とびとび日記のページ 本文へジャンプ
不定期ジャーナル

              2018

 ■ また一つ敷居を越えた
 
 今ではほぼ私の全生活空間になったマンション3部屋の内の一つ、まっすぐ東の空に面した6Fベッドルームからみる毎朝の風景は、今でもなかなかの見ものだ。大仰にいえば1年を通して、その日の天候、雲の流れ、日の出時間の差などによって微妙にタッチの違う、自然が恵んでくれる365枚の芸術作品ともいえる。
 その1枚、今朝も色づき始めた雲一つない空のアートを目にして、さて遅れてはならじと杖を片手にマンションを後にした。行く先は1500メートル先にある熊野神社。なーに、これが日課だなんてとんでもない。2018年1月1日。元旦はこの初詣がいつしか我が家のしきたりなのだ。
 ソロリソロリ。右、左と一歩づつ、杖にすがりながらゆっくり府中街道を南下する。大丈夫かな?自信はなかった。それでも途中一か所から見える雪渓の富士の雄姿に励まされ、ようやく社殿に柏手を打つことができて、往復1時間15分、ふたたびマンションの我が家に帰って来ることができてホッとした。
 思えば一昨年の暮、この書斎で喪中の賀状をしたためていた私に、さらに1年先の正月を迎える自信はほとんどなかった。だがいま私はこの日記をしたためている。そしてこのあと知人たちから受け取った年賀状に、あちこち返信の礼状をしたためることになるだろう、それが今日これからのわたしの日課だ。また敷居をひとつ超えてしまった想いにとらわれている。(1月1日)

 ■ 物騒な1年の始まり
 
 「いよいよぶっそうな平成の最後の1年が始まります」。これは私が今年出した年賀状にしたためた文中の一行である。昨年の選挙では野党がだらしないばっかりに、自民党は労せず議席を増やし、今年に入ってシンゾーさんはいよいよ改憲の時来ると胸を張って年頭のあいさつで述べた。今や一触即発の北朝鮮問題。日米は100%意見を共にすると公言してはばからない政府は、アメリカを 口実になんとか戦争をしたいと念じているとしか思えない。これらの動きに対しマスコミの反応はどうか。一部の新聞はだまって賛意を表し、リベラルをもって認ずる他の一般紙も、それなりにお行儀のいい異論を並べているが、そこにはあきらかに及び腰の空気が漂う。そしてテレビはといえば、どのチャンネルをひねってもわが身に迫るこの種の問題を、ただゲラゲラとお笑い番組の素材にオモチャにするだけで、まともな報道番組はほとんどゼロ。一体かれらの本心はどこにありや。そこで参考までにインターネットでYouTubeをのぞいてみて驚いた。目に飛び込んでくる投稿の大部分がすべてあの”ネットウヨ”と呼ばれる一派の手になるリベラル罵倒の大合唱ばかり。そこでは日頃マスコミで正論を吐く学者やジャーナリスト連中がすべて”パヨク”の蔑称でさげすまれ、「サンデーモーニング」や「報道ステーション」などごく一般的なニュースショウまでもが、すべて偏向番組として非難の対象になっている。なんという物騒でおぞましい風景。これはもしかして、既にいつか来たあの太平洋戦争前夜の不気味で息苦しい一時期、「もの言えぬ時代」が再来実現しているのではないだろうか。(1月15日)

 ■  ”いま浦島”の旧友3人会
 
 毎年春と夏の2回、3人で顔を合わし下町で一杯やるというのが、高校・大学時代からの友人、SとRと私によって続けられてきた自称「山利喜」会である。だが最近になってお互いの身内に不幸が起こったりなどして流会が続き、今年は2年半ぶりの再会の筈であった。4月13日の金曜日。半月前から予約を取って、この日を待つことひさし。ところが前の日になってSから連絡が入り、持病の気管支炎の調子がわるく、申し訳ないが失礼するとドタキャンの通知あり。またしても中止だけは避けたいと、わざとRには告げないで翌日目的地の森下駅へ向かった。ところが都心の雑踏にあてられたか、久々の新宿で乗り継ぎを間違え、都営新宿線でなく大江戸線へとびのったおかげで、迂回の分だけ定刻を20分ばかり遅れてしまった。ゴメンゴメンと息せき切って店へ飛び込んだところ、当のRもまだ来ていない。どうしたものだろうと先に生ビールを注文して待つこと更に20分。ようやくくしゃくしゃの顔をした友がよろめくように入口にあらわれて曰く、「どうしてもこの店が見つからなくてね。周辺を30分以上探し回ったよ」。まあ会えてよかったと早速乾杯。でそのあと流れるように会話が弾んだかというとさにあらず。さいきん耳がとおくなった、緑内障が進んだとまずさまざま加齢現象の報告が最初にあって、そのあとの話題もあいつは死んだ、こいつもくたばったと仲間の話を引きずり出しながら、そのあいつの名前が正確に出てこない。「あいつだよあいつ、ほら髭のある」「ああ、あいつね。なまえはなんといったっけ」。何ともしまらないペースの会話の中身。これひょっとしたら4月13日の金曜日という日取りが悪かったのかも?(4月13日)

 ■ はじめて常磐ハワイセンター

 よっこら処年一回の恒例旅行だが、今年はバスツアーの企画で、福島県はいわき市にあるリゾートセンター・ハワイアンズ湯治場への一泊旅行となった。思えば私は今を去る半世紀以上の昔、テレビ取材でいわばホンモノの舞台を現地で観ていて、それとの比較に興味があった。そこで杖を片手に今年も一行に加わったのだが、結論から言うとショウとしてなかなかによく仕上がっている。そしてダンサーたちも大半が当地にある舞踊学院の卒業生だというから立派。ただその点は逆に出演者が現地のオセアニア人種でなく、唯一の芸術上での減点といえるかも。 ところで昨今あえて”スパ”を名乗るこの施設の多様と規模の大きさには驚いた。温泉は元より広大なプールを擁した娯楽設備、何棟もの宿泊ホテルまたゴルフ場などを、ただウロウロするだけでまあなんとも老人を反対にくたびれさせること。そんな中であえて江戸時代の様式を模した露天風呂”与市”は立派だった。薬草をくゆらす和風家屋の蒸し風呂と流れる滝の観景。折からの小雨をいとわず、思わず何回かの入浴を楽しんで時を過ごした。(9月30日)

 ■ 映画「ぼけますから、よろしくお願いします」

 足腰の老化がますます進行して、外出がついおっくうになり、これではならじとまずは映画行でもと、目下話題の「華氏119」を探してみた。ところが近間の映画館ではどこも上映していない。そのとき発見したのがポレポレ東中野にかかっていたこの映画、両親の昨今を自分がらみで記録するこのドキュメンタリーだった。よしこれならと半ば教養啓蒙作品を観せられるつもりで出かけたのだが、これがとんでもハップンのド迫力。ひさびさにみる気力満点のドキュメンタリー作品なのだ。老化してゆくおのれの両親を追った女性ディレクターの覚悟満点の貴重な記録フィルム。なんでも「おっぱいと東京タワー」など信友直子さんというこの監督が世に問うたいくつかの最近作はいずれも斯界で評判と話題の対象となった秀作続きらしいのだが、近年は半ば隠居の身のこちとらとしてはちっとも知らなかったというお恥ずかしいお話。たまたま上映終了後に同女の挨拶があり、そこで署名サービス付きというパンフレットを買う気になって、その時2,3言葉を交わした。なんでもフジテレビ系のチャネルとバックアップの雰囲気で活動を続けている人らしいのだが、それはともかく久々に接したドキュメンタリー世界の雰囲気に浸った貴重な午後の映画鑑賞のひと時となった。 (11月4日)

 ■ 貴重な集会”よっこら処”
 
 はや師走。俗説ではもっぱら”えらい先生”たちも走り回るいそがしい月ということだが、こちとらは先生でないせいか、年々身体の動きが鈍くなり、めったに都心へも出なくなった。そんななかで月に2回だが比較的元気な老人たちが任意に集まる”よっこら処”は、近年の私にとっては心身の得難い運動空間だ。今月も手作りの「秋の文化祭」の看板をバックに各人が好き勝手歌やら踊りやらを披露、そんな中を私も調子に乗って「寸劇」とやらを即興でやった。70年もむかし旧三高生時代にやらされた原語劇の一節。その時の台詞を今でも覚えているからだが、ギリシャ劇を模したあのサルトル原作の「LES MOUCHES(ハエ)」の一場面である。 その時の私の役は路肩に座す群衆の一人で、王様がお通りになるとき飛び出して住民たちの日ごろの苦境を訴える。ほんの30秒ほどのセリフだが、それを身振りを交えて独演したところ、なんと大うけして当日の一等賞(中身はどら焼き5ケ)をいただく結果となった。話はまだある。この熱演が尾を引いて、なんと数日後のクリスマスに地元の低学年の小学生たちのために、サンタクロースの役割を引き受ける羽目に立ち至った。とんだ老人の一挿話である。(12月25日)
                  

          2019

 ■  やんぬるかな転居3度目の越年

 マンションに移って3度めの正月を迎えた。まずはこんな筈ではなかったというのがとりあえずの心境である。希望というか予定では、そろそろくたばってこの世にはいなかったつもりが、どっこい、まだ生きている。寝室の窓から、これだけは見ごたえ十分の日の出風景を鑑賞したあと、切り餅とおすましで一人っきりのお屠蘇祝いもそこそこに、生きている以上これも型通り、毎年恒例の熊野神社さんへの初詣へ出発。杖をたよりに府中街道を南へソロリソロリ。途中一か所右手に、これも絵にかいたような雪嶺の富士をくっきり望見できる一角がある。しばし立ち止まって、その輝く全景を堪能。ふたたび歩き始めたら、西武線踏切の手前で細井さん夫婦に出会った。すでにお詣りを済ませての帰途らしい。新年のあいさつをすませ、その先さらに10数分歩き続けてコンビニ・サンクスの手前を左にまがると、その先に神社の鳥居と石階段が見えてくる。それを上がり切った正面さきが神殿である。三々五々、参詣人のあとに続いてお賽銭と柏手のマイム。何を祈るでもなくとりあえず恒例の行事をすました感じ。帰りはすでに高く上った東方の旭日を正面に見据えながら、国分寺病院まわりの裏道をたどって、ようやくわがマンションへ帰り着いたのが8時30分。出発時間は7時5分だったから、年々所要時間が伸びている勘定になる。それでも何とか新年最初の行事を終えてほっとの心境である。やれやれ。(1月1日)

