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不定期ジャーナル


              2018

 ■ また一つ敷居を越えた
 
 今ではほぼ私の全生活空間になったマンション3部屋の内の一つ、まっすぐ東の空に面した6Fベッドルームからみる毎朝の風景は、今でもなかなかの見ものだ。大仰にいえば1年を通して、その日の天候、雲の流れ、日の出時間の差などによって微妙にタッチの違う、自然が恵んでくれる365枚の芸術作品ともいえる。
 その1枚、今朝も色づき始めた雲一つない空のアートを目にして、さて遅れてはならじと杖を片手にマンションを後にした。行く先は1500メートル先にある熊野神社。なーに、これが日課だなんてとんでもない。2018年1月1日。元旦はこの初詣がいつしか我が家のしきたりなのだ。
 ソロリソロリ。右、左と一歩づつ、杖にすがりながらゆっくり府中街道を南下する。大丈夫かな?自信はなかった。それでも途中一か所から見える雪渓の富士の雄姿に励まされ、ようやく社殿に柏手を打つことができて、往復1時間15分、ふたたびマンションの我が家に帰って来ることができてホッとしたた。
 思えば一昨年の暮、この書斎で喪中の賀状をしたためていた私に、さらに1年先の正月を迎える自信はほとんどなかった。だがいま私はこの日記をしたためている。そしてこのあと知人たちから受け取った年賀状に、あちこち返信の礼状をしたためることになるだろう、それが今日これからのわたしの日課だ。また敷居をひとつ超えてしまった想いにとらわれている。(1月1日)

 ■ 物騒な1年の始まり
 
 「いよいよぶっそうな平成の最後の1年が始まります」。これは私が今年出した年賀状にしたためた文中の一行である。昨年の選挙では野党がだらしないばっかりに、自民党は労せず議席を増やし、今年に入ってわれらがシンゾーさんはいよいよ改憲の時来ると胸を張って年頭のあいさつで述べた。今や一触即発の北朝鮮問題。日米は100%意見を共にすると公言してはばからない政府は、アメリカを 口実になんとか戦争をしたいと念じているとしか思えない。これらの動きに対しマスコミの反応はどうか。一部の新聞はだまって賛意を表し、リベラルをもって認ずる他の一般紙も、それなりにお行儀のいい異論を並べているが、そこにはあきらかに及び腰の空気が漂う。そしてテレビはといえば、どのチャンネルをひねってもわが身に迫るこの種の問題を、ただゲラゲラとお笑い番組の素材にオモチャにするだけで、まともな報道番組はほとんどゼロ。一体かれらの本心はどこにありや。そこで参考までにインターネットでYouTubeをのぞいてみて驚いた。目に飛び込んでくる投稿の大部分がすべてあの”ネットウヨ”と呼ばれる一派の手になるリベラル罵倒の大合唱ばかり。そこでは日頃マスコミで正論を吐く学者やジャーナリスト連中がすべて”パヨク”の蔑称でさげすまれ、「サンデーモーニング」や「報道ステーション」などごく一般的なニュースショウまでもが、すべて偏向番組として非難の対象になっている。なんという物騒でおぞましい風景。これはもしかして、既にいつか来たあの太平洋戦争前夜の不気味で息苦しい一時期、「もの言えぬ時代」が再来実現しているのではないだろうか。(1月15日)

 ■  ”いま浦島”の旧友3人会
 
 毎年春と夏の2回、3人で顔を合わし下町で一杯やるというのが、高校・大学時代からの友人、SとRと私によって続けられてきた自称「山利喜」会である。だが最近になってお互いの身内に不幸が起こったりなどして流会が続き、今年は2年半ぶりの再会の筈であった。4月13日の金曜日。半月前から予約を取って、この日を待つことひさし。ところが前の日になってSから連絡が入り、持病の気管支炎の調子がわるく、申し訳ないが失礼するとドタキャンの通知あり。またしても中止だけは避けたいと、わざとRには告げないで翌日目的地の森下駅へ向かった。ところが都心の雑踏にあてられたか、久々の新宿で乗り継ぎを間違え、都営新宿線でなく大江戸線へとびのったおかげで、迂回の分だけ定刻を20分ばかり遅れてしまった。ゴメンゴメンと息せき切って店へ飛び込んだところ、当のRもまだ来ていない。どうしたものだろうと先に生ビールを注文して待つこと更に20分。ようやくくしゃくしゃの顔をした友がよろめくように入口にあらわれて曰く、「どうしてもこの店が見つからなくてね。周辺を30分以上探し回ったよ」。まあ会えてよかったと早速乾杯。でそのあと流れるように会話が弾んだかというとさにあらず。最近みみがとおくなった、緑内障が進んだとまずさまざま加齢現象の報告が最初にあって、そのあとの話題もあいつは死んだ、こいつもくたばったと仲間の話を引きずり出しながら、そのあいつの名前が正確に出てこない。「あいつだよあいつ、ほら髭のある」「ああ、あいつね。なまえはなんといったっけ」。何ともしまらないペースの会話の中身。これひょっとしたら4月13日の金曜日という日取りが悪かったせいかも?(4月13日)

