人々は、お金の循環(経済)の流れで支えられています。そして食べ物は、月々に実のなる木のように月収という実(報酬)で‥。 (ときどきボーナスという報酬も)

もしかしたら … 聖書の天国とは、もうすでに 「実現」 している文明社会のことかも …。自然の中で、文字も数字も知らず ‥ ただ本能に任せて生きていただけの人々。 のほほんとして、気楽に生きていた人々が‥。 文字や数字を知り、先を予測し ‥ 危険から免れようと ‥ 自然では、手にいれられない火を使い、自然にはなかった 「金属鉄」 を作り出し、そして、自然になかった道具を作って、自然にない家に住み、家の中でともしていた火が電気に変わり‥、 夜も昼も明るく過ごしている現代。まさに天国なのかもしれない。

多くの人が 「帝位 (地位と名誉と財産) 」 を目指して競争してたどりついたところ。 そこが、神の住む頂点。 つまり 「天国」 か〜。もし、ここが文明の 「頂点」 であるなら‥。 一番住みにくい所であるはず。現在私が生きている究極の文明社会こそ、 「お金」 に、 「法律」 にがんじがらめになって身動きのできない ‥ 住みにくい所である。



 パラダイスとは?

paradise(パラダイス)とはいったいどんなところでしょう。

それでは、paradiceについて調べてみたいと思います。辞書を調べると、park が原義だとあります。

park は「公園」っていう意味。
park‥の原義は‥、「囲い地」 。

つまり ‥ パラダイスとは 「囲われた所」 という意味なんですね。じゃー、畑も、田んぼも家畜小屋も。 そして、家やお店や会社や病院やお墓も。 村や町や国も‥。 み〜んなパラダイスってこと?なんか文明が持ち込んだもんばっかりだ〜。 地上の天国と言われる 「エデンの園」 も囲われたところだしね‥。だったら ‥ 多くの人が 「思い違いをしていた」 のではないでしょうか?

わたしは、所有して囲いのある限られた所で生きる人々より ‥ 所有せず、境界線のない丸い地球で寝て起きて食べて生活している生き物の方が、ずっと自由で楽しそうに見えます。もし、そこが本当に楽しいのだったら ‥ どうして人は競争してまで、囲われたパラダイスに行きたがっているのかと思います。

では、パラダイスに隠された意味を知るために ‥ 「paradise (パラダイス)」 を解字して考えてみます。

「para」 は ⇒ 中心から放射状に出ているイメージ。 パラソル (傘) とか、パラボラアンテナとか のように 。
「dis」 は ⇒ 「〜の反対」という意味です。
「e」 は ⇒ わたしの独断ですが 「eat」 の 「e」 ではないかと‥。
ちなみに「eat」 とは ⇒ 「食べる」 と言う意味と以外に「困らせる」 「悩ませる」 という意味があります。

グーグルで上空から地球を眺めてみると‥ 「自然と思っていた田畑」 が虫が喰ったように地球を浸食しています。 こうなったのは、人々が神に捧げて食べてもらおうと、大地を所有し 農耕を始め 、神のいる頂点目指してお互い競争し始めた結果ではないでしょうか?

最後に paradise (パラダイス) の dise (ダイス) と同じ発音に dice (ダイス) があります。このdiceは、サイコロという意味です。上記でも述べましたが ‥ 聖書の黙示録に天国のかたちが書いてありますが、天国はまさにサイコロなのです。

都 (天国) は四角で、その長さと幅は同じである。 彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。 長さも幅も高さも同じである。 (黙21:16)

天国の一辺が、一万二千スタディオンは、約2000Km 。 つまり、天国は日本列島が入るくらいのサイコロ状の立方体だと書いています。 しかも、中に閉じ込められた状態なのです。 天国って 「点国(小さいので)」 …いや 「天獄」。 つまり 「牢獄」。神は羊の飼い主。 飼われた羊は、家畜小屋。 丸い地球にいながら四角い檻の中‥。限られた枠の中と言うのがいかにも文明の世界って感じがします。 「パラダイス」 って無限の広がりである自然とは全く違った世界のようです。


 バプテスマに隠された意(私の解釈)

バプテスマとは、キリスト教の儀式の一つで、神を信じたと言う証しのために行うものです。 神にそむいていた古い自分に死んで、神に従うという新しい自分に生まれた事を意味します。

では、もともとのバプテスマとは、どう言う意味でしょうか? ⇒「浸す」 または 「沈める」 という意味のギリシャ語を語源とすることば。 つまり、 「死、埋葬、復活」を 象徴し、水に沈めることによってのみ、これらを象徴することができる (聖書辞典) 」という意味があります。聖書によるとバプテスマには3種類あって、一つは 「水のバプテスマ」。 二つ目は 「聖霊のバプテスマ」。 三つ目は 「火のバプテスマ」 です。
では、それぞれについて考えて見たいと思います。

一つは、水のバプテスマと言って、40日40夜の雨で洪水となり 「地球」 が水浸しになる出来事です。 (創世記7章19〜24) ⇒つまり、 『文明の知恵で作ったノアの箱舟が一部の動物と一部の (神を信じた) 人間のみだけを救った。 このことにより、野生で生きていた多くの人々が死に、埋葬され、 「文明という新しい世界」 に復活したということです。』

次は、聖霊のバプテスマと言って、人の体 (土の器) が神の霊 (神のことば) に浸される出来事です。 (使徒2:4) ⇒『文明の知恵そのものであるキリストの霊 (聖霊) によって信じた一部の人々の 「魂」 を 「罪によって滅びゆく肉体」から救う。』 というもの。 このことにより 「文明に沿って生きていけない未開人」 や 「数字や文字を知らない者の世界」 が死んで葬られ 「文明に沿って生きて行く者だけの世界」 に復活したということです。 (塩で保存するように、文明の力のみで保存された人々)