 ■ セコムで金縛りの身となる 

 韓国の正月とやらで先月末から息子夫婦が帰国した。金曜日の2月1日には3人が集まり、久々に駅前の天ぷら屋で夕餉のひと時を過ごす。その時の話で私が日ごろ一人住まいの老人ゆえ、いざという時の対応が心配ゆえ、この際ぜひあのセコムの老人見回り保険に加入せよという。その流れで三日後の5日には業者がやってきて、息子の立会いの下でとうとう契約を交わす始末となった。夫婦2人はその週のうちに帰国(?)してもう日本にはいないのだが、今日13日には追いかけるようにセコムのひとたち3人がやってきて、3LDKの各所に監視カメラを含む5か所の必要器具を取り付ける。なんとその工事とともに契約は実際にスタートを切ったのだ。なんだかジョージ・オウエルのモデル空間が、突然わが身の回りに構築された思い。中で首から下げる緊急呼び出しのベルだけは、思い余ってベッド脇の壁にぶら下げることにしたので止むを得ないが、他の器具は日常なるべく目に入れないようにしようと思う。中でいささか慰めに思えた唯一の設備は、玄関ドアに取り付けられたお出かけ箱。鍵を差し込むと「いってらっしゃい」。帰宅時にはそれが「おかえりなさい」という若い女性の声に代わる。なんだか長年の探し物に出会ったようで一瞬切なかった。(2月13日)

 ■ 久々に映画を見た

 長い間劇場へ足を運んでいないことに気づき、時間があってどこかの映画を見たいと思い立ったが、さてどうしてもという作品が見当たらない。それに足が悪くて遠出はゴメンだ。パソコンと新聞などで当たってみたが、結局岩波ホールにかかっている「こどもしょくどう」に決めて出かけた。ここだと場所的にもJRと地下鉄でのりかえ一回ですむことが最後の決め手だった。作品は子供の目を通した貧富の差、社会の底をつく立派なものだが、やや周囲の人物描写が美化し過ぎていてその点がいささか気になった。主役である子供の両親は居酒屋を営んでいているのだが、わが子が自分の感情だけで次々と勝手に貧しい仲間を連れこんでも、だまって食事や部屋を与えておとがめなし。そこまではゆるせるとして、ついに子供は売上金にまで手を付けて一同旅行に出る。それでも平気なのは、ちょっと生活感がなさすぎやしないか。これが例えば山田洋次の映画なら、ここから問題が起こって新しいドラマが展開するだろう。
 ともあれ一応満足して帰路は地上をJRの水道橋まで歩いてみた。あたり一帯はまだ古書店を含む多くの本屋さんが残っており、なつかしい庶民食堂もそのままのたたずまいで軒を連ねている。昔はよく飛び込みでいっぱいひっかけに飛び込んだりしたものだった。だが今は問題外、そしてこの白山通りの700メートルの長かったこと。この日は杖を持って出かけなかったので、なおのことグッタリしてしまった。(3月29日)

 ■ 四泊五日の入院

 左眼に発生した”黄斑円孔”とやらの疾患で、何十年ぶりかの入院体験をした。場所は西新宿所在の東京医科大学病院。実は先月のこと、お決まりの風邪をひき39度の熱を出して国分寺病院で診てもらったところ、肺炎の疑いありということで入院を勧められたのだが、なんとかその時は自力で精進を誓約、ぎりぎりのところ自宅療養で切り抜けた。ところが一か月経ってまたもやこの始末。これも運命かとひとり早朝から大きなバッグを引っ提げて直行、手続きを済ました。
 ところが入ってみるとこれがなかなかの快適。日ごろ強いられている一人生活の反動か、なにもかもが看護婦さん付きでスイスイ事の運ぶ気楽さは、これいわば王者の味わう一流のホテル生活みたいだわいとひとり悦に入っていた。
 おかげで31日の午後執刀されたオペもさほど苦にならず、それなりの微痛はあったが、その間私の視界に現れた風景は、ピンセットの先端を含めてちょうど抽象画のような硝子体内部の流動ビデオそのもの。そんなヴィジョンを楽しむうちに前後10数分の執刀もあっという間に終わってしまった。
 その後3泊して家に戻ったが、留守間の整理や片付け食事など、型通りせせこましい庶民生活(?)に戻っている。問題の左眼だが、視界の方はまだぼやけていて注入したガスがまだ抜け切っていないらしい。今週6日に再診が設定れている。(6月3日)

 ■ 全身これ施薬の対象

 言葉の正確な定義では、施薬とは無料で人に薬を与えるという意味らしいが、後期高齢者の身としては、処方薬はすべて一割支払いの特権を行使しており、ある意味似たり寄ったりの身分と言えなくもない。そして昨今通院・受診している病気の種類は、眼科、歯科、心臓、整形外科、泌尿系、ペインクリニックと、まことに多肢多彩に亘っていて、毎日と言っていいぐらいそのどこかえ出向くのが日課となっているぐらい、この本人もいささかうんざりしている次第だ。
 それでいてその効果といえば、完治といえるものは一つもない。ごく最近手術を受けた左眼の”黄斑円孔”とやらも、なるほど視界の中央にあったビー玉大の黒影はなくなったものの、代わって映像の歪みは逆にひどくなったようだ。執刀医にそれを言ったら、それはどうしようもない、それは治療の対象外でそれゆえ手術は成功したのだという。睡眠中に3,4度の夜尿に悩まされ、困って訪ねた泌尿病院だったが、2か月近く薬を飲まされ、結果それが4,5度にに頻度が高まり、結論としてはここで薬をストップしたらどんな逆変化が現れるだろうかという合意で通院を止めたのだが結果はそのまま、馬鹿らしくなってそれ以後足を運んでいない。
 いや医師を責めているのではない。責任はすべて私の方にある。もっと正確に言えば”自然”こそが犯人と断じてもいいだろう。老化だ、すべての生き物は衰え、「死」にむかってまっすぐに突き進むだけだ。この大自然の法則に打ち克つ奴はどこにもいない。それを前提に老後の生き方はすべて考えるべし。「百年人生」など、どこの国のどこの鼻たれがうそぶき出した戯言だろうか。ましてやそのための貯金目標2000万円とやらに至っては。(7月1日)

 ■ 電子本になった「ナナとジャン」

  三年前前に活字本として世に出た上下2冊の読み物「ナ ナとジャン」。このおそらくは最後の私の著作であろう出版物が、縁あって今回新しい装丁の下に、1巻の電子本としてもう一度お目見えすることになった。購入定価は一括1000円也。活字本の4分の一以下の値段だが内容に書き換えや変化はない。発行は〔22世紀アート出版〕、アマゾンの扱いで同社のKindleリストに加えられた。
 昨今のIT環境になじんだ世代では、次第に電子媒体による読書の層も膨らんできたという。こういうのを正しく”本の蘇生”というのだろうか。表紙の絵も左図のとおり向かい合った若い男女のシルエットという思い切って若々しいたデザインに描き替えられた。60年以上も前の古い書き手である私としても、いささか若返った気分がしないでもない。せいぜい新しい読者層との縁ができればこんなうれしいことはない。(8月6日)

 ■ おのれの英文を和訳する

 ここ1週間おのれが書いた英文を自分で日本語に訳すという妙な作業に追われている。実は「ナナとジャン」の電子本出版で世話になった〔22世紀アート〕のN氏にすすめられ、これまでに書き散らかしたり未発表のままになっている原稿をまとめて、さらに年を明けるころ追加の出版はどうですかと打診された。冥途の土産みたいな仕事である。ところがこれが中学校時代の校友誌に掲載した詩歌や、文学青年時代の同人誌などからはじめると、けっこう纏まった量になる。そこでついつい約束してしまったのだが、そのまとめ作業中、なかに80年代に半分語学の勉強のつもりで書いたらしい十数編の英文エッセーが見つかった。読んでみると表現自体は未熟そのものだが、とりあげている題材の方はなかなかに面白い。そこで編集者の意向でそれらに日本語訳を添えて取り上げてみてはどうかということになった。その結果今その英文をなんとそれを書いたご本人が日本語に移し替えるという妙な作業が始まったのである。全部で16本、邦訳にして1本500字前後の短いものだが、そこはそれ盛りを過ぎた老体には軽い仕事とは言えず、毎朝午前中の時間いっぱいを当てて1稿仕上げるのが精いっぱいのペース。それでも自分ながらやっぱり日本人には日本語の文章の方がはるかに向いているなど、あたりまえのことを妙に感心つつ、毎日せいいっぱいパソコンに向かって自文自訳の業を打ち続けているところである。(10月7日)

