白鳥沙羅のたわごと(自然に沿って生きていきたい) | ||||||
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神に飼われた家畜 koko 『 神に飼われた家畜』 ↓表題をクリック
1. ┃家畜とは 世界を支配するものがいるこの文明社会。 彼らは、自分たち以外の人々を 「家畜」 と言っている‥。
「家畜」という漢字から 辞書によると 「家畜」 とは 「人間が生活に役立てるために飼育する動物。」 なのだそうです。 聖書では、神が 「羊の飼い主」 でキリストは 「羊飼い」 そして、人間が 「羊」 と言う風に ‥ 例えられています。…と言うことは、 「人間は、神の役に立つように、飼育された生き物」 ってことになります。 ちなみに家畜の 家 は、 「宀(やね)」 + 「豕(ぶた)」 で 「大切な家畜に屋根をかぶせたさま」 だそうです。 それから、家畜の 畜 は、 「玄 (つやのない黒色) 」 + 「田」 で 「作物を育てる黒い土を四角く区切った耕地」 と、言う意味だそうです。 つまり、自然の大地を四角く区切った場所ってことなんですね ‥。 私の予想では…「畜」 は、動物の事だと思っていたのですが、四角く区切られた大地だったとは!! 確かにグーグルで上空から大地を見ると ‥ 人々が住んでいる家のほとんどが大地を四角く区切った場所に建ててあるのが分かります。 「かつては、この大都会も ‥木や草が生えた自然本来の大地で‥ 区切られた所なんて何処にもなかったんだな〜」 とか、 「菌類を含め虫や鳥や動物たちの命溢れる場所だったんだな〜」 って思う と‥人が家に住むようになったことがどれだけ自然を破壊しているんだろうと思い‥ 悲しくなってきます。 「domestic」という英語から 英語では、 「家畜」 を domestic と言います。domestic の dome は 「ドーム型、丸天井、丸屋根」 と言う意味で、 domestic の stic は 「体罰用の鞭」 とか 「厳しい処置」 という意味だそうです。 逃げ場のない限られた場所に閉じ込められて、痛みや苦しみを与えられ続ける ‥ そんな光景が浮かんできて ‥ 悲しくなります。 数年前から、農薬や洗剤、芳香剤などに反応するようになりました。 それで良く調べてみると ‥ 私の体が病気と言うより ‥ 化学物質自体に毒性があって、それが皮膚から浸透し様々な病気になることが分かってきたのです。 だから、これらの毒は、山や田んぼに撒いてはいけないし、海や川に流してもいけない。もちろん人に使ってもいけない。 そんな代物だったんです。 それで、身近な人や役場や市役所、県庁、農協など ‥ あらゆる人々に説明をしました。 しかし、多くの人がバカにすることはあっても、真剣に話を聞いて取り組んでくれる人はいませんでした。広い家に住んでいた私ですが、今は狭い狭い部屋にいて ‥ 近所の洗濯の洗剤の揮撥成分によって苦しめられ ‥ 逃げ場のない家畜のようです。 文字通り domestic って感じです。 ( どんなに広い所に住んでいても建物の中に住んでいるという時点で家畜ということでしたが ) その他に英語で家畜を 「stock (ストック)」 と言います。 その意味は 「在庫品、仕入品、蓄え」 などです。まるで 「商品」 といった感じですね ‥。 自然の生き物にも、食べ物を巣に蓄える生き物がいますが ‥ 少なくとも売り買いして儲けるって考えはないって思います。 さっきの続きですが ‥。 どうにか化学物質を止める方向へ皆が取り組んでくれたらと考えたのですが ‥。 どうしてもみんなが協力してくれません。 このままでは、自然そのものがなくなってしまうというのに ‥。 わたしが、洗剤メーカーや芳香剤のメーカーに 「生活ができないから製造しないでほしい」 と言ったとしても、多分答えは 「そうすれば私たちが生活できなくなる」 と答えるに決まっている…。 文明社会が与えたお金のシステムに縛られると ‥ 健康にも環境にも悪影響があると分かっていながらなくせないのです。 