白鳥沙羅のたわごと(自然に沿って生きていきたい)
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世界最大級の花ラフレシア 12 届きそうで届かない世界
死後の世界 13 自然と逆を願ったギデオン
雨の清水寺 14 カラスの巣立ち
美しいと言う残酷 15 ユートピア/どこにもない国
ヘビを助けたつもりが 16 顕微鏡でも分からない世界
自然にカレンダーは要らない 17 真珠ができるまで
文明を擦り込まれた人間 18 大工:イメージを形にする者
なぜ神を信じる? 19 ノアの箱舟を読んだ感想
神の創造する世界 20 ノアの箱舟の内容と解釈
10 魚に群がるトンビとカラス 21 「ノア」「大工」の意外な意味とは
11 命を支える燃える水 22 //////////////////////

日頃考えたこと、思ったことなどを書いていこうと思っています。
                                                     



1.


┃世界最大級花ラフレシア



↓画像をクリックすると「なるほど世界遺産/ 巨大花ラフレシアの一生」へ
↑画像出典:「ボルネオ島の自然 /ラフレシア 

「根も葉もない」と言う言葉があります。これは、根の部分(=根拠)、がなければ、結果である葉も生えてこないということから、「何の根拠もなく、信頼できない」と言う意味だそうです。

ところで、世界最大級の花ラフレシアをご存知でしょうか?この花には、根も葉もなく、そればかりか、茎さえないのです。それでも世界最大級の花が咲かせられると言う理由は、葡萄科の植物の根に寄生するからです。この花は、腐敗臭でハエを誘い多くの実を結ぶそうです。根も葉もない花の話なので、信頼できないと言われそうですが‥この花は自然に沿って生きることで、豊かな命ある自然環境をつくりだしているのです。

一方、世界最大の日用品メーカー「???」は、石油系の化学物質に寄生し、お金儲けをしつつ自然を破壊する職物(しょくぶつ)です。この会社から発売されている「合成洗剤」は、魅力的な香り(石油でできた毒)で人々を誘い…彼らからお金と健康を搾取した後「世界の最高権威者」という実を結びます。世界最大の香りで誘い、実を結ぶと言う点ではラフレシアと同じ。しかし、自然に任せてそうなっているのと…意図的に文明の知恵でそうしているのとでは、結果がま逆なのです。

つまり、自然の作り出す腐った臭いに誘われたハエは、命そのものである自然を豊かにしますが、人工的な心地よい香りに誘われた人間は、自然を破壊する支配者を豊かにします。


◆「地球を破滅に導く『利子』の恐怖」 ←クリック
「生活百貨 / 合成洗剤の歴史」 ←クリック









2.


┃死後の世界



 偽りの世界=死んだ世界

お腹がペコペコな時、目の前の石が食べ物になったらと‥人は思うものです。しかし、それは本来ない事で‥その方が良かったと思うのです。しかし、現在は‥ かつて森で得た食べ物ではなく石油を基礎にした食品ばかり。

聖書を読むと‥、イエスキリストが高い山に登っていた時 … 悪魔が近づいて 「この石をパンに変えてみなさい」 と言われる場面があります。 石がパンね〜。 って感じですが。 いま … 私たちが食べている食べ物のほとんどに添加物が入っています。 その添加物とは、石の油 … (石油) 。 まさか本当に石の油 (石油) を食べるようになるとは!!


「キリスト」はギリシャ語で「油注がれたもの」を意味し、イエスキリストは、自身を「医者」にたとえ、そして「わたしを食べなさい」と言っています…。つまり、「油注がれた医師(石)である私(パン)を食べなさい…。(つまり、石油入りの食べ物を食べなさい)」という意味が隠されているのかも…。世界の言葉が、同じ文明という存在から出たとするなら…不思議ではないかも…。(※キリストは自身を「ことば」と言っています。言葉こそ、文明の心臓、中心と言えます。)

自然の生き物だった人類が … 不自然に変えられ続け … 今や食べ物がこんな風になって … 。 もう、自然は死んのではないかという感じさえします。 生きていても … 真実ではないのですから ( 偽り、幻‥ )。 森は自然のままの森でなくなり、大地は自然のままの大地ではなくなり、空は自然のままの空でなくなったのなら … 生きていると言っても ‥ 死んだ世界 (又は死後の世界) と言うほかありません。

わたしは、死後の世界という意味には「個人の死後の世界」だけでなく‥「自然が完全に破壊された世界」が含まれていると悟りました。文明に沿って生きている私たちは、悲しいことに…真の死後の世界を造るために生きているようで残念です。


  自然任せの世界=命の世界

自然の不思議なところは、常に元の状態に戻ろうとするところです。たとえば、人が自分のために草刈をしても、すぐに自然は元の状態に戻ろうとします。人が作った原っぱは、管理しなければ…あっという間に森になってしまうそうです。だから、人は本来の自然に戻らないように、原っぱを管理し…常に、草刈機で草を刈っているそうです。

しかし、もし人が(自然を管理する)その手を休めるならば、自然はすぐに本来の姿を取り戻すことでしょう。それこそ私たちの希望だと思います。ただ、自然が破壊され続け、自然がなかなか本来の姿に戻らないのは私たちが手を加え続けているからです。 だからこそ … こんな素晴らしい自然に手を加えることで自然からどんどん離れて苦しむことはないと皆に伝えたいのです。自然は、私たちから自由を奪い、不自然なことを無理やりさせたりしません。

私たちは、文明にではなく、このすばらしい自然に、 もっともっと信頼していいと思います 。







3.


┃雨の清水寺




  

  釘を一本も使わずに建てられた建物

今日(2012年4月11日)は、雨の中清水寺へ行ってきました。 1300年以上も前に建てられたお寺。しかも釘を一本も使わずに建てられているのです。その作り方は、地獄止めと呼ばれるもので、139本の組み木が縦横に組み合わされて作られたものです。本当にすごいですね。だからこそ、1300年も長持ちしているのかもしれません。これを一般の家に応用すると…。家を建て直すのは、何千年かに一度。ってことは…、森林を壊すこともないですね。なぜこれを今応用しないのか…と思いますよね。多分、分業して、経済を回して、世の中をお金だけで動かそうとする意図が働いているからでしょうね。本当は、このように震災にも強い家、しょっちゅう建て替えなくていい家。そんな家がいいですね。


  人を除く霊長類の生き方に学ぶ

でも、もっといいのは、ゴリラやチンパンジーのように、のこぎりも釘も使わない、森林を破壊せず、壊れてもまたすぐに作り直せて、お金もかからない家づくりですね。しかも土地を所有する必要もない…これこそ自然に沿ったすばらしい家の中の家かも…。人間の知恵より劣っていると人々は言いますが‥ある意味人もゴリラやチンパンジーのようであってほしかったですね。

追加)≪人を除く霊長類は、季節や年ごとに移り変わる餌の豊富な場所を求めて、遊動生活をしている。一定のねぐらを持たず、毎日最後に食べた果実のそばや、夜の過ごすのに都合のよい場所で寝る。なかでも、チンパンジー、ボノボ(ピグミーチンパンジー)、ゴリラ、オランウータンの大型類人猿は、樹の枝を折り曲げて就寝用のベッドを毎晩新しく作る。「るびりん書林別館」より≫http://www.asahi-net.or.jp/~zj7t-fji/book_hitotosaru.html


 地獄ほぞ

熟練した職人が美しくて丈夫な建物を追求して作ったのが清水寺。しかし、その方法は、一度やったらやり直しのきかない、一発勝負。このやり直しのきかない方法は「地獄ほぞ」と呼ばれました。地獄止めとも呼ばれる一発勝負の工法で作られた清水の舞台。そこから多くの人々が一発勝負で身を投げたと言われています。 /枠内の文章は、「黒崎康弘のものがたりブログ/ 地獄の一発勝負」を参考

↓地獄ほぞ /組み合わさった後は、二度と引き抜くことができない構造(詳しくは画像をクリック)
画像の出典:半布里工房 /地獄ほぞ








4.


┃美しいと言う残酷





自然のままだからこそ素晴らしい!

「美しい」という言葉が、実は残酷な言葉だと言うとピンと来ないかもしれません。なぜなら、多くの人が一番好きなことばだからです。しかし、‥。たとえばここに美しい花があるとします。すると人は、美しいがゆえに、その花をもっと大きくもっと美しくしようと思うんです。そして大きく美しくなった花を見て満足すると、あっけなくハサミで切って花瓶に生けます。私たちが「美しい」という言葉を知って美しくしようと考えた結果…美しい花は、花が咲いた後実を結び種をつけることを許されず‥無残にも切り取られ、花瓶に生けられ、枯れると燃える火に投げ込まれるのです。

下記のことばは聖書の言葉です。まず、読んでみてください。
”ゆりの花の事を考えてみなさい。どうして育つのか。紬もせず、織りもしないのです。しかし、私はあなた方に言います。栄華をきわめたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。しかし、今日は野にあって、あすは炉に投げ込まれる草さえ、神はこのように装ってくださるのです(ルカの福音書12章27〜29)。”

なぜ‥今日、野にあった花が、明日は炉に投げ込まれるのでしょう?自然本来の花は、種をつけ‥枯れたら、菌やウィルスの食べ物となり、やがて土に還ります。そして、新たに芽生えた命の栄養となるのです。

花は美しいも、醜いも理解していません。花は本能に沿って、命を次に伝えるだけなのです。命を繋ぐことができないで、燃やされたら‥その種類の花は絶滅してしまうのです。自然本来の世界では、美しいとか醜いの概念はなく、なによりも命をつなぐことが最優先されているように思います。「美しい」とは相対的なことばです。横に立つ人によって、美しくもなり、醜くもなるという‥曖昧なことばなのです。

こんな曖昧で当てにならない「美しい」ということば。神が野の花のように着飾ってくれていると言われていても‥何の喜びも満足も得られないはずです。相対的なことばなのですから、あってないようなものです。

多くの人は…この相対的であいまいな「美しい」ということばを当てにして、お化粧をして若さをとどめようと頑張っています。もし私たちが「美しい」も「汚い」も意識せず…ただ自然に沿って生きていけたなら‥無理をすることなく楽しく生きていけたでしょう。

わたしは、お化粧もしないし、パーマも当てないし、もちろん毛染めもしません。鏡の前に立つ時間なんて一日24時間のうち5分もないかもしれません。自分の顔をまじまじと見なければ‥他の人の顔も…どうだったか気になりません。とても不思議です。もし、お互いそうなれば…美しさを保つという余計なことに労力を使わなくていいと思います。

大体「美しい」ということばで利益を得ているのは‥化粧品会社とそのCMに起用された人たちだけだと思います。多くの人は、人生のうちのほんの一時…「きれいね〜(たぶんお世辞です)」って言われたために…死ぬまで化粧することに縛られてるような気がします‥。









5.


┃ヘビを助けたつもりが



ある日深い水たまりにはまって浮かんでいるヘビを見つけ‥なんとか棒でひっかけて地面に引っ張り上げてやりました。わたしは、ヘビを助けたつもりだったんですが‥。ヘビはまた元の水たまりに戻って水面に浮かんでくつろいでしまったんです。それを見て‥ヘビは水にはまって困っていたんじゃなくて‥水に浮かんで日向ぼっこしてたんだってことが分かったんです。自分はヘビの救世主みたいに思ってやったことが…ヘビにとっては余計なことだったんですね。

またある時、倉庫に入ったらヘビがいて‥どうしようかなって思ったんですが‥そのままほっといたら‥どっか行っていなくなっていました。たぶんお腹すいて出ていったんでしょうね。これで、わかりました。自然に任せれば、あれこれ考えなくていいことが…。









6.


┃自然にカレンダーは要らない



            
↓画像をクリックすると 「カレナビ /カレンダーの歴史をたどってみる」へ
                           画像出典:「Gigazine /大きなサイズのカレンダー」

よく、日付とか忘れると…ボケの始まりって言うんですが、森なんかで原始的な生活を一週間ぐらいしたら…一番忘れるのが日付と時間じゃないでしょうか。原始的生活で一番不要なのがカレンダーや時間なのですから…。


自然で生きる生き物には、時計もカレンダーもいらないから、人もまた月日を忘れる。でも、文明社会において、それを忘れてはいけない。だから、カレンダーを買って壁に貼って、印をつけてでも覚えておかなければならない。とても不自然なことをしているんでしょうね。そこまでしないと忘れてしまうんですから…









7.