最後に火のバプテスマと言って、 「地球」 が火だるまになるという (未来に来ると言う) 出来事です。 つまり、 『文明の知恵で作った宇宙船 (天国) に乗った一部の動物と人間が燃える地球から救われる。』 このことにより、丸い地球という生き物の住処が死んで葬られ 「文明の頂点に用意された ‥ 四角い宇宙船という小さな牢獄のような世界」 に復活したということです。

1900年代になって宇宙開発が盛んになりました。現在はNASAの宇宙飛行士として日本人も参加するほどになっています。それでも私は、地上ほど住みやすい所はないと思っています。 もし、文明以前の世界が広がっているなら、なんてすばらしいのでしょう。丸い地球の上です。 所有もなければ競争もない。 支配者もなければ、法律もない。 いいですね〜。

もし、宇宙船に乗って宇宙に行っても、建物の中。 一歩も外に出ることができません。 出ることは「死」を意味するからです。 文明の発達した現在、四角い建物の中で四六時中働いていましたが ‥ 休みの日はまだ自由に外に出ることができます。 しかし、宇宙船は違う。 もう二度と外へ自由に出ることができない…。 もし、文字も数字も知らなければ ‥ 宇宙開発などあり得なかったし、イメージすらできなかったことでしょう。

聖書にこう書いてあります。「勝利を得るものを、わたしの神の聖所の柱としよう。 彼はもはや決して外に出て行くことはない。 (黙示3章12章)」 と。競争に打ち勝って勝利したのに、 「柱」 にされて、決して外に出れないなんて!!!しかし、キリストは「わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。 火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。 (ルカ12:49)」 と言う。

l地球が火だるまだったら良かったのに … って言っているようなものです。 だから、火を地上に投じに来たと …。 大きなお世話ですよね。 「救いに」 来たって言っていますが、それだったら 「破壊しに来た」 んじゃないですか!。しかも、キリストは 「あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。 あなたがたに言っておく。そうではない。 むしろ分裂である。 (ルカ12:5) 」 と言うのです。「分裂」 つまり 「破壊」 しに来たって言っているようなものです。 ちゃんと言っているじゃありませんか‥。火だるまになって破壊されていく地球から救われるには、狭苦しい天国。 いや牢獄 ‥ それを言うなら天獄に行くしかないのです。

やっぱり、 「頂点」 や 「天国」 や 「パラダイス」 は ‥ 大変なところなんだ!もう、これ以上進みたくない。 もし、引き返すことができるのなら‥。 引き返したい。何度も言うように ‥ 自然は無限。 自然にある全てのものが失われることは決してありません。 人が 「わたし」 という所有する意味のことばを失った時 ‥ 自然と一体になれるのだと思います。 それが分かれば ‥ もともと一体だったって分かるのですが‥。 ことばがその真実を隠していたと言えます。ただ、最後に近づくほど、残された人々の苦しみが増していくのは明らか!!


 「1」という数字が意味するもの


「1」は、唯一の存在で 「絶対」 ( 「完全」 「支配者」 「王冠」 ) を表します。


「絶対」 とは、 「他に並ぶものがない」 「何物にも比較されないこと」「 比較や対立を絶した存在」 とあります。これを読むと、 「絶対」 は、相対的でないとイメージしてしまいそうです。しかし、そうでは有りません。たとえば 「絶対と言われる王様」。 それは、多くの人々と相対的に比較した結果、何者にも並ぶものがなかったと言う結果 「絶対」 という存在になったからです。ですから、神が絶対って言うのも、比較した結果、だれもそれにかなわなかった ‥ 比較した結果誰も神に並ぶ物もそれを超えるものもいなかったってことだと思うのです。

「神は、王の王。主の主。」 と言う表現を見ると、相対的頂点に座する者ってことが分かります。ですから、 「絶対的な者」 とは相対的な世界の頂点に座するものと言えると思います。 そして、頂点に座する神が 「完全」 で 「支配者」 で 「王冠」 に値すると言うことでしょう。しかし、自然は ‥ 全てで一つという世界で ‥ 全てで 「完全」 なのです。 完全なのに王冠をかぶるものもいなければ、支配する者もいません。 自然と言う無限の世界は、無限の外側から支配する者がいないと言うことです。 なぜかと言うと、無限という世界に外側がないからです。

神が、無限の外側にいて自然を支配していると言うのなら ‥ それこそ不自然で無理矢理なことをしていると言えます。 ですから、神という存在が無限である自然を外側から支配しているように言いますが ‥ 決して無限の外に出ることは不可能です。 なぜなら無限に外がないからです。ですから、神は無限の中に存在しているにもかかわらず、外側から支配しているように見せかけている存在だと言えます。 つまり偽りな存在と言えます。 ( 信じている者にとってはショックな話ですが‥ )


「1」は、一切の物事の始まりを表わします。

始まりがあると言うことは、 「基準」 があるということになります。 1が絶対的存在なら、始まりを表す基準とは 「神」 と言うことになりそうです。 しかし、自然は無限 (限りがない) の世界なので 「始まり」 もなければ 「終わり」 もありません。 無限の世界にスタートという基準 (地点) がないのですから。神がもし自分を基準だというのなら、それは不自然なことを考え実行しようとたくらんでるとしか言いようがありません。なぜなら、どこにも基準がないから調和している無限の世界。それなのに ‥ 誰かを限定して 「基準」 にしてしまうと ‥ 全てが狂ってしまいます。

1」は、宇宙を創造した意思を象徴する数と言われています

神は 「〇〇よあれ〜」 と言って世界を創造したと聖書に書かれています。 しかし、もしことばで創造したと言うのならば、この世界は有限の寄せ集めにすぎないと言えます。 しかし、自然 (宇宙も含め) は、数字や文字で表せない無限の世界です。 ですから神が世界を創造したと言うのは偽りと言うほかありません。 また無限である自然の世界には、 「創造する」 という他者がいません。 自然は数字や文字で表せない無限の世界を言葉で創造することは不可能だからです。 (文字や数字と言う世界をも無限は含んだ世界。)

