神ご自身、「わたしは、決してあなたを置き去りにはしない」と言われました。だから、わたしは、はばからずに次のように言うことができます。
「主は、わたしの助け手。わたしは恐れない。
人はわたしに何ができるだろう。」
(ヘブライ13:5〜6)

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詩情 Poetry

試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、ご自身でも人を誘惑したりなさらないからです。むしる、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。
(ヤコブ1:12〜15)
「命を愛し、
幸せな日々を過ごしたい人は、
舌を制して、悪を言わず、
唇を閉じて、偽りを語らず、
悪から遠ざかり、善を行い、
平和を願って、これを追い求めよ。
主の目は正しい者に注がれ、
主の耳は彼らの祈りに傾けられる。
主の顔は悪事を働く者に対して向けられる。」
(ペトロT3:10〜12)
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 91     「私の“とげ”」 2009年9月19日(土) 
 神様に何度、願ったことでしょう。
 
 「私のこの“とげ”を取り除いてください。」と…。
 
 切に、切に願っても、一向にその願いは叶えてはもらえません。
しかし、叶えてはもらえないけれど、確かなことが三3つあります。
 
 その一つには、
神様は、必要な時に必要なものを必要なだけ、
この私に与えてくださっているということです。
 
 その二つには、
神様は、常にこの私が倒れそうになった時に支え、
私を生かしてくださっているということです。
 
 その三つには、
私が神様の名を呼び求め、救いを求める者となったのは、
この「私の“とげ”」があるからこそだということです。
 
 自分の力ではどうすることも出来ないこの「私の“とげ”」によって、
私は私の使命を知り、仕える者となったのです。
神様、ですからどうぞ私の信仰を強め、揺らぐことのない者としてください。
この「私の“とげ”」が私を襲い、この「私の“とげ”」に囚われてた時、
どうか、この「私の“とげ”」の意味を、私に思い起こさせてください。
 
おお神様、あなたは私が自らの罪によって招いたこの「私の“とげ”」を、
あなたと私の絆としてくださいました。
神様、あなたは良いことからも悪いことからも、全てのことをとおして、
人をご自分のもとに招かれます。
 
神様、あなたの御旨は、人知では計り知れず、偉大で畏れ深い。
どうぞ、私をこの「私の“とげ”」故に、
あなたの御摂理に探りを入れず、
ただ、あなたに従う者とさせてください。
 
 92     「伝えるべきことを伝えるために」 2009年8月15日(土) 
 伝えるべきことを伝えるために、伝え方を変えなければならないこともある。
時に、それは自分の根本を変えなければならないことでもある。
 
 どんなに正しく真実なことを、相手のことを考えずに熱弁を振るっても伝わらないもの。
また、どんなに理屈にかなっているからといって理路整然と説いても、これもまた相手に伝わらないもの。
 
 伝えるべきことを伝えるためには、伝え方を身につけなければならない。
そして、伝えるべきことを伝えるためには、それ相当の労力と覚悟が必要で、それは並大抵のものではない。
 
 伝えるべきことを伝えるために、孤軍奮闘するにしても、相手と共に和合しながら為すにしても、どちらにしても並大抵の労力では済まないので、とても疲れるのだ。
 
 伝えるべきことを伝えるために、どうせ疲れるのなら、伝えるべきことが伝わるように伝えて、疲れる方がいいに決まっているだろう。
 
 伝えるべきことを伝えるために、我を貫き通すのも、自分を変えるのも、相当疲れるけど、どうせ疲れるのなら、相手に伝わるように伝えるために、自分を変えて伝わる方が、自分の使命が果たせるというもの。自分が変わることで、伝えるべきことが伝えられ、相手も変わるのならば、それで為すべき使命が果たせるのだから、それでいいというもの。
 
 伝えるべきことを伝えるために、為すべきことを為すために、どう伝えてどう為すかが常に問われている。
 93     「逃げなくっていいんだ」 2009年6月22日(月) 
恐くて不安になっても、
その時、その場所から逃げない方がいいよ。
怖れっていうのはね、
恐いと感じている自分から逃げようとすればするほど、
なおさら恐さが膨らんで、逃げたいという衝動に駆られてしまうんだ。
そして、ますます不安になって、ついにはとうとう恐怖に支配されてしまうんだ。
 
だから、恐いと感じた時には焦らずに、そんな自分を静かに見つめるといいよ。
そうすると、恐いは怖れておののいている自分自身が作り出した、
幻影(まぼろし)だってことに気づくよ。
恐いは、怖れに囚われた自分自身が、逃げ惑う自分を追いかけている、
鬼ごっこだってことに気づくよ。
 
だから、怖くて不安になった時には、逃げても無駄なんだ。
そんな時は、慌てず、じっとそこに佇んで辺りを見回してみるといいよ。
何が見えるかい。
 
雑踏の中を先を急ぎ、小走りする見知らぬ人たち…。
たどたどしい足取りで、歩き始めたばかりの幼子の手を引く母の姿…。
何気ない会話の中に、信じ合うことを探し求める恋人同士…。
昨日起きた悲惨な出来事に、驚きの同意を求めて話しかけてくる友人…。
庭先でキャッチボールをしながら、無邪気な声を上げてはしゃぐこどもたち…。
 
