白鳥沙羅のたわごと(自然に沿って生きていきたい)
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わら一本の革命 福岡正信







 






   寄せ集め記事



     カテゴリーにわけられない自分の書いた記事を寄せ集めしたものです。

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「鏡の世界」と「ことばの世界」 11 「風立ちぬ」 / タバコのシーンについて
鏡の中の犬 / 星新一 12 「夕食一緒にどうですか?」の嘘
光学異性体 13 どこ行くの? / 行き先は決まっている
美しい光は目に悪い 14 ネット社会
出口がわからないムカデ 15 線を引く。所有する。入ったら殺す。
約束しても入れない、約束の地 16 救われたことが、滅びの始まりだった
いつも必死なキーキー鳥 17 世界は広いと思っていたが‥「狭い???」
Try(トライ)とは、ふるいにかけること 18 人は言葉を得て、本当の今を失った
ホームページ / IEによるデザインの乱れ 19 アベノミクス / 総理の希望は国民の絶望
10 「風立ちぬ」を見てきました / 感想 20 タラント / 金儲けの才能

「日ごろ感じたこと、思ったことなど‥」を書いていこうと思っています。あとメモしておきたい事など‥。


┃感じたこと、思ったこと



「鏡の世界」と「ことばの世界(文明)」

わたしは、曖昧な自然を「白黒」はっきりさせるのが文明だと考えています。
つまり、コントラストをくっきりとさせる‥

たとえば
正しいか。間違いか。
貧しいか。富んでいるか。
美しいか。醜いか。
みたいに‥。

鏡もそう‥。
くっきりと映し出された世界。それを見て、人は考えた‥。ガラスという板に隔てられた向こう(鏡の中)にもう一つの世界があるのではないだろうかと‥。そして、人は向こうの世界(鏡の中)にいる自分の姿に聞いてみる。「世界で一番美しいのはだ〜れ」と。最近、テレビの映りが不自然にくっきりしてきました。自分の目で木や草を見てもそんなにくっきり見えないのに。しかし、人々はくっきりすればするほど「美しい」という。つまり、不自然なことを、美しいと…。そこが最も、文明の不思議なところではないでしょうか?

▼鏡とは‥『竟は、区切りをあらわし「境」の原字。鏡は「金+竟」で明暗の境目をはっきり映し出す鏡。(漢字源より)』とある。

                        


                    




鏡の中の犬 / 星新一

星新一さんの作品で「鏡の中の犬」と言うのがあります。

ある日、主人公の五郎が庭で泥だらけの鏡を見つけます。その鏡を洗うと鏡の中に犬が映っていました。現実にはいないのに‥。その犬と仲良しになる五郎。五郎は最初、見返りを求めずに「ビスケット」を鏡の中の犬に与えていました。ところが、五郎のなくしたものを捜してくれる犬に、いつしか捜し物を見つけた見返りにビスケットを与えると言う関係に‥。そして、五郎が欲をだして、なくしてもないものを捜せと言ったのですが‥。なくしていない物を捜すことを犬は否定するのです。

それに対して腹を立てた五郎は、犬に向かって石を投げつけます(犬は鏡に出入りできる)‥。すると、鏡に命中し、鏡が割れる瞬間犬が鏡に入ったため、五郎は鏡も犬も両方失ってしまう事に‥。

わたしは、五郎の気持ちになって、割れてしまった鏡。いなくなった犬。それがあまりにも無念で切ないという思いになってしまいました(欲を出したことは忘れ‥)。私は、主人公が五郎だと思い込んで読んでいましたが‥。星新一さんが、犬は支配者に奴隷のように扱われている労働者を描いたみたいな文章を読んで‥。だったら、犬を自分だと思って読んでみてはどうかと思ったのです。

それで、主人公の五郎を「文明」と考え。鏡の中の犬を「野生で自由に生きていた人間」と置き換えて読んでみました。
すると、こうなります。

かつて野生で自由に生きていた人間(鏡の中の犬)は、自然の中から自由にとって食べていました。ですから、お金も学校も会社もありません。ところが‥文明(主人公の五郎)の与える知恵によって無条件に食べられた食べ物が‥いつしか‥労働をすることで与えられるようになりました。そして、ついには労働の見返りに食べ物ではなくお金に。


ビスケットがお金と同じような働きをしている
野生の犬⇒自分で餌を見つける(人がビスケットをあげなければ、人と犬の接点なし)
五郎 ⇒ ビスケット ⇒ 犬 (ビスケットは、五郎と犬を結びつけた)
五郎⇒報酬としてのビスケット⇒犬(ビスケットをあげる五郎は支配者に、犬は奴隷に…)



そして、必要なものは、全てお金を払わないと得られなくなり、払えない時は利子付きの借金をして払いました。そして、利子を払えない者は、利子の返済のために死に物狂いで働き続けなければならなくなりました。文明を信じてここまでついてきたけど‥。結局、同等ではなかった。私たちは奴隷のように働かされただけだった。しかも、文明が私たちにさせたことは、自然にあるものを鏡に映すように、自然に似た偽物を作っただけだった。(そして本当の自然は消えていくことに)

欲を出した文明(主人公の五郎)。

五郎が犬に命令した時‥。犬は言う事を聞かなかった。そして鏡を割って五郎は、犬と鏡の両方を失った。五郎にとって鏡は自分の願いをかなえてくれる唯一の道具だったのに‥。鏡が割れる事で、五郎自信も失われることに‥。

この鏡とは、自然には決して存在しなかった文明社会(自然を写しとった偽物の世界)のことです。この自然に似た偽物の世界こそが、文明の望んだ世界だったのです。(少なくとも私はそう考えています)私たち人間が、文明社会の束縛から逃れる唯一の方法は、この鏡(文明社会)が割れる事かもしれません。もし、割れてしまえば‥文明にとっては、全てを失った事になります。

今まで何千年という歳月を費やして作り上げた世界が、一瞬で消えてしまうのですから‥。

私は思います。このまま進んでいけば‥自然は終わるでしょう。しかし、本当に終わるのは、自然を鏡に映すように偽物を人間に作り続けさせた文明ではないかと‥。自然が終わる事で文明社会という鏡が割れてしまうと‥。そうなれば‥調和した自然が失われることなく‥あり続ける‥。偽りと言う鏡の世界から解放されて。

             


    




光学異性体

光学異性体といきなり言われても、なんのことやらわかりません。それで、調べてみることに…。するとこう書いてありました。光学異性体とは、鏡像関係にあって、重ね合わせることができない異性体と書かれています。

