白鳥沙羅のたわごと(自然に沿って生きていきたい)
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寄せ集め記事

わら一本の革命 福岡正信







 






   寄せ集め記事



     カテゴリーにわけられない自分の書いた記事を寄せ集めしたものです。

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笑顔は威嚇の裏返し 11 傍らにいるだけでいい
タイタニック/丁重に扱うことが一番不自然 12
福岡正信さん流自然農の勧め
宇宙人はいるか? 13
何のために生まれ何のために生きるのか
囲うから管理が必要になる 14
味蕾の破壊は、未来の破壊
森がふるさと 15 割り切れない割り算
大地より生まれしものは大地へ返せじゃ 16 原爆 / 叔母が見た光景
野生を失ったスズメたち 17 懐かしの井戸水
命を燃やさないで 18 欲に打ち勝つ
自然になくて文明にあるもの/生殺与奪 19 必要と思われた知恵が一番要らなかった
10 子どもを呪って殺した預言者 20 無限の種が詰まっている種

「日ごろ感じたこと、思ったことなど‥」を書いていこうと思っています。あとメモしておきたい事など‥。


┃感じたこと、思ったこと



笑顔は威嚇の裏返し

普通、自然の世界では歯を見せることは「威嚇」を意味するそうです。しかし、文明の中で育った人間は、歯を見せることで「好意」を表します。同じ歯を見せる行為なのに、「威嚇」と「好意」…真逆のように感じるのですが。この威嚇と好意…表現は違いますが、本来は同じものではないかと思うのです。

どういうことかと言うと…人も他の生き物も同じように、初対面の者に対し「恐れ」や「不安」を持つものだからです。ただ人は、他の生き物のように、相手に歯をむきだして威嚇せずに、逆に相手に歯を見せることで「好意」を表わします。つまり、人だけが、心に不安や恐れがあるにもかかわらず、表向きは、「好きですよ」みたいな表情をするのです…。本当に不思議ですね。

多分、私たちは、無意識に心では「近づきたくないよ〜」「あっちへ行ってよ〜」と本能的(無意識)に歯を見せて、でも‥もし喧嘩になったら…囲われた限られた空間にいては逃げ場がない。だから、無理をして自分をリラックスさせる(笑顔を作る)ことで…相手をリラックスさせるのかもしれません。

野生では、威嚇してOK。無理をして友好的に振舞うものはありません。ですから、無理をして笑顔を作って、嫌な人とでも一緒にいなければならない文明人は、野生のどの生き物よりも疲れ果てているのではないでしょうか。



出典画像;「今日の写真/威嚇するトラ」より


たまに、鏡の前で…歯をむき出して思いっきり力を込めて威嚇のポーズをとってもいいですね。無理にする笑顔は疲れますが、思いっきり力を込めた威嚇のポーズは全身がスッキリします。私たちは文明を進めることで何もかも不自然にしてしまいましたが、こんな些細なことからも自然に沿って生きることが本当は楽なんだと実感できます。(もし人が野生で生活していたなら、一日に何度も威嚇のポーズをとっていたことでしょうから…)







丁重に扱うことが一番不自然 / タイタニック事故

「夜が明けた頃救助に駆け付けたカルパチア号の船員が見たものは、海面に漂う遺体の群れ(凍死)だった。遺体のほとんどは救命胴着をつけたままで沈むことはなかった。遺体は甲板に引き上げられ、そこでも等級別に並べられた。一等客だと分かると棺に丁重に納められ、ニ等や三等はキャンパスに包んでデッキに置かれるだけである。身元不明の3等客に至っては、水葬のため再び海に投棄された。」という‥。


         ↓画像をクリックすると「タイタニック号の悲劇/海にまつわる怖い話」へ

出典画像;「タイタニック号の悲劇」より


自然の世界では、自然の循環(食物連鎖)から離れることこそ本当の死。棺に入れて埋葬することが、どんなに丁重であっても‥自然の循環から引き離されてしまっては‥自然そのもののの命を失うことになるのではないでしょうか。

しかし、こんな風に身分によって埋葬方法に差をつけられてしまうと‥埋葬されなかった者は‥ぞんざいに扱われたようなイメージになり‥人々は死んだら自然に戻してもらうことではなく…埋葬してほしいと不自然なことを願うのではないでしょうか?つまり、身元不明の三等客に至っては海に再び投棄されるなど。

自然に沿って考えると‥海に捨てられたほうが埋葬されるよりずっと良かったのですが‥







宇宙人はいるのか?

