白鳥沙羅のたわごと(自然に沿って生きていきたい) | ||||||
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「日ごろ感じたこと、思ったことなど‥」を書いていこうと思っています。あとメモしておきたい事など‥。 ┃感じたこと、思ったこと 1
かつて私が幼少の頃、豚が民家近くでたくさん飼われていたので‥私たちの地域ではいつ日本脳炎になる人が出てもおかしくない状況でした。それで、みんな家の中でベープマットという電子蚊取り器をつけたり、、蚊取り線香を焚いて蚊に刺されないように予防していました‥。 しかし私たちは、山に行けばそこで蚊に刺され、藪の近くにいればそこで蚊に刺され、夕方まで遊んでいると‥やっぱり蚊に刺され‥結局蚊に刺され放題でした。なのに‥私の住む地域の人は、こんなに蚊に刺されてもだれも日本脳炎になる人はいませんでした。田舎の人は抵抗力があったというのでしょうか。だったら毒を使って蚊をやっつけるより、人々に抵抗力をつけさせるほうがずっと経済的で健康的ではないでしょうか。 人間にとって厄介な蚊やマラリア。これらの生き物は、人間にとって不要でも‥自然の命の循環から考えるとなくてはならない存在です。安易に殺すことで生態系のバランスを崩すのは良くないと思います。 現在、わたしは、田畑に撒かれる殺虫剤(農薬)によって体調を崩しています。デトックスをすることで、かなり回復しましたが、完璧な回復にはまだまだ時間がかかりそうです。それほど農薬は私たちの体を蝕みます。こんなことから、国や農協や保健所や農家の人に至るまで‥農薬を使わないようにお願いしました。しかし、みんな無関心‥。まるで、虫が原因で体調崩したり死んだりする人には(毒による)手助けをしますが‥農薬(毒)で体調を崩したり死んだりする人には何の助けもできませんみたいな‥。これじゃ〜何か裏があると思われても仕方ないですよね。 ■なぜ農薬を練りこむのか‥意味不明 現在、アフリカは日本脳炎ではなく、マラリアを蚊が媒介するということで‥住友化学がアフリカの貧しい人たちに「農薬練り込み蚊帳を無料で配布」しているそうです。貧しい人に無料で提供するのですから‥いいことのはずなのですが‥。どんなに考えても変なのです。なぜかと言うと‥蚊帳の網目が小さければ、蚊は入らないし、それで十分だからです。わざわざ、蚊帳に毒を付ける必要があるでしょうか?「蚊帳に毒を練り込んだからマラリアが予防できた」と言われても‥昼間蚊帳から出て、薄暗いところにいたり、藪に入ったりしたら、やっぱり蚊に刺されるわけですから。それだったら、マラリヤになるリスクは全然減っていないことになります。だから、「なぜ‥神経毒である農薬をわざわざ蚊帳に練りこんで‥それを無料で配布しているのか‥」私には、意味がわからないのです。 ■農薬練り込み蚊帳について 以下はJANJANニュースの記事です。コピペしましたので是非参考にしてください。 ↓「JANJANニュース「マラリア予防用の蚊帳に殺虫農薬の練り込みは危険だ」: 野澤眞次 著 2008/09/14 をコピペ
ここに書かれてあるとおり、「アフリカの人々は蚊帳に練りこまれたペルメトリンという農薬に関して何も知らず、その蚊帳で夜間ずっと過ごし、裸の子供は、その蚊帳の裾に体を巻きつけたり、口に入れてじゃぶったりするかもしれない‥。」と‥やはり子供がいたら、わたしも一番にそれを心配します。 ■政治と企業と学者たち こちらは、「農薬練り込み蚊帳について」の動画なのですが、こちらを見ると「政治と企業が力を合わせ‥この世の支配者の協力者となっているのではないか‥」と思ってしまうような内容です。 詳しくはこちらを⇒https://www.youtube.com/watch?v=qqNNQNcLYcA 動画が始まって「2分28秒ぐらいのところから‥4分の間(竹中平蔵氏のことば)」を抜き書きしておきます。