 ■ はじめて常磐ハワイセンター

 よっこら処年一回の恒例旅行だが、今年はバスツアーの企画で、福島県はいわき市にあるリゾートセンター・ハワイアンズ湯治場への一泊旅行となった。思えば私は今を去る半世紀以上の昔、テレビ取材でいわばホンモノの舞台を現地で観ていて、それとの比較に興味があった。そこで杖を片手に今年も一行に加わったのだが、結論から言うとショウとしてなかなかによく仕上がっている。そしてダンサーたちも大半が当地にある舞踊学院の卒業生だというから立派。ただその点は逆に出演者が現地のオセアニア人種でなく、唯一の芸術上での減点といえるかも。 ところで昨今あえて”スパ”を名乗るこの施設の多様と規模の大きさには驚いた。温泉は元より広大なプールを擁した娯楽設備、何棟もの宿泊ホテルまたゴルフ場などを、ただウロウロするだけでまあなんとも老人を反対にくたびれさせること。そんな中であえて江戸時代の様式を模した露天風呂”与市”は立派だった。薬草をくゆらす和風家屋の蒸し風呂と流れる滝の観景。折からの小雨をいとわず、思わず何回かの入浴を楽しんで時を過ごした。(9月30日)

 ■ 映画「ぼけますから、よろしくお願いします」

 足腰の老化がますます進行して、外出がついおっくうになり、これではならじとまずは映画行でもと、目下話題の「華氏119」を探してみた。ところが近間の映画館ではどこも上映していない。そのとき発見したのがポレポレ東中野にかかっていたこの映画、両親の昨今を自分がらみで記録するこのドキュメンタリーだった。よしこれならと半ば教養啓蒙作品を観せられるつもりで出かけたのだが、これがとんでもハップンのド迫力。ひさびさにみる気力満点のドキュメンタリー作品なのだ。老化してゆくおのれの両親を追った女性ディレクターの覚悟満点の貴重な記録フィルム。なんでも「おっぱいと東京タワー」など信友直子さんというこの監督が世に問うたいくつかの最近作はいずれも斯界で評判と話題の対象となった秀作続きらしいのだが、近年は半ば隠居の身のこちとらとしてはちっとも知らなかったというお恥ずかしいお話。たまたま上映終了後に同女の挨拶があり、そこで署名サービス付きというパンフレットを買う気になって、その時2,3言葉を交わした。なんでもフジテレビ系のチャネルとバックアップの雰囲気で活動を続けている人らしいのだが、それはともかく久々に接したドキュメンタリー世界の雰囲気に浸った貴重な午後の映画鑑賞のひと時となった。 (11月4日)

 ■ 貴重な集会”よっこら処”
 
 はや師走。俗説ではもっぱら”えらい先生”たちも走り回るいそがしい月ということだが、こちとらは先生でないせいか、年々身体の動きが鈍くなり、めったに都心へも出なくなった。そんななかで月に2回だが比較的元気な老人たちが任意に集まる”よっこら処”は、近年の私にとっては心身の得難い運動空間だ。今月も手作りの「秋の文化祭」の看板をバックに各人が好き勝手歌やら踊りやらを披露、そんな中を私も調子に乗って「寸劇」とやらを即興でやった。70年もむかし旧三高生時代にやらされた原語劇の一節。その時の台詞を今でも覚えているからだが、ギリシャ劇を模したあのサルトル原作の「LES MOUCHES(ハエ)」の一場面である。 その時の私の役は路肩に座す群衆の一人で、王様がお通りになるとき飛び出して住民たちの日ごろの苦境を訴える。ほんの30秒ほどのセリフだが、それを身振りを交えて独演したところ、なんと大うけして当日の一等賞(中身はどら焼き5ケ)をいただく結果となった。話はまだある。この熱演が尾を引いて、なんと数日後のクリスマスに地元の低学年の小学生たちのために、サンタクロースの役割を引き受ける羽目に立ち至った。とんだ老人の一挿話である。(12月25日)
                  

