東京滞在中は神学の知識以外にも多くのことを経験し身に付けたと思う。その第一は、なんと言っても三十数年来会っていない中・高等学校路の旧友との再会と久しぶりの卒業生との再会、そして18日間という長い期間を東京で一人暮らしすることで今までの自分を見つめ直すことができたこと、もう一つはFacebookというものを介して知り合った初めての人と親交を持ったという経験である。
教師という職業を離れたことによって得た自由な時間は、学びと思索と退職に至った拭えきれない悔しや遺恨の念を整理する重要な期間となった。特に、30年以上も音信不通の中学校来の親しい仲間たちとの再会は何よりもの喜びであり、自分の生い立ちと成長過程を振り返るような自己再認識の機会となった。
上京してまず最初に新しい出会いを経験した。Facebookで知り合えたパウロ会修道士のIさんである。私が滞在していた四ツ谷のウィークリーマンションの近くにパウロ会の修道院やパウルスショップがあり、彼はそこに属する修道士であった。
私はI修道士から夕食を誘われていたが、以前の私であれば見知らぬ人と食事を共にするなどいちばん苦手なことに部類することだったはずなのに、私は快く受けたといおうかむしろ積極的に新しい出会いを求めて会うことにしていた。きっと今までの様々なしがらみからの解放と古い自分の衣を脱ぎ捨て、新たな自分を求めていたのだろうと思う。
修道士Iさんとの出会いは新鮮であった。それまでの職業柄、修道女との関わりは日用茶飯事であったが、男性の奉献生活者と関わりを持つのは、高校を卒業して札幌の11条教会でのドイツ人フランシスコ会修道士Hさん以来だと思う。修道士Iさんは、パウロ会養成担当ということで、私の興味を誘った。それは、現代の日本においてカトリック学校の存続と召命養成は深い関わりがあるからである。今の日本社会にあっては、召命養成と共に次世代にどうやって信仰を引き継ぐかは、カトリック教会の共通した死活問題でもある。
修道士Iさんとは、進行のお話以外にもプライベートなことまでいろいろお話しすることができた。このこともかつての私にとっては、余り前例のないことであった。それだけ、修道士Iさんにはわたしの心の壁を解き放つ包容力と信頼感を感じさせるものを持っていたからであろう。修道士Iさんとは、初対面にもかかわらず心打ち解けた楽しい一時をいただいた。またお目にかかれる機会を楽しみにしている。神に感謝。
他の一人との面会は、十数年ぶりの再会である。彼は、日本ユニセフ協会に勤務するKさんである。以前、前任校でユニセフ協会とのネットを介したT・T授業でお世話になり、文化祭の講演会講師を務めてくれた方でもある。Kさんは、いかにもさわやかな人格者で好感の持てる青年であった。既に妻帯者となり二児の女の子の父親となっていたが、その誠実な姿勢と学問や信仰に対する探求心は、若い頃のまま熱情をもって生活している様子が嬉しかった。Kさんは、プロテスタントの牧師の家庭に育ったのだが、近頃カトリックに改宗したこともあり教会活動にも熱心で、私は彼のような信徒がこれからの日本のカトリック教会を支えていくだろうことを確信した。Kさん、またいずれ会いましょう。神に感謝。
もう一人の初めての面会は、Facebookでは長いお付き合いのTさん。彼は大学の先生で以前は同じくカトリックの中等教育機関で教員として働いておられた方で、中等教育における宗教倫理指導のオーソリティである。長く宗教倫理ワークショップを主宰され、現在もカトリック学校に奉職する教員のための養成塾でも活躍されて、私にとっては良き理解者のお一人である。しかし、ネットでは親しくお付き合いさせていただいてはいたが、お目にかかるのは今回が初めてであった。上智大の神学講座受講を好機に、お目にかかることができ、そして直接Tさんのお人柄に触れ彼のカトリック教育に注ぐ熱い思いを肌で感じることができたのは何よりもの恵みであったと思う。