それは、商売というシステムがあり、全ての人がこの商売に捕えられてしまったからに他ならないからだと思います。 家畜が狭い所にいれられ、苦しめられるのも商売のため。 私が狭い所に追い込まれ、苦しめられるのも商売のため。 ストックという意味の通りなのです ‥。家畜は誰かの所有物として管理される生き物です。 運のいいものは比較的広い牧場で飼われますが、運の悪い家畜は、身動きがとれないほど狭い空間に入れられ ‥ 飼い主の商売のためだけに生かされます。 ( 今の私と同じ運の悪い家畜。しかし、運のいい者も家畜。ただ家畜だって気づけないだけ ) 人は、ライオンやヒョウなど野生の生き物を 「残酷」 といいますが ‥、野生の生き物で自分の食糧をストックし売り買いして富とともに地位や名誉を得るものはいません。 言葉の知恵を持った人間だけなのです。
自然の世界ではは、それぞれの生き物が‥「食べること」以外あれこれ考えなくてもいい世界です。つまり、多種多様の生き物が互いに食べたり食べられたりすることで‥見事に調和する世界なのです。だから、誰からも管理される必要がありません。病気になることはめったにないし、病気になっても、自然治癒力が働き勝手に治ったりもします。もし、それで死ぬようなことがあったとしても、死体は生き物たちの食べ物となり、自然全体の命として生かされていきます。 自然は、個人のための自然ではなく、自然のための個人、いや自然も個人も区別がない世界‥つまり全てで一つの世界と言えます。 しかし、家畜はちがいます。 家畜は、多種多様に生きている自然界(互いに食べたり食べられたり)から隔離され、同じ種類だけが柵の中に入れられた状態になっています。だから、糞尿をすると‥人がそれを始末しなければなりません。なぜなら、もしそれを怠ると‥家畜小屋が不潔になり‥家畜が病気になるからです。 自然界だったら、尿は土に吸い込まれ、植物の栄養になります。糞は小動物や微生物の食べ物になっていく中で、これまた植物を育てる栄養になるり豊かな命に満ちた自然界になっていきます。生き物が…それぞれ「食べる」というシンプルな行動だけで‥全てが完成されているのですから‥自然というこれほど素晴らしい世界はどこにもありません。 しかし、自然から閉ざされた家畜小屋では、豊かな命になるはずの糞尿が、皮肉にも病気の原因になるのです。 それから考えると‥、私たち人間も家畜と同様‥食物連鎖から隔離され、人間だけの社会を作り上げたわけですから‥自らを家畜にしたようなものです。糞尿も、自然任せなら‥下水道も不要で、災害時トイレ難民になることもなかったでしょう。森を伐採し、そこを宅地にし、生き物を追い出し、そして出来上がった人間社会は、糞尿の始末も自分たち人間で行わなければなりません。 食べることだけを優先して考えるだけで良かった素晴らしい自然社会を捨てた私たちは、食べること以外に、ひん尿の始末まで考えないといけなくなったのです。 そのため、糞尿をたい肥に変える細菌たちが…病気の原因となり、体を蝕む殺菌剤を大量に使わなければならないのですから‥。 養殖の魚に、殺菌剤を多量に使ったり、畑の野菜に殺虫剤を多量に使うのと同じです。
今まで、家畜が不自然であるものと‥述べてきましたが、旧約聖書を読むと、神が天地創造第6日目、「神は家畜を創造した」と言っています。と言うことは‥神は家畜を繋ぐ綱、家畜を囲う柵、家畜を住まわせる家畜小屋‥これらの知恵の素であり、文明そのものと言えます。神が自然とま逆の存在であるなら、納得がいきます。 2. ┃囲いの中に置かれた人間 ↑野生で自由に飛んでいたこともあった。しかし、今は上野動物園の檻の中。 聖書では、神が羊の飼い主で、キリストは羊飼い、人間は羊‥と例えています。羊は家畜。だったら、わたしたち人間は‥神の家畜ってことです。現在、世界の頂点で支配している一部の人たちが6000年も前から‥聖書を道として、それに沿って文明を進めてきたように思われてなりません。聖書が、人々の事を「家畜」に例えているのですから‥。
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