神ご自身、「わたしは、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。だから、わたしは、はばからずに次のように言うことができます。
「主は、わたしの助け手。わたしは恐れない。
人はわたしに何ができるだろう。」
(ヘブライ13:5〜6)

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詩情 Poetry

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、ご自身でも人を誘惑したりなさらないからです。むしる、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
(ヤコブ1:12〜15)
「命を愛し、
幸せな日々を過ごしたい人は、
舌を制して、悪を言わず、
唇を閉じて、偽りを語らず、
悪から遠ざかり、善を行い、
平和を願って、これを追い求めよ。
主の目は正しい者に注がれ、
主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
(ペトロT3:10〜12)
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 11     「神さまへ」 2018年12月7日(金) 
父よ
 
どうか、わたしに平穏な時を与えてください
 
 あなたを見失うことなく、一日一日を過ごすことができるように
 
 
どうか、私の心の中の空虚と孤独を、あなたの愛で満たしてください
 
 あなたのように、人を愛するために自分を与え尽くすことができるように
 
 
どうか、わたしの弱さを支えるために聖霊を送ってください
 
 あなたの愛を、いのち終えるまで貫くことができるように
 
 
どうか、わたしに相応しい助け手をください
 
 互いに愛し合い、あなたからいただいたこのいのちを全うすることができるように
 
 
どうか、わたしが強く生きていけるように。いつもわたしの傍らにいてください
 
 あなたから受けた使命を果たすことができるように
 
 
あなたは、わたしの助け手、わたしのすべてを知っておられる方、
 
わたしが望むものよりも、わたしに必要なものを先取りして準備して下さる方
 
あなたに信頼して、すべてを委ね希望のうちに生きて行くことができますように
 
 12     「どんな時にも すべては神さまに…。」 2016年2月8日(月) 
 どんな時にも
神さまは、わたしの傍にいてくださる。
 
 どんな時にも
イエスさまは、わたしの傍にいてくださる。
 
 わたしが、苦しくて辛い時、悲しくて寂しい時、
孤独に苛み、独りぼっちだと感じる時、
一人ではどうにもならず、希望を失いそうな時、
寂しさで胸がいっぱいになって、涙が溢れそうな時、
そんな時こそ、
あなたは、わたしの傍らにいて、
優しく抱いてくださる。
 
 そして語りかけてくださる。
 
 「わたしが、いつも傍にいるから大丈夫。
 もたれかかって良いんだよ、
 頼って良いんだよ、
 弱くて良いんだよ、
 今のままで良いんだよ、
 だから、安心して
 お前のすべてをわたしに委ねなさい。
 わたしが、あなたのすべてを受け止めてあげるから」 と…。
 
 ななたは、わたしの生きる希望、日々の糧
あなたに信頼して、すべてを委ねよう。
 
 人はみな寂しくて孤独な存在。
だからこそ、その寂しさを糧にしながら生きればいい。
 
 この世は虚しい。
だからこそ、意義あるものにするために生きればいい。
 
 この世は理不尽なもの。
だからこそ、神さまの前に正しく生きればいい。
 
 この世は辛く悲しい。
だからこそ、どんなときも喜びをもって
生きればいい。
 
 寂しさも 虚しさも 悲しさも 理不尽さも辛さも そして苦しさも
それらすべてが、わたしの神さまへの献げ物
 
 どんな時も すべては神さまに…。
 
 13     「へベルというこの現実を…。」 2015年9月19日(土) 
創造主は、この世を素晴らしく極めて良いものとして完成され、
一抹の戸惑いを残しながら、それを人に任せることにした。
この世をヘベルという虚しく儚い世にしたのは誰か…。
 
人が、この世の価値を追い求めて生きようが、
創造主が望む人間の姿に従って生きようが、
裁きの時は、必ず来るだろう。
 
神の憐れみは、永久に深く、人知を越えて計り知れない。
人の知恵は常に虚しく、この世は不義と不正にまみれ、
義人は死に追いやられる。
 
それでも、人はこの現実に生きるしかなく、
それゆえに、神もまたこの世に現存し続ける。
神は、人が求めようが求めまいが、すべての者に分け隔てなく恵まれる。
 
この世の価値を追い求め、満たされた者は、既に報われている。
この世で創造主が望む人間の姿を生き、
虐げられる者たちは、その何倍もの報いが待っている。
 
人は自ら虚しくしたヘベルというこの現実を、いかに生きるかを問われている。
人がペルソナである限り、創造主の息吹なくしては、
人として生きていくことは出来ないだろう…。
 