┃文明を刷り込まれた人間



ローレンツが灰色ガン(鳥)の孵化に立ち会うと‥彼を親と思い込み灰色ガンが彼についてくる‥。これを刷り込み現象と言います(ローレンツがこの現象を発見)。この刷り込み現象と言うのは生き物が自然に沿って生きるという大切な本能なのですが‥それを彼はいとも簡単に歪めてしまったのです。たまたまだったら‥それで終わりですが‥人はこれを意図的に利用していくのですから‥何処までも‥自然が歪め続けるわけです。

良く考えてみると‥私たち人間はどうでしょうか?本来は森で猿と同じような生活をしていたのではないでしょうか?今私たちは文明の始まる以前の世界を生まれてすぐに刷り込まなくてはならなかったのに‥文字や数字に囲まれて‥その知恵で作った壁(建物)に囲まれて‥自然から全く隔離された状態で文明を刷り込まれています。私たちの本当の親が「自然」であるのに‥私たちは「文明」を親だと刷り込まれて生きていると言えるかもしれません。


 ↑文明という偽親

志村動物園という番組を見ていると‥動物の赤ちゃんが、人間の住む建物の中で‥人間が遊ぶ道具に囲まれて生活しているところを映していました。この動物の赤ちゃんたちは、自然に沿って生きていくというとても大切な生き方を失っているのです。本来なら‥私たち人間が‥他の動物に学んで‥文明ではなく‥本当の自然を親として生きる生き方に戻る必要があるのに‥現実は逆で‥私たちと同じように‥他の動物まで‥文明でしか生きられないようにしているのです。









8.


┃なぜ神を信じる



自然は、全てで一つの大きな命になっています。ですから、そのままで調和し、他からコントロールされる必要がない不思議な世界です。

しかしながら、どうして人は、選んだかと思えば落としたり、救ったかと思えば裁いたり、自由意思を与えたと言いながら外からコントロール(支配)するもの(神)が、自然を造ったと信じたりするのでしょう?自然は、選んだり落としたり救ったり裁いたりせず、他からコントロールされる必要がない素晴らしい世界なのに。

私が考えるに‥、それは言葉による催眠術のようなものではないかと思うのです。

たとえば、人間は、目を閉じて立った場合、前後左右に微妙に揺れながらバランスを取って立っているそうです。催眠術者は、その自然現象を利用し‥被験者に、「目を閉じて立ってください。すると、あなたは少しずつ少しずつ揺れてきます。そして、右と左に大きく大きく揺れてきます。」と言い、まるで自分がそうさせて動いているかのように錯覚させます。術者の言葉に力があってそうなったと信じた被験者は、その後、術者の言葉を完全に信じ、術者が言った通りに従うようになります。そして、握った手が自らの意思で開けなくなることさえあるのです。

良く考えると‥催眠術は全て「他者の語ることばによる、コントロール」です。優しく語って、リラックスさせ‥そして、相手の全てをことばによって支配します。つまり、人はことば(神)を知った事で、ことばによって簡単にコントロールされる存在になってしまった生き物と言えそうです。

ちなみに、催眠術はスポーツをした直後などにかかりやすいと言われています。たぶん体が疲れきっているため催眠術にかかりやすい状態(トランス状態)になっているのだと思われます。私たちも、一日中働いて‥疲れきっているところで、テレビのスイッチを入れリラックスしていると、そこで語られることばによってコントロールされていくのだと思います。

動物も、同じリズムでなでたり、同じリズムで動くものをずっと見続けさせたりすると‥トランス状態になり‥ついには寝てしまいます。しかし、ことばを知らないので、野生の動物をことばでコントロールできません。ところが、ことばを知っている人間は、トランス状態に導いた後、自由自在にことばでコントロールできるのです。

ことばの世界(文明)は、ことばによって人々をコントロールするのが特徴だと思います。

ことばがなければ、わたしたちは神も神の愛も理解できません。私たちが自覚しようが自覚しまいが、わたしたちは、ことばのコントロールによって神を信じていると言うことに間違いないと思います。








9.


┃神の創造する世界



破壊して作り出す世界

  創造する前の世界

多くの人は、「神の天地創造」と聞くと、何もなかった所に神が言葉で‥光や大地や海や生き物を造ったように考えます。しかし、私は、神が本来あった世界を壊して、新たな世界に造り替えているのではないかと考えています。なぜなら、神が「光よあれ」といって世界を創造し始める前に、この世界に何もなかったのではなく、「混沌」とした世界であったと聖書に書いてあるからです。もしかしたら、わざと‥混沌という言葉を使うことで、人々に何も存在しない世界に神が世界を創造したと誤解させたのかもしれません。

では、‥混沌とした世界とは一体何だったのでしょう?

混沌とした世界
聖書の創世記1章1節を読むと「初めに、神は天と地を創造された。地は混とんであって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた」とあります。この言葉から、多くの人が神による天地創造以前の状態のことを、グチャグチャで不調和な世界だと考えます。確かに、混沌ということばの意味を辞書で引くと「入り混じって区別がつかないさま」とあるので、そう解釈するのも当然といえば当然かもしれません‥。

しかし、良く考えてみると‥ぐちゃぐちゃで、一見不調和に見えるカオスの世界こそ‥自然本来の世界だと思いませんか?わたしは、数年まえ畑を借りて‥野菜を植え育てた事があります。きちんと区画された畑に野菜のタネをきちんと並べて植えるのですが‥雑草は‥その境界線を越え‥縦横無尽に伸びてきて、ある意味畑がぐちゃぐちゃになります。カマで雑草を刈っても、雑草はお構いなしに我が家の畑に生えてくるのです。自然本来の生き物は、境界線のない世界に生きています。だから、文明の手を加えなければ、自然本来の木や草やその他の生き物たちは、自由に行き来し入り混じり‥ある意味混沌とした世界を作っていくのだと思います。。

この混沌とした、一見ぐちゃぐちゃなカオス的世界(自然本来の世界)は、他から管理されなくても…勝手に調和していく世界なのです。これほど素晴らしい世界があるでしょうか?

むしろ私たちが、神の知恵により自然本来の土地を所有し、そこに境界線を引き、適当に生えていた野生の植物を、きちんと所有した畑に植え直し、そして育てていく行為こそ不自然ではないでしょうか?

ある日、イノシシが、畑へやってきて、人間が大切に育てた野菜を踏みつぶし、勝手に食べていった事があります。人々は、イノシシを野菜泥棒と言って、無情にも鉄砲で撃って殺してしまったのです。しかし、イノシシは、そこが畑にされる以前、そこが森だったころ、そこに住んでいた生き物なのです。今住んでいる森は、建築に役に立つスギやヒノキばかり、実のなる木も、食べ物になる草も生えていないのです。餌を求めて人里へ降りてきたイノシシ。

本当は、人間が土地泥棒なのです。誰のものでもなかった地球の土地を所有し境界線を作り他の生き物を寄せつけなくしたのですから。もし、文明の知恵を持った神と人間とに接点がなければ、地球はこんなに境界線でバラバラにされることはなかったでしょう。そして、どんな生き物も自由に行き来して‥自由に生きられたことでしょう。

神の創る世界
創世記1章1節〜4節の言葉を読んでみます。そこにはこうあります。「初めに、神は天と地を創造された。地は混とんであって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け‥」と‥

先ほど述べたように、神が創造する前にすでにあったカオス的無秩序な自然本来の世界は、数字や文字で表せない世界です。これは、文字や数字そのものである神にとって、『闇」であり、「無い」に等しい世界だったのではないでしょうか。だから‥ことばと言う文明の特徴を兼ね備えた神は、「数字や文字で表せないぐちゃぐちゃで一つ塊となった自然本来の世界」を分解し、一つ一つに名前をつけることで新たな世界を創ったのではないでしょうか?つまり、「名前のないぐちゃぐちゃな世界」を、「名前がついてきちんと種類ごとに分類された世界」へ造り替えているのではないでしょうか?(身近なところでは、水族館や動物園、田畑、お店、住宅地など)

具体的には、一つ塊となった自然本来の世界を、生きた牛に例えると、生きた牛を刃物で解体し‥それぞれに、角、目、鼻、口、首、胴体、足、尻尾、内臓、骨、歯‥と言った具合に名前をつけ、それを分類していくのです。そうしなければ、神には牛が見えないのです。名前が付けられて初めて、神に見える存在となり、初めて「解った」となるのです。生きた牛が解ったと言う時、生きた牛は解体され死んだ時なのです。神にとって、ぐちゃぐちゃで、闇だった世界が、刃物によって分解され名前がつけられることでやっと「解った」世界‥つまり、神にとってはっきり解る光の世界になるのです。

つまり、カオスになった地球であっても、名前をつけることで‥たった一人の人(例:山田太郎さん)でも探し出すことだってできるのです。

山田太郎さん(仮名)の個人情報
国籍‥日本
地域‥四国の愛媛県
番地‥○市○町1丁目1番地
年齢‥29歳
性別‥男
勤務先‥NEE

自然界では、国がありません。地域名も番地も個人の名前も‥。これが管理し支配する立場にある神にとっては「闇=カオス」なのです。それを、光と言う言葉区切っていくと、特定の人を明るみに出す事ができるのです。このような世界こそ、神が求める世界であり、神が創造した世界と言えます。

つまり、自然に取って、調和のとれた世界が、神にとっては、闇の世界(カオス)であり、自然にとって、バラバラにされ不調和になった状態が、神には理路整然とされた光の世界です。つまり、神と自然本来の世界はま逆の世界と言っていいかもしれません。


  自然を皮きりに始まった神の世界

「創造」という言葉を、辞書で引く

では、漢字源で「創造」という意味について調べて考えてみたいと思います。

まず辞書を引くと‥
「創造」という漢字の「創」とは‥「刃物で切る」「刃物で切れ目をつける」とあり、
「創造」という漢字の「造」とは‥「材料をくっつき合わせる」「手当たりしだい寄せ集めてでっち上げる(ねつ造)」と書いてあるのです。

つまり、創造とは、「もともとあるものを刃物で切ってバラバラにし、それを寄せ集めてくっつけて、新たなものを造ること」だとわかります。何もなかった所に新たに造ったのではないのです。

野生の生き物は、料理して食べたりしませんが、人間は‥自然の食べ物を刃物で切ってバラバラにし、寄せ集め新たなものを造ります。たとえば、ハンバーグは牛を刃物で切ってミンチにしたものと、玉ねぎを刃物でみじん切りにしたものと‥その他卵や調味料を入れて、それらの材料をくっつけて、楕円形などの形にし、フライパンで焼いて造ります。

つまり、このハンバーグ作りのようなことを、神は「創造」と言っているのだと思います。同じように神も、もともとあった自然を刃物でバラバラにし、そしてそれらをくっつけて新たな世界を造っているのです。分かりやすく言うなら自然本来の世界を神の考える世界に、刃物を使って変化させているのです。

ヨハネの黙示録の1章16節を読むと‥
キリスト(人の子のような方)の姿について次のように書かれています。
「(中略)‥(キリストの)口からは鋭い両刃の剣が出ており‥(中略)‥」と。
また、ヨハネの福音書1節〜3節までには、こう書いてあります。
「初めに、ことばがあった。ことばは神であった。この方は、初めに神とともにおられた。全てのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない」と‥。

それで、ヨハネの福音書1〜3節の「ことば」というところに「刃物を口にくわえたことばと言う存在」として訳して書き出してみます。すると‥
「初めに、刃物を口にくわえたことばと言う存在があった。この刃物を口にくわえたことばという存在は神という絶対権威者であった。この刃物を口くわえたことばという存在は、初めに神とともにおられた。全てのものは、この刃物を口にくわえたことばという存在によってバラバラにされた後くっつけられ、新たなものに作りかえられたのです。造りかえられたもので、この刃物を口にくわえた存在によらずできたものは一つもない」と言う具合になります。

つまり、天地創造とは、何もないところに…神が作り出しているのではなく、もともとあった自然本来の世界を刃物で切って造り替えているということが分かります。

ノアの方舟は、鋸で木を切り‥それを釘やアスファルトでくっつけました。文明社会は‥両刃の剣ということばで自然を分解し‥それを文明の知恵で加工し‥新たな世界を創造しているのではないでしょうか?数字や文字で造った自然にはなかった新たな決まりや法で縛られた世界、窮屈で不自由な世界。それが文明社会であり、神が新たに創った世界です。(自然には所有もお金も存在しません、文明がもたらした所有とお金が…神の考える世界を造るための接着剤ではなないでしょうか‥)


  求めるべき世界(本来の自然)

私たちが求めるべきもの

私たちは時に、菌を「単細胞」と呼んだり、虫を「虫けら」と呼んだり、自然に沿って生きている人々を「野蛮人」と呼んだりすることで自然を軽蔑しているように思います。本来、私たちは自然そのものであったし、菌も虫も獣も木や草も‥全てが同じ自然の中の命であったはずなのです。全てが同じで一つの命なら‥どちらが優れどちらが劣っているか、また、どちらが清くどちらが汚れているか、そんな区別はいらないはずです。全てが同じなのですから‥。

私たちが求めなければならないのは、菌も虫も獣も人間も木や草も‥そして人もみな同じ身分になり、お金も法律も所有もない‥無限に広がる(境界線のない)世界でもんな一緒に生きることではないでしょうか?