どういうことをいうのかと言うと…。化合物の中の組成(化学組成)は同じなのに、立体構造では、人の右手と左手のように左右が逆になっているものがあり、これを光学異性体というのだそうです。生物は、この片方だけを合成しているのですが、人間が意図的に作り出す合成法では、両方が必ず50対50の割合で、できてしまうそうです。つまり、自然とは異なってしまうということです。



 出典:戦略的創造研究推進事業


たとえば、海からとってきた昆布に含まれるアミノ酸は、立体構造では、ひとつの形しかない。しかし、人間が作るアミノ酸の立体構造では、どうしても、左右対称の2種類が50対50の割合でできてしまうのです。所詮偽物は偽物ってことでしょうか。

同じ化学式のアミノ酸。しかし同じではなかった。自然にあるアミノ酸は、体に負担がない。しかし、石油で作られたアミノ酸は体にとっては異物。自然の昆布は、食べ物としてバランスが取れているが、アミノ酸という粉は昆布からそのほかの栄養素を捨て去ったものと同じ。こんな偏った栄養(しかも石油からできた光学異性体)を食べさせられる時代。

鏡‥?? これって「偽りの世界」の代名詞かも‥。








美しい光は目に悪い

猫よけに、庭に水入りのペットボトルを置いているのをよく見ます。またカラスよけに、畑にCDをぶら下げるのをよく見かけます。それは、彼らが光の反射を嫌うからです。なぜ彼らが、太陽の光の反射を嫌がるかと言うと、直接強い光を見ると目を傷めるからです。彼らは知識ではなく、それを本能的に知っているからだと私は思っています。

ところが、私たち人間はなぜか‥本能に反し光そのものを見ようとするのです。(それも美しいとかいう理由によって) 人間の目も他の猫やカラスと同様、光を直接見ると目を傷めます。しかし、…にも関わらず人は下敷きなどの道具を使ってまで太陽を見ようとしますし、金冠日食のときにも保護眼鏡を着けてまで金星に隠れる太陽の強い光(コントラストが強くなる)を見ようとする人が多くいました。自然に沿って生きる生き物には理解できない行動かもしれません。

近年、私たちの目が危ないと言われています。それは私たちに与えられた文明の知恵がもたらした道具。テレビ。パソコン。携帯。車や蛍光灯から出る青い光が原因だと‥。じつは、これらの画面は、光を反射しているのではなく、そのものが光っています。しかも不自然な波長。そんな光を私たちは、ホームページを作ったり、ツイッターをしたり、検索しながら‥見ているのです。

自然の世界は、とても目に優しい世界です (本能に沿って直接太陽を見なければ) 。大地も森も‥乱反射しているからいいのです。海や川は、直接の光を私たちの目に投げかけてこない。太陽が一番高い時の光は私たちの目に直接来ないから海や川が青く見える。そして、太陽が傾いて光が柔らかくなったときに、海や川が柔らかく光る。

だからわたしは、パソコンや蛍光灯などの光のある部屋を離れ‥大地や森を見ながら出かけます。すると目に優しい光が差し込んできます。その景色は、写真に撮ってパソコン画面で見るのと全く違った優しさがあります。


注 /
光を好む生き物がいますが、彼らは光が美しいという知識で見ているのではなく、体に備わった本能に沿って光を見ています。ですから、決して目を悪くすることはありません。







出口がわからないムカデ

森の延長に家があるという片田舎で1年ほど過ごしたときの事。天井から大きなムカデが落ちてきた。突然のことにわたしも子供も大慌て。わたしは、ホウキで掃きだす。しかし、パニックになったムカデは足がもつれて‥逃げようにも‥逃げられない状態。ムカデも私も一緒なんだな〜。慌てると何にもできなくなってしまう。お互い気持が落ち着いてから…ちりとりを持ってきて…優しくムカデをとって、森へ逃がした。

またあるときは、洗濯用のネットの中にムカデが…。洗濯。すすぎ。脱水。それを数回繰り返したのに…。ムカデは生きていた。それで私は、庭にネットを持っていきチャックを開けて広げて地面に置いた。しかし、ムカデは動かない。ムカデには、チャックが開いていることが分からないようで、身動きすらできなかった。それで、ネットを裏返しにして、やっとムカデは無事に自然の中へ‥。

これを見て私は思った。文明から自然の世界に戻ることも本当は簡単なんじゃないかと…。ただ、私たちがそれに気が付けないだけなのかもしれない…と。

網。ネット。‥罠。出口があるのに…分からない。なぜか身動きできなくなる網。

◆文明から自然(無限の世界)へ戻る出口:それは、文字・数字・それによって刻む時間をなくせば済むこと‥だと私は思っている。しかし、チャックの開いた洗濯用ネットから出られなかったムカデのように、私たちもそれができない。それは、私たちの脳に刷り込まれるはずだった自然の体験の代わりに‥なぜか‥文字と数字に置き換えられてしまったから。脳に張り巡らされた文字や数字が網のようになって、私たちをそこから出られないようにしている‥。(私説)








約束しても、入れない約束の地

旧約聖書に「出エジプト記」と言うのがあります。エジプトで奴隷にされていたイスラエルの民が、神に遣わされたモーセによって解放され‥モーセに率いられ‥「約束の地へ」旅立つ物語です。

イスラエルの民は、たった二週間でいける約束の地を‥なぜか40年もかけて、荒野をさまよいながら行くことに‥。エジプトを出たとき、壮年男子だけで60万人もいたのに、約束の地にたどりつけたのはたったの2人(ヨシュアとカレブ)だけでした。ユダヤ人のほとんどが 「神への不信仰」 のゆえに神に殺されたのです。不信仰に対しては無力な神。まるで「新選組」と同じではありませんか。「新選組」は、戦いで死ぬより 「切腹」 で死ぬ人が多かったそうです。自分たちが作った法で殺されるという皮肉。

ところで、モーセが約束の地に入れなかった事。ご存知でしたか?イスラエルの民を率いたリーダーだったのですから、絶対約束の地に入れたと思いますよね。なのに、モーセは目前で落選してしまいました。その理由は‥。なんと岩の叩き方だったのです。どう言うことかと言うと。神が「岩に命じて水を出させなさい」と言ったのに‥。モーセは、岩に命じないで岩を叩いただけだったからです。

