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● 第1回 肉体と音のルーツを探る
作品 ① C・チャペス曲 <タンブーコ>
演奏 パーカッショングループ72
② モダン・ダンス 「熱帯の食欲」
* アダムとイブ ― 河野潤 牧野京子
③ 「 じんじく 」 風流踊り―間宮芳生 曲
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● 第2回 モダンダンスが斬る世相
作品 「新・七つの大罪」
プロローグ-がんばりすぎ-やせがまん-
むかんしん-てまえがって-こうしょく-
かざりすぎ-ねたみ-エピローグ
出演 里見京子・小杉勇二・本田重春 ほか
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● 第3回 文楽×モダンダンス
作品 「ジ・アビス(深淵)」
代表的な世話狂言の一つ〔艶姿女舞衣〕を
骨子に、行きついた死の実存風景をモダン
ダンスで描いてみた。文楽出演・吉田玉松
ダンサー泉勝志/竹屋啓子/本間祥公他
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楽しい構成、入念な振りつけ
◆ キュービックの「ジ・アビス」 ◆
異分野の人材も起用した野心作
一昨年八月に発足したダンス・シアター・キュービックの第3回アピール展は「ジ・アビス」。”深淵(しんえん)”という意味。モダン・ダンスを中軸に、舞台芸術の可能性を探りつつ、トータル・シアターの可能性を目指すというが、素材を浄瑠璃の「三勝半七」に取り、文楽の人形遣い吉田玉松や文昇、能菅の福原百之助と、異なるジャンルの人材も起用した野心作。
冒頭、義太夫で人形による三勝半七を見せ、それが舞台奥に下がると、オーケストラ・ピットに当たる前景から、半七の泉勝志、嫁おそのの本間祥公(よしき)、その父宗岸の五木田(ごきた)勲がセリ上ってきて、静止した群像が一転、晴れがましい祝婚の群舞となる。出だしからテンポも快調、なかでひとり半七が舞台下手で放心のとき、上手に三勝の人形が出る。映画で言えばオーバーラップか。竹屋啓子の三勝も登場して半七と前景で、うろたえるおそのと宗岸は後景でと対比をつくる。おそのの衣装が薄紫なのに対し、三勝は黒で、襟(えり)や帯のふちどりだけ赤(美術は前田哲彦)。
三勝をめぐる三人の大尽遊びは、いきなりダンス曲にデフォルメされた人の笑い声を調剤、ことさらコミックに。半七が来かかっての殺人と対比になる。三勝半七の死出の道行きは、時間的には前後をピット上の人形で見せ、心中場面で実際に女を刺すシーンを人形にまかせたのは一策。
フィナーレがタイトルに言う深淵で、台本作者(日下四郎)の関心が「今ごろは半七っつあん」の「酒屋の段」ではなくて、時代と社会に反発しても、自己の情念に正直であろうとした半七のエゴの解明にあることがわかる。泉は白のふんどし一つという裸形で、最後は音楽もとめ、激しい息づかいを聞かせながら、彼の本領とする暗黒舞踏的にのたうちまわる。いたづらに筋を追おうとせず、常に三角関係とか、対世間の対比でみせたのが成功で、振り付けさえ、ソロを三輝容子、群舞を本田重治と意図的に分けた入念さが、全体をわかりやすくもし、楽しめるものにした。28日、新宿文化センター。(英)
木村英二 1980年3月5日(水曜日) 夕刊 読売新聞
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● 第4回 日本舞踊とモダンダンス
作品 「信田の森の物語り」
いわゆる”信田妻”のストーリーを、ヨハン・
シュトラウスのウインナー・ワルツを生かして
再構成した。
*原田高博/高瀬多佳子/藤間微野 ほか
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● 第5回 ビデオアート×モダンダンス
作品 「地球は汗をかいている」
空間にビデオアートの視覚的効果をから
ませながら、そのイリュージョンの下に
うごめく現代の風景 をダンスで描く。
出演・亀ヶ谷環/柳下規夫/田口マサコ
* ビデオ指導・山口勝弘
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● 第6回 オペラとのフージョン・ワーク
