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ギャラリー風の空間


藝術レポート&考察のコラム
2014
★ 新しく開設したこのコラムの最初の項目は、文字通り日常の”生”を対極とする、なにか芸術上の”死”に関わる素材をと考えていたが、何と今日観て来たばかりの松竹映画『小さいおうち』をレポートする結果となった。ここにはその両者が見事に共存している。ともかくいたく感激したのである。感激というより、ありていに言って涙、涙、涙。いい年をしてこんなに泣かされた映画は、私にとって近年珍しい。というのも中身は東北から東京へ女中奉公に出たある女性の半自伝なのだが、ちょうど私の生きてきた昭和シングルから今に至る時期に重なり合っていると共に、そこに出てくる人間が山田監督の愛情あふれる心根を通してヒタヒタと伝わって来るのだ。これは出色の日本人観と戦争批判を打ち出した、近来にないすぐれた日本映画だといえるのではないか。中島京子の書いたという直木賞の原作は未読だが、「自分の人生を大切に生きている人々」を描いては右に出る者のいないこの監督が、晩年に来て「寅さん」を凌駕する傑作を生み落したと断言してはばからない。(1月29日)

★ 両国は回向院の隣地に居を構えて20年、すっかり下町名所の一つになった感のあるシアターXが、目下第11回IDTF(国際舞台芸術祭)を目下上演進行中だ。11日には前夜祭として、「サーカスはリヤカーに乗って」という反骨の身体ショーがあり、ダンスとシアターにわたる多種の作品を取り揃え、来月6日まで15ステージを披露する。私は90年代以来の出入りだが、1994年第1回の公演以来、制作を支える経済的状況が年々悪化、今ではかつて一時期の贅沢や無駄が決して許されないきびしい環境にあることが、今更のようにひしひしと伝わってくる。しかしまだ3日目だが、今日の舞台を見てきて、上田プロデューサー以下制作人のモラルといおうか、当初からのエスプリは少しも沈下していないことを痛感した。今さらではないが、芸術とは儲けではなく文化の質のことだ。矢野通子久々の快作「変幻舞い」にも、魂に迫る十分の感動を覚えたし、続くダンス2本と松川プロの伝説作品の引用朗読にも、それぞれ前衛の奔放とすぐれた感受性がたっぷり盛り込まれていた点、商業舞台では決して出会う事のない、ギリギリの演劇魂を堪能させるものがあった。(6月15日)

 ★ 案内状が舞い込み、杉並公会堂の大ホールで≪パーカッショングループ72≫が、第27回目の定期演奏会をやるというので、久々に勇んで出向いた。演目がスティーヴ・ライヒの「ドラミング」全曲というのも魅力だった。思えば同グループはその名のとおり、1972年に結成された打楽器奏者の集団で、その10年前にヨーロッパで結成され、日本にも遠征してきた≪ストラスブール・パーカッション≫の評判に刺激され、東京芸術大学の学生が中心になって結成された新進グループである。それともう一つの縁は、ちょうどその前後に設立した私たちの舞踊集団≪ダンスシアター・キュービック≫の公演で、”ダンスと音楽”というテーマの下に共演してくれた古い付き合いの仲間でもあるのだ。初期にはチャペスやケージなど短い曲を集めたプログラムが多かったが、今回のは舞台にマリンバ、グロッケン、ドラム以下の楽器を豊富に並べ、それを代表の永曾重光以下、昔に比べ髪の毛こそ少々薄くなったが、ほぼ同じ顔ぶれのメンバー12名を全員揃え、パフォーミングアーツとしても迫力充分の出来で、60分を一気に演じて楽しませてくれた力量は、さすがだったといえる。(9月12日)