上部(四角枠内)に一部抜き書きしましたが、以上から‥政治家や企業や経済学者がこれらのことに、絡んでいることがわかります。自動車で毎日多くの人が事故で死んでも、自動車を撲滅しようと誰も考えません。しかし、なぜか‥自然の生き物となると‥みんな必死で撲滅しようと躍起になります。自然は、私たちにタダで全てのものを提供してくれています。でも経済はお金なしでは水一杯も分けてくれません。こんな経済ばかりを優先していたら‥私たちは‥お金がなければ即「死ぬ」という状況に追い込まれてしまうのではないでしょうか?もうそれが、始まっているのかも知れません‥。 (※ジェフリー・サックスとは、1954年生まれ。アメリカの経済学者。タイムマガジンが選ぶ「世界で最も影響力のある100人」に連続してノミネートされている唯一の学者。) ■ペルメトリンの毒性について ペルメトリンの脳への影響は、マウスを殺すのに必要な量の1000分の1以下の少量で十分だそうです。そのくらい微量で脳に影響を与えるという農薬であるわけです。このような毒が本当に必要なのかどうかよく考えなければいけないと思います。
ペルメトリンの研究について詳しく知りたい方はこちらを参考にしてください。 http://www.juno.dti.ne.jp/tkitaba/earth/chemical/03040901.htm ■調和した自然界 どうも、文明社会の考え方は、お金の循環が最優先されて、自然を踏みにじっているように思えてなりません。なにか問題があると何時も、文明は「守る」ということばを盾にいずれかの生き物を殺しているように思うのです。たとえば、松枯れが発生すると、松を守るという理由で、殺虫剤を撒き虫を殺す。在来種が外来種に食べられると、在来種を守るという理由で「外来種」を殺す。人がインフルエンザにかかると、人をインフルエンザから守るという理由で豚や鶏を殺す。 変ですよね。こんな考え方。 もし‥。みみずがモグラから自分たちを守るという理由で‥モグラを撲滅させたら? モグラを食べていたヘビが絶滅するかもしれないでしょう。モグラを食べていたヘビが絶滅したら?ヘビを食べていた生き物が絶滅するかもしれません。ミミズにとって平和になったと思った自然は、破壊された‥生き物が全くいない‥砂漠化された殺風景な場所になってしまうのではないでしょうか? 自然は、生き物が食べて食べられ‥そしてそれが循環することで、自然全体のバランスが取れて‥命豊かな大地となります。ですから、何かを守るために‥何かを殺すみたいなことをしないで‥。私たちが日夜行っている不自然な行動をどんどん止めていく方に実践していかなければいけないと思うのです。その結果、自然に全てを任せておくのが一番いいことだと思います。そもそも人間が自然に手を加えていることが、自然を破壊している原因なのですから。 こちらは、菌のバランスが大切だという、藤田紘一郎氏の動画です。 とてもわかりやすいので是非見てください。 ↓画像をクリック
無菌、無ウイルスの生き物っていないと思うんです。たとえば、無菌の犬とか無ウイルスのネコとか。そんなのおかしいですよね。私たちの手にも口の中にも、胃にも、腸にも、鼻にも、気管にも‥菌やウイルスが住んでいます。常に目に見えない生き物が寄生していて、私たちはそれによって生かされていたりします。つまり、菌やウイルスがいるから、‥生き物全体の調和が保たれていると思うのです。 もし、マラリアで不自然に死ぬ人が多いのなら、人間が先に不自然なことを‥やっていないかどうか考えなければならないと思います。例えばアフリカの人が、貧困になるように仕向けられ、十分な栄養が取れず、免疫力が落ちているとか‥。もし、そうなら、蚊が原因ではなく、免疫力が落ちる食生活や生活環境に問題があると思うのです。 ですから、人は人助けという大義名分を盾にビジネス展開をしてはいけないと思います。文字や数字に長けた人たちは、自然のことがよくわからないのかもしれません。そんな人たちが、この世支配者の仲間として存在し多くの人に影響を与えているのですから‥自然が破壊されていくのもよくわかります。 ■まとめ 人助けと言って、人目をはばからず撒かれるのが農薬だと思います。