 ■ おしまいを迎えてしまった

 おしまいというのはわたしの寿命のことではなく、単なる年末の意味。きよう2019年12月31日は、朝からここ数日書き続けている現代舞踊協会への原稿をやっと書き終え、やれやれと開放気分で立川まで出て、しばらくぶりに映画を見てきた。山田洋次監督の「お帰り寅さん」である。過去の”男はつらいよ”シリーズで活躍した渥美清のカットを巧みに生かし、今の時代の柴又ストーリーをあらたに作り出した。劇中に倍賞千恵子はもちろん、若き日の浅丘るりとか吉永小百合、山本富士子、新玉三千代、大原麗子などが次々に出てくるだけでも、われわれ中老の世代を喜ばせるに十分だが、新しいストーリーの方でも、相変わらず独自の泣き笑いで日本人の心情をくすぐる点は、いかにもこの監督らしい職人芸だ。たしか私より1,2歳若いだけの東大出だが、ひょうひょうたる外貌に似合わず、その創作欲とエネルギーは大したもの。それに比べてコチトラは、たかだか3200字の原稿作成にふーふー。つくずく中古車になりさがったことを実感している。駅まで自転車を利用したせいもあるが、帰路どこかで一杯ひっかける元気もなく、3000円で仕入れたお節料理の材料を木箱に並べて、ひとりチビリチビリ。そのあと「紅白」はもちろん、除夜の鐘も聞かずにお休みとは、いささかわびしい今日一日大みそかの締めくくりでした。(12月31日)

 
          2020

 ■  サウナ湯さがし徒労の記

 わたしの生活圏である国分寺市にサウナ風呂がなくなって以来、ここ数年不便を承知で三鷹市の「あさひ湯」なる銭湯に月2〜3回のペースで通っている。誰に紹介されたか、たぶん調布市に住居を構えていた息子の推薦がきっかけだったかと思う。しかしこのところかっきり足腰が弱り、息子一家も夫婦で韓国ソウル勤務になったこともあってか、バス・JR乗り継ぎの遠距離入湯行が次第におっくうになってきた。
 そこで一念発起。もっと近くに手軽に入れる銭湯併営のサウナなどないものかと、ネットで検索してみたところ、立川駅南口から徒歩500メートルあたりにT湯、国分寺駅南口からバスに乗って3ストップ目の沿道沿いにM湯と、計2軒のサウナ付の銭湯があるらしい。早速あたってみようと今日は天気も良く、特別の予定もないところから散歩のつもりもかねて昼食後13時過ぎに家を出た。まず初めに立川へ出てT湯の所在を確かめ、そのあと国分寺へまわってM湯でゆっくりサウナを楽しんでから、かえりは駅の天ぷら店で一杯という皮算用だったのである。
 ところがこれがなかなかの難苦行。スマホの地図でたしかめながら歩き出したつもりが、どっこい近くへきてもそう簡単に敵サンは見つからない。電話をしても不在。結局行きずりや小さなお店をたたいて訊ねまわった結果、すぐ目の前にあるレンガつくりの角の家がそうだとわかったのがほぼ14時半。鎧戸がおりていて上に15時開店と書かれている。あとの予定があるのでそのまま引き返し、再び国分寺駅南口からバスに乗って間違いなく3つ目で下車、比較的楽にM湯は見つかったが、こちらの開店は16時からとある。やむなく30分ばかりをあたりのコンピュータや百円ショップで費やし、ようやく時間が来てそれとばかり飛び込んだところ、なんとこちらのサウナはカマが壊れて目下休業中だという。ギャフン!これには参ってもはやどこへ出かける気力も消え失せ、バスへ乗ってまっすぐ家へ帰ってきた。(1月21日)

 ■ スワ救急車で病院へ

 生まれて初めて救急車に乗った。いや運転台にではない、れっきとした(?)患者としてである。
 話というのはこうだ。先日ことしに入って最初の「よっこら処」の会合があり、その席上リーダーの植田氏から脳梗塞の話があった。なんでも暮れに同氏が立ち会った体験報告で、”頭痛が続いたり”、”ロレツガ回りにくく”、また”よだれが出たりする”場合は十分にその可能性があると。
 ところが実はその通りの軽い症状がここ数日わたしの身にも起こっていたのだ。頭が痛く連日熱もないのにカラ咳がおさまらない。口もとがたよりない。そこで気になって前回目の手術で入院した日本医科大学病院に電話で相談してみたたところ、もっと近い場所がいいのではと、アドバイスとして#7119の存在を教えてくれた。だがとりあえずその日はそれで終ったのだ。
 ところが翌朝になっても頭痛は治まらない。そこで起き抜けに上記の番号を呼び出して症状を伝えたところ、生活環境などを訊かれ独り住まいだとわかると、立ちどころに「今すぐ手配しますから」と、なんと10分もたたぬうちにわがマンションの玄関に救急車が横付けになっていた。
 こうしてあっという間にわたしは立川病院のER室へと運ばれ、有無を言わせずMRIとCTによる脳内チェックを受ける身とはなったのだ。しかし幸にも結果は合格点。異常なしのハンコを押され、帰りは反対にひとりでバスと電車で、1時半ごろにはもうわが家へとたどり着いていた。病院のベッドで生まれて初めて尿瓶を使う体験など、ふり返るとなんだか夢を見ていたような、そのくせどこかで思わぬ一等くじを引き当てたような、実に奇妙な気分を味わうこの日の体験だった。(1月24日)

 ■ 自転車取り違え騒動記

 規格品が人間をまどわす、といえばある意味逃げ口上になるだろう。しかし実際にそんなミスが起こって、思いもかけず余計な迷惑を人にかけてしまった。今日の午後は天気も良く、久々に思い立って、自転車で市営プールへ。一時間ほど遊泳したあと帰りみちにちょっと恋ヶ窪図書館へ寄り道をして気になっていた雑誌を拾い読みした後、さて帰ろうとして玄関わきに置いた自転車に乗ろうとしたところ、どうしたわけかカギが効かない。いっくら差し込んでもそれっきりでストッパーが撥ねないのだ。こいつには参った。やむなく1キロ近く先にある修理屋まで、文字通りウンウン唸りながら車体を引きずるようにして持ち込み、とにかく部品を取り換えてくれと依頼したうえ家まで歩いて帰った。ところがそのあと30分ほどして、自転車屋から電話が入って曰く、「あなたは他人の自転車を持ち込んでいます」。何のことかとあわてて駆け戻ったところ、そこに本来の自転車所有者だという女性が、半ばあきれ顔でげんなりした様子で仲間の若い友人2人と並んで私を待っていた。みんなで探し回ったのだという。「そっくりですが、あなたの自転車のサドルは褐色、わたしのは黒です」。いずれもパナソニック製品で、その他の部分もバッテリーはもとより前後の荷台まで酷似した2台の電動アシスト自転車。しかし間違えた犯人は私に違いなく、日曜日で入口脇が込んでいて、ついいつもと少し離れたところに置いたことをすっかり失念しての失敗だった。平謝りに謝った末、すり減ったタイヤの取り換え代金5,500円也を支払って、なんとかその場を勘弁してもらった。以上お粗末の一席。(2月2日)

 ■ コロナ騒動下の花見

 新型コロナウイルスの蔓延で、今年の春は世界中が大騒動。海を隔てた極東の列島国ニッポンでもこの春は例年のお花見や野外酒はさっぱり。そんななかを昨日京都に住む中学時代からの友人Kから封書が届いた。開けてみると中から左のような
一枚の写真が飛び出し、覚えのある直筆の説明に曰く。
 「(前略)当方の門前の桜 ? ようやく、写真の姿になりました。約50年前、この場所へ新築移転して程なく、子供たちと宝ヶ池へ行き、子供が手に握って帰ってきたサクランボ ? の数粒を庭先に植えたのがこの大木に成長したものです。花を最初に咲かせたのは7〜8年ほど経ってからでした。今では1本のみの大樹ですが、毎年この状態で咲いてくれます。丁度昨3月28日がこの写真です。ご笑納ください」 とあった。
 Kとよく交友したのは戦争中から戦後にかけて、それも烏丸・松原通りといういわば京の街のど真ん中界隈だったから、今彼の住む嵐山に近い等持院の新居のことはほとんど知らない。二度ばかり訪ねて行ったことはあるのだが、季節も別で前庭に植わったこの桜の木については、全くと言っていいほど記憶にない。まだ苗木のころだったか、または全然季節がはずれていたのか。
 いずれにしてもこの春はKもまたコロナ騒動に襲撃され、いつになく心傷ついているのに違いない。そして遠く東都にあって同じく蟄居を強いられているだろう旧友の上に思いをはせ、せめてわが家に花咲いた一本の桜情報をお裾分けにと知らせてくれたのに違いない。うれしい限りだ。(4月3日)

 ■ 久米ジョッキーの新鮮

 radikoというアプリがあって、これを活用すると聴き落としたラジオ番組をもう一度呼び起こして耳でたしかめることが可能であることを最近知った。並行してその昔テレビ朝日の報道番組 『ニュース・ステーション』 で、名キャスターとしてその声価を高めた元アナウンサーの久米宏さんが、その後古巣のTBSで『久米宏のラジオなんですけど』という週1回の番組を出していることは早くから知っていたが、まだこれまで一度も聴いたことはなかった。
 ところが最近友人からこの番組での久米の反オリンピック論が立派だと聞いて、きょう日曜日の午後、その気になって前日に生放送されたその中身を頭から聞いてみた。いや、さすが名刀いまだ衰えず。おもしろくて鋭く新鮮、でなくとも目下列島ともども世界中はコロナ騒動の真さい中、問題と料理ネタには事欠かない、あいまいで口先だけのその行政は、アベマスクの思い付き発想と10万円申請の書類未着が、いつわらざるそのタネアカシであると、パートナー堀井アナを巻き込んで、知的で皮肉、開放的かつおトボケ哄笑の連発だ。
 ただしそのオモシロさは今や地上波テレビなどでそれがゲネラル・バスとなったわれらが放送界持病のゲラゲラ笑いとは違い、十分に知的で皮肉っぽく,そのくせその視点があくまで市民とお茶の間レベルから決して離れないところがこの番組の見事なレゾン・デートルとなっている。いやあ、ひさびさに鬱屈しないで自由闊達なおしゃべりが、そっくりそのまま批評言辞として通用する、あの自由で明るいかつての時代に立ち戻ったすがすがしさを覚え、とうとう丸2時間をノンストップで一気に聴き通してしまったという、以上ご報告まで。(5月10日)