自然を見て分かったことは、本来自然はことばで区切られておらず‥それぞれが繋がって大きな一つの命となっているってことです。ですから‥私たち人間が‥頭を抱えて色々と考える必要はないし、自然に何かを付け加える必要もなかった‥。ただ人々は与えられた自然に沿って「のほほん」と生きていて良かったのです。

それなのに人々は‥自然に手を加え‥手を加えたから‥不都合な点が出てきて‥不都合な点が出てきたら‥更に手を加えて誤魔化そうとした。その結果‥「のほほん」としてよかった世界が慌しく疲れ果てる世界へ。現在私たちの体は自分たち人間の誤魔化した世界についていけず呻いています‥。

しかし、人の思いはそれを無視して‥文明を推し進めているのです。人々は自然に沿って「のほほん」と生きていけず‥体の呻きも‥地球の呻きも無視して‥自分たちのイメージに沿ってこの世界を作り変えています。まさに自然に手を加え続けていこうとする人間の頭(脳、考え、イメージ)こそが「宇宙人」と言えないでしょうか?自然(宇宙も含め)を侵略しているのですから‥。宇宙人はいるのかって特集する番組がありますが‥私たちの頭が宇宙人なら‥宇宙人を捜す必要すらありません‥。

私たちのイメージは、言葉、特に文字や数字から与えられた知恵から来ています。本来生き物は木や草や生き物たちと実際に体で関わることで得た知恵を脳に刻み、五感を通してイメージされていきます。たとえば、花や木の樹液の匂いで昆虫が花や木をイメージするように。


体験に基づくイメージは、過去も未来もひとつとなった今を生きる充実した生き方
文字に基づくイメージは、過去と未来の間の何もない幻を生きる空虚な生き方


文字に頼る宇宙人にならないためには、学校、仕事といったシステムを壊し、文字(ことばや数字)を捨て、自然のままの環境で体験したことを脳に記憶させること以外に道はないのでは!

ただどうして、私たちが自然を破壊するようになったか?不思議ですね。よかったらこちらも読んでください⇒
人間牧場:わたしたちは囚われていた





                                                    



囲うから管理が必要になる

自然のままなら‥だれも管理する必要がないから管理費はタダ。しかし、囲いに入れると‥タダでは済まない。例えばタロイモを畑と言う囲いに入れてみる。すると…土地代・耕したり草を取ったりする道具代・肥料代・農薬代・そしてそれを行う人の人件費などなどがかかってくる。だから従業員は、ここにかかったお金を商売で取り戻さなければならない。それも…かかった費用を上回るほどに。そうしなければ‥従業員が飢え死にしてしまう。

聖書では、「生き物を管理しなさい」と命令していますが‥。もし神がそう言うのだったら…神は「生き物を囲いに入れて不自然にしなさい」って言っているのと同じだと思います…。自然のまんまなら‥管理は不要です。

そして人間までが管理されている⇒「人間牧場:わたしたちは囚われていた

    


                 
                   



森がふるさと

生まれたばかりの人間の赤ちゃんは自分の体重を支えるだけの握力があります。把握反射(バンスキー反射)と言われ生後一カ月ぐらい続くそうです。人の赤ちゃんは、歩くのに1年を要するのに握力は生まれながらにあるのです。このことから‥人は足で地を歩くのではなく‥木にぶら下がって生活をするのが主だったと言えます‥。

わたしは‥以前、テレビ番組でヤシの木にすいすい登る男の人を見たことがありました。人はかつて猿のように木に登り木にぶら下がって‥木を自由に移動していたのかもしれません。今多くの人が、腰や膝に負担がかかった歩き方をしていると言いますが‥もし、人が森で木にぶら下がって移動して生きていたならば‥現在のように腰や膝を痛め苦しまずに済んだでしょうに。だから、私たちが帰るべきふるさとは、森だったとわかります。