ここにも、人助けと称し「毒が練りこまれた蚊帳」を貧しい国に無料配布し、しかも、それを行っているのがなんと、農薬蚊帳を国連機関のユニセフ、日本の国際協力機構(JICA)‥。私たちが、国連や国などの主要機関によって守られているのではなく、傷つけられ、命を奪われているのかもしれないのです。 わたしは、かつてユニセフに寄付していたことがありました。しかし、送られてきたパンフレットに農薬練り込み蚊帳のことについて書いてあったのを見て驚きました。自分自身が農薬で体調を崩しているのに‥ ■お勧めリンク マラリアの予防蚊帳に農薬はいらない(第3報) http://blog.livedoor.jp/janjannews/archives/2520345.html 2
ディズニーの「アナと雪の女王」という映画の主題歌で‥「Let it go.」 と言う言葉が‥「ありのままで」と訳され‥多くの人の心を魅了しています。しかしながらどうして「Let it go.」=「ありのままで」って訳されているのかと不思議に思います。 もしLet me go.が‥「わたしに行かせてください。」という意味なら「Let it go.」は‥「それに行かせてください。」という意味になると思うのです。しかし、(辞書によると) その意味は 「諦めなさい。」 「ほっときなさい」 「忘れなさい」 なのです。つまり、「Let it go」という言葉は、怒りや不安に苛まれている人に向かって‥「そんなこと、諦めなよ。ほっときなよ。忘れなよ。」と呼びかける言葉なわけです。 わかりやすく言うと‥Let it go. のitって「怒り」や「不安」という目に見えない‥自分にとって不都合な感情で、そんな不都合な感情に苛まれている自分に第三者がやってきて、「怒りや不安に行かせなさい」‥つまり、「諦めなさい」「ほっときなさい」と優しくアドバイスする言葉だと思います。まるで「痛い痛いの飛んでいけ〜」みたいに。状況を変えないまま、元気になれるおまじない的な魔法の言葉ではないでしょうか。(時には、自分が第三者のようになって自分にLet it go.と声をかけるかもしれませんが) ただ、映画の主題歌のタイトルに「諦めなさい」とか「ほっときなさい」とかだったらイメージがよくありません。だから「ありのままで」と訳されたのだと思います。しかし、どんなにイメージのよい言葉に訳されても‥諦めた結果、状況を変えずに元気になったのですから、おまじない的魔法の言葉に変わりありません。 ちなみに、まじないとは‥「呪い(=のろい)」と書きます。つまり、まじないは、呪い(=のろい)と同じということになります。でも不思議ですね、「のろい(呪い)」と言う言葉より「まじない(呪い)」という言葉の方が親しめるのですから。おまじない的な言葉で有名な、「痛いの痛いの飛んでいけ〜」という言葉も、そして映画の主題歌「Let it go」も、私たち人間を呪う(=のろう)ものの発した言葉かもしれません。 と言うことは‥ 私たち人間を呪(のろ)っているものが、私たちを絶望の世界へ閉じ込め‥、同時に、優しく声をかけているのかも知れません。「Let it go. 諦めなさ〜い(ありのままで)♪」と‥ 映画「アナと雪の女王」から‥「Let it go. 」考えると‥
映画を見ると‥「愛とは、大切な人のために自分の命を捨てること」‥というメッセージが伝わってきました。そこが‥とてもジーンとくる場面です。しかし、自然を破壊する‥あるいは自然を不自然にしてしまう魔法から解放されることがない姉エルサ。制御はできるようになったかもしれない。しかし、どんなに命をかけても、この自然界を本来の自然に戻すこともできない‥。そんなメッセージが聞こえてくる‥。 服、乗り物、建物、お城、身分制度‥こんなもの自然にはない‥ だから、この映画を見ていると‥「文明に逆らわず‥ほどほどのところで妥協し、その流れに素直に従って生きなさい‥」と諭されているような気がした‥。つまり「諦めなさい=Let it go.」と‥。 3.
