おはようございます。
今読まれているマタイ書の24章は、弟子たちの求めに応じて、「終末」とは、どのようなことなのか、いつおきるのか、そしてどのような心構えで「終末」を待つべきか、についてイエスが語っているところです。
今日の朗読カ所は、神は、「終末」に私たち人間を正義によって裁くため、主であるキリストを必ずこの世に再臨させると自らの再臨を預言し、その「終末」はいつ来るか誰も知らないから、常に「目を覚ましていなさい」と弟子達たちを諭しているところです。
「終末」と聞くと、とかくこの世が終わり、世界が破滅してしまうことを連想しがちですが、「終末」とは、私たち人間が神によって裁かれ、今までの世界が一変し、新しい世に変わることを意味するのであって、決してこの世が終わってしまうことを、意味するものではありません。しかし、「終末」のその時、「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に飢饉や地震が起こる」などの「終末」の徴が現れ、大きな苦難がやってくるとというのですから、恐れを抱かないほうがおかしいかも知れません。私たち人間は、いつもの日常に安心を抱き平穏を感じるのであって、何かが大きく変化することには、普通は不安や恐れを抱き、今までの生活がチェンジすることなどは、望まないものです。しかし、変わらなければならない時、変わらざるを得ない時、神による裁きの時こそが、「終末」ということなのです。
さて、「終末」にイエス・キリストの再臨が訪れるのが確かであるとしたのなら、私たち人間は、どのような態度で生きたらよいのでしょうか。今日の朗読カ所は、それを示唆しているのです。それを解き明かす前に、実は今日の朗読カ所は、旧約聖書のダニエル書からの引用です。ダニエル書は大預言書の一つであり、紀元前2世紀ごろ、迫害を受けていたイスラエルの民に向けられた希望の書であると言われています。では、そのカ所を読んでみましょう。ダニエル書の12章1〜3節、旧約聖書の1401ページです。開いてみて下さい。
その時、大天使長ミカエルが立つ。
彼はお前の民の子らを守護する。
その時まで、苦難が続く
国が始まって以来、かつてなかったほどの苦難が。
しかし、その時には救われるであろう。
お前の民、あの書に記された人々は。
多くの者が地の塵(ちり)の中の眠りから目覚める。
ある者は永遠の生命に入り
ある者は永久に続く恥と憎悪の的となる。
目覚めた人々は大空の光のように輝き
多くの者の救いとなった人々は
とこしえに星と輝く。
とあります。
揺れ動く時代の中で、神はいつイスラエルの民と交わした約束を、果たしてくださるのかという問いと、神は必ず「救いの約束」を果たしてくださるとの信仰と希望が語られ、そのような中で、神が人類の歴史に介入し、その御手による世界の支配がはじまるとの「終末」をダニエル書は預言しています。この思想が、やがて新約時代に受け継がれ、神による救いの業としての「終末」思想になったのです。
私たち人間は、いつもの日常の平穏に安心を抱きこれを望みますが、実際の現実はそうはいきません。皆、さまざまな問題を抱え、悩みながら苦しみながら毎日の生活を送っています。ある時は、学校の成績が下がったとは言って悩み、またある時は友人関係がうまくいかないとは言って嘆き、またはある時は家族の誰かが大病を患ったとは言ってうろたえ、時の流れの只中で起こる様々な自分の望まない出来事に、翻弄されてしまうのです。それが実際の日常というものです。
では、そのような日常の生活の中で、「終末」を迎えるにあたって大切なことは何でしょうか。それは、神に忠実であることです。神に忠実であるということは、神のみ言葉と救いの約束に対する信頼、そして希望の心を持つことです。「終末」の時代には、大きな苦難と試練があっても、「その時」には必ず神によって「救われる」からです。
新約聖書の共観福音書には、終末を語る黙示録が他にも、ルカ(17:20〜37)とマルコ福音書(13)があり、先週から読まれているマタイ書の24章の部分は、小黙示録とも呼ばれるところです。「終末」には、まず陣痛のはじまりとして、偽メシアの出現、戦乱、地震、飢饉、迫害がおこり、次いで「荒らす憎むべきもの」の出現、偽メシアと偽預言者が人を惑わし、最後には天変地異が起こり、「人の子」であるイエス・キリストが再び出現する再臨とつながります。
主の再臨は、イエス・キリストの復活とその栄光の現れによって、すでにはじまっており、世界は終末の時代に生きています。イエス・キリストにこそ、世界を完成させる新しい「救い」があると、新約聖書は教えています。ですから私たちは既に、キリストの来臨を生きているといっていいのです。
今日の福音は、「終末」のその日、その時は、父なる神ご自身だけがご存じであるから、いつも「目を覚ましていなさい」と私たちがどのような姿勢で「終末」の時を生きていくべきかを教えています。言うまでもなく、「目を覚ましていなさい」とは、24時間ずっと起きて眠ってはいけないということではなく、「神に対する信仰と希望を常に持ち、神による救いを確信して待っていなさい」という心のあり方を意味しているのです。
では、今日のお話の締めくくりとして、マルコによる福音書 13章24〜32節を読んで終わりましょう。新約聖書の89ページです。開いて下さい。
「それらの日には、このような苦難の後、
太陽は暗くなり、
月は光を放たず、
星は空から落ち、
天体は揺り動かされる。
そのとき、
人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを、
人々は見る。
そのとき、人の子は天使たちを遣わし、
地の果てから天の果てまで、
彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」
「いちじくの木から教えを学びなさい。
枝が柔らかくなり、葉が伸びると、
夏の近づいたことが分かる。
それと同じように、あなたがたは、
これらのことが起こるのを見たら、
人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。
はっきり言っておく。
これらのことがみな起こるまでは、
この時代は決して滅びない。
天地は滅びるが、
わたしの言葉は決して滅びない。」
「その日、その時は、だれも知らない。
天使たちも子も知らない。 父だけがご存じである。
今日も一日、良き日になるよう、神さまと自分の為すべきことに忠実でありましょう。
アーメン。
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