お金は‥土地を所有させ、そこにいた虫や鳥や獣を追い出し、人間だけのための畑や建物を作り、多くの生き物の命を奪います。

素手で生きる
私たちがもし、「自然が全てでひとつ。同じ身分である。」と理解できたなら…。神を敬ったり、神に感謝したりするのではなく…、文明の特徴を持ち合わせた神の知恵で作った道具をまず捨てるのではないでしょうか。自然の生き物は、どんな生き物も素手で生きています…。だから、他の生き物と同じ身分になるには自分たちも素手にならなければ、同じ身分とは言えません。

もし、道具を捨て同じ身分になることが大事と考え、そして実際に道具を捨てることができたら、私たちは‥全ての生き物と同じ身分になれるのです。そうすれば、木を切る道具がなくなり…。家を建てる道具がなくなり…。道を作る道具も、自動車を作る道具もなくなり…自然本来の世界(本物の世界)へ戻ります。なんて、素晴らしい世界でしょう。

しかし…もしこの世界が、それを許してくれない世の中(神の知恵で造られた文明社会)であるのなら、私たちは、もっと素直に…呻き、嘆き、悲しんでいいと思います。ニセモノの世界に閉じ込められたままなのですから…


まとめ
全てで一つなら同じ身分でなければならない。
同じ身分になるためには、道具を持っていてはいけない。
道具を捨てて、同じ身分になる。
同じ身分になれれば、全てが一つになれる。
神のもたらした火や剣は‥自然をバラバラにして創った偽物の世界である









10.


┃魚に群がるトンビとカラス




ある日海岸を散歩していると、堤防ににカラスとトンビが50羽ほど止まっていました。そして空を見上げると‥20羽ほどのカラスとトンビが舞っていて…。なんだろうと海の方を見ると死んだ大きな魚がぷかぷかと浮かんでいました。そう、みんなその魚を食べに集まっていたのです。あまりにも多くのカラスとトンビの数に圧倒されながらもその様子を見ていました。全てが動いて見えて‥少し酔った感覚でした。本当の野生を感じる瞬間というか‥(今まで味わったことがない)

もし人間だったら、仕切る人が「順番にならんで〜」とか言うんでしょうが‥。そんな役割をするものはどこにもいないのに‥、申し合わせもしていないのに‥、どうしてか見事に調和して…。先に食べたものは、堤防に止まり…。堤防に止まって待っていたものは…魚を食べに。
空には常に20羽ほどが舞っている。多すぎるカラスとトンビ。なのに魚に集中しすぎることがない。本当に自然は、素晴らしいと心から思いました。









11.


┃命を支える燃える水



           ↓画像をクリックすると「石油産業150年の歴史」(画像出典元)へ

井戸から汲まれる普通の水と井戸から汲まれる燃える水(石油)。普通の水は直接飲んで命を生かすが‥燃える水(石油)はお金を通して人々の生活を活かす。水は自然の命を豊かにし‥燃える水(石油)は、自然の命を破滅に導く。現在、命を支える本当の水が、命を破滅に導く偽物の水(燃える水=石油)にすり替えられているような気がしてなりません。


         






12.


┃届きそうで届かない世界




我が家には10歳になる犬がいます。
家の中で飼われた愛犬がいるのは、いつも窓際。
私が学校で、好きだった場所も‥愛犬と同じ窓際だった。

もう少しで届きそうな‥木の枝や木の実。
もう少しで行けそうな、小鳥たちのいる自由な世界。
なぜ行きたい時に行きたい場所へ自由に行けないんだろうって、いつも窓から外を眺めていました。

今多くの人が、テレビやパソコン(携帯も含め)の画面にくぎづけされるのは‥
文明という不自然で不自由な世界に閉じ込められているからではないでしょうか?

テレビやパソコンの画面が‥もう少しで届きそうな自由な世界(もはや自然ではない不自由で不自然な世界)へ誘っているからかもしれません。









13.


┃自然と逆を願ったギデオン




聖書に出てくるギデオンは、神にこんなことをお願いします。それは、「羊の毛だけが露で濡れて‥羊の毛の下の地面がすべて乾いているように。」と。普通だったら濡れた羊の毛の下の地面は濡れているはずなのですが、不自然なことをするのが神であるという考えからこう願ったようです。

わたしも良く思いました‥。普通考えられないようなことが起きると‥神の御告げだとか…私自身が特別な人じゃないかと…。でも今はこう思うようになりました。「自然には特別というものがない。みんなが特別だと注目するものもでさえ‥自然では普通の出来事であり、自然においてはみんな同じ。優劣の差はない。」と‥。

今年は金環日食でみんな日食メガネで日食を見た人多かったと思います。普通生き物は目を傷めてしまう太陽を見ようとしません。まして日食を見るわけがありません。道具(人が自然に手を加えて作った物)を使ってまでそんな危険なものを見ようと考えるのは人間だけではないでしょうか。いつもと違う不思議な現象。そんなことばかりに目が行く行為はとても不自然な行為であると思います。

私は‥ありふれた‥どこにでもある‥日常の‥そんな世界が好きなんです。もちろん人工的でないもので‥









14.


┃カラスの巣立ち



2009年6月の頃のこと。公園の据え付けのテーブルで本を読んでいると、すぐ近くにある大きな楠でカラスが子育てをしていた。毎日公園へ通うなか、いつの間にかカラスと私は顔見知りとなり‥私が木の傍にいてもカラスは全く気にしなくなっていた。しかし、中年の男性に対してだけは違っていた。町では、カラスの駆除が毎年されていて‥たぶんそれを実行するのが中年の男性だから‥。 だから、中年の男性を特に嫌っていた。

たとえば、中年の男性が巣の真下にあるベンチに腰をかけた場合。必ず、「ここに来ないで〜!」っていう意味を込めて小さな枝をくちばしで折ってその人に落とす‥。結構、命中する。 (でも、痛くなんかないですよ。小さな枝なんですから‥。)あっ!何か落ちてきたって感じ‥。

わたしは、子供を守るためにカラスが必死に‥知恵を絞ってやったことなんだと感心して見ていたら‥、枝を落とされた中年の男性は腹を立て、落ちてきた枝を拾ってカラスに向けて投げ返しているのです。ちょっと見苦しかったな〜。なんせ‥カラスを相手に本気で怒っているのだから‥。カラスがどんなに酷い目に遭っているか、想像したらきっとわかっただろうに‥。それを考えたら、人を襲ったりせず、枝で合図するなんて、結構控えめだなって‥。

この公園で子育てをしていた2匹のカラスは、枝を落として合図するか、巣の近くに来ないように上空を飛んで追い払おうとするか、近づいてくる中年の男性に声を荒げるか‥結構平和的な方法をとっていた。カラスの赤ちゃんは、親がいないときはお利口さんに静かにしていて、親ガラスが帰ってくると急に、「ア〜ア〜」と甘えた声をだして餌をねだる‥。

公園のカラスと出会って2ケ月ぐらいたったころ。カラスの赤ちゃんは随分大きくなって、巣から少しだけ離れた枝に止まっていた。とうとう巣立ちか〜。感慨深いものがあります。中年の男性と親ガラスといろんな確執があったけど‥、何事もなく巣立ちまでこぎつけて、本当に良かった。数日して、また公園へ行ってみると、カラスの赤ちゃんは、別の木に止まっていた。そんなに移動できたんだと、こちらもうれしくなった。

森を奪われ、あるときは命を狙われ、あるときは、巣を丸ごと盗まれて‥(全て文明の愚かな知恵に騙された人間により)。どれだけカラス(他の生き物も含め)が、不自然で残酷な世界に追いやられているか‥。ときどき、カラスが人を襲うってマスコミが取り上げるけど、その前に人間が何をしたかは取り上げない。カラスってよっぽどのことがなければ人を襲ったりしないです。結構、優しいですよ。私は、そんな所ばかり見てますから‥

私たちは、もっと反省しないといけない。カラス(他の生き物も)に対し何をしてきたかを‥。カラスを駆除しなくてもいい世界になるように、元通りの森に戻さなければ‥。カラスの子育てを見ながら、こんなことを私は考えていた‥。



  お勧め動画

                  こちらの動画を見れば、人間の作った文明がいかに歪んだものかわかると思います。



動画 /駆除されるカラスのヒナ(↑画像をクリック)

動画を見ると、巣と雛を奪われたカラスが、電力会社の職員の側でクチバシを電線に激しく打ちつけています。それが、どんなに悔しくて悲しいか…、わたしの心を激しく揺さぶりました。毎日せっせと餌を運び慈しんで育てていたのですから。しょうがないと諦めるのは簡単です。でも、こんな不自然な電柱に巣作りしなければ生きていけないほどカラスを追いやってしまったことを「警告」とし捉え、生き物が自然の中で生き生きと生きていけるような環境にしていく努力をしなければ、私たち自身も生きていく環境のない世界に自分たちを追い込むことになるのではないでしょうか?









15.


┃ユートピア/どこにもない国



ユートピアとは、ギリシャ語のUとTopiaからなる造語。Uは否定を表し、topiaは場所。つまりどこにもない国と訳されています‥。イギリスのトマス・モアはこれを題名に王も貴族もなく、金貨や宝石もない理想の国を描きました。それ以来ユートピアは理想郷の代名詞になったと言われています。しかし、理想郷文学の特徴を調べると‥。ユートピアとは、市民の理想ではなく、支配者の理想というのが分かってきます。


以下を読んでみてください。

@周囲と隔離した孤島(←人々は自然から隔離された文明という孤島に囚われた
A幾何学的に建設された城塞都市(←計算し尽くされた都市
B生活は厳格に律せられ、質素で規則的で一糸乱れぬ画一的な社会(
←自由が全く許されない世界
C住民の一日のスケジュールは労働・食事・睡眠の時刻などが厳密に決められており、長時間労働せず、余った時間を科学や芸術の為に使う。(←自然が与えた本能を否定し、文明が与えた時間に沿って生きる
D人々は男女とも完全に平等であるが、同時に個性はない。(
←自然本来の生き方を否定した平等
E微生物や菌などは駆除されており、物理的にも社会的にも衛生的な場所である。(
←命の循環が全くなくなった世界
F社会のあらゆる所に監視の目がいきわたり犯罪の起こる余地はない。(
←耐えがたいほど窮屈な世界

G変更すべきところがもはやない理想社会が完成し、歴史は止まる。(
←支配者にとってはりそうかもしれないが、支配されるものにとっては地獄

更に調べてみると‥
ユートピアのユーは、正確にはUではなくEuと書き「良い」という意味だそうです。トピアtopiaには、ラテン語で「装飾的樹木の刈り込み法」という意味も‥。木は本来自由に根を張り枝を伸ばすのが自然…それを自然から隔離した庭に植えて、所有者のイメージする形に木を刈りこんでゆく…それが所有者にとってよい土地。良い国…。それを一言で言うとユートピアってことに。つまりユートピアとは、支配者が自分の理想を実現する世界の事‥。今、支配者にとってのユートピアは完成しつつあるのかもしれない。


文明という孤島。
計算つくされた都市。
決まりでがんじがらめになった画一的な社会。
自然にではなく、時間に沿った生活。
男女雇用などでも分かるように不自然な平等‥。
菌や微生物を駆除した世界。
防犯カメラやケータイ(カメラ)でお互い監視する世界。
もうすぐ支配者に追い込まれた網(罠)にすくわれ…捌かれるのかも。
要らないものは捨てられ、残された者は完全な奴隷として‥。

いつか、残された人々(選ばれた人と生き物)だけが宇宙船(魚を捕える網)に乗せられる(すくわれる)時が来る…。そのとき初めて、自分たちの望む国(地球)が「どこにもない国」=「ユートピア」になってしまったことに気がつく‥理想郷にいたのに、どうして気がつかなかったんだろうって、失って初めて気がつくことに。そして、涙を流しながら宇宙船から燃えて行く地球を眺めている。そんな将来の姿を(勝手に)想像してしまうのです。







16.