             

                
                   
↑壁を登る1歳10ケ月の赤ちゃん




                                                              



大地より生まれしものは大地へ返せじゃ

食べ物をその辺に捨てるのは自然。動物の死骸をそのままほっとくのも自然。動物がどこにでも糞をするのも自然だ。しかし、ごく自然なことを不自然なことにしてしまうほど、文明は自然の循環を破壊した。もし、自然が豊かで許されるなら‥わたしの死んだ時、私の体は燃やさないでほしい。私が死んでも‥私の体にはたくさんの生き物が生きているから。私の体を海に流して魚の餌にして欲しい。そうすれば、私の体はほかの生き物の中で生き、私の体の中の生き物たちは、そのままほかの生き物の中で生きていけるから‥。

わたしは自然に還りたい。ただそれだけ。もし人が、福岡正信さんが言ったように、大地から生まれしものを大地へ還すなら‥自然は豊かになり‥この世界はきっと生き物たちで満ち溢れるに違いありません。








野生を失ったスズメたち

ある公園のベンチに腰を下ろしていると…。隣のベンチに座っているおじいさんが、袋から食パンを取り出し…公園にいる鳩に投げていました。
よくある光景だなと見ていると鳩に混じって雀も数匹…。お爺さんはバスケットボールを投げるようにパンを投げ…バスケットボール選手がボールをキャッチしようと構えているように、スズメが構え…素早くパンをキャッチするのです。

鳩はすばしっこいスズメにパンを取られ…雀を追いかけていきます。雀は急ぎ足で走り木の幹の裏に隠れます。鳩はきょろきょろと周りを見て…「あれ?」といった感じ…まるでトムとジェリーのような関係に思わず笑ってしまったのですが…野生で生きていけるスズメが鳩に混じって、餌をもらっている光景に…少し複雑な思いになったのです。

多分スズメの生きる環境が、どんどん代わっていっているのでしょう。森だった場所が…畑や住宅や道路になって、農薬などでムシが激減して食べ物が減っているのかもしれません。
   







命を燃やさないで!
久しぶりに帰った我が家。倉庫に入ると「可燃用ゴミ袋」に刈り取られた草が3袋置いてありました。数日前に庭の草刈をした主人が次のゴミの日に出そうと用意したもの。多くの人が草刈をするとこうやって「燃えるゴミの日」に刈った草を出すのです。地域の草刈もそうです。必ず燃えるゴミとして草や木は出されます。公園の木や草も…川敷の木や草も…それから、生ゴミも…みんなゴミに出して燃やしてしまうのです。石油エネルギーをわざわざ使ってまで…どんどん燃やして、どんどん杯にします。

もし、草を…もし生ゴミを…大地へ還していたら?

鳥がくる
虫が来る
菌が来る
そしてどんどん土になる
命豊かな土に…


でも、燃やして灰にしたら?

鳥が来ない
虫が来ない
菌が来ない
そしてどんどん
貧弱な土に…

命の大地から
死の灰の大地へ


それを誤魔化すために
肥料を大地にぶちまけるんでしょうね。
そのまま自然に還せば何もしなくて良かったのに…

            







自然になくて文明にあるもの/生殺与奪

生殺与奪の権利 /
生かすことも殺すことも自由にできる権利

   




10

子どもを呪って殺した預言者

旧約聖書に登場するエリシャ(預言者)という人がいます。

その預言者エリシャが道を上がって行くと、子供たちは預言者エリシャのハゲ頭をからかいはじめます。すると‥預言者エリシャは子どもたちのからかいに腹を立て、その子供たちを呪います。その結果、42人の子供たちが熊に襲われ殺されました。

確かに、子供にからかわれるほど辛いものはありません。なぜなら、彼らは思ったことをそのまま口にするからです。ですから、地位の高い人とかプライドの高い人は、子供の言葉に簡単に傷つくのではないでしょうか。エリシャは預言者と言う高い地位だったため、子供たちの行為を見過ごすことができなかったのでしょう。

子供の言葉一つでここまで傷ついたエリシャの心。この大きな心の傷を神の愛も癒すことができなかったようです。

わたしが思うに‥「はげ頭」と言ってはやし立てられ心が大きく傷つく原因は‥「禿はカッコ悪い。髪の毛がある方がいい。」というどうでもいい基準を人々が簡単に鵜呑みにしたからではないでしょうか?

