白鳥沙羅のたわごと(自然に沿って生きていきたい)
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わら一本の革命 福岡正信






 






   寄せ集め記事



     カテゴリーにわけられない自分の書いた記事を寄せ集めしたものです。

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タダでもいらない毒漬け蚊帳 11 悲しき延命治療
Let it go.の本当の意味 / 「アナと雪の女王」 12 死んだら燃やされる
料理された子供を載せるお皿?:幼稚園 13 神が求めることは…燃やし尽くすこと
文明と自然、どっちが本当のお母さん?? 14 人間牧場:人もまた家畜である
時々人間の子供のように見えてくる我が家の犬 15
テロに屈しないという国が武器を作る? 16
迷わない子羊 17
火の牛:トロジュピロ 18
文明にだって弱点はある 19
10 物乞いをすると軽犯罪?? 20

「日ごろ感じたこと、思ったことなど‥」を書いていこうと思っています。あとメモしておきたい事など‥。


┃感じたこと、思ったこと



タダでもいらない毒漬け蚊帳

かつて私が幼少の頃、豚が民家近くでたくさん飼われていたので‥私たちの地域ではいつ日本脳炎になる人が出てもおかしくない状況でした。それで、みんな家の中でベープマットという電子蚊取り器をつけたり、、蚊取り線香を焚いて蚊に刺されないように予防していました‥。

しかし私たちは、山に行けばそこで蚊に刺され、藪の近くにいればそこで蚊に刺され、夕方まで遊んでいると‥やっぱり蚊に刺され‥結局蚊に刺され放題でした。なのに‥私の住む地域の人は、こんなに蚊に刺されてもだれも日本脳炎になる人はいませんでした。田舎の人は抵抗力があったというのでしょうか。だったら毒を使って蚊をやっつけるより、人々に抵抗力をつけさせるほうがずっと経済的で健康的ではないでしょうか。

人間にとって厄介な蚊やマラリア。これらの生き物は、人間にとって不要でも‥自然の命の循環から考えるとなくてはならない存在です。安易に殺すことで生態系のバランスを崩すのは良くないと思います。

現在、わたしは、田畑に撒かれる殺虫剤(農薬)によって体調を崩しています。デトックスをすることで、かなり回復しましたが、完璧な回復にはまだまだ時間がかかりそうです。それほど農薬は私たちの体を蝕みます。こんなことから、国や農協や保健所や農家の人に至るまで‥農薬を使わないようにお願いしました。しかし、みんな無関心‥。まるで、虫が原因で体調崩したり死んだりする人には(毒による)手助けをしますが‥農薬(毒)で体調を崩したり死んだりする人には何の助けもできませんみたいな‥。これじゃ〜何か裏があると思われても仕方ないですよね。


なぜ農薬を練りこむのか‥意味不明
現在、アフリカは日本脳炎ではなく、マラリアを蚊が媒介するということで‥住友化学がアフリカの貧しい人たちに「農薬練り込み蚊帳を無料で配布」しているそうです。貧しい人に無料で提供するのですから‥いいことのはずなのですが‥。どんなに考えても変なのです。なぜかと言うと‥蚊帳の網目が小さければ、蚊は入らないし、それで十分だからです。わざわざ、蚊帳に毒を付ける必要があるでしょうか?「蚊帳に毒を練り込んだからマラリアが予防できた」と言われても‥昼間蚊帳から出て、薄暗いところにいたり、藪に入ったりしたら、やっぱり蚊に刺されるわけですから。それだったら、マラリヤになるリスクは全然減っていないことになります。だから、「なぜ‥神経毒である農薬をわざわざ蚊帳に練りこんで‥それを無料で配布しているのか‥」私には、意味がわからないのです。

農薬練り込み蚊帳について
以下はJANJANニュースの記事です。コピペしましたので是非参考にしてください。

↓「JANJANニュース「マラリア予防用の蚊帳に殺虫農薬の練り込みは危険だ」: 野澤眞次 著 2008/09/14 をコピペ
住友化学がマラリア予防用に開発した農薬蚊帳を日本政府のODA(政府開発援助)により、国際協力機構(JICA)がアフリカで大量配布している。使用農薬には発癌性や子どもの脳機能への発達障害も疑われて危険だ。本来、蚊を寄せ付けないための蚊帳に農薬を練り込むなどまったく不要なことで、税金の無駄遣いではないか。

はじめに
朝日新聞出版の雑誌「AERA」(08年9月8日発売号) に「農薬中毒千人隠蔽疑惑」の見出しで、島根県出雲市内の農薬空中散布により児童・生徒らに多数の被害が出たことが報じられている。被害内容は頭痛、嘔吐、下痢、めまい、視野狭窄などだった。

この空中散布は松くい虫防除のためで、住友化学製の有機リン剤スミパインMCが使われた。有機リン農薬は深刻な神経・精神障害を引き起こす恐れがあるため、EUでは空中散布を含め使用が禁止されている。しかし日本では、かなり以前から原液を2〜10倍に薄めた高濃度散布が行われており、乳幼児、若年層の心身障害が憂慮されていた――。

以上がAERAに掲載された記事の趣旨である。記事に出てくる住友化学はマラリア予防用に開発した農薬蚊帳(かや)、商品名「オリセット」をアフリカで大量配布している。筆者が事務局長を務める国際NGO「西アフリカの人たちを支援する会」(サパ)は配布に強く反対しており、それは出雲市での殺虫剤中毒事件とも関連がある。


マラリア予防には普通蚊帳の普及を
サパは、子どもの死亡率が高いマラリアの予防に西アフリカで地元産の「普通蚊帳」を配布し成果を上げてきた。ところが、住友化学は蚊帳の糸に殺虫農薬「ペルメトリン」を練り込んだ農薬蚊帳「オリセット」を開発し、税金(ODA)を使ってアフリカで大規模生産を始めたので驚いている。更なる驚きは、この農薬蚊帳を国連機関のユニセフ、日本の国際協力機構(JICA)が、配布協力していることである。

蚊帳は、かつては日本の夏の風物詩だったが、各家庭に網戸が普及したため、一部の地方で使われている以外は姿を消している。

筆者は1970年頃から熱帯地区の約30ヵ国と関わるようなって蚊帳との縁は現在まで約40年間続いているが、まだ一度もマラリアにはかかっていない。蚊帳の効果は絶大である。もちろん、これは無農薬蚊帳である。

サパが実施した普通蚊帳使用と蚊帳無しの各農家でのマラリア罹患状況を下の表に示す。この調査はギニアで0歳〜5歳児を対象として実施された。各村を便宜的にA、Bの2グループに分けた。蚊帳使用で*2人を罹患としているが、これは発熱していたためであり、マラリアにかかったのかどうかは確認がとれていない。(ー中略ー)

元来蚊帳には蚊を入れない機能が備わっている。わざわざ蚊帳に農薬を使用することは、住宅に設置されている網戸に農薬を塗ることに等しい。愚かなことで、税金の無駄遣いとなる。農薬代に充てるお金があるなら普通蚊帳の数量増に繋げた方が、マラリア予防にはずっと貢献することは明らかである。

サパは「農薬蚊帳と普通蚊帳の違いはどこにあるのか」問うているが、明快な答えはない。住友化学は「マラリアの危険を考えれば、蚊帳に練りこまれた農薬の害は取るに足らない」と言わんばかりの説明をしている。飛来したハマダラ蚊が農薬蚊帳に止まれば直ちに死ぬとの効能を謳っているが、農薬蚊帳で駆除できる蚊など全体の発生数と比べれば僅かな数で、普通蚊帳との違いは全くない。


子どもの脳の発達障害をもたらす恐れも
住友化学の農薬蚊帳に使用されている殺虫剤ペルメトリンについては、WHOの国際ガン研究機構で発表された発癌性が疑われている。新たに富山大学大学院医学薬学研究部の津田正明教授が神経活動依存性の遺伝子発現がペルメトリンなどの合成ピレスロイドやDDTなどで阻害されると発表※。更に「子どもの脳に発達障害の恐れあり」と東京都神経科学総合研究所の黒田洋一郎客員研究員が指摘している。
※アメリカの薬理学雑誌 J. Pharmacol. Exp. Perspect,m 108, 611(2000)