この世界に始めて幼稚園を作ったのは、ドイツのフレーベルという人です。彼はチューリンゲン地方の牧師の家に生まれ、満1歳にならないうちに母を亡くしました。愛に飢えた、さびしい少年時代を過ごした彼は、「子どもの教育には、母の愛がなにより大切である。母と子を切りはなすことはできない」と言っています。 フレーベルの言うように私も「母の愛がなにより大切である」と思います。しかし私は、同じ理由で、子供を幼稚園に行かせないで、母親が子供を面倒みたほうがいいと思っています。文明社会では、自分の子供と一緒に過ごすのはごくわずかな時間だけ‥。あとは学校に任せっきりです。だから、せめて幼児の時だけでも一緒に子供と過ごしたほうがいいと思うのです。ですから、フレーベルが、母親の愛に飢えて育ったから、幼稚園を作ったというところに少し矛盾を感じるのです。なぜなら、幼稚園が母と子を切り離しているからです。 もしかしたら、フレーベルは親がいなかった寂しさを、親のいる全ての子供にも味あわせたいという思いがあったのかもしれません。寂しさをこらえて過ごす子どもは‥ときどき親に甘えている子供をみて妬ましく思うことがあるからです。それで‥彼は幼稚園を作ったのかもしれません。(そうでなければ‥どうしてっていう疑問が湧いてくるのです) また、彼は「子供に知識を詰め込むのではなく、生まれつき持っている芽を愛の力で伸ばすことが大切である」と考えました。確かに、野生の生き物の子育てを見ていると‥親は、力づくではなく愛情で野生で生きる知恵を身につけるように導いているのをよく目にします。ですから‥、フレーベルが「こどもに知識を詰め込むのではなく、生まれつき持っている芽を愛の力で伸ばす」という考えは、とてもよくわかります。 しかし、彼が始めた幼稚園は、今で言うTV番組の「志村動物園」のやっていることと同じように思えるのです。どういうことかというと‥。自然のなかで体験をしながら成長し、生きていく術を学ばなければならない動物の赤ちゃんを、この番組では‥自然から隔離された部屋に入れ、ボールや鉄棒といった自然にはない道具を用いて育てます。それも、実の親から切り離して‥。それは、まるで、私たちが通った幼稚園と同じです。(私たちが飼っているペットや家畜も同じですね) また、彼が考案したおもちゃは、「シュピルガーべ(神から贈られたおもちゃと言う意味)」と呼ばれ‥その形は、自然界には存在しない幾何学的なもので、幼児の自発的活動を促し、表現力や創造力を養うものだったと言われています。つまり、神から贈られてきたおもちゃは、子供たちを自然から隔離し、自然いない知恵を身に付けさせ、将来お金の循環に捕らわされるための道具だったと言えそうです。 (幾何学的なもの‥たとえば三角、四角、丸などは、点と点を結べばそう見えてきますし、結晶や細胞などにはそれに近いものを見つけることができます。しかし、定規で引いたようなピシッとしたものは自然に存在しないし‥自然が幾何学模様でできているわけではありません。ですから、もしこの自然界が幾何学的模様だけで埋め尽くされたら‥不自然で居心地の悪い世界になると思うのです‥。そうなったら、「こんな知恵、身につけなかったらよかったのに‥」と後悔するに違いありません。)
参考) http://www.asahi-net.or.jp/~sf2a-iin/19.html http://blog.izumishobo.co.jp/sakai/2009/04/post_750.html 4.
森は私たち生き物のお母さん。カラスやイノシシやシカたちは、私たちの兄弟。
文明は私たちにとって見知らぬ怖いおじさん。 ある日、このおじさんが、不思議な知恵を私たちに与えて、それに魅了させ誘拐した。そして、このおじさんは、私たちの親のように振舞った。人は、いつしかおじさんを本当の親と思い始め、おじさんのいうことだったらなんでも信じ従っていくようになった。そしておじさんは、自分の知恵で斧やのこぎりを私たちに作らせ、実のお母さん(森)を破壊させたのです。もう二度と私たちがお母さん(森)のもとに戻れぬように…。
「本当のお母さん(森)。お母さんのところに戻りたいよ〜。」 私は、おじさん(文明)から逃げて、本当のお母さん(森)のもとへ帰りたい…。そして、お母さん(森)を本来の姿に戻して‥わたしも、ずっとそこに住みたい。
※私の言う究極の「お母さん」とは…(分かりにくいかもしれませんが) 人が文明と交わっていないころの‥限りない(境界のない)世界。つまり、ことばで分けられない‥全てで一つの世界。森も川も海も空も‥生きものも、宇宙も‥みんな同じ。みんなで一つ。内も外もない世界。対立する者がない世界‥(たとえば、「神対人間」のような宗教さえもない)‥です。究極的には、「私対お母さん」と分けることができることばのない世界です。 ※私の願い 非文明三原則:言葉をもたず、道具をつくらず、火を使わせず。」…ここに、本当の自然があるかもしれない。私は、非文明三原則に則っとって文明を捨てて文明のアウトドア(お母さんのもと)に行きたい…。 5.