つまり‥神の命じた通りにしなかったのでモーセは、約束の地に入ることはできなかったのです。それでモーセは、ネボ山という山の上から約束の地を眺めつつ息を引き取ることに‥。モーセが体験したことを‥ペットに例えてみると‥?お手、お代わり、伏せのやり方が、主人の言った通りでなかったからという理由で‥約束の餌の代わりに‥餌の写真を見せられ…そして息を引き取るようなものだと思いました。

それに引き換え自然は本当に自由です。たとえば…

食べ方自由。
飲み方自由。
トイレも自由。
誰と遊ぶのも自由。
管理する者はいない。
支配する者もいない。
文字もない。
数字もない。
法もない。
咎められない。
捌かれない。
罰がない。

自然は‥
どんな人であろうが‥どんな生き物であろうが‥分け隔てをしない。
誰と約束しなくても入れる地。いや。もうすでに入っている。
決して、そこから落とされることのない自然。
そんな安心と安らぎに満ちた大地に私は存在していた‥。


その事に気づいて‥本当に良かった。

◆自然に任せれば管理は要らない。
食べ物:森へ取りに行けばいい⇒食べ物を栽培するから管理が必要
水:川に飲みに行けばいい⇒水道を作るから管理が必要
排泄物(便、尿):その辺にすればいい⇒一か所にためるから管理が必要
つまり。管理にするには、自然を不自然にする必要がある。
神は管理しなさいと創世記で言っているが‥つまり、この世界を不自然にしなさいということ‥なんだ‥。








いつも必死なキーキー鳥

散歩していると、木の枝にとまった1羽の鳥が「キーーーーッ。キーーーーーーーッ。」と甲高い声で誰かを必死で呼ぶように鳴いているのです。あまりの必死さに、こちらまで心配になって‥立ち止まって見ていると‥。どこからか1羽飛んできて‥安心したのか静かになって‥どっかへ飛んで行くのです。

それから、何度もこの鳥が‥このように甲高い声で鳴くのを見ました。
それで私は、この鳥を 「キーキー鳥」 と呼ぶようなりました。 (正式には、「ヒヨドリ」という名前があるのですが‥。)

今日も散歩でこの「キーキー鳥」が鳴いていました。 いつものように、必死な声で‥。それだけに、はぐれた1羽と再会した時の安心した様子が、こちらにも伝わってきます。

子供たちが小さい頃、よく迷子になって‥。 わたしも 「キーーーッ。キーーーーッ。」 と甲高い声で叫んでいました。
鳥も私も同じなんだ〜。








「TRY」とは、ふるいにかけること

tryって「努力して〜をやってみる」事だと辞書にあります。もっと詳しく調べてみると‥。tryの原義は 「ふるいにかけて分けること」 だそうです。あと裁判するとか‥。苦しめる。負担をかける。〜を疲れさせる。‥などちっともいい意味じゃありません。

「TRYしよう」って言うと‥「苦しめよう」「負担掛けよう」「疲れさせよう」「裁判にかけよう」ってことになるんでしょうか?CMで 「家庭教師のトライ」 って言うのがありますが‥。子供にとって勉強は?苦しめられる作業。負担をかけられる作業。疲れさせられる作業。テストは頭のいい事と悪い子に分ける 「ふるい」 ‥まさに トライ!

自然は、どんな人であろうとも、あるがままを肯定し、数字で刻む時間や文字で記す法律(決まり)から私たちを解き放ち、私たち全てのものを受け止めてくれます。

  


                                                               




ホームページ / IEによるデザインの崩れ解決法(2013年8月11日)

自身のホームページのデザインが、インターネットエクスプローラーでは崩れていて困っていました。しかし、改善策がわからず‥ずっとほったらかしでしたが‥やっと解決できました。

@改行していても、インターネットエクスプローラーでは、文字が詰まって見える不具合。
解決方法⇒スタイルシートの末尾にbr { letter-spacing:0; }を加えることで解決


A文字の上の部分が切れてしまう不具合。
解決方法⇒
原因は、CSSで以下のように行間を%指定しているため。
body { line-height: 140%; } を body {line-height: 1.4;} とすればいいそうで、私の場合は150%だったので、1.5と指定し直したら、解決しました。

今まで見づらかったデザインのホームページが、一気に改善され、インターネットエクスプローラーでも見やすく、そして読みやすくなりました。

Bその他
ホームページにコピペしようとすると、既に支持された文字の属性も含まれていて‥文字のデザインが統一できなくて困っていました。解決方法⇒貼り付けた文字全体を選択し、メニューバーから「書式」→「フォント属性の解除」を実行しサイド設定を行うことで解決
しました。

何も知らずに作り始めたホームページ、やっと読めるくらいのレベルになりました。まだまだ足りないですが…。



お勧めサイト:パソコンについての基礎知識が書いてあり初心者の者にとってとても参考になります。
http://www.geocities.jp/knspcc/index.html
     

┃追加

先日、ファイヤーフォックスでホームページを確認すると、ところどころ、文字が消えて表示されました。その時の解決方法は…下記を参考にしてください。↓


                             
    


10

映画「風立ちぬ」を見て / 感想(2013年8月23日)

昨日、「風立ちぬ」という映画を見てきました。

映画を見た感想は‥古い家具や昔の風景などが美しく描かれていて、昔のいろんなことが思い起こされました。しかし、私にとっては、とてもわかりづらい内容の物語でした。主人公の堀越二郎の抑揚のない話し方には感情移入がほとんどできず、また貴族だけの話だったため‥とても退屈しました。(わたしは‥てっきり「戦争で貧しくなった日本国民が、貧しさに負けず苦しみを乗り越えていく‥」そんな場面が盛り込まれていると思っていたので)

映画の内容は、主人公堀越二郎が…空に憧れて、飛行機を設計する話でした。彼は、ただ美しい飛行機を作りたい。ただそれだけ‥という。しかし、その夢は、多くの人を戦争で苦しめていく‥。つまり、自分の夢は人々の犠牲の上に成り立っている。それで作者は、何を言いたかったのか‥作品からは伝わってきませんでした‥。

もし、「風立ちぬ」という映画の作品の中で‥主人公が、人生の矛盾に対する悔いや反省が盛り込まれていたら‥もっと多くの人に共感される作品になっていたと思います。

多くの人が「つまらない」という感想を持ったのも、わかるような気がする作品でした。

★また、肺を患っている妻の前でタバコを吸う主人公にはガッカリしました。たぶん、作者は「一生懸命働いているご主人のためになら、たとえ自分が肺を患っていても、ご主人のために体を犠牲にするのが愛ではないか。」‥そう言いたかったのかもしれません。しかし、わたしの主人は、家族の健康のためにタバコをきっぱりと止めてくれました。これこそ愛ではないでしょうか!
(弱いものを犠牲にせず、弱い方に合わせる。こちらの方にわたしは感動します。)