自然にそんな基準(禿が悪い。髪の毛がある方がいい)なんて、ないですよね。エリシャ自身それが分かっていたら‥そんなにムキにならなくて済んだと思います。大らかにしていたら‥「禿のおじちゃん」と子供たちに親しみを持って慕われていたかもしれません。

聖書には、エリシャは神の力が与えられている預言者と書いてあります。だったら子供を呪って殺すより、祈りの力で髪の毛を増やせばよかったのではないでしょうか?しかしながら‥そんなことをするより、禿げが悪いと言う思い込みがなくなる方がずっといいと思いますが‥


※まとめ※

多くの人々は「言葉を話す人間は知能が高く素晴らしい」と言います。しかし、自然の生きものたちは言葉で他人をはやし立てないし、人間から悪意のある言葉ではやし立てられても傷ついたりしません。確かに‥言葉を知らない自然の生きものもケンカしたり、戦ったりすることがあります。しかし、「人の心を刺し通し相手を傷つける両刃の剣である言葉」を常に振り回して生きなければならない人間は、どんな生き物よりも愚かな生きものといえないでしょうか?



参考:旧約聖書) U列王記2章23〜25節
『彼(エリシャ)が道を上って行くと、町から小さい子供たちが出てきて彼をあざけり、「はげ頭、上って行け。はげ頭。上って行け」と言った。エリシャが振り向いてにらみつけ、主の名によって彼らを呪うと、森の中から二頭の熊が現れ、子供たちのうちの42人を引き裂いた。』

    




11

福岡正信さん流自然農の勧め

わたしが子供の頃。庭にいちじくの木があったのですが‥たくさんの実をつけていました。また、庭の隅にたくさんのいちごも実をつけてお店に少しばかり卸していたこともあります。でも、農薬なんて全く使ったことはありません。だから、どうして農薬がないと‥食べられなくなるのでしょうか。

子供の頃は、よく近くの森に出かけ‥グミや桑の実をとって食べ。またあるときは、山に出かけ、野いちごや山いちごをとってきて友達とジャムを作ったりしました。また、親戚のうちの庭になったびわやカキや桃をもらってたべたり‥。小さい頃は、店で果物を買うこともなく、無農薬の果物を沢山食べることができました‥。そんな記憶がいつも頭にあるので「日本の農家は農薬がなければ壊滅してしまう。だから、農薬は必要なものであり、悪いものではない」という言葉に驚いてしまうのです。

私の子供の頃の記憶から考えると‥「日本の農家は農薬がなければ壊滅してしまう」というのではなく、「日本の農家は農薬がなければ壊滅してしまうように仕向けられた」が本当ではないでしょうか?福岡正信さんが教えてくれた自然農は、耕さないから、自然の生き物のバランスが取れて虫の被害に遭わなかった。福岡正信さんが教えてくれた自然農は、刈った草をその土地に戻すから、土の栄養が損なわれなかった。

一反の畑があったら10人賄えると福岡正信さんは言った。だったら‥みんなで土地を共有し‥福岡正信さん流自然農を始めたら‥農薬なしにみんな元気に生きていけるんじゃないだろうか?生き物も含めて‥






12

何のために生まれて何のために生きるのか?

何のために生まれ、何のために生きる???‥と私たちが、いつも‥そう考えるのは‥いろいろと意識して、不自然に考え、不自然なことをし、不自然な世界を作り、その不自然な世界に自分を無理やり合わせて生きていこうとしているからではないだろうか?