 ■ 息吹き返しの革新飲み屋を発見

  新型コロナへの対策として、今から2か月近くも前になる4月の7日、あわただしく発せられたあの緊急事態宣言。あれ以来世の中は一変、いわば死んだように静まり返っている。日ごろ在宅ペースのわたしのケースとしては、正直それほど劇的な変化があったわけではないが、それでも時に出向いたプールやサウナ、また月2回の”よっこら処”集会などからもすっかり締め出され、やっぱり連日の息苦しさには少なからず苦しめられていた。そしてその間夢見たたった一つのささやかな願い。それは居酒屋での焼き鳥のおつまみで飲む生ビールの一杯だったのだ。
 それをたまたま電話してきた遠隔の友人に伝えたところ、それなら生の鶏肉を買ってきて、それを焼いて家で一杯やれば事態は解決すると云う。ところがそれではダメなのだ。あの居酒屋独自の匂いと立ち込めた空気。あれがなくっちゃ始まらない。
 そこへ今週の月曜日、首相が一都三県を含む緊急宣言の全面解除を約束した。よし、それなら一軒ぐらいさっそく暖簾を上げて客寄せを始めているだろう。そこでバスで駅前まで出てみた。だが街はまだひっそりとしている。そしてなじみの居酒屋の扉には「6月1日より営業」の張り紙が一枚。がっかりして裏道を斜めに引き返そうとした目の前に、なんと「一生懸命営業中」の看板を下げた小さな一軒を発見したのだ。まっすぐに飛び込む。中には三々五々、先客が数人と係りのお姐えちゃんが一人。
 こうしてようやく私の渇は癒された。ネギま、皮、もも肉の焼き鳥3本。そして一気に飲み干すドラフトビアの口当たり。そのあと追加の日本酒が、マス受け皿で出てきたことも感激。さらに勘定が予想外に安い。見上げると勘定所の張り板に、「当店では税金・サービス料をいっさい戴いておりません」と書かれてあった。ウムゥムー (5月28日)

 ■ わたしの「心の旅路」

  2月以来の”コロナ旋風”のせいで、この国の放送番組に起こった異変――それは過去の番組の再放送である。大河ドラマの新作延期など、一見アナ埋めのように思えるこの措置だが、皮肉なことにこれが意外とプラスの一面を持っていて、テレビ文化も捨てたものではないと、もう一度思い直す気分にもなっている。〔映像の世紀〕や〔BSドキュメンタリー〕など、レパートリーの豊富なNHK系列はこの点断然有利なわけだが、先日その一つ〔プレミアム シネマ〕で、昔なつかしいグリア・ガースンの「心の旅路」に行き当たった。
 この映画は今から75年前ものむかし、当時まだ中学生だったわたしが、ディアナ・ダービンの「春の序曲」やビング・クロスビーの「わが道を往く」とともに、戦後最初に接したアメリカ映画の内の1本なのだが、中身はイギリス上流企業の紳士が、戦争のあおりで失った記憶を取り戻し、ショー・ガール出の女性と幸せを取り戻すロマン。
 当時何がショックだったといって、人間たちがこんなに自由に振舞う社会が海の向こうには存在したということ、そしてこの映画が戦争中の1942年に作られていたという事を知って、文字通りわたしの心は言葉を失い圧倒されていた。
 幼い心にとって一切の価値が見事に崩壊した終戦直後の数か月。先生や学校がこれまで教えてくれたことはみんなウソだった。泣きたいようで悔しい、あの時代への記憶がまざまざと脳裏によみがえったのである。これ、見事にわたしの「心の旅路」だったと言えないだろうか。(7月7日)

 ■ 4ケ月?ぶりのプール

  思えば4ケ月ぶりの入水だった。いや他でもない、ここ数年わたしの健康法の一つになっていた市営プール行の話だが、目下の対コロナ行政のおかげで、3月に入ってから入館禁止となり、それ以来すっかり水泳とはご無沙汰になっていた。それがこの7月1日に再開されたことを知り、そのうちにぜひにと思いながら、なんでも入場者は40名を上限とし、脱衣場への出入りも人数制限があることを知り、ついつい億劫になっていた。
  そこへ今日は土曜日だが、午後の早い時間でもあり、ダメならそのまま他の用事へ切り替えるつもりで自転車で覗いてみたところ、幸い問題なく入れた。ただ受付では自署の入場用紙を書かされ、また脱衣場はシャワーもなく入室も監視の下、3名に限られていたが、それも無事通過、ようやく待望のプールとの再会が果たされたという次第。とは言え、膝を痛めてからというもの最近では水中歩きが主で、ほぼ1時間の入場中せいぜい水泳の名に値する動きは、背泳ぎで25メートル巾の水路の往復がせいぜい。それも今回は途中でなんだか脚の筋肉が攣ったりして危うかったが、どうやら最低のノルマは果たしたつもりで終えた。
 再び自転車に乗って家へ帰ってきたが、おかげでやっぱり体が軽くなった思いでおまけに腹も減り、夕食は自前の肉丼にビールを添えながらゆっくりプロ野球の中継を楽しんだ。それどこのチームだって?もちろんヤクルト・スワローズ、そして相手は広島カープ。若手4番の村上選手、山田選手の復活、そして外国選手エスコバーの活躍で、みごと9−5とヤクルトの快勝。ヘルシー&ハピーの今日一日でした。(7月18日)

 ■ 元大関の復活優勝

 
序二段まで転落した元大関の照ノ富士が、幕尻2枚目の地位にあってきょう12勝3敗の星を残して念願の復活優勝を果たした。大したもんである。わたしは昔からこういうのが大好きだ。とたんに今から80年前、当時無敵の連勝を続けていた横綱双葉山が、70連勝を目の前に一敗地にまみれた場所のことを思い出した。
 連勝をストップしたのは出羽の海部屋の安芸の海。そのころまだ小学校の生徒だったわたしだが、なんと大の相撲ファンで、場所が始まるとその頃は大きなラッパ型のラジオにしがみついて、連日実況中継に耳を傾けていたものだ。そしてわたしにとって記憶に残るこの場所の思い出は、実は双葉山の敗北と並んでその場所の優勝者、それも何と幕内どん尻で全勝優勝を遂げた出羽湊という力士のことだった。中背痩躯のワザ師、連日上位の力士を次々になぎ倒した。その彼もやはり安芸の海と同じ出羽の海部屋の出身だったものだから、以来わたしはすっかり出羽の海部屋の大ファンになってしまったのだ。
 それから80年、照ノ富士の復活優勝である。そしてその受賞後の態度が立派。たかぶらず感情におぼれず、じつに淡々としている。感極まって涙を見せることもなければ、偉ぶって反り返る様子もない。「一日一日の勝負が、結果として優勝につながった」と淡々と答える。当たり前といえば当たり前の話だが、そこには人知れず闘った長い苦しみと忍耐の日々があったはず。
 モンゴルという出身地を背に、転落したからといって簡単に廃業することもならず、ひたすら痛む両膝と持病の糖尿と闘いながら再上昇を目指した5年間。そこで彼が学び唯一支えとした精神、それは”孤独”の2文字だったに違いない(8月2日)

 ■ 迫りくる老化と認知症

 7年8ケ月にわたる何とも乱暴な安倍行政が、この国の品位と実力をすっかり引きずり落とした後、選挙とは名ばかりの徒党烏合の流れのまま、元官房長官の菅内閣がとりあえずの後継者に収まった。
 一方アメリカでは一時期優勢を伝えられてきた民主党バイデン候補が、あいかわらずなりふり構わぬトランプの狼藉行政の結果、次第にその差をちじめつつあるとか。たしかにバイデンには政治家に必要とされるオーラの迫力がいささか欠けている。77歳の高齢に加え認知症の気配がみられるというから何とも心細い。
 いや他人事ではない。小生さいきんすこぶるモノ忘れがひどくなった。せっかくのリハビリ・アポをど忘れしてすっぽかしたかと思うと、ここ数年愛用してきた頭の被り物をどこかで失くしたと思い込み、仕方なく一個新調したまではよかったが、なんとそのカップは外注用の洗濯くバッグの中に10日前から放り込んだままになっていた。
 それでもきのう千葉県に住む18歳若年の友人T氏と電話で話していて、たまたま何代かまえの映画界出身のアメリカ大統領が話題となったのだが、どうしてもその名前が出てこない。思わず会話が白けて別の話題に移ったのだが、長話の末電話の切れる直前にそれがロナルド・レーガンだったことを思い出したのは私の方だったことに、いささか安堵感を覚えたなんぞ、どうも取り巻く世界と生活感覚の全体に、しだいに劣化が進行していることだけはどうも否定できなくなっているようだ。無念!(9月25日)

 ■ 半年ぶりに都心へ出る

 コロナ対策 + 弱体老化の自然効果というべきか、ここのところ半年以上都心へ出ていない。そんな中きょう久々にJRと地下鉄を乗り継いで、西新宿にある東京医科大学の眼科を訪れた。ほかでもない最近例の左眼の視界の歪みが著しく、それを電話ついでにフト千葉の友人Tに洩らしたところ、たった一回の注射ではダメ、最低3回は繰りかえさなくっちゃ、つい最近NHKの健康番組でそう言っていたと親切あまりすこぶる口うるさい。そのこともあって今朝は天気もよく、1年前に前回手術を担当したW医師の出勤をたしかめた上、思い切って都心行を決意したというわけである。
 結果はあっけなく終わった。それは疾例違いで再手術の意味なしと当該医の口から直接聞かされ、早々に退去となったのだが、さてここで私の言いたいのは、この都心の往復行中に露呈した私の老人ボケとお上りさん化の実際だ。まず荻窪で地下鉄に乗り換える時、ここで切符を買うべきだったかどうかがわからない。どうも長年チケットでメトロに乗った記憶がない。そこで出札の係に訊いてみたら、「いまお持ちのそのSUICAで乗れますよ」と言われた
 次に病院で受診手続きをしたとき、私の診察カードは最後に訪問した昨年の9月からすでに1年を超えており、そのため〔再初診〕扱いで金5000円を追加でとられることを知る。今さらながら引き返しもできずとぼとぼ申し込みを進めた。
 最後のお笑いは帰路のこと。国分寺へ戻ってやれやれと駅前始発のバスに席を取ったまでは良かったのだが、なんと発車寸前になって、「ちょっと待ってください」とあわて乗車口から飛び降りた。なぜか。この朝私はバスではなく、自転車で駅までやって来ていたのであった。(10月21日)