                                                            


11

映画「風立ちぬ」を見て2 / タバコのシーンについて

映画「風立ちぬ」を見て、タバコのシーンが多いのがとても気になりました。特に‥結核の奥さんの前で、主人公の「堀越二郎」がタバコを吸うところには驚きました。奥さんが許可を出したのですが、たとえそうでも‥病気の人をいたわる思いがあるなら、あってはならないことではないかと‥。

病弱で淋しい思いをしている妻。その妻の手を握りながら(犠牲を払ってまで)仕事をしている主人公。だから、タバコぐらい吸ってもいいよねという甘えのようなものを感じました。一見、夫婦愛が描かれているようにも見えますが、お互いの甘えを面倒だけど受け入れあった。つまり物々交換をしたみたいな‥やりとりで、逆に切ない場面でもありました。正直なくてもよかったシーンだと。

タバコは、吸う人にとっては良い効果をもたらすものかもしれません。しかし、その煙で、体調を壊し、ひどい時には死に至る人もいます。ですから、わたしはお願いしたいのです。弱者のことを忘れないで欲しいと。

この映画は、弱者は成功者に合わせるべきで‥。弱者はその犠牲になっても仕方がない。そんなメッセージが見え隠れしている作品のように感じました。タバコのシーンを見ていると‥

これほどまで、たくさんのタバコのシーンを盛り込んだのには、宮崎駿さん自身そのことに気づいていて、どことなく後ろめたさを感じていたからかもしれません。



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宮崎駿監督から被災地への『意外な贈り物』 / たばこってなんですか

    

                              


12

「夕食一緒にどうですか?」という嘘

「夕食一緒にどうですか〜」って言われたら…大体の人は、相手に負担をかけまいと考え…遠慮して帰ってしまうでしょう。しかし、その言葉をそのまま受け取り、喜んで夕食をいただく人は、時には喜ばれますが、時には図々しい人とレッテルを貼られるのかもしれません。なぜなら、「夕食一緒にどうですか〜」ということばの裏には、「さっさと帰って欲しい」という裏腹な思いが隠されているからです。

かつてそんな思いが隠されていると知らなかった頃の私は、誘われたら遠慮なく頂いていました。でもいまは二の足を踏みます。図々しい人か、遠慮深い人かテストされているみたいで。

だから、私の場合は来客に対し、早く帰って欲しい時は、さりげなく暗に示すようなことをせず、「ごめんなさい。今日は用事があって…」というようにしたいし、時間があって夕食を一緒に食べたい時は、「夕食一緒にどうですか」と真の意味で尋ねたい。そうでなければ、お互い相手の思いがつかめなくて、良い友達になれないと思うからです。


本心を言えない友を何人集めても、疲れるばかり…。本心を言って、それでも壊れない間柄が一番居心地がいいと、わたしは思います。


    

                  


13

どこ行くの? / 行き先は決まっている

小さい頃。道を歩いていると‥。よく「どこに行くの?」って聞かれる。「あの〜その〜、近くの〜海へ泳ぎに〜」なんて答えている頃には、もう相手はいない。挨拶だけで、別にどこへ行くかそれほど問題でもなかったみたい‥。だから、わたしはこう答えるようになった。「ちょっとそこまで」と‥。それでも人は「どこいくの〜」って尋ねる。挨拶代わりに‥。

ところで、人は自然になかったものをたくさん作った。
例えば‥。お店。学校。会社。公園。遊園地。お墓。神社‥etc

しかも目的がそれぞれにある。
お店‥生活に必要なものを買いに。
学校‥将来、会社に勤めるために勉強をしに。
会社‥家族を養うためにお金を儲けに。
公園、遊園地‥毎日学校や会社に囚われているので、たまに羽を伸ばしたくなって。
お墓‥お線香やお経をあげに。
神社‥ご利益を願いに。

しかし、自然の生き物の目的は、「食べ物を捜す」という至って「単純」。
もし、私たちも自然に沿ったままの生活をしていたら‥

食べ物を探して食べるだけだからお金が要らない。
お金がいらないから会社がいらない。
勉強しなくても生きていけるから学校がいらない。
食べ物を探すほどスリルがあって楽しいものはないから、公園や遊園地は要らない。
食べ物を探すときあちこち動き回るから、フィットネスクラブなんか要らない。
食べ物を生産するものがいないから、農薬や肥料が撒かれてあるかどうかなんて考えないでいい。

だから、文明がなければ「どこいくの〜」ってきく必要がない。
みんな食べ物を捜してうろうろと歩き廻っているんだから


     

            


14

ネット社会

便利になった‥。でも、便利になるのと幸せになるのとは違っていたって誰もが知っている。

3.11を経験した者たちはそれを痛いほど味わった。
水道。電気。ガス。‥みんな役に立たなかった。
しかも、多くの人が一番便利だと思っていた原発は事故に。

過去をさかのぼれば‥。合成洗剤。農薬。肥料。食品添加物。‥企業の儲けには都合がよくても、国民の健康には都合が悪かった。幸せになるどころか、不幸せになったとも言える。

電源が切れたら‥。ただの箱になって使えなくなるパソコン。
電源が切れたら‥。タダでは済まない原発。

文明に頼って失ったもの‥
たとえば…
言葉に頼って、本能を失った。
火に頼って、本来の食べ物を失った。
調味料に頼って、本来の味を失った。
服に頼って、本来の姿を失った。
お金に頼って、自分で賄う知恵を失った。
電気に頼って、自然に沿った生き方を失った。
文明に頼ると、真実を失っていく事が分かった。

コンピューターは、文明のもたらした、最終兵器であると言われている。

私たちにとって便利でなくてはならなくなったコンピューター。
最終兵器と言われるコンピューターにまんまとはめられてしまった私たち。

                     





15

線を引く。所有する。入ったら殺す。

もし、そんな決まりを作ってお互い殺しあったら? バカだなって思います。

こどものころ、仲のいい友達がいて‥良く買い物とか一緒に行きました。コンクリートの細い道を通るのですが。すごい急な坂道で走り出すと止まるのが大変な道です。そこを走る時二人で約束をしました。コンクリートのひび割れた部分を絶対に踏まないで走ると…。もし、踏んだら「私たちは死んでしまう」ってことで‥。「よーい。ど〜ん。」 踏んでも何も起こらないひび割れ線。なのに、きゃ〜きゃ〜言いながら走って‥。途中踏んだら‥「もう一回」「もう一回」とか言って。やり直して、走る。結構、スリルがあって楽しいゲームなんです。今思うとバカバカしいのですが‥。子供の頃は、こんなことで楽しめる。

