「そればかりでなく、苦難さえ誇りにしています。苦難は忍耐を生み、忍耐は試練にみがかれた徳を生み、その徳は希望を生み出すことを知っています。この希望は、わたしたちを裏切ることはありません。わたしたちの賜った聖霊によって、神の愛がわたしたちの心の中であふれ出ているからです。」
(ローマ5:3〜5)

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「よい種をまく者は人の子、畑は世界、良い種はみ国の子ら、毒麦は悪者の子らである。毒麦をまいた敵は悪魔、刈り入れは世の終わり、刈り入れる者は天使たちである。だから、毒麦が抜き集められて火で焼かれるように、この世の終わりにもそうされるであろう。人の子は天使たちを遣わして、つまづきとなるすべてのものと、悪を行う者を、み国から抜き集め、燃えさかるかまどの投げ入れるであろう。そこには、嘆きと歯ぎしりがある。その時、正しい人は父の国において太陽のように輝くであろう。聞く耳のある者は聞きなさい。
(マタイ13:37〜43)
Message for my sister and brother.
 
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 2008年8月12日(火)     思い出の北海道2008夏
 約十年ぶりに北海道へ行ってきた。三男の優仁が生まれてからは初めて、そう家族全員が揃っての初めての北海道旅行であった。
 
 天候にも恵まれ、旅行期間中は毎日晴れ続きのいいお天気であった。支笏湖の透き通った湖面に、ひつじ雲たちが北海道の短い夏空を楽しむかのように生き生きと輝いて映っていた。
 
 
 支笏湖に来るのは三度目だと思うが、家族全員が揃って湖岸に立ったのはこれが初めてである。青森にも支笏湖と同様のカルデラ湖である十和田湖があるが、趣が多少違う。多分、本州と北海道の違いなのだろうが、北海道の風土はどことなく欧州的である。学生時分、大雪山に登ったときもそう感じたが、山の造りや木々の植生が本州とは基本的に違うのである。
 
 
 
 一日目は義兄のはからいで、妻の兄姉と姪の家族みんなで北湯沢温泉での宿泊となった。熱いお湯が苦手な私には、露天風呂の湯温がちょうど良く心地よかった。ホテルの食事はバイキングであったが、さすが北海道食材の品質が良くどれもおいしく食べられた。
 
 
 
 二日目、温泉の帰りに道路沿いで見つけた生鮮食品専門のお土産屋さんの看板。さすが北海道と行ったところだろうか?青森では見たことのない代物!思わずシャッターを切ってしまった…。写真はカニであるが、このほかにヒグマと鮭のものもあった。
 
 千歳に戻り、空港近くのアウトレットのショッピングモール「ReLa」に行き買い物をしたり昼食をとったりと一時を楽しんだ。ここも青森にはないオシャレな商店街であった。
 
 子供はいつの時代も花火好きである。その上、疲れを知らない。その夜、子供たちは近くの公園で従兄弟と共に花火大会となった。
 
 
 
 三日目、私たち家族五人で札幌観光をした。丁度レオナール・フジタ展の期間中で、また次男の優心が美術科の高校に在学しているということもあって、北海道近代美術館へと向かった。美術館の次には札幌時計台へ大通公園を散策しながらとの予定であったが、道案内役の私が道に迷い結局はタクシーで行く羽目となってしまった。 まっ、私が札幌に住んでいたのは30年以上も前の話、やむを得まい!
 
 大通公園の象徴、札幌テレビ塔の前で記念写真!時計台に行ったときもそうだったけれど、札幌の街並みはずいぶんとビルの高層化が進み、視界が狭くなった。大通り公園は狭く、テレビ塔も低く小さく感じたのはそのせいだろうか…。
 
 
 札幌の街角でで見つけた北海道らしい一物。札幌時計台と鮭をモチーフにした水道用のマンホールでだ!青森にも似たような者はあるが、ちょっとした感動だったので、シャッターを切ることにした。
 
 
 大通公園から地下鉄東豊線に乗って札幌ドームへと向かった。残念ながら試合はなく野球観戦はできなかったものの、三男の優仁はチームグッズショップでお目当てのダルビッシュのサインボールやTシャツが買えてご満悦であった。この後羊ヶ丘へと行く予定であったが、この日の札幌は30度を超える猛暑だったため、羊ヶ丘行きはキャンセルして、千歳へ戻ることにした。長男の優友は、特にこれといった目的もなかったのだが、根気強く札幌観光をしてくれた。
 
 三男の優仁はこの夜、姪の旦那のこうちゃんになついてしまい、彼らの家に泊まった。ちなみに優仁は、帰りの空港でも飛行機の中でもこうちゃん、こうちゃんといって泣いていた!
 