そんな平凡でたわいのない、まちかどで繰り広げられる日常の様子。
 
それとも、
里山にとおる道を、横切るように流れてゆく小川のせせらぎ…。
木立の間を通り抜けてゆく、さわやかな風のささやき…。
優しいそよ風に吹かれて揺れている、可憐な野花のほほえみ…。
木々の中のどこからともなく聞こえてくる、元気な野鳥(ことり)のさえずり…。
樹木の隙間を透かして輝いている、まぶしい木漏れ日のきらめき…。
 
そんな全ての人を、ありのまま包んでくれる豊かな自然の営み。
 
ほら、一度目を閉じて、ゆっくりと息を胸の奥までおくりこんでごらん。
新しい恵みの力が湧いてくるよ。
そして気づくはずだよ。
今、この時、この場所に生かされている自分がいるってことに!
今、この時、この場所に自分を生かしてくださる方がいるってことに!
けっして、独りじゃないんだ。
いつも、自分とともにいてくださる方がいるんだ。
だから、逃げなくっていいんだ、逃げることなんかないんだ。
安心して、その時、その場所にいればいいんだ。
いつも自分と一緒にいてくださる方とともに…。
 
 94     「祈りは聞き届けられ、かなえられる」 2009年5月5日(火) 
神は、どんな祈りも聞き入れて下さる。
 
苦しみや悲しみに打ちひしがれたときの嘆きや叫びが込められた祈り、
大切な人の命を自らの命に変えてまでも救いたいと願う祈り、
争いも貧困も差別もない穏やかな平和を求める祈り、
そして、与えられた命に今生きていることに感謝する祈りなど、
どんな祈りも神のもとに聞き届けられる。
 
たとえ、その祈りが保身のための身勝手なものであろうとも、
心の底からの願いと思いが込められた祈りならば、
神は、その祈りを聞き入れて下さる。
 
ただ、私たち人間は自分の望むことを願い祈るが、
神は、私たち人間に必要なことをかなえて下さる。
 
だから、神が私たちのすべてをご存じであろうとも、
祈るときは心の内を余すところなく打ち明け、自分の願いを祈るがいい。
 
神のはからいは、私たち人間には計り知れず偉大であるからだ。
 
かなえられる祈りならば、それは神が望まれ私たちに必要としたもの。
 
かなえられないのならば、それは神が望まれず私たちには無用なもの。
 
かなえられるにしろ、かなえられないにしろ、祈りは必ず神に聞き届けられる。
 
 95     「命と使命」 2009年4月17日(金) 
神は、私たちにその人だけの命と使命を、その人だけにお与えになっています。
だから、私たち人間の一人ひとりの命はかけがえがないのです。
だから、私たち人間の一人ひとりの使命は果たさなければならないのです。
だから、私たち人間の一人ひとりの存在は尊いのです。
 
誰かの命が、大事なのではありません。
かけがえのない「あなたの命」が大事なのです。
ただ生きることが、すばらしいのではありません。
あなたにしかできない「あなたの使命」を、生きることがすばらしいのです。
 
私たち人間は、私だけの命を生き、私だけの使命を果たすことができるよう、
「主の救い」に与るよう招かれています。
そして私たち人間は、私だけの命を生き、私だけの使命を果たすが故に、
「永遠の命」に生きることができるよう招かれているのです。
 
私たち人間の一人ひとりは、
神から愛され、必要とされて生きる者となりました。
私たち人間の一人ひとりは、
何処にもいない、誰も持っていない、何ものにも代えることができない、私だけの命と使命、
これを生き抜くこととやり遂げることのために、生まれ生きているのです。
 
 96     「罪」 2009年4月6日(月) 
神が人を創られたとき、
人はまだ罪を知らなかった。
 
しかし、神がエデンの園で唯一食べることを禁じた木の実を、
人が悪魔の誘惑に負けて口にした時から、知恵と自由を得る代わりに、
原罪を背負って生きていかなければならなくなった。
 
それ故に、人は罪の誘惑にあまりにも脆く、
自ら悪に手を染め、罪を犯すことに長けた弱い者となった。
 
だが、神は罪を犯した者の心を、ご自分のもとに立ち返らせるために、
自ら犯した罪を悔やみ、再び正しく生きるよう、良心をお与えになった。
 
それで、神は人を回心させるために、人が罪を犯すことを許されるのである。
人は罪を犯して悔い改め、神に向かって赦しと救いを乞い願い、
回心することで神と和解する。
 
まことに神は偉大、すべては神からのもの、人間の犯す罪すらも神からの賜ものである。
 
 97     「いやなやつ」 2009年3月19日(木) 
俺にとって、あいつはどうにもこうにもいやなやつだ。
ウマが合わないというか、とにかくいけ好かない、何かと癇に障るいやなやつなんだ。
 
