神は言われる。終わりの時に、私の霊をすべての人に注ぐ。すると、あなたの息子と娘は預言し、若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。上では、.に不思議な業を、したでは、地に徴を示そう。血と火と立ちこめる煙が、それだ。主の偉大な輝かしい日が来る前に、太陽は暗くなり、月は血のように赤くなる。主の名を呼び求める者は皆、救われる。
(使徒言行録2:17〜21)
 

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『この民のところへ行って言え。
あなた達は聞くには聞くが、決して理解せず、
見るには見るが、決して認めない。
この民の心は鈍り、
耳は遠くなり、
目は閉じてしまった。
こうして、彼らは目で見ることなく、
耳で聞くことなく、
心で理解せず、立ち帰らない。
わたしは彼らをいやさない。』
(使徒言行録28:26〜27)
キリスト教研究 宗教学・教理学・宗教史・哲学・宗教科教育法
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 31     「五千人に食べ物を与える」 2012年9月12日(水) 
おはようございます。
 本日の朗読カ所は、マタイ以外のマルコ・ルカ・ヨハネのすべての福音書に記されている「たった五つのパンと二匹の魚を、イエスが増やして五千人に分け与える」という有名なお話です。とは言ってもにわかには、信じがたいお話であります。いつもながら、どうも聖書には眉唾物のお話が多いので、躓きになってしまいますよね!では、いつものように、なるべくわかりやすく?(でもないかも知れませんが)解説してみましょう。
 
 この物語に出てくる「五つのパンと二匹の魚」は、古代の教会においては、キリスト教のシンボルマークとして用いられてきたのです。「パン」は、キリストの体を表し、「魚」は神の子であるキリストが世の救い主であることを表しています。そして、その「パン」と「魚」を分け合うということは、救い主であるイエス・キリストを皆で分け合うということなのです。この「皆で分け合う」ということが、キーワードです。
つまり、「たった五つのパンと二匹の魚」を魔法を使って増やしたというのではなく、主イエスは単なる物質的な食物を、天を仰ぎ神の祝福によって、人々の心を満たす聖なる精神的な食べ物に変化させ、さらにそれらを「切り裂く」という行為によって、すべての人々に神の恵みを分け与えたのです。この互いに分け与え合うこと、つまり共有する、あるいは共感するというつながりが、人々の心を満たしたということなのです。
 
 聖書の記述は、いつも象徴的ですから、想像力や感受性そして真実を見極めようとする探求心が必要です。また、これもいつもお話しすることですが、必ず朗読カ所の前後を読んで、全体を見渡すように解釈することも大事なことの一つです。
 
 今日の朗読カ所の部分でいうと、14章の1節〜11節の部分の内容は見逃せません。つまり、主イエスは救い主としての自分の道を整え、多くの人々に回心を求めて洗礼を授けていた、洗礼者ヨハネが殺されたことを知り、彼の死を悼み自分もまた十字架の死に向かって生きていることを深く受け止めるために、人里を離れて静かな場所で祈りたかったのだと思います。しかし、それでも大勢の群衆が主イエスの救いを求めて後を追いかけました。そこで主イエスは、舟から上がり彼らを見て深く憐れみ、病人を癒されたのです。「深く憐れむ」いう言葉は、内臓をあらわす言葉から生まれた「自分の内臓が痛むほどに、相手の苦しみや悲しみそして痛みに同調し、一体化する。」という意味です。つまり、主イエスは他者の苦しみを御自分の苦しみとされたということなのです。それが主イエス・キリストの「いつも苦しむ者と共にいる」という愛の姿です。そして更にその具現として、実際にはごくわずかの分け前であったでしょうが、「五つのパンと二匹の魚」という霊的な心の生きた食物を分け与え、彼らの苦しみや病を癒やし、救いをもたらしたというわけなのです。しかも群衆のその数は、女と子どもを除いて五千人ということですから、もしかしたら実際は一万人を超えていたのかも知れません。
 