          2019

 ■  やんぬるかな転居3度目の越年

 マンションに移って3度めの正月を迎えた。まずはこんな筈ではなかったというのがとりあえずの心境である。希望というか予定では、そろそろくたばってこの世にはいなかったつもりが、どっこい、まだ生きている。寝室の窓から、これだけは見ごたえ十分の日の出風景を鑑賞したあと、切り餅とおすましで一人っきりのお屠蘇祝いもそこそこに、生きている以上これも型通り、毎年恒例の熊野神社さんへの初詣へ出発。杖をたよりに府中街道を南へソロリソロリ。途中一か所右手に、これも絵にかいたような雪嶺の富士をくっきり望見できる一角がある。しばし立ち止まって、その輝く全景を堪能。ふたたび歩き始めたら、西武線踏切の手前で細井さん夫婦に出会った。すでにお詣りを済ませての帰途らしい。新年のあいさつをすませ、その先さらに10数分歩き続けてコンビニ・サンクスの手前を左にまがると、その先に神社の鳥居と石階段が見えてくる。それを上がり切った正面さきが神殿である。三々五々、参詣人のあとに続いてお賽銭と柏手のマイム。何を祈るでもなくとりあえず恒例の行事をすました感じ。帰りはすでに高く上った東方の旭日を正面に見据えながら、国分寺病院まわりの裏道をたどって、ようやくわがマンションへ帰り着いたのが8時30分。出発時間は7時5分だったから、年々所要時間が伸びている勘定になる。それでも何とか新年最初の行事を終えてほっとの心境である。やれやれ。(1月1日)

 ■ セコムで金縛りの身となる 

 韓国の正月とやらで先月末から息子夫婦が帰国した。金曜日の2月1日には3人が集まり、久々に駅前の天ぷら屋で夕餉のひと時を過ごす。その時の話で私が日ごろ一人住まいの老人ゆえ、いざという時の対応が心配ゆえ、この際ぜひあのセコムの老人見回り保険に加入せよという。その流れで三日後の5日には業者がやってきて、息子の立会いの下でとうとう契約を交わす始末となった。夫婦2人はその週のうちに帰国(?)してもう日本にはいないのだが、今日13日には追いかけるようにセコムのひとたち3人がやってきて、3LDKの各所に監視カメラを含む5か所の必要器具を取り付ける。なんとその工事とともに契約は実際にスタートを切ったのだ。なんだかジョージ・オウエルのモデル空間が、突然わが身の回りに構築された思い。中で首から下げる緊急呼び出しのベルだけは、思い余ってベッド脇の壁にぶら下げることにしたので止むを得ないが、他の器具は日常なるべく目に入れないようにしようと思う。中でいささか慰めに思えた唯一の設備は、玄関ドアに取り付けられたお出かけ箱。鍵を差し込むと「いってらっしゃい」。帰宅時にはそれが「おかえりなさい」という若い女性の声に代わる。なんだか長年の探し物に出会ったようで一瞬切なかった。(2月13日)

 ■ 久々に映画を見た

 長い間劇場へ足を運んでいないことに気づき、時間があってどこかの映画を見たいと思い立ったが、さてどうしてもという作品が見当たらない。それに足が悪くて遠出はゴメンだ。パソコンと新聞などで当たってみたが、結局岩波ホールにかかっている「こどもしょくどう」に決めて出かけた。ここだと場所的にもJRと地下鉄でのりかえ一回ですむことが最後の決め手だった。作品は子供の目を通した貧富の差、社会の底をつく立派なものだが、やや周囲の人物描写が美化し過ぎていてその点がいささか気になった。主役である子供の両親は居酒屋を営んでいているのだが、わが子が自分の感情だけで次々と勝手に貧しい仲間を連れこんでも、だまって食事や部屋を与えておとがめなし。そこまではゆるせるとして、ついに子供は売上金にまで手を付けて一同旅行に出る。それでも平気なのは、ちょっと生活感がなさすぎやしないか。これが例えば山田洋次の映画なら、ここから問題が起こって新しいドラマが展開するだろう。
 ともあれ一応満足して帰路は地上をJRの水道橋まで歩いてみた。あたり一帯はまだ古書店を含む多くの本屋さんが残っており、なつかしい庶民食堂もそのままのたたずまいで軒を連ねている。昔はよく飛び込みでいっぱいひっかけに飛び込んだりしたものだった。だが今は問題外、そしてこの白山通りの700メートルの長かったこと。この日は杖を持って出かけなかったので、なおのことグッタリしてしまった。(3月29日)