人と同じように自然と分離されて文明の中で育った犬(ペット)。まだ言葉を話せないけど、何かを必死で伝えようとする人間の赤ちゃんのようでもあります。とても可愛くもありますが‥、野生の中で生きていけない生きものという点では、人間と同様悲しい存在でもあります。膝の上にお座りしてご飯を食べることを要求する我が家のワンちゃんは、不自然そののもと言った感じです。 ■テーブルについて箸でご飯を食べたがる うちの愛犬は、テーブルにまだ置いてあるお茶碗をチラッと見て‥お茶碗に残ったご飯をおねだりします。それも‥抱っこして、お茶碗から箸で食べさせてもらうという‥とても面倒な食べ方で‥(ペット用のお皿にご飯を入れても‥ずっと吠え続けます)。 それで‥愛犬を膝に抱っこし、お茶碗をもって‥箸でご飯を食べさせると‥。とても得意げな表情をして、自分だってご飯食べれるよ〜みたいな感じでとてもうれしそうに食べるんです。愛犬は、みんなと同じようにようにテーブルを囲んで食べたかったようです。ほんの少しの量なのに、これをしなかったら‥いつまでもいつまでも‥しつこく吠えます。でも、どんなに少量でも、抱っこしてご飯を食べさせると、得意になってご飯を食べ、食べ終わったら‥空っぽになったお茶碗を確認し、すぐに膝から降りていきます。 野生だったら、仲間と同じものを同じように食べるのでしょうから‥。みんなと同じようになりたいという気持ち‥分かります。 ■寂しさに涙を流す 近所の人のうちの愛犬は、涙を流さないって言いますが‥。家では、「お留守番ね」というと‥一緒に出かけると思い込んではしゃいでいた愛犬が、じっとして動かなくなり、シッポはスローモーションで下がり‥目がみるみる間にウルウルになって‥涙がポロンと床に落ちます。「ごめんね‥」って言うと余計に涙が‥。特別なのか、普通なのか分かりませんが‥犬も悲しいときや寂しい時に涙を流すってことが分かりました。 ■いじけてうつぶせで泣く(鳴く) あるとき、愛犬がうつぶせになって顔を布団に埋め、く〜ん、く〜んと悲しそうに鳴いているので、息子に「どうしたの?」と訊くと‥。息子は、「餌をあげたのに、いつまでも吠えるんだよ。」と言って‥知らんぷりしていました。それで、私が、「抱っこじゃない?」って言うと‥。息子に、抱っこされた愛犬が‥「それそれ‥。分かってもらってよかった〜」って満足そうなためいきをつくんです。 愛犬は抱っこを息子に要求して吠えていたんですが、息子がずっとほったらかしにするので、いじけて布団にうつぶせになって鳴いていたのだと思います。よっぽど、息子に抱っこして欲しかったみたいです。小さな子供と同じようなしぐさに‥愛犬が人間のように見えました。 ■講義する キッチンとダイニングに仕切りがないので、クーラーが効きにくい。それで‥カーテンで仕切ることに。すると‥愛犬が‥カーテンをくぐってキッチンへ行って‥ずっと吠えます。そこで、わたしがキッチンへ行くと‥カーテンをチラッと見て、何でこんな物つけたの?みたいな表情で吠えます。数日‥こんな感じで‥カーテンのところへ行っては吠えていました。 6.