 ■ 心臓外科への決死の病院行 

 前回からほぼ1か月ぶりにまた都心へ出るチャンスがあった。いや正確に言うと都心はちとオーバー、今回は指定の予約日で、例の調布飛行場近くにある榊原記念病院へ定期検査で出向く外出だったのだが、そこへの道順としては少々回り道でも、いつもJRで三鷹駅まで行き、そこから病院行きの直行バスで玄関まで行きつくのを習わしとしている。
 さいわい朝から天気もよく、時間稼ぎにもなるので国分寺駅まで今回は思い切って自転車で行くことにした。それもたっぷり余裕をみたつもりで、かっきり午前7時にマンションを出たのである。ラッシュ前で地下の駐輪場もすいていて、ゲートのすぐそばの場所をとれたのもよかった。
 しかし順調のだったはそこまで。駅のフォームに降り立ち、この時間にしては人が混んでいて変だなと思ったら、なんと電車が発車を見合わして止まっているのである。なんでも吉祥寺で人身事故があったとか。車内はすでに満員で、とても乗れたものではない。
 そしてその車両が動き出すまで、優に15分近くの時間が経過した。さらに続いて入ってきた車両はといえば、これますぐには駅を出ない。さらに3台目、もう待てなかった。決死の覚悟(?)で杖を持ったままの体当たり突進乗車を敢行する。 
 こうして何十年ぶりにラッシュアワーの苦痛を味わいながら、ノロノロ運転で目的の三鷹駅へ到着したのは、予定の時間をなんと40分以上過ぎていた。
 おかげで駅前からの榊原病院直行バスには乗れず、次の便は30分後。仕方なく最寄りのS停留場を通るバスに乗って、そこからトボトボ10分を歩いてようやく病院までたどり着いたという始末。これをしもサンリンボボと言わずして何とする、ヤレヤレ、必死の病院行。診てもらうまで心臓が潰れなくてよかった!(11月16日)

 ■ コロナ災害の一年が暮れる

 気が付いたら師走もいつしか半ばを過ぎている。いやいや今日はもう冬至の21日、あと10日で今年もおしまいだ。それがまた新型コロナの襲来という、誰もが予測しなかった天災に狂わされたこの1年。しかもそれはいまだ終息の兆を見せず、医療崩壊など生きる空間の一部崩壊の危機にさえ見舞われているのだ。後世ふりかえったら、2020年はきっとグローバルな規模での人間社会一新の歳月だったと記録されるに違いない。
 そんな中を私事ながら、この秋ひそかに冥途のミヤゲと位置づけていた拙著「市民と芸術」の2冊が、なんとか刊行の運びに至ったのはラッキーの至りだった。さらにそれから3ケ月、小生悪運強くまだ生き続けているところから、その報告と感謝の意を添えた年賀状を、昨日からゆるり今年も書き出している。 
 そんな中今日は国分寺病院が月一回老人ホームで開いている”あじさいCafe”へしばらくぶりに顔を出してみた。感染対策で手先をしっかり消毒、みんなマスクをつけてそれぞれ1メートルの間隔を置いたチェアに座り、施設の職員さんや保育園の子供たちが演じるサンタクロースの歌とお芝居に興じながら、ゆっくりと1時間半を楽しむ。
 気が付くと出席者の中に顔見知りのHさんの後ろ姿を発見、散会後久々の邂逅を喜び合った。”よっこら処”のメンバーで三味線の達者なご婦人だが、それまで丸8年続いこちらの会も、思えば今年の1月に開いたきりでその後は全く中断したまま、いやコロナ禍が終焉してもそれまでの生活の復旧は果たして可能だろうか。メンバーのうちの何人がもとのままの元気な顔を見せるだろうか。
 こうして運命の年、災害の1年はまもなく暮れようとしている。(12月21日)


               2021

 ■ 火のない第三次世界大戦??

 年が明けた。だがコロナの感染肥大はあいかわずだ。死者200万を数えるアメリカを先頭に、文字通りPandemicに状況は悪化の一方。アフリカをはじめ英国などには新異種のウイールスまで発生したという。そこへもってきて進行する政治レベルの混乱。ワシントン国会議事堂への親トランプ一派による乱入事件、いったいあれはなんだ。一週間後に迫った大統領交代式は、果たして無事に行われるのか?
 一方、目を足元へ転じての私め個人の新年。そんな世界レベルの混乱のせいだとは言いたくないが、この新年はとうとう長年続いた年始の熊野神社への初詣を果たせずに終わった。いやもっと素直に白状すると、それはわたしの膝の悪化のせいだ。去年までは何とかこなしてきたが、もはや往復小一時間を徒歩でこなす自信は全くなし。とうとう形ばかりのお節料理を前に、ついに一歩も家を出ずに元日を過ごした。
 それにしても今後一年、コロナのせいで世界はいったいどう代わってしまうのか。すでに国内だけでも大小の企業倒産数は900を超えたとか。医療崩壊も事実上すでに始まっている。あわててて出された区域拡大の第2次緊急事態宣言にもかかわらず、感染者数関連の数値は悪化の一方をたどるばかりだ。同じ傾向は同時に世界的に起こっている。
 これ、ひょっとして兵器を用いない事実上の第3次世界大戦ではないのか。いつかこれが終わるころ、世界の様相はきっと一変してしまっているに違いない。そう考えるとわたしは太平洋戦争が終わってから、ぴったり四分の三世紀という一つの時代を生き終えたことになる。(1月16日)

 ■ 目ざわりな目の患い

 気が付けばはや2月。ことしにはいってこれが2本目の”とびとび日記”である。日記というのはもともとDAILY、すなわち毎日の執筆というのが本来の意味だろうから、とびとび日記と称する場合はせいぜい数日間隔ぐらいが許される頻度の範囲だろう。それが今や1か月に1回とは!
 要は老いという奴だ。こいつが私の全身、すなわち目、歯、心臓、腰、太腿、膝へと、頭のテッペンからつま先に至る身体の各部所へ忍び込んで、いつの間にか私を文字通りヨレヨレ老人へと仕立て直しつつあるのだ。
 ここのところ特に膝の痛みも確実に進化し、毎朝ベッドから起き上がるのに優に10分以上の準備運動を必要とする。肩や首がパンパンに張っている。まるで前日に大運動会でもやったみたいだ。やっこらさと立ち上がり、そのあと日中の脚の運びも次第にぎこちなくなって、今ではゴミ捨てに階下へ行くのにも杖を欠かせない。
 いちばん困るのが眼だ。近ごろは左眼による視界内の像のゆがみも一層ひどい。頼りとする右の眼の正確さを邪魔することもしきりで、事実上片目をつぶって毎日パソコンに向かっている。何とかならないものかと、今年に入ってもういちど地元のクリニックを2か所たずねてみたが、いずれも歳も歳ゆえこれ以上の手術は薦めないと、型どおりの視力検査といつもの目薬を処方してもらってお終い。
 目の患いとはかくも目障りなものかと、今さらながら感じ入りつつ、何とか日々の暮らしをこなしている毎日だ。(2月22日)

 ■ 社会停止のコロナ時代

 「インタビューの件ですが、緊急事態宣言の延長につき、解除後あらためて調整をさせていただければと思います」
 これはさる11日、出版社である〔22世紀アート〕から送られてきたメールである。実はこれはちょうど昨年秋に拙著『市民と芸術』の2冊が出たころ、たまたま同社が「わたしの自分史」というシリーズを企画、人生の終着期に入った一連の候補者に打診して、インタビュー形式による個人史を電子本で揃えてみたいからと、私のところにも話があった。
 たまたま直前に出た拙著『市民と芸術』2冊は、私としてはいずれも”冥途の土産”なる言葉で説明した通り、これがこの世での最後の出版物と自認していた本だったので、かなり二の足を踏んだのだが、担当のN氏の強い勧めに釈服された形でついにOKを出す結果となっていたのった。
 ところがたまた進行中のコロナ状況が次第に悪化、スケジュールとし組まれていた1月の取材もいきおい中止、さらに緊急事態宣言とさらなるその延期によって、ついに上記のメールの通告に至ったという次第だ。
 一個人の些細な企画もこの通り。この1年半コロナによってつぶされ消えていった中小企業の数も計り知れない。それに伴って変革強制を強いられている個人の生活様式、在宅オンラインなどにみる企業と勤労システムの変化、そして教育環境の変化など、コロナ時代は正に火のないだけの第3次世界大戦の進行ではなかろうか。明らかに社会の活動は停止、ないしはすざまじく一変している。(3月15日)

 ■ あれから5年
 
 4月4日;妻の命日である。5年前の今朝、今でも思い出す。前日都心からの帰宅が遅くなり、まだ床の中にいた私の耳に、隣室の電話のベルがなぜかけたたましく鳴った(多分心理的なものだろう)。出ると韓国のソウルにいる息子の声で、「お母さんがダメらしい。実家の電話がつながらないのでと、いま病院からこちらへ連絡があった。すぐ病院へ行ってほしい」。
 倫美の特養老(老人養護施設)での生活は、当時もう5年目に入っていた。そこから近くの病院への一時的な入院治療は初めの体験ではなく、いずれも旬日を待たずに退院していたので、今回もそのうち退院の知らせが来るだろう位に比較的楽観視していた。だがそれは見事に裏切られた。ついに終わりが来たのだ。
 そのあと数日間のあわただしさはなかった。今では順序立てて回想することも不可能なぐらい。息子夫婦も異国から駆けつけたがようやく葬儀の前々夜。ほぼすべてをひとりでキリキリ舞いしながら、告別式のあと焼き場で白骨化した妻の遺骸と向き合ったときは、へなへなとその場で足元から倒れ込んでしまった。
 カッキリ5年後の今日。確かにまだ私は生きている。だが10日ほど前から始まった身体のしびれはチト異常でもある。両足の付け根がガタガタで、両手の二の腕部分の痛さは日に追ってひどい。だから朝ベッドから下り立つのが、先ずその日の難事業のトップ。両腕が効かず上体を起こすときどこにも支えがないからだ。この間専門のマッサージ業やリハビリ、サウナなども試みたが効果なし。ひょっとしてソロソロ亡妻が呼んでいる頃合いかも知れない。(4月4日)

 ■  春は来たのか?
 