黒田研究員は、最近、子どもたちに見られる異常行動、自閉症、注意欠陥多動性障害等は、家庭でよく使われる殺虫剤のペルメトリン等が、子どもの脳の機能の発達に影響を与えているとの可能性を無視できなくなってきたと述べている(「科学」73巻11号)。


農薬蚊帳ではマラリアを撲滅できない
マラリアは、ハマダラ蚊を媒介してマラリア原虫が人体内に入り罹患する病気で、アフリカを中心に年間約200万人の子どもが犠牲になっている。国連WHOは、ハマダラ蚊を殺虫剤で駆除すればその地区のマラリアは消滅するとし、過去殺虫剤の大量撒布を行った例があったが、その後他所からの飛来蚊と殺虫剤にたいする耐性蚊が現れ駆除は失敗に終わった。

その後、殺虫剤液(ペルメトリン)に浸漬した蚊帳が出回ったが、同じく耐性蚊が現れ目的は未達成となった。いたちごっこの繰り返しである。現在大量配布をおこなっている農薬蚊帳「オリセット」でも同じ結果が予測される。

更に問題となったのは、ペルメトリンの浸漬残液が川に流れ多量の魚類が死滅したことである。ペルメトリンの魚毒性が他の農薬に比べ極めて高いことが立証された。耐性蚊と魚毒性でペルメトリンの取り巻く環境は厳しい。


耐性蚊問題のない普通蚊帳の普及必要
住友化学がアフリカで推進している農薬蚊帳の配布について、サパは当初より上記のように反対のキャンペーンを展開している。反対しているのは蚊帳そのものでなく、蚊帳の糸に練りこんだ不必要な農薬の薬害と税金の無駄遣いである。

筆者はかつて企業の農業専門家として東南アジアに滞在していたことがある。そこで日本の農薬メーカーが途上国の農民に農薬の危険性をほとんど知らせず、営利中心の対応をして多数の農薬被害者を出していることを知った。

当時の東南アジアは今のアフリカと類似しており、一般農民は農薬の基礎知識は皆無で農薬に接するのも稀な生活をしていた。殺虫剤である有機リン農薬の撒布飛沫を度々浴びた子ども達は、神経系の障害被害をうけ長年苦しむことになった。
 
いま、住友化学製の農薬蚊帳オリセットを配布されたアフリカの農家では、蚊帳に練りこまれた農薬ペルメトリンに関する知識は全くない。夜間、蚊帳の中で過ごす裸の子どもたちが蚊帳の裾に体を巻きつけたり、中には裾を口に入れてしゃぶることが予想される。

我われサパのスタッフは、西アフリカで配布した普通蚊帳の使用農家を実際に確認して回っている。筆者が夜間訪れた折、上記のような光景に度々出会った。裸の子どもたちが毎日8〜10時間、約5、6ヵ月間の長期にわたり農薬蚊帳のペルメトリンに暴露され続けている実態を、住友化学は認識しているのであろうか。

住友化学がアフリカでやっていることは、40年前の東南アジアであったことと同じ構造ではないか。過去の東南アジアと同じ感覚で農薬蚊帳の大量配布をするのでは、大きな事故発生を招く恐れがある。農薬メーカーには過去の薬害の歴史に学ぶ謙虚さが求められる。

冒頭に紹介した出雲市の子供たちの農薬被害と重ね合わせ、ODAの使途から「農薬蚊帳」は外して普通蚊帳に替え、税金の無駄遣いをなくすよう日本政府に求めたい。


ここに書かれてあるとおり、「アフリカの人々は蚊帳に練りこまれたペルメトリン
という農薬に関して何も知らず、その蚊帳で夜間ずっと過ごし、裸の子供は、その蚊帳の裾に体を巻きつけたり、口に入れてじゃぶったりするかもしれない‥。」と‥やはり子供がいたら、わたしも一番にそれを心配します。

政治と企業と学者たち
こちらは、「農薬練り込み蚊帳について」の動画なのですが、こちらを見ると「政治と企業が力を合わせ‥この世の支配者の協力者となっているのではないか‥」と思ってしまうような内容です。
詳しくはこちらを⇒
https://www.youtube.com/watch?v=qqNNQNcLYcA


動画が始まって「2分28秒ぐらいのところから‥4分の間(竹中平蔵氏のことば)」を抜き書きしておきます。
「アフリカで最も有名な会社が日本にある‥。住友化学っていう会社なんですが‥マラリアは蚊で伝染するでしょ。マラリアの蚊をやっつけるための「殺虫剤を染み込ませた蚊帳を世界で一番安く作れるのがそこなんです。そこの住友化学が、「ジェフリー・サックス」と組んで、タダで向こう(アフリカの人々)にあげるんです。これは効くとわかって国連がお金を出して‥住友化学もちゃんと売ることができて‥これは見事な成功事例で‥今世界でマラリアが撲滅されつつあるんです。これは、ジェフリー・サックスの貢献だし‥実はその中で日本も重要な役割を果たしているんです。

上部(四角枠内)に一部抜き書きしましたが、以上から‥政治家や企業や経済学者がこれらのことに、絡んでいることがわかります。自動車で毎日多くの人が事故で死んでも、自動車を撲滅しようと誰も考えません。しかし、なぜか‥自然の生き物となると‥みんな必死で撲滅しようと躍起になります。自然は、私たちにタダで全てのものを提供してくれています。でも経済はお金なしでは水一杯も分けてくれません。こんな経済ばかりを優先していたら‥私たちは‥お金がなければ即「死ぬ」という状況に追い込まれてしまうのではないでしょうか?もうそれが、始まっているのかも知れません‥。

(※ジェフリー・サックスとは、1954年生まれ。アメリカの経済学者。タイムマガジンが選ぶ「世界で最も影響力のある100人」に連続してノミネートされている唯一の学者。)


ペルメトリンの毒性について
ペルメトリンの脳への影響は、マウスを殺すのに必要な量の1000分の1以下の少量で十分だそうです。そのくらい微量で脳に影響を与えるという農薬であるわけです。このような毒が本当に必要なのかどうかよく考えなければいけないと思います。

【様々のレベルのペルメトリンに曝されたマウスの脳内の重要化学物質のレベルを研究】

@研究の結果、この殺虫剤ペルメトリンがドーパミンと呼ばれる神経伝達物質のレベルの低下を刺激することが分かった。筋肉硬直・足を引きずる歩行・周期的震えなどのパーキンソンの症候は脳内でのドーパミン生産の減少に関連づけられてきた。
Aまた、ペルメトリンへの暴露はアルファ・シニクレイアンと呼ばれる蛋白質の生産増加にも結びついていた。この蛋白質はパーキンソン患者の脳内に見られるLewy小体の中心的構成要素である。低レベルの暴露の方が高レベルの暴露よりも急激な影響があった
B研究者は、脳への影響を生み出すためには、マウスを殺すのに必要な量の千分の一以下の小量で十分だと言う。
(Virginia Pplytechnic Instituteの研究チームより)

ペルメトリンの研究について詳しく知りたい方はこちらを参考にしてください。
http://www.juno.dti.ne.jp/tkitaba/earth/chemical/03040901.htm


調和した自然界
どうも、文明社会の考え方は、お金の循環が最優先されて、自然を踏みにじっているように思えてなりません。なにか問題があると何時も、文明は「守る」ということばを盾にいずれかの生き物を殺しているように思うのです。たとえば、松枯れが発生すると、松を守るという理由で、殺虫剤を撒き虫を殺す。在来種が外来種に食べられると、在来種を守るという理由で「外来種」を殺す。人がインフルエンザにかかると、人をインフルエンザから守るという理由で豚や鶏を殺す。

変ですよね。こんな考え方。
もし‥。みみずがモグラから自分たちを守るという理由で‥モグラを撲滅させたら? モグラを食べていたヘビが絶滅するかもしれないでしょう。モグラを食べていたヘビが絶滅したら?ヘビを食べていた生き物が絶滅するかもしれません。ミミズにとって平和になったと思った自然は、破壊された‥生き物が全くいない‥砂漠化された殺風景な場所になってしまうのではないでしょうか?

