白鳥沙羅のたわごと(自然に沿って生きていきたい)
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私が悲観して伝えるわけ 3 地球を破滅に導き利子の恐怖
全世界を見ると‥国民は皆奴 4


1.



┃私が悲観して伝えるわけ







全身の痛みに苦しんで死にそうな2006年。それが脱化学物質とデトックスで奇跡のように回復した2007年。多くの人に伝えなければと化学物質の危険性について勉強を始めた。自分でもびっくりするほどの回復だったからだ。

ところが、2008年の農薬の空中散布に反応し死にそうになり、その後あらゆる化学物質に反応することに‥。家庭から化学物質を処分したことで、こんなに回復して元気になったから‥みんなに知らせようとした矢先、健康になることを拒むシステムがあった。

家庭で使う化学物質を止めて元気になった2007年。その事実を伝え日本中のみんなが元気になるようにと願って喜んでいたのに‥。化学物質に反応することを「病気」とする文明優先の考え方が横行していて、すべての人が化学物質を避けることで元気になると言うシンプルな道が閉ざされてしまった。

それが、どれほど悔しかったか‥

2006年は、頭も首も背中も腰も硬くなって激痛があり、内臓下垂があって内臓の機能は低下し、手足のしびれもひどかった。それが、化学物質を避け、無農薬無肥料無添加の食品を食べてデトックスで治ってしまったのですから‥。

(自然中心でなく人間中心の考えに対して‥)
だから、決めたんです。とことん悲観しようって。悲観して対策を立てる方が、楽観して手遅れになるよりいいと‥。笑顔が好まれる中‥こんな考え、みんなに嫌われるかもしれないけど‥自然に対するわたしの一途な思いが‥そうさせてるって気がします。

いま、わたしが言っていることがすべて無駄になるかもしれない‥。でも‥それでも伝えないまま死ぬわけにはいかないのです。

そのわけは、木や草も鳥や虫も‥この世界にあるすべてのものは(自分の体も含め)、わたしたち人間の所有物ではないと思っているからです。

臓器移植をして人間だけが生き延びても、絶滅していく生き物がいる世界なら、それは偽りの命で作られた偽りの世界でしかないとわたしは思っています。

わたしの言う事を聞いて‥多くの人は「今すぐ道具を捨て、言葉を捨て、火を捨てるのですか?」って尋ねる‥。でもここまで文明に頼り切ったわたしたちがそれをするのは不可能。(たぶんわたしたちの意識がさせないだろう) だから‥まず環境が自ずと循環できる環境にもどすことから始めればどうかって‥。

あと所有をなくす。境界線をなくす。支配者をなくす。お金をなくす。こんな感じで進められたら‥.。いや、後戻りできれば‥




 自然は全てタダだった

戦後日本を飲み込んだ、経済成長という波は‥水を汚し、地下水を枯らしました。私たちは、喉が乾けば‥すぐそこに自動販売機があって水が飲めると喜びますが‥本当にそうでしょうか?もしお金がなかったら、自販機があっても水を得ることはできないのです‥。つまり、お金がなければ、沙漠にいるのと同じってことです。日本人にとっても深刻な内容の記事ですので、ぜひ読んで‥一人一人どうすればいいか考えてください。⇒ http://ilikeeveryone.jugem.jp/?eid=323






2.



┃全世界見ると 国民皆奴隷



「化学物質鈍感症と過敏症の方に読んで欲しい」より 一部転載 http://ilikeeveryone.jugem.jp/?eid=312



 人は皆お金の奴隷


お金は、本来ただの紙切れ、ただの数字に過ぎず、みんな「これがあればなんでもできる」とそう思い込んだことで、ただの紙切れ、lただの数字が大きな力を持つようになったと言われています。

逆に言うと、「お金なんて力なんてない。お金があっても自然を破壊するばっかりで、自然に沿って生きることのほうがずっといい…」と言うふうに全員で信じることができれば…わたしたちは、このお金の柵を簡単に壊すことができるというわけです。

もし、みんなで…「福岡正信さん」のように…大地にいろんな種類の植物の種を入れた粘土団子を撒いて…。お医者さんも、研究者も、製薬会社の人も、移動社交場の人も、コンビニの店員も、工場で働く人たちも、みんな…大地に種を蒔き…、海へ行って魚を採って…一日自分が食べるだけの仕事にしたら…