そして、人々はそれぞれ‥自分の生きる目的は何かを考え、それを見つけて生きていく‥
一日中、商品を売る。
一日中、計算する。
一日中、犯人を見つけて追い回す。
一日中、パンを捏ねて焼いて売る人。
一日中、土を耕し、種を蒔き、作物を育てる人。
一日中、氷の上を滑る。
一日中、ボールを追いかける。


こうやって違う目的を持って人々はお金を稼ぎ、自然を破壊していく。
一方、野生の生き物は‥何も考えず一日中、本能の赴くままに生きるだけ‥

こうやって、何も考えずに‥同じ生き方をすることで‥自然は自ずと調和していく。つまり、私たち生き物の真の目的は‥自然のままの世界(文明を加えない)のなかで、本能の赴くままに生きることによって‥「自然を活かす」こと。または、「調和させる」ことではないだろうか?それも、意識することなく‥






13

味蕾(みらい)の破壊は、未来の破壊

味蕾とは、舌や軟口蓋にある食べ物の味を感じる小さな器官です。この味蕾、人間の舌には、なんと1万個もあるそうです。かつては、甘味や辛味など舌の部分で感じかたが違うと言われていましたが、最近の研究でほとんど大差がないということがわかったそうです。

ところで、最近の子供や大人たちの味覚に大変なことが起きているそうです。それは、味がわからないという‥症状。どうしてこんなことが起きたのでしょう。それは、歯磨きに含まれる界面活性剤が味蕾をボロボロになったことが原因だったり…。また、あまり知られていませんが‥、降圧利尿剤や解熱鎮痛剤、抗ヒスタミン剤、ペニシリン系、抗生物質、抗がん剤、副腎皮質ホルモン剤の長期連用などで尿に亜鉛が排出されることで亜鉛不足になり味覚障害が起こることがわかっているそうです。

また、ファーストフードやコンビニのお弁当などを好んで食べる人は、亜鉛不足に陥り味覚がわからなくなるそうです。だから、家庭でお母さんが、無農薬の食材を、熟成された味噌や醤油、精製されていない砂糖や塩を使って味付けをして料理をすることをおすすめします。お母さんの味がコンビニの味とならないように‥。

ナッツ(もちろん無農薬)などには亜鉛が多く含まれているそうです。繊維も豊富。噛みごたえ抜群。しかも美味しい。虫歯にもならないし、便秘にもならない。

私は決意しました‥味蕾破壊で未来を破壊しないようにしなければ‥と

   


                         


14

割り切れない割り算

「思い出ぽろぽろ」という映画のDVDを借りて子供達と一緒に見ました。その中で、主人公のタエ子が分数のテストで悪い点をとって家族に馬鹿扱いされる場面が‥。そして、彼女は「りんご」の絵を書いて分数に取り組む。その計算は‥三分の1÷四分の1=??という計算。彼女は、「りんご」の絵をまず三等分に分けて、その一個を4等分していた。わたしは、タエ子の考えがよくわかる。

なぜなら‥日常でひとつのケーキを分けるとしたら‥
「そのケーキの3分の1を、4分の1にして」ということはあっても、
「そのケーキの3分の1を、4分の1で割って」という言い方はしませんからね。

混乱するのは当たり前ですよね。これを混乱せずにスイスイ計算している人は、もしかしたら、何も考えず…割るほうの分数をひっくり返してかければいいと、ただ暗記して解いているだけかもしれません。これを混乱しないようにするには、それぞれの分数を計算してから考えるとわかってきます。

まず3分の1を‥→1÷3=0.3333…とし、4分の1を‥→1÷4=0.25とします。

ここでやっと計算の意味がわかりました。つまり、一個のものを三等分にした一個分の数字を、ある一個のものを四等分にした一個分の数字で割るという計算ということが。

つまり、さっきの0.3333…を0.25で割る‥→0.3333÷0.25=1.333…になりました。

ここまで来てなんだか煙に巻かれたように腑に落ちない気持ちになるのです。3分の1って0.333333… だったら全然割り切れてないじゃないですか?って…そして割り切れてない3分の1を4分の1で割ると…1.333333… やっぱり割り切れない。この計算意味ないんじゃないでしょうか?割り切れない数字をある数字で割って、やっぱり割り切れなかったね…そんな計算をさせられているんですから…。

しかし、学校ではこの虚しい計算をさせる。分数にして…
1を3では割れない。でも1/3と書く事で…さも割り切れる数字になったように感じる…。つまり、分数は、割り切れない数字をさも割り切れる数字のように見せかける記号だということがわかる。なぜなら、1/3÷1/4=1/3×4/1=4/3  答え4/3(三分の4) となり、答えを分数で表すことにより割り切れたというイメージになるからです。本当は割り切れていないのに(1.3333…)。