「1」は、新しい秩序を生みだすことや、頂点に立つ事を意味します

⇒無限の世界に新しい秩序はいりません。 数字や文字によらない調和が既にあるのですから。 現在数字や文字に置き換えたコンピューターが作られ人々は、それらを賞賛しています。 しかし、その知恵が自然の調和を崩していることも事実です。 文字や数字がなくても完全に調和していた自然を考えると、数字や文字による新しい秩序こそ不要だったと言えます。

1」は、ギリシャで、 ”次元をもたない 点”であることから、「次元を超えた 永遠」 であると定義されています

文字や数字は点とそれを結ぶ線でできていると言えます。 しかし、無限の世界は、点と点も含めその間の全てに存在する世界と言えます。 点の集まりなんかではないんです。 限りがない世界なんです。 そこが違うと言えます。私は以前、 「自然」 を 「神」 だと考えていました。 つまり、人も動物も植物も地球も太陽も全てを含めて神だと。自然は全てで一つなので、そう考えてもOK。しかし、自然は、 「絶対的存在」ではないし、 「支配者」でもないし、 「王の王」 でもないし、もちろん「裁き主」 などでもない。だったら‥自然を「神」と呼ぶと「誤解」が生まれそうなので、わたしは、自然を神と呼ばないようにしたのです。自然は外側からコントロールしたりする必要などない、もう既にわかっている世界なのですから‥。

全てが一つなら ‥ 「神」 という言葉すらいらない。 それが 「無限である自然の世界」 ではないでしょうか?







8.


┃Aピラミッドと宗教






ピラミッドには三角形が四枚あります。そして底には正方形の面が一枚。その一つ一つに自然にはない、文明社会の特徴が暗示されています。三角形の面は、「@宗教A化学B歴史C文化」、そして、正方形の面は、「単位・基準」を意味します。これは、ある日の明け方ひらめいた分類です。、ここでは「、ピラミッドに秘められた宗教」について考えていきたいと思います。


 創造と破壊・知識と破壊

自然には 「数字」 がないので‥自然の世界においては、どんな数字にも意味を持ちません。 しかし文明では、数字にいろいろと意味があるのです。たとえば数字の「3(ピラミッドの三角形の3)」。これにもいろいろと意味がありますが‥中でも 「創造」 ・ 「発展」 ・ 「破壊」 という意味があるということに納得させられました。 現在の文明が、 「数字と文字によるイメージの世界で創造され発展し、破壊へと向かっている」 というなら全くその通りだと思います。

神がことばで作り上げた世界は、 6000年 という時を超えてここまで発展してきました。 今や世界(地球)は大きく膨らんだ風船のように、いつ破裂してもおかしくないような状態にあります。神が私たち人類に与えた「知識の貯蔵庫」 を 、「マガジン」 と言います。このマガジンは「弾薬庫」とも呼ばれています。つまり、知識の貯蔵庫=弾薬庫。と言うことは、知識は破壊させるものなのでしょうか。確かに‥私たちが、文明の歴史6000年で蓄えた言葉は、世界に送電線を引き原発を散りばめ‥、今私たちの知識が地球を破滅させんばかりの状況です。言葉は、そこに静かに存在するだけかもしれません。 しかし、そのことばがもたらす知識こそ 「破壊的力」 が潜んでいると言えます。

ところで‥ある朝 まだはっきり目が覚めていない時、ピラミッドの4枚の三角形の面と正方形の底面の意味が分かったのです。 分かったって言うかひらめいた。 そんな感じでした。 それで、目が覚めてメモをしておいたのですが…。 それをもとに考えてみようと思います。

下記は、たくさんの、 「三位一体になったことば」 の中で、その朝に思い浮かんだ4つです。



 宗教(神・肉体・霊)


1つ目の面は、「宗教」 です。
キリスト教で言うと、「神とキリストと聖霊」 の三つから成りこれを三位一体と言います。 宗教全体で考えると… 「神(又は仏)」 と 「肉体」 と 「霊」 の3つからなると考えていいと思います。



宗教は、神と、人間の肉体と霊の3つからなっていると考えられます。まずは、その中の神について辞書で調べ考えたいと思います。

「神」 は、英語で God。 それを 「G(7番目:神)」 + 「odd(三角形の頂点)」 だとするなら ⇒God は 「三角形の頂点に座する神」 と言えます。 つまりトップにいる者が神と言うことになります。ですから、「王の王。主の主。」 と呼ばれるキリストは、世界のトップと言われるものの中のトップ。 つまり、最高権威者と言う事ができます。 (自然の世界は全てで一つ。一つの命。 ことばで割り切れない無限の世界。 そこにはトップもなければ底辺もないのですが)

次に、霊はどんな存在なのか辞書を調べてみます。
「霊」 は、「心の働きで目に見えず肉体を離れても存在すると考えられるもの (魂)」 とあります。 つまり、肉体という器に住んでいる見えない魂と考えられます。そして肉体とは一体何なのでしょうか? 辞書を調べて見ると‥。「肉体」ですが…。 シンプルに 「生身の体の事」 と書いてあります。

では、その三つを併せ持った 「宗教」 について考えて見たいと思います…。
辞書を引いてみますと、宗教を英語で、 religion といいます。 分解すると re (再び)+ ligion(結びつける)。 つまり、神と人を結び付けるのが 「宗教」 と言えます。 ちなみに聖書では、人を羊。 神を羊飼いと言います。 もともと野生の羊は、本能に従って自由に生きていたわけで、お腹が空けば草原を歩き食べ物を捜します。 眠くなればねぐらを捜し、喉が乾けば川や湿原に行って水を飲んでいたのです。 羊は、だれに助けてもらわなくても生きていけたのです。

では、この羊と羊飼いを結びつけたのは、一体何なのでしょうか?それは、 ロープ・食糧・鞭 です。野生から引き離された羊は、 ロープや食糧(報酬)や鞭 で羊飼いと新たに結ばれました。 それは、飼い主にとって大切な家畜を 「逃がさないため」 ですが‥。 建前では、「危険から守るためとか、家族のように愛しているため」 と世間に聞こえがいいように言っています。

