「教師にだけはなるまい。」と思っていたほど、教師は嫌いだった高校時代…。
教会の中高生と関わるうちに、「人間っていいなぁ…」と思うようになった大学時代…。
そのうちに、教師もいいかも知れないと思うようになった。
生徒に「何かを伝えたい、メッセンジャーになりたい。」という漠然とした理由でカトリック学校の教師を目指した。
その時は、何を伝えたいのかはよく分からなかったが、何かを伝えたいという強い意志だけは、確かにあった。
教師になって二十四年、ようやく今、初めて「伝えたいこと」の「何か」がはっきりと見えてきた。
それは、イエス=キリストをとおして宣べ伝えられた神の『福音』であった。
そのことに気付くのに、ずいぶん長い時間を通やしてしまったが、ようやく確信を持ってそれを使命として受け入れることができるようになってきた。
しかし、それはまだ始まったに過ぎないこと…。
これからが、教師としての正念場なのかも知れない…。
どこまでやれるかは、分からないけれど、聖パウロが言うように、
後ろのことを忘れて前のことに全身を傾け、目標を目指してひたすら努め、神がキリスト・イエスに結ばせることによって、わたしたちを上へ招き、与えてくださる賞を得るために、何はともあれ、ここまでたどり着いた道を歩みつづけていかなければならないのです。
そのために今は、神様の祝福とわたしたちの主イエス=キリストの導きを、聖母マリア様の取り次ぎをもって祈り求めるのです。
この私が、与えられた使命を全うできますように、途中で萎えてしまいませんように、行動することに恐れおののくことのないよう、そのための勇気と力をお与え下さい。
アーメン。
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