人には、倫(みち)を外さないために制していかなければならないものがあります。
それは、一言で言うならば欲望です。
欲望は、かなえ方によっては、人を良くもすれば悪くもします。
その判断基準は、自己満足のためではなく、人のためになるかということと、
不正や罪を犯していないかということです。
そして、人が制するに難しいものが他にもあります。
それは、一言で言うならば感情です。
人にとって、怒り、妬み、恨み、憎しみの感情は特に厄介なものです。
それらのことが、決して生産的なものではないと頭では理解できても、
なかなかままならないのが感情というものです。
怒り、妬み、恨み、憎しみの感情は、人の心の中を巡りめぐって増幅し、
怨念に姿を変え復讐を生み出します。
誹り、いじめ、傷害、殺人、テロ、戦争などの悪事は、
これらの感情の堂々巡りの行き着くところです。
怒り、妬み、恨み、憎しみの感情は、他者のみならず自らを蝕み、やがては死をももたらします。
しかし、不正や偽善者そして悪者に屈していいということではありません。
不正や偽善者そして悪者には臆することなく、
はっきりと、はいは、「はい。」、いいえは、「いいえ。」と言わなければなりません。
不正や偽善者そして悪者に屈したり服従することは、彼らを蔓延らせるばかりか、
自分自身の存在をも無にしてしまいます。
だから、不正や偽善者そして悪者に対しては、
彼らを自ら裁くことなく毅然と立ち向かうことです。
しかも、決して怒りや妬みや恨み、そして憎しみの虜にならずに、
正義を袖に、勇気を佩楯(はいだて)に、赦しを臑当(すねあて)に、
さらに信仰を籠手(こて)に、愛を甲に、希望をのど輪にまとい、
自らを律して制しながら抵抗し続けるのです。
たとえ、小さな力が無駄に思えるようなことがあったとしても、
私たちの主なる神は、私たちの行いを見て必ずや願いを聞き入れ、
彼らを裁き、私たちに勝利をもたらしてくださることでしょう。
「女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。
母親が自分の産んだ子を哀れまないであろうか。
たとえ、女たちが忘れようとも、わたしがあなたを忘れることは決してない。
見よ、わたしはあなたを私の手のひらに刻みつける。
あなたの城壁は常にわたしの前にある。」(旧約聖書 イザヤ書49:15〜16)
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