┃顕微鏡でもわからない世界



    ↓電子顕微鏡・光学顕微鏡・肉眼でそれぞれ見える大きさの限界
          画像出典 / 「一般社団法人日本分析機器工業会 /電子顕微鏡の原理

顕微鏡ができて見えないものが見えるようになった。でもそれが拡大100倍の世界だったら?100倍の世界が見えただけ。それを1000倍にしたら、1000倍の世界が見えただけ。結局見えたところ以外は見えないじゃないか!なのに研究者は、100倍の世界が見えたからこれで分かったっていうのです。そう思ったら‥今度は10000倍の世界が見えたからもっと詳しく分かったと…。

分かった情報だけで、無限に広がる自然は分からない。

ただ「分かった」と思ったところで研究者は大胆にも自然をいじくり回す。分からない部分の全てを無視していじくり回す。 不調和にしないためには、「自然に対して道具を使って何もしない事。」が大切なのに‥。








17.


┃真珠ができるまで



↓真珠の取り出し体験について(画像をクリック)

写真出典:真珠工房・真珠の里

アクセサリーに無縁な私でも持っている真珠。もし、冠婚葬祭などがなければ‥真珠さえ私には必要なかったと思っています。

ところで、この真珠どうやってできているかご存知ですか?若い頃職場で出会った友人の実家が、真珠の養殖をしていて、少しだけその作り方を教えてもらいました。その内容は、貝を開けて傷をつけ、塞いで置いておくとのことでした。そうすることで…傷を修復する過程で「真珠」ができるのだそうです‥。「へ〜ぇ。そうだったんだ。不思議だね。」といった会話をしたのですが。それで、もっと詳しく調べてみました。



↓真珠ができるまで
@真珠を作るアコヤ貝を準備
Aアコヤ貝の卵巣部分にメスを入れる
Bそこに他のアコヤ貝の外套膜を細かく刻んだものを入れる。
C続いて、どぶ貝(アメリカ産)を丸くしたものをBとくっつくように入れる。
D半年ぐらいたつと…真珠の出来上がり。真珠は取れるし、その後アコヤ貝は、食べれる…。だから、一石ニ鳥。

つまりアコヤ貝が、私たちのために無駄に傷つけられているとも言えます。でも、もし人が真珠を美しいと思わなければ‥アコヤ貝が、海から隔離された養殖場でこんな不自然なことをされて…食べられることはなかったでしょう。そう思うと‥生き物を無駄に傷つけて、自分を飾ることは、そんなに重要ではないような気がしてきました。
  

  





18.


┃大工イメージにする



大工は建て主のイメージを実現するための奴隷

りっぱな家を建てたら‥「(大工が建てたのに)わたし、このほど家を建てたんですよ‥。」と嬉しそうに、みんなに披露します。そして、見せてもらった人は、もちろん「素晴らしいですね」と称賛するわけですが‥。もし、この建てた家に不具合が出たら?もちろん、この家を建てた大工のせいにします。「この家を悪く創ったのは大工だ」と‥。事実そうなのですから、大工に責任を取ってもらうのは当たり前です。

つまり理想とするイメージを伝えたのは、建て主ですから‥、建て主の理想とするイメージを実現できなかったものはできの悪い大工ということで悪い評価をされて当然なのです。しかし、建て主のイメージのままを実現できたら‥「これが私の頭にあったイメージで、そのイメージが素晴らしかったでしょう。」と言うことになるわけです。だから、いい大工は、けなされることはありませんが、その称賛はすべて建て主に持って行かれることに…。

そういう理由から人は、建てた家を自慢するときは、さも自分が建てたように言い、不具合が出ると大工のせいにする‥と言うことになるのでしょう。ということは‥、大工は建て主のイメージを実現するための奴隷」と言えます。(自分勝手に創ることは許されないのですから) 


  人は神の奴隷??

ところで、聖書を読むと‥。神は造り主。そして神の子キリストの職業は大工。実に興味深いですね。今までの話からすると‥大工であるキリストは、建て主である神のイメージを実現するものってことでしょうか。では、いったい神はどんなイメージを実現させたいのでしょうか?

下の聖書の箇所を読むと‥神が実現したいことがわかってきます。



「神は彼らを祝福して言われた『産めよ。増えよ。地に満ちて地を従わせよ。海の鳥、空の鳥、地を這う生き物を全て支配せよ。』(創世記1章28節)」

つまり‥神が実現したいことは、次の2つであることがわかります。

@人を増やし、地に満たす
A人が地(自然)に従うのではなく、地(自然)を人に従わせコントロール(支配)する

この2つは、神の命令なのですが‥。よく考えると自然に反していることがわかります。たとえば‥自然において、一種類の生き物が不自然に増えると‥今まで調和が取れていた生き物のバランスを崩すことになります。ですから、自然は意図的に外からコントロールされないのが自然です。

本来人は赤道付近の森に住んで文明に頼らず生きていました。ですから、人間だけが不自然に増えることはなかったわけです。ところが、文明に頼った人々は、木を切り倒し家を建てることで、寒い土地に住むことができるようになり、全世界にのあらゆる土地に住むようになったのです。そして、自然を逸脱した人は、地(自然)を自分に従わせコントロールするようになりました。神の目的通りに‥



 自然に管理は要らない

自然の世界は、もともと管理が不要な世界。

たとえば‥野に咲く花は、水やり不要。支柱不要。肥料不要。農薬不要。つまり自然は管理不要の世界。しかし、植木鉢に植えたとたん、水やりが必要。支柱が必要。肥料が必要。農薬が必要。そして、それらを全て与える事で‥植木鉢に植えられた花は元気に育つ。しかし、水やりを忘れ、支柱を忘れ、肥料を忘れたら‥。その花は枯れてしまうことに。

つまり、自然を不自然にする事で、管理を必要とさせるということなり、管理を怠ると‥生き物は絶滅してしまうということに…。なのに、人々は、自分たちが他の動物より優れているから、神に選ばれ神に「支配(管理)」を任されたのだと喜んでいるのすから‥。

完全だった自然を、神は人間に生き物を支配させるという不自然な行為で、自然を破壊していくという‥神の計画が見え隠れしています。



 地に火を投じに来た神

聖書には以下のような言葉があります‥
わたし(キリスト)は、火を地上に投じるために来たのだ。火がすでに燃えていたらと、わたしはどんなに願っていることか(ルカ12:49)

と言うことは‥「神の真の目的は、やっぱり自然破壊だったんだ‥。だから、文明によって傷ついた自然を元に戻そうと働きかけると、相当な圧力がかけられ、それが許されないようになっているんだ‥。」

しかも、地球が最も住みやすい場所であるにもかかわらず、宇宙開発に力を入れていることにはとても疑問です。多分近い将来、この地球は火で包まれた地獄となるでしょう。それは、世界にちりばめられた原発の冷却装置の電源が一斉に落ちることから起きるかもしれません。その時、一部の選ばれた生き物だけが宇宙ステーション(これが天国の正体)へ連れて行かれることに…。「現代版ノアの箱舟(宇宙船)」という方舟に乗って‥。

その時‥人々がいる場所は遥か高い山々を見下ろすほど高い場所(天国=宇宙ステーション)。しかも、地球は燃え盛る大地。


 人が神の目的を実現しても‥

多くの人が認めるように、人は文明を進めることで自然を破壊してきました。と言うことは、自然破壊が目的の神にとって人間は、忠実なしもべであるわけです。ところが、神は人間のことを忠実な良いしもべと褒めてくれないのです‥。つまり、神は自分の知恵で人々を自然破壊するように導いたにもかかわらず、自然を破壊したのは人間のせいだと言うのです。


その時始めて、人は文明の知恵を持った神という存在に騙され続けたと悟るのだと思います。



↓そして、騙されたと悟った人々はこう考えるでしょう。(私の勝手な想像ですが、こうならないことを切に願うばかりです)
あの日、あの時‥私たちは騙された。
自然を所有する事を教えられた時。
裸を軽蔑するように教えられた時。
死を終わりと教えられた時。
生き物を支配するように命じられた時。

遠い地球。
燃え盛る地球。
もう戻れない地球。

ただ流れていく涙。

食べられたり食べたりする命の循環から遠く離れた閉ざされた世界。
死がなくなったと同時に自由もなくなった世界。



 神の具現化

神は目に見えない存在。その目に見えない存在が今形になろうとしています。それは、しゃべるロボットです。神の意志の通りに話し動くロボット。こんなロボットが将来できるでしょう。私たち人間が神に選べれて奴隷のようにされて文明を進めてきたのは、この一点の為と言って過言ではないでしょう。そうなったら、人間は不要になるかもしれません。つまり人々の頂点に立って世界を支配していた人々も(全ての人と同じように)処分されることになるかもしれません。


 神=文明???

その一番の根拠は、神の願いが文明を進める事でしか実現できないという理由からです。ある人は、「自然=神」と考えます。(かつて私もそう考えていました。) しかし、自然を見て分かったことは‥全てで一つに繋がった自然は全てが同じ身分であるということです。だからそこには、ひれ伏したり感謝したりするものはいないのだと‥。しかし文明は、自然を分け隔てした上で‥上下関係を作り、上の者(支配者)に下の者がひれ伏すよう仕向けます。その考えから言うと、神こそひれ伏さなければならない絶対的存在(絶対的支配者)で、文明の中の文明と言えるのではないでしょうか。






19.


┃ノアの箱舟を読んだ感想




↑画像出典:ワールドメイトハッピー /大洪水とノアの方舟伝説


はじめに

  物語の全貌・人類を10人の子どもに例えて説明

ノアの箱舟の物語は、聖書の創世記に書かれてあるとても有名な物語で、どう言う内容か簡単に言うと‥「やる事なす事、全て悪いことしか計画しない人間に対し心を痛めた神が、『なぜわたしは、人間を造ったのだろう』と後悔し(あるいは残念がり)、なんと‥ノアとその家族とわずかな動物以外の生き物全てを洪水によって滅ぼしたという物語」です。

この物語を、10人の子どものいる一家の家庭に例えるなら、「やることなす事全て反抗的な子どもに手を焼く母親が「なぜ私はこの子たちを生んでしまったのだろう」と心を痛め一人の子ども「ノア」とノア以外、つまり残り9人とその子たちを溺死させるという物語」という風になります。

10人生んだ子どものうち、9人までが手を焼く子どもばかりに育ったら、大抵の親は「先にこんな事になると知っていたら生まなかったのに!」なんて言うでしょう。しかし、神はそれを先に分かっていながら人類を造り、そして後悔し(あるいは残念がり)、人間も自然の生き物もみな殺そうと考えたのです‥。全知全能で、愛情豊かだと言われる神が…いったい、なぜこんなことをと思わせる物語です。

追加)
・若い頃、クリスチャンの友人から聞いたノアの箱舟の話は「ノアは神の命令に従い箱舟を山で作ったため、多くの人々に笑われながら作ったと聞きました。そして、周りの嘲笑に堪えて作った箱舟に乗ると、雨が降り始め‥洪水になり、かつて笑っていた人々がノアに向かって助けを求めたが、神が箱舟の戸を閉じたので助けられなかった」といった内容でした。しかし、聖書を読んでもそんな記事はどこにもありませんでした。


ノアの箱舟を読んだ感想

  感想1・もろ手を挙げて喜べない救い

(ノアの箱舟を9人の反抗的な子9人と素直な子1人、計10人の子を持つ母に例えて考えての感想)
たとえばもし、親に「あなたはいい子だから別だけど、他の兄弟9人は言うこと全然きかないから、溺死させようと思っているのよ。でもあなたには、l絶対沈まない浮き輪の設計図をあげるから、これに沿って浮き輪を作り備えなさい」と設計図を渡されたとします。そのとき、わたしは‥「さすがお母さん見る目がある。私はいい子で本当に良かったな〜♪」とはなりません。

