昭和53年 |
48歳 |
ロシア出張(TBS)/キュービック第1回公演 |
昭和54年
|
49歳 |
4月付けでTBSを退職 |
昭和55年
-1980− |
50歳 |
キュービックのオーストラリア・シドニー公演 |
昭和56年 |
51歳 |
母すて没(5月12日) 1894-1981 86才 |
昭和57年 |
52歳 |
キュービック第5回公演(「地球は汗をかいている」) |
昭和58年 |
53歳 |
「太陽と砂との対話」出版(鵜飼宏明) |
昭和60年
−1985− |
55歳 |
日航ジャンボ747機が御巣鷹山に墜落(8月) |
昭和61年
|
56歳 |
キュービック第10回公演(「体育館のペトルーシュカ」) |
昭和63年 |
58歳 |
岳父宇佐美稔没 81歳(2月22日) 初孫 航 誕生(6/1) |
昭和64年 |
59歳 |
昭和天皇没(1月7日) ベルリンの壁崩壊 |
平成2年
−1990-
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60歳 |
キュービック最終公演(「虫めづる姫君」) 優子誕生(7/10) |
平成3年 |
61歳 |
淑徳短期大学の非常勤講師となる(1991-1997) |
平成6年 |
64歳 |
「竹久夢二の淡き女たち」出版(日下四郎) |
平成8年 |
66歳 |
義母宇佐美雪枝没 86才(5月31日) |
平成9年 |
67歳 |
「東京大学学生演劇75年史」「現代舞踊がみえてくる」出版 |
平成10年 |
68歳 |
日本女子体育大学大学院への非常勤出講(1998-2000) |
平成12年
−2000- |
70歳 |
人工膝関節手術で倫美入院(5月) シドニーオリンピック |
平成15年 |
73歳 |
ダンス・エッセー「ダンスの窓から」出版 |
平成17年 |
75歳 |
「さすが舞踊、されど舞踊」出版(文芸社) |
平成19年 |
77歳 |
「ルドルフ・ラバン」(翻訳)出版 三輝容子没(5月10日) |
平成21年 |
79歳 |
「続・ダンスの窓から」出版 |
平成22年
-2010- |
80歳 |
倫美特養老人ホームへ入所(3月15日) |
平成23年 |
81歳 |
3月11日東日本大震災(福島原発メルトダウン) |
平成24年 |
82歳 |
「新・ダンスの窓から」、「選・ダンスの窓から」を春・秋に夫々出版 |
平成25年 |
83歳 |
「選・ダンスの窓から」の電子版が完成 |
平成26年 |
84歳 |
舞踊評論の絶筆を宣言。12月kk-VIDEOへの100号E原稿を以て完全撤退
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平成27年
-2015- |
85歳 |
「現代舞踊のパイオニア」発刊。高田夫妻コーナーを執筆(丸善出版)
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平成28年 |
86歳 |
1月2日実妹こと佐藤達子伊豆宅で急死(82才3か月)
昭和20年代の青春譜「ナナとジャン」上下本を2月に出版 (青風舎)
4月4日妻倫美国分寺病院にて肺炎死(83歳2か月)
旧宅を整理して売却、ライオンズ・マンション恋ヶ窪へ転居
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平成29年 |
87歳 |
3空間に閉じ込められたマンション生活での初年度1年を生き延びる |
平成30年 |
88歳 |
Amazonから電子ブック版「さすが舞踊、されど舞踊」(2005)が改装発刊 |
令和元年 |
89歳 |
同じく「ナナとジャン」(2016)が合本としてPOD付きで電子出版される 平成天皇の譲位により5月1日をもって令和時代が始まる |
令和2年
-2020-
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90歳 |
年初より中国発のコロナ感染が全地球的に広まりついに年内終結を見ず
卒寿達成を記念して「市民と芸術」(アート篇とジャーナル篇の2冊)を刊行 |
令和3年 |
91歳 |
日本ヨーロッパ交流交流展に「ナナとジャン」の一部が抜粋展示される |
令和4年 |
92歳 |
2月24日、ロシアが隣国のウクライナ東部に軍事的侵略を開始
「ナナとジャン」の英訳とオーディオ版 「市民」と芸術」(総合編)の出版
4月長年の外国勤務を終え卓一家がnifcoを退社、以後調布に定着する
パリ、ヴェネチア、シンガポールの文化展で夫々「ナナとジャン」が抜粋掲示
対話形式の自伝本「人生三つの踊り場」を出版
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令和5年 |
93歳 |
12月1日の朝ベッド上で虚血症に襲われ救急車で病院へ搬入される。 中旬から約10日間国分寺病院へ入院。 |
令和6年 |
94歳 |
さすがに肉体の各機関で劣化が進み、非生産的な毎日が続く。
2月から毎週火曜日はデイケア・センター通いの身となる。さらに9月末 からは金曜日も。 |