 春にはただ一回の五月がある!(Der Fruling hat nur einen Mai ! )。「会議は踊る」という」オーストリア映画の主題歌だったか、戦争が終わり平和な春の到来を、身にしみながら三高生のころ、盛んに歌い楽しんだ記憶がある。目に青葉、山ホトトギス、初ガツオ。
 だが待てよ、たしかに五月にはなった。しかし今世の中でその輝く春を満喫している人は、いま地球上の果たしてどこに存在するだろう。どこもかしこもコロナウイルスの襲来でテンヤワンヤ、文字通り右往左往している一方ではないか。ゴールデンウイークだって?いったいこれ何処の誰が、誰に発している美辞麗句なんだろう??
 三度にわたる「緊急事態宣言」の発令で、あちこちの店はみるみる経営の危殆に瀕し、人々は外出禁止、締め出された戸外は、不気味に静まり返っているだけ。みんなこの時間いったい何をして、何を楽しみに過ごしているのだろう。
 その点たまたまこの不幸なホリデイ・シーズンの冒頭に当たる先月27日に、91歳の誕生日を迎えた老輩小生には、それ相当の天からの差配があった。連日の痛みに耐えかね、2度にわたる点滴治療を受けたが、どうにもこのままでは事態の好転が期待できないということで、来る10日の月曜日から向こう一週間から10日ほど、かかりつけの国分寺病院に入院、プレドニン投与などの対筋肉治療を受けることが決定した。.さあ果して生きて退院が果たせるものやら。天の差配は見事なものだ。(5月6日)

 ■ 別世界はじまる

 三度目の正直で、昨日からこの国分寺病院の入院患者となり、205室で寝起きしている。というのも最初は連休はじめの3日に入る予定で待機していたところ、コロナ絡みであろう当日になってベッドが足りなくなり、しばらく待ってほしいという連絡が入った。代わりに日がえりで2日間点滴を受け、最後に前回の日記にも記したように、10日月曜日に入院がアレンジされていたのだ。ところがどっこいまたしても一転、今度は医療従事者のひとりが陽性と判明、そのからみで更に2日おくれとなり、結局きのうの入院がやっと実現したというわけである。これあるいは医療崩壊の一例と言えないか。急患なら在宅療養で命にかかわったかもしれない。
 さてそんなわけで、ここ私にとっての別世界が始まった。こういうのも生活空間が変わった途端、いろいろ勝手が違う。一番の誤算はこの病院ではWi-Fi環境が不備で、せっかくもちこんだPCも全くメールが使えない。テレビも地上だけでBSは観られないという。有料貸与なのにがっかりだ。それといちばんの危惧はやっぱり運動不足だ。マンション生活では何やかやと雑用をこなしつつ動き回ることが、即運動につながっていたのだが、ここでは食事の準備は言わずもがな、すべてが周囲のサービスにぶら下がり。当然運動量は激減する。
 それでも救いは新しい担当U医師が、リューマチ治療視点での積極加療を保証してくれたことだ。きのう早速マッサージ師が派遣され、いろいろ問診のすえきょうから連日で訪室してくれことが決まった。楽しみである。(5月13日)

 ■ 10日で再びマンション生活へ
 
 結局10日間の入院生活で、ふたたび俗界ーーマンションでの独居生活に戻ってきた。ホットである。二度と戻りたいとは思わない。社会情報からの疎外、運動不足、連日の決められたルーティン生活。思い出してもゾ〜とだ。唯一のプラス加点であるマッサージが効いて、多少とも両手両足にゆるみが出てきたようだの一点を口実に、どうしても家で終えなきゃならない仕事があるからと、半ばごり押しで主治医から退院の許可を得た。今ごろになった刑務所生活の受刑者の苦しみがやっとわかったような気がしている。
 さて、20日に戻ってきてからの今日は10日目だが、早速中断していたオーディオ版「ナナとジャン」の耳校正、吹き込まれたCDを原作者である私が耳でチェックするといういかにも今風の新しい仕事を終え、さらに電子本バージョンの出版が決まった「さすが舞踊、されど舞踊」のための、短いまえがきを書き終えて送付した途端、さすがにぐったり。気が付いたら両腕や両足、関節の痛みもほとんど入院前の状態、いやそれ以上に悪化している。
 そこでやむなく地域包括支援センターに連絡したら、早速に係りのKさんが相談に見えて私の様子や話を聞いた結果、ぜひとも介護保険に入って家事の手伝いを頼みなさいと、その日のうちに業者を呼んで私のベッドサイドに寝起きの助けにと寄りかかりの柵を取り付けてくれた。そして近々市役所から介護等級を決めに人が来る筈だという。
 せっかく俗界へは復帰したが、世の中絶対に同じ生活をくり返すことはありえないということの好例か。(5月30日)

 ■ 要支援1の人間へ

 前回の日記で世の中絶対に同じ生活をくり返すことはありえないと書いたが、いよいよその言葉が真実になって、今週あたりから私の身辺も大きく様変わりを見せる気配が濃厚だ。
 先ず先週の木曜日に市役所の福祉課から郵便が届き、中を開けるとそこには〔要支援1〕の文字がくっきりと印された保険証書が同封されていた。
 そのあと入れ違いに支援センターからもういちどKさんの来訪があり、協議の末に彼女にケア・マネージャーを担当してもらうことに決定、そして迎えた一週間後の今日、ヘルパー派遣所の主任、福祉用具の営業担当、そしてKさんと私の4者が、かっきり午後2時から一堂に会合――といっても狭いわたしのリヴィングルームでの話だが、小さなテーブルの上で鳩首相談、、〔要支援1〕人間をめぐる多種の書類が調印された。
 これで今まで自由勝手だったわたしの生活空間と時間に、今後はきっちり他人の規制が踏み込んだくるわけで、どうもこれはある意味気味が悪い。人さまの助力を得ながらはなはだ勝手な言い分だが、なんだかそう感じてしまう。
 折しも今日東京地区でのコロナ感染者の数はとうとう1000名を突破した。第五次周波の到来は必至か。そしてこのあと1週間後には、いよいよ問題の東京オリンピックがやってくる。それがいっせいにみな無観客での競技というから、いったいどんな景色が1ケ月にわたって展開するのか。
 そしていまフト気が付くと今日はそのむかし若者がみんなで騒いだあの賑やかなパリ祭の当日ではないか。だが今では誰ひとりそんなことは口にもしない。世の中は決して繰り返さないことの証左がここにもある。諸行無常、もって瞑すべし。(7月14日)

 ■ 五輪から何処へ

 朝から雨が降っている。五輪の閉幕を待っていたかのように、今週に入って列島には梅雨前線が停滞し、九州など西日本ではすでに豪雨による弊害も出始めているようだ。そしてきょうは8月15日。いわずとしれた敗戦記念日であり、今年はその76周年目に当たるのだという。すでに4分の3世紀を終え、次なる第1年目を踏み出したというわけか。 しかしいったいどんな明るい未来への第一歩というのか。
 同じ東京五輪を比べても、半世紀前の1964年のオリンピックの時は、全く国中の雰囲気が違っていた。国民はみんな前向きで、再建日本の意志と実力を世界に示そうと、一致して祭典の成果に集中した結果、、実際にもこれを機に我が国の経済と文化は世界の一等国の仲間入りを果たすことが出来たのだった。
 しかしこれと比較すると、今回の五輪をめぐるみじめさはどうだ。これを機にコロナ感染者の数は急増し、軽症患者はすべて在宅治療を専一にと、まるで国の厚生環境は開発途上国並みのレベルにダウンしたみたいだ。その前にそもそも今回の五輪強行の結果生じた、莫大な借金と赤字経済の後始末は、いったい何時どうして誰がその埋め合わせをするつもりなのか。
 さらに翻って世界の政治状況を見ると、今後は日本の立ち位置や発言権もまた、ますます弱体化の一途をたどるとしか思えない。こちらもまたすべては五輪の開催をもぎとってきた、あのウソと不正で固めた安倍イズムの産物、つまりはここ10年にわたるこの国の行政レベルとモラルの劣化が、すべてコトの始まりだと思えてならない。
 窓の外にはまだシトシトと雨が降り続いている。梅雨前線は少なくともここ一週間は列島を立ち去らないのだという。(8月15日)

 ■ 冥途の土産から雫が……

 人生の店じまいというものは、なかなかにご本人の思い通りにはいかないものらしい。90歳の卒寿を機に、昨年の今ごろ出版した拙著「市民と芸術」(トップページ写真)は、アート篇とジャーナル篇ともにそのまえがきにも記した通り、文字どおり私にとって”冥途の土産”の筈であった。
 ところがそれから1年、その間に私が書いたとされる書籍が、またしても新規に世に出る事態が起こった。ここに表紙を転写した、日下と鵜飼の別名による2冊の本だが、いわゆるKINDLEシリーズのリストに組み込まれた電子書籍である。
 実はこの両者は出版社側が過去の私の著作をチェックの上、それらを手際よく再編集したもので、新しい読者に訴える価値が十分あるから、今のタイミングで新しいメディアを通して刊行してみる気はないかと、私の意向を打診して来たのだ。
 そこで考えた、ひょっとするとこれは今風の新しい出版スタイルかも知れない。執筆者も一歩ビジネス陣営に加わってセールスを待つ。これなら今さら新規のエネルギーを呼び起こす必要もないし、どだい私はもはやそれが不可能な非力の老人になったのだからと。
 そこでなにがしかの制作費用を分担して、あとは一切を出版側にまかせることにした。するとどうだ、IT時代の手順は速い。アマゾンのWEBには、すでにこの2冊がセール棚に並んでいる。
 以上、”冥途の土産”からこぼれ落ちた雫(しずく)本誕生の一席。(8月30日)