たぶん、母の告白に対し、「母は、こんな恐ろしいことを考えていたのか」と、母親の事が信じられなくなります。たとえ、渡された浮き輪の設計図に沿って作った浮き輪にによって自分1人助かっても‥、たぶん心から喜べないと思うのです。それは‥、今後自分が母に対し少しでも反抗的な態度を取ることがあったなら、母親は、自分に対しても容赦なく他の兄弟にしたことと同じことをするのではないかと考えるからです。

たしかに、表面的には‥以前に増して、母親の言うことに忠実に従うようになるでしょう。しかし、それは‥信頼できる親と一緒にいるという安心感から出た態度と言うのではなく、いつ親に殺されるか分からないという不安感から‥絶対服従しているだけの関係になっているのだと思うのです。

それでも、絶対服従する私を母親は喜び、他人に対し、「この子は私を信頼しているから、こんなに言うことをきくのよ。」と自慢するでしょう。しかし、真実は逆で、いつ母が自分を殺すかもしれないという不信感から従っているだけなのです。

たとえば、飼われた犬は、餌の前に飼い主の言う「お手、おかわり、伏せ」という命令に従うのが、主人を信頼している証のように聞いた事があります。しかし、わたしは、そう思わないのです。なぜなら、自然の世界では、餌を自由に捜し食べて良いわけで、誰からも「おて、お代わり、伏せ」と命じられたりしません。犬が、このように命じられて素直に従うのは、主人に信頼しているのではなく、自然から隔離され、食糧を支配され、「おて、お代わり、伏せ」をしないと、餌がもらえないからです。つまり、主人に信頼しているのではなく、「おて、お代わり、伏せ」をしなければ、餌がもらえないから、従っているだけなのです。

要するに神は、全人類を殺すという前代未聞の大虐殺によって、ノアとその家族に対し…神への絶対的忠誠心を誓わせたと言っても過言ではないと思いました。


  感想2・救われるって楽じゃない

この物語で大切なのは、神の設計する通りの箱舟を作り、そこに乗りこみ救われることだそうですが、わたしは、、「箱舟を作りなさい」と神に命じられたとしても‥たぶん箱舟を作らないと思うのです。いや、作れないと思うのです。

長さは約150メートル、幅は約25メートル、高さは約15メートルの箱舟をどうやって8人(ノアを三人の子と、それぞれの妻4人)で作ればいいのでしょう?たとえば、大きな舟に必要な木の調達方法。それだけの木を切り倒すエネルギー。また大量の木々や船底に塗る大量のアスファルトをどうやって運んでくるのか?鋸で切ったり、大工作業など本当に家族たった8人だけで作れるのか?問題は多すぎて、とてもじゃありませんが普通の人には無理なことだと思うのです。例えば、長生きしてもあと50年で80歳として、船造りに50年必要とします。もし、舟の制作に長い時間と重たい労働が課せられるとしたら、たぶんやらないでしょう。

ちなみに、ノアの父レメクは、「この子こそ、主が地をのろわれたため、骨をり働くわれわれを慰めるもの」といってその名をノアと名付けたそうです(創世記5章28節)。なのに、神は、救われるためにこれほどまでに骨折りな労働をノアに命じたのですから‥。いやはや。

こどものころ、近所から廃材を集め小さな家を立ててみようと友達と、鋸と金槌を持ってきてトンカチ・トンカチと家作りに挑戦しましたが、自分にとって柱とした4本の棒がぐらぐらして立たないのです。まったく家を立てたことのないものにとって、柱を立てるだけで一苦労です。ましてや湾曲する形の舟をどうやって素人に作れと言うのでしょう。神に救われるって…決して楽じゃないってことが分かります。

たとえ、もしそれが可能だったとしても、「神は愛情深く、決してそんな残酷なことはしない」と信じるものにとっては、「罪深い人々を滅ぼす」という神の考えは、冗談だと考え箱舟を作ったりしないのではないでしょうか?ノアの場合、素直に神の言う通りに、様々な困難を乗り越え箱舟を造ったと言うのですから、ノアにとって神は、、相当恐ろしい存在だったと言えそうです。

もう一度言いますが、ノアの箱舟で大切なことは、神の設計する箱舟をその通りに作り、それに乗りこみ、救われることだと言われています。それが信仰だというのなら、神は自分を「わたしは、恐ろしく怖い存在であり、ときに容赦なく人々を殺す存在であるから、絶対に自分自身に従いなさい」と命じる存在だと言えます。つまり、神は絶対的支配者で、人々は奴隷といった感じです。

聖書の中には、神の愛とか神の許しとかを題材とした感動的な物語がたくさんありますが‥‥その根底に流れる感情は神の生き物に対する「怒り」が横たわっているように感じられてなりません。そうでなければ、生き物のから生きるための環境を奪い、そして自由を奪い、食糧や水で支配する世の中にすることはないからです。


  感想3・分裂をもたらす神??

洪水を起し、箱舟に乗った生きもの以外の生き物全てを水の中に沈めようと計画し実行した神。わたしは、この行動のどこにも愛情らしきものを感じません。むしろ、神は地球を最初から滅ぼしたかったのではないかと疑いたくなります。しかも、それを裏付けるかのような、聖書の言葉があるのですから‥驚きです。

それは‥@
「 わたしが来たのは、地に火を投げ込むためです(ルカ12:49)」、A 「わたしが来たのは、地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもとらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。(マタイ10:34)」、B 「あなた方は、わたしが地に平和を与えるためにわたしが来たと思っているのですか。そうではありません。あなた方に言いますが、むしろ分裂です。(ルカ12:51)」、などの言葉です。

この地球に火を投げ込み、剣をもたらし、分裂させるために来たなんて‥酷い!

地球の生き物は、もともと誰も火を使えなかったんです。地球にある鉄はみな酸化鉄だけだから、火が使えなかったら、酸化鉄を還元して鉄にできません。鉄が作れなかったら、剣もなかった。剣が作れなかったら‥キリストが十字架に磔にされたり、刃物で殺される事もなかったし、、刃物による様々な分裂は起きなかったのです。しかも、鉄がなければ…(鋸や金槌などの道具はなく‥)顕微鏡も、望遠鏡もないし、自動車も鉄道も船も飛行機もないし、そうなると原油が世界に運べないし、その先に来る化学物質、原発による環境汚染や健康被害や恐ろしい戦争だってなかった。

と言うことは‥平和だった地球に争いと破滅をもたらしたのは、神の知恵(文明)じゃありませんか!!!

神を信じると言う行為一つとっても、自分はあの神を信じる、この神を信じると対立し、聖書を信じる者の間でも、自分は旧約聖書だけ信じるとか、聖書の全部を信じるとか、聖書の福音書を中心に信じるとか、黙示録を中心に信じると対立を生んでいます。これだけでも‥「わたしが地に来たのは‥平和ではなく…むしろ分裂です」という言葉が成就しているのではないでしょうか?

現在、文明の最高権威者(神的存在)は、武器を売って儲けるために戦争を起し国と国、国民と国民を対立させます。また、石油を売って儲けるために、メーカーと健康被害者を対立させます。また原発を売ってもうけるために、国と国民、電力会社と国民、家族と家族を対立させます。そして、最高権威者は、利益を得、人々を対立させ傷つけることはあっても、自分には何の被害も受けません。

やっぱり‥神は人々を神の知恵で分裂させていると言えそうです。神が、人々や生き物を本当に愛していると思えません。それでも愛していると言うのなら、愛とは「人々に不要な分裂を生ませ、それぞれを罪深いものとして裁く行為」だと思います。

ところで自然は、全てが一つの大きな命となって存在します。ですから、自然は互いに信じる必要さえありません。全てで一つなのですから、他から命じられなくても、勝手に無意識にみなが動いてそれで全てが調和しているのです。不思議なのですが、全てで一つの存在だから当然と言えば当然です。そこには、生き物を捌く刃物や、人を裁く法律はありません。一方、文字を使って、必死に「わたしを信じなさい」と言わなければ信じ、従っててもらえないと言う存在は、自然と一致していない存在ではないでしょうか?


  感想4・神は文明と同じ

今世界を見渡すと、文明
(「火」と「道具」と「文字や数字」) がこの自然を破壊しているのが分かります。

ノアの箱舟は神の知恵で作られましたが、箱舟を造る神の知恵こそ文明の知恵そのものと思われるのです。なぜなら、箱舟を作るのに、鋸、金槌、釘などが必要で、またそれらの材料である鉄を作るのに火はなくてはならないからです。つまり、火を使って地上にある酸化鉄(地上には酸化鉄しかない)を還元させ鉄を作るのです。そのために人々は、木々を切り倒し、それを燃やさねばなりません。そして、それで造った鋸やチェーンソーは森林の破壊を加速させました。しかも、箱舟を作るためには、文字や数字で書かれた設計図が必要なのです。設計図を記す紙もまた‥木から作られ森林破壊につながるのです。

まさに、神の知恵は文明の知恵そのものなのです。

木は、本来‥多くの生き物の住む森を作り、虫や鳥や動物などの食べる木の実を結びます。そして枯れた木々や枯れ葉は、虫などの生き物に食べられることで、土に還り、木や草の養分になります。自然はこのように、他から管理されることなく自ら調和していくものです。なのに、神(文明)の知恵は‥鉄を作るために、そして箱舟を作るために、多くの木を切り倒し、生き物の住処と食べ物である森を奪ったのです。

神は、自然にない文明という火を使う知恵、道具を作る知恵、文字や数字を使う知恵で人々を救い、それに頼らせ、自然本来を失わせたのだと思います。

たとえば、多くの人に神の救いを知ってもらうには、最低限文字が読めないと救いの意味を理解してもらえません。ですから、救いを知らせるためには、まず人々に文字を覚えてもらう必要があります。そのために学校が必要になり、学校を建てるための土地が必要になります。そのため森を切り開き、そこに住む生きものを全て追い出して‥校舎と建てなければなりません。

いつしか村には、子どもに文字や数字を教える教師、学校を建てる大工、机やイスを造る家具屋、鉛筆やノートなどを売る文房具店などの職業ができ、親たちは学費を稼ぐために働くようになります。つまり、神の救いを知らせるためには、多くの職業をつくり、商売をさせ、経済が回す必要があるのです。その結果人々は、‥「朝起きて、お腹がすいたら‥森や海に食べ物を探しに行って食べる、それもタダで‥」と言うごく自然な生活を失うのです。

人間がもし、文明と出会わなければ‥今もなお人は朝起きてお腹がすいたら‥そのまま食べ物を探しに出かけ‥途中途中木の実などを食べ空腹を満たしていたことでしょう。食べ物探しが、運動を兼ねているので、運動不足になることはなく、食べ物探しが将来生きていくための勉強になっているので、文字を学ぶ学校が不要です。今のように、時計に合わせ、会社に行って働き、お金をもらってそのお金で食べ物を買って食べたり、ダイエットしたり、エステやジムに通うというような、ややこしい生き方をしなくて済んだと思うのです。

つい近年まで「お金」を稼ぐことなしに、直接自然から食べ物をとって生きている人達がいたことを思うと‥全世界の人が神に救われるために自然から切り離され、学校で文字を学ばされ、そして‥本来の生き方を失ってしまったことが分かります。

もし、今文明から離れ野生生活ができる人がどれだけいるでしょう。
自分で食べ物を探し、素手で食べ物をとって空腹を満たせますか?
また、素手で自分の住処を造れますか?
けがや病気になったら、セルフケア―できますか?