自然は、生き物が食べて食べられ‥そしてそれが循環することで、自然全体のバランスが取れて‥命豊かな大地となります。ですから、何かを守るために‥何かを殺すみたいなことをしないで‥。私たちが日夜行っている不自然な行動をどんどん止めていく方に実践していかなければいけないと思うのです。その結果、自然に全てを任せておくのが一番いいことだと思います。そもそも人間が自然に手を加えていることが、自然を破壊している原因なのですから。


こちらは、菌のバランスが大切だという、藤田紘一郎氏の動画です。
とてもわかりやすいので是非見てください。

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無菌、無ウイルスの生き物っていないと思うんです。たとえば、無菌の犬とか無ウイルスのネコとか。そんなのおかしいですよね。私たちの手にも口の中にも、胃にも、腸にも、鼻にも、気管にも‥菌やウイルスが住んでいます。常に目に見えない生き物が寄生していて、私たちはそれによって生かされていたりします。つまり、菌やウイルスがいるから、‥生き物全体の調和が保たれていると思うのです。

もし、マラリアで不自然に死ぬ人が多いのなら、人間が先に不自然なことを‥やっていないかどうか考えなければならないと思います。例えばアフリカの人が、貧困になるように仕向けられ、十分な栄養が取れず、免疫力が落ちているとか‥。もし、そうなら、蚊が原因ではなく、免疫力が落ちる食生活や生活環境に問題があると思うのです。

ですから、人は人助けという大義名分を盾にビジネス展開をしてはいけないと思います。文字や数字に長けた人たちは、自然のことがよくわからないのかもしれません。そんな人たちが、この世支配者の仲間として存在し多くの人に影響を与えているのですから‥自然が破壊されていくのもよくわかります。

まとめ
人助けと言って、人目をはばからず撒かれるのが農薬だと思います。ここにも、人助けと称し「毒が練りこまれた蚊帳」を貧しい国に無料配布し、しかも、それを行っているのがなんと、農薬蚊帳を国連機関のユニセフ、日本の国際協力機構(JICA)‥。私たちが、国連や国などの主要機関によって守られているのではなく、傷つけられ、命を奪われているのかもしれないのです。

わたしは、かつてユニセフに寄付していたことがありました。しかし、送られてきたパンフレットに農薬練り込み蚊帳のことについて書いてあったのを見て驚きました。自分自身が農薬で体調を崩しているのに‥


お勧めリンク
マラリアの予防蚊帳に農薬はいらない(第3報)
http://blog.livedoor.jp/janjannews/archives/2520345.html




2

「Let it go. 」の本当の意味 / 映画「アナと雪の女王」より(私説)

ディズニーの「アナと雪の女王」という映画の主題歌で‥「Let it go.」 と言う言葉が‥「ありのままで」と訳され‥多くの人の心を魅了しています。しかしながらどうして「Let it go.」=「ありのままで」って訳されているのかと不思議に思います。

もし
Let me go.が‥「わたしに行かせてください。」という意味なら「Let it go.」は‥「それに行かせてください。」という意味になると思うのです。しかし、(辞書によると) その意味は 「諦めなさい。」 「ほっときなさい」 「忘れなさい」 なのです。つまり、「Let it go」という言葉は、怒りや不安に苛まれている人に向かって‥「そんなこと、諦めなよ。ほっときなよ。忘れなよ。」と呼びかける言葉なわけです。

わかりやすく言うと‥Let it go. のitって「怒り」や「不安」という目に見えない‥自分にとって不都合な感情で、そんな不都合な感情に苛まれている自分に第三者がやってきて、「怒りや不安に行かせなさい」‥つまり、「諦めなさい」「ほっときなさい」と優しくアドバイスする言葉だと思います。まるで「痛い痛いの飛んでいけ〜」みたいに。状況を変えないまま、元気になれるおまじない的な魔法の言葉ではないでしょうか。(時には、自分が第三者のようになって自分にLet it go.と声をかけるかもしれませんが)

ただ、映画の主題歌のタイトルに「諦めなさい」とか「ほっときなさい」とかだったらイメージがよくありません。だから「ありのままで」と訳されたのだと思います。しかし、どんなにイメージのよい言葉に訳されても‥諦めた結果、状況を変えずに元気になったのですから、おまじない的魔法の言葉に変わりありません。

ちなみに、まじないとは‥「呪い(=のろい)」と書きます。つまり、まじないは、呪い(=のろい)と同じということになります。でも不思議ですね、「のろい(呪い)」と言う言葉より「まじない(呪い)」という言葉の方が親しめるのですから。おまじない的な言葉で有名な、「痛いの痛いの飛んでいけ〜」という言葉も、そして映画の主題歌「Let it go」も、私たち人間を呪う(=のろう)ものの発した言葉かもしれません。

と言うことは‥
私たち人間を呪(のろ)っているものが、私たちを絶望の世界へ閉じ込め‥、同時に、優しく声をかけているのかも知れません。「Let it go. 諦めなさ〜い(ありのままで)♪」と‥

映画「アナと雪の女王」から‥「Let it go. 」考えると‥
映画「アナと雪の女王」の姉エルサは、触ったものは何もかも氷にしてしまうという魔法の力を持って生まれた。ある意味、自然を破壊するという障害をもった女の子。そして、世界中が氷で冷え切ってしまい‥元に戻すことができなくなる。あるとき‥姉エルサは、妹の元フィアンセに殺されそうになる。そのとき、妹アナが自分を犠牲にして姉エルサを助ける。凍りついた妹アナ。そのアナを姉エルサが抱きしめる‥その時‥世界中の氷が溶けて元どうりになる。(あらすじの参考:映画アナと雪の女王

映画を見ると‥「愛とは、大切な人のために自分の命を捨てること」‥というメッセージが伝わってきました。そこが‥とてもジーンとくる場面です。しかし、自然を破壊する‥あるいは自然を不自然にしてしまう魔法から解放されることがない姉エルサ。制御はできるようになったかもしれない。しかし、どんなに命をかけても、この自然界を本来の自然に戻すこともできない‥。そんなメッセージが聞こえてくる‥。

服、乗り物、建物、お城、身分制度‥こんなもの自然にはない‥

だから、この映画を見ていると‥「文明に逆らわず‥ほどほどのところで妥協し、その流れに素直に従って生きなさい‥」と諭されているような気がした‥。つまり「諦めなさい=Let it go.」と‥。








幼稚園は、料理された子供をのせるお皿 / フレーベル

この世界に始めて幼稚園を作ったのは、ドイツのフレーベルという人です。彼はチューリンゲン地方の牧師の家に生まれ、満1歳にならないうちに母を亡くしました。愛に飢えた、さびしい少年時代を過ごした彼は、「子どもの教育には、母の愛がなにより大切である。母と子を切りはなすことはできない」と言っています。

フレーベルの言うように私も「母の愛がなにより大切である」と思います。しかし私は、同じ理由で、子供を幼稚園に行かせないで、母親が子供を面倒みたほうがいいと思っています。文明社会では、自分の子供と一緒に過ごすのはごくわずかな時間だけ‥。あとは学校に任せっきりです。だから、せめて幼児の時だけでも一緒に子供と過ごしたほうがいいと思うのです。ですから、フレーベルが、母親の愛に飢えて育ったから、幼稚園を作ったというところに少し矛盾を感じるのです。なぜなら、幼稚園が母と子を切り離しているからです。

もしかしたら、フレーベルは親がいなかった寂しさを、親のいる全ての子供にも味あわせたいという思いがあったのかもしれません。寂しさをこらえて過ごす子どもは‥ときどき親に甘えている子供をみて妬ましく思うことがあるからです。それで‥彼は幼稚園を作ったのかもしれません。(そうでなければ‥どうしてっていう疑問が湧いてくるのです)

また、彼は「子供に知識を詰め込むのではなく、生まれつき持っている芽を愛の力で伸ばすことが大切である」と考えました。確かに、野生の生き物の子育てを見ていると‥親は、力づくではなく愛情で野生で生きる知恵を身につけるように導いているのをよく目にします。ですから‥、フレーベルが「こどもに知識を詰め込むのではなく、生まれつき持っている芽を愛の力で伸ばす」という考えは、とてもよくわかります。