 
 
 四日目の最終日の午前中、昨年亡くなった義父のお参りのためお寺に行った。実は、今回の北海道旅行の目的の一つにこれがあったのだ。義父が亡くなった昨年12月には、妻のみの仏事の参列となり、私と息子たちは次男の受験のこともあり行けなかったのだった。今回義父の納骨堂にお参りできたことで、一安心できた。
 
 
 今回の札幌旅行には、ある一つの決断があった。それは「家族五人全員が揃っての旅行はこれが最後かも知れない。」というものだ。そうなるかどうかは分からないが、子供たちも大きくなるにつれ、それぞれの予定ができるようになってきている。子供たちが皆小さい頃は、どこにでも連れて行けたものだが、今ではそうも行かなくなってきている。そんなこともあって、今回の北海道旅行は私たち家族にとって、きっと特別な思い出となって残るに違いない…。2008年の夏にそんな貴重な思い出をつくらせてくれた義兄姉と姪御たち、そして私たちを一つに集わせてくれた今は亡き義父に感謝したい。 
 
 主よ、どうぞ亡き義父の魂に平安と憩いを与え給え…。アーメン。
 
 2008年7月3日(木)     「盲導犬育成資金募金」と「ユニセフ募金」について
 桜の蕾がふくらみ始めた早春の放課後、生徒会室に集まった中央委員会のメンバー達が、春の街頭募金のことについて話し合っていた。
 
 本校はカトリックのミッションスクールであるから、ボランティア活動を、イエス・キリストの教えに従い「自己を他者のために与えることによって、人は本当に生きる者となる。」という隣人愛の実践として捉えて生徒及び学校長をはじめ、全教員とともに実施している。生徒たちもそのことを十分に理解しながら、今年の春の街頭募金を何のために行うのかを考えていた。そんな中、生徒会長の金弥里さんから盲導犬育成資金を集めようとの提案がなされた。彼女は事前にインターネットで盲導犬のことについて調べていて、青森県には3頭の盲導犬しかいないというこや、一頭の盲導犬を育成するのに約3百万円もの費用がかかることなどを紹介してくれた。この提案に他のメンバー達も全員一致で賛成し、これに長年の継続活動であるユニセフ募金を加えて実施することが決まった。
 
 早速、街頭募金に協力してくれる有志を募ったり、募金箱や横断幕、募金者の方々へ配布するチラシの作成、そして道路使用許可証や店内使用許可の申請等々、街頭募金の実施に向けて具体的な準備が始まった。
 
 募金活動を行った4月19日(土)・20日(日)は、七分咲きほどにほころんだ桜の花に、時折日差しが指す春本番を思わせる日和ではあったものの、青森の春風はまだまだ冷たく、街頭に立つ生徒たちの身を震わせていた。しかし、そんなことはお構いなしに、弾けるような若さで生徒たちは声を合わせて高らかに、道行く人たちに募金の協力を元気よく呼びかける。募金をしてくださった方々から励ましの言葉やお褒めの言葉をいただくと、益々その勢いは増していく。生徒の元気と行動力には、本当に圧倒させられる思いである。
 
 この二日間の募金活動で集められたお金は、23万5千11円であったが、日本盲導犬協会と日本ユニセフ協会にそれぞれ半額ずつ送金させていただいた。街頭募金に関わった生徒と教員は延べ約2百人。ボランティア活動を実施するたびにいつも改めて感じさせられることだが、「救い」を必要としている人々のために働くことで、自分が他者のために役に立てたという充実感と自分の存在価値が再認識できるということである。これこそが、「自己を他者のために与えることによって、人は本当に生きる者となる。」という隣人愛の体現なのだと思う。その証に、生徒たちの顔は、春の日差しを浴びて桜の花の色のようにうっすらと紅潮し、生き生きと光り輝いていた。
 
 2008年1月16日(水)     2007年「こどものクリスマス会」
 去る2007年12月27日、浪打教会と本町教会合同での「子どものクリスマス会」が初めて催されました。子どもの参加者数は、浪打教会から5名、本町教会から7名の計12名で、その他スタッフは、小松神父様をはじめ、本町教会の教育部のみなさんと参加者の保護者の方々の総勢20名でした。幼児の参加希望も数人あったのですが、今回はスタッフの関係上、参加者対象を小学生以上としたため、お断りしなければならず、その方々には申し訳なく思っております。このことは、企画した側にも残念な思いが残るところでもあり、幼児の参加については、来年に向けての検討課題にしたいと考えています。
 
