「千の風になって」という邦語訳で有名な「Do Not Stand At My Grave And Weep」の詩について、かねてから大きな疑問を二つ持っていた。
その一つは、詩のタイトルの「Do Not Stand At My Grave And Weep」の訳の部分。一般的には「わたしのお墓の前で泣かないで下さい。」と訳されているが、この詩の作者はお墓の前にも立たないで欲しいと願っているのではないか、ということ。
第二には、この詩の邦語タイトルにもなっている「千の風になって」という部分。もともと日本語には風を数える単位などないのだから、「千の風」の訳は私にとってどうしてもしっくりこないし、捉えづらく不自然であるのだ。この詩の作者は、自分はこの世の命を終えた後も、大空に自由に吹き渡る数えることのできない無数でたくさんの風になったと言いたいのではないか。
この二点の疑問から、私の個人的な邦語訳は以下の通りとなった。さらに、一般的にこの詩は、戦場に行った若き青年が家族に宛てて書いたものではないかと言われているが、実のところ作者不明かつどこの国の詩であるさえも諸説あり、はっきりしていないというもの。
私は、訳していく課程の中で、この詩の作者は男なのか女なのかという問いかけが自然に生まれてきた。そして私は、言葉の使い方や表現の仕方から、通説である戦場に行った若き青年が書き残した詩といわれているが、男性が書いたものではなく、作者は女性ではないかと思うのである。なぜならば、亡くなった自分が、風になって、ダイヤの輝きになって、穀物に降り注ぐ太陽になって、優しい秋の雨になって、鳥になって、星の輝きになって、というところに「母性」のささやきを感じずにはいられないからである。かといってもし子どもがいる母という立場の女性だとしたら、子どもに遺言する言葉を残さずにはいられないはずだから、この「Do Not Stand At My Grave And Weep」の詩は、何かの理由で家族を遺して死んでいかなければならなかった、結婚はしていたかも知れないが母にはまだなってはいない、若い女性が愛する人に書き残したものではないだろうかと思うのだ。
以上のわたし的観点に立って、訳してみたのが次の通りのもの。なるべく原文を生かしながら訳したので、翻訳調の部分もあるが、どうぞ味わっていただきたい。
Do not stand at my grave and weep
わたしのお墓の前に立たないで、そして嘆き悲しまないで下さいね。
I am not there, I do not sleep.
(だって)わたしは、そこにはいないし、そこに眠ってもいないんだから。
I am a thousand winds that blow,
わたしは、おおぞらを遙かに吹き渡る風なのよ、
I am the diamond glints on snow,
わたしは、雪の上できらめくダイヤモンドの輝きなの、
I am the sun on ripened grain,
わたしは、豊かに実った穀物に降り注ぐ太陽なの、
I am the gentle autumn rain.
(そして)わたしは、穏やかで優しい秋の雨なのよ。
Do not stand at my grave and weep
(だから、)わたしのお墓の前に立ったりしないでね、そして泣いたりしちゃだめよ。
I am not there, I do not sleep.
(だって)わたしは、そこにはいないし、そこに眠ってもいないんだから。
When you awaken in the morning's hush
朝の静けさの中で、あなたが目覚めた時には、
I am the swift uplifting rush
わたしは、沈黙からこみ上げてくる喜びをもたらすツバメ、
Of quiet birds in circling flight.
小さな輪を描きながら、あなたをそっと見守る小鳥なの、
I am the soft starlight that shine at night.
夜には、柔らかな星の瞬きになって、あなたをみつめているわ。
Do not stand at my grave and cry,
(だから)わたしのお墓の前に立たないで、そして涙を流して泣かないでね。
I am not there; I did not die.
わたしは、そこにはいないし、死んではいないんだから。
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