しかし、彼が始めた幼稚園は、今で言うTV番組の「志村動物園」のやっていることと同じように思えるのです。どういうことかというと‥。自然のなかで体験をしながら成長し、生きていく術を学ばなければならない動物の赤ちゃんを、この番組では‥自然から隔離された部屋に入れ、ボールや鉄棒といった自然にはない道具を用いて育てます。それも、実の親から切り離して‥。それは、まるで、私たちが通った幼稚園と同じです。(私たちが飼っているペットや家畜も同じですね)

また、彼が考案したおもちゃは、「シュピルガーべ(神から贈られたおもちゃと言う意味)」と呼ばれ‥その形は、自然界には存在しない幾何学的なもので、幼児の自発的活動を促し、表現力や創造力を養うものだったと言われています。つまり、神から贈られてきたおもちゃは、子供たちを自然から隔離し、自然いない知恵を身に付けさせ、将来お金の循環に捕らわされるための道具だったと言えそうです。

(幾何学的なもの‥たとえば三角、四角、丸などは、点と点を結べばそう見えてきますし、結晶や細胞などにはそれに近いものを見つけることができます。しかし、定規で引いたようなピシッとしたものは自然に存在しないし‥自然が幾何学模様でできているわけではありません。ですから、もしこの自然界が幾何学的模様だけで埋め尽くされたら‥不自然で居心地の悪い世界になると思うのです‥。そうなったら、「こんな知恵、身につけなかったらよかったのに‥」と後悔するに違いありません。)


フレーベルは、幼稚園の創始者ですが。その幼稚園という言葉は、ドイツ語でkindergartenと言います。その文字を解字して意味を調べると‥「kindera=子ども」+「garten=料理されました」となる。それで分かったことは、幼稚園とは、料理された子ども達が行く場所‥つまり、料理された子供たちが乗せられるお皿ってこと。

もっと、わかりやすく言うと‥その後の小学校、中学校、高校を経て‥文明という社会に食べられていくことを意味しています。文明が作った不自然な社会の歯車のひとつとなって‥働き続ける奴隷として
(私説)

参考)
http://www.asahi-net.or.jp/~sf2a-iin/19.html
http://blog.izumishobo.co.jp/sakai/2009/04/post_750.html






4.


文明と自然どっちが本当のお母さん?

森は私たち生き物のお母さん。カラスやイノシシやシカたちは、私たちの兄弟。

    
文明は私たちにとって見知らぬ怖いおじさん。 ある日、このおじさんが、不思議な知恵を私たちに与えて、それに魅了させ誘拐した。そして、このおじさんは、私たちの親のように振舞った。人は、いつしかおじさんを本当の親と思い始め、おじさんのいうことだったらなんでも信じ従っていくようになった。そしておじさんは、自分の知恵で斧やのこぎりを私たちに作らせ、実のお母さん(森)を破壊させたのです。もう二度と私たちがお母さん(森)のもとに戻れぬように…。

    
「本当のお母さん(森)。お母さんのところに戻りたいよ〜。」 私は、おじさん(文明)から逃げて、本当のお母さん(森)のもとへ帰りたい…。そして、お母さん(森)を本来の姿に戻して‥わたしも、ずっとそこに住みたい。


※私の言う究極の「お母さん」とは…(分かりにくいかもしれませんが)
人が文明と交わっていないころの‥限りない(境界のない)世界。つまり、ことばで分けられない‥全てで一つの世界。森も川も海も空も‥生きものも、宇宙も‥みんな同じ。みんなで一つ。内も外もない世界。対立する者がない世界‥(たとえば、「神対人間」のような宗教さえもない)‥です。究極的には、「私対お母さん」と分けることができることばのない世界です。

※私の願い
非文明三原則:言葉をもたず、道具をつくらず、火を使わせず。」…ここに、本当の自然があるかもしれない。私は、非文明三原則に則っとって文明を捨てて文明のアウトドア(お母さんのもと)に行きたい…。




5.


時々人間の子供のように見えてくる我が家の犬

人と同じように自然と分離されて文明の中で育った犬(ペット)。まだ言葉を話せないけど、何かを必死で伝えようとする人間の赤ちゃんのようでもあります。とても可愛くもありますが‥、野生の中で生きていけない生きものという点では、人間と同様悲しい存在でもあります。膝の上にお座りしてご飯を食べることを要求する我が家のワンちゃんは、不自然そののもと言った感じです。

■テーブルについて箸でご飯を食べたがる
うちの愛犬は、テーブルにまだ置いてあるお茶碗をチラッと見て‥お茶碗に残ったご飯をおねだりします。それも‥抱っこして、お茶碗から箸で食べさせてもらうという‥とても面倒な食べ方で‥(ペット用のお皿にご飯を入れても‥ずっと吠え続けます)。

それで‥愛犬を膝に抱っこし、お茶碗をもって‥箸でご飯を食べさせると‥。とても得意げな表情をして、自分だってご飯食べれるよ〜みたいな感じでとてもうれしそうに食べるんです。愛犬は、みんなと同じようにようにテーブルを囲んで食べたかったようです。ほんの少しの量なのに、これをしなかったら‥いつまでもいつまでも‥しつこく吠えます。でも、どんなに少量でも、抱っこしてご飯を食べさせると、得意になってご飯を食べ、食べ終わったら‥空っぽになったお茶碗を確認し、すぐに膝から降りていきます。

野生だったら、仲間と同じものを同じように食べるのでしょうから‥。みんなと同じようになりたいという気持ち‥分かります。

■寂しさに涙を流す
近所の人のうちの愛犬は、涙を流さないって言いますが‥。家では、「お留守番ね」というと‥一緒に出かけると思い込んではしゃいでいた愛犬が、じっとして動かなくなり、シッポはスローモーションで下がり‥目がみるみる間にウルウルになって‥涙がポロンと床に落ちます。「ごめんね‥」って言うと余計に涙が‥。特別なのか、普通なのか分かりませんが‥犬も悲しいときや寂しい時に涙を流すってことが分かりました。

■いじけてうつぶせで泣く(鳴く)

あるとき、愛犬がうつぶせになって顔を布団に埋め、く〜ん、く〜んと悲しそうに鳴いているので、息子に「どうしたの?」と訊くと‥。息子は、「餌をあげたのに、いつまでも吠えるんだよ。」と言って‥知らんぷりしていました。それで、私が、「抱っこじゃない?」って言うと‥。息子に、抱っこされた愛犬が‥「それそれ‥。分かってもらってよかった〜」って満足そうなためいきをつくんです。

愛犬は抱っこを息子に要求して吠えていたんですが、息子がずっとほったらかしにするので、いじけて布団にうつぶせになって鳴いていたのだと思います。よっぽど、息子に抱っこして欲しかったみたいです。小さな子供と同じようなしぐさに‥愛犬が人間のように見えました。

■講義する
キッチンとダイニングに仕切りがないので、クーラーが効きにくい。それで‥カーテンで仕切ることに。すると‥愛犬が‥カーテンをくぐってキッチンへ行って‥ずっと吠えます。そこで、わたしがキッチンへ行くと‥
カーテンをチラッと見て、何でこんな物つけたの?みたいな表情で吠えます。数日‥こんな感じで‥カーテンのところへ行っては吠えていました。






6.


テロに屈しないという国が武器を作る?? / 戦争の真の原因 

たとえば、わたしがA国の●●さんと個人的なトラブルを起したとします。

そんな時‥国がわたし個人のために…武器を調達したり、兵士を徴収したりして、A国と戦争を起すでしょうか?個人のちっちゃなトラブルのために、そんな事をするなんて考えられません。

だから‥戦争はいつも国民そっちのけで‥国の勝手な意向で起こっているように思えてならないのです。例えば、経済摩擦が原因と言って戦争を始めたりしますが‥、ほとんどの国民が 「兵隊として徴収されずに済めばいいのに」 と願いつつ、出征しないといけないのです‥。

かつて、私の父も、わたしの伯父も‥「戦争には行きたくなかった」と言っています。それでも‥戦争のために無理矢理徴収されれば‥、人々は突然武器を持たされることとなり、殺すか殺されるかという極限の世界に追い込まれます。闘鶏や闘牛のように‥戦う他ないのです。

最近は、見えないテロとの戦いと言って‥私たち日本人も闘いに参加しないといけない雰囲気が感じられますが‥。本当に怖いのは、テロではなく‥武器を造る商人ではないでしょうか?