飼い主は、羊が野生に帰らないように 「ロープや食糧や鞭」を用意しましたが、神はどんなものを準備したのでしょうか? ロープに代わるものものは何でしょう。それは、モーセが神に与えられた 「律法」 ではないでしょうか? これが 「本能」 に代わる 「飼い主の声」 だと思います。そして神は、「食糧(報酬)」 の代わりに 「(天国)」 を‥ 飼い主の声(律法)に 忠実に従う者に与えられます。 そして、飼い主の声(法律)に忠実に従わない者には「鞭(罰)」として、 「(地獄)」 にいかなければなりません。 (これは、霊的世界の事ですが‥)

神が作った文字と言葉によって作った文明社会では‥食糧のの代わりに「お金」を鞭の代わりに 「刑罰」 を与えたのではないでしょうか?つまり人間社会では、家畜の 「食糧」 という報酬がが 「お金や天国」 に変わっただけです。

「宗教」 の意味を漢字源で調べてみますと‥。宗教の 「宗」 は 「宀(やね)+示(祭壇)」 で、 「祭壇を設けた御霊屋のこと。」 で、転じて 「一族の集団」 を意味します。宗教の 「教」 は 「攴(動物の記号)+爻(交える)」 で、 「子どもに対して、知識のうけわたしをすること。」 と言う意味です。つまり宗教とは、 「野生から引き離された人」 から生まれた 「野生を知らない子どもたち」 に、本能に従わないように、飼い主の作った新たな 「決まりごと(律法)」 を教え、それに従えば 「天国へ行ける(報酬をもらえる)」 が、それに従わない時は 「地獄へ行くと(罰を受ける)」 いう知識を授けることではないでしょうか。

このようにして、宗教は、神が作った 「新たな決まり(法律)」 を人々に教えることで‥神と人を一つに結びつけるものであると言えます。

努力なんて必要ない気楽な生き方

自然は無限であり、全てで一つ、一つの命。

支配者がいないので、支配されるものもいません。 なぜなら一つだからです。
みな 「本能」 に従っていくなら ‥ 全てが調和して行くようになっているのです。 本能は他者から学ぶものではありません。 ウイルスにも菌にも動物にも植物にも皆に備わっていている 「本能」 ‥ 何も考えずに誰でも無意識にできることです。 文字や数字で、何度も繰り返し学んで覚えることも有りません。 こんな簡単で楽な生き方はありません。

一方宗教には、支配者である 「神」 が存在し、自分に従うものを 「良し」 とし、そうでないものを 「悪」 とします。 意識しないと、すぐに神に違反してしまう私たち。 どれだけ注意深く、慎重に生きていかなくてはならないのでしょうか。 そして、どれだけ 懺悔(ざんげ) しなければならないのでしょうか。

こんなに努力しても報われない神の創ったことばの世界より、自然という無限の世界の方がずっと懐は広いのです。 なぜなら‥自然の世界は「無限」の世界なのですから。 咎められることも、罰せられることもありません。 全てで一つなのですから当然です。


もし宗教がなければ、教会堂も神社もお寺のような建物がなかったでしょう‥。 宗教があることで‥森の木が切り倒され、更地なり‥そこに切り倒した木で建物を建てる‥まさに自然破壊です。 神の律法(教え)に従い救われるためには、経典を読めないといけません。 ‥ですから教育が必要となります。 そうなると、校舎、校舎を建てる敷地、校舎を建てるための木、校舎を建てるための道具、教育のための本やノートや文房具、印刷機などが更に必要になります。 それで分業が進み、人々はお金で結ばれ…文明は、どんどん推し進められ…結果自然を破壊を進めていきます。

ですから‥もし、神が自然と一つなら‥文字や数字で人々に語ることは決してありません。 そんなことすら必要のない世界が 「自然の世界」 です。すでに 「わかってた」 世界です。

私たちが本当の自然がの声が分からなくなったのは…文字や数字の意味を覚え…文字や数字で物事を考え…文字に従って生きるようになったからです。


 参考

数字の「3」が意味するもの:
@相対するものから新たな展開や新しいパワーを生じさせた状態を意味し、力強い破壊力を生みだすことで物事を発展させる創造的な力の象徴する数。
A「3」は、あらゆるものを発展させていく資質を持つため、創造的な力や破壊的な力と結びつiいた。
B「3」は三位一体の象徴と言われる。
C「3」は、創造、維持、破壊。開始、中間、終了。過去、現在、未来。昨日、今日、明日。
Dカバラでは「知性」を意味し、申請なるものを理性的に見極める鋭い知性、霊的な世界の「完全性」としてとらえている。








9.


┃Bピラミッドと化学



ピラミッドには三角形が四枚あります。そして底には正方形の面が一枚。その一つ一つに自然にはない、文明社会の特徴が暗示されています。三角形の面は、「@宗教A化学B歴史C文化」、そして、正方形の面は、「単位・基準」を意味します。これは、ある日の明け方ひらめいた分類です。、ここでは「、ピラミッドに秘められた化学」について考えていきたいと思います。


 化学(期待・液体・固体)



もうひとつの面は、「化学の面」 です。

化学は、気体と液体と個体の3からなっています。
これも物質の三態と言われています。

同じも物質が温度や気圧によって形が変わってしまうなんて不思議といえば不思議ですね。では、その3つを併せ持った 「化学」 とは、なんでしょう。早速辞書を引くと‥「物質を構成している原子や分子に注目し、物質の成分組成・構造、その生成と分解の反応および他物質との間に起こす官能を研究する」 ものだそうです。意味不明ですね。水や氷や水蒸気というのならまだわかりますが‥。

ということで、漢字源で 「化学」 を調べてみることにします‥。
化学の 「化」 は、「姿を変えてもとと違った形になる。」 こと。
化学の 「学」 は、「先生から知恵を授かり、それを見習って自分のものとする」 とあります。