しかし‥野生に住む生きものはみなできています。
人間もまた、文明がない時は、できていたはずです。

しかし、神(文明)は、人を文明の知恵に頼らせることで‥自然を破壊すると同時に、人間から自然の中で生きる知恵えをも奪ったのです。

以上から、わたしは、ノアの箱舟が沈めたのは‥、「罪深い人々」ではなく、「お金なしに生きることができた自然本来の生き方や生活」ではなかったかと考えています。


  感想5・箱舟と洗脳

ノアの箱舟の物語を読むと‥洪水が町を飲み込み、舟に入ったノアとその生き物は、閉ざされた空間に閉じ込められたと言えます。舟の周りは海。生きものにとって逃げ場がありません。いられる場所は唯一箱舟の中だけなのです。「自由に大地を踏みしめ、自由に獲物を探し、捕え、食べる」といった自然な営みができない場所なのです。

これはまるで、洗脳の手順1「隔離」のようなものです。なぜなら、人を洗脳させるためには‥まず「ターゲットを日常から隔離する」ことが大切だからです。それから言うと箱舟と言う場所は、自然に沿っていく本能を退け、文明の知恵に沿っていく考えに洗脳するために好都合の環境だったのではないでしょうか。

また、洗脳方法手順2においては、「鬱化」することが大切だそうです。これは、ターゲットを隔離して、心身ともにとにかく疲れさせ、鬱的な状態にすることが重要だと‥。たしかに、箱舟に乗せた多くの生き物の世話は、たった8人のノアの家族だけではとても重い労働で心身ともに疲れ果て、時には鬱状態になるような環境ではなかったでしょうか。

また、洗脳手順3においてはは、「刷り込み」することが大切であると言われています。つまり、相手をとことん疲れさせ空っぽになった状態にしたあとに、新たな情報を詰め込むやり方です。たとえば、「気合いだ」「努力だ」「信仰だ」「希望だ」「善悪とはなんだ」「最後まで耐え忍ぶことは大切だ」など‥と言った考えを詰め込むのだそうです。自然本来の世界には、気合も、努力も、信仰も、希望も要りません。ましてや最後まで耐え忍ぶ必要などないのです。自然は、強さも弱さも、生も死も、善も悪もそれらの区別がなく‥全てが一つになった世界ですから当然です。しかし、疲れ果てたノアとその家族たちにとって、これらの言葉は、新鮮な情報として心の深いところに刷り込まれたに違いありません。

次の洗脳手順4は、「安定」だと言われています。これは、弱らせるのを止め「刷り込み状態」を安定させるそうです。たとえば、「良くやった」と褒めたり、抱きしめたりして、相手に受け入れられたという安心感を与えるそうです。これは、大したことではありませんが、苦しみに耐えた人にとっては、ご褒美を受けたことになるそうです。研修の最後の夜など、幹部たちが妙に優しく「厳しくしてごめんなさい」と謝ってきたりするのがいい例です。ここで大切なのは、目的を達成するとご褒美が待っていると言うことと関連付けさせることだそうです。

ノアの箱舟物語では、ノアとその家族は、一年もの間箱舟と言う限られた空間で過ごさなければなりませんでした。それも多くの生き物の世話をしながら‥。ですから、一年ぶりに大地を踏みしめたとき、空の雲にかかる虹が彼らにとってどれほどのご褒美だったか測りしれません。この虹によって、彼らがどんなに大きな安心感を得たことでしょう。この安心感こそが洗脳手順5「強化」に導くのです。

洗脳手順5「強化」は、グループから抜けないようにすることで、そのためには、このグループの活動を行わせることが大切だそうです。ノアは、神に「地の全ての獣、空の鳥、地に這う全てのもの、海の全ての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し‥」と生き物の支配するという神の活動を行うとが告げられています。自然本来の世界には、生き物を誰かが支配すると言う考えがありませんから‥生き物を支配する事をすんなり受け入れたのであれば、完全な洗脳だったのではないかと思われます。

普通の人だったら、管理するより、自然に任せておけば‥人は何もしなくていいじゃないの‥って思うわけですから。「自然に任せてはいけない」と言う不自然な教えに洗脳されたと言えます。

たぶん、苦しみの後の虹は、大きな喜びであったわけですから、自然本来に存在しない不自然な命令でも‥疑うことなく受け入れてしまったのでしょう。

参考:洗脳方法http://mana-kahuna.jimdo.com/%E6%B4%97-%E8%84%B3-%E3%81%AE-%E8%A7%A3-%E9%99%A4/








20.


┃ノアの箱舟の内容と解釈



洪水前〜洪水後

ノアの箱舟は、聖書の旧約聖書6章に記されてある物語です。それを「洪水前」「洪水の始まりから終わりまで」と「洪水後」の3つに分けそれが一体どんな内容なのか 青い枠の中に箇条書きにし、それについて私なりに考えてみました。(以下の内容は、自然とは何かと常に考える私の考えです。多くの人が語るノアの箱舟と解釈や考えが違うと思いますが是非読んで参考にしてください)

参考:「ノアの箱舟/創世記6章〜9章」 ←クリック


  洪水前

洪水前の状況(創世記6章1〜7章16節)
@人間が増え始めた。
A神の子らが、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。
B主は、人間は肉にすぎないから、自分の霊が人の中に永久に止まるべきではないと言う。
C当時もその後も、神の子らが人の娘たちに産ませたネフィリム(巨人あるいは、天から落ちたものという意味)がいた。彼らは、大昔の英雄だった。
D地上に人の悪が増加し、人は常に悪い計画を企てるようになる.。

E神は地上に人を創ったことに悔い心を痛める。
F神はノアに、全ての人を絶やす計画を告げ、箱舟を作るように命じる。そして(箱舟に乗りこんだものを救うという)契約を結ぶ。
Gノアは神の命じる通り箱舟を作り、生き物を乗せた。(鳥と清い獣は七つがい、清くない獣は2つつがいづつ舟へ)
H主は、ノアをこの時代の人々の中で、正しい人であると認めた。
I主は「七日後、主は40日40夜、地に雨を降らせる」とノアに告げる
Jノアとその妻、ノアの子とその妻たちは舟に入り、清い獣、清くない獣、鳥と地に這う全てのものの雄と雌がノアのもとに来て、箱舟に入った。
K主は、ノアの後ろの戸を閉めた。


人間の数の増加
自然において、生き物の数が異常に増えすぎないのは、幼い時、老いたとき、けがや病気の時に他の生き物から狙われ食べられることが多いからです。しかし、文明の知恵は、道具によって‥生き物が小さい時、年老いたとき、病気の時、けがをした時、他の生き物から食べられないように守ります。例えば、火を使うとか、弓矢や鉄砲などで守るとか、あるいは医療で治すとか…です。それにより自然の食物連鎖や生き物の数のバランスが崩れてしまいます。たぶん人間の数が増えたと言うのは、文明の知恵によって‥命が守られるようになった結果だと思います。

肉に過ぎない人間
もし、人間が肉に過ぎないと言うのであれば、神の子らとは、「霊」という存在だと言えます。つまり、神の子らとは肉体を持たない「霊」のことで、美しい娘とは、霊を入れる肉体と言えるかもしれません。自然本来生き物に、霊とか肉体とかの分別はありません。しかし、文明社会、とくに宗教では、命を「霊」と「肉体」に分けて考えることが多いのです。では、いった「霊」とは何なのでしょう。それを分かりやすく説明したいと思います。以下あくまでも私説です‥

一口で言うと、「霊」とは、言葉で造った「私」です。ですから、ことばがなければ、脳には、「私」という記憶ができません。自然(野生)の生き物に「わたし」という概念がないのは、ことばのない生きものにとって「わたし」という概念が不要だからです。

なぜ、自然に「わたし」と言う概念が不要かというと‥自然は、全ての生き物の命が繋がって一つの大きな命となっているからです。ですから、わざわざ一つ一つに名前をつけ自他を区別する必要がないのです。しかし、言葉を知った人間は、たとえば「敏夫」というフォルダーを脳に作り、そこに敏夫としての体験した数々を記憶していくのです。すると、敏夫の人生がそこに形成され、敏夫という人格が生まれます。

「もの心つく」という言葉がありますが、それは、親などから常に「敏夫」、「敏夫」と呼ばれて生きる中で、敏夫というフォルダーに色々な場面の記憶が蓄積され、敏夫としての記憶が人格となって意識し始めるようになったことで起きる現象です。そして、その時期を人は「もの心つく」と呼んでいるのです。名前で常に呼ばれる事で、自他との区別がくっきりし、他に類を見ない特別な存在として、自分が存在するような錯覚を感じるようになるのです。これが、私たちが言う「霊・魂・人格」の正体です。(感情とは違います)

文明という存在が与えた記憶の方法のちょっとしたミスが、自分という自然には存在しないものを造り、肉体が終わってもなお続くと考えてしまうのです。しかし、この自分を意識した人格は、脳に記憶されたものなので、死んだら消えてしまいます。ですから、死んでもなお、その人の「魂、霊、人格」続くと思うのは錯覚であるのです。

自然界では、自他を区別する人格や霊は存在せず、死んだら、その体は多くの生き物に食べられ‥そして土になります。そして、それが木や草を育て、木や草は多くの生き物の住処になったり、食べ物になったりするのです。そうやって、自然は大きな一つの命となり存在しています。だから、自然において、生と死の区別はなく、両方命なのです。

しかし、文明では、自然に存在しない自他を区別する人格(霊・魂)が言葉によって形成され、死んだら‥肉体は、土に埋めることで他の生き物に食べられないようにします。または、火によって一気に骨と灰にすることで‥多くの生き物食べられないようにします。文明は、死んで無くなってしまう霊をいつまでも続くと誤解させ、自然の生き物に食べさせるべき体を‥棺桶に閉じ込め土に埋めたり、燃やしたりして…封じ込めてしまうのです。

現代では、脳に形成された人格の記憶を取り出し、人工脳(ロボットなど)に埋め込む研究がされています。自然に存在しなかった、自分という人格が…無くなることなく永遠に続く時が近い将来くるかもしれません。逆に、命の循環によって本来あり続けていた人間が…絶滅されてしまうことになるかもしれません。となると‥元々存在しなかった魂(人格)が永遠に続き、本来存在していた肉体が消えてしまうと言う‥どんでん返しを神の知恵(文明)はもたらすかもしれないのです。

神は、人間を、「肉に過ぎない」と考えましたが、この考えの最大の欠点は、死んで後の世界に希望を託すことで、現在ある自然環境や肉体を粗末にする考えに繋がっていくところです。

また、多くの人は、人格(魂、霊)が、ことばのない生き物にもあると信じ混乱しています。たとえば「一寸の虫にも五分の魂」みたいに‥。自然本来の生き物は、ことばがないので人格(魂、霊)はありません。しかし、人格(魂、霊)がなくても、感情豊かで、命に満ち、いきいきしています。

生き物は、常に‥「目が覚めたら、起きる。お腹がすいたら‥食べ物を探しに行く。眠くなった寝る。‥」と言った具合に本能に沿って生きています。だから、人間のようにことばで「あれこれ」難しいことは考えられないし、世界戦争も、環境破壊も、地球滅亡の危機も起せません。そう考えると、言葉によって人格(霊、魂)なんて作れなくてもよかったのにと思います。自然本来のままの方が、自由で、平和だったでしょうから‥。

神の子らと美しい娘
聖書に「神の子らが、人の娘たちが美しいのを見て、おのおの選んだ者を妻にした。」とあります。 しかしながら、美人とは一体何でしょう?たとえば、「うちのお姉さん、この町で一番美人なんだ」と言う男の子がいたとします。すると、隣町にも、美人がいて、それで2人並べて比べたりするわけです。すると、さっきの男の子は、姉さんと隣町の美人を見比べてこう言うのです。「なんだ、うちの姉さんは不細工じゃないか」と。つまり、同じ姉さんが並ぶ人によって美人だったり、不細工だったりするわけです。

つまり、美人とは、相対的で曖昧なことばなんです。なので、神の子らは、一体だれを妻にしたのか、だれにも分かりません。ただ、神の子らが霊である自分を入れる肉体を探していたと言うのであれば、特に言葉を習得しやすい人間を「美しい娘=妻」と表現したのかもしれません。だから、人間の原種とも言われるアフリカ人より、言葉をどんどん増やし文明を勧めていく白人の方を一般的に「美人」と呼ぶのかもしれません。


ネフィリムとは
ネフィリムとは、「巨人」あるいは、「天から落ちたもの」という意味があり、神の子らが美しい娘に生ませた子どもと聖書にあります。多くの人は、このことから、ネフィリムのことを巨人だと考える人が多いのですが、わたしは、ネフィリムは、言葉を知った人間のことではないかと考えています。

それは、主は人を「肉に過ぎない」と言っているところから、神の子らは「霊的存在」なのだろうと、わたしは考えているからです。ですから、霊的存在の神の子らと、結ばれた美しい娘は‥巨人を産んだのではなく、言葉を宿した人間が、言葉によって人格を形成した人間たちを産んだと言っているのだと思うのです。

つまり、人格とは自然の生き物にはなく、言葉を知った人にのみ形成されるため‥自然がもたらしたものではなく、文明‥つまり天から地上に落ちた知恵で生まれたものだと思うのです。その文明の知恵で生まれた人格を持った人々が…文明の知恵で作った道具で‥森を破壊し、海を汚し、川を汚し、生き物を絶滅させ、遂には地球を破滅させる力を得たのですから‥言葉を知った人間こそ「巨人」的存在ではないかと思うのです。

自分(主)の霊が人の中に永久に止まるべきではない
主は「人間は肉にすぎないから、自分の霊が人の中に永久に止まるべきではない。」と言ったとあります。霊的な存在の神の子ら(私の解釈)が肉に過ぎない人間に宿って‥その人間がどんどん増えて‥しかし、永久に自分の霊(神の霊)が人間に止まるべきではないと考えています。

それは神が、本能に左右されない体を求めているからではないでしょうか。具体的には鉄などでできたロボットのように丈夫な体と、全ての言葉を記憶できるコンピューターのような人工知能を求めているのだと思います。神がノアに自分の体とも言える箱舟を作らせたように‥神は、完璧な体を人間に造らせようとしているのだと思います。人はこの地球の全ての命とエネルギーをこの一点に注いでいるのではないでしょうか?