武器がなければ‥お金があっても買えないのですから。しかし、なぜか武器を売っている商人たちが問題になることはありません。なぜか?それは、表も裏も支配しているものが‥いるからではないでしょうか?裏では武器を作らせ、更にそれを売り買いさせ‥そして戦争を起す。表では、戦争を悪とし、正義のために戦争を止めさせようとする‥。

そうでなければ‥なぜ武器を造る商売が今もなお存在するのでしょう?訳が分かりません。

ちなみに「武器輸出額 国別ランキング統計・推移」は‥

国名 輸出額(2013年)
ロシア 8283
アメリカ 6153
中国 1837
フランス 1489
イギリス 1394
ドイツ 972
イタリア 801
イスラエル 773
スペイン 605
10 ウクライナ 589
【単位:mil.US$】 出典世銀: (World Bank)

戦争をする国を非難しつつ、武器を輸出して儲けている国‥。常々「テロに屈しない!」を連呼する国も武器でこんなに稼いでいるのですから‥おかしいですね。最近は日本も「武器三原則」が見直され‥武器を作らされているようです。国民はその事を知ろうとすれば知ることができます。しかしメディアではそれほど大きく報道していません。もっともっと大きく取り上げるべきだと思うのですが‥。

取り合えず以下の文章を読んでください。


オピニオン:
日本企業が武器輸出で世界に追いつくためには?より転載
安倍晋三政権は今年、日本の防衛産業に課されてきた厳しい輸出規制を緩和した。

物議を醸したこの決定により、三菱重工業など日本企業が大きな利益を受ける時代がくる可能性がある。(中略)

日本では1967年に国会が武器輸出を制限して以降、ほぼ半世紀にわたり企業が海外で武器を販売することが禁じられてきた。1976年にはこうした制限が実質的な全面禁止となったが、国内では三菱などが着実に成長を続ける自衛隊向けにヘリコプターや戦車、戦艦、戦闘機、航空機エンジンなどを生産していた。

日本製の軍事機器は、例えば米国製よりもしっかりとした造りで、技術の信頼性も高く価格も適正だと評価されている。とはいえ、米国やロシア、フランス、さらに韓国や中国などの企業が支配する海外市場を、日本企業は傍観するしかなかった。

こうした状況は一変しつつある。安倍首相は日本の防衛体制を世界3位の経済大国にふさわしい積極的かつ現実的な水準に高めることを誓った。日本の防衛産業に武器輸出を認める第一歩として、三菱重工業は米防衛大手レイセオンが開発するミサイル向けに赤外線センサーを製造する運びだ。レイセオンはこのミサイルをカタールに輸出する。このほか、オーストラリアとは次世代潜水艦技術の開発で協力し、インドには救難飛行艇「US-2」15機を販売する。

マーケティング力や洗練された製品開発能力を持つ日本企業は、今後の武器市場を席巻できる潜在力を持っている。戦車や大砲からヘリコプター、ミサイルまで、日本企業が入り込める大型案件はたくさんある。世界の武器輸出は向こう10年間、特にアジアを中心に劇的に増加する見通しだ。1988年に日本防衛産業の幹部の間で回された極秘メモによると、日本企業が武器輸出を許されていれば、世界の戦車市場の45%、軍事用電子機器の40%、戦艦建造の60%を獲得できたと試算されていた。

喜ぶ前に、日本の防衛産業が直面する大きな障害を認識することが重要だ。この障害の一部は日本に原因がある。

第1に、日本の参入は米国やロシアだけでなく、韓国にさえ後れを取ったということだ。(中略)

第2の障害は、日本の大手メーカーでさえ事業全体に占める武器製造の割合が小さいことで、防衛省によると売り上げ比率は平均で4%にとどまる。経営陣が軍事システムの海外販売に必要な熱意を注ぐかどうか疑問がある。日本では平和主義が依然として根強く、経営陣が「死の商人」と呼ばれる武器輸出を好まないことも考えられる。(中略)

世界の武器市場で日本は新参者だが、武器貿易市場についての知識を同盟国である米国に頼る一方、軍事システムの核とも言える高度電子部品で強みを発揮することによって、日本の防衛関連企業は明るい未来を切り開くことができるだろう。



国際報道 2014年10月16日(木)「武器輸出三原則見直し 最前線で何が」より転載
今年(2014年)4月、日本の武器輸出三原則が見直され、これまで事実上禁止されてきた武器やその技術の輸出が一定の条件のもとで認められることになった。NHKはアメリカのロッキード・マーチン社を取材。そこではアメリカなど9カ国が共同開発する次世代戦闘機F35で、機体の一部を日本企業が製造する計画が進んでいた。三原則の見直しは、国内の中小企業にも影響を与えている。国の政策を後押しに、新たに軍事市場への進出をめざす動きがある一方、軍事転用を恐れ、輸出管理を強化する企業も出てきている。武器輸出三原則の見直しから半年。現場でいま何が起きているのか伝える。
出演:佐藤丙午(拓殖大学国際学部教授)

どうして、日本の国と企業は、「武器を作るのを止めよう!」と海外に働きかけないで‥「一緒に武器を作ろうよ」という外国の誘いに乗ってしまうのでしょう?そんなことをしながら、「我々は目に見えないテロと戦うのだ」とか「テロに決して屈してはいけない!」なんて言っています。しかし、なんだか説得力にかけてしまうように思えてなりません。

武器のない世界を考えてください。どんなに安心できる世の中か!

あるジャーナリストが言っていました。「戦争地域の子供たちは、銃を持って何人も人を殺さなければならない現実にさらされている」と‥。「それがどれほど残酷なことであるか」とも‥。そんなことを私たち日本の国民に向かって切々と訴えていました。


私は思います。その訴えを無力な国民に向かってではなく、武器を造って儲けようとする世界の企業とそれを許す各国の政府に訴えて欲しいと。

人が、もし「火(文明の種)」に無関心だったら‥。土に混ざった酸化鉄を還元して鉄を造ったりしなかったろう。もし鉄がなかったら、人を殺す刃物はなかったろう。そして、人を殺す銃や空を飛ぶ戦闘機がなかっただろうに。



■積極的平和主義??

人質事件があって後すぐに、安部首相は「法律を変えて自衛隊が邦人を助けに行けるようにしよう」みたいなことを言っていましたが‥。自分たちが作った武器が無駄にならないように‥将来戦争を計画しているように思えて不安になるのですが‥。そうでなければ、武器を全世界で作って商売する必要はないと思うのです。あ〜ぁ〜。国民そっちのけで‥こんなことが水面下で話し合われていたら‥嫌だなぁ〜。

国民主権とは名ばかりで、国は国民と全く離れた大きな力に牽引され‥国民を危険な所へ導いているような気がしてなりません。「積極的‥平和主義」という名のもとに‥

東京新聞 2015年2月2日夕刊 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015020202000233.htmlより転載

     「積極的平和主義を推進」 集団的自衛権で首相答弁


イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」とみられるグループによる日本人人質事件について、安倍晋三首相は二日午前の参院予算委員会で「国民の命、安全を守ることは政府の責任であり、最高責任者は私」と述べた。

首相が積極的平和主義と称して、集団的自衛権の行使を含む外交・安保政策を進めることで、日本がテロの標的になると問われたが「テロのない社会をつくるため、積極的平和主義を進める」と強調した。自衛隊による在外邦人救出を可能とする法整備にも意欲を示した。 

 首相は「イスラム国」について「イスラムの人にとっても脅威だ。日本は中東に多くの資源を頼っており、この地域の過激主義を抑えることこそ、日本に求められる責任ではないか」と述べた。

 二〇一二年十二月の第二次内閣発足後、五十四カ国・地域への訪問や、各国首脳との二百回近い会談を通じて、「集団的自衛権を含む積極的平和主義は理解、支持をいただいている」と指摘した。