Tさんとは、上智大学のイグナチオ教会で待ち合わせ、そこからしばしの間歩きながらお話いて、夕食を共にしていただいた。いつも笑顔を絶やさない優しい外見からは想像できない、宗教教育に対する情熱と強い意志は、年齢を感じさせることのないパワーと迫力があった。その熱い思いを持続させる信念には圧倒されるとともに、私もくじけてはいられないとの思いを抱かせてくれた。そして、私の再就職のことについても随分ご心配とご配慮をいただき、初対面とは思えないほど相手に無防備で真っ直ぐな姿勢には、多くのことを学ばせていただいた。そして、同時に私を信頼していただき、これからの宗教倫理指導のためにパートナーとして働いて欲しいとのお願いをもいただいた。誠に嬉しいことである。このような人と人との出会いこそが、新しい潮流や動きを生むのだなと実感した。こえからも、Tさんとは長くお付き合いさせていただき、多くのことを吸収していきたい。
東京滞在中、上京前に約束していた首都圏にいる親しい仲間たち2つのグループと会う約束をしていた。1つのグループは小学校時からの遊び友達。そしてもう一つのグループは、中学校から高校時の同期生たちである。
小学校時からの遊び友達H君とT君とは、特に中一の時に毎日のように遊び、自然科学部の部活動の仲間であった。H君もこの春退職し外国に移住するとのことで、この機会を逃してはまたいつ会えるか分からないという思いと、どうしても謝っておきたいことがあった。それは、私たちが中一の時、H君のお母さんが病気のため亡くなり、その時T君がお通夜に行こうと自宅に誘いに来てくれたにもかかわらず、私は試験勉強を理由に断ってしまったのだ。そのことが、その後クラス変えになりそれぞれが違う高校に進学した後も、ずっと心のどこかにわだかまりとして残っていたからである。そんな非情な自分の行動が40年以上経った今でも、どこかに引っかかっていたのである。
彼らとは、新宿にあるT君の行きつけのお店と会うことになっていたが、東京に不慣れな私を気遣い新宿駅にわざわざ迎えに来てくれた。それでも、あの広い新宿駅の指定された場所に私は行くことができずに、結局は携帯電話でナビゲートしてもらい、ようやく会うことができたというわけである。私はお店に入ると暫ししてからその事をH君にきりだした。お酒が入る前にと思ったからである。H君の反応が少し不安ではあったが、そしてこれはH君のためと言うよりは私のエゴであるからとことわりを入れ話したところ、「彼は全然気にしていないよ。」と物静かに応えてくれた。正直、ホッとしたというか、長い間つっかえていたものが取れたような気がして、思い切って話して良かったと思った。無論、これは私の自己満足に過ぎないのだが、それでもそれを快く受け入れてくれたH君に感謝したい。H君は、幼稚園から彼のお母さんが亡くなるまで家族付き合いのあった旧友だったのだから。
T君は、小学校6年生の時に東京から親の転勤で青森に引っ越してきた、いかにも都会っ子で根明な愉快な少年であった。どんなことにもくよくよせず、明るく楽しい性格は、どちらかというと後悔したことを考えすぎる私にはいつも羨ましく映った。彼は、水泳が人並み外れて得意で、区大会の記録を持つほどの腕前、私は本格的な泳法を彼から教わったのだ。学校が終わるといつも互いに遊びに誘いに行き、毎日のように自転車でどこかに出かけていた。T君とH君とは、少年から青年期の迫間の多感な時期をともにした仲だったのだ。二人に再会できたことに感謝したい。
2つ目のグループの仲間は、中学校2年次から高校にかけての仲間。男3人で会う予定であったが、Facebookでつながっていた同じクラスのMさんも誘い、4人で久しぶりの再会を果たすこととなった。彼らとは、中2から中3は同じクラスメイト。M君とH君は野球部、そしてMさんはクラスのアイドル。お下げ髪の可愛い目のくりっとしたお人形さんみたいな小柄な女の子で、家がお医者のお嬢様だった。
