愚かな三流国への兆候
冗談ではない。最近の安倍首相を主犯とする一連の発言と人事には、なにやら鳥肌の立つ危機感をすら覚える。特定秘密保護法の制定はもとより、集団自衛権解釈を巡る本人の反立憲主義的発言、一連のおともだち人事の結果登場したNHK会長の浅はかな言論思想、同じく経営委員メンバーの下劣な他人誹謗の暴言。すべてこれまでには考えられなかったシロウトレベルの人材登用であり、思考力の停止そのものだ。そこへまた内閣補佐官のDISAPPOINTED表現をめぐる迷論愚行が浮上した。ユウチュウブにUPして、次元の低い”反ともだち”発言だと米大使館へ陳情に行っていたという事実も明らかになった。どれもこれも何の国際感覚もない、何の勉強もしてこなかった超三流の人間・政治家と評する以外にない。そしてそのあとに続くのは、決まったように官房長官による”個人的思考”という逃げ口上と釈明。かくして奇怪なこの国の逆戻り立国で、この先安倍の言う”美しい国ニッポン”の再来が実現すると言うのであろうか。何ともイライラしてしまう。危ういかなニッポン!(2/3日)
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メディアの責任と最近の傾向
その昔大学を出て勤め口を探したとき、私はNHKを避けてTBSを選んだ。理由は簡単である。政府と密着した官制の放送局は、戦時中国策に奉仕して、みごと国を敗戦へ導いた。その点企業がスポンサーの民間放送には言論の自由があるから大丈夫だと。しかし現実にはそう簡単に事は運ばなかった。金の怖さを改めて知ったのである。同時に輿論の形成にとって、メディアの力がいかに大切かを、あらためて知らされた。その後故あって私は情報世界から足を洗い、いわばノンポリ世界といえる舞台関係の仕事に専念したのだが、最近戻ってみて、世の中がいかに狭いナショナリズムに陥り右傾化しているかに大いに危惧の念を抱いている。アベノミクスの行政に、楯突くメディアが次第に細っていくのだ。インターネットの世界はまだ五分五分だが、怖いのは出版系の週刊誌。「”中国”与太者の原理」だの、「利用される日本人売国学者」、「慰安婦デタラメ報告書」等々、口ぎたなく相手をののしることで、メディア信仰レベル層の無意識域を操作する。そこまで言えない放送局は、ひたすら衆愚をあおるゲラゲラ笑いの、エンタメ番組作りにもっぱら精を出している。(3/21日)
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三流国もまた良きかな
前々回のこの欄で、”愚かな三流国への兆候”と題して一文を記したが、最近内田樹氏のエッセー集「おじさん的思考」という文庫本を読んでいたら、その中に「老人国へ向けてのロールモデル」という文章に出合い、なるほどるほどと思わず膝を叩いて感じ入ってしまった。彼は「日本は今”弱小国”になろうとしている」と断じた上で、それは栄枯盛衰、歴史上当たり前の現象であり、それゆえ今こそわれわれの知的努力は、「傾いた屋根の下で、雨漏りやすきま風に文句をつけながらも、快適に暮らせるような”生活の知恵”の涵養」にあると言う。「小さくてもほっこりした国」がほしいのだ。ある種の思想転換だということが出来るだろう。もちろんこの文章には多分にアイロニカルに説いた一面もある。しかしこれであのアベシンゾウさんの「美しい国ニッポン」が、いかに歴史と時代を読み違えたドンキホーテ的発想であり、そんな掛け声にリードされる必要など一切ないことがよくわかるではないか。とたんに胸のなかがスッキリしてくる。内田さん、どうもありがとう。(4/27日)
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迷走一路の集団的自衛権論
あっという間に過ぎ去った1か月。春から夏への、例年になく乱調気味だったこの間の天候に似て、日本をとりまくアジア情勢もいよいよ慌ただしさを加えている。ミヤンマーの政変、タイのクーデタ、新疆ウイグル地区のテロ、中国とrosiaの接近などなど。その間隙を縫うように、わが安倍首相もいよいよ張り切って、世界各国の訪問を積み重ねている。その行動を貫くひそかな心情は、おそらく今後に見る日本の軍事力強化へのひそかな期待だろう。国会での答弁に見える、子供っぽいまでのその集団的自衛権の論理。「邦人なしでも米艦護衛」だって?「日本人を載せた船なら、どの国でも攻撃対象」だって?12のケースを並べたいわゆるグレーゾーンの絵解き。軍国少年の育成ではあるまいし、戦争はいかなるはずみでも起こるという歴史の第1条もご存じない。やっぱりこの人は戦争をしたくてしようがないガキなのだ。それがカッコいい国の姿だと思っている古物なのだ。ところでここへ昨日また維新の会の分党騒ぎが起こった。どうなる国会の過半数あらそい。石原新党の与党参加?こうなりゃ次はいよいよ公明党の歴史的役割りが問われる番だろう。もう一度くり返す、戦争と理屈の共生はあり得ない。ガンバレみんな!ここが正念場だ(5/30日)
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