 首相は集団的自衛権の行使に関し「どこなら当てはまらない、近くなら当てはまる、ということではない」として、地理的な制約はないとの認識を示した。

 人質二人を殺害したとする映像が公開されたことを受け、国内のテロ対策や海外の邦人保護に万全を期す考えを強調した。今後、海外で日本人が事件などに巻き込まれた場合に備え、相手国から同意を得ることを条件に、自衛隊による在外邦人救出を可能とする法整備にあらためて意欲を示した。

 中東地域への人道支援については「テロの脅かしに屈すれば、さらなるテロを招きかねない。テロと戦う国際社会で、日本としての責任を毅然(きぜん)と果たしていく」と、一層拡充する意向を示した。一方、「イスラム国」と戦う有志国連合への協力に関しては「空爆に参加することはあり得ないし、後方支援することもない」と否定した。

 首相は事件発覚に前後して、ヨルダンなど関係各国の首脳に協力を求めたと説明。「人命第一の立場に立ち、これまで培ってきたあらゆるチャンネルを最大限活用して、早期解放に全力を尽くしてきた」と述べた。



■一時が万事

文明には‥私が疑問に思う共通点があります。

@戦争は武器がなくなることが一番。だったら、武器製造するものを取り締まればいいのに、武器を製造、販売するものではなく、武器を買って使うものを取り締まる。政府が積極的にかかわっているから当然と言えば当然かもしれないが‥。これでは戦争がいつまでたっても、なくならない。武器が売れて儲ける仕組みなのだから‥。(頂点に君臨する国は‥武器の完全廃止ではなく、軍縮を訴えます。これでは、一つの強い国がますます強くなって‥全ての国は奴隷になります。しかし、わかっていても‥今や誰にも止められないのかもしれません‥)
A麻薬も麻薬を製造販売する者を取り締まれば‥麻薬中毒者ゼロにできる。しかし、国は麻薬を製造販売するものではなく、買って使うものを取り締まるだけです。これではいつまでたっても、麻薬が蔓延するばかりです。
B「海外の生きもの(日本にとっては外来種)を捕え、それを日本に輸出し儲けようとする者」を取り締まらなければならないのに‥。海外の生きものを飼って‥その後、自然に離すものを取り締まる。これでは、日本にいる外来種を無くすことはできません。。
Cゴミ問題。食物連鎖を通して土に戻れないものを造らないのが一番。しかし、それらを造り続け、人々に分別をさせる国。そして自然が破壊されていくと‥国民が自然を汚していると国民を責める。ゴミは分別しても、燃やしても‥環境を破壊するのに。

一事が万事、こんな感じです。国や企業のやり方に多くの国民が‥涙‥。







7.


迷わない子羊 

都会の夜景を見て「きれ〜い。」と言って喜ぶ人たち。かつて‥そこが戦争で焼け野原になって‥泣いた人たちだ。

彼らは、自分たちが‥「草木が焼けてしまったことを悲しんでいたのか?」それとも「家がなくなったことを悲しんでいただけなのか?」分かっていない。

文明がなかった時代へさかのぼると‥。私たち人間も他の生きものと同様森自体が住みかだった。だから‥「森がなくなること」イコール…「住処がなくなること」だった。

しかし、鉄を作って‥斧やノコギリなどを作り‥そして家を建てると‥人は森から離れてしまい‥森が家を建てる事でどんどん破壊されていっても‥なんとも思わなくなった。つまり、斧やノコギリは幹を根から切り離しただけでなく、人々を森から切り離した。


鉄は土に混ざった酸化鉄を、炭で還元しないと作れない。つまり木がなければ鉄は作れなかった。だから‥森を大切にしようと考え始めた事も。しかし今は違う。

石油を燃やせば酸化鉄はどんどん還元されて大量の鉄を作る。そして大量の鉄は、大型の重機となって短時間に森を破壊し‥更地になった大地に、鉄で作った重機を使って、鉄でできた建物で覆い尽くしていく。しかし、森に住まなくなった人々は‥夜、建物から漏れる数々の光を美しいと言って喜ぶ。

もはや、自然が本当の親(本来生きる場所)なのか?それとも文明が本当の親なのか?もう人々は迷うことはない。ビルで覆い尽くされた夜景を見て喜ぶ人はいても‥自分の住処(森)が奪われたと泣くものは一人もいないのだから。



   私の思う「迷える子羊」について

羊は本来家畜としてではなく‥自然の中で自由に暮らしていた生きもの。だったら、飼い主から脱走した子羊は‥「文明が作った家畜制度から脱走した子羊」と言える。

飼い主は、羊をとても愛していて、命がけで羊の命を守ると言う。しかし‥羊は(飼い主によって)時に毛を刈られ、時に殺され肉にされるのです。なのに‥飼い主のこのような行動を「愛」という一文字に置き換え、逃げる羊を「迷える子羊」と言って追い回し絶対に自然の中に戻ることを許さないのですから‥





8.


火の牛 / トロジュピロ 

スペインには、牛に意図的に火をつけ、その苦しむのを見届ける伝統行事(祭り)があるそうです。想像を超えていて驚きました。どんな祭りかと言うと下の枠内のニュースを読んでください。

2010.11.16 産経ニュース

       スペイン伝統の「火の牛」

スペインのメディナセリで13日、「トロジュビロ」という名の祭りが開かれた。祭りの名はそのものズバリ「火の牛」だそうで、雄牛の角にタールを染込ませた2つのボール状のたいまつをくくりつけ、長時間苦痛で暴れ回る牛を見届ける伝統行事だそうだ。

この祭りは11月の2番目に当たる週末に毎年催されており、苦痛で死に絶えた牛の肉は、住民に分け与えられ、それを食べると子供を授かるなどの御利益があるとか。生きたままたいまつをくくりつけられる残酷さから、動物愛護団体などからは動物虐待との非難を浴びてもいる。


今の文明が火から始まり‥私たちの苦しみが火によって起こっています。トロジュビロという祭りは‥まるで、文明という存在(火)自身が、地球の火種となり‥地球に火をつけ‥自然が苦痛で壊れ灰になていく姿を見届けるのに似ています(私の勝手な解釈ですが)。





9.


文明にだって弱点はある

文明がなければ、自然はこんなに衰退することはなかったのにと良く思います。現在、この世界を見渡すと文明と言う存在ほど最強なものはなく、自然は無力でそれに屈しているようにしか見えません。

では、この最強に見える文明と言う存在に弱点はないのでしょうか?

色々と考え行きついたところは‥
ズバリ、「無関心」です。


文明の始まりを「火、ことば、道具」と言うなら‥。

もし、人類が…火に無関心だったら?言葉に無関心だったら?道具に無関心だったら?世界中にあった森の木のたった1本さえも、斧や鋸で失うことはなかったし、海に浮かぶ船も陸を走る自動車も、空を飛ぶ飛行機も、いつ人間を支配するか分からない人工知能をもったロボットも出現しなかったでしょう。

かつて、生きた体内にあった受精卵が、今や冷凍庫に保存され‥研究者がそれを管理しています。もし、人類が滅び人工知能をもったロボットだけになったら‥。

イメージという世界に閉じ込められた文明と言う存在がロボットという形で現れ、そのロボットが研究者と入れ替わり‥冷凍された受精卵をいじるようになるかもしれません。文明に関心をもったことで、生きた自然と二次元に過ぎなかった文明が入れ替わってしまう危機を感じます。

しかしもし、現在人類が一人残らず足並みをそろえ、文明を完全無視(文明と戦わない、文明に頼らない)できたら?あっという間に文明は衰退するに違いありません。現在、文明に捕らわれ窮地に追い込まれた人類は、それをやりたくてもできません。

よく学校や社会で言われる言葉で「一番いけないのは無関心です」と言われます。自然においては、無関心である必要な時もあれば、関心を持った方が良い場合もあります。しかし、文明社会において「無関心」は一番いけないことなのです。なぜなら、文明にとって「無関心」ほど最強な敵はないからです。






10


物乞いをしたら「軽犯罪」?