30年以上ぶりに会えば、懐かしい話は尽きることがなく、しばらく時間が経つのを忘れて思い出話に花を咲かせた。何せ、中学校の同級生同士、多感で純粋で裏表のない年頃に同じ時間と空間を共有した仲である。気兼ねが無いと言おうか、着飾っていてもしょうがないと言おうか、お互い素の自分でいられるのだろう。思春期の時期をともに過ごした仲とは、このようなものなのだろうと嬉しくなった。普通であれば、30年も経てば互いに忘れていても不思議ではないほど十分な時間が過ぎていたにもかかわらず、会えばあの時に時計の針を逆戻りさせることができたかのように互いに語り合えるのだから、不可解とも言えるほどのつながりと言えるような何かが存在していることは確かのようだ。実に喜ばしいことである。感謝に堪えない。この日の夜は美味しいお酒を飲んだ。互いに再会を約束して店を出て、私は新宿駅から四ツ谷のウィークリーマンションへと戻った。
3つ目のグループは、卒業生との再会である。彼女らは私が前任校で生徒会の顧問として関わり、生徒会の全盛期を築いたメンバーである。Yさんは生徒会会長、もう一人のYさんは副会長、そしてEさんは書記で、他に生徒会役員のメンバーが数人いたが、彼女らは会長のYさんを中心に、それまでには無い生徒会活動を展開した。一番の功績は、それまでの生徒会活動が一部の生徒に限られていたものを、全校の生徒にくまなく広げたという正に生徒会活動の理想を現実のものとしたところである。教職生活30年、自校のみならず他校の生徒会活動を見渡しても例の無い生徒会であったのではないかと今もってそう考えている。
彼女らとの関わりは、在校生時代からそれまでの教員としての私の態度を変革してくれた。それまでの私は教師としての鎧を着て、生徒との関わりにどこか壁を作っていたのだが、彼女らはそれを解きほぐし教師という鎧を着ずに自然体で関わることができるようにしてくれたのである。だから、彼女らとは卒業後も時ある毎に会うことができたし、私が退職した時にも卒業生では唯一退職祝いのの記念としてお花を贈ってくれた教え子たちであった。職務上、担任を久しく持つことなく退職時もホームルームを持っていなかった私にとっては、この上ない大きな喜びで涙が出た。実に優しい心根を持つ教え子たちである。
そんな彼女たちと東京滞在中二度夕食を共にすることができたことは、喜ばしいことであった。特に二度目の再会は、メンバーの一人であるEさんが、わざわざ岡山から上京してくれて本当に嬉しかった。彼女らとは四ツ谷の上智大学近くのポルトガル料理のレストランで夕食を共にした。皆一人前の綺麗な大人の女性に成長している。一人は結婚し一児の母である。何と素晴らしいことであろう。人間の教育に関わるものの究極の喜び、そして醍醐味ではないか。長い人生の中のたった高校3年間が、卒業後10年以上が経つというのに関わりが途絶えないばかりか、新たな関わりをつくり続けている。彼女らとのつながり、関わりはこれからもずっと大切にしていきたい。
夕食を済ませ、四ツ谷駅前で分かれる時、三人一人ずつと握手を交わした。涙がこぼれそうになった。そして、本当は一人ひとりと抱擁したかった。それは、彼女らが私が退職した理由と今の心情を受け止めていてくれたからである。それが手に取るように十分に伝わって来た。みんな、本当にありがとう。君たちとの関わりは、私の教師生活の宝そのものである。いつまでも大切にするからね!
神に感謝。また、会おう!! (*^O^*)
7月下旬から8月初旬にかけての18日間の東京滞在。これは、私の本当の使命を果たすための第二の人生の起点となった期間であった。おそらく、年齢的に残された時間はそう長くないだろう。しかし、与えられた時を最後まで「福音宣教」に自己奉献しようと新たな選択をしたのだから、これから先どれほどのことができるかは未知数ではあるが、主が用意して下さった道を迷うことなく、ぶれることなく、そして逞しく歩んでいきたいと思う。
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