作品 「影のない女」
R・シュトラウスのオペラを骨子に独自の
ダンス化を試みた。 オペラ指導 青島広志
ダンサー 若松美黄/池内新子/野坂公夫 他 |
不思議な臨場感を与えた
オペラ歌手のバレエ出演
毎回舞踊以外の分野の表現と協同して、新しい試みを発表してきたダンス・シアター・キュービック(三輝容子・主宰)の第六回公演は、2月28日新宿文化センターで行われた。
R・シュトラウス作曲のオペラ≪影のない女≫をもとに、日下四郎が台本を書き演出した。物語は現代に置き換えられ、「影」は心とか教養を象徴するものとし、原作の王と霊界のの娘である王妃は、現代の金持ちの男とその女という設定にしてある。プログラムの解説によると、物語は”パトロンの力を踏み台に野望をとげた女が、金と権力で心を買おうとして失敗し、愛の尊さにめざめた貧しい夫婦が、再び幸せをとりもどす”となっている。
これを読んで舞台をみていると、”ああ、なるほど”と初めて解せる部分などがあり、舞台上の表現だけでは、必ずしも作者の意図が完全に伝わったとはいいにくいだろう。
先に不満を言ってしまうなら、例えば序曲から第一章で、主人公である「女」と「影」(群舞)との関係、メフィストと影との関係、そしてそれらがどう進行しているのかがもう少しはっきり見えると、観客も最初からもっと引き込まれただろう。
また”若い職人とその妻”の第三章は「不満を持った女房に」とあるが、その雰囲気があまりなく、したがって「メフィストとの取引の結果」という重大な背景が浮かばず、女房は美少年の誘惑にたまたまのったように見えたりもする。ついでに贅沢な不満をもう一つ言えば「女(坂本信子)」と「女房(新子池内)」が同じような感じなのが惜しい。一方は金持ちないしは権力者の愛人、他方は貧乏な若い職人の女房という対照が、衣装、踊り、身体つき、本人の個性等にもっと鮮明に出ていて、それが二人の共通点――自己の欲を露呈する――ところにくると”よく似た女”に見えてくる、という風になればもっと面白かったのではないかと思う。
金持ちの男(若松美黄)の優雅な暮らしと、貧乏な若者(望月辰夫)の対比はそれぞれが個性をうまく生かして成功した。特に、手抜きなしにかちっと踊った望月辰夫は、職人らしく真面目で純粋で、生命力のある若者像をくっきり描いて、劇中唯一の救いあるさわやかな人物を印象づけた。それがクライカックスの、メフィストとの対決で彼が勝利する際の説得力になっている。二人のこの闘いの場面の緊張感は、メフィスト役の野坂公夫(好演)と望月辰夫と振付者(三輝容子)の三者の力量が一体となって生まれた、見ごたえのある場面であった。
全体の筋運び、振付は、ともに起承転結のめりはりのきいた手慣れた仕上げで、主役五人の水準の高さが作品を無理なく進行させた。加えて伴奏以上の効果を上げた音楽の貢献も特筆したい。オペラ+ダンスフュージョン・ワークと銘うったとおり、背景に歌手が登壇して、踊る二組の男女のせりふの部分を担って歌った。テノール丹羽勝海、ソプラノ清水邦子、アルト内田裕子、バリトン山本隆則のいずれも躍り手のそれぞれの役柄に魅力と個性を倍加した。人間以外の力――メフィストとか神といった彼らのせりふ霊界からの力――に動かされる人間を演じる舞台上の踊り手を、実はこの歌声が動かしている――つまり彼らのせりふ(歌声)がそのまま霊界からの声のようにも聞こえ、踊りと一体となって響く生の声の迫力は、不思議な臨場感を与えた。
ただ残念なことは、「男は石になる」と日本語で歌いながら、あとの言葉は全部ドイツ語という点である。先般のベジャールの≪魔的≫など、本来欧州人を対象につくられているので、仏語でも仕方がないと思うが、日本人を対象に作ったのなら、日本語で語りかける努力をしてもらいたいと思う。意味などわからなくてもよいというなら、せりふなどいらない。演劇、オペラにない舞踊の良さは、言葉の障害がないという点であり、言葉というものの文学性から脱却した芸術として完成された分野である。そこに言葉を再度加える以上、言葉の効果を完全に生かしたものであってほしい。オペラもシャンソンも不自由を承知でなんとか日本語に直して日本に紹介した先達の努力のおかげでここまで普及したのだと私は信じている。ごく普通の日本人が抵抗感なく受け入れ、愛することが出来るもの(舞踊もその一つである)を目指すなら、日本語を使うのが一番自然であり、自然なものは一旦受け入れられれば定着してゆく。定着が積み上げられなければ伝統はいつまでたっても築けない。