 ■ 四泊五日の入院

 左眼に発生した”黄斑円孔”とやらの疾患で、何十年ぶりかの入院体験をした。場所は西新宿所在の東京医科大学病院。実は先月のこと、お決まりの風邪をひき39度の熱を出して国分寺病院で診てもらったところ、肺炎の疑いありということで入院を勧められたのだが、なんとかその時は自力で精進を誓約、ぎりぎりのところ自宅療養で切り抜けた。ところが一か月経ってまたもやこの始末。これも運命かとひとり早朝から大きなバッグを引っ提げて直行、手続きを済ました。
 ところが入ってみるとこれがなかなかの快適。日ごろ強いられている一人生活の反動か、なにもかもが看護婦さん付きでスイスイ事の運ぶ気楽さは、これいわば王者の味わう一流のホテル生活みたいだわいとひとり悦に入っていた。
 おかげで31日の午後執刀されたオペもさほど苦にならず、それなりの微痛はあったが、その間私の視界に現れた風景は、ピンセットの先端を含めてちょうど抽象画のような硝子体内部の流動ビデオそのもの。そんなヴィジョンを楽しむうちに前後10数分の執刀もあっという間に終わってしまった。
 その後3泊して家に戻ったが、留守間の整理や片付け食事など、型通りせせこましい庶民生活(?)に戻っている。問題の左眼だが、視界の方はまだぼやけていて注入したガスがまだ抜け切っていないらしい。今週6日に再診が設定れている。(6月3日)

 ■ 全身これ施薬の対象

 言葉の正確な定義では、施薬とは無料で人に薬を与えるという意味らしいが、後期高齢者の身としては、処方薬はすべて一割支払いの特権を行使しており、ある意味似たり寄ったりの身分と言えなくもない。そして昨今通院・受診している病気の種類は、眼科、歯科、心臓、整形外科、泌尿系、ペインクリニックと、まことに多肢多彩に亘っていて、毎日と言っていいぐらいそのどこかえ出向くのが日課となっているぐらい、この本人もいささかうんざりしている次第だ。
 それでいてその効果といえば、完治といえるものは一つもない。ごく最近手術を受けた左眼の”黄斑円孔”とやらも、なるほど視界の中央にあったビー玉大の黒影はなくなったものの、代わって映像の歪みは逆にひどくなったようだ。執刀医にそれを言ったら、それはどうしようもない、それは治療の対象外でそれゆえ手術は成功したのだという。睡眠中に3,4度の夜尿に悩まされ、困って訪ねた泌尿病院だったが、2か月近く薬を飲まされ、結果それが4,5度にに頻度が高まり、結論としてはここで薬をストップしたらどんな逆変化が現れるだろうかという合意で通院を止めたのだが結果はそのまま、馬鹿らしくなってそれ以後足を運んでいない。
 いや医師を責めているのではない。責任はすべて私の方にある。もっと正確に言えば”自然”こそが犯人と断じてもいいだろう。老化だ、すべての生き物は衰え、「死」にむかってまっすぐに突き進むだけだ。この大自然の法則に打ち克つ奴はどこにもいない。それを前提に老後の生き方はすべて考えるべし。「百年人生」など、どこの国のどこの鼻たれがうそぶき出した戯言だろうか。ましてやそのための貯金目標2000万円とやらに至っては。(7月1日)