なるほど。姿を換えて元と違った形になること‥。水が氷に姿を変え、氷が、水蒸気になったり‥。この知識すごいかもしれませんが。私たちにその知識がなくても、氷は温度が上がれば水になるし、水蒸気にもなります。だから、自然の世界では、こんなことを知らなくても、全ての生き物は十分生きていけました。 それなのに、どうしてこんな知恵が必要だったのでしょうか? もし、物体が温度によって 「気体、液体、固体」 と分かれることを知らなければ、今日便利で自然破壊につながるプラスチックを石油から作り出すことは不可能だったと思うのです。つまり、今みんなが頭を抱えている「ゴミ問題」はなかったということになります。

たとえば石油(原油)‥。 あの黒いドロドロした気持ち悪い臭いがする石油。
石油(原油)は、いろいろな成分が混じり合った混合物です。

この原油を 350度 に熱して蒸留塔に入れ、熱したり冷やしたりして、温度の違いで原油からすごいものに変身させることがでるのです。

まるで手品です。

どんなものが出てくるかと言うと…

あんな真黒な石油(原油)から‥ @石油ガス (LPガス) Aガソリン、ナフサ B灯油、ジェット燃料油 C重油、アスファルト、その他です。 ここでポイントは蒸留塔で生成されたものの中の 「ナフサ」 という物質です。このナフサが私たちの生活を便利?に変えたと言えます。なぜなら…。

このナフサから、次のようなものが作れます。
@ プラスチック、電化製品、フィルム、文具
A 合成繊維原料:シャツ、セーター、テント、毛布
B 合成ゴム、自動車タイヤ、ベルト、靴
C 塗料原料:インク、ペンキなど
D 合成洗剤原料:洗剤、シャンプー、化粧品など
E その他、医薬品、農薬、肥料、接着剤、食品添加物など


原油(液体)からナフサ (気体→液体) 、エチレンやプロピレン (気体)、 そしてポリエチレンやポリプロピレン (個体)へ。変身に変身を重ねて、石油はようやくプラスチックの原料として生まれ変わる。どんなに 「すご〜い!!」 っていわれても‥。ナフサから服や医薬品、洗剤、食品添加物ができるなんて‥。 あの黒いドロドロ‥海でよく踏んずけて‥いつまでもベトベトしていたやつが‥。 ナフサに変身して合成したって言われてもね〜。 あんなものを口に入れたり、身につけたり‥やっぱり気持ち悪いですね。

見渡してみると…。「液体・気体・個体」 という知恵で創造し発展させた結果、海も川も空も ‥ これらの石油でできた化学物質で汚染され ‥ 自然を破壊する大きな力になっているからです。



 ペテロ(キリストの弟子のひとり)と石油

キリストが水の上を歩いたことは、とても有名な話ですが‥。 弟子のペテロも少しだけ水の上を歩くことができました。 ( 残念ながら不信仰のため沈んでしまうのですが‥。)

ところで、石油の事を英語でペテロリウム (petroleum) と言います。 『ラテン語の Petra (岩石) と Oleum (油) を語源とする。』

キリストの弟子ペテロは、以前石ころという意味の「シモン」という名でよばれていました。その時は、キリストのように水の上を歩いてみましたが‥残念ながら不信仰のために海に沈みました(すぐにキリストに助けられました) 。しかし、現在ペテロリウムと言う名で復活。つまり石油になったのです。ペテロリウムは‥岩のように大きいのに … 沈みません (油は水より軽いので当然)。聖書では、王や祭司に油を注ぐ儀式がありましたが‥。 キリストは既に「油注がれた者」と言われています(ルカの福音書4章)。つまりキリストは油とも解釈できます(※私流解釈です)。

キリストが油注がれた者。 つまりキリストは油。 油は水に浮く。 ペテロも油に。 そしてペテロも水に浮く。 そして、キリストは、 「この岩 (ペテロ) の上にキリストの教会を建てる」 と言ったのです。 どんな教会なのでしょうか?野生の世界に‥文明のなかった時代に 「教会」 って有りませんでした。 文明があってこそ有るわけですから。 つまり、文明の目標とする 「完成された文明=教会」 が建てられるのではないでしょうか?

事実 「石油」 を土台とした世界が展開されています。 今、ここに広がっている世界は、 6000年以上前 の生き物が、全く体験したことのない未知の世界なのです。 つまり自然に存在しない「文明」です。

「ハデスの門もそれに打ち勝てません。」 とありますが‥。 「ハデス」 は「 死の国」 のことで、 「黄泉・地獄」 と言う意味です。そして多くの人は、自分の肉体が死んで後に魂が行くところだと信じています。 しかも、悪い行いだった人が‥!

もし、神の目的が「石油を基礎とした文明の完成」だとしたら…。 自然を破壊することになるわけで‥。 と言うことは‥神の本当の目的は 「自然破壊」。 ならば‥ハデス(黄泉・地獄)とは…。 この調和した自然(野生)の破壊された世界を言っているのではないでしょうか。 ですから、 「ハデスの門」 とは、私たちが野生へ戻る道へ続く門の事だと思います。

以上を元に
「ハデスの門もそれに打ち勝てません。」 いう聖書のことばを分かりやすく言いかえると⇒。『「野生へ戻る道へ続く門」 も 「石油を基礎とした文明社会」 には打ち勝てません』となります。つまり、「石油 (ペテロ) を基礎として建てられた 文明 (神の国) からもうだれも野生に還れるものはない。」 と言っているのでしょう。 なぜなら、神はこの地球に油を注ぎ火の海にする計画を持っています。 最初から燃えていたらと望んでいたくらいです。      
    ↓
わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。
(ルカの福音書12章49節)

もし、そうそうなったら地球から脱出するしかありません。 脱出した場所から見る燃える地球‥それこそ地獄 (ハデス) ではありませんか! 運よく地球から脱出できた人たち。 地球にもうニ度と帰れない‥。 聖書の言葉通り 「自然へ戻る道へ続く門」 は完全に閉ざされてしまったと言えるのではないでしょうか? (ハデスの門もそれに打ち勝てません)

文明社会が完成され‥これから迎える1000年後燃え盛る地球を見ながら選ばれた一部の人々と天国 (もしかしたら宇宙ステーション) へ脱出するという計画を‥キリストはペテロ (石油) に託したのではないでしょうか?


