白鳥沙羅のたわごと(自然に沿って生きていきたい)
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このページは、私のプロフィールと私の思いや願いを書いてあります。 どう言う考えでこのホームページを作ったかを理解して頂ければ幸いです。 ( プロフィールには、職業などを書くのが普通と言われていますが‥。自然を求める者にとって学歴や職歴は余計な情報だと考え省かせて頂きました。 )


プロフィール

はじめまして、白鳥沙羅です。 農薬で育った野菜が食べれなくなって自然農を数年だけ体験しました。 借りた土地がとても良かったので順調でしたが‥その地域の農薬の空中散布で体調を崩し断念せざるを得ませんでした。

わたしは、その地域をはなれ化学物質を極力避けることと適度な運動とデトックスとで‥寝たっきりの状態から‥元気な人と変わらないくらいにまで回復できました。

しかし、農薬や化学物質が多く使われる今日、化学物質にまみれる環境に置かれると一気に体調を崩すのです。 それで‥分かったんです。 今まで平気で使っていた農薬や化学物質に毒性があったってことが…。 ( 現在避難生活中です )

そう言うことから‥私は常に‥自然って何なのかと言う究極な事について、化学物質の危険性について‥そんなことについて‥考えています。


(白鳥沙羅という名前は、ツイッターで使っている名前です。本来、自然に沿った生き物には名前なんていらないんですが‥ )



私の願い

福岡正信さんの本に出会って 「 自然に沿って生きていくってどういうことだろう 」 と考えていました。 福岡正信さんは、農業を自然に沿ってやる中で、耕すことも、草を抜くことも、虫を殺すことも必要なかったと言っています。

つまり、自然に対して 「 人は何もしなくて良かった 」 と…。 私自身も、その辺の雑草をみて、誰も世話しないのに畑の野菜より丈夫で元気だと思っていました。だから 「なるほど」 って感じでした。それで、福岡正信さんの 「 自然に沿って生きる 」 と言うことを応用して追求して考えることにしたのです。

そうすると、自然と思っていた 「 自然農 」 さえ不自然ってことになり、 宗教も神さえも 不自然ってことに なったのです。 今までごく当り前だと思い込んでいたのもが、全て不自然だってことに気づいたのです。つまり、文明が持ち込んだ全てのものが 「 自然に沿っていない 」 ってことに。




生きることにはこんなに成功したと自負していても、 どう言う安らぎの拠点をもって どこでどう死んでいったら 満足できるか、 忙しく追いまくられる日々の中で … ふと立ち止まった一瞬に 心を吹き抜けていく冷たい風のような 不安を感じるのです。
( 湯川れい子 / 「葉っぱのフレディによせて」より )


鮭は産卵するために川を登ります。 そして皮膚は傷つき、産卵して力尽き死ぬかもしれません。 たとえそうであっても、鮭には自然に沿った安らぎと満足があるのではないかと私は思うのです。 ( 鮭の生んだ卵は無限の命となり、死んだ体は、沢山の生き物が食べて、食べた生き物の命となります。 )

ところが文明は、医学を進歩させ臓器移植や遺伝子組み換え技術を更に進めようとしています。 しかし、本当に医学を進歩させることで人々の命をコントロールする必要があるのだろうかと疑問がわいてくるのです。 ( それが自然を不自然にしているのだとしたら…。 )

生き物は、調和する自然の中で死んでも 「 死 」 ではないって思うんです。 逆に、文明の世界に沿って生きていく中で調和した自然が破壊されるのなら…それが本当の死ではないかと…。

今私は、 「 文明という存在 」 が、生き物だけでなく地球や果てしない宇宙までをも破壊しようと企んでいるのではないかと考えています。 もしそうであったとしても、自然は無限という捕えどころのない存在です。 一方文明は、数字や文字のように点と点を結ぶ線のような存在に過ぎません。ですから、水を網で捕えるようなものです。

確かに、文明は文字や数字という知恵で人や生き物を捕えることができたかもしれません。 しかし、自然そのものを捕えることはできないのだと私は確信しています。

「無限である自然」とは、一体どういうものでしょう。 それは、無限に大きくもあり無限に小さくもありという世界です。 ですから、無限の世界では、それぞれがそれぞれの居やすい場所に居て良いのです。

人間が無理に空を飛んだり、海中深く潜ったり、宇宙の果てに住む必要はないのです。 自然は、数字や文字で表せないほど素晴らしいのです。

さらに自然の素晴らしいところは、無限という余裕です。 限りのない余裕があるので、選んだり、落としたりしません。 みんながいて良い場所なんです。 落ちこぼれがいません。 そして、戦ったり、争ったり、裁いたりしません。 たとえ「文明」という存在が戦いを仕掛けてきても。

なぜなら、無限である自然には生き物を捌く刃物や人間を裁く言葉 ( 法律 ) などどこにもないのですから…。 しかも、文明と言う存在さえ無限の中に含まれています。 ですから 「 文明 」 という存在が納まるところに納まれば全てが元通りになると…。

私の願い。 … それは、文明の与える文字や数字に沿ってキチキチした生活で生きていくのではなく、文明が始まる以前の状態に向かって…少しずつでも皆と一緒に戻ることです。

( ただこれは私の願いであって ‥ 自然に沿った考えではないかもしれません。 なぜなら ‥ 文明に頼りながら戻ると言うことだからです。)