 ■ 電子本になった「ナナとジャン」

  三年前前に活字本として世に出た上下2冊の読み物「ナナとジャン」。このおそらくは最後の私の著作であろう出版物が、縁あって今回新しい装丁の下に、1巻の電子本としてもう一度お目見えすることになった。購入定価は一括1000円也。活字本の4分の一以下の値段だが内容に書き換えや変化はない。発行は〔22世紀アート出版〕、アマゾンの扱いで同社のKindleリストに加えられた。
 昨今のIT環境になじんだ世代では、次第に電子媒体による読書の層も膨らんできたという。こういうのを正しく”本の蘇生”というのだろうか。表紙の絵も左図のとおり向かい合った若い男女のシルエットという思い切って若々しいたデザインに描き替えられた。60年以上も前の古い書き手である私としても、いささか若返った気分がしないでもない。せいぜい新しい読者層との縁ができればこんなうれしいことはない。(8月6日)

 ■ おのれの英文を和訳する

 ここ1週間おのれが書いた英文を自分で日本語に訳すという妙な作業に追われている。実は「ナナとジャン」の電子本出版で世話になった〔22世紀アート〕のN氏にすすめられ、これまでに書き散らかしたり未発表のままになっている原稿をまとめて、さらに年を明けるころ追加の出版はどうですかと打診された。冥途の土産みたいな仕事である。ところがこれが中学校時代の校友誌に掲載した詩歌や、文学青年時代の同人誌などからはじめると、けっこう纏まった量になる。そこでついつい約束してしまったのだが、そのまとめ作業中、なかに80年代に半分語学の勉強のつもりで書いたらしい十数編の英文エッセーが見つかった。読んでみると表現自体は未熟そのものだが、とりあげている題材の方はなかなかに面白い。そこで編集者の意向でそれらに日本語訳を添えて取り上げてみてはどうかということになった。その結果今その英文をなんとそれを書いたご本人が日本語に移し替えるという妙な作業が始まったのである。全部で16本、邦訳にして1本500字前後の短いものだが、そこはそれ盛りを過ぎた老体には軽い仕事とは言えず、毎朝午前中の時間いっぱいを当てて1稿仕上げるのが精いっぱいのペース。それでも自分ながらやっぱり日本人には日本語の文章の方がはるかに向いているなど、あたりまえのことを妙に感心つつ、毎日せいいっぱいパソコンに向かって自文自訳の業を打ち続けているところである。(10月7日)

 ■ おしまいを迎えてしまった

 おしまいというのはわたしの寿命のことではなく、単なる年末の意味。きよう2019年12月31日は、朝からここ数日書き続けている現代舞踊協会への原稿をやっと書き終え、やれやれと開放気分で立川まで出て、しばらくぶりに映画を見てきた。山田洋次監督の「お帰り寅さん」である。過去の”男はつらいよ”シリーズで活躍した渥美清のカットを巧みに生かし、今の時代の柴又ストーリーをあらたに作り出した。劇中に倍賞千恵子はもちろん、若き日の浅丘るりとか吉永小百合、山本富士子、新玉三千代、大原麗子などが次々に出てくるだけでも、われわれ中老の世代を喜ばせるに十分だが、新しいストーリーの方でも、相変わらず独自の泣き笑いで日本人の心情をくすぐる点は、いかにもこの監督らしい職人芸だ。たしか私より1,2歳若いだけの東大出だが、ひょうひょうたる外貌に似合わず、その創作欲とエネルギーは大したもの。それに比べてコチトラは、たかだか3200字の原稿作成にふーふー。つくずく中古車になりさがったことを実感している。駅まで自転車を利用したせいもあるが、帰路どこかで一杯ひっかける元気もなく、3000円で仕入れたお節料理の材料を木箱に並べて、ひとりチビリチビリ。そのあと「紅白」はもちろん、除夜の鐘も聞かずにお休みとは、いささかわびしい今日一日大みそかの締めくくりでした。(12月31日)