ヘベルというこの世を、逞しく生き抜く力を与え給え。
 
 14     「義人の苦しみ」 2015年3月6日(金) 
義人ヨブノ苦しみは、罪なき者の苦しみ。
何の罪を犯すことなく、この世の幸せのすべてを奪われた苦しみ。
この世の理不尽、不条理、
どうしても受け入れ難い現実。
せめて、その理由さえ分かれば救われようものの、
求めても求めても解らない自分の罪。
 
しかし、義人であればこそ陥る罪。
それは、自分は義人であると知らず知らずのうちに欺瞞に満ちた己になっていること。
罪を犯さない者は誰もいないとの謙虚さを失い傲慢になること。
傲慢は、神を忘れさせ、神と人との関わりを逆転させる。
そして、人の傲慢は、神との応答を断絶させ、
神を自分に従わせようとし、人の心を盲目にさせる。
 
人が自らの傲慢に気づき、義人であるとの欺瞞を棄てたとき、
心の闇の中に光が差し、神の応答が始まる。
人は自らの矮小さと神への従順の使命を悟ったとき、
この世のすべての理不尽と不条理を受け入れ、
初めて神と出会い、真に人間として生まれ変わり、
神に向かって生きる者となる。
 
 15     「烙印」 2015年1月7日(水) 
烙印とは、昔、刑罰として罪人の額などに押した焼き印、火印のこと。
自分のおよび知らぬ所で押された烙印は、何故の罪によるものかも知る由もない。
しかし、その烙印は決して消えることはない。
 
嫉妬故に弟アベルを殺害したカイン。
罪の大きさに気づき、自分は誰からも殺されるだろうとの怖れから、
神は誰からも殺されないように守るためカインに烙印を押した。
 
人が人に押す烙印は、その人を排除し生殺しにしようとするが、
神が人に押す烙印は、その人を生かそうとする愛と赦しの表れの烙印である。
人の世は自らを守るために、人を苦しめ押しのけようとするが、
神の国は人の世で虐げられている者を守るために、ご自分のもとに招き入れてくださる。
 
人が人に押す烙印は、人を殺すが、
神が人に押す烙印は、人を永遠に生かす。
人によって一度烙印を押された者は、
その正否に拘わらず、いばらの道を歩まねばならない。
しかし、神によって烙印を押された者は、
神によって義とされ、主の道を歩く者となる。
 
神の前に正しい者は義とされ祝福されるが、
神の前にも人の前にも正しくない者は不義とされ、
神によって裁かれる。
神の救いを受ける者は、
人を不義に陥れ烙印を押す者にではなく、
人によって不義とされながら、
神によって生きるために烙印を押された者にある。
 
 16     「嘆いてばかりいても」 2014年12月6日(土) 
嘆いてばかりいても、何も始まりませんし、心が弱るばかりです。
立ち止まって、後ろを向いてばかりいても、前を向かなければ一歩も踏み出すこともできません。
 
過ぎ去ったことに、いつまでも囚われていては、何も始まりません。
それよりも、今できること、やらなければならないことに専念し、前に進むのです。
先のことなど誰にも分かりません。だからこそ、希望が持てるのだと思います。
 
この先、どうなるか分かりませんが、主なる神さまの計らいと愛しみに満ちた憐れみに信頼して、すべてを希望のうちに委ねるのです。
自分の将来の身を思い煩い、自分を小さくしてしまうよりも、その将来に限りない希望と可能性を抱き、すべてを主なる神に信頼して預ける方が、喜びに満ちて癒やされることでしょう。
 
不安が大きければ大きいほど、その裏返しは限りない希望でもあります。
どのような処遇になろうとも、主の計らいは、限りなく憐れみに満ちていますから、私が死に追いやられることはないばかりか、よりよく生きるための憐れみに満ちたものです。
 
すべの出来事、すべての時、そして私のすべての思いは、主が用意して下さったところへ導かれるためのものです。
ですから、何を恐れることがあるでしょう。わたしに起こったすべてのことは、主が与えて下さったすばらしい恵み。ただただ、ありがたく受け取って、それを生きるだけです。
わたしのうちには、既にこの世に生ける主がおられます。そのわたしを支配する主に逆らうことも取り除くことも、わたしにはもうできないのです。
わたしは、わたしの意志に反して、わたしうちにいる主に突き動かされ、生かされているのです。
それによって、とうとう、わたしはわたしのうちにいるわたしを乗り越えようとしています。
 
既に、わたしは、わたしの幸せのほぼすべてを失いましたが、わたしはわたしのうちにいる方の喜びを、なんとかして掴もうとしています。
れからどんなことが待ち受けていようとも、心騒がさずすべてを飲み込み、受け入れることができるようにしたいと思うのです。それは、限りなく大いなる喜びに変わることでしょう。
 
