神ご自身、「わたしは、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。だから、わたしは、はばからずに次のように言うことができます。
「主は、わたしの助け手。わたしは恐れない。
人はわたしに何ができるだろう。」
(ヘブライ13:5〜6)

ホーム  Home 書簡  Epistle プロフィール Profile 更新 What'sNew 信仰 Religion カトリック教育
宗教教育研究 学校マネジメント カトリック学校宣言 カトリック教育省文書 教会共同体 教会学校
信仰告白 生徒と卒業生 講話集 Lectures 詩情 Poetry 家庭と妻と夫 愛犬 MyPetDog
写真 Photograph ブログ Web Log サイトマップSightMap リンク集 LinkPage MissionNetwork

詩情 Poetry

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、ご自身でも人を誘惑したりなさらないからです。むしる、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
(ヤコブ1:12〜15)
「命を愛し、
幸せな日々を過ごしたい人は、
舌を制して、悪を言わず、
唇を閉じて、偽りを語らず、
悪から遠ざかり、善を行い、
平和を願って、これを追い求めよ。
主の目は正しい者に注がれ、
主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
(ペトロT3:10〜12)
前のページ 目次 次のページ
 31     「弱さは、神さまに辿り着くために」 2013年9月3日(火) 
神さまは、人に自由意志をお与えになりました。
しかし、それは神さまに背き傲慢になるためものではなく、
神さまを賛美し、たたえるためのものです。
 
神さまは、人を罪にお定めになりました。
しかし、それは罪に打ちひしがれ、死に至るためではなく、
神さまに立ち戻り、人間としての幸福を得るためです。
 
神さまは、人に弱さをお与えになりました。
しかし、それは人が弱いときに、希望を失い絶望するためではなく、
神さまによって、聖霊を与えられ、強くされるためです。
 
神さまは、人を敢えて不完全にお造りになりました。
しかし、それは自らの力で完全になろうと努力するためではなく、
神さまによってのみ、人間は満たされて生きるのだということを知るためです。
 
 32     「君は今、ここにいて生きて生かされている」 2013年7月9日(火) 
やぁ、君はまだ知らないかも知れないけど、また、会ったね!
僕は、君のことをよく知っている。いつかきっと僕のことに気付いてくれると思う。
だから、何もこわがらなくていいよ。
あの日、生まれて今日まで楽しいことや辛いことなど、いろんなことがたくさんあって、
とにかく、君は今、ここにいて生きている。
 
今は、どうして生まれて、ここにいて、生きているのか、
そして、どうしてこんなにもいろんなことがあるのか、よく分からないかも知れない。
多分それは、人はみな自分の意志で生まれて生きてはいないからじゃないかな?
だから、その理由をみんな探しているし、見つけたいと思っているんだ。
とにかく、君は今、ここにいて生きている。
 
君の心臓は鼓動して、脈打ち呼吸している。
そして、君は何かを見て聞いたり、味わったり臭いを嗅んだり、
何かに触れて確かめたり、そして何かを考えたり感じたり、願ったり祈ったりしている。
そうやって、君は今、ここにいて生きている。
 
本当は、自分の意志に依らずに生まれて来ているから、
生かされているっていった方がいいかも知れない。
(ときどき、考えたり言ったりしてしまうだろ?「好きで生まれてきたわけじゃない」って…。)
その訳はなかなか分からないけど、
生まれてきたからには、きっと理由があると思うんだ。
それに気付いてそれを探し見つけたとき、人は本当に生きるものになる。
そのために、君は今、ここにいて生きている。
 
そんなこと「できるかなぁ?」って?
だいじょうぶさぁ、君は生かされているんだから、
何も心配はいらないよ。
生かされてもらっていることに信頼して、
安心して君の生まれてきた訳のために、歩んでいけばいいんだ。
なんたって、君は今、ここにいて生きて生かされているんだから。
そして、ぼくはいつも君のそばにいるから…。
 
 33     「憎しみをのり越えたところに」 2013年6月12日(水) 
人を憎む苦悩を乗り越えたところに、
救いと癒やしがありました。
 
人を憎む苦悩を乗り越えたところに、
新たに生きる希望がありました。
 
人を憎む苦悩を乗り越えたところに、
神のゆるしと愛がありました。
 
人を憎む苦悩を乗り越えたところに、
人への寛容と感謝がありました。
 
人を憎む苦悩を乗り越えたところに、
回心と自分の使命の気付きがありました。
 
人を憎む苦悩を乗り越えたところに、
神の計らいと御摂理を知りました。
 
人を憎む苦悩を乗り越えたところに、
この世の不条理と理不尽を受け入れても、
なおも生きる希望を得ることのできる信仰がありました。
 
 34     「後ろのことを忘れて、前のことに全身を傾ける」 2013年5月23日(木) 
怒りは、憎悪の種火。
憎悪は、人の心に入り込もうとする悪魔のささやき。
人に罪を犯させる本性。
 