 また、もう一つ注目すべきは、「五つのパンと二匹の魚」を弟子たちは「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」といっていることです。確かに、ごく普通の反応でしょう。五千人以上もいるのに「五つのパンと二匹の魚」は、確かに「しかありません」ですよね。しかし、そのような弟子たちの心配をよそに、主イエスは、冒頭でお話ししたように「神の祝福」と「分け合う」という行為によって肉体的な空腹ではなく、精神的に飢え渇いていた人々の心を霊的に満たすという救いの奇跡を起こしたのです。しかも、残ったパンくずを集めると12の籠に一杯になったとあります。つまり、12人の弟子たちの疑心暗鬼の心も主イエスによって変容し、そこに集まったすべての人々を象徴するイスラエル12部族とともに、皆が神の恵みに十分に満たされたということです。
 
 とかく私たちは、自分には出来そうもないこと、都合の悪いこと、あるいは不利なことに出くわすと、満たされない条件を並び立てあげて、出来ないことの理由にして自分を正当化しようとします。しかし、自分自身に既に与えられた能力や条件を見つめ直し、それで今できることを模索することが大切なのではないでしょうか。自分の中にある「信じる力」・「希望の力」・「愛する力」があれば、たとえどんなに「これしかない」と思われるような状況でも、神の恵みを願い他者と分かち合うことが出来さえすれば、奇跡は現実のものとなるのです。
 
今日もよき日となりますように。アーメン。
 
 
 32     「マタイによる福音を書いたといわれるマタイという人物について」 2012年6月11日(月) 
 皆さん、おはようございます。宗教指導部の佐井です。今日は、本年度年間を通して読まれるマタイ福音書を書いたと言われるマタイという人物像に迫ってみたいと思います。
 
 12使徒の中におけるマタイの象徴は財布ですが、それはマタイがイエスに弟子となるように呼ばれる前は、徴税人の仕事をしていたというところに由来しています。しかし、マタイが徴税人であったという確証はなく、徴税人であったとの記述は、マタイによる福音書の10章3節の「徴税人のマタイ」の一カ所しかなく、その他の根拠としては、今日読まれたカ所(マタイによる福音書の9章9節「マタイという人が収税所に座っているのを見かけて」)にあるように、イエスと初めて出会い弟子として呼ばれた場所が収税所(今で言えば税務署といったところでしょうか?)であったとの記述です。
 
 実は、もともとマタイと言われる弟子は謎の多い人物で、マタイによる福音書での「マタイを弟子にする」というカ所は、他のマルコによる福音書やルカによる福音書では、「アルファイの子レビ」と記述されていて、マタイという人物名は出てきません。また、イエスがそのレビという人の家で食事を共にした大勢の中には、徴税人や罪人がたくさんいたところから、マタイもまた徴税人ではないかと理解されたのかも知れません。しかしこれもまた、マタイによる福音書以外では、マタイが徴税人であると記述されているところがないばかりか、マタイによる福音書自体に著者がマタイであるとの記述を見つけることもできないのです。このような理由から、「マタイ」と「アルファイの子レビ」が同一人物であるかどうかや、「マタイ」と十二使徒の一人の「アルファイの子ヤコブ」との関係を断定づける記述もないのです。
 
 しかし、マタイという人物が、ガリラヤのカファルナウムの町で、ユダヤの徴税人として働いていたかどうかは定かではありませんが、いずれにせよ当時の徴税人という仕事をしていた人たちは、ローマの手先となって同胞の仲間たちから税金を取る者として、罪人とみなされ、人びとから疎まれていたことは間違いありません。(皆さんも、消費税増税法案の行方が心配でしょ?でも、私たちの消費税は、社会保障など私たちの暮らしに直接還元されますが、当時の税金はローマの皇帝のものになってしまうだけのものでしたから、だれも税金を払いたいとは思わなかったし、そんな税金を取り立てる奴は裏切り者扱いだったのです。)イエスは、そんな世間から嫌われ罪人呼ばわれされたマタイを弟子として招き入れているのですが、そのほかの弟子たちについても皆同じようなことが言えます。彼らは当時の社会では、無学で教養がなく身分の低い漁師や、ローマからの支配を革命によって改革しようとするレジスタンス、つまりは世間から身を隠して活動する危険視されるような者たちばかりでした。
 