 聖書と油について(以下私説を含む)

気になった、聖書と油の関係についてメモしておきます。

〇モーセが岩を打って出た水(出エジプト記):将来の石油
(モーセは水と食糧でユダヤの人々を支配したが、将来世界のトップに立つものは、石油とお金で全世界の人々を支配する)

〇油注ぎ
神に選ばれた王・祭司の頭に油を注ぐ儀式がある。私は、油を頭に付けるのは個人的にベタベタして気持ち悪い。埃もつく。多分鳥は飛べなくなるだろう。油を頭に塗られるのは、どんな生き物でも嫌がると思う。ただ、偉いとか地位があると理解しただけで喜ぶのが人間かも‥。

〇なくならない油(自殺しようとしていた親子)1列王記17章、ルカ福音書4章25節
死んで消えてしまいそうな小さな民族に与えられたなくならない油(石油)

〇エリヤ(1列王記18章39節)
ハンディーで水をかけたら更に燃えた(油?)

〇賢い娘と愚かな娘(油を準備していた者とそうでない者)マタイ25章
文明を進められる油を持っている人が有利

〇キリストに油(マリア)
キリストは、油そのもの(?)

〇キリストが水上歩行できたのは‥
キリスト自身が油注がれた者。つまり油??

〇ペテロは‥ペテロリウム(石油)になった‥??

〇サマリヤの女
井戸(未来の石油の井戸?)…私が誰か知っていたら、あなたから求めていた。(石油で一攫千金)

〇油ではなく石
1サムエル17章50節「こうしてダビデは、石投げと一つ石で、ペリシテ人(ゴリヤテ)に勝った。ダビデの手には、人振りの剣もなかったが、このペリシテジンを打ち殺してしまった。⇒ダビデの投げた石は、将来の「石の油」。ペリシテ人(ゴリヤテ)は、無限である「自然」:たった一つの石油で、無限である「自然」を滅ぼしたと神は「越」になっている。

〇信仰の父と呼ばれる人の名前が
アブラハム‥油+ハム?(ダジャレみたい)







10.


┃Cピラミッドと歴史




↑人間が手を加えない限り、こんな大地は存在しない。文明という世界はまさに幻の世界。歴史の「歴」と言う文字には、同じ種類の稲を順々に並べた畑と言う意味が‥。これは稲ではないけれど、同じ種類の並べた畑と言う点では同じ


ピラミッドには三角形が四枚あります。そして底には正方形の面が一枚。その一つ一つに自然にはない、文明社会の特徴が暗示されています。三角形の面は、「@宗教A化学B歴史C文化」、そして、正方形の面は、「単位・基準」を意味します。これは、ある日の明け方ひらめいた分類です。、ここでは「ピラミッドに秘められた歴史」について考えていきたいと思います。


 歴史(火・道具・ことば)



歴史は、火と道具と言葉がなければ成り立たない‥。だから、文字を知らない、火や道具を使えない自然の生き物に歴史がありません。というか必要ないのです。

なぜなら、新たなる物を作る必要はないし、改革も革命も不要の世界だからです。人は、不要は事をして自然を無理に歪めた上で、改革や革命が必要だと言う不思議な生き物なのです。

歴史は、「火と道具と言葉」がなければあり得ません。私たちは、この歴史について‥あって当然と思っています。私もそう思っていました。しかし、文字を知らない、火や道具を使えない生き物の世界には歴史がないのです。私たち人間も最初から文字を知っていたわけではありません。だから、歴史が自然そのものだとは思えません。しかも、これらが自然を破壊しているのですから‥。

ところで、「火と道具とことば」のそれぞれの意味について調べてみると‥「火とは、物を燃やしたときに出る炎や熱」。「道具とは、物を作ったり仕事をしたりするときに用いる危惧の総称」。「言葉とは、意味を持った音声の塊。言語を文字に書き表したもの。文字。」とそれぞれ辞書に。

それをまとめると、「その三つが進めてきた歴史」とは「人間社会が時間の経過とともに文字や道具を使って自然の世界を作り変えてきた過程と、その中での出来事。またそれをまとめた記録。」といえそうです‥。では、漢字源で「歴史」という文字を調べてみます‥。




歴史の「歴」は、「厂(崖、又は土)」+「禾(イネ二つ)」+「止(あし)」で、「順序良く次々歩いて通る」こと。

つまり、「歴」とは、土に同じ種類のイネを順々に並べて「畑」を作ったと言うことではないでしょうか?自然の世界には、そんな同じ植物をきれいに並べた場所などありませんから‥文明の始まりの事を意味しているのだと思われます。歴史の始まりが、畑とは!!今の私はすぐに畑を「文明」と分かりますが‥。以前は、畑や田んぼを見ても「あ〜自然だ〜」と思っていたのですから。私は、不自然にされた自然を「自然」だって思っていたのです。

不自然なものでも、毎日見ていたら自然に見えてくるのですから‥。




歴史の「史」は、「中(真ん中、真ん中を突き通す)」+「手のかたち」で‥「掌の真ん中を突き通す」 (これは私の解釈を含む)
(※ちなみに漢字源では「記録を記した竹札を筒に入れて立てている記録訳の姿で特定の役目を預かる意」漢字源の解釈だと漢字の意味から離れているようなこじつけのような感じがしました。)

現在西暦が世界の歴史の基準になっていますが‥それは誰を基準にしているかと言うと‥「キリスト」です。キリストは、十字架にかかり掌の真ん中を釘で刺しとおされました。このキリストが「歴史」の中心ではないでしょうか?歴史の「史」とという文字がキリストの十字架と一致するとは驚きでもあります。しかも、キリストの歴史は、「文字」にしっかりと書きしるされています。「歴史」の代表といっても過言ではないと思います。