毎回新しい試みに挑戦し、それなりに成果を上げてきたダンスシアター・キュービックがまた言葉を使うような企画がある時は、ぜひ日本語に挑戦してもらいたいと思う。
伊地知優子 『音楽の友』 舞踊ニュース 1983年5月号
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● 第7回 古典落語を現代舞踊へ
作品 ① 「じゅげーむ(寿限無)」
(矢野通子・振付)
② 「死神白書」(金井芙三枝・振付)
二作とも落語ネタをモダンダンスで表現
田口マサコ/榎本妃佐子/望月辰夫 ほか
* 落語・古今亭志ん馬 古今亭八朝
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面白かった実験
第7回トータルアピール展
三輝容子の主宰するダンスシアター・キュービックが、第7回公演として、文化庁助成により、落語をテーマに公演を行った。落語とモダンダンスという、一見、何の関係もない素材のかみ合わせというのは、何としてもユニークで、現代舞踊の新しいジャンルへの挑戦として、また貴重な実験として注目に値する試みである。
”じゅげーむ”と”死神白書”は、それぞれが異なったスタイルで落語を取り上げたところにコントラストもあり観客としても、楽しめるものになった。
矢野通子振付、三輝容子演出の”じゅげーむ”は、パーカッションの音が落語の感覚を捉え、それがダンサーの空間における動きの面白さに対比し、古今亭八朝の声と音がオーバーラップして、さらっとしたなかにウーモアとウイットが感じとられた。田口マサコ、榎本妃佐子、大貫泰子、 志村恵子と達者なダンサーたちのボキャブラリーも豊富である。
金井芙三枝構成・振付”死神白書”は、古典落語”死神”を現代の世相におきかえた金井一流のパロディー化である。上手に時折八朝が座って落語を語ると、それに呼応した舞台が、死神(望月辰夫)を中心に、さまざまな場面、”ジョッギング”とか”社交ダンス”、さては”暴走族”と、若者と老人が巧みにからみ合って進行する。
小山令子、武元加寿子、波場千恵子、潮田満里、高橋厚子など金井カンパニーのベテランたちが面白い演技を見せ、ラストの”軍備制限交渉”などは、r-ダー、重役など男性陣も活躍し、この風刺劇の結末をつけた。次回の公演は何が飛び出すか、楽しみである。(2月14日・郵便貯金ホール)
早川俊雄 週刊音楽新聞 昭和59年3月18日
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● 第8回 交錯する能とダンス
作品 「新・」生田川」-やせた聖女-
能楽”求塚”などでもよく知られる地方伝説を
ダンスの視点から新たに激しく造形してみた。
出演 小池幸子/神雄二/望月辰夫 ほか
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舞台機構を存分に駆使した
「新・生田川」
キュービックのトータルアッピール展8
ダンス・シアター・キュービックのトータル・アッピール展8回は、日下四郎台本・演出、三輝容子厚生・振付の「新・生田川」全7景であった。
小池幸子が芦屋乙女を演じ、それをめぐる二人の男に神雄二、望月辰夫を配して舞台の骨組みをこしらえている。キュービックのやり方の特徴となっている大掛かりな群舞が、もちろん随所に登場する。乙女の死、それを追う二人の男の死までは、しごくおとなしい舞台進行である。しかし第5景、地獄のシーンからは、舞台機構を存分に駆使したトータルな攻め方となる。池田貞臣を現実との接点にして、地獄の苦しみ宇宙的なエロスの世界にまで発展させている。能の「求塚」のことを想像していると、このあたりは拒否反応を起こすことにもなりかねない。しかし、男女の愛と憎悪の世界にはむしろこの景色の方が合うということであろう。
主演の小池は、女のいろいろな側面をそのシーンに応じて使い分け、ベテランぶりを示している。特に責めのあたりのエロティシズム、その後に続くカタルシスでの彼女の演技は、作者の意図をよく体現するものとなっている。しかし、さらに欲を言うならば、二人の男性との舞踊シーンで、きちんとした様式感のある動きの流れを見たかったと思う。