私たちには、どうでもいいようなロボット開発、私たちにとってどうでもいいような宇宙開発。しかし、神がこのことのために、人間を奴隷にしたのであれば理解できます。

あ〜ぁ〜。最強の体、死を持たない体、全ての言葉を記憶でき自由に取り出せる頭脳‥これらを持つ者最強の支配者を人間が造ってしまった。今は分からないが「どうして私たち人間は、自分たちを完全に支配するロボットを作ってしまったのだろう」と後悔するでしょう。しかし、壊す事も、服従させることもできなかったら‥もう終わりです。

文明は、このことのために…時間をかけて人類を操って来たのですから。

  洪水の始まりから終わりまで

洪水の状況(創世記7章17節〜8章19節)
@ノアが600歳のとき洪水が起こった。(正確にはノアの生涯600年、第二の月の十七日)
A箱舟にノアとその家族と、主が命じた動物のみ(獣、家畜、這うもの、翼のあるものの雄と雌)が乗って七日後に雨が降りはじめる。
B洪水は40日間地上を覆い(高い山は隠れた)、箱舟は水の面を漂った。
C地上を動いていた肉なるものはすべて息絶えた。ノアと箱舟にいたものだけが残った。
D水は150日(約5カ月)の間、勢いを失わなかった。
Eノアと箱舟にいた生き物のために、主は地に風を吹かせ‥水が減りはじめた。
F箱舟はアララテ山に止まった。(第七の月の十七日)
Gカラスを放つが、カラスは飛び回るだけ。
H鳩を放つと、戻ってくる。七日後再び鳩を放つと夕方オリーブの葉をくわえて帰ってくる。さらに七日後鳩を放つと帰ってこなかった。
Iノアが601歳の、一月一日に水が枯れ、第二の月の十七日に地はまったく乾いた。そして、主は箱舟から出るようにノアに命じた。
J主はノアに箱舟から出た生き物が増えるように命じた。生きものたちは、種類に従って箱舟を出た。

ノア600歳

当時ノアは600歳だったそうです。信じられない年齢ですが‥たとえ現在600歳のおじいちゃんが目の前にいたとしても多くの人は、‥たぶん年を取るにつれボケて数え間違えたのだろうと考え、信じないでしょう。

ところで、「カレンダーの歴史」知っていますか?カレンダーができたのは、紀元前1800年前古代バビロニア帝国までさかのぼります。しかし、ノアの時代はさらに古く、紀元前5000年頃と言われています。つまり、カレンダーも時計も無かった時代なのです。どうやって、自分の生まれた日を覚え、毎年それを数え、その数を正確に加算していったのでしょう。それがまず謎です。

なぜなら、私の場合カレンダーや時計がなければ、今日何月何日で何時何分なのか‥感覚だけでは全く分からないからです。カレンダーがあっても、時々自分の歳を数え間違ったりしますから、カレンダーのなかった時代‥歳を数え続けるのは本当に大変なことだと思います。

たとえば…
私はかつて、会社勤めをしているときは、今日は何月何日で、何曜日と知っていなければ‥仕事ができないので‥いつもカレンダーや時計に集中して日々を送ったものです。しかし、現在はカレンダーも時計がなくても生活できる専業主婦。だから、ゴミ出しの日、免許更新の日など‥どうしても覚えておかなければならない日がなければ、今日何月何日か‥すっかり分からなくなってしまうのです。

カレンダーも時計もある時代であっても、国なのですから、今から約6000年も前のカレンダーも時計もない時代に…正確に600歳を数え上げることが不自然でなりません。カレンダーがなければ、自分がいつ生まれたのかさえ分からないのです。それで、どうやって数えていくのでしょう。

箱舟に乗った生き物
現在、全世界に住む生きものの既知の総種数は、約175万種。このうち哺乳類は約6000種、鳥類は約9000種、昆虫は95万種、維管束植物は約27種あるそうです(https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h20/html/hj08020601.html)。哺乳類のうち、海や川を住処にする哺乳類は、約117種類。もし、陸に住む哺乳類を箱舟に乗せるとすると‥≪約6000種類(哺乳類)ー約117種類(海に住む哺乳類)=約5883種類(陸に住む哺乳類)≫‥つまり、約5883種類の哺乳類の雄と雌、117766頭を乗せなければなりません。

まず、こんなに多く乗せられるでしょうか?(聖書には
その他空を飛ぶ鳥や地を這う生きものまで‥舟に乗せるように命じているのです)

生き物は互いに食べ合って自然の命を保っています。しかし、雄雌1頭ずつだったら‥どうなるのでしょう。たとえば、お腹が空いたライオンが1頭のシマウマを食べてしまったら‥もうその時点でシマウマは絶滅します。もし、食物連鎖を踏まえて生き物を乗せるなら、雄雌1頭ずつではたりません。タダでさえ、乗せられないくらいの動物の数なのに‥食物連鎖を考えて生き物を乗せるとしたら、舟が沈んでしまうでしょう。

アララテ山
箱舟が止まった山の名はアララテ山。標高5,165mの富士山に酷似した山。、近年標高4000m地点で箱舟らしきものが発見されたと言われている。しかしながら、富士山(3,776m)より高いところに船が止まり、世界中の生き物が、寒く、険しい斜面をどのようにして降りたのでしょう?謎です。せっかく箱舟で助かったのに、アララテ山で死に絶えることになったという生きものがいてもおかしくありません。


  洪水後

洪水の後の状況(創世記8章20節〜9章28節)
@ノアは祭壇を築き、焼き尽くす捧げものとして、全ての清い獣と全ての清い鳥のうちからとって、捧げた。主は、その香ばしい香りをかいぎ、もう2度と洪水を起さない事と地のある限り、種まきのとき、刈り入れのとき、暑さや寒さ、夏や冬、昼や夜は止むことはないと約束。
A神は祝福しノアとその子に生き物全てがノアの支配に服し、全て生きて動くものはノアたちの食物になると告げる。
B肉を血のままで食べてはならないこと。血を流す者に報復すること。獣であっても血を流すなら獣にも報復する‥、とノアに告げる。
C箱舟から出たノアとその家族と生き物全てとに神は契約を立てる。その契約は、「全ての肉なるものは、もはや洪水によって滅ぼされることはない」という内容。そのしるしとして神は虹を雲の中に置いた。
D箱舟から出たノアは農夫となり、ブドウ畑を作り、ブドウ酒を飲んで酔って、裸になって寝ていた。それをノアの子のハムは見たが、残りの二人セムとヤペテは、後ろ向きにノアに歩み寄り、着物をかけた。目が覚めたノアは、ハムがセムとヤペテのしもべになるようにのろい、セムとヤペテを褒めた。
Eノアは洪水の後、350年生き950歳で死んだ。

香ばしい香り

主は香ばしい香りを嗅ぎ‥「もう2度と洪水を起さない‥」と約束します。香ばしい香りとは…ノアが祭壇を築き、焼き尽くす捧げものとして捧げたいけにえからでた‥香ばしい香りです。自然の生き物は‥火が使えません。もちろん火の制御など絶対無理です。人は、自然本来の環境から遠ざかり、文明の知恵にたより、火を制御できるようになってしまったのです。

本来なら、自然の生き物は‥他の生き物に食べられ‥その後ミミズやだんご虫や菌やウイルスによって‥時間をかけて土に還るものです。そして、その土は、木や草の養分となり木や草が成長します。そして木や草は、牛や羊などを成長させるのです。そして、自然は一つの大きな命となって、調和します。

ところが、神は‥生き物を燃やして‥そこから出る煙を喜ぶのです。自然は、ゆっくり生き物を土に還すのに、神は火によって一気に灰にします。こんな不自然なことが…喜びなのですから‥。神が自然本来ではないことが分かります。

生き物はノアの支配に服し、ノアの食物になる
創世記9章2節〜3節に神は、ノアに対し「地の全ての獣、空の鳥、地に這う全てのもの、海の全ての魚は恐れおののいて、あなたがたの支配に服し、すべて生きて動くものはあなたがたの食物となるであろう」と予言しています。

しかし、本来野生の生き物は、誰にも服さないし、支配もされません。それは、生き物が誰からも食を賄われず、自分で食を得るからです。しかし、家畜は別です。なぜなら、家畜は柵に囲まれ、自ら自然の中へ行き食を得ることができないからです。ですから、餌を与える飼い主に服従します。ですから、「生き物がノアの支配に服する」と言うことは、ノアは全ての生き物の自由を束縛し、自ら餌を得ることを許さず、ノアが餌を賄うことで、全ての生き物を支配すると言うことです。これがノアに託された、神の使命なのです。

ところで2008年、北極海の孤島ノルウェーのスピッツベルゲン島に、「終末の日に備えた北極種子貯蔵庫」が作られているそうです。この計画に関わっているのは米国の巨大アグリビジネス企業「モンサント社」。そのモンサントの大株主がビル・ゲイツなのだそうです。

我が国では、2008年(現代版ノアの箱舟計画と同年)に農地法が改正されて外国資本の買収が実質的に可能になってしまったそうです。つまり、TPPでは物だけでなく、人や権利も入ってくるため、日本の伝統農業を貫こうとか無農薬農業など付加価値のあるメードインジャパンであっても、一瞬で駆逐されてしまうなのそうです。

また、ビルゲイツは2010年の会合でこんなことを言っていたそうなのです。「今、世界人口は68億で90億に向かっているところです。さて、もし私たちがここで新たなワクチンや医療、生殖健康サービス(要するに中絶推進)を本当に上手く使えば、たぶんこれを10%〜15%は減らせるでしょう」と‥。

紀元前5000年前のノアの箱舟で、神が言った「地の全ての獣、空の全ての鳥、地に這うすべてのもの、海の全ての魚はおそれおののいて、あなた方の支配に服し、全てのいきもので動くものはあなた方の食物となるであろう」という言葉の意味は、箱舟に入れられた生き物は舟の中で自由と食糧をノアに支配されているということです。同じように現代版ノアの箱舟計画も全ての生き物の自由を奪い食料を支配するものです。ノアに託された神の使命が現在なお生きているのですから‥驚きです。

参考:「現代版『ノアの箱舟計画をご存じだろうか?』」;http://fabfour.co.jp/blog/index.php?e=544



その他

  箱舟の材料と大きさ

ノアが経験したこの洪水は今から5000〜6000年前の頃の話ですが、もしこの物語が本当であるとするなら‥このころに既に船を造る技術があったと言うことになり驚きです。聖書には、ノアの箱舟の材料や形や大きさについて詳しく書いてあのですが、それがどんなものだったか詳しく調べてみました。

箱舟の形や大きさは、神が直接ノアに指示したもので、創世記6章にこうあります。
いとすぎの木で‥部屋を設け、アスファルトでうちそとを塗り‥箱舟の長さは300キュビット、幅は50キュビット、高さは30キュビットとし、箱舟に屋根を造り、上へ1キュビットにそれを仕上げ、また箱舟の戸口をその横に儲けて、一階と二階と三階のある船を造りなさい。