でもな…、
あいつも生きてるんだよなぁ…。
あいつも生きていかなきゃいけないんだよなぁ…。
あいつも生きていたいんだよなぁ…。
あいつはあいつなりに辛いことや苦しいこともあって、大変なんだよなぁ…。
 
そんでな…、
あいつもあの方から、愛され、ゆるされ、生かされてんだよなぁ…。
俺もあの方から、愛され、ゆるされ、生かされてんだよなぁ…。
みんなそうなんだよなぁ…。
 
だからな…、
あいつも俺と同じなんだ、いやなあいつも俺と変わらないんだ。
俺もあいつも同じあの方から、愛され、生かされ、ゆるされて生きているんだ。
みんな同じなんだ。
 
 98     「息子よ」 2009年2月13日(金) 
息子よ、お前は何を考え、
          何を目指し、
          そして、何処へ行こうとしているのか。
 
息子よ、お前は何故、黙して何も語ろうとしないのか。
          何故、不信の眼差しで父を見るのか。
          何故、自分自身を伝えようとしないのか。
 
息子よ、お前はもう忘れたか。
          父の肩の上に乗って無邪気にはしゃいだ幼い頃を。
          不安に怯えて、父にしがみつき身を隠したことを。
 
息子よ、お前は何故、父を拒むのか。
          何故、心を閉ざし頑なになるのか。
          何故、素直になろうとしないのか。
 
息子よ、お前は自分で自分を生きなければならない。
          自分で自分を伝えなければならない。
          たとえ、それが無駄に思えることであっても、
          自らの望みを、自らの目指すところを、
          自らの行き先を伝えながら生きなければならない。
 
息子よ、お前は今、父のもとを離れようとしている。
          父を越え、新たに生まれようとしている。
          父に頼ることをやめ、まだ見ぬ自分を探すため、
          父のもとを旅立とうとしている。
 
息子よ、父もお前を手放す時が来た。
          父のもとを去ろうとするお前を見送る時が来た。
          父に頼らずに歩み始めようとしていることを祝おうではないか。
          父の手の届かぬところへ行こうとしているお前を、
          静かに祈りを込めて、見送ろう。
 
                  (大学に合格した日に寄せて18歳の長男に送る。)
 99     「ほしいものとまだまだ」 2008年12月9日(火) 
特段ほしい物という物もなくなってきたように思うのですが、全くないというわけではありません。
 
私のやりたいことのほとんどのことには、必要な「道具」(もの)というものがつきものですから、ほしい「道具」(もの)がなくなってしまうということは、やりたいことがなくなってしまうということになりますから、そう考えるとやってみたいことは、まだまだ山ほどあるので、ほしい物がなくなるということもないのかも知れません。
 
そして、そもそも人間というものは、いろいろな欲望から解放されることは、なかなか難しいものなのだからといって自分の物欲を正当化してしまう私がここにいるのです。
 
その上、ほしいものとは物だけではないのですから、そうなるとほしいものは尽きることなく湧き出てきて、数え上げることができないほどです。
 
その第一には、これといって取り柄のない私ではありますが、何にでも興味関心を持ってしまう性分なものですから、身につけたい技能や資格そして知識、また新たな発見との出会いなど、私の探求心は尽きることを知らず、求めるものがまだまだたくさんあるのです。
 
その第二には、人格者でもない私ではありますが、「こうなりたい、ああなりたい」などと願うことが一杯あるのです。
 
たとえば、自分の殻を破って古い自分を脱ぎ捨て、新たな自分を目指して一歩を踏み出すための勇気とか、自分の中にある情けない小さな自分や格好悪い自分を受け入れて、それを周囲にさらけ出せる素直さなどというものです。
 
そして第三には、不信仰で疑い深い私ではありますが、本当にほしいものは神様を心から信じ、自分のすべてを神様に委ねることができる信仰心です。
 
それは、どんな困難な時にでも神様の計らいを決して疑わず、安心して穏やかでいられる信仰と、どんな苦難に出会っても神様がいつも共にいてくださるという信頼の下に、それに立ち向かっていける勇気と希望です。そして自分が幸福な時だけでなく苦悩のうちにある時でも、他者を心から大切にできる真実な愛です。
 
不出来な私には、「ほしいもの」がまだまだ尽きません。
それほど私は、まだまだ未熟者だということです。
まだまだです、まだまだ…。
 
 100     「それで、いいんだよ」 2008年11月13日(木) 
自分を赦してあげよう。
理想どおりにはなかなか行かないけれど、
自分が思い描いているようにはなかなか行かないけれど、
それでも頑張っている自分がそこにいるのなら、
自分を赦してあげよう。
自分を褒めてあげよう。
 
まだそこには到達できていなくても、
まだまだそれを手にすることができなくても、
自分を責めることなく、そんな自分を認めてあげよう。
そして、自分にご褒美をあげよう。
そんな自分に励ましの言葉を贈ろう。
 
「お前、頑張っているじゃないか!」
「よくやっているじゃないか!」
「すごいぞ!」
「だから、いいんだよ、それで…。」
「それで、いいんだよ。」
 

Last updated: 2023/10/31