つい最近、物乞いをした理由で、逮捕者が出たと聞いて驚きました。例えば、「物乞い詐欺(お金が十分あるのに‥物乞いをする)」だったら分かります。しかし‥生活が苦しく物乞いをしたのであれば‥、国は物乞いする人を逮捕してはいけないと思うのです。むしろ‥彼らが生きていけるように、様々な国の援助方法を提案したり、手続きをしてあげたりする必要があるのではないでしょうか?

つまり‥国は、物乞いする人を見つけたら‥物乞い詐欺なのか、本当に極貧で生活できない人であるかを見極め、その中から救済の必要がある人を見つけ出し助けることが任務ではないかと思うのです。

なのに‥一律に物乞いをすることを法で取り締まるのですから‥酷い世の中になったという気がします。

私が子供の頃は、路上で物乞いする人をよく見かけましたが、最近は路上に物乞いをする人を見ることがなくなりました。てっきり、生活水準が上がったことから‥物乞いする人が減ったと思っていたのに、「物乞いをしたらいけないと言う法律」があったから物乞いする人がいなくなったわけですね。

もし‥わたしたちに、お金がなくても、タダで飲める湧水や井戸があれば生きていけます。
もし‥わたしたちに、お金がなくても、タダで得られる食べ物が森や海に豊富にあれば生きていけます。
もし‥わたしたちに、お金がなくても、タダで寝泊まりできる自然(森)があれば生きていけます。

しかし、国や自治体が自然を管理し‥自由に使える土地を人々から奪ってしまいました。そのため、私たちは‥お金がなければ絶対に生きていけないのです。つまり、お金がなければ‥沙漠にいるのと同じなのです。

私たちの願いは‥お金がなくても、自由に生きていける自然本来の世界に住むことです。もし、私たちが…自然本来の世界に、自然本来の姿で生きていけるなら‥金持ちも貧乏人もなくなり、みな豊かに生きていけるのです。なのに‥国は、国民がお金の不要な自然本来の世界に戻ることを決して許してくれません。たとえ、多くの人が飢餓で苦しみ死に絶えようと‥。



       乞食を禁止する法律

軽犯罪法
1条22号は、こじきをし、又はこじきをさせることを禁止し、違反者には拘留又は科料の刑事罰が規定されている。

児童福祉法
34条1項2号は、児童にこじきをさせ、又は児童を利用してこじきをする行為を禁止し、違反者には3年以下の懲役若しくは100万円以下の罰金、又はこれの併科とする刑事罰が規定されている。






11.


悲しき延命治療

文明は死を否定しますが、自然は死を否定しません。なぜなら‥死があるから、自然は豊かな命になっていくからです。わたしの親戚にも、90歳を過ぎて‥意識不明なのに‥延命治療をし続けることでなかなか死ねない老人がいます。死ぬと言う自然本来の死が迎えられず人生の最後をこのような苦しみで生きながらえなければならないのですから。文明の知恵に頼り、自然界の食物連鎖から離れた人間の悲劇と言えます。

下の枠内の文章は、中村仁一医師が語る「自然死の秘訣」についての文章です。参考にしてください。


                       不自然な死


  
お棺に入らないから骨をポキポキッ 
  
延命治療の悲しき結末


老人ホームの配置医師として300例以上の自然死を経験、医療に頼りすぎない「大往生」を勧めて注目された中村仁一医師が、「自然死の秘訣」を語る。

*  *  *


 高齢者は無理な延命治療をすべきではない。なぜか。後に残る人たちに「自然に死ぬ姿」を見せられなくなるからです。あるがまま死にゆく姿を見せるのは、先に逝く者の責務であり、最後の大仕事ですよ。


最近の日本人は死ぬということをわかっていない。死は自然現象で本来は穏やかで安らかなはずなのに、今は苦痛の多い死に方が増えているでしょう。理由のひとつが「医療に関わりすぎる」こと。それで死がより悲惨でより非人間的になってしまっているんです。

 
私は老人ホームに勤務して以来、12年間で300例以上の「自然死」を経験しました。最期まで医療が介入せず、点滴注射も酸素吸入も行わない。栄養を遮断して飢餓状態になると、脳内にモルヒネ様物質が分泌されるので、幸福感が味わえるようです。また脱水状態になると、血液が濃くなり意識レベルが下がるので、まどろんだ状態になります。1人、2人ではなく、300人がそのような静かな最期でした。人間には死の間際に「苦しみを防ぐしくみ」が生まれつき備わっているとしか思えません。

 ところがこの場に医療が入ると、幸福な死を阻害してしまうのです。私のいるホームにも、他の病院で胃ろうをつくった高齢者が30人ほどいます。胃ろう処置は昔は全身麻酔が必要でしたが、今は局部麻酔で10?15分でできる。でも胃ろうは元々子どもの食道狭窄のために考案されたのですよ。適用範囲が広がり、今や年寄りの延命措置としてすっかり有名になりました。

 しかし、どう考えても不自然です。90歳近くて意識がないのに一日3度胃ろうから栄養を送られ、体が動かないために次第に骨が変な形に固まってしまう。棺に入らないので骨をポキポキッと折ったりして……。死後まで痛々しい限りです。

 本来、医療には二つの目標があるはずなのです。一つは回復させること、もう一つはQOL(生活の質)が改善すること。この二つの可能性がない高齢者に対しての医療は、無為に本人を苦しめるだけ。医療は限定的に利用して死ぬときまで頼りすぎない、それが自然死の秘訣です。

※週刊朝日 2013年1月4・11日号


http://dot.asahi.com/wa/2012122700024.html


飢餓状態になると、脳内にモルヒネ様物質が分泌されるので、幸福感が味わえる」そうです。だったら‥私たちは、もっともっと自然に信頼して任せてもいいですね。できれば‥火葬するのではなく森で‥死体がたくさんの命を通して生きた土になれたらと願っています。(自然は、ゆっくり多くの生き物を通して‥死体を生きた土に還します。しかし文明は、生きものではなく…火を通し、あっという間に‥命のない灰にします。)





12.


死んだら燃やされる

■墓があるのに儚(はかな)い

小学生の時父が死にました。人が死んだら燃やされると知らなかった私は、父が火で燃やされるのを見て驚きました。さっきまで服を着て布団で寝ているような感じだった父が‥あっという間に骨になったのですから。

父を入れていた棺桶は?父が着ていた服は?父の肉体は?骨だけになって、いったいそれらはどこへ行ったのでしょう?

それを家族は当たり前のように受け止め‥仰々しく箸で骨を骨壷に手際良く入れているのです。誰も、体を燃やすことについて問題視している人はいないのです。生きものが食べられない放射性廃棄物は海に捨てるのに、生き物が食べられる死体は燃やして壺に閉じ込める‥。(かつて放射性廃棄物は海に捨てられていた)

ついこないだ、母が死にました。やはり父と同じように燃やされました。わたしは心の中で「お願い。燃やさないで!」って叫びたかった。しかし、母は燃やされ‥父の時と同じように手際よく家族によって母の骨は骨壷に入れられました。


人間以外の生き物は‥死んだら、色んな生きものによって(生きものが多ければ多いほど早い)時間をかけ‥木や草を育む生きた土になります。しかし、人間は‥死んだら強い炎によってあっという間に‥生きものを育むことができない灰と骨になります。そして骨は壺に閉じ込められるのです‥。

人がどんなに、素晴らしい生き方をしても‥死んだら必ず燃やされ灰にされるのなら‥生きた意味がありません。生きものは‥死んで色んな生きものに食べられ木や草を生かす生きた土に還る所に意味があるのですから。残された人々が墓の大きさや美しさを自慢しても‥、私たちの人生は空しすぎるって思いませんか。

墓があるのに儚いですね。いや、むしろ墓があるから儚い!のかもしれません。


自然が調和し、たくさんの生きものが存在するなら‥死体がいつまでも形をとどめることはあり得ません。しかし、今は犬のウンチでさえ‥いつまでもあり続けます。それほど‥生きものが地上から消えていったわけです。ですから‥わたしの願いは、破壊された自然が、本来の世界に戻って‥人の死体でさえ生きた大地に戻せるようになることです。