 その他『使徒言行録』によれば、マタイはイエスが十字架に架けられ、死んだ後もキリストの復活を信じる共同体であるエクレシア、つまり教会に留まり、キリストの昇天やペンテコステといわれる聖霊降臨などの場面に立ち会っていることが記されています。また、伝承ではマタイを中心とするユダヤ系の信徒が集まった教会の人々のために『マタイによる福音書』を記し、後にイエスの福音を伝える宣教の旅に出て、エチオピアあるいはペルシアのヘリオポリスで殉教したと伝えられています。
 
 なお、マタイという名前は、当時の社会で一般に使われていた言葉であるアラム語では、「神さまからの賜・ご褒美」の意味があります。また、ギリシア語表記はマタイオス(Μαθθαιο?,Matthaios)、マテオ、マトフェイとも言われ(表記し)、ラテン語ではマタエウス(Matthaeus)、イタリア語では「マテオ」(Matteo)、フランス語ではマテュー(Matthieu)、英語ではマシュー(Matthew)、ドイツ語ではマテウス(Matthaus)、ロシア語ではマトフェイ(Матфей)、日本語では「マタイ」と言われ(表記し)ています。
 
 今日も良き一日となりますように。アーメン。
 
 33     「マタイ福音書について」 2012年4月23日(月) 
 皆さん、おはようございます。宗教指導部の佐井です。今日は、本年度年間を通して読まれるマタイ福音書についてお話しします。
 
 マタイ福音書は、新約聖書の一番最初に位置付けられている「福音書」です。「福音」とは、よき知らせ、英語では「Good News」、イエス・キリストが活躍した時代に使われていたアラム語の原型であるヘブライ語では「エヴァンゲリオン」といいます。この「福音=よき知らせ」とは、『人間を救う神の愛』と『神の愛に満たされた神の国の到来』を意味し、それらが救い主イエス・キリストの教えに従うことによって実現するというものです。
 
 新訳聖書、特に四つの福音書は、とかくイエス・キリストの伝記と捉えられがちですが、もちろんその要素もあるのですが、本旨は違います。実は聖書とはある目的を持って意図的に書かれたイエス・キリストの福音とそれを生きるための「宣教のための書物」なのです。
 
 では、マタイ福音書はどのような目的と意図を持って書かれたかというと、マタイ福音書の筆者とされているキリストの弟子であるマタイは、キリストの死と復活の後、自分を中心とした集団であるマタイ共同体というものを形成していました。その共同体のメンバーは、ユダヤ教からキリスト教に改宗したユダヤ人の人々でした。そして、マタイ福音書が書かれた時代は70年前後から80年代といわれ、既にイエス・キリストを直接知っている者が、ほとんどいなくなりつつあった時代です。よって、マタイ共同体の人々が、イエスの教えに従って生活し、イエスの福音を宣べ伝え続けていくためには、イエスの教えを記録したものが必要になってきたわけです。マタイ福音書とは、その目的と意図を持って書かれた「宣教のための書物」なのです。
 
 さらに、この時代にはローマ帝国とユダヤ人との間にユダヤ戦争(66年〜73年)があり、70年にはエルサレムが陥落して、ユダヤ人たちは国を追われ各地に離散していきます。そのような戦乱の世の中にあって、自分たちの共同体を守っていくためには、強い信仰と信念が必要でした。マタイ共同体の人々は、自分たちのキリスト教信者としてのアイデンティティを確立し、守っていくためにこのマタイ福音書を必要としたのです。
 
 当時、イエス・キリストを信じた者たちはローマ帝国からもユダヤ教徒からも迫害されました。そのような虐げられた人々にとっての救いは、イエス・キリストへの信仰と復活したキリストの再臨でした。それを確固たるものにするためにも、マタイ共同体内部の一致と団結が是が非でも必要だったのです。その象徴としての教えが、本校の校訓「正・浄・和」の出典にもなっている「真福八端」として有名な「自分の貧しさを知る人は幸いである」の言葉に始まるものです。この教えは、当時においても現代においても非常識とも受け取られがちなものですが、よく吟味してみると「天の国」・「慰め」・「柔和」・「正義」・「憐れみ」・「心の清さ」・「平和」をもたらす者が真に幸せであるということを逆説的に言っています。私たち人間が幸せに生きるために欠かせないと確信し、求めて止まない物質的な充足や社会的な地位の獲得、そして生活の安定などは、それらを得ようとするがための競争と、得たことによる傲慢を生み出し、かけがえのない個を埋没さてしまうばかりか、神から与えられた命と自由を間違ったことに使い、人間の社会を破滅に追い込み、神と人間との断絶をもたらすことになるのです。
 