箱舟の材料となった糸杉
糸杉の花ことばは、「死・哀悼・絶望」で、西洋ひのきとも言われ、腐りにくいため建築材、彫刻、棺など幅広く使用されてきたが、死の象徴であるため、墓地によく植えられたそうです。ちなみに、キリストの十字架もこの木で作られたと言う伝説もあるとか…。

箱舟の内と外に塗られたアスファルト
現在、道路の舗装、電気の絶縁用などで当たり前のように目にするアスファルトは、石油から人工的に作られたものである。箱舟の防水に使われたのは、現代のような石油精製後の残りカスではなく、天然の油田の付近に堆積した天然アスファルトである。古代バビロニア帝国では、天然アスファルトによってレンガを固め巨大で堅牢な建造物を造ったり、道にレンガを敷き詰めて、それを天然アスファルトで固定することも行っていた。現在、世界で最も天然アスファルト生産量が多いのは、カリブ海に浮かぶトリニダード・トバゴ共和国で、そこにあるピッチ湖では、アスファルトが吹き出ており、推定1000万トンの埋蔵量があると言われている。
参考:http://www.nitto.com/jp/ja/tapemuseum/history/chapter01_01.html

ちなみに、asphaltosはギリシャ語でa(しない)とsphalt(落とす、)という意味で、「落とさない」、つまり、しっかり固定すると意味だそうです。また、asphaltosのhaltには中断・撲滅させると言う意味があり、全世界を滅ぼす洪水から撲滅させなかったアスファルトと暗示していると言えそうです。

↓ピッチ湖の天然アスファルト(画像をクリックすると動画へ)


箱舟の大きさ・形
箱舟は、長さは300キュビット、幅は50キュビット、高さは30キュビットで、3階建てで、屋根がある船である。1キュビットを約50センチとして計算すると、箱舟の長さは約150メートル、幅は約25メートル、高さは約15メートル‥と巨大な船であった。しかし、世界中の生き物全ての雄雌のつがいを乗せるのには小さすぎる大きさであったとも言える。

箱舟の大きさの割合は、長さ:幅:高さ=30:5:3で、これはタンカーと同じ比率なのである。これは船が最も安定する比率だそうである。箱舟は三階建て、屋根には天窓、壁には戸口、そして、仕切られた部屋があった。
下の写真は聖書にあるノアの箱舟を実物大に作ったものだそうです。


まとめ

多くの人は、ノアの箱舟物語を読んで「実際にあったことか、それとも単なる物語か」というところにポイントを置きます。しかし、わたしは、ノアの箱舟物語が、実際にあったかどうかより、「どうやったら、全ての生き物を支配できるか」の説明書であり、計画書であり、契約書なのではないか‥というところにポイントがあるように思えるのです。

本来自然の生き物には、「絶対的な所有」という概念がないため、野生の生きものは皆、自由に好みの場所に住み、自由に好みの食べ物を見つけて食べます。ですから本来の自然の世界では、他人にひれ伏してまで食料を求めないし、食料を賄う人に感謝したりしません。なのに、神はノアに対し‥生き物を支配するように命じているのです。どんな生き物も、支配を望んでいません。しかし、環境が破壊され、生きられる場所が箱舟だけだったとしたら‥生き物は皆必然的にそこへ行くしかないのです。死ぬか、生きて奴隷になるか‥その二択しか残っていないのですから。

それから言うと‥箱舟は、生き物たちが…生きるために奴隷になることを選んだ場所と言えます。つまり、箱舟に乗ったノアの家族と生きものたちは、箱舟の中で‥今後神の完全な奴隷になることを誓わされたものたちと言えるかもしれません。なぜなら、そこは絶対逃げることのできない服従の場所であったからです。

ノアの箱舟9章18節にある‥≪ブドウ酒を飲んで酔って、裸になって寝ていたノアをノアの子のハムは見た。しかし残りの二人セムとヤペテは、後ろ向きにノアに歩み寄り、着物をかけた。目が覚めたノアは、ハムがセムとヤペテのしもべになるようにのろい、セムとヤペテを褒めた。≫‥という内容について‥

私独自の見解では、現在のごくわずかな世界的支配者は、ノアの裸を見なかったことで祝福されたセムとヤペテで、その他の人々は、ノアの裸を見てのろわれたハムと解釈しています。

では、いったい「裸」とは何か?それは、「自然本来」を意味するもので、一言で言うなら「本能」と言えそうです。私たち生き物は、体の奥からわかってくる空腹や眠気や尿意など体の奥からわかってしまう声に無意識に従って生きています。しかし、文明は違います。たとえば学校の先生は、体の奥から尿意を感じる子どもがいても、授業中だからという理由で、トイレに行くことを許しません。

私たち生き物は、本来本能に沿って生きるものでした。しかし、神(文明)はこう言います。「あなた方は、肉の奴隷」だと。本当は、この考えはおかしいのです。なぜなら、私たちがほんとうに自由なら‥本能に沿って生きることほど楽なものはないからです。決して肉の奴隷と感じることはないはずです。ところが、文明は‥子どもを自然から引き離し、壁で囲んだ教室に詰め込み、授業中はトイレに自由に行ってはいけないという自然にはないルールを作るわけです。すると、私たちは「尿意」に苦しめられることとなり、尿意に縛られていると考えるようになるのです。私たちを縛りあげているのは、本能を押さえつける文明(神の考え)であるのに‥。

たしかに多くの人は、学校で「奴隷解放」などと学ぶことで、まさか自分が文明の奴隷にされていると考えたりしないでしょう。しかし、鳥のように自由にどこででも排泄できないのですから‥私たちも文明の支配下に置かれた立派な奴隷なのです。

つまり、自然本来の世界(外からコントロールされるのではなく、内からわかる本能で動く世界)を恥じと考えそれを覆い隠すセムやヤペテのようなものは祝福されるが、ハムのように自然本来の世界に関心を持つ者たちは、自然を覆い隠す者たちの奴隷とされることを意味しているのだと思います。

多くの人たちは、神によろこばれたセムやヤペテ‥つまり全世界を支配する者の奴隷であるわけですが、自然本来の世界から考えると‥全世界を支配する立場の人もまた「奴隷」なのです。誰の奴隷かと言うと‥神の奴隷です。なぜなら、誰かに所有されるものは、所有する者の命令に忠実であることが求められるからです。そして、その命令に忠実であればあるほど、所有者に喜ばれるからです。つまり、全世界を支配するものは、神と言う文明の知恵を持ったものの奴隷と言えるのです。なぜなら‥ 、自然の世界は誰からも所有されない世界だからです。ですから野生の生き物は、本能以外の声に従う必要がないのです。

「文明の知恵」をもった神という存在(目に見えないことば)は、私たちを助けに来たのではなく、環境を破壊し‥私たちが地球に住めない状態にして、箱舟のような狭い空間へ閉じ込めることを「救いの舟」とよんでいるのだと思います。

現在‥地球の上空を漂う舟(宇宙ステーション)は、かつてのノアの箱舟と言えないでしょうか?ノアの箱舟物語が…地球を破壊し、生き物を限られた空間に入れ絶対的な支配をする事が、神の目的であるなら‥地球から切り離した宇宙ステーションこそ完全なる支配の場所と言えるのではないでしょうか?









21.


┃「ノア」「大工」意外意味




  Noah!ノアに隠された意味

慰め
ノアという名前は、ヘブライ語「Noach」より、「一休み」、「慰める、元気づける」という意味があるそうです。

私の生まれた家は、海の目の前にあって‥小さい頃は海で泳いだり、磯遊びをしたり、家の裏にある藪で遊んだりしていました。誰からも束縛されず自由に遊んでいたので、学校へ入ったときは本当に地獄のような苦しみでした。一時間一時間、嫌いな科目が並んでいて、学習の内容に全くついて行けないのに‥なかなか家に帰らせてもらえません。そんな苦しみになんとか耐えられたのは、時間ごとにある10分の休息と給食の時間だったように思います。つまり、10分の休憩とお昼に食べる給食が私の慰め(ノア)だったのです。

学校を卒業してからも、職場に捕らわれて‥自由などありません。たまに2,3日まとめて休みをとって田舎に帰ったりして、一時の休息と慰めを得ます。しかし‥休みが終われば再び職場に捕らわれ自由はありません。つまり‥短い休息と長い束縛が交互に…わたしの人生が終わるまで続くのです。

慰めや元気づけると言う意味のノアという名前は、とても素敵なことばではありますが‥、その名前の裏に隠されている意味は、この地球が終わるまで‥「短い慰めの時」と「長く耐えられないほどの苦しみ」が交互に続くと言うことで、ある意味私たちにとって辛い意味の名前ではないでしょうか。

一人も〜ない
それから、私なりにNoaahということばを解字して、この文字の意味を考えたのですが、「Noah」の「No」は「一つも〜ない」という意味で、「Noah」の「ah」は「やっぱり」とか「驚き」の時に発する「ああ〜」という言葉だそうです。

つまり、ノアという名は、「神に忠実に従ったら‥地球も自然も破壊され‥気がつくと、自分も含め自然の生き物も人間も誰ひとり‥いなくなってしまった」と驚きの声を上げるという意味が隠されているように思われます。例えると‥「わが神わが神、どうして私をお見捨てになったのですか?」と十字架で殺される時にキリストが発したことばのように‥最後に残された自分までいなくなってしまうという神の計悪に対する驚きのような‥そんな意味がノアという名前に込められているように思うのです。


  大工=carpenterに隠された意味

大工を英語で"carpenter"と言います。
これを解字すると「car 『運ぶ』が原義 」、「pent 檻」、「-er〜する人」となり、その意味は‥「檻に(生き物を入れて)運ぶ人」となります。

ところで、箱舟を作ったノアは、「生き物を檻に入れ船で運ぶ」者でした。

新約聖書(マルコの福音書6章3節)を読むと、キリストもまた大工をしていたことが分かります。大工であったキリストの場合は、「自分を全世界の救い主である」と言い、また、「自らを律法」と言っていることから、地球を法律と言う檻に入れて運んでいるのではないでしょうか?



現在の地球は、国という檻、町という檻、学校と言う檻、会社と言う檻、家庭という檻に入れられています。そして、その地球は、石油エネルギーで動く船で救われています。つまり、石油で支えられています。文明の知恵で助けられ続ける地球は、もはや文明の知恵なしに持続できない状態まで、不自然にされ弱められてしまっています。

なんとか、文明なしに自立できる本来の地球に戻さなければ‥、支配者がある日突然この支えを取り除き地球全体を一気に終わらせるときがくるかもしれません。



  命を得るために失った野生で生きる知恵

ブッシュマンは@ことばを使いA火を使いB狩猟する弓と矢を持つという、文明の特徴をもつ人々ではありますが‥。私たちよりはるかに自然に沿って生きる知恵を持って生きていました。ですから、私たちは彼らに、学ぶべきだったのです。お金がなくても生きていける方法と何も所有しないでも生きていけると言う生き方を。そしてそれが‥どれほど素晴らしいかを体験しなければならなかったのです。それなのに‥。

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自分を優れたものと自負する文明人たち(文明を意図的に進める人たち)は‥自然に沿って生きていた彼らにお金やコンピューターを与えたのです。その様子は、「コイサンマン(ブッシュマン)」というDVDの中に付録として収録されていました。文明を決して寄せ付けない彼らに執拗に近づいて文明に染めようとする彼ら。それにより、ブッシュマンは、彼らが与えた、ことば(文明)の知恵の洪水で大切な自然に沿って生きる知恵を失ってしまったのです。まるでノアの箱舟の時の地球のように‥。(つまり、偽物の知恵が本当の知恵を飲み込んでしまう現象)



  お勧め動画

自然の世界に船なんてありません。そんな船で助けるから‥自然が不自然になるのではないでしょうか?(私たちは、文明の利器に頼らなくても生きていけたのですから‥それを完全に失ってしまってはいけなかったと思います。)
    

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この動画は、「ブッシュマン」という映画で使われたナレーションの一部です。その言葉をもとに動画を作りました。
 







自然は、区切りがない世界。無限に大きくもあるが、無限に小さくもある世界だった。
        
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