全体の印象としては、まとまりの良い舞踊劇になっているので、観客には分かりやすかったと思う。しかしもう一歩踏み込んで見る者の心を底からゆすぶるには、群舞と中心の四人の顔合わせをもっと緊密なものとするべきではあるまいか。(6月4日郵便貯金ホール)
山野博大 週刊 オン★ステージ新聞 昭和59年7月6日
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● 第9回 ダンス・エ・パロール ×E・サティ
作品 「奇妙なボンネット」
夢の街は三丁目、イロニーとユーモアの
作曲家サティの音楽を用いて、青春オペラ
「ラ・ボエーム」をダンスの世界へ。
出演 : 本間祥公、溝下司朗、田口マサコ 他
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● 第10回 バレエリュッスの現代化パロディ
作品 「体育館のペトルーシュカ」
ストラヴィンスキーの原曲を用いながら
バスケットボール決戦のウラで進行する
奸計と恋のものがたり…
出演 : 堀登、花輪洋治、平多実千子 他 |
揺るがぬスタッフの協力
ダンス・シアターキュービック公演
年一回のダンス・シアター・キュービック公演が十回目を迎えての「体育館のペトry-シュカ」は、人形芝居のペトリューシュカを、バスケットボールの花形選手に置き換えたのがなんともしゃれた発想で、現代の息吹を伝えるのに成功した。
キュービックは、モダンダンスを中核に据えながらも、文楽、能、落語、オペラ、ビデオアートといった他ジャンルを次々と抱き込み、<トータル・アピール展>と銘うって、その魅力の増幅を一貫して念願してきた。
試みのすべてがうまくいったとは言わないが、「先人の糟粕(そうはく)をなめる」ことを潔しとせず、「不易と流行」の流行、独創的新味、冠した名を偽らぬモダンさを追求した努力の数々は、誰もがみとめるだろう。
今回は,他との接点は一応さしおいて、ストラビンスキーの音楽による名作を、新たな視点から再活性化した。タイトル・ロールが、ちやほらされるスター選手(堀登)、ムーア人が対抗チームの主将(花輪洋治)、ペトリューシュカの恋したバレリーナが自軍のチアリーダーという設定だ。
青色の堀チームに赤の花輪側。それぞれ同色のポンポンを持ったチアガールの群舞を後景に配した試合の展開は、巧みに舞踊化され、時にスロー・モーション技法を入れて興趣十分。前景と後景の間に紗幕(しゃまく)を使い、スポットで点景をはさみ、空間的、ムード的に細かく緩急をつける。結局、策謀で堀側は敗れ、幕切れで、ガランとした無人の体育館にバスケットボールが一個投げ入れられる。いっときの光栄少なかったのむなしい響き。変わらぬ女の真情との対比が象徴的に暗示された。
田口マサコ、青木健の助演を含め、出演者が役柄にはまり、他流試合の少なかった平多の起用も新鮮。だが最大の得点は、構成振り付けの三輝容子、台本演出の日下四郎、振り付け補佐の矢野通子という発足以来のトリオの、水ももらさぬ、絶えて揺るがぬ協力だろう。(十九日・郵便貯金ホール)
木村英二 読売新聞 昭和61年6月30日 夕刊
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● 第11回 舞踊版<狂言集成>10周年記念
作品 「じゅげーむ」-1984 矢野通子-
「新しい傘」-1981三輝容子-
「わわしい女たち」 新作 日下四郎
出演 地主律子、、花輪洋治、青木健 ほか |
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● 第12回 ヒンデミット・オペラの視覚化
作品「四季-レ・セゾン-」 矢野通子 振付
「三つの椅子」 三輝容子 振付
「U ターン-彼女の場合ー」 日下四郎 演出
出演 武元賀壽子、膳亀利次郎、高瀬多佳子
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● 第13回 ダンスが覗いた異説の古典文学
作品 「虫めづる姫君」
中世文学の傑作《堤中納言物語》の中から
”虫めづる姫君”を選び、これを現代風に
アレンジ、パロディ化してみました
出演 本間祥公、望月辰夫、膳亀利次郎 他
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