もう既にわたしのうちに入り込んだ主イエス・キリストとともに、その日が来るまで、すべてに耐え忍び、すべてに希望し、すべてに委ねるのです。
強さは、弱さのうちに発揮されるもの、忍耐は我慢することではありません。そこには限りない希望に満ちているからです。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むのです。
主よ、どうかこの弱く貧しいわたしが思い煩い嘆く時、聖霊をおくって強めてください。
わたしが自分を捨て、すべてのためとなることができるために…。
 
 17     「過ぎ去った時、今この時、未だ知らぬ時」 2014年12月6日(土) 
時は、留まることを知らず過ぎゆくもの。
繰り返しの時を過ごしているかのように思えても、
時の時間軸は循環する円ではなく、螺旋状に回りながら、常に先に進むもの。
 
過ぎ去った過去に思いを馳せ、悔い改めながら振り返る時、
現存する神にすべてを委ね、今の只中を生きる時、
希望を抱き、未だ知らぬ備えられた出来事を待ち続ける時。
どんな時も、時は人を新たな自分へと招き、
 
神は、ご自分と人とのつながりの中で、人を生かし続ける。
人は過去と現在において、その時を知ることはできない。
しかし、いずれ必ずやその時を知らされることとなる。
悔い改めと回心を重ねた事実としての過去、
今という希望に支えられた苦しみと喜びの現実、
過去と現実を包括し永遠の安らぎへと続く未来。
 
人は、過去にも未来にも生きることはできない。
人は、今この時という現実の中にのみ生きる。
今という永遠の中にこそ、神は現存する。
とするならば、過去においても未来においても、
神はそこにおられるということ。
過ぎ去った時にも、
今この時にも、
未だ知らぬ時にも、いつどこにでも神はおられる。
人は、そんな時に包まれながら、生きているのだ。
 
 18     「わからないのです」 2014年9月10日(水) 
わからないのです
自分が目指す頂を見ていながら
今の自分の歩んでいる道が
本当にこれで良いのかが…。
 
わからないのです
自分がなすべきことを知りながら
今自分がやっていることが
本当にこれで良いのかが…。
 
わからないのです
自分が満足を得ている今を生きながら
今の自分のありかたが
本当にこれで良いのかが…。
 
わからないのです
自分が使命と思いながら
今突き進んでいることが
本当にこれで良いのかが…。
 
わからないのです
だから、すべてを主に信頼して
自分をゆだね
今日も一日を過ごすのです
 
 19     詩編151 2014年9月10日(水) 
魂の源である主よ、あなたを賛美します。
古の時から今もいつも永久に
信じる者の砦となってくださる主よ、
正しく生きる者の嘆きを聞いて下さい。
 
この世で不正を行い、人をつまずかせる者を裁き、
あなたの正しさに導いてください。
シオンの丘に立つ者を裁き人にせず、
かえって罪人を赦し回心するよう、
祈ることができるようにしてください。
 
主の正しさに信頼をおき、
不正を行う者を憎み呪う者となることから、解き放ってください。
主の計らいは、人に悟ることはできず、
その業は偉大、嘆き悲しむ者の希望。
信じる者を裏切ることなく、
そのまなざしは弱き者に向けられる。
 
我が主よ、
あなたの息吹によって生きる者となり、
あなたの子によって、その死につながれて、
新たな命に生まれた者を、いつも心に留めてください。
いつの日か、あなたの慈しみに包まれて、永遠の命に生まれ変わり、
永久にあなたのもとで憩わんことを祈ります。
 
あなたのいつくしみ深い恵みに感謝しつつ…。
 
 20     「わたしは泣く」 2014年7月11日(金) 
わたしは、泣く
寂しくて悲しいときに
苦しくて辛いときに
そして、切なくてやるせないときに
 
わたしは、泣く
涙を流して
声を押し殺して嗚咽して
そして、叫びながら
 
わたしは泣く
友に先立たれたとき
親を亡くしたとき
そして、師であるあなたを失ったときに
 
わたしは泣く
この世に生まれたとき
老いのとき
病のとき
そして、死に向かって生きていることに
 
わたしは泣く
過去を振り返り
今を耐えて
将来への不安を思いながら
 
わたしは泣く
人の死にゆく当たり前と
自分が生きている不条理を目の当たりにして
この世の定めを知るときに
 
わたしは、泣く
死は、あなたにとっての永遠の憩い
残された者にとっては、喪失と空虚
決して、埋め合わせることのできない時空
 
わたしは、泣く
亡くなったあなたを偲びながら
あなたが残された主の勅を受け継ぎ
やがて、前を向いて
涙をぬぐい、また歩み始める
 
故 パウロ 河合恒男神父さまに捧ぐ
2014年7月8日 哀悼と感謝のうちに 朝の新幹線の中にて
 

Last updated: 2023/10/31