 マタイ5章1節〜12節の「イエスの山上の説教」として有名な教えを生きるということは、その後に続く13節〜16節にあるように「地の塩、世の光」として生きるということに他なりません。きっとマタイ共同体の人々もそのように生きていたに違いありません。「地の塩、世の光」として生きるとは、何も特別で偉大なことをしなければならないということではなく、神さまからいただいた自分の命と使命を、誠実に真摯な姿勢で生き福音を語り継ぐということです。しかも絶対的な希望を持って生き抜くということです。世界宗教といわれる他の宗教の教えにおいても、人生を生きる上で、自分が望まないさまざまな困難や辛いこと、悲しいことに出会い苦しむのは、生きるということの真理であると説かれています。キリスト教は、その人生における苦しみに対して、神の愛と救いに絶対的な希望を確信し、イエス・キリストの教えに忠実に従い、復活の命に与ることを信じて、絶えず謙遜に神への道を歩むことを説いているのです。  
 
 今日も良き一日となりますように。アーメン。
 
 34     「イエスの復活を信じるということ」 2012年3月21日(水) 
生徒の皆さん、おはようございます。
 今朝、読まれている聖書のカ所は、復活されたイエス・キリストとある弟子の二人が、エマオという村に行く道の途中で、出会うという場面です。
 
 この二人の弟子たちは、エマオへ向かう道すがら、先生であるイエスが復活したという噂について論じ合っていたところ、当の復活したイエス・キリスト本人が、知らないうちに自分たちと共に歩いていたというのです。しかも、二人の弟子たちは、目が遮られていて見えなかったと記してありますから、すぐ傍らにおられるイエス自身に気付いていなかったということになります。
 
 おそらく、そのことに呆れて、イエスは、二人の弟子にこう話しかけたのだと思います。「あなた方が話し合っていることは何のことですか?」と…。その言葉に逆に驚かされた弟子の一人は、こう切り替えします。「あなたは、エルサレムで起こったナザレのイエスの大事件を知らないのですか?」と言って、イエス・キリストが十字架にかけられ殺されたことについての一部始終を話し始め、最後に仲間の婦人達が墓に行ってみると、葬られたはずの先生の遺体が消えていて、そこに神のみ使いが現れて「イエスは生きておられる」と告げられたという話を語ります。
 
 そして、この二人の弟子に向かって、イエスは語彙を強めて次のように諭します。「物わかりが悪く、予言者たちが語ったすべてを信じるには、心の鈍い者たち、メシアは必ずこのような苦しみを受け、栄光に入るはずではなかったか」と。しかし、この時点でも二人の弟子たちは、その方がイエス自身であることには気付かずに、エルサレムで起こった出来事すらも知らない世間知らずのただの見知らぬ旅人にしか過ぎないのです。
 
 その後、エマオの村に近づいた弟子の二人は、更に先を急ぐその見知らぬ旅人に、もう日が傾いて夕刻なので、一緒に泊まるよう勧めます。そして宿を共にし、夕食の食卓に着いて、その旅人がパンを取り、賛美を捧げて、それを裂いて、二人に渡した時です。弟子たちは最後の晩餐の情景を思い出し、ようやく二人の目は開かれ、その見知らぬ旅人がイエス本人であり、エルサレムで噂されているとおり本当に復活したということを目の当たりにするのです。しかし、その途端にイエスの姿は、二人の前から消え去ってしまいます。
 
 さて、実は復活されたイエス・キリストと弟子たちとの出会いこそが、キリスト教の原点と言って良いでしょう。なぜならば、その「イエス・キリストの復活」を信じるということが、キリスト教の信仰の核心だからです。普通に考えてみれば、死んだ人が甦るなどということは信じられるはずがありません。しかし、信仰とは、人間の力を遙かに超える神の未知なる神秘を、あるいは理屈では到底説明のできない不条理で不可解なものを信じ、受け入れるということなのです。
 