 ★ 社会へ出た時期と、映画全盛時代がほぼ重なっていた世代のひとりとして、今でも映画を見るのは決して嫌いではない。しかし今日では芸術・情報メディアが急激に広がったのと、逆に作品の質的レベルが落ちていて、なかなか名作と出会うチャンスが少ない。もっと熱心に探し出せば必ず秀作はあるのだろうが、つい新聞・ラジオの評判だけを頼りに思い付きで出かけるものだから、期待どおりの感動が得られず失望を味わってしまう。いま話題になっている吉永小百合の「ふしぎな岬の物語」も、それほど感心しなかった。これにはひとつ当方の齢のせいもある。フィクションに対する猜疑心がどこかに潜んでいるのだ。その点昨日見たドキュメンタリの記録映画「イラク〜チグリスに浮かぶ平和」はすごかった。バグダッドに住むある家族との10年越しの交流を、日本のカメラマンが現地を訪れるたびに撮って繋いだだけのフィルムだが、アメリカという国が中東で犯した罪の深さを、人の生死を通してまざまざと見せつけられた。フィクションに比べて何倍の涙が流れ出たことか。(10月30日)
2015
 ★ 2007年の夏以来、一手に引き受けてきた舞踊批評のコラム、kk-VIDEOプロダクションのサイトシリーズ〔DANCING×DANCING〕への投稿が、この2015年への年度替わりで、ちょうど100回目を数えるに至った(現在同社のホームページにUPされている文章がそれ)。そこでかねての申し入れどおり、これを機に私の専属執筆の役割りを、すべて降ろさせてもらうことで了解をとりつける。いっぽう私個人のウエブ・サイトだった〔社会とダンス〕の方も、すでに1年前の年末で閉鎖しているので、これでオンライン上に見る舞踊がらみの私の文筆活動はいっさい消滅したことになる。すべては1年半前に突然おそわれた膝の痛み、リューマチ性の脚部疾患が元凶だが、現金なものでとたんにこれまでは月に10本を超える頻度で観に行ったダンスの舞台も、今月に入ってからはわずか2本しか足を運んでいない。やれやれという気の緩みとともに、どこかで寂しい思いをしていることも確かである。しかし過去は過去、神のみぞ知るこれから先の歳月をどうこなしていくのか。目下放心の毎日である。(1月27日)

 ★ 「中を見せてください」。そう言って業者が蓋を開けると、並んだ音律盤の隅から一枚の紙片が出てきた。半ば変色した調律検査の記録カードである。昭和44年出荷の文字がある。そうか、もう半世紀もの昔のことか、このマハゴニー製のピアノを我が家に入れたのは。小学生のころ父にねだってかなわなかった少年の夢。やむなく先生の許可を得て、放課後学校の音楽室で、がむしゃらにバイエルやチェルニーと格闘していた変な優男。その後父の死、敗戦と、時代は替わって大学卒業後は、めっちゃいそがしい生活一途の非芸術時代だった。でもその代償にいくばくかの貯金も出来た頃、思い切ってわが家の一隅にそなえつけようと、待望の購入を実現させたのだ。喜びのあまり、当初はレッスン再開して熱中。なんとかスコット・ジョプリンの小曲ぐらいこなせるレベルまで、失地回復したつもりだったのだが……。その後は再び仕事にかまけ、ついつい物置棚同然の代用家具として殆ど放置状態が続いた。それが最近ひょんなことから買い手が現われ、今度は”就活”ならぬ”終活”計画の対象として、これを手放すことになったのだ。人生の浮き沈みのように、ついにわが家から姿を消した、これが私のピアノ物語でした。(3月17日)

 ★ 広域の東京都には、全国組織の「現代舞踊協会(CDAJ)」以外に、必ずしも区単位ではなく、各地域の舞踊家による任意のグルーピングが成立していて、定期的な発表の機会を行ったりしている。「新宿舞踊家協会」もその一つで、かつて仲間だった故・三輝容子さんが会長としてスタートさせたシリーズもの。年一回の企画だが、今年は発足25周年記念ということで、古参メンバーの前田華林さんから丁寧な案内があり、本人も出演するというので、足を引きずりながら久々に出向いた。彼女の作品は『思い出のマーチ』と題したソロ。それも舞台中央に坐したまま、両足でタップを踏みつつ、幼少時から戦中、戦後を生き抜いてきたおのれの過去を、みずからの朗読で振り返るという少々変わった作風。構成は単純だが、最後に「この国の政治に今またあの忌まわしい戦争の危機を感じる」と結んだ〆はよかった。現代舞踊ならではの面目だ。おもわず「そうだ!」と叫びそうになったのだが、タイミングを逸して果たせなかったのは残念。代わつてライト・フォールに精いっぱいの拍手を送ったのだが、はたして伝わっただろうか。とまれこれ1本でも記念公演を意味付ける充分の価値があったと思いたい。(6月22日)