自然はどんどん本来の姿に戻って行って…私たちが今抱えている問題がどんどん解決していくでしょう。原因を取り除けば自然は元の姿に戻ろうとするのですから…。



 この世の支配者についての説明

この世の支配者とは、神のような存在で絶対的な権限を持っています。人々がお金に囚われている場所を人間牧場とするなら、この世の支配者は、「飼い主」とも言えます。つまり食料支配し、完全に人々を管理するものです。

また、政治家や宗教家とは、飼い主の忠実なしもべで、どんなことでも支配者のいいつけを守ります。つまり、牧場に例えると…「羊飼いや牧羊犬」のような役割を果たしています。飼い主にとってはなくてはならない存在と言えます。全ての政治家や宗教家が、直接支配者と関係するのではなく…ごくわずかの者(リーダーの中のリーダー)だけが関係するため…ほとんどの政治家や宗教家は自分が支配者の都合がいいように手伝いをさせられていると気づくことさえできません。

そして…政治や宗教によって、いつの間にかお金の循環(経済)に囚われた人々は、かつて野生で自給自足をしていた人たち(迷える子羊)でした。そして、今お金という柵の中に入れられ、飼い主の大切な奴隷(愛する子羊)にされたのです。

ところで、奴隷とされた人々は、生産者であると同時に消費者という二つの役割が与えられています。ですから、それぞれの会社で悪い商品を作らされた場合、悪いもので市場が満たされていきます。悪い商品が満ちると…人々は必然的に悪い商品を購入しなければならなくなります。そのため…人々は徐々に病気になっていきます。それに気づいた人々は、国に環境と健康を守りたいと訴えるのですが…。

お金に支配された国(政治家)は、生産者(企業等)の利益を優先するほかなく、悪い商品を作ってもいいような法律をつくり、消費者の健康を守ろうとしません。人々は、生産者であると同時に、消費者でもあるわけですから…これがどれほど残酷なシステムかわかってきます。



 根本原因はお金

かつて避難生活を送ったところの、近所の野焼きの煙に耐え切れず、役所に相談したことがありました。すると役所の方はこう言いました。「私たちはこれで生きているのですからわかってください。」と‥。意味がわかりません。

しかし、内情を知ると理解できる言葉です。実は、海などでプラスチックのゴミを燃やしている人は、その町の大金持ち。たくさんの事業に携わっている方。当然町はこの人の落とす税金によって潤っています。役所の人はこれで生きているわけです。ですから、先ほど意味不明とも言える「私たちはこれで生きているんですから、わかってください」の言葉になったんだと理解できます。

一方私は、税金も払わず、この町の習わし(野焼き)に対し文句を言っている…。ということで…、野焼きの煙が煙たいと訴えた私が逆に煙たがられ、「そう言うんだったら、引っ越したらどうですか?」と言われたのです。

お金に縛られると…こうなってしまうんですね。




 自然に沿った助け合い

お金で助け合うという募金は、主催者の責任によって振り分けられ、結果本当に困っている人のもとに援助の手が差し伸べられないということがあるものです。

しかし、もし…みんなが持っている大地(余った土地でOK)を…駐車場やアパートにしないで、リストラされた人や倒産した人たちのために開放するなら…困った人たちと大地を提供した人たちがともに大地に還れる貴重な体験を得ることになります。大地は、本来誰のものでもなかったのですから…こうやって助け合うために使うなら、大きな喜びや希望がこの国に溢れてくることになるのではないでしょうか。




 自然に中心はない

昆虫を中心に考えると、昆虫を食べる爬虫類が残酷な生き物に見えてくる。
爬虫類を中心に考えると、爬虫類を食べる鳥が残酷な生き物に見えてくる。
鳥を中心に考えると、鳥を食べる猫が残酷な生き物に見えてくる。

だから、全ての生き物がそれぞれ食べ合わないようにと考えてみたら…命の循環が消えてしまうということがわかった。自然の世界は全てで一つの命になっていて、中心なんてどこにもないのに…。人は、それぞれを中心に考えて物事を見る癖を身につけてしまった。だから、自分たち人間を中心とする世の中を作ってみた。すると…図のような世界ができてしまった。

「全てでひとつになった自然において…私たちは、点ではなく、全体を見なければ何一つわからない…」



 お勧めサイト


「1859年、米国で機械による油井堀りに成功し近代石油産業が始まった。以来石油は人類が手に入れた最高のエネルギーで、単に燃料にとどまらず化学原料としても有用で、人間の現代生活は石油なしでは成り立たない。

石油産業150年の歴史より






3.