 さて、「子どものクリスマス会」は、皆でお御堂に集まって自己紹介から始まりました。夏のキャンプ以来の再会や初めて顔を合わせるこどももいて、ちょっと緊張した面持ちでの開催となりました。しかし、そこはこどもたちのこと、初対面であろうがどんなに長いブランクがあろうが、すぐにうち解けて友達になるのは得意とするところ、顔合わせも終わりケーキ作りが始まるやいなや、みんな和気藹々と思い思いに工夫を凝らしたり、アイディアを出し合ったりとケーキをデコレーションしていきました。ケーキが完成するとみんなで記念写真、それぞれの出来栄えに満面の笑みを浮かべて自慢気でした。
 
 ケーキ作りの後は、お食事会。リーダーの先生方が作ってくれたスパゲッティをよそってテーブルに運び、お祈りをして元気よくいただきまぁ〜す。粉チーズを大量にかけはしゃぐもの、一杯目をあっという間に平らげてお代わりをするものなど、こうしてみんなで食べる食事の味は格別なものになることも、こどもたちはよく知っているのです。
 
 腹ごしらえが終わったらお次は遊ぶのがこどもの常道。お正月も近いこともあってか?ゲームはカルタ取り、それもさすがは教会でのこと、カルタの詩句は聖書のみことば!といってもいろはカルタだから中身がどうであってもさして関係はないのですが…。それでも、身を乗り出しながらカルタを探すその目差しは、百人一首選手権さながらの気迫と真剣さがみなぎっていました。
 
 ゲームが終わると待ちに待ったプレゼント交換。といってもこのプレゼント交換にはちょっとした趣向が凝らされており、プレゼントはお御堂のある所に隠されていて、こどもたちはくじで引いた、プレゼントのありかが書かれた地図を目当てに探すという、宝探し仕立てのプレゼント交換なのです。
宝のありか…じゃなくてプレゼントが、書かれている地図を食い入るように見ながら探す子どもたちの様子を見ると、隠した?(仕掛けた)方としてもやりがいがあったというもの。でも、ものの数分もしないうちにこどもたちは次々に宝(プレゼント)を探し当てていったのでした。その後は、みんなでプレゼントを開き互いに披露し合いました。
 
 夕方の五時半に始まったクリスマス会も佳境を過ぎ、時計の針は八時半になろうとしていました。「子どものクリスマス会」の最後は、キャンドルサービスとお祈りです。ロウソクに明かりをともし、聖歌を歌い馬小屋の幼子イエス様の誕生をお祝いしました。こどもたち一人ひとりのロウソクの明かりは小さくても、みんなで集まれば温かく明るい灯火になります。小松神父様から「イエス様のご誕生を信じることが、自分の心の中にイエス様を宿すことになるんだよ。」とのお話しと祝福をいただいて「子どものクリスマス会」は静かに幕を閉じたのでした。
 
 2007年9月3日(月)     「2007年教会学校海水浴」
 去る8月10日金曜日、本町・浪打合同の日曜学校、夏のキャンプが行われた。残念ながらスタッフの関係で今年は日帰りの海水浴となったのだが、その上悪天候も予想されたため、午前中は浅虫水族館で過ごし、天候の回復を期待して午後から夏泊半島の椿山海水浴場に行く計画で実施された。
 
 予想通り、午前中は時折小雨のぱらつく不安定な天候、水族館でイルカショーなどを観覧をして外に出てみると、空は晴れ間がのぞく回復傾向、夏泊半島西口茂浦側から椿山海水浴場へ向かい、到着した頃にはこどもたちの元気に応えるかのように、お日様が照るほどの天気に変わっていた。
 
 神父様と一緒に泳いだり、カニ取りをしたり、スイカ割りをしたりと楽しい一時を過ごし、その後は半島の東側を巡り小湊町を経て夜越山温泉へと向かった。
 
 好奇心旺盛のこどもたちにとっては、温泉は格好の遊び場である。電気風呂に入ってしびれを体感してはしゃいだり、打たせ湯を頭に当て修行僧の真似をしたり、サウナ風呂にはいって我慢大会をしたりと楽しむことに事欠かない場所なのである。
 
 入浴後はおきまりのコースでアイスクリームを食べながら、ほてった体をさましてしばし小休憩、その後は浪打教会に向けていざ出発!
 