ところで、海に線が引いてあると言うのですが‥。「えっ?どこに?」って感じですよね。
実は、1982年。国連で海洋法と言うのが約束されたんです(国連海洋法条約)。どんな約束かって言うと‥。

@領海の範囲を沿岸から12海里。経済水域を200海里。
A国際海底機構を作って管理する
B大陸棚の資源は沿岸国の権利とする
C群島国家は、群島のもっとも外側を直線で結んだその内側を領土として扱う。など‥。


こんな感じの約束をした。それで、問題が起こっている。実は、わたしの親戚に漁師をしているものがいて、小耳にはさんだのですが‥。魚を取る時、魚を取らなければという思いから‥ついついぎりぎりのところまで行ってしまうと。海に線が引いているわけでもないので‥難しいですよね。ある日漁をしていると、いきなり、銃を突きつけられたと言います。事なきを得て帰ってこれたようですが、相当怖かったと言っていました。

そんな話を聞いた事があったので‥。韓国海洋警察庁が中国の違法操業漁船に対する取り締まりについて、「射殺の許可も検討」(2011.12.8)という記事に複雑な思いになったのです。

          


 
         

16

救われたことが‥滅びの始まりだった

ノアの大洪水のとき。ノアとその家族は、神が教えた通りに造った船で救われました。自然に存在しない船。(自然にあり得ない船を教えたのが神なら‥神こそ「文明」)今、文明の知恵で造られた船(タンカー)が‥海外から石油を運び、道をアスファルトにし、道路を車だらけにし、、その車が‥石油を運び、石油で作った商品を運び、この大地を石油で覆っている。

人々を洪水から救うため神が与えたという「船」が、地球全体を滅ぼす事になるとは!!!神は、こう言った。「もはや洪水によって滅ぼされることはなく、また地を滅ぼす洪水は、再び起らないであろう」と。 しかし、キリストはこう言った。「わたし(キリスト)は、
火を地上に投じるためにに来たのだ。(ルカ12章49節)」と‥。

現在、文明の知恵は宇宙船という船(ロケット)を造らせた。
現在、文明は宇宙ステーションを準備させている。
現在、文明は世界中に原発をちりばめている。

宇宙船。それに乗れるものは、文明の知恵を信じる者だけ(宇宙船=ロケット=ノアの箱舟現代版)。
人々の頂点に座する者が、宇宙線(ロケット)からスイッチ(遠隔操作)を押す。
それは、世界中にちりばめられた原発の冷却装置の電源を切るスイッチ。
地球は一瞬で火の海に…。


キリストの計画通り。

ノアの洪水の事を「水のバプテスマ」という。どう言う意味かというと‥水に沈めるという意味。つまり地球を水に沈めるということ。キリストがもたらすバプテスマは「火のバプテスマ」と言われている。…その意味は、火に沈めるという意味。つまり地球を火の中に沈めるということ…。(バプテスマとは「沈める」という意味)

そして現代版ノアの箱舟(ロケット)に乗った人々は、かつて標高5000m級のアララテ山(富士山より高い)を遥かに見下ろせる宇宙ステーションに連れられて行く(不自然に大地から高く遠く離れた場所)。かつて、自分たちを育んでくれた大地とは全く違った環境で生きなければならない。食べたり、飲んだり、めとったりしない不自然な体になって。

なぜなら…救い主であるキリストは次のように言っているからです。
「この世の子らは、めとったり、とついだりするが、かの世(=宇宙ステーション)に入って死人からの復活(=燃え盛る地球からの救い)にあずかるにふさわしい者たちは、めとったりとついだりすることはない」と。(ルカの福音書20章34〜35節)

文明はこの一点(不自然極まりない宇宙ステーション=天国)に向けて…進んでいる。(そう思えてならない)
だから、自然がどんなに破壊されても、自然の生き物(人間も含め)がどんなに不自然になってもお構いなしで文明は進んでいくんだ…。

※IAEAは、現在432基ある世界の原発を2030年までに90〜350基も増やす計画をしている。
※神の知恵で造られたノアの箱舟のサイズ(長さ300キュビット、幅50キュビット、高さ30キュビット)は、メートルになおすと⇒長さ132m、幅22m、高さ13m。平面積は876坪。現在使われているタンカーの形によく似ている。というかこれをまねていると言える。(タンカーなど大型船を作る際もっとも安定している比率が、長さ:幅:高さ=30:5:3。まさに神の知恵は、文明の知恵)

                        




17

世界は広いと思っていたが‥「狭い???」

子供が小さい頃。よくディズニーランドへ行って聞いた『イッツ・ア・スモール・ワールド』のメロディー。それまでは…歌詞を意識して聞いたことはなかったけど…。ある日、幼稚園から帰った息子が「世界はせ〜まい〜 世界はお〜なじ〜 世界はま〜るい〜」って歌っているのを聞いて‥「あれ?」って思ったんです。

「世界はせ〜まい〜♪」????

私が子供の頃は、「世界は広い」って‥。そうみんな思っていたし、そう言っていた。なのに‥。「世界はせまい」。そうなんだ〜。そんな言葉が、心に引っかかっていました。

たしかに、自動車や飛行機がない時代‥人が歩きでほんの少しの移動しかできなかった頃は、地球が果てしなく広かった。ところが、船・自動車・電車・飛行機などが、これほどまでに発達してくると‥あっという間に地球の裏側まで行ってしまう。地球の裏の人と、歩きだったら一生会うこともないし、話すことだってできなかった。それなのに、今はそれがたった数時間で、いや数秒(電話やネットなど)でかなったりする。こうなると、広かった世界が狭くなったような気がするのです。

それで、ふと‥理科の時間習った腸の絨毛のことを思い出したのです‥。どういうことかと言うと‥。

「小腸の内壁は輪状のひだになっており、その表面には数百万もの絨毛と呼ばれる指状の突起があり、これが小腸の表面積を増大させている。さらに絨毛の表面積には数千の微絨毛があり、さらに表面積を増やしている。表面積はテニスコート2面分にあたる。一つの細胞からおよそ60000の微絨毛が突き出している。」と言うもの。