┃地球を破滅に導く利子の恐怖



「化学物質鈍感症と過敏症の方に読んで欲しい」より 一部転載 http://ilikeeveryone.jugem.jp/?eid=312



 誰も知らないお金の仕組み人


以下 http://ilikeeveryone.jugem.jp/?eid=135より転載





  巧妙な銀行家と素直な村人



 
■支配のはじまり


むかしむかしあるところに、みんなで協力しながら、物々交換によって、幸せに暮らしている、人口100人の村がありました。 ある日その村に、銀行家がやって来て、人々にお金の導入を提案しました。

「物々交換だと、何にどれくらいの価値があるかが曖昧だし、交換する時にいつも実物を持っていなければいけないし、食べ物は時とともにどんどん劣化していくけれど、お金を使えば全て解決します。なぜならお金には、 価値の尺度、交換の手段、価値の貯蔵、 という3つの機能があるからです」と銀行家は言いました。

人々は銀行家の提案に賛成しました。そこで銀行家は、100人の村人1人につき100万円ずつお金を貸してあげました。1年後10%の利子をつけて銀行家に返すという約束で。つまり、1年後には1人あたり110万円を銀行家に返すという約束です。


人々はお金というものが何なのかを全く知らなかったため、利子 というものについて何も疑うことはありませんでした。貸してもらえるのだからそのお礼として借りた分より多めに返すということを当たり前だと思ってしまいました。 自明のことを自明にしてしまったのです。


1年後、再び銀行家が村に戻って来た時、 Aさん はこの1年で20万円の利益を上げ 総資産が 120万円 になっていたので、銀行家に110万円のお金を返し 手元に10万円 が残りました。一方、Bさんはこの1年で 20万円 の損失が出てしまったため 80万円 しか返すことができませんでした。 


次の1年用に Aさんは 銀行から もう一度100万円 を借りました。Bさんは次の 1年用 の1 00万円 に加え、昨年に返せなかった分の 20万円 をひとまず返済するための 20万円 も借りました。


つまり、 Bさんは、2年目に 120万円 を銀行家から借りました。村の中にはAさんの様な人やBさんの様な人がたくさんいました。そして、同じことが毎年繰り返されていきました。 気がつくと村は Aさんのような 勝ち組 とBさんのような 負け組 の真っ二つに別れていました。


そして、銀行家の手元には 利子 による働かずに手にした莫大なお金が転がり込んでいました。



■なぜこんなことに?


その答えは 利子 にあります。もう一度最初の条件を思い出してください。 村には 100人 の人がいて銀行家は 1人 につき 100万円 のお金を貸しました。 つまり、村全体で見ると 100人×100万円=1億円 のお金が村に貸されたことになります。


しかし、銀行家はお金を貸す代わりに10%の利子を要求していたので、村全体として1年後には、 1億円の元手に1000万円 ( =1億円×10% ) の利子分を追加して銀行家に返済しなければなりません。


しかし、よく考えてみてください。借りたお金は1億円なのに返すお金は 1億1000万円 です。 1000万円分 足りません。村に出回っているお金は 1億円 しかないので、利子分の 1000万円 は、どうやっても返すことができません。これは 最初から返済不可能な取引 だったのです。


お金を借りてから 1年後 、Aさんの手元には 100+20=120万円 があり、Bさんの手元には 100?20=80万円 がありました。Aさんの +20万円 は、無から発生したわけではありません。


実は、Bさんから奪ったものだったのです。村に出回っているお金の量は限られています。利益は無からは発生しません。誰かの利益は誰かの損失です。利益の裏には必ず犠牲があります。椅子取りゲーム のようなものです。
人間の数よりも椅子の数の方が常に少ないのです。誰かが椅子に座ると、必ず誰かがはじき出されてしまいます。この村にお金が導入される前は、人々はお互いに「協力」しながら暮らしていましたが、お金が導入されてからは、お互いに 「競争」 するようになりました。


利子を返済するためには利益を得なければなりません。しかし、その利益を得るためには、業務を効率化 して、他人との 「競争」 に勝たなければなりません から、大変です。