憎悪は、良心の戸口をこじ開け、
人の心を蝕もうと、いつもその隙をうかがっている。
そして、憎悪はやがて人に罪を犯させ、人をも殺してしまう。
 
だから怒りや憎しみは、治めなければならないもの。
決して裁き人になってはいけない。
世の罪と偽善者は、いずれ神によって裁かれるのだから。
 
ただ、私は、私がやるべきことに専念していくだけでいい。
そのために、怒りや憎しみは無用なものでしかない。
やるべきことはただ一つ、後ろのことは忘れて、
前のことに全身を傾け、目標をめざしてひたすら努め、
今ここまで到達した道を歩み続けていくことだけなのだ。
 35     「人が制していかなければいけないもの、屈してはいけないもの」 2013年4月20日(土) 
人には、倫(みち)を外さないために制していかなければならないものがあります。
それは、一言で言うならば欲望です。
欲望は、かなえ方によっては、人を良くもすれば悪くもします。
その判断基準は、自己満足のためではなく、人のためになるかということと、
不正や罪を犯していないかということです。
 
そして、人が制するに難しいものが他にもあります。
それは、一言で言うならば感情です。
人にとって、怒り、妬み、恨み、憎しみの感情は特に厄介なものです。
それらのことが、決して生産的なものではないと頭では理解できても、
なかなかままならないのが感情というものです。
 
怒り、妬み、恨み、憎しみの感情は、人の心の中を巡りめぐって増幅し、
怨念に姿を変え復讐を生み出します。
誹り、いじめ、傷害、殺人、テロ、戦争などの悪事は、
これらの感情の堂々巡りの行き着くところです。
怒り、妬み、恨み、憎しみの感情は、他者のみならず自らを蝕み、やがては死をももたらします。
 
しかし、不正や偽善者そして悪者に屈していいということではありません。
不正や偽善者そして悪者には臆することなく、
はっきりと、はいは、「はい。」、いいえは、「いいえ。」と言わなければなりません。
不正や偽善者そして悪者に屈したり服従することは、彼らを蔓延らせるばかりか、
自分自身の存在をも無にしてしまいます。
 
だから、不正や偽善者そして悪者に対しては、
彼らを自ら裁くことなく毅然と立ち向かうことです。
しかも、決して怒りや妬みや恨み、そして憎しみの虜にならずに、
正義を袖に、勇気を佩楯(はいだて)に、赦しを臑当(すねあて)に、
さらに信仰を籠手(こて)に、愛を甲に、希望をのど輪にまとい、
自らを律して制しながら抵抗し続けるのです。
たとえ、小さな力が無駄に思えるようなことがあったとしても、
私たちの主なる神は、私たちの行いを見て必ずや願いを聞き入れ、
彼らを裁き、私たちに勝利をもたらしてくださることでしょう。
 
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を哀れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしはあなたを私の手のひらに刻みつける。
あなたの城壁は常にわたしの前にある。」(旧約聖書 イザヤ書49:15〜16)
 
 36     「神さまにささげる100編の詩」 2013年4月1日(月) 
辛く苦しい日々を過ごしてきました。
しかし、その辛さと苦しみの中に、あなたの救いがありました。
今、わたしがあなたにお捧げできるのは、
不正と不義に打ち砕かれた、わたしの心と魂だけです。
 
暗闇の中をずっと歩いてきました。
しかし、その暗闇の中に、あなたの光りがありました。
今、わたしがあなたにお捧げできるのは、
闇の奥底に沈んだ、わたしの心と魂だけです。
 
疾風怒濤の逆巻く波間を、航海してきました。
しかし、その荒れ狂う大海の波間の中に主がおられました。
今、わたしがあなたにお捧げできるのは、
長い航海で打ちひしがれた、わたしの心と魂だけです。
 
涙のうちに一生懸命、土を耕し種を蒔いてきました。
しかし、あなたはその涙を使って、種を芽吹かせるのだと知りました。
今、わたしがあなたにお捧げできるのは、
涙して土を耕して疲れ果てた、わたしのと心と魂だけです。
 
主よ、あなたのために紡いだ100編の詩をお受け取りください。
わたしの打ち砕かれた、闇の中に沈んだ、
打ちひしがれた、そして疲れ果てた心と魂とともに、
今、この100編の詩をお捧げいたします。
 