たとえば、わたしがA国の●●さんと個人的なトラブルを起したとします。 そんな時‥国がわたし個人のために…武器を調達したり、兵士を徴収したりして、A国と戦争を起すでしょうか?個人のちっちゃなトラブルのために、そんな事をするなんて考えられません。 だから‥戦争はいつも国民そっちのけで‥国の勝手な意向で起こっているように思えてならないのです。例えば、経済摩擦が原因と言って戦争を始めたりしますが‥、ほとんどの国民が 「兵隊として徴収されずに済めばいいのに」 と願いつつ、出征しないといけないのです‥。 かつて、私の父も、わたしの伯父も‥「戦争には行きたくなかった」と言っています。それでも‥戦争のために無理矢理徴収されれば‥、人々は突然武器を持たされることとなり、殺すか殺されるかという極限の世界に追い込まれます。闘鶏や闘牛のように‥戦う他ないのです。 最近は、見えないテロとの戦いと言って‥私たち日本人も闘いに参加しないといけない雰囲気が感じられますが‥。本当に怖いのは、テロではなく‥武器を造る商人ではないでしょうか? 武器がなければ‥お金があっても買えないのですから。しかし、なぜか武器を売っている商人たちが問題になることはありません。なぜか?それは、表も裏も支配しているものが‥いるからではないでしょうか?裏では武器を作らせ、更にそれを売り買いさせ‥そして戦争を起す。表では、戦争を悪とし、正義のために戦争を止めさせようとする‥。 そうでなければ‥なぜ武器を造る商売が今もなお存在するのでしょう?訳が分かりません。 ちなみに「武器輸出額 国別ランキング統計・推移」は‥
戦争をする国を非難しつつ、武器を輸出して儲けている国‥。常々「テロに屈しない!」を連呼する国も武器でこんなに稼いでいるのですから‥おかしいですね。最近は日本も「武器三原則」が見直され‥武器を作らされているようです。国民はその事を知ろうとすれば知ることができます。しかしメディアではそれほど大きく報道していません。もっともっと大きく取り上げるべきだと思うのですが‥。 取り合えず以下の文章を読んでください。 オピニオン:「日本企業が武器輸出で世界に追いつくためには?」より転載
国際報道 2014年10月16日(木)「武器輸出三原則見直し 最前線で何が」より転載
どうして、日本の国と企業は、「武器を作るのを止めよう!」と海外に働きかけないで‥「一緒に武器を作ろうよ」という外国の誘いに乗ってしまうのでしょう?そんなことをしながら、「我々は目に見えないテロと戦うのだ」とか「テロに決して屈してはいけない!」なんて言っています。しかし、なんだか説得力にかけてしまうように思えてなりません。 武器のない世界を考えてください。どんなに安心できる世の中か! あるジャーナリストが言っていました。「戦争地域の子供たちは、銃を持って何人も人を殺さなければならない現実にさらされている」と‥。「それがどれほど残酷なことであるか」とも‥。そんなことを私たち日本の国民に向かって切々と訴えていました。 私は思います。その訴えを無力な国民に向かってではなく、武器を造って儲けようとする世界の企業とそれを許す各国の政府に訴えて欲しいと。 人が、もし「火(文明の種)」に無関心だったら‥。土に混ざった酸化鉄を還元して鉄を造ったりしなかったろう。もし鉄がなかったら、人を殺す刃物はなかったろう。そして、人を殺す銃や空を飛ぶ戦闘機がなかっただろうに。 ■積極的平和主義?? 人質事件があって後すぐに、安部首相は「法律を変えて自衛隊が邦人を助けに行けるようにしよう」みたいなことを言っていましたが‥。自分たちが作った武器が無駄にならないように‥将来戦争を計画しているように思えて不安になるのですが‥。そうでなければ、武器を全世界で作って商売する必要はないと思うのです。あ〜ぁ〜。国民そっちのけで‥こんなことが水面下で話し合われていたら‥嫌だなぁ〜。 国民主権とは名ばかりで、国は国民と全く離れた大きな力に牽引され‥国民を危険な所へ導いているような気がしてなりません。「積極的‥平和主義」という名のもとに‥ 東京新聞 2015年2月2日夕刊 http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2015020202000233.htmlより転載
■一時が万事 文明には‥私が疑問に思う共通点があります。 @戦争は武器がなくなることが一番。だったら、武器製造するものを取り締まればいいのに、武器を製造、販売するものではなく、武器を買って使うものを取り締まる。政府が積極的にかかわっているから当然と言えば当然かもしれないが‥。これでは戦争がいつまでたっても、なくならない。武器が売れて儲ける仕組みなのだから‥。(頂点に君臨する国は‥武器の完全廃止ではなく、軍縮を訴えます。これでは、一つの強い国がますます強くなって‥全ての国は奴隷になります。しかし、わかっていても‥今や誰にも止められないのかもしれません‥) A麻薬も麻薬を製造販売する者を取り締まれば‥麻薬中毒者ゼロにできる。しかし、国は麻薬を製造販売するものではなく、買って使うものを取り締まるだけです。これではいつまでたっても、麻薬が蔓延するばかりです。 B「海外の生きもの(日本にとっては外来種)を捕え、それを日本に輸出し儲けようとする者」を取り締まらなければならないのに‥。海外の生きものを飼って‥その後、自然に離すものを取り締まる。これでは、日本にいる外来種を無くすことはできません。。 Cゴミ問題。食物連鎖を通して土に戻れないものを造らないのが一番。しかし、それらを造り続け、人々に分別をさせる国。そして自然が破壊されていくと‥国民が自然を汚していると国民を責める。ゴミは分別しても、燃やしても‥環境を破壊するのに。 一事が万事、こんな感じです。国や企業のやり方に多くの国民が‥涙‥。 7.