  ■ 8時間不動のテレビ観戦

 本日の発表では、東京都のコロナ感染者数は382人。ここ10日間引き続き1000人を下回っており、さしもの回を重ねた得意の緊急宣言対策も、ようやく終息方向に矛先を転ずる気配を感じさせる。しかし現実はそう簡単に復旧作業は運ぶまい。
 それにしても世の中の人、とくに若い年代はよくこの間屋内蟄居の毎日に我慢できたものだ。幸い私など長年書斎を中心とした物書き生活者はなんとか辛抱できたが、それでもその間ずいぶんと行動範囲は縮まっていった。
 そこへ老化や入院のせいもあって、プール遊泳やサウナ行もいつしか消滅、最近は近隣のスーパーや郵便局へ1日1回足を運ぶのが精いっぱいといった生活が続いている。そんな中きょうは更にそれを上回る、連続8時間にわたる不動のテレビ観戦という事態が発生した。
 事の起こりというのはこうだ。実はこのところプロ野球ヤクルトの調子がよく、いつしかペナント・レースで首位を走るという事態が発生している。そして気が付いたらきょうはデー・ゲームがあり、当面のライバルである巨人と阪神がぶつかりあう。
 そこで気になって午後いちばんに中継テレビのスウイッチを入れた。ところがこれが予想以上の接戦。ついに最後までスイッチが切れず、阪神勝利を見終わった途端に今度は照ノ富士の勝敗が気になる大相撲の中継画面に切り替えた。
 午後6時、その13勝目を見届けると今度はもう本目のヤクルト−中日戦が始まっている。こちらもまた息をつがせぬ大接戦。両者ともに0を重ねること9回、結局引き分けに終わって何とかヤクルトの首位は保たれた。そのとき中断なききょうのテレビ観戦は、優に8時間をオーバーしていたというわけである。(9月25日)

 ■ 完全試合にも似た気分 

 台風16号が去って、けさの空は雲一つない快晴だった。そして午前5時、窓越しにそのグラデーションの見本のような青空――つまりてっぺんの真上はまだ暗いのだが、それが東の地平線上にに近づくにつれて、次第に朱色の度合いが強くなってくる、いわば自然が生み出す不作為の傑作天空を目にすると、ひさびさに爽快と呼んでもいい気分が胸中に湧いてきた。
 その勢いで何とここ半年以上あきらめていた朝のストレッチを実行してみる。そっとラジカセのテープを回して両腕を差し上げ左右に伸ばしてみたところ、少々の苦痛は伴うがなんとかついていける。 だが大事をとって途中で止め、その代わりきょうは久々にサウナへ行ってみようと思いついた。その底意には、きのう緊急宣言が解かれて実はそのあときょうは外で生ビールが飲めるはずだという考えが潜んでいたことも確かである。
 一方、午後になっていちばんの気がかりは、デーゲームヤクルト戦の行方だった。そこでスイッチを入れてみると、中盤まで1点差の接戦だ。いらついて多少とも早めを承知の上、耳にワイアレスを詰め込んでそのまま家を出た。しかしもちろん浴場までスマホを持ち込むことはできない。
 ひさびさのサウナはスガスガしかった。そしてあわてて脱衣場のロッカーから今や遅しとスマホを取り出して結果を診てみたら、なんと9−5の大勝。バンザーイ!そしてそのまま駅前どうりの”てんや”に飛び込んで、勝手に一人で大祝杯を挙げた。なんと今日という日は、どうやらこれ完全試合にも似たピタリ〔大吉〕の一日だった。(10月2日)

 ■  終わりの後ろには何が?

 なんと気が付いたら今日はもう11月の26日。いや、別に特別の日がやってきたと言っているわけではない。今年もあと1ヶ月で終わるということ、つまりどうやら90才の大台を越した老輩こと小生が、あっという間に2度目の正月を迎えようとしている事実にいささか呆然としているという報告に過ぎない。
 新コロナの襲来に耐えながら、なんとか2年越しの開催にこぎついた大相撲九州場所。今日13日目の注目の対決、一敗同士の阿炎vs貴景勝の一戦は、幕尻2枚目の後者がもろ手突きで大関を押し出した。その阿炎は明日全勝の照ノ富士との取り組みで横綱に挑戦する。果して何が待ち受けているのか?
 一方プロ野球の日本シリーズは、神宮で勝ちを決められなかったヤクルトが、アウエイで敵地神戸へ引き返し、あした第6戦を迎える。両者にとって間違いなく命運を分ける大詰めの一戦だ。そしてそのあとには今現在誰もが知らないプロ野球地図の新局面がパッと開けてくるかもしれない。
 以上すべては終結直前のうす暗い闇にくるまれた時間帯だ。何事も未知という不安のただ中にある。ホレホレ、この記事を書いている最中に、なんとテレビはアフリカ南部の各地で従来に倍する強い感染力を持つ新規のウイールス・オミクロンなる異種株が発生したことを伝えているではないか。
 始まりの前の不気味さ。終末が漂わせるこの不安と杞憂こそは、すべて物ごとの始まりにに通じる不気味な怖ろしさだと言っても過言ではないだろう。(11月26日)

 ■ なにやら急にあわただしい年末

 1年ぶりだろうか、いやひょっとすると2年越しかもしれない、久々に都心まで足を延ばした。蟄居の主因はもちろんあの新型コロナ・ウイールスのせいだが、それ以上にあるいはこの間目に見えて衰弱した私の足腰のほうにあるのかもしれない。それがこの月に入って池袋の東京芸術劇場5Fにあるアトリエで、JEPAA(日本欧州3ケ国交流会)なる文芸展覧会が開かれ、その一隅に拙作「ナナとジャン」の一部が展示されることになったので、せめてそのセレモニーぐらいにはと、杖を突き突き思い切って出かけた。さらにこれを期に現地でMM会の植田淑子さんと久々にお目にかかることが出来たのも楽しかった。   その他師走の名にたがわず、ここのところなにかと身辺に動きがあり、8日と14日には2度にわたって府中の榊原記念病院へ出向いて心臓のCT検査を受けた。さらにきのうは一転,、泉町にある東京都立多摩図書館まで自転車を走らせ、半世紀近く前の雑誌中央公論に掲載された小文「竹久夢二の淡き女たち」をコピーした。2か月前に出たこの電子版書籍にも、全編を読み上げて聞かすというオーディオ版の企画が持ち上がり、問題の細部をチェックする必要に迫られたからである。
 考えてみるとこれらの新しい動きは、すべてIT時代という新しいメディアの革命に端を発している。昔ならとっくにくたばっている老体が、かくしてあと10日どうしても令和4年という新しい年を迎えざるを得ない羽目に至った所以であろうか。(12月21日)


            2022

 ■ 単調で冴えない年始

 正月そうそうの過去の「とびとび日記」をチェックしてみると、どうやら一昨年あたりまでは、それでも杖を引きずりながら、西恋ヶ窪の熊野神社まで、なんとか初詣なる年初の慣例を絶やさず続けてきたようだ。ところがここ1,2年、老化と共に深化する足腰の痛みで、さすがに今年はその行事だけは勘弁してもらおうと、初手から日課の中には入れないで、入手した年賀の返事や整理などで一日を過ごした。
 しかし一夜寝た今日になると、なんだか時間を持て余すだけでなく、逆に体のほうも調子が出ない。昔なら”書き初め”だの”初湯”など、いろいろと気の利いた風習もあったようだが、今の私の生活にはなじまない。これではかえって体に悪いのではないかと、せめて様子だけでも見に行こうと、思い立って現地付近へ自転車で出向いた。
 到着してみると、やはりコロナのせいか思ったより参詣者の数が少ない。長い列に並ぶ必要もないので、せっかくだからと車から降り、お賽銭だけ上げて柏手を打ってきた。信仰などなくても、型どうりの慣習を終えるとスッキリして落ち着くという人間生理の好例である。
 それにしても近年正月のテレビほど質的低下をきたしたメディアも珍しいのではないか。ニュース自体だってスマホなどネット空間のSNSで充分間に合う。ゲラゲラ笑いと低劣なギャグはもうたくさん。やむなくこの二日間、モニター画面を通してみた番組は<ウイーンフィル>のシュトラウス・ワルツ演奏実況、<箱根エキデン>の一部、それとかねて録画しておいた<映像の世紀プレミアム・東京 破壊と創造の150年>の3本だけだった。(1月2日)

