どんなに一心に探し求めても、得られない真理がある。
絶えずわかろうと学び努めても、わからない知恵がある。
熱心に祈っても、叶わない願いがある。
そんな時は、自分自身の限界と傲慢さに気づいて、
探し求めても得ることができないという真理を、得るようにしよう。
学び努めてもわからないことがあるという知恵を、わかるようにしよう。
祈っても、叶わない願いがあるという謙虚さを、身につけよう。
探し求めても得られないものは、得ることができないものなのだから、
得ることができないままがいいに違いないのだ。
学び努めてもわからないことは、わからないのだから、
わからないままがいいに違いないのだ。
祈り願っても叶わないものは、叶うことができないのだから、
叶わないままがいいに違いないのだ。
得てして、人はそのようなことを手に入れたいという誘惑に駆られたり、
知りたいと願って、探求心に駆り立てられたり、
あたかもそうなることが当たり前なのだと身勝手な祈りをするけれど、
それは、ちょうどエデンの園の中央にある善悪を知る木の実を、
己がものにしようとするようなもの、人が決して触れても、食べてもいけないもの。
だから、どんなに探し求めても、学び努めても、祈り願っても、
得られないこと、わからないこと、叶わないことは、
人間が手に入れてはいけないことに違いないのだから、
得られなくても、わからなくても、叶わなくても、そのままでいいのだ。
それが、人知を遙かに越えて、
到底人には計り知れない神のみ業、御摂理、神秘なこと、人には不思議なこと。
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