では、「歴史」を記すにはどうすればよいかよく考えてみますと‥。まず「ことば」が必要です。それもはっきりとイメージできる言葉が。そして、それを文字にします。その当時あったことを記します。そして文字を記すための「道具」が必要です。最初は、石や岩でした。そして、金属に‥そして、紙に‥。石や金属や筆や印刷機で‥。その道具を作るのに「火」が必要でした。

現在印刷機は、「プラスチックや金属など」を組み合わせて作っています。プラスチックや金属のように加工されたものは、自然に戻るまでにかなりの時間を要し自然の破壊に繋がっています。また、印刷する紙もどれだけ必要だったでしょう。そのために沢山の木が切り倒されました。また、その歴史を伝えるために、船、自動車、電車、飛行機等が作られました。「歴史」を伝えるために‥どれほど自然に負荷がかかったかは、すぐに分かると思います。

歴史は、「ことば、道具、火」があってこそあるのです。そうでなければ、私たちは過去を知るすべは有りません。しかし、そのためにどれだけの自然が失われたか‥一目瞭然です。そして、その歴史の中心にいるキリスト。それを持ち込んだ神。宗教は、自然と似ているようで全くの異質であると言う事が分かります。







11.


┃Dピラミッドと文明




↑読み書き計算という知恵を知った人間だけが、自然の世界に境界線を引く。(自然には、所有もなければ境界線もない)


ピラミッドには三角形が四枚あります。そして底には正方形の面が一枚。その一つ一つに自然にはない、文明社会の特徴が暗示されています。三角形の面は、「@宗教A化学B歴史C文化」、そして、正方形の面は、「単位・基準」を意味します。これは、ある日の明け方ひらめいた分類です。、ここでは「ピラミッドに秘められた文化」について考えていきたいと思います。


 文化(読み・書き・計算)



三角形の最後の面は「文化」です。
文化って言う文字を見ると‥文字が化けるって書きます‥。
文字が‥音楽・絵画・スポーツ・小説そして映画や漫画やアニメなどに化けたのです。


人間以外の生き物に文化がないのは、文字や数字が分からないからです。

では、文化を構成してる「読み・書き・計算」について調べてみます。


 「読み」について

「読み」の、「読」を漢字源で調べてみますと。



「読」は「言」+「売」で…。

「売」は⇒「出(出す)+「買」(网:あみ+貝:財貨)で⇒「取引して利益をかっさらう」ことを示します。

そして‥「言」は⇒「辛(切れ目をつける刃物)+口」で⇒口から切れ目をつける刃物‥?なんと聖書に「口からもろ刃の剣を出したキリスト」が描写されているのです。なんか異様ですよね…。と言う事で…「言」うという文字は、「口からもろ刃の剣を出していたキリスト。」と解釈してよさそうです。キリストは代価と聖書で言われているのですが‥。代価とはお金でもあります。と言うことは‥?
 ↓
「(キリストの)口からは、鋭いもろ刃のつるぎが突き出ており‥」(黙示録1章16節)
「あなたがたは、代価(キリスト)を払って買い取られたのです。」(1コリント6章19節には)

(「言」と「売」を合わせると‥)
  ↓
神は、「高価な代価(キリスト)を差出し…キリストを信じるものを救うという取引をして…利益(自然の全て)をかっさらった。」と言うとんでもない展開に‥。つまり、簡単に言うと、「神は、人を救うと言う取引きをして自然を全てかっさらっていった。」と言うことができるかもしれません。


 「書き」について

「書き」の、「書」を漢字源で調べてみます。


「書」は「聿」+「者」で…。

「聿」は⇒「ふでを手に持つさまをあらわす。」「詩経に用いられてリズム整えることば。」とあります。
「者」は⇒「柴(しば)がこんろの上で燃えている様を描いたもの。」「(者=煮。火力を集中している)の源字。」だと…。

なんと「主の使いは、柴の中の炎のうちに彼に現れた。(出エジプト3章2節)」という言葉と一致するのです。「者」と言うのが‥熱い中にいる者だったとは…。文字そのものが「火」のように熱い存在と言うことかもしれません。

聖書では、主が臨在するところに「火」がつきもで「神の聖さ」をあらわしているそうです…。(仏教でも火がつきものですよね。成田山に行った時のパンフレットはまさに火の中に仏像がありました。炎の中に存在するものって感じでした。)ヘブル書には「神は焼き尽くす火です。」とあります。なんか…怖い存在ですね。

子どもの時に…不思議だなって思っていたことは、人は、バとカの二文字、つまり「バカ」っていうことばだけで傷つくことにです。叩かれたわけでもないのに…どうしてこんなに苦しいのだろうって。やっぱりね〜。火で書かれた文字と言うだけあって…口から剣が出ていたりするだけあって…。そんな文字でできたことばは「心を傷つけ肉体を苦しめる作用がある」ってことが分かった。

では、ピラミッドの頂点に座する神は、何を焼き尽そうとしているのでしょうか?ルカの福音書で神は「わたしは、地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたなら、わたしはどんなに願っている事か。」と言っています。

大きなお世話ですよね。ほっといてくださいって感じですが‥。つまり、「口からでた燃える剣で地上に火を当時地上を火の海にしようとしているわけです。「ことばと言う神」は、文字によって「神自身の計画」をあらわし…それを人々に示し…実行させています。その計画とは…上記の通り…地球に火を投じること。

現在は地球が火の海になるかもしれないと言っても‥不思議にさえ思わない時代になっています。人工地震・人工津波・人工火山噴火・人工竜巻・人工豪雨などなんでも人工的に作れるのですから‥。

原子爆弾もあるし、そうでなくても‥3.11のように原発を地球のあちこちに沢山作っておけば…、爆弾を一々落とすこともなく…電源を切るだけで爆発させる事が出来るのです。となると…世界中の電源を切るだけで…地球全体を簡単に火の海にできるかもしれません。神の計画を文字にしたことで‥こんな世界になるなんて…。