 ■ サービス密度の劣化

 足・腰のリハビリを目的に、ここ3年近く週1回ないし2回のペースで電気治療に通い詰めていた市中のK整形外科から、きのう突然電話がかかってきた。聴けば院内勤務者のひとりにコロナ感染の陽性反応が出た、ついてはあしたから1週間はとりあえず外来受診をストップするという。
 いよいよ来たか!の思いと共に、その時同時に私の頭をよぎったのは、長年この国の社会を満たしてきたよきサービス環境の劣化である。間違いなくこの列島には、これまで他国では見られぬ高い密度の社会環境、他人に対する暖かい思いやりや洞察に起因するよき風習とハイ・モラルの伝統があった。それがここ数年、まさに音を立てる位の勢いで崩れつつあるのではないか。その原因のいくばくかは、今なお猛威をふるうコロナの来襲と少なからぬ関連があることは確かだろう。しかしそれはさておき日々を生活する1市民の私には、、間違いなくそれへの強い実感がある。
 何処でどんな買い物をしても、今では決してそれを袋に入れたり外装で包んでくれようとはしなくなった。たとえ目の前のお客がそれらの商品を手でもちかねてどんなに困っていていてもだ。そこで入れ物をたのむと悪びれもせず別代金を要求する。また反対に余分の紙やごみを捨てる屑籠がどこにもない。ましてや昔はそんな公共環境によく置いてあった飲み物の無料サービスや、待ち合いソファ沿いに置かれた雑誌や読み物棚など何時しかきれいに消えてしまった。
 問題はそれらモノの消失と共に、人間感情のデリカシーもまた容赦なく消滅への方向に向かいつつあることだ。これ21世紀に誇る輝かしい人類文化のサンプルなのであろうか。いささかならず寂しい思いだ。(2月11日)

 ■ 地球ぐるみの凶事

 タラリタラり消え入りそうになりながら、何とか今も続いているこの私の個人サイトだが、ご承知トップページのイラストの下に、「今週の一行」という書き込みスペースがある。ここへは毎週金曜日に、それまでの一週間に私の身辺に起こったイヴェントや関心事を、一行の警句のような形でまとめて記しておく、いわば個人の眼を通した週単位の歴史メモである。
 さて今年に入って2月25日の書き込みは、「ロシア軍がウクライナ東部領地へ侵入」だった。プーチンが国境付近の親ロシア領域に共和国の成立を承認したとかで、いわば北半球のローカル騒動ぐらいのつもりでメモしたのだったが、どっこいその後の1か月にわたる4回の「今週の一行」は、すべてこの紛争にかかわる項目ばかり。いや紛争ではない、今でははっきりとした戦争と呼んで差し支えない状況に移行つつあり、しかもそれが次第に地球規模の東西陣営の対立にまで拡大しつつある雲行きを帯びてきた。それでも3月4日に「いよいよ第3次世界大戦か」と記入していた時点では、半ば戯言のつもりだったのだが、いやいや冗談じゃない、フィクションはおろか「人類滅亡」(3月4日)の形容すら生々しく現実味を帯びて来た。
 そもそもここ3年近く、まるで目にも見えない新型コロナの攻撃にさらされ、世界中がただ逃げ惑うだけで一向に事態を収集できなかった現実を見るにつけ、人間はおのれが今さらながら卑小な自然の産物でしかないことを、あらためて厳しく自覚すべきであった。ところがそれも出来ないうちに、またまた性懲りもなくしでかしたこの騒動。まるでプーチンのやっていることは、第2次世界大戦前に至る、ヒットラーの足取りとあまりにも酷似しているではないか。(3月22日)

 ■ この道はいつか来た道?

  令和4年4月27日の夕刻、うっすら西陽の差す書斎の一隅で、デスクのパソコンに向かっている。そう、今日は私の人生92回目の誕生日、すなわち私は地球上で過去365×92の日数を生き、明日からはなんと第93周年目の初日を踏み出すことになる。果たせるかな朝からパソコンにはあちこちの業者からの、あれこれ趣向を凝らした「おめでとう」「おめでとう」のメールが数本とどいた。なんのことはないすべてこれ商品やお薬を売るための、いじましい電子戦術による最新PRだ。朝から天気もくもりがち、それに知床沖での観光船の転覆事件があり、地球の北半分では今なお収縮の兆しを見せないロシア・ウクライナ戦争が進行中。うんざりしていたら、その中に目黒在住の、むかしからのダンス仲間Y..UEDA女史からの祝電が一本入っていた。儀礼的だが、簡潔でおめでとうそのままの祝意が、いかにも身に染みてうれしい。さっそくに電話を入れたら、ちょうどこれから歯医者のアポで出かけるところだったとか。数分だったがウラのないしばらくぶりでの肉声での会話でようやく慰められた。
 午後になってこんどは玄関になにやら贈りモノの荷物が届く。開けてみたら息子からの誕生祝の日本酒だった。追っかけるように懐のベルが鳴り、スマホ画面によるビデオ対話が始まる。国境越しの引っ越しで、まだ荷物が片付かず時間が作れない由。そのうち出会ってゆっくり一杯やろうということで対話を終えた。
 かくしてあとは日課の晩酌へと移行し、ヤクルト対広島の野球中継でも見ながら夕食を楽しむことになりそう。まずは平穏にして孤独、凡々ながらきょう誕生日の一日としては文句を言う筋合いはどこにもない。ただ問題はひたすら世の中の空気だ。第二次世界大戦が終わって一世紀も立たないというのに、人間はまたしても同じ愚と過ちをくり返したいというのか。昨今の国際情勢には、まるでその時の、大戦発生の前夜とそっくのキナ臭いがただよっている。ああ。(4月27日)

 ■  果して平和の正体は?

 気が付いたら、前回のこの欄への記入から、はや1か月の月日が流れている。これじゃとびとび日記どころか、いっそ ”大股よいこらしょ月記” とでも命名したほうがいいぐらいだ。あきらかに主犯は気力体力の衰えだろう。だがその間身辺にはもちろん大小さまざまな報告事項は生起している。
 まず私事では息子との乾杯の約束。先方から打診があり、きょうまで2回にわたる差し向かいの会食が成立した。初回は夫妻ともども三人が中華料理店で、二度目は息子と差しで、寿司屋のカウンターで水入らずの2時間半を楽しんだ。
 次に私の立地点でもある著述ワークの状況について述べると、すでに一昨年秋に出た2種の「市民と芸術」、すなわちアート篇とジャーナル篇の2冊を、さらに取捨選択して総合篇を出す案が進行し、この”とびとび日記”の前回文までを収録した最新の総合篇が来月早々には出る予定である。
 ここで一転野球のはなしだが、このところわがヤクルト・スワローズの活躍がめざましい。今週始まったセパ交流戦では、日ハム相手に、2試合を共にサヨナラ・ホームランによる激的逆転勝利をモノにした。バンザイ!
 だがいっぽう目を外に転ずると、世界情勢はあいかわらずで、ウクライナ紛争は一向に収まる気配を見せない。その間北朝鮮が機を見てミサイルを打ち上げるやら、一方中露の爆撃機が揃って列島をかすめ飛ぶやら、あれこれきわどい情報が次々。ささやかな日常の営みや愉しみも、すべてこれそれを支える地球本体の平和あってこそのモノダネ。その一事をつくづく痛感させられる最近の日々である。(5月27日)

 ■ 本人不在で2種の展示会が

 梅雨である。じめじめと空気がしめると、両足の関節もその分だけ調子が悪い。元気なのはこの季節の花あじさいだけ。今年もまた人間どもの地球破壊の悪業など知らぬ顔、桜・さつきの跡を継いで見事なブルー・カラーを顕示している。
 その点人間さまの方はどうだ。コロナのせいもあるが、昨年の暮れに池袋の東京劇場まで足を運んだのが最後。あれから半年、駅の改札をくぐってJRの車輛に身をゆだねた覚えもない。悔しい。
 皮肉にもと言おうか、或いは考えようによってはそんな私を慰める天の配意か、丁度この期間に、例の「ナナとジャン」の一部を切り抜いた展示会が二ケ所であった。一つはパリのマレー地区で開かれた日欧宮殿芸術祭。フランス語に訳されたわたしの詩文が、どことなく象徴派のリズムを思わせ、いささかわたしのナルシズムをくすぐった。送り返されてきた垂れ幕をわが家の壁につるして余韻を楽しんでいる。
 今一つは東北大震災の陸前高田市で開かれたアート・タイル展。この春オープンしたコミュニティホールの壁いっぱいに、数多くの他の作品と 共にレイアウトして張り出された。やはり同型同大のコ ピーが家まで送られてきたので、こちらは床の間に並べてある。もっともこの展示はいまのところ向こう5年間続くそうなので、もし運が良ければ、息子にでも連れられて、あるいは肉眼で現地をおとづれる幸運にあやかれるかも。(6月23日)

 ■ 久々の墓参と戒名授受

 暑い、とにかく暑い。それもついこの間までこれはまた、帰り梅雨とでも考えるしかない雨の数日が続いたあと、サアおまちかね!とばかり2,3日前から急に舞い戻った本格的な酷暑の到来。見上げる青空はまことまぶしく美しいが、それはクーラー付きの部屋の中からの窓の風景…。
 今日は前からの約束で、朝10時に長男卓が車でマンションの玄関脇に到着。そのまま焼香器具を抱えた私が飛び乗り、一路中央街道は都留市の小形山に眠る亡妻の墓地まで一直線のドライヴ行。
 1時間半後到着した墓場は半ば草まみれ。だがさすが私は動けず、清掃から水洗いまで、吹き出る汗をぬぐいつつ初老の息子がなんとか格好をつけてくれた後を、献花と点灯を整え、ひさびさに念仏・会話を亡き倫美の霊と交してきた。
 そのあと一旦下山して近隣のウナギ屋で昼食を済まし、やくそくの2時に菩提所である冨春寺へ立ち寄る。ここで住職と面会、今日あと半分の行事である私宛ての戒名をもらう行事に立ち会った。白地に墨の授戒紙に書き下ろられた11文字。曰く ”耽報院玄創日下叡明居士”。〔報〕は報道を表す一字として選ばれ、亡妻の院名である〔耽静院〕になぞらえ一字を共用して捻出された生前戒名である。ありがたく頂戴した。
 1時間ほどで寺を辞し、帰路は解放された気分で国立・府中隣接地にあるドライヴ用サウナで入浴、そのあとアルコール抜きビールで乾杯して午後5時半帰宅した。
 これで明日からは片足をあの世に差し込んだ気分で生き延びるというわけか。<南無三宝>?それにしても暑い! (7月29日)

 ■

 


トップページへ
   梅雨のように