大人の人の小腸の表面積がテニスコート2面分なんて驚きです。

それで思ったのは‥。私たち生き物が住む地球。この表面にある植物やそこに住む生きもの。わたしは、これらが地球の表面積を広げていると思ったのです。つまり、木々や生きものたちは、腸の中の絨毛のようなもの。だとしたら、地球の表面積はどのくらい広くなるのでしょう。たぶん文明以前の地球の表面積はすごかったでしょうね。。

人は一時間で4km歩くと言われています。しかし、文明がなかった時代‥木や草が生い茂っているところを歩くとなると、一時間かけても1kmも歩けないかもしれません。つまり‥それほど、地球の表面積が広かったとも言えます。

現代社会は、森林を無くし地球を丸坊主にしていますが、それは‥私たちの腸内の絨毛を無くして栄養を吸収させなくするのと同じです。大地は、木々や生きものたちが満ち、その命が大地に還るから‥栄養豊かな命ある大地になるのです。

森林が破壊されると、人々の移動は確かに楽になるでしょう。しかし‥狭くて砂漠のようになった大地にどうやって生き物が生き生きと生きていけばいいのでしょうか?
「世界はせ〜まい」って歌っている場合ではありません。

                           



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人は言葉を得て…本当の今を失った

木彫りの人形をみて人はただの木だと思う。しかし、それを彫刻した人が、わたしはこれに魂を入れたのです。というといかにも生きたものというように見えてくる。よく考えればその人がどう言おうと、木を彫った置物に変わりはないのだが…。こんなやり取りから、人は置物でも生きたものと思ってしまうことがある(思い込み)。

しかし、現在…置物が話してくる。
紙(手紙)が…
プラスチック(電話)が…
そして箱(テレビ)が…。

かつて友達から励まされた手紙を読んで微笑んだり涙したり…
家族からの電話に、大声で笑ったり、泣いたり…

そばにいる愛犬にはなんのことやら意味不明。

愛犬に手紙を見せても…ただの紙。
愛犬に電話を見せても、ただのプラスチックの塊。
愛犬にテレビを見せても、ただの箱。
(人間の使う言葉は実態がなくてもOK)

言葉に頼らない生き物は、手紙や電話やテレビのようなイメージの世界ではない、実態を生きる生き物。彼らには、本当の今しかない。(過去や未来を表す言葉や、過去や未来について書き留めておく文字がないのだから)もし、人がこれこそが真実だと知っていたなら…。もし、人が言葉で交信することが実態のない架空の世界だと知っていたら、体(実態)より魂(イメージ)が大切ということは言わなかったでしょう。

もし死んだ体がそれで終わりでなく、多くの生き物を生かす食べ物であると知っていたなら…、魂は天国に行ったから、体は火に投げ込んで(火葬して)もいいという発想はしなかったでしょう。

私の親友。数年前事故でなくなり、体は灰にされた…。今、私の手元にある何通もの手紙が彼女を知る唯一の手がかり。数年経った今、私は彼女の手紙を読み、涙を流し、会いたいと切に願う。こんな時に…「魂」という発想が出てきて…。更に、死んだ人(実体のない)のことばを伝える仕事(例:恐れ山のユタ)をする人が出てくるのだと思うのです。つまり、ことばは実態がなくても交信できるため、人々は言葉を魂、体はただの入れ物と勘違いしてしまった。その結果、ほかの生き物のように、実態を生きる生き物でなくなったと言えるのではないでしょうか。

そう…。人は、言葉を知ったために…「実態と本当の今を失ってしまった」と言えます。

              
              
  

                             


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アベノミクス / 安倍総理の希望は国民の絶望

2012年ごろから、「アベノミクス」という言葉をよく耳にします。これは、自由民主党の政治家、安倍晋三氏が第2次安倍内閣において掲げた経済対策につけられた名前だそうです。(安倍総理の安倍とエコノミクスのノミクスを合わせた造語。


┃エコノミクスとは

エコノミクスを辞書で引くと…。
economics とは、経済学(単数扱い)、経済問題(複数扱い)」とありました。つまり安倍総理は、「アベノミクス」という名のもとに経済的なことを中心に政治を進めて行こうとしているのだと分かります。きっと経済についてこれない自然は、どんどん切り捨てられていくのでしょう。たぶん…

では、
economics を解字して詳しく調べ、私なりに考えてみます。


ECONOMICS ⇒
ECO 環境
NO けして〜できない、あってはならない
 M:MANAGEMWNT 経営、管理、経営学
  I:INFORMATION 情報、知識、伝達
 C:CONTROL 支配する、管理する、抑制する
 S:SYSTEM 制度、体制、体系


以上から…エコノミクス(経済学)を私なりに解釈すると…、
「(世界の頂点で支配するもの以外に)、経済情報を支配する体制が決してあってはならない環境」を全世界に作り上げること。


という意味になりました。強引な解釈と言われるかもしれませんが…。あたっているような気もします。現在日本で行われている「アベノミクス」もある意味「世界の頂点で支配するものだけがコントロールできる経済社会」を作っているのではないでしょうか。表向きは国民のためと言いつつ。


┃借金を基礎にしたアベノミクス

安倍総理が掲げたアベノミクス。内容は以下の3本立てだそうです。

アベノミクスと呼ばれる3本立ての経済再生政策(企業だけでなく新興企業の支援も盛り込む)
1.日銀による金融緩和
2.景気刺激策
3.全国各地の「経済特区」の新設、抜本的な規制緩和


この公約が果たされれば、医療から農業にいたる様々な産業で、起業家に門戸が開かれると言われています…。しかし、これが全て借金で実現するのだとしたら…あまり喜ばしいことではないですね。

下の図を見てください。これは、「対GDP比」というもので、「国の借金(政府の債務残高)が、その国のGDP(国内総生産)に対してどのくらい(何%)あるのかというデータです」。この表によると、日本が約225%。現在(2013年)は、250%を超えていると言われています。表によると、日本は2位イタリアの約2倍も…。これは異常ですね。全て借金に頼って経済を進めてきた我が国は、実質他国と言えないでしょうか。世界の支配者の所有物です。そして、私たちは、その奴隷。

だから、オリンピック開催やカジノ建設といった、腑に落ちない計画が持ち上がるのだと思います。借金がこんなに多いのに、まだまだ、お金を借りて、起業できるなんておかしいです。私たちが現在、借金までして造っているものは…、いずれ私たちの国を乗っ取る人々(世界の支配者)の為。つまり…「お金はまだまだ貸したるから、どんどん起業して、会社を大きくしといてや。大きくなったら、買収したるから…というか、もらったるから、せいぜい頑張って〜や〜」ってことかもしれません。


