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1930年 京都市に生まれる。家業は法衣仏具店
  33年 10月妹達子の誕生
  37年 尚徳尋常小学校に入る 7月7日支那(日中)戦争が勃発 まもなく小学校は国民学校と改称される
  41年 12月8日未明太平洋戦争はじまる(パールハーバー)
  42年 緒戦の勝利も空しく、10月ガダルカナル島沖の攻防での日本海軍が大敗。
  43年 松原中学校(市立一中)へ入学
  45年 東京大空襲 8月15日停戦
  48年 旧第3高等学校に入学、文科丙類(フランス語:伊吹武彦先生)に学ぶ
  49年 新制東京大学を受験、文化一類に入学 
  53年 3月同校を卒業 学部はドイツ文学科(相良守峰教授) 卒業論文は〔ゲオルグ・ビュッヒナー〕


社会人としての足跡 1953〜現在

年度 年齢 所属・行為・出来事 その他
昭和28年   23歳  東京放送(JOKR)入社/ラジオ編成局/宇佐美倫美と結婚
昭和30年
-1955-
  25歳  文芸部演劇科 ラジオドラマ・安倍公房作「鉛の卵」ほか
昭和33年   28歳  テレビ局へ移動 〈テレビ幼稚園〉など朝の番組を受け持つ
昭和34年   29歳  2月18日長男卓が生まれた(立川病院)
昭和36年   31歳  ぬいぐるみ子供音楽劇「ロボッタン」 三輝容子と知り合う
昭和39年   34歳  立川へ引っ越し 10月東京オリンピック開催
昭和40年−1965−   35歳  資生堂番組「女性専科」でハワイ取材 ホステス野際陽子
昭和41年
  36歳  「アレキサンダー東征の道」で中近東一帯をサーヴェイ
昭和42年   37歳  ヨーロッパへ映画取材 由美かほる、関口宏 らと
昭和44年 39歳  アメリカへ放送事情を視察出張 (ロス、ニューヨーク他)
昭和45年−1970-
  40歳  11月25日三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊官舎で自決
昭和46年 41歳  TBS朝のワイドショー「モーニング・ジャンボ」プロデュース
昭和47年 42歳  ミュンヘンオリンピック L.リーフェンシュタイン取材(文春)
昭和48年   43歳  報道制作部へ移動 「Passport4」担当でロス&カナダへ
昭和50年−1975−   45歳  「テレビルポルタージュ」プロデユーサーとして選任
昭和51年   46歳  報道制作部長に就任/ 「モダンダンス出航」(日下四郎)
 
         
 
昭和53年   48歳  ロシア出張(TBS)/キュービック第1回公演
昭和54年
  49歳  4月付けでTBSを退職
昭和55年-1980−   50歳  キュービックのオーストラリア・シドニー公演
昭和56年   51歳  母すて没(5月12日) 1894-1981
昭和57年   52歳  キュービック第5回公演(「地球は汗をかいている」)
昭和58年   53歳  「太陽と砂との対話」出版(鵜飼宏明)
昭和60年−1985−   55歳  日航ジャンボ747機が御巣鷹山に墜落(8月)
昭和61年
  56歳  キュービック第10回公演(「体育館のペトルーシュカ」)
昭和63年   58歳  岳父宇佐美稔没 81歳(2月22日) 初孫 航 誕生(6/1)
昭和64年 59歳  昭和天皇没(1月7日) ベルリンの壁崩壊
平成2年−1990-
  60歳  キュービック最終公演(「虫めづる姫君」) 優子誕生(7/10)
平成3年 61歳  淑徳短期大学の非常勤講師となる(1991-1997)
平成6年 64歳  「竹久夢二の淡き女たち」出版(日下四郎)
平成8年   66歳  義母宇佐美雪枝没 86才(5月31日)
平成9年   67歳  「東京大学学生演劇75年史」「現代舞踊がみえてくる」出版
平成10年   68歳  日本女子体育大学大学院へ非常勤出講(1998-2000)
平成12年−2000- 70歳  人工膝関節手術で倫美入院(5月) シドニーオリンピック
平成15年 73歳  ダンス・エッセー「ダンスの窓から」出版
平成19年   77歳  「ルドルフ・ラバン」(翻訳)出版 三輝容子没(5月10日)