IAEAは現在432基ある世界の原発を2030年までに90〜350基も増やす計画をしている。
(現在日本は、世界第3位で54基。) ◆サイエンスニュース←クリック


 「計算」について

次に「計算」です。
では、「計算」の意味を調べてみます。


計算

「計算」とは⇒「数量を数えること。」「結果や展開を予測すること。また、その予測のもとに計画を立てること。」と辞書にありあます。

自然には、文字も数字も有りません。ですから、数を数えることもできませんし、結果や展開を予測することさえできません。そして、その予測のもと計画を立てることもできないのです。ですから、私たちが計画を立てると言うことが‥どんなに不自然な行為であるかが分かります。

神が「計画」を立て‥その計画を人間である私たちに文字で教える…こんなこと本当に必要でしょうか?もし、神が無限であるなら‥外も内もなく…全てで一つです。ですから‥伝える必要もないわけです。文字でわざわざ教えないといけないと言うことは…とっても不自然なのです。

「無限」という世界の中に存在している者が‥自然に沿って生きていくことがどうしてもできず…自然に逆らって自分が支配者になるために…人を惑わしているとしか考えられません。もし、自然が無限の存在なら‥。だれも無限を壊すことは、できない。無限は、無限が故に壊せないのです。

もし、壊れているように見えても…それは、元に戻る過程でしかないのです。(「無限である自然」に、だれも手を加えなければ、自然は元通りに回復してしまうはずです)もし、私たちが他の動物のように「ことば」を知らないまま「無意識」の中で生きていたとしたら‥「自然の世界」は、私たちの目の前に、いつもと変わりなく存在していたのでしょう‥。


私たち人間も、他の生き物と同じように‥肉体から骨。骨から土へ。他の生き物の養分となりながら‥姿や形が変わっても‥この「不変である自然」という一つの命として、いつも生きているのです。この営みに‥罪の許しを求め神にひざまずく事はありません。なぜなら‥私たちは、もともと失われていなかったのですから‥。全てで一つの世界に「罪」などないのです。







12.


┃Eピラミッドと単位・基準




↑人は数字や文字で物を作り、そして数字や文字で基準を設ける。 自然の世界にそんな物はない


ピラミッドには三角形が四枚あります。そして底には正方形の面が一枚。その一つ一つに自然にはない、文明社会の特徴が暗示されています。三角形の面は、「@宗教A化学B歴史C文化」、そして、正方形の面は、「単位・基準」を意味します。これは、ある日の明け方ひらめいた分類です。、ここでは「ピラミッドに秘められた単位・基準」について考えていきたいと思います。


 ピラミッドの底面(正方形)は単位・基準を表す


左の図はピラミッドの底辺の部分です。
ピラミッドは、4つの面が正確に方角を指して作られているそうです。


上の図は、目覚めてからすぐにメモしたものです。 その後、ピラミッドについて調べたのですが、本当にピラミッドが正確に方角を指しているとは驚きでした。四隅に書いている 「長さや重さ」 「時間」 「法律」 「お金」 このような単位や基準。 これらが、もしなければ‥このピラミッドは作れなかったのではないでしょうか?

驚きと言えば驚きなのです‥。 こんな大きなものが地球にポンと存在して ‥ 今もなお存在し続けているわけですから‥。しかも、自然の生き物は全く興味を示すこともないようなものが ‥ 人の手によって作られたのですから‥。

しかし、どんなにそれが素晴らしくても‥。人の手を使わず存在する自然の方が素晴らしいって思いませんか? わたしは、生き物が沢山いるところが自分にふさわしい場所のような気がします。

このエジブトにあるピラミッドの周辺をよく見てください。 木も草も生えていない砂漠地帯です。
私は、ここに文明の力 (ピラミッドパワー) があるって分かっても ‥

自然は 「強い」 とか 「弱い」 という相対的なことばがない世界です。 全てで一つの世界なので 「不要」 とも言えます。 だから、無機質なピラミッドが地球に出来上がるのを見て喜んで 「すごい、すごい」 って言うのは、相対的なことばを知った人間だけです。


 単位・基準の嘘

本当に自然が‥無限であるなら‥ 単位・基準なんて 「嘘」 ‥なぜなら、無限には中心がないからです。 無限の世界にどうやって中心を作れるでしょう? できません‥。中心がないなら ‥ どうやって方角を決めたらいいかもわからない。人は与えられた文明という知恵で‥無理矢理に「中心」を作ったから‥方角ができたとも言えます。

この世にある 「基準」 や 「単位」 と言うのは ‥ 人間が勝手に作ったもの (文明という存在から得たものでしょうが‥)。
それで‥正確って言っても‥正確かどうかさえ分からなくなるのです。無理矢理作った基準で考えると確かに、「正確」 のような錯覚を起こしますが‥。 しかし、無限の世界には‥そんな基準なんてないわけですから‥この建物自体 「不真実な建物」 と言うことになるのです。その証拠に、文明の知恵で作ったものは‥全て自然を不調和にしています。 それが 「偽り」 という証拠です。

自然は無限で、数字や文字で表すことができない世界です。 全てが調和しながら動いているにも関わらず‥数字できちんと動いているわけではないのです‥。 これほど不思議な事はありません。例えば時間について言うと‥。文明は自然を正確に刻もうとした結果‥自然を正確に刻む事はできなかったのです。 その証拠に 「うるう年」 とか 「かうるう秒」 とかが設けられています。 それは、 「不真実」 がバレないように‥つじつまを合わせただけなのです‥。人は生まれた時から、数字で刻んだ時間によって生活しています。 ですから‥この不真実な 「時間」 を疑うことなく信じているのです。福岡正信さんは、 「時計を捨てなさい」 と何度も言っています。 そうすれば本当の時が分かると‥。 というか … 「時間なんてなかった」 ってことが分かります。

その他の単位においても同じようなことが言えます。









自然は、区切りがない世界。無限に大きくもあるが、無限に小さくもある世界だった。
        
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