都会の夜景を見て「きれ〜い。」と言って喜ぶ人たち。かつて‥そこが戦争で焼け野原になって‥泣いた人たちだ。 彼らは、自分たちが‥「草木が焼けてしまったことを悲しんでいたのか?」それとも「家がなくなったことを悲しんでいただけなのか?」分かっていない。 文明がなかった時代へさかのぼると‥。私たち人間も他の生きものと同様森自体が住みかだった。だから‥「森がなくなること」イコール…「住処がなくなること」だった。 しかし、鉄を作って‥斧やノコギリなどを作り‥そして家を建てると‥人は森から離れてしまい‥森が家を建てる事でどんどん破壊されていっても‥なんとも思わなくなった。つまり、斧やノコギリは幹を根から切り離しただけでなく、人々を森から切り離した。 鉄は土に混ざった酸化鉄を、炭で還元しないと作れない。つまり木がなければ鉄は作れなかった。だから‥森を大切にしようと考え始めた事も。しかし今は違う。 石油を燃やせば酸化鉄はどんどん還元されて大量の鉄を作る。そして大量の鉄は、大型の重機となって短時間に森を破壊し‥更地になった大地に、鉄で作った重機を使って、鉄でできた建物で覆い尽くしていく。しかし、森に住まなくなった人々は‥夜、建物から漏れる数々の光を美しいと言って喜ぶ。 もはや、自然が本当の親(本来生きる場所)なのか?それとも文明が本当の親なのか?もう人々は迷うことはない。ビルで覆い尽くされた夜景を見て喜ぶ人はいても‥自分の住処(森)が奪われたと泣くものは一人もいないのだから。
8.
スペインには、牛に意図的に火をつけ、その苦しむのを見届ける伝統行事(祭り)があるそうです。想像を超えていて驚きました。どんな祭りかと言うと下の枠内のニュースを読んでください。
今の文明が火から始まり‥私たちの苦しみが火によって起こっています。トロジュビロという祭りは‥まるで、文明という存在(火)自身が、地球の火種となり‥地球に火をつけ‥自然が苦痛で壊れ灰になていく姿を見届けるのに似ています(私の勝手な解釈ですが)。 9.