 
          2020

 ■  サウナ湯さがし徒労の記

 わたしの生活圏である国分寺市にサウナ風呂がなくなって以来、ここ数年不便を承知で三鷹市の「あさひ湯」なる銭湯に月2〜3回のペースで通っている。誰に紹介されたか、たぶん調布市に住居を構えていた息子の推薦がきっかけだったかと思う。しかしこのところかっきり足腰が弱り、息子一家も夫婦で韓国ソウル勤務になったこともあってか、バス・JR乗り継ぎの遠距離入湯行が次第におっくうになってきた。
 そこで一念発起。もっと近くに手軽に入れる銭湯併営のサウナなどないものかと、ネットで検索してみたところ、立川駅南口から徒歩500メートルあたりにT湯、国分寺駅南口からバスに乗って3ストップ目の沿道沿いにM湯と、計2軒のサウナ付の銭湯があるらしい。早速あたってみようと今日は天気も良く、特別の予定もないところから散歩のつもりもかねて昼食後13時過ぎに家を出た。まず初めに立川へ出てT湯の所在を確かめ、そのあと国分寺へまわってM湯でゆっくりサウナを楽しんでから、かえりは駅の天ぷら店で一杯という皮算用だったのである。
 ところがこれがなかなかの難苦行。スマホの地図でたしかめながら歩き出したつもりが、どっこい近くへきてもそう簡単に敵サンは見つからない。電話をしても不在。結局行きずりや小さなお店をたたいて訊ねまわった結果、すぐ目の前にあるレンガつくりの角の家がそうだとわかったのがほぼ14時半。鎧戸がおりていて上に15時開店と書かれている。あとの予定があるのでそのまま引き返し、再び国分寺駅南口からバスに乗って間違いなく3つ目で下車、比較的楽にM湯は見つかったが、こちらの開店は16時からとある。やむなく30分ばかりをあたりのコンピュータや百円ショップで費やし、ようやく時間が来てそれとばかり飛び込んだところ、なんとこちらのサウナはカマが壊れて目下休業中だという。ギャフン!これには参ってもはやどこへ出かける気力も消え失せ、バスへ乗ってまっすぐ家へ帰ってきた。(1月21日)

 ■ スワ救急車で病院へ

 生まれて初めて救急車に乗った。いや運転台にではない、れっきとした(?)患者としてである。
 話というのはこうだ。先日ことしに入って最初の「よっこら処」の会合があり、その席上リーダーの植田氏から脳梗塞の話があった。なんでも暮れに同氏が立ち会った体験報告で、”頭痛が続いたり”、”ロレツガ回りにくく”、また”よだれが出たりする”場合は十分にその可能性があると。
 ところが実はその通りの軽い症状がここ数日わたしの身にも起こっていたのだ。頭が痛く連日熱もないのにカラ咳がおさまらない。口もとがたよりない。そこで気になって前回目の手術で入院した日本医科大学病院に電話で相談してみたたところ、もっと近い場所がいいのではと、アドバイスとして#7119の存在を教えてくれた。だがとりあえずその日はそれで終ったのだ。
 ところが翌朝になっても頭痛は治まらない。そこで起き抜けに上記の番号を呼び出して症状を伝えたところ、生活環境などを訊かれ独り住まいだとわかると、立ちどころに「今すぐ手配しますから」と、なんと10分もたたぬうちにわがマンションの玄関に救急車が横付けになっていた。
 こうしてあっという間にわたしは立川病院のER室へと運ばれ、有無を言わせずMRIとCTによる脳内チェックを受ける身とはなったのだ。しかし幸にも結果は合格点。異常なしのハンコを押され、帰りは反対にひとりでバスと電車で、1時半ごろにはもうわが家へとたどり着いていた。病院のベッドで生まれて初めて尿瓶を使う体験など、ふり返るとなんだか夢を見ていたような、そのくせどこかで思わぬ一等くじを引き当てたような、実に奇妙な気分を味わうこの日の体験だった。(1月24日)

 ■ 自転車取り違え騒動記

 規格品が人間をまどわす、といえばある意味逃げ口上になるだろう。しかし実際にそんなミスが起こって、思いもかけず余計な迷惑を人にかけてしまった。今日の午後は天気も良く、久々に思い立って、自転車で市営プールへ。一時間ほど遊泳したあと帰りみちにちょっと恋ヶ窪図書館へ寄り道をして気になっていた雑誌を拾い読みした後、さて帰ろうとして玄関わきに置いた自転車に乗ろうとしたところ、どうしたわけかカギが効かない。いっくら差し込んでもそれっきりでストッパーが撥ねないのだ。こいつには参った。やむなく1キロ近く先にある修理屋まで、文字通りウンウン唸りながら車体を引きずるようにして持ち込み、とにかく部品を取り換えてくれと依頼したうえ家まで歩いて帰った。ところがそのあと30分ほどして、自転車屋から電話が入って曰く、「あなたは他人の自転車を持ち込んでいます」。何のことかとあわてて駆け戻ったところ、そこに本来の自転車所有者だという女性が、半ばあきれ顔でげんなりした様子で仲間の若い友人2人と並んで私を待っていた。みんなで探し回ったのだという。「そっくりですが、あなたの自転車のサドルは褐色、わたしのは黒です」。いずれもパナソニック製品で、その他の部分もバッテリーはもとより前後の荷台まで酷似した2台の電動アシスト自転車。しかし間違えた犯人は私に違いなく、日曜日で入口脇が込んでいて、ついいつもと少し離れたところに置いたことをすっかり失念しての失敗だった。平謝りに謝った末、すり減ったタイヤの取り換え代7金5,500円也を支払って、なんとかその場を勘弁してもらった。以上お粗末の一席。(2月2日)