しかも数学では、数字に直して計算する場合にもこんなテクニックが…。割り切れない数字は、「少数第○○位まで、以下切り捨てて計算せよ。」と言うのです。そんなのアリですか? 「切り捨て??」 聞き捨てならない言葉なんですが…。都合が悪くなったら、切り捨てちゃえっていうのが計算なんでしょうか。

余談ですが…
日常で一個のケーキを三人の子供で分けるとき、なるべく平等になるように(実際は不可能)するのですが、ひとりひとり体の大きさも違うし、好みも違う。それをきれいに三等分して、平等というのも、なんかね〜。と思ってしまうのです。

ある子は、多すぎたって言うし、ある子は足りないって…。給食の場面ではいつもこんな感じで。少食の子は、無理やり食べさせられ…。大食いの子は、空腹を我慢しなければならない。これは数字がもたらした、平等という不平等。

自然の世界では、自分が好きなだけ食べればいい。それで、誰かに咎められたりしません。一方、文明に囚われた人間子供は学校という狭いところに閉じ込められ…「割り切れない割り算」をさも割ったかのように教えられ、何時間も机に向かって問題用紙を解いていかなければならないのです。そしてそのテストの結果…いい点をとったものは有頂天になり、悪い点をとったものはバカ呼ばわりされる。こんな無意味で理不尽な時間を自然の生き物は過ごさなくていいのです。

そのほか…
日常の生活の中で、一個のケーキを三等分に包丁で切ってみる。クリームが包丁にくっついて少しぐちゃって感じ。次は一個のケーキを15等分することに挑戦。すると最後はぐちゃぐちゃぐちゃ。ケーキは数字でもきちんと割れないし、包丁でも割りきれなかった。自然は、もともと数字やナイフで均等に割り切れないものではないでしょうか?文明はできないことを無理やりしようとするから、文明についてこれないものを…切り捨てたり、ぐちゃぐちゃにしたり…


………………………………………………………………………
PS)わたしの思い出ぽろぽろ
私は、勉強全般が苦手で…特に算数はひどかった。足し算。引き算。割り算。掛け算。そこまではなんとか…。でも、分数はわからなかった。わからなかった点は…なんで必要なのか?どういう場面で必要なのか?だれが、どういう理由で作ったのか?どんな必要性からこの分数が生まれたか?特にこれらが知りたかった。

それで先生にあれこれ質問。先生は…怒って言った。「何も考えずに覚えなさい…」と。『思い出ポロポロ』に出てくるタエ子の姉さんが同じセリフを言ったのには驚いた。このような体験から…私は思った。頭がいい人というのは、何も考えずに機械的に物事をこなす人のことをいうのだと…

それからというもの、毎日のように放課後居残りさせられ…。一緒に残っていた友達も…、いつしか…私をひとり置いてきぼりにして…。それで、しびれを切らした先生は、夜私の家まで来て分数の指導。本当に辛かったな。分数…。

分数とは…→ わずかな、機械的になれないおバカさんを見つける道具
   


                                                       


15

傍らにいるだけでいい

時々、自然の生き物を見てて‥いいな〜って思うんです。

ある日、海に面した道を歩いていたんですが‥ちょうどそこに電柱があって、見上げると具合の悪そうなカラスが「ウェッ!ウェッ!‥」って言っているんです。しばらく立ち止まって‥「大丈夫なのかな〜」って見ていたのですが‥。実は、その具合の悪そうなカラスのそばにもう一羽のカラスがいて‥。ずっと心配そうに傍にいたんです。「大丈夫」って声かけもできないし、背中を叩いてあげることもできない。ほんとうに何もできない状態なんですね。

でも、わたしはこれを見て、ずっと忘れていたことを思い出したような気がしたんです。それは何かと言うと‥。何もしなくていいから、傍にいると言うことです。話ができて、道具を持った人々は、何もできない状態になると‥いたたまれなくなり、その人を残し遠ざかって行くような気がします。みんな、学校や会社が忙しすぎて‥困っている人に構うこともできなくて‥医療や施設に任せて‥遠くへ遠くへ追いやっているような‥。具合の悪いカラスの傍にずっといてくれたカラス。私の中にもいる気がした‥。思い出させてくれてありがとう。