ある人がこう言いました

『自然の生き物だって争ったり戦ったりしている』 と‥。

確かに‥そうですね。 ただ‥自然と人間の違う点‥。 それは、人が自然にない道具やことば(文字や数字で表せる)を作り、それを使って戦ったり争ったりすることです。 また‥、争ったあと‥権威あるものが作った法律に照らし合わされ裁かれるってところでしょうか。

しかし、自然では‥争いがあったとしても‥文明で作った道具やことばで争ったり戦ったりしないし、それを裁く法律も刃物もありません。 自然に沿った生き物の世界では‥ 「本能の赴くまま生き‥それをいかなるものも咎めない‥。」 それが自然だって思います。

私たち文明人からすると‥納得いかないかもしれません‥。 畑の作物を荒らされると‥イノシシやカラスを罪に定め処分したくなりますから‥。 でも「所有」という概念がもともと自然にないとするなら‥イノシシやカラスに罪はありません‥。 むしろ自然のものを勝手に所有し、それを取られたら「泥棒」って考える考え方こそ不自然で困りものなのです‥。

(自然は‥無意識に本能に沿って生きるなら‥決して調和を崩すことはありません。 しかし‥意識して外側からコントロールすると‥自然の調和が崩れてしまうのです‥。)




絶望でもあり、希望でもある

苦しみの原因は自然に反した事をしているという‥ただそれだけのことだと思っています。もし、私たちが自然に沿って生きていくなら、私たちの抱えている問題のほとんどが解決できるでしょう。

今環境を見渡すと、絶望的ですが‥。しかし、私たちの身近な所に自然はあります。そう‥私たちの体です。これこそ自然そのものと言えませんか?もし、私たちが体の声を無視しなければ、自然は自ずと調和し‥私たちはもっと健やかになれるはずです‥。

(最悪‥ もし私たちの努力で自然に還れなくても ‥ 自然は人の手を借りることなく戻ることはできます。 いやむしろ、人の助けが全くなくなった時が ‥ 全てがもとに戻る時だと‥ )



お勧め記事

このホームページ内で、是非読んで欲しい記事は、”「映画かぐや姫の物語」のまとめ”です。この記事には‥私が映画を見た感想を交えながら、本来の自然について書いています。長い文章ですが、関心のあるかたは是非読んでみてください。記事はメニューバーの「メモ/日記」から「寄せ集め記事」→「4ページ」の「10番目」です。分からない方は‥下のURLをクリックしてください。

”「映画かぐや姫の物語」のまとめ” ⇒ http://w01.tp1.jp/~a790432858/memojournal4.html#10




PS (追伸)

なにもしなくてよかった:
結局、田を鋤く必要はなかったんだ、と。堆肥をやる必要も、化学肥料をやる必要も、農薬をやる必要もなかったんだ、という結論になったわけです。 (福岡正信)
 
人間の知恵の浅はかさ 1 :
雑草が私たちに語っている。手を加えない自然について。文字からではなく、ほったらかしの自然が 「何もしなくていいってこと」を語っている。

人間の知恵の浅はかさ 2 :
無限にあった栄養源を研究者は「窒素・リン酸・カリ」の3つにしてしまった。 もし、それを10、100、1000と栄養素を増やしたとしても、その数以外の栄養素を無限から失ったことに変わりはない。 栄養が何であるかを知れば知るほど‥失う栄養が多い。

人間の知恵の浅はかさ 3 :
人はお米、野菜、果物‥を守るために無限にある雑草を抜いたり刈ったりする。 人が改良して作った不自然な生き物を守るために,、無限の植物を失っていくことに。 人が植物を改良すればするほど‥無限にあった真の植物が失われていく。

不自然なものから自然は学べない:
雑草を見て手を加えないのが自然だと頭で分かっても、既に所有された土地。既に売り買いするというシステム。 既に人間の知恵や道具がなければ育たない野菜。 これらを前にして、人は益々自然が分からなくなる。 なぜなら‥手を加えなければ、食糧がなくなると言うことに直面するのだから‥。

自然は頭であれこれ考えない :
生き物は頭で自然を理解し自然に沿って生きているのではない。 だから、食糧がなくなろうが、自分たちの命がなくなろうが‥自然に沿って生きていく。 あれこれ頭で考えないから‥自然そのものと言える。 わたしが頭で考えて‥「手を加えない自然が真実だ」と分かったとしても‥それに沿えない自分がいる。

迷い続けるのは人間だけ :
生き物は、人間の招いた不自然な世界であっても、自然に沿って生き続けているというのに‥。人は自分たちが不自然に改良した世界でますます不自然になり‥文明を進めることはできても自然には戻れず‥迷ったまま。

文字の記憶ばかりで本当の自然を体験した記憶がない :
私は思う。人が不自然なのではなく、文字であれこれ考えるようになった人の頭が不自然。

文明が始まる以前 :
人は言葉を知らない。 文字を知らない。 数字を知らない。 火を使えない。 道具を使えない。 自然に沿って生きる以外何も知らなかった。当時の人が何も考えずにできたことが‥今の私たちにとって一番難しい。


         


                  



自然は、区切りがない世界。無限に大きくもあるが、無限に小さくもある世界だった。



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