 ★ ポッダム宣言受諾の御前会議と、それに続く玉音放送の収録・決行をめぐる葛藤の歴史映画「日本のいちばん長い日」の新版が、いま各地で上映中である。私は岡本喜八監督の初版を、1967年の封切り時に観ていて、はからずも両者を比較鑑賞する結果となったが、何を隠そう中味はほとんどボヤけていて、たまたま過日NHKがBS放送で過日再放送してくれたおかげで、ようやく細目を再確認することができたという次第。第一画面にフィルムが流れ出して、あッこれは白黒映画だったんだと気が付いたぐらいだから、人の脳ミソの記憶力たるや頼りないもの。それでも三船敏郎はもちろん、志村喬や藤田進、はては山村聰など懐かしい俳優さんの名前はほとんどすべて覚えていた。対する新作のカラー版は堂々と天皇(本木雅弘)を正面から取り込み、鈴木首相(山崎努)と阿南陸相(役所広司)の3者をからませた人間ドラマとして描いた演出が特色と見た。両者一長一短だが、サスペンス風の展開を軸とした岡本演出は、画一的な軍人描写が生きて、かえって見せものとしての面白さに仕上がっていたと見たがどうであろうか。それゆえただひとり飄々たる俳優笠智衆のもち味が、人間貫太郎を浮き出させて巧妙だと、あらためて且なつかしく感心させられた。(9月11日)
2016
 ★ 恩地孝四郎展を竹橋の近代美術館で観る。この展覧会実は今年に入ってすでに1月13日から始まっており、今は恩地研究の権威であり、同時にアテネ・フランセ時代からのクラスメイトでもある聖徳大学の桑原規子さんに、早くから声を掛けられていた。ところがそこへ突然妹達子の急逝という事態が持ち上がり、結局この月に入って閉展3日前の25日に危うく滑り込みという結果になった。当日同女に案内され、午前中を費やしてこの貴重な抽象美術の先駆者恩地の集大成を、じっくり堪能する。そこで初めて知ったのは、初期のペン画などにみられるこの作家のピリピリするような鋭い感性である。版画家として世に認められたアブストラクト界の前衛作家だが、生みだされた多くのオブジェ――あえて人物を排しひたすらモノやカタチを追い続けたとみえるこの作家の版画の裏には、常にその鋭い感性が波打つように作品をの支えになっていたという発見だ。そこに「港屋」以来の竹久夢二との切っても切れない師弟関係もおのずと首肯される思いを持った。(2月27日)

 ★ ひょんなことから小津安二郎の代表作とされる名画「東京物語」のDVDを手に入れた。実は健康のため最近は一日1000歩以上のウォーキングをノルマにしているのだが、先日いつもお決まりのコースを少々変えて、西国分寺駅へ立ち寄ったところ、そこの構内で売りに出ているのを見つけたのだ。それも1パック千円也。これは拾いものだとすぐその場で買い求め、その日の夕食後、早速にテレビのモニター前に陣取り、久々の鑑賞に及んだ。主役の笠智衆を囲み、三宅邦子、杉村春子、東山千栄子、山村聰、中村伸郎、そして原節子など、懐かしく豪華でところを得たキャステイング。中身はゆっくりしたテンポで、特に大きな事件もない2時間半の長尺だが、最後まで観る人の心をひきつけて離さない。われわれの誰にも通底する日本人のメンタリティと家族というつながり。にもかかわらずそこに介在するどうしようもない淋しさと孤独。ラストシーンで老夫婦から感謝される義理嫁が、それを否定して内心を責めて見せる寡婦の告白に、人間小津の誠実で深い人間愛が浮び出て思わず涙を誘う。いまさらながら珠玉の一品であることを再確認した。(11月16日)
2017
 ★ 久しぶりに舞台作品に接した。といっても決して創作ダンスではなく、れっきとした現代演劇――劇団こまつ座の手になる井上ひさし作「きらめく星座」というお芝居だ。実はこれ2週間ほど前に、この舞台の演出を担当している栗山民也氏を取材した「演劇から世界と人間を学ぶ」という見出しの赤旗日曜版の記事を読み、久しく舞台芸術から遠ざかっているその種の感動をぜひこの身で味わってみたいと思ったのがきっかけだ。すぐその場で劇団へ電話して切符を入手、幸い朝からの上天気の当日、杖を片手に南新宿は高島屋界隈の変化に戸惑いながら、これも久々に7Fのサザン劇場に到着した。平日ながらほぼ満席に近い客足。始まってみると予想たがわず、そこに展開するのは迫りくる日米開戦前夜の苦境を屈託なく生きるレコード店オデオン堂一家の庶民の日々と、それを容赦なく締め付ける国家権力の取り締まり。そこに出てくる当時の流行曲は、どれ一つとして私の記憶にないものはなかった。タイトルの「きらめく星座」をはじめ、「隣組」「チャイナ・タンゴ」「雨のブルース」etc。「真白き富士の〜」を歌いながらバケツリレーをする家族のシーンには、思わず涙が流れた。それらを素材に同時代を生きたこの作家の、ミュージカル調理の鋭い風刺劇。その巧みな作劇術にしっかり酔わせられた気分で劇場を後にした。(11月21日)

(以後の所見は別ページ「とびとび日記」へ収録されこの項目は解消されます)