           

                  


16

原爆 / 叔母が見た光景(2011年8月9日UP)

8月9日は、長崎の原爆の日。私の伯父1人、叔母2人が被ばくしました。2人は被爆直後亡くなり、生き残った叔母は、昨年の夏亡くなるまで、とても元気でした。原爆の日、叔母がいた建物には、たくさんの人がいましたが、助かったのは叔母一人だけでした。しかも、無傷。叔母は、お姉さんの事が気になって、建物の外へ。

叔母の目に映った光景はあまりにもひどいものでした。建物の外は死体だらけだったからです。叔母が移動するには、死体を踏んで歩かなければ進めなかったと言います。そして、そこには‥立ったまま亡くなった人。目が長く伸びて亡くなった人。今まで見たこともない光景で‥夢なのか現実なのか分からないような心理状態だったと言っていました。

(その後、防空壕にいたお姉さんと会えたのですが、一週間もしないうちに亡くなってしまったそうです。被爆した叔母は、自分もすぐに死ぬのだろうと‥思っていたし、生きていても白血病などになって死ぬのだろうと‥いつも死を意識して生きてきたと‥。だから、どうしてこんなに長生きできたんだろうと不思議がっていました。)


わたしは、この話を聞いて「はだしのゲン」の話は大げさな表現ではなかったということがわかりました。もし叔母がまだ生きていたら、聞きたいことはたくさんありました。でも、今となっては、ここに書いた情報だけです。叔母が爆心地からどのくらい離れたところにいたか不明です。しかし、少なくとも叔母が生きていたのは奇跡的だったようです。

そして一番の奇跡は、「放射能の影響で今後100年もの間草木が生えないだろう」と言われていた被爆地に、たった一ヶ月で草木が芽生えてきたことではないでしょうか。自然は、私たちに教えてくれました。命のすばらしさを。そして、自然は、私たちに、語り続けています。「文明にではなく、わたし(自然)に任せてごらん」と‥

    





17

懐かしの井戸水

小さい頃はどこでも井戸があって、海から帰ってくると冷たい井戸水を母から掛けられて、逃げ回っていた。そして井戸で冷やしてあったスイカを食べたこと‥懐かしい。また学校から帰ってくる途中には、手押しポンプの井戸(町の物)があって‥喉が乾いたらいつもそこで飲んでいたのを思い出す。学校で運動した後喉が渇いて、水道の蛇口からほとばしる水をガブガブ飲む‥。でも、本当においしくなかった。塩素の臭いがして‥。

それから、社会人になって結婚して‥。なんとその地域は井戸水。といってもちゃんと蛇口から水が出る‥。(電気で汲み上げている。) やっぱり井戸水はおいしい。震災があったときも、上水道はダメになって水がなくて困っていた方多かった。でも井戸水だった私の家では、水に関しては大丈夫だった。できれば、昔みたいに手押しポンプの井戸水があればいいと思う。トトロの映画にワンシーンにも出てくる手押しポンプ。台所についているポンプ。うちにも付けたいくらい。これから家を建てる人、手押しポンプ是非お勧め。災害時絶対に良かって思うはず。

★もっともっと時代をさかのぼって、有史以前にまで戻れたら、どこにでも美しい川や美しい湧水があって‥何も考えなくても生きて行けただろうなぁ〜。






18

欲に打ち勝つ

欲に打ち勝つため厳しい修行をされたお坊さん。それについて詳しくお話しされた後「お布施」を頂くのを忘れることのなかったお坊さん。(お金をお布施って言う言葉で、欲も伏せてしまったのだろうか) あんな厳しい修行をしてもまだまだ足りないってことなんだろうかと思わされてしまった。

すばらしい牧師さんは、「肉の欲からくる滅びを避けなければなりません。」と力強く説教をした。しかし、肉の欲について語っていた牧師さんも‥やっぱり、たくさんのお金を献金という言葉で持ち去って行った。お金を「献金」と呼ぶだけで「肉の欲から来る滅びを避けられる牧師さんの特権」ってすごいのかもしれない。