 教会に着くとお世話係の方々がバーベキューの準備を整えていてくれて、待ってましたとばかりに火をおこしたりテーブルを出したり、椅子を出したりと準備にかかる。こどもたちは、その旺盛な食欲を満たすためならば、何事をも厭わないのだ。飽くことの知らないこどもたちの遊び心は、夕食後の花火大会へと駆り立てられる。これも何故かこどもたちは古今東西時代を問わず、花火が好きなのである。
 
 花火遊びも佳境を過ぎ、時間は9時近くになっていたであろうか?楽しい一日の締めくくりは、お御堂に入って、心を落ち着かせお祈りの時間に入った。
 
 ここからが神父様の真骨頂!しかも小松神父様はこどもたちの心をつかむのが得意である。皆の一人ひとりがそれぞれ違っていても、神さまはその誰をも愛していてくださる。そんな神さまを、こどもたち一人ひとりの心の中に宿らせて、今年の日曜学校の一日キャンプの幕は閉じられた。もちろんこどもたちは何物にも代え難い貴重な一日を体験したのだ。
 
 今回は、四家族7人のこどもたちの参加であったが、教会学校での体験はどんな教育機関のキャンプにもまさるものがある。何しろそこに集まって遊んでいるこどもたちの中には、イエズス様がいらっしゃるのだから…。
 
 2007年3月28日(水)     「2006年度末に寄せて」
 2006年度もあと数日を残すばかりになりましたね。きっと、どこの学校の先生方も年度末の事務処理に追われていることでしょう。
 
 それにしても、北国青森は暖冬の後遺症なのでしょうか?3月に入って寒さが逆戻り、本来であれば名残雪をみながら、春到来を心待ちに感じる時期なのですが、季節外れの本格的な降雪があったりと天候不順が続きました。その上、インフルエンザと集団風邪が猛威を振るい、教師も生徒もその感染に見舞われるという有様で、ただでさえ年度末の忙しい最中、新年度に向けての準備と錯綜する時期でもあるというのに、一抹の不安を感じさせる事態となっています。
 
 さて、わがHPのΙΧΘΥΣ Εκκλεσια(イクスースエクエレシア)も今年の10月で、三年目を迎えます。
「毎日のアクセス数の伸び悩み」と「掲示板の書き込みの少なさ」が、今後解決していきたい課題ではあります。勿論、これからも内容の充実は一層図っていくつもりなのですが、何とかして今後の教会共同体とカトリック学校の発展のためのアクションにつながるものにしていきたいと思っているのです。地味で小さな活動ではありますが、無力感や焦燥感に駆られることなく、一歩一歩地道かつ確実に、そして一段一段、向上することを目指しながら継続し、一人でも多くの人たちの賛同を得ることで、次世代につながる活動の核となっていくことを強く願っているのです。
 2007年3月7日(水)     「カトリック学校における教師のあり方」
 学校マネージメントにおいて、教員のあり方は非常に重要な事柄ではないでしょうか?なぜなら、教育活動の実践にあたって、その主体となるのは教師であるからです。
 
 師弟関係において、教える者の姿勢や技量・度量に、教わる者の成長が左右されるのはどんな世界においても共通の了見であることは言うまでもないことでしょう。ですから、カトリック学校の学校マネージメントにおける教員のあり方がいかに重要かということについて自戒の念をも込めてコミットしてみることにしました。
 
 その手始めとして、「カトリック学校の教員の資質」と題して、カトリック学校の教員としての重要な要件について何回かにわたって論じてみることにしますので、どうぞお読み下さい。
 
 カトリック学校が現代において、新たな使命に呼ばれている時であると、私は「時のしるし」を読んであります。ですから、今まで以上によりカトリック学校としての存在意義と存在価値を明示していくために、わたしたちカトリック学校の教員は新たな行動を起こさなければならないことでしょう。
 
 主の平和がカトリック学校に奉職するすべての教職員の皆様の上に注がれますことを、お祈り申し上げております。
 
アーメン。
 2007年2月23日(金)     「やるべきことは分かっていても…。」
 どんなにやるべきことが分かっていたとしても、それを現実のものにするためには、いくつもの紆余曲折があるものです。目的を達成させるための方法論の模索、そのための議論や論争、批判と賛同、感情の交錯、人間関係のしがらみなど…。こんな時、集団が一丸となること、一枚岩になること、人と人とが一致することの難しさを痛感するのです。
 