 ■ コロナ騒動下の花見

 新型コロナウイルスの蔓延で、今年の春は世界中が大騒動。海を隔てた極東の列島国ニッポンでもこの春は例年のお花見や野外酒はさっぱり。そんななかを昨日京都に住む中学時代からの友人Kから封書が届いた。開けてみると中から左のような
一枚の写真が飛び出し、覚えのある直筆の説明に曰く。
 「(前略)当方の門前の桜 ? ようやく、写真の姿になりました。約50年前、この場所へ新築移転して程なく、子供たちと宝ヶ池へ行き、子供が手に握って帰ってきたサクランボ ? の数粒を庭先に植えたのがこの大木に成長したものです。花を最初に咲かせたのは7〜8年ほど経ってからでした。今では1本のみの大樹ですが、毎年この状態で咲いてくれます。丁度昨3月28日がこの写真です。ご笑納ください」 とあった。
 Kとよく交友したのは戦争中から戦後にかけて、それも烏丸・松原通りといういわば京の街のど真ん中界隈だったから、今彼の住む嵐山に近い等持院の新居のことはほとんど知らない。二度ばかり訪ねて行ったことはあるのだが、季節も別で前庭に植わったこの桜の木については、全くと言っていいほど記憶にない。まだ苗木のころだったか、または全然季節がはずれていたのか。
 いずれにしてもこの春はKもまたコロナ騒動に襲撃され、いつになく心傷ついているのに違いない。そして遠く東都にあって同じく蟄居を強いられているだろう旧友の上に思いをはせ、せめてわが家に花咲いた一本の桜情報をお裾分けにと知らせてくれたのに違いない。うれしい限りだ。(4月3日)

 ■ 久米ジョッキーの新鮮

 radikoというアプリがあって、これを活用すると聴き落としたラジオ番組をもう一度呼び起こして耳でたしかめることが可能であることを最近知った。並行してその昔テレビ朝日の報道番組 『ニュース・ステーション』 で、名キャスターとしてその声価を高めた元アナウンサーの久米宏さんが、その後古巣のTBSで『久米宏のラジオなんですけど』という週1回の番組を出していることは早くから知っていたが、まだこれまで一度も聴いたことはなかった。
 ところが最近友人からこの番組での久米の反オリンピック論が立派だと聞いて、きょう日曜日の午後、その気になって前日に生放送されたその中身を頭から聞いてみた。いや、さすが名刀いまだ衰えず。おもしろくて鋭く新鮮、でなくとも目下列島ともども世界中はコロナ騒動の真さい中、問題と料理ネタには事欠かない、あいまいで口先だけのその行政は、アベマスクの思い付き発想と10万円申請の書類未着が、いつわらざるそのタネアカシであると、パートナー堀井アナを巻き込んで、知的で皮肉、開放的かつおトボケ哄笑の連発だ。
 ただしそのオモシロさは今や地上波テレビなどでそれがゲネラル・バスとなったわれらが放送界持病のゲラゲラ笑いとは違い、十分に知的で皮肉っぽく,そのくせその視点があくまで市民とお茶の間レベルから決して離れないところがこの番組の見事なレゾン・デートルとなっている。いやあ、ひさびさに鬱屈しないで自由闊達なおしゃべりが、そっくりそのまま批評言辞として通用する、あの自由で明るいかつての時代に立ち戻ったすがすがしさを覚え、とうとう丸2時間をノンストップで一気に聴き通してしまったという、以上ご報告まで。(5月10日)









   梅雨のように