仏教のお坊さんも、キリスト教の牧師さんも言うことは、決まって‥「お金は、神様や仏様に一度ささげられ、そこから頂いている」と。それに「霞を食べて生きてはいけない」と‥。(野生の生き物はお金がなくてもちゃんと生きていける)もしお坊さんや牧師さんが「お金のシステム」の真実を知ったら、お金を集めて人々を罪から救う努力をする前に、まず人々を支配するお金のシステムから人々を救う努力をされたことでしょう。 きっと‥

もし、牧師さんやお坊さんがお金のシステムから全ての人を救い、野生に返せたら、欲が一番いいものになってしまう。眠たいときに寝て。食べたい時に食べて。もう無理をせず‥生きていける。修行なんか要らない。欲と戦わなくてもいい。欲がないふりをしなくてもいい。そして、牧師さんもお坊さんも‥一般の人も‥皆同じ身分になれる。良いことづくめだ。(いや、身分の高いものにとっては不幸かも?)


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19

必要と思われた知恵が一番いらなかった

人の赤ちゃんは、歩くのに1年を要するのに握力は生まれながらにある。だから人は足で地を歩くのではなく‥猿のように森で木にぶら下がって移動し生活をしていたのだと私は思っている。かつて人は、お肉や野菜より、森にある果物や木の実が好きだったに違いない。なぜって‥生きた動物や魚をそのまま食べたいとは思わないけど‥果物や木の実だったら、そのまま食べたいって思う。これこそが私たちの本当の食べ物だったのではと、最近思うようになってきた。

だとしたら、今私たちが食べてる野菜やお肉って、もしかしたら「偽りの食べ物」かもしれない。お肉や野菜は、まな板、包丁、お鍋、火‥という文明の道具で料理して初めて食べられる(そのまま食べれるものもありますが)。逆に言うと、そうしなければ食べられない。人が果物や木の実より「野菜やお肉」を食べることになって、野菜を作るための畑や家畜を飼うための草原が必要になった。つまり、森を切り倒しそこを開拓しなければならなくなった。そのためには、鋸やチェーンソーが必要になった。

もし、人が果物と木の実が主食だったとしたら?人間に与えられた無駄な知恵(文明)が「果物や木の実があった森を失わせ、肉や野菜(偽物)を食べるように誘導した」と言えないだろうか?果物と木の実を直接とって食べることに満足していたなら、森を失うこともなく‥仕事に出て金儲けもせず、毎日森で木にぶら下がって移動して「とって食べるというただそれだけ」の生活ができたに違いない。

私たちが偽物の食べ物(肉や野菜)を食べたい食べたいって思うと、森は消滅し、生き物も消滅して、最後に残った人々も消滅してしまう!!!無駄な知恵によって、「自分たちの食べ物」を失ってしまった人々は何もかも失って滅んでしまうのかもしれない。


        



20

無限の命が詰まっている種

1粒の菜っ葉の種。土に埋めてみると‥。
1年後:1万粒に増える。
2年後:1億粒に増える。
3年後:1兆粒に増える。
4年後:1京粒に増える。

どんどんどんどん増えていく‥。(正確に計算通りにはならないが…)

1円を土に埋めてみると‥。
1年後:1万円に増えなかった。
2年後:1億円に増えなかった。
3年後:1兆円に増えなかった。
4年後:1京円に増えなかった。

どんなに年月が過ぎても‥何の変化もなかった‥。
ただ、土に埋まった1円が汚くなっただけだった。

利子って言うのがあります。お金を預けていたら、なん%かずつ増えたり減ったりする利子。預けると増えるけど借りると減って行く。自然では考えられないシステム。あとジャンボ宝くじって言うのがありますが‥。あれって増えたんじゃないですよね。かき集めたんですよね。市場に出回っているお金が勝手にどんどん増えたら?困りますよね。だから、無限の命が詰まった種は素晴らしい!!

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自然は、区切りがない世界。無限に大きくもあるが、無限に小さくもある世界だった。

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