どんなに疲れていても、休んでいる暇はありません。 自分が休んでいる間に、ライバルに出し抜かれてしまうかもしれません。利子を返済するためには、走り続けなければなりません。 決して歩いてはならないのです。業務を効率化し続け、利益を上げ続け、事業を成長させ続けなければなりません。


止まることは決して許されません。止まることは敗北を意味します。 人々の顔からは笑顔が消え、心からはゆとりが消えてしまいました。この村では何かが間違っているようです。 しかし、何が間違っているのかは、誰も気がつきませんでした。ただ1人、銀行家を除いては。




 最後の一匹まで採り尽くされたバイカル湖

「知ってはいけないお金のシステム」 http://ilikeeveryone.jugem.jp/?eid=136より一部転載


エンデはこの問題の本質に気がついていました。エンデは『エンデの遺言「根源からお金を問うこと」』の中で、実例を次の様に語っています。紙幣発行が何をもたらしたのか?一つの実例が、ビンズヴァンガーの著書に出ています。

たしかロシアのバイカル湖だったと思いますが、その湖畔の人々は紙幣がその地方に導入されるまでは、良い生活を送っていたというのです。日により漁の成果は異なるものの、魚を採り自宅や近所の人々の食卓に供していました。毎日売れるだけの魚をとっていたのです。それが今日ではバイカル湖の、いわば最後の一匹まで採り尽くされてしまいました。どうしてそうなったかというと‥ある日「紙幣」が導入されたからです。

それと一緒に銀行のローンもやってきて、漁師たちは、むろんローンでもっと大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を採用しました。冷凍倉庫が建てられ、採った魚はもっと遠くまで運搬できるようになりました。そのために対岸の漁師たちも競って、さらに大きな船を買い、さらに効果が高い漁法を使い、魚を早く、たくさん採ることに努めたのです。

ローンを利子付きで返すためだけでも、そうせざるを得ません。そのため、今日では湖に魚がいなくなりました。競争に勝つためには、相手より、より早く、より多くの魚を採らなくてはなりません。しかし、湖は誰のものでもありませんから、魚が一匹もいなくなっても、誰も責任を感じません。

これは、一例に過ぎませんが、近代経済、なかでも貨幣経済が自然資源と調和していないことがわかります。これは、湖畔の小さな村のお話ですが、有限の湖の地球に置き換えても、結局は同じになるでしょう。

地球が有限である限り、無限の経済成長は不可能です。にもかかわらず、この世界には利子があります。利子によって自動的に競争が強制されます。そして、この競争が強制される限り、行き着く先は、必ず「破滅」です。これを避けることは原理的に不可能です。数学的にありえません。




 記事を読んでの感想

ここには、自然は有限だと書いてありましたが‥。今のように、生き物を売り買いして、儲けたお金で効率をめざして機械を購入し‥お金儲けのため必要以上に採っていくわけですから…有限になるのは当然だと思います。生き物には、それぞれ速さがあります。木には木の時間(速さ)があり、動物には動物の時間(速さ)‥そして菌には菌の時間(速さ)が‥。つまり‥3日で成長するものや、何百年かけて成長するものとか‥。人がもし、道具に頼らないで自然の速さに合わせて生きるなら‥自然は有限ではなく、無限の豊かさがあったはずです。

しかし、文明は、自然の速さを無視しし、効率を目指し機械を使って‥未来を先取りしたのです。それがいけなかった‥。

私たちが文明に頼らないなら…自然の中に食べ物は無限にありました。しかも、お金が要らないので、自分の好きなだけ食べれました。だれも商売していないので…効率を上げると言う発想すらありません。ですから、自然に沿っている限り、自然は無限といっていい世界でした。私たちは、地球が有限だと思っていますが…本当は、有限になるような生き方をしていると言ったほうが正しいと思います。生き方を変えれば…すぐそこに無限の世界があるのです…。(知恵も知識も火も道具もなしで無限に広がる世界が…)



 お勧め本


「本書では,事例や寓話を取り上げて,貨幣経済の仕組みと問題点を分かりやすく説明している。たとえば---。

豊かな漁師町に,貨幣経済の導入と一緒に銀行ローンもやってきた。漁師たちはローンで大きな船を買って,効率が高い漁法を採用。そのおかげで,ローンを返すためにたくさん魚をとり,結局最後には魚が1匹もいなくなる---。」

Amazon「商品の説明」より









自然は、区切りがない世界。無限に大きくもあるが、無限に小さくもある世界だった。


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