 人にはそれぞれ気質や性格そして能力など、いわゆる人格(パーソナリティ)というものがあって、物事に対する意見や反応、価値観は千差万別ですから、それが当たり前と言えば当たり前なのでしょう。特に現代のように価値観の多様化した時代であれば、なおさらのことです。しかし、何らかの差異や異質な者同士であるからこそ、一致することの意義が生まれてくるというのもまた真実のように思います。そして、全てのことにおいて一致できないにしても、一致しなければならないという時には、一致できるようにありたいものです。そのためには、その時を見極めることが求められるわけですが、これがまた難しい決断を迫られることになります。「時のしるし」を見極めるという作業がいかに困難を極めることか、ということはいくつもの歴史の事実が示していることでしょう。
 
「時のしるし」を見極めるということにおいて重要なことは、知識と経験と現状把握に裏付けられた確かな判断力、そして「祈り」ではないでしょうか?人を大切にするということも重要なことですが、これは大切にするの意味を履き違えると人情に流され、誤った判断に陥る危険性もありまし、かといって理屈にまかせて他者の人格を否定し断罪してしまっても、事を成し遂げることはできないでしょう。本当に難しいものです。「決断」こそが最も重大で困難を極めることに違いありません。
 
 ですから、「祈り」が必要なのだと思います。「みちびき」が必要なのだと思います。どんな時もわたしたちが「時のしるし」を見極め、正しい判断の下「決断」できますよう、祈り求めたいものです。
 2007年2月9日(金)     「家族」の草稿によせて
 「家庭と妻と夫」のページに、私の家族のことを書こうと思う。妻のことや子どもたちのこと、そして私自身のことを書こうと思う。私たちが、どんな家族を築いてきているのかを書こうと思う。
 
 きっと、家族とは何かが見えてくるに違いないんじゃないかなぁ…。私たちの夫婦の出会いから、家族の生い立ち、成り立ちと言ったらいいんだろうか?家族の歴史を綴ることで、神様が私たち家族に何をお望みなのか、そして、そのためにどのようなお恵みをお与え下さったのかが、わかるに違いないと思う。
 
 私たち家族に、神なる主イエス・キリストの一致がもたらされますように、神様の望みを現すしるしを見のがすことのないよう、それらを察知して御旨にそった日々の生活を過ごせますように。そのために、私の家族のことを記していこう。私や妻の生い立ちにも触れながら、私たち家族のこれまでの足跡を辿り、私たち家族のこれからの行く末を見据えていこうと思う。
 2007年1月31日(水)     『「現代教会考」の完結によせて』
 このHPの名称でもある「ΙΧΘΥΣ Εκκλησια(イクスース エクレシア)」は「神の子、主イエスキリストの共同体」という意味であるから、「現代教会考」というテーマは、このHPを立ち上げた主な理由の一つであります。それだけに、「現代教会考」の草稿には時間がかかったような気がします。
 
 特段、物書きのように原稿締め切り日というものがあるわけではないから、急き立てられたりプレッシャーを感じたりすることはなかったにしろ、無責任な意見を書いたり、提言をしたりというわけにはいかないという、責任感は確かにあったのです。ですから、「現代教会考」を書くに当たり、自ずと時間をかけたことも確かなのです。原稿を書き始めたのは、昨年の9月3日ですから、ちょうど5ヶ月間の期間を要したということになります。勿論、毎日原稿を書き続けきたわけではありませんが、この間はこのテーマのことが、常に頭の片隅のどこかで気にかけていたことは事実です。
 
 ですから、「現代教会考」の完結によせて、一つの責任を果たしたような、ほっとした気持ちでいます。今後も、教会共同体をテーマとしたことがらについて、提言はしていくつもりですが、とりあえず、「現代教会考」の完結をご報告し、ご挨拶申し上げます。
 
 2007年1月11日(木)     「詩情 Poetry」の新設に寄せて
HPに、「詩情 Poetry」を新設。
「私情」を「詩情」にかけて、なるべく簡易な言葉で、素直に自分の心情を表現できたらと思うのです。
とりあえず、「太陽」の挿し絵を入れた仮称、『太陽シリーズ』とでも表せばいいのでしょうか?そんなものを綴ってみることにしました。
焦燥感に駆られ、自分自身を見失いそうな近頃の自分を、見直せる機会になればと感じています。

Last updated: 2013/11/28

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