 ↓債務残高の国際比較(対GDP比) [出典:財務省]

  
  ↑

「対GDP比」とは
国の借金(政府の債務残高)が、その国のGDPに対してどのくらい(何%)あるのかというデータで、「借金÷GDP」という計算で求められます。

  

┃切り捨て御免

そういえば…先日消費税増税8%が決定しました。このように、消費税をじわじわと上げてきますが。人はどこまで耐えられるのでしょう。耐えられないものは切り捨てられていくのでしょうね。私の身近なところに、小さなお店を経営している人がいます。その人は、借金を抱えながら一生懸命働いているのですが、「最近近くに大きなお店ができてね、競争に勝つ自信がないし…もし潰れたら死ぬほかないんだろうな〜。」と悲しそうにつぶやいていました。

国が国民のためというのなら、「自然環境」も「底辺で生きている人」もみんな損なわれない方法を優先しなければならないと思うのですが…。国にとっての国民とは、どんな厳しい世の中でも生きていける人だけのようです。つまり金持ち。そうでない貧乏人は、切り捨てられていく運命…。なんて悲しい世の中なんでしょう。

ちなみに、「切り捨て御免」とは、江戸時代 武士に与えられた特権で、町人・百姓などが無礼な行為に及んだ場合、処罰されなかったこと。」で…現在は、それが転じて、「弱い者に対して特権を用いて横暴な振る舞いをすること。」だそうです。厄介なのは、最近の切り捨て御免は、刃物を用いたりしなくても…消費税を上げていくことで可能だということです。刃物を政治家が振り回さないため、だれも政治家のとった「切り捨て御免的政策」を怖いと感じないのです。


┃補足 / GDPと対GDP比について

GDPとか、対GDP比とか…はっきり言いますが、ローマ字3文字の略字、やめてほしいですね。覚えられません。上の対GDP比の表を見ても私たち国民には、ちんぷんかんぷん。とりあえず、私なりに調べておくことに…。よかったら参考にしてください、。

GDPとは、Gross Domestic product の略で、国内総生産という意味。その内容は、「個人所得+企業所得+(生産活動や物流に課せられる税金-補助金)」だそうです。

では、一つ一つの単語を調べ、イメージを膨らませてみると…。



 G:Gross 合計、統計、12ダース(144個)、野蛮な、粗末な、ぞっとする…
 D:Domestic 家庭の、人に飼育されている、国内の
 PProduct 製品、生産物


つまり、、GDPとは「国によって家畜のように飼育されている国民が、奴隷のように働かされて生産したモノの合計。」というイメージでしょうか。では、GDPをネットで詳しく調べてみます…


GDPとは
Gross Domestic product の略で「国内総生産」のことで、その意味は、「その国の新しく生み出されたモノやサービスがどのくらいの価値があるのか、という数値を金額で表したもの」で、その国の景気を計る際に使われるものだそうです。つまり、「GDPが伸びている」と言うことは、「その国の経済が伸びている」ということだそうです。

ちなみに、2012年度の日本のGDPは、およそ519兆円。これは、国民一人あたり「約400万円の新しい価値を世の中に生み出したということだそうです。


(いろんなモノを作っても、それが金額というひとつの数値で表されてしまう。つまり、粗末なものでも、たくさん作って儲ければ新しく生み出したものが増えたってことで、経済が伸びたと評価される。それが、GDP。…これは私個人の解釈ですが)

次に「対GDP比」ですが…。これは、国の借金(政府の債務残高)が、その国のGDPに対してどのくらい(何%)あるのかというデータ(借金÷GDP)です。数字が小さいほど財政は健全だそうです。日本は2012年236%。GDPが500兆円。つまり、国の借金は、1180兆円あるということだそうです。


「対GDP比」とは
国の借金(政府の債務残高)が、その国のGDPに対してどのくらい(何%)あるのかというデータで、「借金÷GDP」という計算で求められます。



日本の借金(債務残高)の「対GDP比」は、1980年までは50〜70%台で推移していたそうですが、1990年代から急激に伸び始め、1997年に始めて100%を超えたと言われています。そして2009年には、200%を超え、2011年の震災や景気対策のため大型予算が組まれることを予想すると…今後日本の債務残高(対GDP比)は250%以上に増えると予想されている。これは世界一の値です。

多くの人は、なぜ、これだけ債務残高(対GDP比)が大きいのに、日本は破綻しないのかと不思議がっています。もしかしたら、ずっとこのまま破綻せずに行くと楽観視している人もいます。もしかしたら、借金は膨らんでいくのに、破綻しないのであれば…。いったいどういうことなのでしょう。

もし、わたしが銀行家だとしたら、多額の借金があり返済不能な人に、お金を貸し続けることはしないでしょう。しかし、相手を返済不能に陥れることで、相手を奴隷のように扱えるのなら…貸し続けるかもしれません。完全な奴隷にするために。今やお金を貸す方の銀行家は、金でも紙幣でもコインでもなく…数字だけという時代。つまり無限に貸すことができ、銀行家自身が破綻することはありません。つまり、文明社会において銀行家は、国民より、国家より、企業より強い、最強の存在と言えるのではないでしょうか。(銀行家=見えない世界の総支配者)

以下の文章…参考にしてください。


お金を握る銀行家がその国の政治、経済を握っているので、政治を動かすことは比較的たやすい。政治経済を握るということは、軍事もにぎるということだ。戦争は最も富を消費させるので、積極的に戦争を発生させては、軍事物資等の戦争費用のための資金を国家に貸し付ける。国際金融資本にとって戦争は最も儲かる仕事なのだ。国際金融資本にとって右も左も、国家も民族もない。戦争する双方に対して資金援助を惜しまない。勿論金利を取って儲ける。結局、国際金融組織の元に世界中の様々な国家が存在し、その国の政府、経済、軍事、教育、一切がコントロールされる仕組みができあがりつつあるのが、現代世界の状況と言える。
(http://wiki911.lv9.org/i/09.htm を参考)





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タラント / 金儲けの才能


┃タラントのたとえ /
聖書

聖書にタラントのたとえという話があります。これは、主人がしもべ3人に、大金を預けて旅をするお話です。主人から大金を預かったしもべたちは、預かった大金を用いてうまく商売をし儲けなければなりません。主人は、金儲けが上手なしもべには5タラント、金儲けがそれほど上手くないしもべには2タラント。そして、能力がないしもべには1タラント預けて出かけたのです。