■火葬の始まり
↓以下「yahoo知恵袋:火葬はいつ頃から」より転載 
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1111792856


                       
火葬のはじまり

火葬が、全国に普及したのは戦後のことですが、日本の火葬の歴史は古く、1300年ほど遡るといいます。

古来、日本では死をけがれととらえ、死霊を封じ込める為に遺体を穴に埋め、大きな石を乗せたり遺体に抱かせたりして埋葬してました。しかし、仏教が伝わってくると火葬を行われるようになりました。古来よりインドでは火葬を行われており、釈迦自身も火葬たったという伝統があるからです。

記録では、南都六宗の一つ「法相宗」(奈良・薬師寺)を起こした道昭((629年-700年)が荼毘(火葬)に付されたのが火葬のはじまりとされています。その後、持統天皇(645年-703年)、文武天皇(683年- 707年)、元明天皇(661年-721年)、聖武天皇(701年-756年)が火葬にされたといいますが、それは一部の僧侶や貴族だけで、ほとんどが土葬でした。ですから、平安時代に火葬は始まりましたが普及はしませんでした。

その後、明治30年(1897年)に「伝染病予防法」が施行され、火葬場が全国的に普及すると、火葬が大半を占めるようになりました。


自然に反する火葬や土葬などが宗教から芽生えたと思うと‥宗教もまた文明であり、自然に沿ったものではないことが分かります。





13.

神が求めることは‥燃やし尽くすこと


■全てを燃やし尽くす全焼の生け贄
レビ記6章を読むと‥

全焼のいけにえは、一晩中朝まで、祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならないそうです。つまり…燃え尽きるまで祭壇の上に置いておかなければならないわけです。その後祭司は、祭壇の上で焼き尽くされた生け贄の脂肪の灰を取り出し、祭壇のそばに置く訳ですが‥祭壇の火はそのまま燃え続けさせなければならず、その火を消さないため、朝ごとに焚き木をくべなければなりませんでした。

と言うことは、全焼の生け贄をするための祭壇は、ずっと火を絶やさないように焚き木をくべ続けなければならないと言うことです。
生きものは、生きものを食べて生き、死んだら…数えきれないくらいの種類の生きものによって食べ尽くされ‥木や草を育む命ある土になります。

しかし、神の命じることは‥逆で、生きものを刃物で殺し、火で焼かれ‥どの生きものにも関わることなく…灰になってしまうのです。しかも火をともし続けるために…、木々を燃やし続けなければならないのです。つまり、虫や鳥などの生き物を育む森を破壊し続けなければならないと言うことです。

残念ですが、神は自然そのものではなく、文明から生まれた文明そのものだと思います。なぜなら、神が命じること全てが自然に反し‥自然破壊に繋がるからです。

↓(レビ記6章8〜13節)
8. ついでで主はモーセに告げて仰せられた。
9. 「アロンとその子らに命じて言え。
全焼のいけにえのおしえは次のとおりである。
全焼のいけにえそのものは、
一晩中朝まで、祭壇の上の炉床にあるようにし、祭壇の火はそこで燃え続けさせなければならない。
10. 祭司は亜麻布の衣を着なさい。
また亜麻布のももひきをその身にはかなければならない。
そして、祭壇の上で火が焼き尽くした全焼のいけにえの脂肪の灰を取り出し、祭壇のそばに置きなさい。
11. 祭司はその装束を脱ぎ、別の装束を着けて、脂肪の灰を宿営の外のきよい所に持ち出しなさい。
12. 祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。
かえって、祭司は朝ごとに、その上にたきぎをくべ、
その上に全焼のいけにえを整え、和解のいけにえの脂肪をその上で焼いて煙にしなさい。
13. 火は絶えず祭壇の上で燃え続けさせなければならない。
消してはならない。






14.

人間牧場:人もまた家畜である


「犬の気持ち」という本の、あるコラムに犬の歴史(?)について書かかれてある文章がありました。その文章の「犬」の部分を「人間」に置き換え、「人間」の部分を「神(=文明)」に置き換え、それに沿って内容を少し変更すると不思議ですが、人間が神(文明:文字、数字、記号の世界)の家畜だということが分かってくるのです。聖書では、神=飼い主、人間=羊(家畜)と言われています。では、以下を読んでみてください。


人はその昔、神(=文明)の世界を作り上げるために仕事や作業をたくさん与えられていました。野生時代の捕食行動の代わりに、魚を採ったり、家畜を飼ったり、畑を作ったりしてきました。

ところが現在、このような仕事を与えられている人間は、ほんの一部です。ほとんどの人間が神(=文明)に雇われ、室内で座りっぱなし、立ちっぱなしの作業をしています。

一部の人を除き、家の中では、「文字、数字、記号などのことば」を用いて生活することが求められているだけで、力仕事を任されるわけではありません。

そんな人間にとって「遊び(スポーツや読書、インターネット etc)」は、ストレスを発散させる絶好のチャンスです。(野生が失われ、自由に時間を使うことが許されない時代)本能的な欲求を満足できることがほかに見当たらないからこそ、人間は遊んでいると楽しいと感じるのです。

人は、狩猟民族でも、農耕民族でも、潜在的に捕食生活や運動への欲求を持っています。だからこそ、スポーツや読書やインターネットを与えて遊んでくれる神(=文明)が大好きになります。

人間はハッピーなことが好きなので、ハッピーを与えてくれる神(=文明)のことも問題なく好きになります。そして、一緒に遊んでいる間に信頼関係が高まり、大好きな神(=文明)の期待に応えたいと考えるようになります。



どうでしたでしょうか?人間によって家畜にされた動物がかつて野生の生き物だったように、人間もまた野生の生き物であったことがわかります。野生からとらわれた家畜が人間を喜ばせるためにあるように、野生から捕らわれた人間は、神(=文明)を喜ばせるためにあると言えます。

聖書の創世記には、神が家畜を造ったとあります。神が文明であるなら、納得です。しかし、もし人間が神によって捕らわれ家畜にされなかったならば、神(=文明)の知恵で作った船も自動車も飛行機もなく、服も靴も傘もなく、学校や会社や工場もなかったでしょう。そして、自然は本来のままの姿で今も存在していたに違いありません。そう思うと、神(=文明)にとらわれ、家畜のように人間が扱われていることがとても残念でなりません。

家畜にされた生き物は、野生を知らず育ったため野生で生きていく知恵が欠落しています。ですから、突然野生に放されると死んでしまいます。ですから、少しずつでも家畜にされた生き物(人間も含め)が、野生に帰ることができるようにしなければ、家畜にされた生き物に希望はないと思います。野生の生き物(人間も含む)が、野生の本能を満たすには、野生しかないのですから。


下の枠内の文章は、上記の文章の元になる記事です。
↓『犬のキモチ わかって楽しく!しつけラクラクレスン 』 P.65「ほとんどの犬は失業中」よりコピペしました。

犬はその昔、人間を手伝うために仕事や作業をたくさん与えられていました。野生時代の捕食行動の代わりに、人間の狩りを手伝ったり、羊を追ったり、ソリをひいたりしてきました。ところが、現在、このような仕事を与えられている犬はほんの一部です。ほとんどの犬が人のパートナーとして家庭で飼われています。

家庭では、飼い主さんといっしょに生活することが求められるだけで、仕事や作業を任されるわけではありません。犬にとってこれはまさに「失業中」のような状態です。

そんな犬たちにとって「遊び」はストレスを発散させる絶好のチャンスです。本能的な欲求を満足できることがほかに見当たらないからこそ、犬は「遊んでいると楽しい」と感じるのです。

狩猟犬 、鳥猟犬、獣猟犬をルーツとする犬はもちろん、愛玩犬をルーツとする犬たちでも、潜在的に捕食活動や運動への欲求を持っています。だからこそ、楽しく遊んでその欲求を満足させてくれる飼い主さんを大好きになります。

犬はハッピーなことが大好きなので、ハッピーを与えてくれる人のことも自然に好きになります。そして、一緒に遊んでいる間に信頼感が高まり、大好きな飼い主さんの期待に応えたいと考えるようになります。











自然は、区切りがない世界。無限に大きくもあるが、無限に小さくもある世界だった。


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