文明がなければ、自然はこんなに衰退することはなかったのにと良く思います。現在、この世界を見渡すと文明と言う存在ほど最強なものはなく、自然は無力でそれに屈しているようにしか見えません。 では、この最強に見える文明と言う存在に弱点はないのでしょうか? 色々と考え行きついたところは‥ ズバリ、「無関心」です。 文明の始まりを「火、ことば、道具」と言うなら‥。 もし、人類が…火に無関心だったら?言葉に無関心だったら?道具に無関心だったら?世界中にあった森の木のたった1本さえも、斧や鋸で失うことはなかったし、海に浮かぶ船も陸を走る自動車も、空を飛ぶ飛行機も、いつ人間を支配するか分からない人工知能をもったロボットも出現しなかったでしょう。 かつて、生きた体内にあった受精卵が、今や冷凍庫に保存され‥研究者がそれを管理しています。もし、人類が滅び人工知能をもったロボットだけになったら‥。 イメージという世界に閉じ込められた文明と言う存在がロボットという形で現れ、そのロボットが研究者と入れ替わり‥冷凍された受精卵をいじるようになるかもしれません。文明に関心をもったことで、生きた自然と二次元に過ぎなかった文明が入れ替わってしまう危機を感じます。 しかしもし、現在人類が一人残らず足並みをそろえ、文明を完全無視(文明と戦わない、文明に頼らない)できたら?あっという間に文明は衰退するに違いありません。現在、文明に捕らわれ窮地に追い込まれた人類は、それをやりたくてもできません。 よく学校や社会で言われる言葉で「一番いけないのは無関心です」と言われます。自然においては、無関心である必要な時もあれば、関心を持った方が良い場合もあります。しかし、文明社会において「無関心」は一番いけないことなのです。なぜなら、文明にとって「無関心」ほど最強な敵はないからです。 10.
つい最近、物乞いをした理由で、逮捕者が出たと聞いて驚きました。例えば、「物乞い詐欺(お金が十分あるのに‥物乞いをする)」だったら分かります。しかし‥生活が苦しく物乞いをしたのであれば‥、国は物乞いする人を逮捕してはいけないと思うのです。むしろ‥彼らが生きていけるように、様々な国の援助方法を提案したり、手続きをしてあげたりする必要があるのではないでしょうか? つまり‥国は、物乞いする人を見つけたら‥物乞い詐欺なのか、本当に極貧で生活できない人であるかを見極め、その中から救済の必要がある人を見つけ出し助けることが任務ではないかと思うのです。 なのに‥一律に物乞いをすることを法で取り締まるのですから‥酷い世の中になったという気がします。 私が子供の頃は、路上で物乞いする人をよく見かけましたが、最近は路上に物乞いをする人を見ることがなくなりました。てっきり、生活水準が上がったことから‥物乞いする人が減ったと思っていたのに、「物乞いをしたらいけないと言う法律」があったから物乞いする人がいなくなったわけですね。 もし‥わたしたちに、お金がなくても、タダで飲める湧水や井戸があれば生きていけます。 もし‥わたしたちに、お金がなくても、タダで得られる食べ物が森や海に豊富にあれば生きていけます。 もし‥わたしたちに、お金がなくても、タダで寝泊まりできる自然(森)があれば生きていけます。 しかし、国や自治体が自然を管理し‥自由に使える土地を人々から奪ってしまいました。そのため、私たちは‥お金がなければ絶対に生きていけないのです。つまり、お金がなければ‥沙漠にいるのと同じなのです。 私たちの願いは‥お金がなくても、自由に生きていける自然本来の世界に住むことです。もし、私たちが…自然本来の世界に、自然本来の姿で生きていけるなら‥金持ちも貧乏人もなくなり、みな豊かに生きていけるのです。なのに‥国は、国民がお金の不要な自然本来の世界に戻ることを決して許してくれません。たとえ、多くの人が飢餓で苦しみ死に絶えようと‥。
11.
文明は死を否定しますが、自然は死を否定しません。なぜなら‥死があるから、自然は豊かな命になっていくからです。わたしの親戚にも、90歳を過ぎて‥意識不明なのに‥延命治療をし続けることでなかなか死ねない老人がいます。死ぬと言う自然本来の死が迎えられず人生の最後をこのような苦しみで生きながらえなければならないのですから。文明の知恵に頼り、自然界の食物連鎖から離れた人間の悲劇と言えます。 下の枠内の文章は、中村仁一医師が語る「自然死の秘訣」についての文章です。参考にしてください。
「飢餓状態になると、脳内にモルヒネ様物質が分泌されるので、幸福感が味わえる」そうです。だったら‥私たちは、もっともっと自然に信頼して任せてもいいですね。できれば‥火葬するのではなく森で‥死体がたくさんの命を通して生きた土になれたらと願っています。(自然は、ゆっくり多くの生き物を通して‥死体を生きた土に還します。しかし文明は、生きものではなく…火を通し、あっという間に‥命のない灰にします。) 12.
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