そして、旅から帰ってきた主人は、結果が楽しみだったのか…すぐに精算を始めます。5タラント預けたしもべは、主人の期待通り、金儲けの才能を生かし、なんと預けたお金を2倍に増やしていたのです。また、2タラント預けたしもべも、主人の期待通り、金儲けの才能を生かし預かっていたお金を2倍に増やしていました。お金を精算した主人は満足げです。

しかし、1タラント預けたしもべは違っていました。なぜなら、彼は、預かったお金を運用して儲けることに挑戦せず土にお金を隠していたからです。でも…この気持ち、なんとなくわかります。だって、商売が下手くそなわけですから。ほかの人よりリスクが高いのです。もしかしたら赤字を出す可能性100%かもしれません。1タラントは6000日分(16年分)の給料と言われる金額。こんな大金、もし失敗して赤字を出したらどうするんでしょう。我が国の年金は、国が運用して失敗して赤字になって…。そして私たちの受け取る年金額が減ってしまったわけですが。金儲けはある意味ギャンブルです。競争してお金の取りあいっこをしているのですから。だから、この1タラントという大金を預かったしもべは、元金を守り抜いただけでも素晴らしいではありませんか?

しかし、主人はこういうのです。銀行に預けておけば良かったのにと…。だったら、赤字を出すかもしれないリスクの高いしもべにお金を預けず、自分で銀行に預けておけば良かったのに…。と私はツッコミたい。どうしてもお金を増やしたいんだったら、自分でそのリスクを背負って自分でやればいいのに…。こう考えることは変なのでしょうか?

確かに…主人に雇われて賄われている以上、我侭は言えないのでしょうが…。しかし、人に雇われている場合、能力が低い人ほどリスクが高く大変なのは確かです。結果が出せなければ「無能」と言われるのですから…。結局この1タラントは5タラントを10タラントに増やしたしもべに渡されたのです。つまり、首になったということです。1タラントを預かったしもべは、「無能」という烙印を押され、無職に…



┃お金の循環より自然の循環


わたしが、もし1タラントを土に隠したしもべの主人だったらこう言いたいです。
「リスクが大きくて怖かったんだね。お金はギャンブル。いつも成功するとは限らない。今回大儲けした2人も、次は失敗して倍の赤字を出すことになるかもしれない。だから、こんな恐ろしいこと私はもう二度と君たちにはさせたくない。それよりも、リスクなしに豊かになる方法教えてあげたい。それはね。命のないお金を土に隠すのではなく、命のある種を土に隠(植える)せばいいんだよ。これは、誰にでもできること。才能なんて関係ないんだ。だって大地が育ててくれるんだから…。考えてごらん。砂漠でお金と水どっちが大切?砂漠でお金と食料どっちが大切?わかるよね。お金は直接食べたり飲んだりできないってことを…」


┃自然に任せるなら「才能」なんていらない /
無能でもOK


タラントはタレントのことで「才能」という意味。それで、みんな「タラントがあるね」って言われると、有頂天になるんですが、このたとえから言うと…正確には「金儲けの才能」ということで。つまり「あたなってタラントがあるね」って言われた場合。「あたなって、金儲けの才能があるね」って言われているようなもの。そうはっきり言ってくれれば…みんな「引くわ〜」ってことになって、「タラントがあるね」って言われた人も才能(タラント)って言葉に酔いしれたりしなかったと思うのですが…。だいたい、タラントってお金の単位なのですから、全ての才能がお金儲けに結びついて当然といえば当然。

ボールを遠い距離から小さな穴に入れる才能も、氷の上を誰よりも美しく踊る才能も、料理を誰よりも美味しく作る才能も、計算を素早くできる才能も‥全てお金に結びついています。

しかも、この才能、雇い主にとって都合のいい才能であって、自然にとっては都合の悪い才能なのですから。お金の循環が自然の循環を破壊していることがわかるものは、私の言っている意味がよくわかると思います。


┃正直なしもべ /マイナスイメージ

多くの人が、1タラント預かった、商売の下手なしもべのことを悪く思うのは、多分このしもべが、主人に対しこういったからだと思うのです。それは…『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。』と…。1タラント預かったしもべは、雇い主の恐ろしさ、厳しさを知っていたのです。(普通は思っていても、恐ろしい主人に向かって、本心は言えません)

たとえばもし、自分が雇い主だとして…。しもべを信用して大金を預けた結果、赤字にされたら、きっとマイナスになった分を返せと言って責め立てると思います。だから、『ご主人さま。あなたは、蒔かない所から刈り取り、散らさない所から集めるひどい方だとわかっていました。』と言ったしもべのことばは、図星ではないでしょうか?


死のギャンブル / もし、マイナスになったら?何かを抵当に入れなければならない

銀行 (bank) の語源は、古ゲルマン語の banki (安楽椅子) だそうです。 銀行は利子付きでお金を貸し付けた後は、何もせず、安楽椅子に座って、のんびりしていればいいわけですから、ピッタリの意味です。ちなみに、借金につきものの、抵当 (mortgage) は、「フランス語の mort (死) + gage (ギャンブル)」 でできています。

何かを抵当に入れるということは、「死のギャンブル」をするということ。なんと言う恐ろしい言葉なのでしょう。


┃誰も知らないお金のシステム

お金のシステムについて、本当は誰もが知っておかなければならないことだと思っています。ですが、ほとんどの人が知らないのではないでしょうか?それは、学校でもメディアでも決して教えてくれないからです。当然、私も知りませんでした。ですからもし、そのことを知りたいという方は是非、下記のお札の画像をクリックして、「お金のシステム」について書かれた記事を読んでください。


「地球を破滅に導く「利子」の恐怖」 ↓(画像をクリック)


↓こちらはお金のシステムを紙芝居風にした、わかりやすい動画です。
 「お金の問題点」


↓この紙芝居風のシリーズ(動画)はたくさんあります。リンクを貼っておきましたので是非見てください。
「お金の問題点」続き 銀色鳥の恩返し1
お金の成り立ち その1 銀色鳥の恩返し2
お金の成り立ち その2 10 銀色鳥の恩返し3
お金の成り立ち その3 11 銀色鳥の恩返し4
銀行の魔法 12 銀色鳥の恩返し5
マイちゃんのはじめてのお金 13 まんが社会信用論 その1 税金について
マイちゃんのはじめての銀行 14


┃参考にした聖書の箇所
マタイ25:15〜29を参考








自然は、区切りがない世界。無限に大きくもあるが、無限に小さくもある世界だった。

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