この世で恐いことは、死ぬことかな…。
なぜなら、自分がこの世からいなくなってしまうのだから…。
そうなったら、愛しい妻とも一緒に暮らせなくなってしまうし、
愛する我が子と楽しい一時をもう過ごせなくなってしまう。
それに、大切な友人との語り合いや同僚達と共に働くこともできなくなってしまう。
それだけじゃない…。
わたしの愛する郷土にも触れることができなくなってしまう。
里山を下ってくる清流の瀬音や、川面に映る太陽のきらめきと青い空、
木立の間を通り抜けていく風の音、木々の葉の茂みから差し込んでくる木漏れ日や、
小枝に止まってさえずる小鳥たちの声。
これらのどれもこれもが、わたしの心を満たす心地よい自然のハーモニー。
私の視覚に刻み込まれた大好きな風景や、聴覚の深部に響く自然の息づかい、
そしてこれらに囲まれながら、心にしたためられた思い出の数々。
これらのどれもこれもが、感じ取ることができなくなってしまう。
だ、から死ぬことはこの世でとてつもなく恐いと感じるんじゃないかな…。
でも、本当にこの世で一番恐いことは死ぬことだろうか…。
もしかしたら、死ぬことよりももっと恐いことがあるんじゃないだろうか…。
それは、今生きているこの自分を生しきれないでいることじゃないだろうか…。
保身をはかろうとするが余り、自分に固執して自分の殻に閉じこもっていること。
自己顕示欲と過去の自分に囚われ、新たな自分への一歩を踏み出せないでいること。
働くための手もあれば足もある、正しきものと悪しきものを見定める目もある。
苦しむ者や悲しむ者の声を聞く耳もあれば、虐げられた者のために正義を語る口もある。そして、何をすべきかを感じ取り、時のしるしを見極める知恵もある。
なのに、自分の命を失うことへのおそれに囚われて、自分ができることから逃れようとしている。
この世で本当に恐いこととは、死ぬことなんかじゃない。
神様から与えられた自分の力を知っていながら、その自分を生かさないで終わってしまうことだ。
せっかくの自分を生かしきれない、これ以上に恐いことがこの世にあるだろうか。
私の命は神様から与えられたもの、私の人生は神様のもの、私のすべては神様からのもの。主の仰せの通り、それに聞き従い、恐れることなく主に信頼して歩めるように…。
祈りと信仰のうちに、主がわたしにお望みになることを成し遂げられますように。
アーメン。
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