 37     「切所」 2013年1月29日(火) 
人は生きる上で幾度か、好むと好まざるとに関わらず、
決断をしなければならないときがあるものです。
難局といいましょうか、時局といいましょうか、
取捨選択、変化そしてときには決別をも受け入れなければならないというものです。
 
過去に対する執着、現在に対する安住、将来に対する不安。
出来れば今のままがいいとか、とりあえずこれでいいとか、まぁ仕様がないとか…。
現状維持、安居楽業、一陽来復、運否天賦、現実を受容することも大切でしょう。
では、未来に対する責任や神から与えられた召命の貫徹はどうなりますか。
 
それは、心配するに及びません、恐れることはありません、思い煩うこともありません。
神は、決してわたしたちの力に余る試練を与えないばかりか、
わたしたちには、与えられた使命を果たすだけに必要な能力が既に与られていて、
しかも、その試練と共にそれらに耐えられるよう、逃れる道をも備えられているからです。
 
生きる上で岐路に立たされたときは、狭き門から入れが道標です。
それは荊棘の道、その先にはきっといくつもの切所が待ち受けていることでしょう。
それらを乗り越えていくためには、忍耐と信仰が求められ、聖霊の助けが必要です。
ですから、まずはその道に自分の身を投げ出す勇気と決断そして希望があればいいのです。
 
主よ、どうぞ私の背中をその御指でそっと触れて、押し出して下さい。
 
 38     「友のために命を捨てること」 2012年12月31日(月) 
「友のために命を捨てること、これ以上の愛を人は持ちえない。(ヨハネ15:13)」
 
主は、何故自らの命を捨て犠牲となることをお示しになったのでしょう。
「友のために命を捨てること、これ以上の愛を人は持ちえない。」
 
はい、私は知っております。
あなたの「友」とは、私のことですね。
そして、私の「友」とは紛れもない、主よ、あなたのことです。
 
主よ、あなたはご存じなのですね。
微塵の疑いの余地もなく、
あなために、私たち信じる者の命を、
捧げることをお求めになるのは、
私たち信じる者が、あなたのために命を捨てることによってのみ、
あなたがお示しになった、本当の命への復活の喜びがあることを、
そして、そこに永遠があるということを。
 
 39     「人が黙するとき神は語り、人が語るとき神は黙する」 2012年12月24日(月) 
人が黙するとき、
それは、なんと言ってよいのか、何をしてよいのか、分からないとき。
どうしようもなく無力で虚しいとき、人は黙する。
そして、もうひとつ、自分を守ろうと保身するとき…。
 
人が黙するとき、神は語りはじめる。
何を言えばよいのか、何を行えばよいのかを。
そして、自分を捨てることの本当の意味を語り教える。
 
人が語るとき、
それは誰が何を言っても、何をしても、真実には届かない。
人が語ること、行うことは、みな不完全であるからである。
 
人が語るとき、神は黙する。
それは、人が語り行うときは、
神が何を語ろうと、どんなしるしを示そうと、
人は聞く耳を持たず、行おうとしないからである。
 
 40     「天に宝を積みなさい」 2012年12月1日(土) 
 
どうして、神はこの世にかくも多くの人間を送り続けるのでしょうか。
それは私たち人間には計り知れないことでしょうが、
きっと神ご自身の御計画の完成が、未だ成し遂げられておらず、
そのためには、まだまだ多くの人々の働きと永い時を要するからなのでしょう。
 
この世は儚いものと申しますが、
この世が儚いのではなく、人の世が儚いものなのです。
この世は虚しいものと申しますが、
この世が虚しいのではなく、人の世が虚しいものなのです。
この世は移ろいゆくものと申しますが、
この世が移ろいゆくのではなく、人の世が移ろいゆくものなのです。
 
神が御自分の御国の完成のために、この世をお造りになったときには、
すべてがすばらしく良いものでした。
しかし、一度、人間がそれらを支配するようになった時、
すべてのものが悪いものへと姿を変え、人はそれ故に罪を背負うことになりました。
 
こうして、人は儚く虚しく移ろいゆくこの世に生きなければならなくなったのです。
ですから、人は神にゆるされることによってのみ、この世に生きることができるのです。
神の救いに与り永遠の命を得るために、この世の地位、名誉、名声、財産が、
何の役に立つというのでしょうか。
 
主は仰せになります。
「あなたがたは地上に富を積んではならない。
そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、
また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。
富は、天に積みなさい。
そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、
また盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。
あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」と…。
 

Last updated: 2023/10/31