 そもそも、自分が生まれて、今ここにいるという事実、そして家族や友達に囲まれて生きているという事実を、だれが理屈で説明できるでしょうか。私たちはとかく目に見えるもの、触れることのできるものなど、人間の五感にたよって認識できるものしか認めないという傾向があります。しかし、私たちの日常的には、五感では捉えることのできない大切なものがあります。それが、「愛」とか「友情」とか言われる人と人とをつなぐものです。そして、実に私たちの日常とは、その人と人との見えないつながりが紡がれて、信頼関係が織りなされているのではないでしょうか。
 
 復活したイエス・キリストを信じて精霊の力に突き動かされた弟子たちのその後の生き方から、神を信じる信仰の力を学びたいものです。
 
 では、今日も一日、良き日となりますように、特に卒業する中学三年生の皆様のために、神さまのお恵みを願いましょう。アーメン。
 
 35     「『ルカ福音書』について」 2011年12月15日(木) 
 皆さん、おはようございます。今日は、今読まれている「ルカ福音書」についてお話しします。
まず、驚くかも知れませんが、「ルカ福音書」の中には、これはルカ本人が書いたものであるということは一切出てきません。実は、他の三つの福音書も同様に誰が記したものなのかということについては何処にも書かれていないのです。
 
 では、どうして「ルカ福音書」がルカによって記されたものである、と分かるのかというと、三つの根拠があるのです。一つには教会の伝承。二つ目には当時の文献や写本にルカによって記されたものであると記述されているからです。そして、三つ目の理由には、新約聖書の「パウロの書簡」にルカ自身が登場し、パウロと共に宣教活動をしていることが記されており、ということはパウロやペテロの宣教活動の様子を記している「使徒行録」の著者もルカであるということにつながります。なぜならば、「使徒行録」の最初に「ルカ福音書」と同じ「テオフィロさま」という人物に宛てて書かれたものであることが記されているからです。
 
 ですから、「ルカ福音書」と「使徒行録」は同一人物によって記され、記事の内容から「ルカ福音書」の続編が、「使徒行録」であるということが分かるのです。
 
 さて、ちょっと話がややこしくなってきましたが、「ルカ福音書」は一体何のために、また誰のために書かれたものだったのでしょうか?実は、このことが「ルカ福音書」の最も重要な鍵なのです。
 
 「ルカ福音書」は、はじめの第1章の1節から4節にあるように、敬愛する「テオフィロさま」という人物相手に、「キリストについての全てのことを初めから詳しく調べていますので、順序正しく書いてあなたに献呈するのがよいと思いました。お受けになった教えが確実なものであることを、よく分かっていただきたいのであります。」と書いているように、キリストの教えを信じた「テオフィロさま」に、イエス・キリストについての、誕生からその教え、そして受難と復活までを、順序立てて詳しく書き綴り、イエス・キリストに関する全ての出来事が確実なものであったということを、証明するために書かれた書物であるということなのです。
 
 「テオフィロさま」とは、おそらく偉い人物、もしくはキリストの教えが広まる上で重要な人物であったに違いありません。「テオフィロ」とは、「神を愛する者」という意味のギリシア語です。そのような人物宛に「福音書」と「使徒行録」という二つの内容の書物を書き送ることによって、ルカ自身が確信したイエス・キリストの教えを、より多くの人々に伝えようとしたに違いありません。
 
 以上の点から、イエス・キリストの生涯とその教え、そしてイエスの復活と昇天後に、使徒たちがどのようにして福音を宣べ伝えていったのかを知るためには、「ルカ福音書」と「使徒行録」を読むことで分かるのです。
 
 ルカという人物は、文献からアンティオキア出身のシリア人で医者を職業とし使徒達、特に宣教活動で最も活躍したパウロの弟子であったことが伝えられています。つまり、ルカは、ユダヤ人ではない異邦人で、現代の医者とは中身に、かなりの隔たりはあるものの、教養が高く語学にも長けた人物であったと推測されます。
 
 全校の皆さん、クリスマスの集いやクリスマスまであとわずかですね。どうぞ、良きクリスマスを迎えるために、せめて「ルカ福音書」の1章から2章と「マタイ福音書」の1章から2章までを読んでみましょう。聖書の中で、イエス・キリストの誕生にまつわる記述は、この二カ所だけにしかないのです。
 
 では、今日も一日、良き日となりますように、神さまのお恵みを願いましょう。アーメン。
 

Last updated: 2016/11/15